ぴんよろ日記
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| 2005年02月28日(月) |
めでたい席で暗い顔。 |
楽しみにしていたココナツミルクプリン、 ゼラチンではなくて、アガーという「海藻由来」の固めるものでやってみた。 以前、そのアガーで作ったゼリーは食べたことがあって、おいしかったし。
でも、ダメだった。 ココナツミルクプリンには向いていなかったのだろうか、 それとも私が買ったアガーがダメだったのか。 固まらなかったとかいうわけではない。ちゃんと固まっている。 世間的にはすばらしい出来だろう。 でも、でも、でも…。 やっぱり「あれ」と種類は違うとは言え「海藻由来」ってことでだろうか。 私がこの世で(いままで出会ったものの中で)唯一食べられない「あれ」、 「あれ」みたいな食感だった。 あれ…それは寒天。 内臓ものやゲテモノ系などは平気な、むしろ好きな私が食べられないものは、寒天。 本当は、他の人がそばで食べているのを見るのもつらい。 お正月など。
無理すれば食べられるけど嫌いなものに「赤飯」があるが、 赤飯と寒天って、わりとおなじ席にあったりする。 しかもめでたいときに。 その席で暗い顔をして座っている私だ。
そして問題のココナツミルクプリンは、猛烈にスプーンでつぶして、 マンゴーとバナナにまぶした。 もはやプリンにした意味なし。 これからはココナツミルクのままでやろう。
◇◆◇
ダンナのまわりの「人の動き」が、今年はなかなか強烈だった。 サラリーマンの悲哀を感じたりした。 だとすると、収入の定期さとかボーナスってのは、悲哀の代価とも言える。
さて、自営業者としては確定申告のレシート計算でもしようかな。
◇◆◇
ちょっと具合が悪くなり、眠る。 わざと必要以上にあったかくして眠ったら、 汗がどっさり出て、びっくりするくらいすっきりした。 小さな風邪を引きかけていたのを退治したという感じだ。よかった。
昨日の夕方、ずっと会おう会おうと言っていた人から電話があって、 その2時間後にはしゃべっていた。 そういう会い方って好きだ。さっと決まって、さっと会う。 おでんを食べながら、そこにいた人たちともいろいろしゃべって、 なんとも楽しい時間だった。 そのあとまた2人でそばを食べに行って、しばらくしゃべった。 そしてまた私の本を立ち読みしながら、しばらくしゃべった。 かなりの長崎&祭りマニアな彼女。イヤなマニアじゃなくて、 そのマニアっぷりがチャーミングだ。 「きゃー、このバッグかわいー」と似たノリで、 「きゃー、あの町の傘鉾、イイですよねーっ」って言い放つのであった。 (ちなみに「傘鉾」というのは、長崎くんちの奉納踊りの時、 踊町の「プラカード」のような役割をしているもので、 町によって飾りや垂れが違うのですが、だからといって、 たとえば「普通にくんち好き」の人が、ある町の名前を聞いて、 パッとその町の傘鉾の姿が思い浮かべることは難しいでしょう。)
私も長崎や祭りは好きだけど、言ってしまえば「メシの種」でもあるので、 こういう人を見ると「無償の愛」を感じてしまう一方、 やはり貧乏性なのか、もったいないと思ってしまう。
でもまぁ、それでメシを食わなくてはと思っているぶん、 ギラッと見えるものがあるんだろう、と、信じておく。
2月も明日で終わり。 あいかわらずいろいろあった。
◇◆◇
昨日の夜の「チューボーですよ」は、インド風エビカレーだった。 おいしそうだったので、さっき作ってみたら、 「食べ物屋をやってみたい」という気持ちが再燃するほどおいしかった。 チャパティもこねて焼いた。ラッシーも作った。 そしてこれから、 ココナツプリンとマンゴーとバナナを混ぜ混ぜしたデザートを食べるところ。
昼に作ったスパゲティもよかった。 やはりトマトソースを作るのが決め手だな。
そうそう。 ベースのトマトソースを仕込んでおけば、 イタリアンなパスタも、インドカレーもおいしくできる。 実際、今日はトマトの水煮缶1つ分のトマトソースを、 昼と夜、2人でちょうど食べきった。
夏が見たい。 窓を開け放って、風が通る。 動けば汗ばむけど、冷たいものを飲みながらボーっとしていると、 体温のほうが少し高いから、まわりの空気がやさしく涼しい。 夏に行きたい。
いま、本来なら待たなくてもいいものを待っている、中途半端な時間。 ほっとくとイライラするので、夏のことなど考えて気を和ませる。 それにしてもどうなってんだ。腹が立ってしまう。ぷんすか。
