ぴんよろ日記
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2005年03月31日(木) 人付き合いの塩梅

昨日はとても驚いた。
いつも行く本屋で、偶然に人と会ったから。
その人とは2年か3年に一度会って話したりするが、
この町には住んでいない人だ。
前回は2ヶ月くらい前に会って話したし、
その後にあると聞いていた、その人を含んだ集まりもなかったので、
これでまた2年くらいは会わないだろうと思っていたら、
本屋の、これまた地味なコーナーで会った。
あまりにもびっくりしたので、気づいた瞬間「はうぁ〜!」と息を飲んだら、
その声に気づいて、やはり同じようなリアクションで驚いていた。
「本物ですか?」と言われた。本物です。
それから4時間しゃべって別れた。
その人も私も、人とまめに連絡を取る性格ではまったくないし、
そもそもべったりした友だちや知り合いもほとんどいないので、
2年か3年に一度会って数時間話をするというのは、
お互い現実的なレベルではものすごく濃い関係だな、と、話しながら思った。
私にとっては、年賀状のやりとりをするのも、かなりの高密度な付き合いだ。

人嫌いってわけじゃないんだよね、と、
ずいぶん前にその人と話したことを思い出すが、
その塩梅を広く理解してもらうのは、なかなか難しい。
会うのがめんどくさいというのとも違うし。

ひんぱんに会う人とは会うし、
それぞれの人と、それぞれのペースで会ってるから、
それ以上のペースで会う必要を感じなくて、
ただそれを実践しているというのがいちばん近い。
そのペースが、マメに合わないと不安だったり寂しかったりする人から見れば、
非常にスローだろうとは思うけど。

会いたくない、じゃなくて、会わなくてもいい、なのだ。
もちろん、いい意味で。

だからだろうと思うけど、明らかに何らかの人脈を広げるために、
人に紹介されたりするのは大の苦手。
もちろん仕事をする上で、とか、なぜか会っちゃったとかいうのはいいし、
そうやって知り合った人は、とても大切な人たちになる。
「仕事の上で会う」ということが、
時々「本当の人付き合いじゃない」とされたりするが、
それは例えば会社勤めの人が、
おなじ境遇を嘆き合うためだけに肩を組んで飲んだくれる、
たまたま机を並べているような人のことであって、
私にとっては、仕事と自分は分かちがたいものだし、ベースは自分ひとりなので、
仕事の上で会い、仕事のことでしか付き合わなくても、
それはとても大切な、縁のある人たちだ。

だからこそ、紹介するために紹介された関係というのは居心地が悪い。
そしてたいていは、顔を合わせるたびに、
「面白いことやりましょうよ」「こんど飲みましょう」
などとあいさつされることが永遠に続くだけに終わる。

会ってしまう人とは会ってしまうので、わざと会ったところでロクなことはない。


◇◆◇


と書いたそばから今日、初めて会う人と会って、
すぐにでもギュギュッと仕事をすることになった。
いっしょにやれるかどうかは、ちょっと話をすればすぐわかる。
やれそうな人だったのでよかった。


2005年03月30日(水) あの星は、誰?

朝がた、鼻水に起こされる。
外を見ると、ラグビーボールの月から、たくさんの白い光が出ている。
そしてド近眼の目にもひとつ、キラリと星が見えた。
眼鏡をかけて、もういちど見る。
すごく明るい星だ。なんだろう。
東の空なら明けの明星かもしれないが、思いっきり西にある。
ふと、あれは誰だろう? と思った。誰かのような気がしたのだ。
星を見ても、それが誰だろう?なんて、
ぜんぜんロマンチストじゃない私は、あまり考えないのだが。

しばらく月と星を見て、眠る。
そのときは眠れなくてつらかったけど、いま思えば眠っていた。
いろんなことを考えながら。


2005年03月29日(火) まさかこれが弁当に。

3日連続でダンナの弁当を作っている。
いつもは、昼ごはんをいつ食べられるか、はたして食べられるのか、
という仕事の状況なので作らないが、
いまは番組の編集をしているので、昼ごはんは落ち着いて食べられるから。
お弁当箱は、工事現場のおっちゃんが持ってる、魔法瓶みたいなやつ。
ごはんも汁物もホカホカなので作り甲斐がある。
おとといは豚肉のケチャップ味炒めとクラムチャウダー。
きのうは鶏そぼろごはんとみそ汁。
それぞれにホウレン草やキノコなどを使った付け合わせと果物。
しかし2日続けて作ったところで意表がつきたくなり、
今日の弁当は豚肉とエリンギ、プチトマトのタイカレー(グリーン)と、
鶏肉の揚げたのにスイートチリソースをからめたもの。ホウレン草のおひたし。
スプーンを弁当箱の上に乗せていたら、
「これも?」というので「絶対いるから」と持たせた。
まさかタイカレーが弁当になっているとは思うまい。

そういえば夜は何を食べているんだろうか。
一日目はディレクターに焼肉をおごってもらっていたようだが。
(でも前の日の夜も焼肉だった)

今日はよく晴れている。
がんばって外に出て用事をすませよう。

それにしても最近台所に立っている時間が長い。
そして買い物に出るたびにおいしそうなジャガイモを探しているのだが、
どうもこれというジャガイモに行き当たらない。
でもジャガイモって、ストックが無いとなると心細い。
などと、うっすら思う日々を過ごしていたら、
今朝ついに、ジャガイモを探す夢を見た。
そしてやっぱりおいしくなさそうなヤツしかなくて、買わなかった…。


◇◆◇


タイカレー弁当について、ダンナから「まいりました」とメールが来た。
そうじゃろうそうじゃろう。

ずっと気に病んでいた用事がほぼ終わり、ジャガイモも買うことができた。
これまたずっと食べたくて見つからなかった「なげわ」も買った。
今日はいい日だ。



2005年03月28日(月) プラスなんかじゃなく。

ここ数か月ぼんやり思い描いていたものを、形にしはじめた。
どこに出す当てもなく、長い道のりになるとは思うが、
楽しく厳しく、コツコツやっていきたい。
そしてもちろん、いつか世の中に出したい。

それにしても実際に書き出してみるというのは、
いまさらながら大きな力を持っていることなのだとよくわかる。
いくつか考えつつも、しっくりこなかったタイトル(=方針)が、
ちょっと文章を書き出したところで、スッと出てきた。
ほんと、思ってることとやってみることは違う。
思わなくてはやってみることなんてできないけど、
思うこととやってみることの間には、
実際にしたことがどんなに小さなことでも、大きな大きな溝がある。
それを飛び越えることによって、また思いもよらない力が出てくるものだ。
やればやるほど、次への力はわいてくる。プラスじゃなくて、自乗的に。


◇◆◇


昨日は鶏そぼろを作った。
そぼろごはんを食べるときって、ときめく。
ほかの何ものにも代え難い幸せを感じる。
…あ、いま、その理由がわかった。
このことはニュープロジェクトの文章に書こう。ふふふ…。

鶏そぼろ、黒米入りのごはん、なぜかクラムチャウダー、
ジーマミ豆腐、きゅうりの浅漬け、大根おろし、たたきこんぶ。


◇◆◇


夜ごはんは、ひとり、鍋。
昨日の夜、ダンナが、釣りに行った会社の人からもらってきた。
カワハギの大きいようなのと、クロ。
すぐにさばいておいたので、今日は簡単。
カワハギ(大)の身を刺身にして、アラと肝は、白菜と炊く。
けっこうな量になったので食べてしまえるかどうか案じたが、
まったく心配ご無用だった。
肝…あぁ肝…そして肝…。
刺身を鍋に入れて、半生くらいに熱を通して、それと肝をいっしょに食べると、
いちいち自分があやしい笑い声をもらすので、途中からそれがおかしくなって、
一口で二度ずつ笑いながら食べた。かなり不気味な光景だ。
内臓好きに生まれてよかったと、しみじみ幸せをかみしめた。
特に魚介類は、圧倒的に身よりも内臓が好きだと断言できる。
カワハギの肝とかサザエのお尻とか、焼き魚やあら炊きの目玉とか、
エビの頭のミソを食べない人生なんて考えられない。


2005年03月27日(日) 肉…。

新しい「クウネル」を、いつもの後ろめたさとともに読んでいたら、
ひとりの人の食生活を追うページで、すごくホッとした。
「クウネル」って、一種の「正しい」人ばっかり出てくるので、
面白いんだけど、どうも居心地としてはしっくり来ないのだ。
自分の部屋のどこに何があるか、ものすごくわかってる人とか、
ヘルシーな弁当をしっかり作ってる人とか、肉と思ったら麩だったとか、
シャツ一枚まで熟慮して買ってるような人ばっかりなので。
でも今回の食生活ページの人は、
玄米&野菜中心派が多そうなクウネルにあるまじき肉食の人だった。
とにかく肉と甘いものばかり、ゴッテリ食べている。
「野菜は残す」とか平気で書いてあった。
ここまで来ればもう、体質かな、とも思ったし、
クウネルらしい、そつのない計算された「はずし」かとも勘ぐるが、
妙にホッとしてしまったのは事実だ。

だからというわけではないが、昨日の夜は焼肉を食べに行った。
以前、時々行っていた銅座の白頭山。一度火事で焼けて、新しい店になった。
肉自体は金剛園の方がやっぱり好きだったけど、
生もの(ユッケとかレバ刺しとか。金剛園にはない)があるし、
お店の雰囲気が好きなので、ここに来ることが増えるかもしれない。
隣のテーブルの人々が、私たちが入ったころにはすでにできあがっていて、
強烈に言い争いをしていたのが、やけになごんだ。
悪いタイプの言い争いじゃなくて、明日になってみたらスッキリして、
また仲良くなれそうな感じだったので。

クウネルな人だと思われても困るが、
私はしかし、わりと普段は雑穀を食べたりしているし、
野菜ジュースや黒酢リンゴジュースを飲んだりしているし、
肉はそれほど食べないし、食べても鶏肉だったりするが、
やはり時々は肉もおいしい。
でも、帰ってから無性にイライラというか、
なにかにかみつきたいような気持ちになったのは、
久しぶりに食べた肉のせいだろうか???


◇◆◇


もぎくんの寝起きの目のまわりが、ほんのり赤く腫れているのを見るのが好きだ。


◇◆◇


このところ自分の中で人気が再燃していたお粥屋さんがなくなると知って悲しい。
かなり悲しい。
でも、ちょうどオーナーのお姉さんがいたので声をかけたら、
理由を説明してくれて、とても納得した。
彼女にとって店は、永遠のものではなくて、ステップのひとつだったのだ。
これからまた、どんどんいろんな世界に行ってほしい。陰ながら応援しています。



2005年03月26日(土) ひょんなところにこそ姿勢が。

朝っぱらから「ジーマミ(ピーナツ)豆腐」を作る。
昨日立ち寄った物産販売所に、生のピーナツがあったから。
皮をむくのに2時間かかった。横目でドラえもんを見ながら。
そして朝、お湯でふやかし、ミキサーにかけ、
くず粉と合わせて練り、型に入れた。けっこう時間がかかった。
なのに、勢いあまって牛乳プリンまで作った。
さらに卵黄があまってしまったので、またもや勢いあまって、
卵焼きやらみそ汁やら作ってしまったが、今まだ朝の10時半だ。
牛乳プリンはショウガ風味。
そのショウガの絞った残りを利用した、
ハチミツショウガシークワーサー湯を飲みながらこれを書いている。
ちなみにジーマミ豆腐を作った残りの「おから」は、植木の土に混ぜ込んだ。

…なんか、スローライフの人みたいだ。

牛乳プリン、うめー!ふるふる!香港レシピ!
スローでもなんでもいいや。おいしけりゃ。


◇◆◇


昨日はオランダ村の後釜の「CASヴィレッジ」とやらに行ってみた。
お昼のバイキングを食べてみようかと思っていたが、
出発が遅れたので、お昼は時津の「Toki」で食べて、お茶だけ。
「Toki」はいつものように、基本的にはおいしいんだけど、
どうしてもいろいろ突っ込みどころがあって、ブツブツ言いながら出た。
昨日は「明らかに皿の向きが逆さま(付け合わせの野菜が手前に!)」
「ソースが濃すぎ」、「食べ終わりを待ちかまえている感が露呈しすぎ」など。

さて、CAS。
あれだけの短期間で準備したんだから仕方のない部分はあるのだろうが、
基本的なセンスが、なんだかよくわからなかった。
ある部分では精一杯気取ったものが置いてあるのに、
その横にはドンくさいポスターがベタベタ張り巡らされていたり、
どこにもかしこにも、さびれた商店街にかかっているような、
悲しいほどかっこわるいBGMが流れていたり。
まぁそれでも、口に入るものがおいしいなら、少しは我慢しよう。
食のエンターテイメント、だったかな?コンセプトは。
ということでケーキセットをいただいてみました。
まずは「それ以前の問題」が発生。
店内に「生乾きふきん臭」が漂っていて、しょんぼり。
私もダンナもこの臭いにはめっぽう弱い。(強い人はいるのか?)
コーヒーがすごくぬるくて、香りもしない。作り置き度150%。
ケーキはぼんやりとしていて、甘さだけは往復ビンタ。
これは、向こうのテーブルに座っていたお姉さんたちが、
ケーキを食べて渋い顔をしていたり、
小さなケーキが10個くらいセットになっているのを頼んでいた3人グループが、
いくつも残して帰ったのを見ても、私だけがまずいと思ったんじゃないと思う。

…あ、まずいって言っちゃった。

いや、オランダ村に2度つぶれるようなことにはなってほしくないので、
これから良くなっていくと信じたいし、雑貨はちょっと面白いものもあったし、
たった1個のケーキとコーヒーで、文句言いっぱなしにはしたくないから、
またバイキングを食べには行ってみるつもり。
でも、ベタベタ貼られたポスターの中に、
小林チェアマンさんみずからが講師をつとめるという料理教室のものがあって、
そのタイトルが

「手抜きで”メチャいける”」

だったのが、なんかもう、すべてを物語っているような気がして、
あまり明るくはない気持ちで、
彼の顔が大きくプリントされたシャトルバスに乗ったのだった。


◇◆◇


そう思えば、やっぱりなんだかんだ言っても、ハウステンボスはいいところだ。


◇◆◇


私の中では、それとちょっと似てるな、と思ったのだが、
昨日車に乗っていたときのこと。
ダンナ「あ、△△(私には不明)の車だ」
私「何それ?」
ダンナ「(タイヤの)ホイルのメーカーの営業車やった」
私「ふーん」
ダンナ「でもさ、せっかくホイルのメーカーの車なら、自分とこのホイルで、
    バリッとカッコ良うして走らんばさ。純正ばい、純正。」

たしかに。それって何よりもの広告だろう。
ヘタなポスターを作るより、実際にホイルをつけた車を見せることの方が。
好きな人なら、かなり遠くを走っていても、いじった車はわかるようだし。

やっぱりひょんなところにこそ、その姿勢は物語られる。


◇◆◇


同級生ウォッチングシリーズ。

「足に鏡をつけて女子小学生のスカートの中を覗いた男(小学校教諭)」

…もうこのシリーズをやめたくなってきた…。


2005年03月25日(金) 紙切れは語る。

寒い…。冬?

それにしても昨日のレシート計算は面白かった。
その時は何気なく買っていた物が、いま見ると当時のことを如実に語り出す。
レシートはいつも、財布にたまったらごそっと抜いて、紙袋に入れておくのだが、
だいたいの時間の地層を作っていて、あぁ、このころは…とわかる。
昨日やっぱり面白かったのは、10月のあたり。
ほとんどがNBCの向かい側のローソンのレシートだった。
つまりは番組を編集していたころなのだが、
「アミノゼリー速攻元気」とか「どん兵衛」とか、
「ブラックブラックビッグパック」とか「クノールポタージュスープ」とか、
そんなのばっかりだった。
あとはビール。
近くの薬局のレシートがあると思ったら、かぜ薬とシップ。
がんばったなぁ…。
何もなくても、漠然とその時の気持ちを思い出すことはできて、
それによっても、がんばったなぁ…とは思えるけど、
小さな紙切れにプリントされた些細な証拠は、
あの日あの時、朦朧とガムを買っていた自分と会わせてくれる。
でも逆に、終わったんだなぁ、いまはこの時ではないんだ、とも強く感じた。

やはり事実や物の力というのは、どんなに小さくてもあなどれない。

ほかに面白かったのは、深夜のコンビニでアイスや水を買ったりしているもの。
明らかに飲んだあとだ。
飲む前にソルマックとか買ってるやつもあった。何枚も…。


◇◆◇


昨日は昼夜うどんを食べてしまったが、
深夜に見た「でぶや」までが讃岐うどんで、笑うしかなかった。
今日はうどんじゃないものを食べよう…。


◇◆◇


夜はイラン戦を観る。来客2名。
イラン料理にチャレンジか!?と思っていたが、
ふきのとうを物産販売所で買ってしまったので、
新玉ねぎと新ゴボウとふきのとうとエリンギとアスパラと鶏胸肉を天ぷらにした。
春の天ぷらだ。
鶏肉は、いくつかを「ササミチーズ巻き」にした。
かなりおいしかったし、どんどんなくなっていったのでうれしかった。
あとはキンピラゴボウとホウレン草のおひたしと、明太子とウニ味噌のおにぎり。
イラン料理どころか、すごく和風だ。

ふきのとうを食べた友だちが、
「これ何?ふきのとう?へー、グループは好かんけど、これはめちゃおいしか」
と言ったのがおかしかった。
いたなぁ、そんな人たちが。


2005年03月24日(木) タイトル通り。

映画館に観に行こうかとさえ思っていた「半落ち」。
昨日の夜テレビでやっていたので観たら、
あんまりのことにがっかりしてしまった。
出てくる人出てくる人がすべて中途半端に描かれていて、
最後までひとつもグッと来る瞬間がなかった。
お金払って観なくてよかったと、心から思われる映画って…。
「半落ち」っていうのは、犯罪をやったことは認めているけど、
その理由とか行動などを全部は明らかにしていないという意味らしい。
ひょっとして映画の作りもタイトルに倣ったのか。

ここしばらくの高濃度なだるさや眠気が、ちょっとずつ晴れていてうれしい。
いろいろやる気になったりしている。

待ち遠しかった漫画の最新刊をついに昨日手に入れて読んだ。
話自体は、さほど思い入れていない人がたくさん出てくる巡りだったので、
いままでの巻を読んだときのようにダーダー泣いたりしなかったが、
その漫画そのものや、作者の細やかさのレベルが上がってる気がして、
なんだろう、勇気づけられる。

4月からアニメになるらしいが、長崎では流れるだろうか。心配。
(流れないようです。シューン。)

そういえば、こないだ伊万里でステーキを食べたあとに寄った本屋さんで、
ジャガーさんの最新刊を買っている男子中学生を目撃した。
「君に幸あれ」と、心の中でエールを送っておいた。


◇◆◇


お昼ごはんは、明太納豆うどん。
ゆでたての生麺に、辛子明太子と玉子を力いっぱい混ぜ込んだ納豆をからめて。
やっぱり生麺は官能度が違う!
こういう時の刻みねぎって好きじゃないんだが、
今日は薄切りきゅうりの塩もみをトッピングしてみたら、これも大正解。
2分ぐらいで食べてしまった。


◇◆◇


そして夜はまたうどん。
今度はゴマだれつけ麺にしてみた。こちらもおいしかった。
というのも、ひとりだったし、猛烈に作業中だったので。
なんの作業かというと…か、確定申告…。
もう期日は10日も過ぎているが、このところの体調などを考え合わせれば、
3月中にできたことを良しとしよう。
努力の甲斐あって「春のボーナス」も期待できそうだ。
がっつり取り返してやる!
税金は酒税で充分払ってるぞ!