| 2005年02月25日(金) |
いきなり見ると驚くが、 |
昨日の昼はモスチキンを食べ、 夜は実家でもらいものの少々あやしい北京ダッグを食べた。 鶏な日。 昼は親戚のお姉ちゃんのとこに行って食べたのだが、 娘ちゃんのおもちゃに爆笑。 任意の言葉を入力すると、その言葉をキティちゃんが再生してくれるというもの。 最初は「おおきいもぎ」とか「みどりねーちゃん」だったのだが、 あるとき「らーめんぎょーざ」と入れてしまい、 キティちゃんは延々と「らーめんぎょーざらーめんぎょーざらーめんぎょーざ…」 と言わされていた。アンニュイ(!)な昼下がり。 でも「25年前にあったら、YMOは使っていたのでは」というような感じだった。 もっといろんな言葉を入力してみればよかったなぁ。
しょぎょーむじょー、とか。
ということで、人が動く季節だ。 私はそういう世界に住んでいないが、 ダンナのまわりがけっこう動く様子。 その人たちはだいたい私もよく知る人なので、興味深い。 見た目ではおなじところにいる人も、本質的にはいつだって違うところにいる。 それぞれの道を歩く中で、たまたま近づいただけだ。 日常の体は近くにいても、心は遠くを見ていたりする。 「そんなことを考えていたの?」と驚いたりするけど、 ほんとうは驚くことではなくて、見えてなかっただけだ。 人が聞いて「えーっ!」っとびっくりするようなことって、 その人にとっては、ひたひたと分かっていたり、考えていたりしたことだから。 密かな行動や考えを自分や当事者の中で降り積もらせた果てに、 白日の下にさらすことを決意できたときや、 考えや行動がどうしようもなくあふれたときに、人には見える。 (当事者の中だけで過ぎてゆくものごともあるが) その時はもう、かなりのところまで来ているので、 いきなり見るとびっくりしてしまうのだ。 色恋沙汰なんかが、その典型。
本人のことは本人にも分からない部分がたくさんあるけれど、 やはり本人のことだけに、いちばん先に気づいたり考えたりしてみるものだ。 事が大きければ大きいほど、本人の中にとどめる時間は長い。 その大きさと時間に比例して、他人は驚く、という仕掛け。
さて、今日は結婚記念日だ。まさに金曜日だった。 もう5年か…。 いろんなこと(そういえば絵に描いたような色恋沙汰だったなぁ)があったし、 これまたいろんなことが起こりつつある。 ひとつとしておなじ時はない。
| 2005年02月24日(木) |
ランタンも終わり、雨。 |
昨日はランタンの最後だったので、館内へ。 ロウソクがたくさん灯っていて良かった。 やはりこの日がいちばんきれいだ。写真もいろいろ撮る。 デジカメに不満を持っていたが、昨日はあえて持って行ってみた。 そしたら気持ちが伝わったのか、なかなかいい仕事をしていた。 メイン会場のエイサーを少し見て帰ろうと思ったら、 なんとその次は、今回はあきらめていた中国獅子舞だった。 ちょっとがんばって見てみる。 でもあれは、中国盆の時に崇福寺で見るのが最高だ。 ステージでは広すぎるし、遠すぎる。
今朝の夢があまりに嬉しくて楽しくて、しばらく起きられなかった。
これから初めて会う人と初めての仕事の話をしにいく。 まとまるかどうかはわからない。
| 2005年02月23日(水) |
しょうが湯はいいなぁ。 |
昨日の夜、布団の中で本を読んでいたら、妙に足が冷えてしかたなかったので、 しょうが蜂蜜湯を作って飲んだ。 そしたらぐんぐんと面白いように温まってしまい、気持ちが良かった。 しばらく本を読んで眠った。 夢はあんまり楽しくなかったが、たまには会いたいなぁと思っていた人が、 エキストラのように出てきていた。 こちらに気づくこともなく、遠くで作業をしていた。
もぎくんは、洗濯をしていると見張りたがる。 排水パイプの中を水が通っていく音が、どうやら気になるらしいのだが、 とにかく洗濯しているときは洗濯機のそばに行きたがる。 時々洗濯機に飛び乗って、電源を切って洗濯を中断させやがったりするが。
ラッシーを作って飲む。花粉対策の一環。
何日も前からクリームシチューを食べたい気持ちがうっすらとある。 今日あたり作ってみようかな。
◇◆◇
実家でお宝あさり。 YMO研究の参考文献などを発見する。