しかしもう、背中がバチバチに張っている。
こんな夜は熱いシャワーを浴びて、でぶやを見ながら寝るとする。



2005年03月23日(水) あったりなかったり回っていて。

昨日の夜は、ピーターの「越路吹雪物語」を観に行った。
劇の部分もそこそこに面白かったが、
どちらかというと「『岩谷時子物語』だなぁ」と思った。
楽しみにしていたのはやはり、リサイタル部分。
いくつかの曲をメドレーで歌う。
私は一時期、越路吹雪を聴きまくっていたことがあるので、
いくらピーターと言えども、歌の及ばなさは否めなかったが、
それでも、動きや表情などがドッキリするくらい似ているのと、
生の人間がそこまでやってるってことに、ググッと迫られる。
さらに、かなり熱の入った越路吹雪ファンであろう人たちから、
「コーちゃん!」と絶妙な合いの手が入った瞬間があり、その「間」はたぶん、
たとえば歌舞伎における「大和屋っ!」「高麗屋っ!」とか、
都はるみの歌唱時における「ミヤッコッ!」のかけ声のような、
知っている人のあいだでは
「そこで発するもの」「こんな感じで発するもの」
と決まっているようなものだったんじゃないかという感じを受けた。
だから昨日「コーちゃん!」と叫んだ人たちは、
本物の越路吹雪に何度も叫んだ人たちなんだろう。
そしてこんなことがあるなんて、思ってなかっただろう。
越路吹雪はもういないのだから。
でも昨日は、一瞬、現れた。
最後の「愛の賛歌」の時はそう感じなかったけど、
「サントワマミー」では「降りてる!憑いてる!」と思ったときがあった。
「コーちゃん!」のかけ声も、その時かかっていたから、きっとそうだ。
大きなパワーを発していた越路吹雪という人、
それを演じようと思って実現させたピーター、
またそれを観る、越路吹雪ファン。大きなかけ声。

 楽しい 夢のような あのころを 思い出せば

                   「サントワマミー」

越路吹雪は、自分が死んでこんな舞台があると思わなかっただろうし、
ピーターは、越路吹雪がまだ生きていたら、こんな舞台はしなかっただろうし、
ファンは、越路吹雪が死んで悲しかっただろうし、しかしまたこうして、
一瞬だけでも目の前に生きて現れるとは思っていなかっただろうし。

だけど昨日は、死んだ越路吹雪を、生きたピーターがやって、
生きてるファンは、もう封印したはずの、越路吹雪にかけていた声を上げたのだ。

ないはずのものがあったり、いるはずの人がいなかったり、
なんかグルグル回ってつながっていて、ちょっと泣けた。
いちばん感動したのは、その人たちのかけ声にだったかもしれない。

こういう舞台は、ちょっと特殊だと思う。
ある部分ではどうしても減点されるし、
ある部分では最初から免除なところもある。


◇◆◇

「お上」嫌いの私としては、
長崎の新しい博物館が「奉行所型」なのが、最悪にバカバカしい。
土足禁止だったりして。あーヤダヤダ。
そのうち文句言ったヤツはお白州で裁かれたりして。
そういえば近くの小学校も、一応私の母校の中学も、
おなじく「江戸時代権威的建物」になっちゃったし。
長崎って、どんどんダメになってないか。
さるく博のCMの安っぽさは、もはや犯罪的だし。


◇◆◇


同級生ウォッチングシリーズ。
「愛知万博一番乗りを目指して泊まり込んでいる男」
トホホ…。

その2
「無期判決を受けた5年前のハイジャック事件の犯人」
トホホホホ…。


◇◆◇


今夜はハンバーグ。
ほうれん草としいたけのバター炒め&ポテト添え。
新タマネギのサラダ。ポタージュスープ。

全部ちゃんと作るのに、ファミレスみたいだ…。


2005年03月22日(火) 夜中、背中、夢の中。

夜中、背中に大きな寒気を感じて困る。
ちゃんと布団を着直して、温まるようにと念じながら眠った。
朝起きたら治っていた。

それにしても「首が緊張していたら夢がリアル」説。
昨日寝る前に顔(ずっと鼻をかんだりしているのでこわばっている)から
肩にかけてを揉んでもらって寝たのだが、わりと夢らしい、現実離れした夢を見た。
夢を見ながら「こりゃ夢だなー」と思った。
だから、あれは本当かもしれない。

数日前に作ったプリンが、どんどんおいしくなっていく。
作った翌日に食べたときは、甘さがかなりとんがっていたのだが、
日が経つにつれ、一体感が出てきていい味に。
作ってみたら、まったくもって簡単だったし、
鍋で蒸すので、蒸し器もオーブンもわざわざ使わなくていい。
たまには作ることにしよう。甘くなくできるし。


◇◆◇


お昼はウニトマトクリームスパゲティ。
ずっと自分で作ってみたかったもののひとつだ。
あまりのおいしさに、息つく間もなく食べてしまった…。
生のトマトを使ったのが、フレッシュな感じで正解。
これならウニが苦手な人も…って、こんな単価の高いもん、
ウニ嫌いの人は食べちゃダメ!

雨だと仕事をする気になる。


2005年03月21日(月) もう昼の方が長くなるのか。

世の中は休日のようだ。
土日はだいたいわかるけど、祝日がらみの連休は、
当日や前の日に「そうなんだ」と思う程度だ。
きっぱりした休日にはさまれて暮らしていないのがよくわかる。
実際、今日も昼から取材だ。そのあともしなくちゃいけない仕事があるし。
でも取材は2時半からなので、その近くにある、
行ってみたかったお店でごはんを食べてみるつもり。
こういうのって楽しい。
どこか行かなくちゃいけないところがあるんだけど、
前後の時間は自由に楽しめるというような。

合併で、いろんな町がどんどんなくなっている。
たぶんこれから、いかに大きな、見えてなかったものを失ったかがわかるだろう。
あー、でももう、それすらわからないところまで来てしまったからこそ、
こんなにも進んでしまったのかもしれない。

ということへのひとつの答えが、
さっき見た「スルメイカの旅」という番組にあるような気がした。
大きくなればなるほど、見えなくなるものがある。
それは小さくまとまれってこととは違う。

あの歌から恥ずかしげもなく言われるようになった
「オンリーワン」という言葉が無性に嫌いなのだが、
あからまさに何から何までナンバーワンをガツガツ目指す人間と、
いいのいいの等身大の私が好きよのオンリーワン志向の人間は、
私にはすごく似て見える。
のっぺりしているという点で。

伝説のイカ漁師だったオヤジについて、息子は
「一番になりたかったんじゃないですか。イカでは」
というようなことを語っていた。
これだと思うんだが。


◇◆◇


新しい店に行くとか書きつつ、
突然、どん兵衛の霊に憑依されて、どん兵衛ランチ。
取材は思ったよりも長くかかったが、面白くていい人たちだったので、
そんなに疲れなかった。
近くまで来たので、長与のおいしいハム屋さんで、
ソーセージ2種とレバーペーストを購入。
隣の雑貨屋さんに行くことを勧められ、そして行ってしまい、
とんでもない色のタイシルクのスカーフを買ってしまう。
仲間うちのワナにまんまとはまった感じだ。
「その色を選ぶ人はそういない」と褒められてしまった。
もう一軒、私が好きな作家のガラス展もやっていて、
外から覗くと、かなり好きなグラスがあったが、
スカーフを買ったので我慢した。

自分に言い訳。
スカーフは、普通だったら6千円くらいしそうなものが2千円だったのだ!

さて、ソーセージをおいしく食べるためにスープでも作ろう。


2005年03月20日(日) 地震だ!

地震だった。
たぶん私がいままで遭遇したものの中でいちばん強かった。
震度は4だったらしい。
「このまま続けば本棚が危ない」と思ったが、どうしようもない。
とりあえず本棚をひとつ押さえてみたけど、たぶんなんの役にも立たない。
この「どうしようもなさ」が地震や災害の恐ろしさかも…と思った。
もぎくんの驚き方がものすごく、ビューッと物陰に逃げていった。
しっぽがボワーッとふくらんでいたので、記念写真を撮った。

とにかくうちでは本棚、というか、本が凶器だ…。

やれやれ、と思って、休みのダンナとでかけようとしたら、
(私たちには珍しく、地震があった時間には出かける寸前だったのだ)
車でしばらく走ったところで、ダンナに招集がかかった。
おいしい昼ごはんをどこかで食べようかと思っていたのに、
急遽、弁当屋でおにぎりと唐揚げなど買って、家でうどんをゆがいて食べた。

もぎくんはまだ落ち着いていなかった。

地震のニュースを見ていると、つい
「あぁまた古い石垣が失われる。
 壊れてないものも、危ないからって壊されてコンクリートになるんだ…」
と、石垣マニアとしては思ってしまう。

この地震をネタに、不安をあおって商売する輩が出てくるだろうな。
九州は地震があんまりないから、ニーズ掘り起こし祭り、だな。

でも本当に深刻な災害になったときほど、ダンナはうちからいなくなる。
男手と言えば、半分男じゃないもぎくんの猫の手だ…。
報道屋さんというのは、因果な商売であることだよ。

ひょっとしたら福岡に行っているかもしれない妹とは、電話がつながらない。
地震直後に妹から電話がかかってきたのだが、取ってみたらなぜか
「こちらはNTTドコモです。この電話はお客さまの都合により…」とアナウンス。
妹はAUなので、そのアナウンスだと、
つまりは私が料金未払いでつながらないみたいじゃないか!
アナウンスも混乱していたのかもしれないが、なんか悲しかった。


2005年03月19日(土) 力(りき)を出しといてそれは。

こないだ行った、私の本が置いてある新しいお店で、ダンナとお昼を食べる。
常連か知り合いらしきおじさんに、どうやらお店の人が告げたらしく、
わざわざ私たちの席まで来て「この本を書いた人ですか」っておじさんが聞く。
恐る恐る「ハァ…」と答えると、それ以上、特に何を言うでもなく、
でも面白いものを見るような感じで私をジロジロ見たあと、
「へぇ」とかなんとかつぶやきながら去っていった。
むむむ…。いやだ…。と思っていると、ダンナから、
「すごくイヤだって顔してた。もう少し笑顔を見せなきゃ」
というようなことを言われた。そうなの?
だって実際イヤなんだもの。
「読みましたよ」って話しかけられるのならまだしも、
「書いた人ですか。ニヤニヤ」ってのは。
ただでさえ知らない人は苦手なのに。


◇◆◇


ライブドア問題。
心底どうでもいい。
「応戦側」の言いぐさが、
さも自分たちがいつも素晴らしいものを作っているような感じなのが笑える。
たとえフジテレビと日テレがどっちもなくなっても、ぜんぜん困らない。
吉野家がなくなっても、ぜんぜん困らないのと同じくらい困らない。
ライブドアが牛耳ったところで、しょせん牛耳るのが誰かが変わるだけだし、
メディアというのはいつでも誰かに牛耳られている。
ただ、全部が全部ウソってわけではないから、
そこから「牛耳り成分」をいかに引き算して見るかが、
見たり読んだりする時に必要なだけだ。
「テレビを殺す」なんて言葉がクローズアップされたりするけど、
あの小デブ兄ちゃんに殺されるんなら、そんだけのもんだったんだろう。


◇◆◇


港に大きな船が泊まっている。
太った白人が町をウロウロしている日は、たいてい大きな船が泊まっている。

あれが「勝ち」なら、ほんと勝ちたくねぇ。


◇◆◇


昨日うちに来た友だちが、
「中学の時ウインクを好きになりすぎて勉強に支障をきたし、
 受ける高校のランクを落とした」
と言っていたのが、えらくおかしかった。
「訴えんばね〜!」とか言いながら笑った。

そのあとなぜか「ブン屋」ナントカという映画を観てしまった。
ひどい殺され方をする女の子のお兄さんが竹内力で、
しかも「今はカタギだけど、昔はヤクザで人を殺したこともある」っていう設定。
(ただし、あくまで主人公は新聞記者の東幹久だ。)
犯人は見つかるんだけど、偉い人の息子たちなのですぐ釈放されてしまう。
そこに「昔の」格好と顔つきで現れる竹内力。銃も持ってる。
…と、ここまで来たら誰もが、
「竹内力が犯人たちを殺しまくる」と100%思うだろう。
なぜならそれは竹内力だから。
でも彼はあっけなく殺された。犯人たちを殺すこともなく。
これが他の役者なら、なるほどヒドい話だよ…と納得もするが、
竹内力を出しといて、あれはないだろう。意外性という点ではかなり高いが。
そして「これじゃ印籠を出さない黄門だ」「力に殺させてやれよ〜」などと、
B級映画のキャスティングを語り合い、夜は更けたのであった。



2005年03月18日(金) パタン、パタン…。

春のような、でも寒いような日。
今日は楽しみにしている漫画の発売日だが、
たぶん長崎では週明けだろう。

昨日に引き続き、頭と体が重い。
新聞読んでは、パタンと横になり、洗濯しては、またパタン、
ダンナに朝ごはんを作ってはパタンと、パタパタ倒れている。
お腹は減っているが、作ったり食べたりするまでに至らない。
原因はいろいろあるのだが、まぁやりすごすことにする。

あー、でも外に出なくちゃ。いい加減ごはんの材料がない。


◇◆◇


エイヤーッと、がんばって外に出た。
半年ぶりくらいに浜の町の…といっても、もう浜の町の店しかないが、
ハルビンでごはんを食べてみる。
ボルシチとレバームース&ガーリックトースト。
おいしかったが、やはり興善町の店が恋しい。
ひとり静かに食べていたら、
目の前のテーブルにすごくうるさくてケバいおばさんが座った。
相手のおばさんに自分が好きなメニューについて力説する声もうるさかったが、
なによりも、その好きなメニューができあがってきているのに、
これまたデカイ声で携帯をかけまくるので、かなりイヤだった。
運ばれてきたスパゲティを一刻も早く食べないなんて、冒涜だっ!
そして聞きたくなくても聞こえてしまった会話から、
そのオバハンが、たぶん地元の音楽関係の団体かなんかの、
元締めだか手配師みたいな人であることもわかった。
私も名前を聞いたことある演奏家を呼び捨てにしてたりした。
そういう人ほどきっと、企画なんかごり押しするとき、
「心豊かな子どもたちを育てるために」とかなんとか言うんだろうな。
そのまえにレストランで臆面もなく大声で電話するのをやめなはれ!
しかも何本も!

まぁとにかく関わりたくないタイプの人だった。くわばらくわばら。

レバームースでエネルギー充填したはずだったが、
買い物していたら、また座り込みそうになってしまった。
あのオバハンに充填したそばから吸い取られたに違いない。
元気を出してイチゴでも食べよう。
そしてクリームシチューを作ろう。


◇◆◇


イチゴをジャムよりもっとゆるゆるの状態に炊いたりしたあげく、
いっしょに食べたらおいしいだろうと、プリンまで作った。
もちろんクリームシチューも。
そして急に人が来ることになったので、おつまみものをこれから作る。

体調悪いんだか元気なんだか…。

でも料理をしているときはなぜか大丈夫なのだ。
やはり職業を誤ったか…?


2005年03月17日(木) 焼肉屋についての煩悶。

大好きな焼肉屋さんがなくなった。ショック。
正確にはなくなってないんだが、気持ちの中ではなくなったも同然だ。
その焼肉屋さんは2店舗あって、本店は、色気もなにもない、
だーっと大広間でモクモクがんがん焼くようなところ。
もう1つは最近できたのだが、なんかこじゃれた半個室みたいな、今風の感じ。
私は最初からあるお店の方がダンゼン好きで、支店の方は1度行ったきり。
もう行くこともないと思っていた。
そしたら、本店の方がなくなっていたのだ。ガビーン。
どうして? かなりのダメージだ。
お店の雰囲気も、支店の方は私が嫌いな「文化祭系」だったイメージがあるし…。
肉もタレも大好きなのに、これはまた新しい店を開拓しろということなのか?

夏、2階の広間の窓を開け放った中で食べる金剛園の焼肉よ、カムバック!

それにしても私は「個室」と「文化祭系」の店が嫌いだ。
若いバイトのにーちゃんねーちゃんが、頭に揃いのバンダナを巻いて、
なんかたぶんビバリーヒルズ青春白書みたいな人間関係を構築しているような。

もう一軒、味としては好きな焼肉屋があって、何度か行っていたのだが、
そこも完璧に文化祭系になってしまったのでやめたのだ。
味がよければいいじゃないかって思う手もあるんだけど、
やっぱり味というのはトータルなものだし、自分が払うお金が、
あまりにも目の前のバイト連中のカラオケ代に直結して見えるのがつらい。
もちろんバイトの人にも、ちゃんとした人はいっぱいいる。
自分だって、食べ物屋じゃなかったけど、本気でバイトしてたことがあるし。
でもそれは、接すればわかる。
おおざっぱな居酒屋なら、愛のないバイトくんたちでもいい。
それはおおざっぱな居酒屋だし、それも含めてのおおざっぱな居酒屋だから。
しかし!焼肉はそれじゃいやだ。
できれば、ほかの何物にも代えがたい快楽をもたらしてくれる焼肉というものを、
心からのなりわいとして生きている人の生活の糧にしてほしいと、
すんごく大げさに言うと、そういうことなのだ。

ということで、これは本当に新規開拓か。

個室じゃなくて、文化祭系じゃなくて、でも肉とタレはおいしくて、
ぜんぜん気取らなくて、みんなが純粋に焼肉をニコニコ食べているような店。
一軒理想的な店を知っているが…車で4時間ぐらいかかる。

なんとか長崎で探したい。


◇◆◇


…と、肉のことを熱く語ってしまったが、今日はボーっと熱っぽい。
鼻が詰まってよく眠れなかったのもあって、長い昼寝におちいった。
カルダモンパウダーとハチミツをきかせたラッシーを起き抜けに飲む。
異様に吸い込まれていく。
お腹は減らない。
夜は1人なので、食べるかどうかわからない。


◇◆◇


熱っぽい頭のまま、夕方からものすごく集中して仕事をしたら、
ますます頭が熱っぽく、酸欠状態のような感じに。
料理の本を見ながら、集中力をとりあえずお腹に下げようとしてみる。
そしてメンチカツとオムレツのゴッテリとした対決を見ながら、
淡々としたきつねうどんを作ってすする夜なのであった。


忘れるって、どうやればいいんだろう?