半ばあきらめにも似た気持ちでYMOにはまりきっているが、 いま聞くからこそ思うことや分かることっていっぱいある。 そしてなにより思うのは、YMOっていくつかの時期に分けられたりしていて、 ぜんぜん曲の感じが違ったりするのだが、 「いいものもある、だけどわるいものもある」…じゃなくて、 (すみません、このセリフはマニア用) どの時期のも、それぞれにすばらしいってことだ。 まぁ、好きなんだから、これっていわゆる「マンセー」発言なんだろうけど、 リアルタイムでは「どうよこれ」って思ったりしていたものが、 いまの自分の中で、どんどん価値を上げたりして。 同じようなことは、きっと、どんなものにもあるのではなかろうか。 「あの時、あの人はこんなふうに思って、あんなことを言ったのでは」 というようなことも含めて。
ずっと思い続けるというのは、発見しなおすことでもあった。
| 2005年02月22日(火) |
紅茶と石けんと紅茶石けん。 |
紅茶事情その後。 いつものティーバッグ(トワイニング・アールグレイ)がなくなり、 たいした違いはないだろうと無印で買ったが大落胆。 結局はトワイニングのリーフを買ってしまった。 毎朝急須で入れてます。やっぱりティーバッグよりおいしい。
ところで、手作りしている石けんだが、見ている本に 「コーヒー石けん」はあるけど「紅茶石けん」は紹介されていなかった。 ハーブティでは作るので、たぶん紅茶石けんもできるはずだ。 今度作ってみようかな。ベルガモットのオイルも入れて。アールグレイ石けん。 それとも、本に載せてないってことはひどい匂いになったりするのか? コーヒー石けんや、カモミールティの石けんはとてもいい匂いです。 ゴーヤ茶やびわ茶でも作ってみたい気がする。なんか効きそう。
…今日の日記だけ読んだら、こんな女、私はイヤだ。 紅茶と手作り石けんを語る女…友だちにはちょっと…。
◇◆◇
いま、紅茶石けんで検索をかけてみたら、あった。 アールグレイ石けんもあった。 そして手作り石けんマニアの掲示板みたいなのも渦巻いていた。 「うへー」っと思ってちょっと読んでみたが、 そこに書いてあることをほとんど理解できる自分がいて笑った。 くわばらくわばら。
◇◆◇
遠方より友来たる。 館内の裏道とか丸山の裏道とか市場の裏道とか飲屋街の裏道とか、 裏道ばっかり縫って長崎の町を歩きながらいろいろ話す。
まったく関係のないことを話しながら歩くあいだ、 もう長崎のことは書かない、というつもりで、何か書きたいな、 と思う気持ちが、また強くなった。 長崎の人に向けてではなく。 (だって長崎の人、本読まないもん)
その時々で常に漠然と頭に横たわらせておく課題のようなものがあるが、 いまはそのことだ。なんとか形にしていきたい。 もうひとつ、先にやりたいと思っていたテーマがあったけど、 優先順位が入れ替わったようだ。 じつは自分の中ではタイトルまで決まっているが、さてどうなることやら。
雪が降っている。 明るいけれど、うっすら青空も見えるけれど、 たくさんたくさん、雪が降っている。
昨日の夜は神話についての本とか、 一風変わった人たちのインタビューの本を読んで寝たので、 なんとなくその影響が感じられる夢を見た。 最後のほうは、行きたいところにたどり着けず、 そのかわり、自分好みの路地とか場所とかが次々と現れる夢だった。 そのさらに最後にたどり着いたのは(目的地ではなかったが)、 草に覆われ、「長崎のはて」という石碑が建っているところだった。 ついに来たか、という気持ちだった。 いま絵に描けと言われたら描けるくらいリアルだった。 長崎について、なにか長めのものを書きたいと思っていたので、 なるほど、意味があるような無いような。
◇◆◇
劇を観た。 仲代達也が出てくる「いのちぼうにふろう物語」というもの。 感想は、 「江戸時代に生まれなくてよかった」 「やっぱり『弱いものほど強い』が、どうしてもそういう人が苦手」 「いちいち『芝居がかってる』と思ったら芝居だった」 「小さい頃から時代劇で『御用』っていう提灯を見ると無性にむかついていたが、 生まれつき『お上』的なものが嫌いだったんだな。それとも前世で何かが?」 「暗転しすぎ。舞台じゃないほうがいいのでは?」 「あいかわらず劇を見に来ているおばちゃんたちのマナーが悪い。 どうして「あと15分」が我慢できずにものを食うのか! そんなに空腹なのか!」 「仲代達也のシーンで終わればよかったのに」 など。
公会堂の地下のうどん屋さんのうどんを、何年ぶりかに堪能する。 あいかわらずへなちょこでおいしかった。
◇◆◇
今日は玄米を炊いた。 昨日のすき焼きの残りを、さらに貧乏すき焼きにして、おかず。 あと一仕事。
| 2005年02月20日(日) |
家庭的なもの?フン。 |