2005年03月16日(水) 首の緊張とラーメンの味。

いま「骨盤にきく」という本を読んでいる。
そしたら驚愕の事実が判明。
リアルな夢を見るのは、首が緊張したまま眠っているからなんだと。
ほかにも、恋をしたらどうしてきれいになるのかとか、
世の中が開けて見えるのかとか、そういうことも解き明かされていた。
もぎくんを車に乗せて出掛けると、さっと痩せたような顔になるのだが、
これもどうやら似たような理屈らしい。
リアルな夢を見るのはとても楽しいので、
首の緊張を解くべきかどうか悩むところだ。
そう思いながら眠りに就いて見た夢は、
死んだ人も含めた親類縁者たちと、
これまたすでになくなってしまった家などでガヤガヤ会うというもの。
バトミントンをしたりした。
さらに所変わって若いお兄ちゃんがやっている新しいラーメン屋に入ると、
すごくあっさりした鶏ガラ&煮干し系のスープ、細くてシカッとした麺、
そこに厚めのチャーシューが乗っているというものが出てきて、
例によって味も鮮明にわかる。
感想を聞かれたので「非トンコツでは一番かな」って言うと、
「やっぱりトンコツですかー」と、あきらめのような悔しいようなタメイキ。
「九州のもんはどがんしてもね」とかなんとか。
そしてズルズルと食べながら、
「スープもチャーシューもおいしいけど、どうも分離してしまっている。
 もう少し一体感を出すようにした方がいいな、
 いっそのことチャーシューに固執しないで、鶏肉をアレンジした方がいいのか、
 いや、それだと鶏ソバになっちゃうか。でもうまけりゃ鶏ソバでもいいじゃん
 いやいや、彼らは自分たちのラーメンを確立したいんだから…」
というようなことも帰り際には言おうかな、と悩んでいる。
そしてとにかくなにより、ラーメンはおいしかった。今でも食べたい。

首の緊張を解いてしまったら、こんな楽しい世界を失ってしまうかと思うと、
どうも今ひとつ乗り気になれないのであった。


◇◆◇


昨日飲み会だったダンナ。
帰りにはまた「まるよし」(かんしゃく魂の兄弟がやっている。似ているようで、
 微妙にまずいが、立地条件がいいので繁盛している)に行って、
「やっぱいかんしゃくのほうがうまかなぁ」と、
酔いにまかせて言ってしまったらしい。お店の人に聞こえるくらいの声で…。
もう何回目だ? そのうち刺されるぞ。
でも替玉は2回したという。アホ?


◇◆◇


ほんの小一時間足裏マッサージを受けていたら、
狙ったように電話2本、メール1通が入っていた。
丸2日かからないことだってあるのに…。


◇◆◇


ウーロン茶のCMで、なんか聞いたことあるメロディだと思いつつ、
あれ?このナレーションは細野さん?と気づいて、
またメロディが流れて、ありゃー、ライディーンだぁ!
中国のお姉さんが、中国っぽく弾いていた。



2005年03月15日(火) こもっていたが。

かれこれ3日間引きこもっていたが、
今日は打ち合わせなので外に出なくてはいけない。
家ですることがいろいろあるので、すぐ帰ってこようと思うが、
一度出ると鉄砲玉なので予測はつかない。

ずーっと自分が作ったごはんばっかりだったから、
たまには外のごはんも食べてみようかな。

でも本当は出たくない…。うー。


◇◆◇


気になっていた、初めての店でお昼ごはん。
いきなり自分の本が置いてあったので面食らったが、
その店をやっているのが、
小学生の時に通っていた絵画教室で一緒だった人でまたびっくり。
絵画教室どころか、たしか小中学校、ひょっとしたら高校も一緒。
同級生じゃないけど。
料理もていねいに作ってあって、好きな味だった。
お店の感じもよかった。長く続いてほしい。

出たくないと言いつつ、出てみるとやはり、いろいろ面白いことがある。


◇◆◇


不思議とクッキーが食べたくなったので、
(こんなことは10年に1度あるかないか)
先日のホットケーキのように自分でできないものかと調べてみたが、
調べているうちに口の中がクッキーを食べたみたいな気持ちになって、
もういいや。
しかもだいたいが20個とか30個できるレシピ。
1個でいいんです。1個で。
まぁ、クッキー1個作るやつもいないか。
それにしても、お菓子に対する情熱の低さよ…。
もし私が食べ物屋を出しても、デザートはさほど色気がないかもなぁ。


◇◆◇


あっ!確定申告してない!
しかも仕事はたまってる!
クッキー焼いてるヒマはなかった!


2005年03月14日(月) そんなに嫌わなくても

たしかに春はいいけどさ、
寒いことや冬って、そんなに毛嫌いされなくちゃいけないのだろうか。
と、天気予報を伝える人々を見ると思ってしまう。
あったかい日が何日かあって、
寒の戻りがまた何日かあると、決まって
「ぎゃー、せっかく春だと思っていたのにぃ」みたいな反応をする。
いつも軽い違和感を覚えてしまうのだ。
あとは「雨→残念→顔を曇らせる」という図式も。
晴れも雨も、冬も春も、それぞれに恵みとして受け止められないものかしら。
明るくて暖かいものは、そりゃわかりやすく喜びやすいけれど。
暗くて寒いものは、わるものにしやすいけれど。


◇◆◇


朝からせっせと仕事。
お昼はダンナが休みで家にいるので、簡単天ぷら。
(ひとりの昼ごはんでは、さすがに天ぷらは揚げない)
大好きなマルハソーセージとナスとヨモギ。
沖縄のゆし豆腐のみそ汁。その他残りものの浅漬けなど。
ゆし豆腐は、汁に浸かったふんわり豆腐。
その少ししょっぱい汁もおいしいので、お水を足してわかして、
普通のみそ汁よりも少なく味噌をといて、ヨモギを散らした。
ダシも何も入れなかったが、とてもいい味だった。
昨日の夜は、何日か前に作って冷凍しておいたアジフライを揚げた。
冷凍したからどうかな、と思っていたけど、なかなかおいしかった。
揚げ物続き…。
でも天ぷらは衣を軽くして、大根おろしたっぷりのつゆで食べたので、
ヘタな焼き物よりあっさりしていた。

よく晴れている。



2005年03月13日(日) ティッシュとめがね

眠っているときに鼻が苦しくなって、
片ッぽだったからティッシュを詰めて寝た。(こうするとなぜか楽になる)
そしたら、夢の中でもティッシュを詰めたまま、
いろんな人と会って話をしていた。
前時代的な4コマ漫画で、
「夢の中でお父さん美女に会う」
「でもめがねをかけていないのでよく見えない」
「あわてて起きて、めがねをかけて眠る(横では古女房がイビキ)」
「もう一度見てみたら髪の長い男でガビーン」
なんてものがあったりするが、
なるほど、あながちウソでもないのか、とわかった。

起きたら、激しく春の雪。


◇◆◇

勘九郎さんのドキュメンタリーの本をやっと読み終えた。
なんとなく読み進まなかったのだ。
彼が語る話自体は面白くて、
それを自分に語らせようと思わせた著者もすごいとは思うんだけど、
「私に語ってくれたの!この私に!」という部分を無邪気に出し過ぎだった。
こういうものは、もっとクールにやってほしい。
書き手としてのよろこびは、作品の中にわざわざ出すもんじゃないと思う。
そんなことは、作品が勝手に語ることだから。


2005年03月12日(土) ありがちな石つぶて。

どんなに長い日記を書いても、
次の日には、また何もないスペースが広がっている。
ここ数日、その不思議さに、ポカンとしてしまう。

さすがに作りすぎたかと思った沖縄料理は、しかしほとんどなくなった。
料理を、作るのも大好きなんだけど、なくなるのがすごく好き。
ジューシー(炊き込みごはん)とそばが残っていたが、
さっきお泊まり組の2人が平らげて帰ってくれた。
あとは和え物などがちょこちょこ残っているのを、夜食べよう。
メインだけ作って。
そういう感じもとても好きだ。

朝からパタパタと、電話やメール。
かかる日はかかるし、かからない日はかからない。

外は時々雪だ。
昨日取材しておいてよかった。今日はその原稿を書こう。
ひとりでとぼとぼ歩いて取材をしていたら、
そのページを読んでくれている知り合いとバッタリ会った。
「こないだのも、面白かったよー」と言われてうれしかった。
昨日歩いたところも、何度歩いたかわからない所だったけど、
やっぱりそこからなにかを考えようと思って歩くと、違うものが見えてくるし、
考えてもみなかった、でも、考えつくと、そうとしか思えないようなことが、
次々と浮かんでくる。
もちろん、そこでいろいろな時間を過ごしたり、
断片的に考えたりという「下地」があってこその部分は大きいけれど、
意識的に見るか見ないかということは、
扉を開けるスイッチがあるかないかくらい違うことだ。
たとえその向こうに広がっているものがおなじだとしても。
いや、むしろ向こうに広がっているものは誰にでもおなじで、
どこのどんなスイッチをどう見つけるかが問題なだけだ。

こんなことを考えていると、向田邦子さんへ投げつけられたという、
「あの年代を過ごした者なら、あなたが書くようなことはいくらでもあった。
 それを書いて作家先生を気取るなんておかしい」
というような批判じみた言いぐさを思い出す。
それって裏を返せばすごい褒め言葉なのだが、
なにげないと思われがちな時間や空間から、
なにかしらの結晶をつかみとって見せたいという道を歩む者には、
きっと、いつでもついてまわるタイプの石つぶてだ。





2005年03月11日(金) 沖縄ナイトを捧げます。

今日は沖縄料理をバリバリ作るので、
昨日豚バラ肉を買い、野菜を仕入れようと思って、沖縄展に行った。
野菜コーナーのお兄さんに「よもぎはないですか?」って聞いたら、
「あんまり売れないからもってきてないんですよー。
 でも期間中にまた来られるなら、送ってもらいますよ」って言うので、
また「明日は…さすがに無理ですか?」と聞くと、
「あー、4時に荷造りしちゃうから(この時すでに5時半)、
 でも聞いてみようか。もしかしたら大丈夫かも。
 …もしもしー、もう送った?…あぁ、まだいい?ヨモギ2束入れといて〜」
ということで、ヨモギも注文。天ぷらにするとおいしいのだ。
炊き込みごはん(ジューシー)も作るつもりで、それにも入れるとおいしい。
よかったよかった。

ラフテー(豚角煮)と緑豆ぜんざいは仕込んだ。なかなかのできだ。

さて今日は1人でぶらりと取材したあと、
あのお兄ちゃんのところで、ヨモギとヘチマ、ゴーヤ、島ニンジン、
島らっきょう、島豆腐などなどを買い込み、
さらにはモズクや海ブドウやミミガーやそばや黒糖蒸しパンなども調達して、
ごってり沖縄ナイトだ!