無性に怒りを感じるもの…それは「家庭的な」4コマ漫画。 ゴミ捨てをのらりとかわす、めがねをかけたサラリーマンのお父さん、 ダイエットに失敗しっぱなしの、物欲にまみれたお母さん、 うるさくて小ずるい子どもたち。 ひとことで言うと、みんな「もてなさそう」だ。人間としての色気がない。 あぁ、イヤだ…。 本当にあんな家ばっかりなの?「普通」ってこれなの? そうじゃなかったらあの手の漫画って犯罪だ。 家庭的と思わせておいて、家庭には魅力がないことを刷り込んでいる気が。 あんな基準で生きていっていいってことを、肯定してやってるわけだから。 「水戸黄門」と「家庭4コマ」…日本人のダメなところを温存してきた罪は重い。
あと九電の「おひめさまになりたい」とかいうテロップが出てくるCM。 あれを見るたびに脱力してしまう。 小さいころから、その手の女子は、私の心の永遠の天敵。 「私って幸せ。食うにも困ってないし、負け犬じゃないし、 でもなにかが足りないわ…(だって私なんですもの)」 まー、これがしばらく経つと、3連のダイヤモンドをぶら下げて、 「子育ても終わったし、これから『本当の私』を生きるのよ」 とかいうおばちゃんに育つわけです。めでたいこっちゃ。
いろんな幻想が世の中には満ちあふれているなぁ。
| 2005年02月19日(土) |
いつしか許容範囲が。 |
何日ぶりだろう、青空。 昨日は「土佐文旦」が届いた。 私が柑橘類の中でもっとも好きなもののひとつ。 (あとは日向夏が好き。明らかに甘いものはあまり好きじゃない) あっさりしたグレープフルーツとでも言えるだろう。 さっそく1つ分むいてみた。2房食べる。 あとで食べようと思って冷蔵庫に冷やしておいたが、 夜、酔っぱらいたちにあっけなく食べられた。 またむかなくては。
いままで許容範囲だったものが、いつの間にか我慢ならなくなることがあるが、 それはなんのためにあるのだろうか。 それともなにかのため、というわけではなく、ただ、あるのだろうか。 どっちにしても、暮らしにくくなるのはたしかだな。(特に人間関係) いや、逆のこともある。 それによって開けることもたくさんある。 食べ物のことなど。 前はもっと油ものやジャンクフードやたくさんのお肉が平気だったが、 いまはダメになった。(年取っただけ?) ダメになったけど、体の調子はいい。 他にも「悪くない、むしろいい」とされているものも、 自分には合わないと思ったからやめてみたら、やっぱりよかったとか。 (それは牛乳。もうぜんぜん飲まない) そうやって世の中の「当然」を、ひとつひとつ自分に照らし合わしたり、 なるべく体の声を第一にする方向でやっている。 (気持ちが先走ることもあるけど) もちろん食べ物のことだけに限らない。 だから「当然」「常識」って振りかざしながらやってこられると、困る。 教えられて納得できればそうするけど、説教は受け付けない。 教えることと説教は違う。
ハイハイって流せればいいんだけど。クーッ、性格的に流せねぇ!
土佐文旦でも食べよう。スッキリしよう。
◇◆◇
ちょっと取材で郊外へ。 その帰りに、やけにブックオフが私を呼ぶので入ったら、 CDコーナーに、初めて見るようなYMOのCDが何枚も。 しかも私が好きなライブもの。 軽いめまい。 とりあえず「今日の夜これを買う人もおるまい」と言い聞かせ、1枚だけ買う。 うぅ…。YMO地獄、続きすぎ…。 神さま、私をどうしたいのですか…。 またあのマイCDも編集しなおしですね…。
◇◆◇
そしてYMOのネットオークションを見はまってしまい、ぐったり。 ほしいものもいくつかあったけど、 オークションのめんどくささが先に立ち、見るだけに。 (前にがんばってチャレンジしたけどダメだった。ホントは簡単なのかな…) 「実家の押入のどこかにあるはず」というものがいくつもあった。 写真集とか本とか。 最後の「散開ツアー」のパンフ(と言っても、すごくちゃんとした本)なんて、 取り寄せて買ったものだ。あぁ若き日々よ。 「戦メリ」関係なんて、たぶん買い漏らし無しだと思う。 「OMIYAGE」っていう写真集があるんだが、見るだけでは飽きたらず、 好きなページをコピーして下敷きにはさんだりしていました。 コピーなので、下敷きに貼り付いて黒まだらになっていたりして。 ほんとうにYMO漬けの中学生だった。 髪型も教授の真似して、のばした前髪を斜めに切ったりしていたものだ。 「前髪は眉にかからないこと」って校則だったような気がするが、 注意された覚えがないのはなぜ???
「教授」と言えば、今日買ったCDはすごく初期のライブ音源なのだが、 メンバー紹介なんてものがあって、なんと教授ではなく「巨匠」と呼ばれていた。 そういう時代があったと何かで読んだ記憶はあるが、実際聞くとびっくりした。
| 2005年02月18日(金) |
それぞれのとっかかり。 |
とっかかり、なのだろう。
いろんな宗教があって、私がおととい読んだ本の世界的宗教もそのひとつで、 その宗教を信じる性質を持った人は、何かが「事実」かどうかってのが気にかかる。 だから「事実なんだから私たちが信じていることは正しい」って言いたがる。 あるいはまた別の宗教なら、別の基準があって、 まぁその中にはインチキな感じのものもあり、提唱者にお金が入ることもある。 でも結局は、心やものごとの「ままならなさ」と、 ままならなさの波を、どういうふうに、どんな格好で乗っていくかってことを、 いろんな方法でわかりたいだけなんじゃないのだろうか。 その「とっかかり」と方法が、宗教というかたちで提示されている。 あとは「ゆだねること」の快楽。
なにか人には本質的にままならないものがあるってことをわかることと、 それに心のある一線を越えたところまでゆだねてしまうことは違う。 ゆだねれば楽になるだろう。様々な行動もそれに沿っていけば、 少なくとも自分の中では間違ってないと思うことができる。 しかし「ゆだねること」が「信じること」なのだとすれば、それは私にはできない。 私は私を、たとえば希薄にしていくことも含めて、 ままならないなりに、やって行ってみようと思っているからだ。
◇◆◇
とかなんとか、ややこしいことを考えながら、 お昼ごはんは納豆と豚の薄切り甘辛いため、エノキのみそ汁。きんぴら。 上記のような「ややこしいこと」とは何の関係もない仕事を、ボチボチ。
夜はたぶん、かんしゃく。 明日で餃子が終わってしまうので。涙。
涙と言えば、私が最も暗い気持ちになるもののひとつが、 保健所で殺される犬や猫のことを考えることだ。 ちょっとでも頭をよぎると、しばらくはブルーになる。 甘いと言われても何と言われても、とにかく反射的にブルーの底へ行く。 どうして野良猫や野良犬がいちゃいけないのか、心の底からわからない。 そんなに人間だけで完結したいのかな。 人間だって野良でいいじゃんと思ってるからかもしれないが。 「傲慢」って言葉から連想するのも、このことだ。 それでもって、めぐりめぐって、本当はもぎくんを飼っていることが、 すごく嬉しいけど、後ろめたい気持ちもある。背中合わせのことだから。
◇◆◇
ダンナが朝から「急に会見が入ったから早く来れる?」と言われて出て行ったが、 昼のニュースを見たら、 「(ダンナの父が死んじゃった)病院で医療ミスがあって人が死んだ」 ってニュースだった。 「よりによって」とはこのことか。行きたくなかっただろうなぁ。
昨晩、寝る間際も怒濤の読書。 (昼もすでに何冊か読んでいる) 昨日ようやく見つけた、西原理恵子さんの「ぼくんち」を読んだ。 あまりのすばらしさに心が洗われ、軽くなる。 あの作品だけでも、彼女がこの世に現れた大いなる意味を感じた。 どうして今まで読んでなかったんだろうとも思うが、今だからこそという気も。
そのあと、ここ数日ずーっと途切れ途切れに読んでいた、 世界的なある宗教についての「証明本」のようなものを、やっと読み終わる。 いかにその宗教が「事実に基づくものか」を、 一流のジャーナリストとやらが解き明かしていくというもの。 たしかにその過程は面白かったし、 なるほど、そこまで揃ってれば事実かもなとは思ったが、 だからその宗教を信じるかというと、また別の話だろう。 でもそのジャーナリストは、最後にはあっけなく「信じるしかない」と、 すっかり信者になった。「今度はあなたが信じてみる番です」とさえ言い放つ。 インタビューした学者も、その分野ではみなさんすごい学者なんだけど、 それぞれがどっぷり信者ってのも、読みながら「どうよ」って思った。 まぁ、その宗教についてのことや、信じる人たちのことが、 ひとつかいま見られてよかった。が、なんか息苦しい。
息苦しいまま眠るのはいやだったので、 その本を読んだら読もうと思っていた、 神話などのことが書いてあるシリーズ本に手を伸ばす。 前に読んだ「世界的宗教」ができるはるか昔の話の数々と、 それが持っている豊かで大らかな世界。 そうそう、こっちこっち、あー、息ができる…。 楽になったあたりで、ようやく眠ることにした。 しかしいま思えば、「ぼくんち」って、神話の世界の価値観だ。 ますますすごい…。