…と、わくわくして朝を迎えたら、
な、なんと、あのてるりん(照屋林助)さんが亡くなっていた…。ショック。
今日の沖縄ナイトは、てるりんさんに捧げます。


◇◆◇


お昼は夕月のカレーを食べようかな。
小さいころは、あの赤くてゆるいカレーがぜんぜん好きじゃなかったけど、
最近なぜか好き。時々食べたくなる。口の上の方に、味がちらつく。
どうしてだろう?


◇◆◇


予定通り夕月のカレーを食べ、
写真を撮りまくりながら散歩取材をし、
沖縄展でじゃんじゃんバリバリ買い物をした。
野菜屋さんのお兄さんに、
「勝負には勝てそうですか?」って言われて、?と思ったら、
だれかと料理対決をすると思ったらしい。
「いや、私がひたすら作るんです」と、大量の野菜を買い込む女。
ふと見ると、妹が取り置きしたジーマミ(落花生)豆腐が、
冷蔵ケースの片隅に置いてあった。名前が貼られていたからすぐわかった。
長崎市内にたしか1軒しかない、私の旧姓。悪いことはできない。
テレビの中継をやっているのにも気づかず。
ふと見ると、どう考えても映り込む位置にいた。
目に狂気が走っていたかも…。

これからドーッと料理人魂炸裂タイムだ。

ラフテー、ゴーヤチャンプルー、ナーベラ味噌煮、ミミガー、
モズク&ハンダマの酢の物、モズクとゴーヤとフーチバの天ぷら、
青パパイヤの入ったサラダ、ジューシー、そば、海ブドウ、島らっきょう、
緑豆ぜんざい、黒糖蒸しパン、マーコット。

ほとんど店…。


2005年03月10日(木) なにものかが沼地に

珍しく朝イチで打ち合わせだが、
なにものかから沼地に引きずり込まれているように眠たく、
布団から自分を引きはがすのがやっとだった。
いつも起きる時間ではあるのだが。
では行ってきます。


◇◆◇


打ち合わせには車で行ったので、
明日の沖縄ナイトに向けての重たい買い物(泡盛や泡盛や泡盛)など、
いくつか車で行った方がいい用事を済ませる。
ここ数日、なんとなくホットケーキが食べたいなぁと思っていて、
ホットケーキミックスを買おうかと思ったけど、
よく考えたら家にあるものでできるはずだから、買わなかった。
さっき検索したら、やっぱり買わなくてよかった。
ぜんぶ家にあるものだった。
これから洗濯物を干したら作ってみよう。
そうそう、昨日行ったおかゆやさんのデザートが、
バニラアイスのメイプルシロップ掛けだったので、それがダメ押しだった。
…メイプルシロップはないが。ハチミツでいいや。

ホットケーキ。
特に好きだと思って生きてきたわけではないが、
私の実家の人たちはとても好きで、
土曜日の朝など、鬼のように焼いて食べている。
私はせいぜい1枚だが、父、母、妹は…いったい何枚食べているのだろう?
とにかく、バターで一枚、ジャムで一枚、マーマレードで一枚、
何もつけずに一枚、バターとジャムのミックスでもう一枚とか、
そういう感じだったような気がする。
だからたぶん、私がいたときと、何も変わらない分量で焼いていると思う。
粉の銘柄も決まっていて、常にストックがあるはず。
これに加えて妹は、焼く前の生地を偏愛していて、お玉一杯分くらいは、
焼く前に彼女のお腹に収まっていく。
「私が死んだらお棺に生地を入れてほしい」と言っていたが、
骨の横で焼き上がったホットケーキをどうすればいいのだろう?

そういえば私のじいちゃん(鉄工所をやっていたほどの機械好き)が死んだとき、
お棺に工作機械のぶ厚いカタログを入れてみたが、見事に焼け残っていた。

「鉄工所をやっていたほどの機械好き」って、
なんだか微妙に間違っている気がするが、やはりどうやら間違っていたようで、
商売としてはうまくいかなかったらしい。

そう思って家族や親類を見渡すと、根っからの商売人がいないことに気づいた。


2005年03月09日(水) 串カツ5回

昨日の夜は大好きな飲み屋さんへ。
そこの奥さんが作った揚げ物やおでんがひたすらおいしい。
7時半も過ぎれば、もうほとんど揚げ物は残っていないのだが、
昨日は珍しく8時過ぎても並んでいた。
3人で行ったのだが、残っていた串カツを12本ぜんぶ食べた。
冷えていてもすばらしくおいしいあの串カツ。
熱いときはどれほどの衝撃なのだろうか…。
まず3本頼んで、また3本頼んで、2本、2本、
そして帰り際に最後の2本をテイクアウトして食べながら帰った。
串カツを、少しずつとはいえ、5回も頼むことはこの先ないだろう。
アマダイのフライもステキだった。
おでんは大根とスジとジャガイモとがんもと玉子。こちらもすばらしかった。
その店に、あの時間に行って、
そんなに食べ物が残っているとは思わなかったので、嬉しくて食べ過ぎた。
揚げ物はおろか、おでんすらなく、ゆでピーや缶詰をつつくこともあるからなぁ。
カワハギロールとか…。
ちなみに種類は少ないけど、その時々のお刺身も、ピッとしてておいしい。

そのお店が雑誌に出たとき、常連さんから抗議されたらしい。
そんな話って、あんまり好きじゃないんだけど、
この店だけは、その気持ち、わかります。

しかし実は、昨日はアジフライが食べたくなって、アジを買っていた。
さすがに今日は食べたくないので、さっきパン粉をつけて冷凍した。
イカのお刺身も簡単マリネにした。
ササミも買っていたが、今日はこれをフライ以外のものにしよう…。





2005年03月08日(火) ほんとうに急ぎだろう

のんびりぼんやりしていたら、
急ぎの仕事が入りそうで、これから打ち合わせに行く。
いつもわりとタイトなスケジュールで進める人が、
「急ぎなんだけど」と言っていたから、
締め切りはきっと明日とか明後日だな。
そういえば確定申告もしなくては。

外は晴れ。

明日からデパートで沖縄物産展がある。
材料を仕入れて沖縄料理を作ろうっと。


◇◆◇


締め切りは、明日の午前中だった。やっぱり…。
これからやろう。


◇◆◇


ここ数日、なぜか勘九郎づいている。新・勘三郎というか。
襲名までのテレビ番組を興味深く見たのだが、
その後、本屋に行ったら、これまたドキュメンタリーが出ていて、
しかも本人語りおろしの文庫も出ていた。
今まで特に勘九郎が好きとか思ったことはなかったけど、
なんとなくドドドーッと見たり読んだりしてみている。
そしたら今日、コーヒー屋さんで手に取った雑誌にも勘九郎が。

歌舞伎や狂言が好きって言うのって、
どうも気が引けるというかはばかられる。
ちょろっと見たりしただけでも、その世界の広さや深さや、
そこにかけられている役者たちの恐ろしいまでの血や時間や、
想像も付かないであろう様々なことがにじんでいるのがわかるから。
たぶん一生「歌舞伎が好きです」なんて言うことはないと思う。
あれは見るほうも、よほどの場数がいるし、
簡単に好きです、とかいうようなものじゃない気がするのだ。
もちろん機会があれば見ようと思うし、
こないだだってテレビで見ながら、おかしくて笑ったりもしたのだが、
なんだろう、歌舞伎や狂言って、
体に染みついていてこそ、ようやく好きって言っていいような、
私にとってはそんなものだ。
でもとてもそんな域にまで達してないし、達せそうもない。
「おもしろい」っては言えるけど「好き」と言うには、
血中歌舞伎濃度がまったく足りていない。

ただ、そのぶん、血中くんち濃度とか、血中チャイニーズ濃度は高いので、
そのへんは胸を張って「好きだ」と言える。

ずっとまえ、東京に行ったとき、踊りをする人の話を聞いていたら、
「私たちには『ぶらぶら節』はどうしても踊れない」らしい。
どうやったって、微妙な動きが出せないんだそうだ。
長崎的な、たぶんヌルリとした空気のようなものが、
ササッとさわやかな江戸っ子には無理なのだろう。
そのかわり、かなり上手な人でも、東京(こうなると江戸だが)じゃない人が、
江戸の曲を踊っても、やはりどうしてもちょっと違うらしい。
言葉の訛りみたいなものが、きっと踊りにもあるのだろう。

ご当地サスペンスを見ているときの、方言のささいな間違いのような感じか。
あれって、けっこう気持ち悪い。ゾクッとしてしまう。

「好き」って、思われているよりももっと、体を通ってくるもののはずだ。
だから逆に、そのものについてあまり知識がなくても、
好きって言いたいものや、言っていいと直感できるものは言っていい。

歌舞伎だってそうなんだとは思うけど、
私にとっては「好き」と言っちゃいけないものなのだ。

あ、そうだ、江戸時代がそんなに好きじゃないんだった。
原因はそのへんにもかなりあるな。


◇◆◇


浜の町を歩いていたら「みどりさん!」と後ろで声がしたので振り返ったら、
前から「あらーっ!」と声がして、私じゃないみどりさんが応えていた。
つまり、

みどりさんを呼ぶ人、みどりさん1,みどりさん2、

と並んでいることになっていて、
でもそれを知っているのは私だけでおかしかった。
ちなみに「みどりさん2」は、すっごい、絵に描いたようなおばちゃんだった。



2005年03月07日(月) 必要なのんびり

近ごろは、かなりのんびりしている。
仕事がちょうど途切れている時期だ。
ちょこちょこ入っても、短いコピーだったりして、すぐ終わる。
時間的に余裕があれば「言葉や文章を考える」というのは、
つまり自分にとっていちばん好きなことなので、どんな仕事でもつらくない。
時間に追われているときも、体はつらいけれど、頭はむしろ幸せだったりする。
仕事が少ないと、チラリと数ヶ月先の生活の不安が頭をよぎらないこともないが、
(原稿料というものは、何ヶ月か先にやってくるものなので)
まぁそのぶんちょっと前にがんばっているし、多分大丈夫。
今までもそうやってしのいできた。
それよりも今は、ゆっくりする必要があるので、
ゆっくりできることがありがたい。
しばらくしたらまた、バタバタすることもわかっているし。
それまでに、のんびりすることと、本読みや、
新しいことについてのアイデア出しなどをやっていこう。