無性にたくさんの本を読みたくて、読んでばかりいる。 一度読んだものや、初めてのものや、いつか読もうと思っていたものなど。 自分の中にゴオォォォォ〜っと活字の渦がなだれ込むよろこび。 本読みに生まれて難儀だなぁと思うこともあるし、 それによって何かから遠ざかっていったり、 妙に遠回りしている気がすることもよくあるが、 これもまた性分なり。 いまのようなよろこびでもって、乗り切っていくしかない。 「本を読む人」って、何日か前に書いた「朝ごはんを食べる人」以上に、 いいほうに誤解されているようでならない。 読む本にも、読み方にも、それをどう人生に関わらせるかも、 ほんと、いろいろだから。 本を読むってだけで人間を判断しては、大間違いのもとだろう。
◇◆◇
スーパーの中の、とても中途半端な本屋に寄ってしまい、ボーっとした。 猛烈に半端な品揃えで気が遠くなりかけたが、 チラリと予感がしてマンガコーナーを見たら、ほしいと思っていて、 でも大きな本屋になかったのがポコンとあった。よかった。
そういえば今日は大きな本屋にも行ったのだが、 首都圏では昨日発売日の単行本を検索したら、 「在庫あり」だったので棚に行くとなかった。 店員さんに探してもらったが「売り切れです」と言う。 …ホントかなぁ…。 その本の前の巻は長いこと平積みしてあったけどなぁ。 まだ入ってないけど、コンピューターの中では入ってることになってるんじゃ…。 きっと明日か明後日行ったら、何ごともなかったようにあるんだ、きっと…。 と、疑いつつ、もう一軒の、大きめの本屋に行ったが、 さすがにさいきん私から見離されているだけあって、入荷すらしない模様。 ダメだ、あの店。 「たくさんあるのに、なんにもない」という、まさに今風の店だ。
◇◆◇
苦労して編集したYMOのCDが、 もー、いろいろあってパソコンの中から消えてしまい、 とにかくいろいろ大変面倒なことが入り組んで入り組んで、 でもいま完全復旧した。 CDには焼いてるけど、パソコンの中で存在してないと、 iPodをつないだときに消えてしまうので、それは大問題なのだ。 昨日は、かなり重症で業者を呼ぼうかとまで思った風呂のつまりを自力で解消し、 我ながらよくやったと思った。 こういう時の自分の執念と時間の感覚のゆがみには、目を見張るものがある。
それも含めた自分の「過剰さ」について、 昨日読み返していた本の中に、なるほどと思う理由が書いてあり、 また別の、読み返していた本の中にも、それと似たようなことが書いてあり、 だからといって持てあまさないわけではないのだが、安心した。 私は占い師に見てもらったことはないけれど、 複数の占い師におなじようなことを言われて納得するとはこんな感じか。
いろんなことがすごくうまく行かないと思っていたら、 あることがうまく運ぶために仕組まれた仕掛けというか筋道だったようだ。 その巧みさと強引さに失笑。さすがだ。 やはり自分の力ですべてを運ぼうなんて、ちゃんちゃらおかしいことである。 当惑しながらもできることをやりつつ、流れにまかせるしかない。 しかしますますどうなっていくのだろう。まったくわからない。 が、どうにかなっていくのだろう。生きてさえいれば。 どうせ想像なんて超えたところで進んでいくのだから、 自分なりに揺るぎないかけらのようなものを握りしめつつ、 その時々を乗り切っていこう。
なにか不安なことがあったとすると、 ついつい本やネットで同じような不安を探してたしかめたりするけど、 それって、不安を固定させてしまうだけだ。 そしてもっと次の大きな不安へのステップになってしまう。 明るいほうを見て、 自分の中から聞こえてくる「こうした方がいい」という声に、 ささいなことから従うことだ。 温かいお茶を飲むとか、そういうことから。
| 2005年02月14日(月) |
朝ごはんは、朝ごはん。 |
失敗した。 さいきん毎朝紅茶(アールグレイ。やる気のないティーバッグ)を飲んでいるが、 いつも飲んでるのが切れそうだったので、無印で買ってみた。 アールグレイと言うんだったらどれも同じだろうという、 これまた紅茶にさほどやる気のない気持ちから。 そしたら味がぜんぜん違った。がっかりした。 だいたい朝の食べ物や飲み物は、安心しながら目を覚ますというような役割がある。 よく「有名人の朝食拝見」みたいなコーナーがあったりして、 「この豆乳がないと始まらない」「ジャムはこれに限る」、 パンがどうの、干物がどうの、ヨーグルトがどうのこうの…。 そういう「いかにこれに決めているか」という話が出やすい。 あんまり朝食を冒険する人はいないのだ。 逆に「これじゃないとダメ」といった、一種強迫観念的なチョイスになったりする。 いつもの朝食に必要な何かを切らしていると気づいた夜、 「どうしよう、ない、ない、買いに行こうか、でももう遅い、あぁ、ない、ない」 なんて極度に不安になったりする。