何日か前に、スクラッチくじを買ったのだが、まだこすっていない。
ひょっとしたら買うのだけが楽しみなのかも…。
当たることはおろか、こすることすら二の次なのではないか。

今日は町の本屋の空気を吸いに行こう。
何日か吸ってないので(郊外書店には行ったが、やはり違う)、
どうも禁断症状が出ている。そわそわする。


◇◆◇

あぁ、もうダメだ!花粉が…。


◇◆◇

いつも行く本屋が、大幅に売り場の模様替えをしていて、
まるで別の店だったので大いに戸惑った。
いままでは体が勝手に回っていたが、また一から覚えなおしだ。

◇◆◇

鼻にハンカチを当ててボーっと歩いていたら、
クラクションを鳴らされた。パッと見たら、おなじく花粉症の知り合いで、
その一瞬のお互いの顔で「今日からひどいですよね」「まったくだよ」
という会話が、一言も話さずとも成り立った。

明日、明後日とかなり飛びそうなので、
出なくてもいいように買い物をした。


◇◆◇

刺激物があまりよくないとわかりつつも、
お昼は大好きな店で辛い麻婆豆腐を食べた。
そこの店の月曜日のランチは麻婆豆腐なのだ。
そしてそこの麻婆豆腐が、今のところこの世で一番好きな麻婆豆腐だ。
だから月曜日は、実際には行かなくても、麻婆豆腐をちょっと思う。
鼻をぐじゅるぐじゅるさせていたら、帰り際にお店の奥さまから、
「流行ってますもんね、お大事に」と、風邪を心配されたので、
「か、花粉で…」と言うと「ちょっとまって、お時間ありますか?」と、
ハイビスカスとバラと甜茶がミックスされたお茶を分けてくださった。
かなりうれしかった。
新しく封を切ってくれているのが見えてしまったので、ひとしおに。

そのあと、いつものコーヒー屋さんに行ったら、
すぐさま「花粉だね」と言われた。何も言ってないのに…。
「今日は何人かグスグスいうお客さんのおるけど、ダントツやね」とも…。
ダントツって言われたのでとりあえず嬉しいような気もしたけど、
本質的には悲しい。

これでもう、今シーズンは極力花粉の話はしないことにする。
ほんとうに気が狂いそうにつらいのだが、なんとなく、
ほのかな選民意識みたいなものを醸し出しているような気がするので。

ピークはこれからで、長く続くらしい…。
今日だけでもう、鼻のまわりはガビガビ。
夜に出かけようと思っていたけど、消耗が激しいのでやめる。

でもあの、耳鼻科で鼻の穴を見られるのって恥ずかしい。
自分がいかに、かゆみにまかせてティッシュでゴリゴリしてるかがバレるから。
お医者さんに「あ〜ぁ(こんなにほじっちゃっての意)」って言われたこともある。





2005年03月06日(日) 静かなハイテンション

3月だけど雪だ。
昨日の夜、車で走っていたら、どんどん雪が降ってきて、
ブワーッとこっちに向かって吹き付けてきて、
本当の雪なのに、なんだかバーチャルな映像みたいで、
他にあんまり車もいなかったし、街灯の光もやけにいい色だし、
うっとりするようなぼんやりするような、
かなり静かなハイテンションに連れて行かれた。

明日からはあたたかくなるらしいが、どうなんだろう。


◇◆◇


大好きな外海の大野浜へ。
あまり寒くなくて、波がゆるりと来るのを見ていた。
そしたら、あっ、と気がついた。この海を好きなわけを1つ。
今までは、岩の島が沖のほうにポコポコとあるのが、
岩フェチとしては好きなのかと、漠然と思っていたが、
なんとここの浜にはテトラポットがなかった。
波打ち際から、遠く水平線まで、さえぎるものが何もないのだ。
向こうにはうっすらと五島の島影が見える。
波はそこから、そしてもっと向こうの東シナ海からゆらゆらとやってくる。
どうかどうか、この先もこの海にテトラポットが積まれませんように。
(さいきん合併で長崎市になったのでなんとなく心配。
 あそこはいろいろ壊したりするのが好きだからなぁ)


◇◆◇


猫の夢って、どんなのなんだろう。
時々寝ているもぎくんが、
ピクピクしながら「うむにゅぁ〜」とか言ってるけど。
あと、明らかになんか食べてるとか、乳吸ってるとかいう口の動きをしたり。
さっきは、基本的に白目をむいていて、たまに目がぐるぐるしていた。

そういえば私は今朝、かなり泣きながら一度目が覚めかけた。
いっぱい木がある山を、ヘンな施設を作るのでザクザク切り刻むために、
悪い神官みたいな人がその山の結界を無効にしようとしていて、
それをいちおう阻止するんだけど、全体的な動きが進んでいるのはわかっていて、
「じゃぁ、あとどれくらいこんなものを作るんですか!」って、
自分としては5〜10くらいだと思って訊いたら「150だ」って言われて、
ものすごい悲しさと無力感に襲われてしまい、涙があふれてしまったのだ。

自然や神話に関する本を読んで寝たからだって、わかっちゃいるんだが。


2005年03月05日(土) 対等で、手探りで。

なにごとも、使う、とか、使われる、じゃなくて、
やっぱり対等に渡りあっているときに、
おもしろくていきいきとしたものが生まれてくるのだろう。

と、あいかわらずYMOの、しかもかなり初期のライブ盤など聴いていて思う。
コンピューターやシンセサイザーなどは、
いまはもう、道具ってみなされていて、「使う」ものなんだろうけど、
当時はまだ(人間自身が作っておきながらも)
「コイツらなにものなんだ?なにができるんだ?」っていう存在で、
とにかく人間の側がおもしろがってぶつかっていって、
機械と一緒に新しい音の世界をのしのしかきわけて開拓していたのだ。
当時を振り返るインタビューを読んでいると、時々、
「このシンセから出せる音は全部出したと思った」
というような話があったりして、ふーん、と思っていたのだが、
ほんと、初期のライブを聴いていると、とにかく演奏がいろいろで、
なるほど、思いついたことはじゃんじゃんやり倒してたんだな、ってわかる。
そしてすごく楽しそう。
こんなに手探りな感じでいま、
一見いかにも手探りじゃない音楽をやってる人がいるんだろうか。
それとももうできないのだろうか。

「対等で、手探りで」っていうのは、
すべての、どんなささいなものを作るときにも当てはまると思う。
(もちろん自分自身に対しても)
関わる人々の間に、例えば社内的な上下関係や日頃のあれこれがあったとしても、
そのものを作る時の気持ちの向き方だけは対等じゃないとダメだろう。
「だれかが「俺が上だ」「どうせ俺は」と思っていて、
 しかも「こんなもんだ」とタカをくくって作る」
ものに、いいものなんてありっこない。


そういえばダンナの名言(2,3日前に発生)を思い出した。
「YMOって、イエロー・マジック・オーケストラの略やったと?」
…そ、そうですがな。


◇◆◇


昨日はすばらしくおいしいウニが届いて、陶酔した。
おいしいものは、やはりおいしい。
そして世の中には多くの陶酔させられる食べものがあるが、
私にとって瞬間最大陶酔度が一番高いのは、どうやらウニだ。
ウニの味と脳みその浮遊感が同調するっていうのが、
よくわかんないけど、かなり近い表現。
我を忘れて食べた。昔から
「みどりちゃんのウニを食べるときの顔は面白い」って言われていた。



2005年03月04日(金) みんなと一緒に…?

ハム。
好きだけど、買うときになんとなく高いと思ってしまう。
4枚で300円とか400円とか。
もちろんもっと安いハムもあるが、ズラリと表示された添加物を見ると、
どうしても気持ちが萎えてしまう。そこまでして食べなくてもいいやって。
そりゃハム一枚の添加物なんてたかがしれてるだろうし、
ハムばっかり食べて暮らすわけでもないし、
それくらいの添加物、ちょっとした居酒屋に行けば、
あっという間に摂取してしまっているだろう。
しかしまぁ、そういうものは、わかってる範囲で、
できる範囲で避けたいと思って暮らしているから、ハムはどうしても高くなる。
そこで昨日は鶏の胸肉を買って、いちど平たくして、塩こしょうして、
ぐるぐる巻いてタコ糸でしばって、野菜とローリエと一緒にゆでてみた。
鶏ハムもどき。
なんかのテレビでちらっと見て、おいしいかも、と思っていたのだ。
一晩、スープにつけたままにしておいて、
さっきスライスしてサンドイッチにした。
ハム…って感じではないけど、むしろそのまんま、ゆで鶏って感じだけど、
とってもおいしかった。
もっとスパイスをきかせればハムっぽくなるかもしれない。
ゆで汁はもちろんスープとして。こちらもかなりいい感じ。

そういえば何年か前に豚肉のハムも作ったことあった。
物干し竿につるしたりして。
またやってみようかな。

あ、餃子の具も仕込んでいるのだった。皮も作るつもり。
焼き餃子の時は、むしろ市販の皮が好きだけど、
今回はブリブリッとした水餃子を食べたいのだ。


◇◆◇


「みんなと一緒に楽しみましょうって、音楽をやってるわけじゃなかったしね。」

私が好きな唄うたいの人のインタビューで、グッと来たことば。
「みんなが楽しむ」ってことが、
必要以上によいものとされるこの社会にあっては、傲慢とかひとりよがりとか、
たぶん悪いほうに誤解されるかもしれないけど、
かなり高いレベルで、そうそう、そうなの!って思った。
「みんなと一緒に楽しむ」って、なんか嘘くさいって言うか、疑ってしまう。