…ここまで書いておいて、 私は朝ごはんに大きなこだわりがあるわけでもないので、 フォションでもウエッジウッドでもない、 いたって普通のトワイニングのアールグレイがなくても、 特に暗い気持ちになることはないが、たぶん、次の買い物ではカゴに入れるだろう。
そもそも私はだいたい生まれつきあまり朝ごはんを食べない。 野菜ジュースだけとか、紅茶とチョコとか、なにも食べないとか、そんなもの。 しかし世の中には「朝ごはんを大切にしない人は…」というような、 うっすらと罪の意識をうながすような風潮がある。 朝ごはんへのこだわりがある人ほど、人生を楽しんでいるとみなされる時がある。 それはそれで一理あるんだろうが、 この朝ごはんへの興味のなさはどうしようもない。 朝ごはんに、あんまり朝ごはん以上の意味を持たされると、後ろめたくなる。 朝ごはんは、朝食べるごはんに過ぎないということで勘弁してほしい。
◇◆◇
あ、バレンタインだ。 どれほどの小学、中学、高校生がいま、授業もうわの空かと思うと嬉しい。 そういえばランタン会場で思った。 「長崎の今の学生さんには『ランタン行かん?』っていう誘い文句があるなぁ」 って。「精霊流し行かん?」「おくんち行かん?」より強力かも。 夜だし、冬だし、人が多いからイヤでもくっついたりして、いい祭りだろうなぁ。
ランタン期間だからなのか、私の中の「中国人」の血が騒ぎ、 毎日でも中華を食べたい気分。昨日はちゃんぽんを食べたが、 いままた麻婆豆腐が頭をよぎって、いささか狂おしい。 しかし昨日は、隣のテーブルの観光客がちゃんぽんにソースをドーッと入れていて、 「ノォォォオオオ〜ッ!」と叫びたくなった。
| 2005年02月13日(日) |
洗濯物が気持ちよさそう。 |
昨夜熱心に体操をして眠ったら、 起きたときに素晴らしく体が軽くなっていて、 洗濯と掃除と熱帯魚の水槽の掃除をぐんぐんやる。 気持ちもなんだか前向きで、今日も一日がんばろう、なんて思ったりして。 体のコリは心のコリにも化けてしまうのだ。 そして健康的に空腹だ。 何を食べようかな。 近ごろは家にいる日に洗濯をして、加湿器がわりに部屋に干していたのだが、 今日は晴れの空の下で風に吹かれている。 すごく気持ちよさそうだ。
◇◆◇
ローザのCDがないかな、と思って中古レコード屋さんに行ったら、 持ってるのしかなくて、しかしふと見たら、 坂本さんの(という言い方をすると、ダンナはすぐ「知り合い?」って茶化す) 「エスペラント」のCDの新品が半額だった。 値札のとこに「ハイバン」って書いてあった。(廃盤ってこと?) これは私が中学生のころレコードで買って、聴き倒していたものだ。 たぶん実家にはまだレコードがあると思う。 で、買って、いま聴いているのだが、たまらなく懐かしい。
せっかくYMO地獄(自分で聴いといて何だが、まさにそんな感じだ)から 抜けようかというところだったが、また少し後退だ…。
◇◆◇
イラスト描きに熱中していたら、情熱大陸を見逃した…。宝塚だったのに…。 明日は猛烈に文章書きの日だ。
| 2005年02月12日(土) |
シャッフル、ノーサンキュー。 |
〆切まぎわの原稿、3つ。 頭の中に、モヤモヤとはあるので、あとは抽出作業だ。
嵐のようなYMOブームが、まだ1日1回は聴くけど、 ほかのも少しずつ聴けるようになるくらいまで落ち着いてきた。 ふと思いついて今パソコンに取り込んでいるのは、ローザルクセンブルグ。 ボガンボの前に、どんとがいたバンドだ。 これもまたボガンボとは違った味わいで好きだ。 …あぁ、まだ買ってなかったローザのCDを買い集めそうな予感が。 そしてローザ・ブーム到来の予感が。 ここ数日はボガンボのソウルミュージックカバー集をけっこう聴いていたのだが、 道ばたで泣きたくなったりしていたので困っていたのだ。しみすぎて。 ローザ、いいなぁ。
どうして 「いろんなものを気分によってちょこちょこ聴く」 ってことができないんだろう。 だいたいその時々のアタマが必要としていると思ったものを、 延々とヘビーローテーションだ。我ながらしつこい。 「楽しむ」という感じで音楽に接してないんだろうな。 音楽によって摂れる、アタマに必要な栄養素を、 耳からムシャムシャと食べているというのがしっくりくるのだ。 だから、いまiPodの、すごーく小さいやつがあって、 240曲くらいをとにかくシャッフルして聴かせてくれるらしいんだけど、 私にとっては、実にノーサンキュー。 シャッフルされると混乱する。 トンカツの次にプリンを食べさせられているような気になるに違いない。