共通することかどうかわかんないけど、
だれかが歌を歌って、ワンフレーズごとにささっと次の歌詞を言って、
それをみんなが歌うっていう歌い方があるが、(ちょっと前時代的な)
あれがかなり苦手だった。

みんなと一緒にやるとか、だれかに従ってやるということが、
単に嫌いなだけと言えるかもしれないのだが。


2005年03月03日(木) ひさびさドライブ

昨日はダンナが休みだったので、すごく久しぶりにドライブに出かけた。
本当に久しぶりだ。諸事情あって、本当に。
前は気軽&当然な感じで出かけていたけど、なかなかそれができなかった。
まずはいちど食べたいと思っていた、伊万里のステーキ屋さんへ。
ちょっと高い店だけど、ランチメニューがあるだろうと思って入ったら、
なんとそんなものはなくて、一瞬、腰を抜かしそうになった。
しかし「最近は家で地味に食べていたし、飲みにも行ってないし、
どうせ一度は来ただろうし、明日は結婚記念日(書類上)だし」とか、
いろいろな言い訳が頭の中を高速で駆け抜けていき、腹をくくった。
ひとつはステーキの半額以下のハンバーグにしつつ。
でもかなりおいしかった。
肉が…肉が…。
ダンナ曰く。
「あと二噛みするつもりで食べているのに気づいたらなくなっている」
肉の値段は正直だ。
一瞬めまいがしたその高さも、冷静に考えれば決して高くない。
むしろランチだからと言って安く出す方が嘘だとさえ思えた。
お店の人もキビキビと気持ちがいいし、
長崎弁でいうところの「値段がとある」店だった。
ひとつをハンバーグにしたのも大正解。
これまた肉がいいのだろう、ふわふわでうまみがギュッとしててすばらしかった。
これがどっちもステーキだと、おいしいけど退屈さがよぎったかも。
とにかくサッと焼けてきて、熱いうちに食べなきゃという気持ちと、
おいしくてどんどん食べたい気持ちと、
肉が勝手に口の中から溶け去ってしまうのとで、
頭の中が浮遊したみたいになってしまい、気がついたら食べ終わっていた。
ボーっとしながらおいしさについて語り合う。しつこいほどに。

そのあとどこに行くか決めてなかったので、近くの郊外書店で地図を見る。
でもぜんぜん頭が働かない。肉の余韻で。
引き続きボーっとしていたら、長崎の大きな本屋2つになかった本が、
あっけなく並んでいた。ありゃー、こんな本屋に負けてどうするよ、長崎。
紀伊國屋では発売日に「売り切れました」と言われ、その後入荷せず、
メトロでは取引の気配すらなしだった本。
そんなに特殊でマニアックな本ではありません。
「スロー系」をちょっと気にかけている人なら、誰もが知ってる料理家のもの。
その人が他の出版社から出したのはメトロにだって並んでいるけど、
その本はたぶん少々小さめの出版社からのものだからかも。
大人の事情か。

本屋もなぁ、分野ごとにお店があるっていうのが本来の姿だろうに。
文庫と新書だけ徹底的にあって、独自のジャンル分けで並んでいるとか。
車の本はとにかくあるとか、やればできそうだが。
だってヴィレッジヴァンガードでは、ある程度やれているではないか。
そりゃ雑貨もあるけど。
「紙の束」ってだけでくくられて、ひたすら浅く広く…。

松浦のほうから佐世保にまわる道を、途中昼寝しながら走る。
ひな祭りの繭玉のようなものが飾られている道もあって、キョロキョロ。
佐世保と西彼の道で、2度ねずみ取りにつかまりそうになるが、セーフ。
夕ごはんはなぜかスーパーのお寿司とたこ焼きにしようということになり、
スーパーでお寿司を買って車に戻ると、なんとその数分のあいだに、
車をぶつけられていた。
ダンナが乗っていたのだが、グオーンと衝撃があったので後ろを見ると、
カップルが笑いつつ「やっちゃったねー」という顔をしていて、
でも何も言ってこないので降りていったら、
「え?ぶつかりました?」と、最初はシラを切ろうとしていたらしい。
ふふふ、バカめ。私らはこういう点ではまったく容赦しない。
特にダンナは一見ポヤンと草食動物系で、
「いいですよ、たいして傷も付いてないし、そちらもケガされませんでした?」
なんて言いそうだが、まったくそんなことはない。
こんな時はチンピラにも勝る情熱とはたらきで、事を進めていく。
昨日のも、気にしない人なら明日には忘れるくらいのバンパーの傷だったが、
(でもちゃんと見ないと、中の構造物がゆがんだりしていることもあるらしい)
保険屋に電話させ、結果的に警察も呼んだ。
そして最後には、カップルの兄ちゃんに謝らせていた。

家に帰って、半額の寿司とたこ焼きでディナー。昼とのギャップが笑える。


◇◆◇


昨日のニュースで、長崎〜東京の寝台車「さくら」の同乗レポートをやっていて、
やはりあれこれキュッと来ることがあったが、
「東京に近づくにつれ、通勤列車がイラつきながら追い越していく」
というシーンがいちばんつらかった。
廃止の背景には、そういうこともあるらしい。
時間がずれやすい長時間走行の列車は、1分1秒単位の首都圏通勤列車にとって、
やっかいな存在でしかないのだと。
自分自身が東京や大阪の駅を歩いているときに、
たくさんの人からどんどん追い越されることを思い出す。

スローライフ、思っているより夢物語、と、チラリと思った。
九州あたりではちょいと心がけると少しずつでもやれていくが、
あっちではむつかしいだろうなぁ。


◇◆◇


ホークスの試合のネット中継があって、
そりゃいいやと思って見てみたら、Macは非対応ですって!
ソフトバンクに軽い呪いあれ!



2005年03月02日(水) バナナリンゴパイの自由

これからアップルパイを焼くところ。
冷蔵庫にリンゴが半分残っていて、生で食べるには時間が経っているような…。
ということで、昨日の夜、煮ておいた。
しかし茶色くなったところを切ったら、すぱっと白い部分が現れて、
とてもフレッシュで、そのまま食べてもいいような感じさえした。
「実」の力を見せられた気がする。
皮をつけたまま、小さなイチョウ型に切って、キビ砂糖とハチミツで炊いて、
最後に大好きなカルダモンパウダーをふった。
そうだ、バナナも入れてバナナリンゴパイにしよう。
食べたいものを自分で作るって、自由への一歩だ。

夢にいろいろ会いたかった人が出てきて、自分の夢ながら便利だと思った。
本当に会うのもいいけど、夢で会うのも好きだ。
私の夢はわりと現実的なので、本当に会えたような感触が心に残る。
そして本当に会ってるんじゃないかな、と思う。
夢の世界がつながってないなんて、だれも証明できない。
そして現実の世界はあまりにも不自由。
時間も空間も、夢の世界に比べたら自由にできる部分は限りなく少ない。
(もちろんその少なさが面白さにつながることも多いのだが)

ということで、ささやかにバナナリンゴパイを焼く。




2005年03月01日(火) 天ぷらには…

恐れる、って、悪いことに対して使われがちだけど、
本当に「恐れること」を恐れなくてはいけないのは、
良いことに対してのような気がする。
良くなることを恐れる、避けてしまう気持ちって、けっこうあるから。

昨日はボケていた。
天ぷらと、釜揚げうどんが夕食だったのだが、
うどんだっていうのに、味噌汁を作りかけた。
アホだった。
アスパラの天ぷらがおいしかった。
天ぷらの具で、かなり好きなもの…それはマルハソーセージ。
育ちがわかりますね。でもおいしいのだ。
天ぷら屋さんでは、さすがに見たことないけど。
自分でお店をやるなら出すね。(また店かい!)


長崎〜東京の寝台列車「さくら」が今日で終わりで、
たぶん今ごろ(11時半)東京に着いているはずだ。
私はこれに乗ったことがないのだが(たぶん。記憶にある範囲では)、
昨日ニュースを見たら、いろんな人が思い出を語っていた。
なにかが終わるというのは、どうしたって寂しいものだが、
終わるからこそ、
寂しさとともに素晴らしいものとして心に刻まれ、成仏できるんだろう。

でも昨日取材に行ったダンナによると、ホームではエンドレスで
「うるさいくらい森山直太朗の「さくら」が流れていた」らしい。
そりゃ違うだろ。


◇◆◇


雑誌に載っていた新しいラーメン屋さんに行ってみた。
ラーメンと餃子を頼んだ。
時間もずれていたので、お客は私たちの他に2組だけ。
なのに私たちの餃子を焼くのを瞬時に忘れる緊張感のなさ。
(ラーメンを半分食べても来なかったので尋ねたら焼いてなかった)
ラーメンもいまひとつ。
いまひとつというより、一口目の感想が「うまかっちゃん!」だった。
「うまかっちゃん」は実にすばらしい食品だが、
店で、店のラーメンの味として出されるのは、これまた違うだろう。

そのあと、行ってみたかったカフェ(って言うの、いまだに照れる)に行って、
私はコーヒー、ダンナはチョコバナナパフェ。
お店の人は迷わず私にパフェを置こうとしたので、
つい「すみません、そっちです」と言ってしまった。
この場だけの話なら、黙っていてあとで変えればいいんだろうけど、
世の中の(少なくともこの店の)サービスをよりよくしていくためには、
言った方がいいと思うのであるが。
「甘いものは女」というのも、いまどきどうよ。

あー、なんだか今日は、お小言ばーさんだな。





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