…ハッ、と思ってもういちどアップルのページを見たら、 なんとシャッフルしないでも聴けるらしい。ぶ、物欲が…。 だって、ガムのパッケージくらいの大きさと重さなんですよ、奥さん。
…でもやっぱり、曲を入れ替えたりするのが面倒かも…。マメじゃないし
◇◆◇
イラスト用の写真を撮りに町へ。 ランタンはすごい人出だ。 館内の路地裏の魚屋さんのお店が開店していた。良かった良かった。 今年も蒸しエビ、カキのバター焼、エビチリ、 すり身揚げ、魚の唐揚げなどがあった。なかなか繁盛していた。 明日か今度のお休みに来ようと決意。
桃太呂のぶたまんを食べたくなって駅で買ったが、 以前にも増して具が減っている気がする。うーむ。
どうも最近歩きすぎて、足腰がごわごわだ。 なぜ、なぜ、なんにつけても限度というものを…。
明日はがんばって歩かないようにしよう。
◇◆◇
夕方ぶたまんを6個食べたらぜんぜんお腹が減らない。 そのあと、無印で心ひかれて買った「うにあられ」も食べたからか、 ごていねいにほっぺたまで荒れてしまった。 体操して水でも飲んで眠ろう。
と、その前に、不可解なできごとについて記しておこう。 おととい、郵便局から「携帯に」電話があった。 (つまりお届け先の電話番号には携帯の番号が書いてあるのだ) 私に荷物を届けたが不在だった。食べものなので早く届けたい、と。 「大きいものですか?」って聞いたら「カステラです」。 …生まれて初めてです。カステラもらうなんて。 しかも、しかも、その時は見ていなかった不在票を見ると、 な、なんと、まったく知らない名前の人からだ! 宛名は「下妻」の方になってるから、仕事関係で知り合った人か、 それとも学生時代の知り合いで、名前が変わった人とか…、 でもまったく思い当たらない。 携帯の番号を書いて、「下妻」宛に、なによりカステラをくれる人なんて! (カステラって、長崎ではわりと正式なご挨拶っぽい意味があったりするから)
でもって、郵便局の人が「再配達はいつにしますか」って言うので、 どうせ昨日今日って出るつもりだったので「取りに行きます」って答えたら、 「そうですか、ありがとうございます」ってお礼まで言われて、 だから今日、取りに行った。そしたら 「配達に持って出てますね」「えっ、取りに行きますってお伝えしたんですが」 「これからすぐ帰られますか?」「いや…わからないですが」 「夜には配達すると思います」「ハァ…」 なんだかなぁと思いつつ、気にもなったので予定よりも早く帰った。 でも結局は配達されなかった。
なんなんだよう。 どうすりゃいいんだよう。 だいたい誰なんだよう。
| 2005年02月11日(金) |
ランタンはマグマだ。 |
やっぱり一眼レフは、良かった。 今日もまた違うレンズを持って歩いてみるつもり。 昨日撮ったのを現像してないから、 自分が思ったように撮れていたかいないかはわからないけど、 ファインダーを覗いて、カシャン、その瞬間だけでも快感だ。 デジカメに、こんな快楽は感じない。
ランタン。 何年間も使われている「動物もの」が、そろそろ傷んできていて、痛々しい。 そして痛々しいものほど、隅っこにどうでもいいように置かれている。 ランタンたちの動向を見ていると、マグマとか地殻変動のことを思い出す。 新しいマグマが地上にわき出すと、それまでそこにあった陸が押されて、 どんどん「周辺」になっていき、あげくの果ては海に浸食されたりしながら、 やがて消えていくというようなこと。 ランタンも同じだ。今年メイン会場でちやほやされているものも、 来年には街角で野ざらし雨ざらしだ。
無常なり。合掌。
◇◆◇
お昼は、親丼。 鶏肉があったので親子丼にしようかな、と思いつつ、 しかしなぜか卵に心ひかれない。 そうか、朝からスクランブルエッグを作ったんだった。 ということで、「親」だけにした。 鶏肉とタマネギとシイタケを、ショウガを効かせて炒め合わせて、 すき焼き風の味付けにした。最後にネギをたっぷり。唐辛子もかけて。 アオサの味噌汁とダイコンの皮の甘酢漬け。 セットで680円くらいかな。店で出すなら。 お昼は、サービスで600円にしちゃおう。
…だ、誰?
| 2005年02月10日(木) |
い、イラン料理って…。 |
昨晩はいろいろ朝鮮半島の料理を作って、いちおう、日本も勝って、 しかしやっぱり私にとってはわりとどうでもよく、 チャプチェ(春雨みたいなの)って予想以上においしかったな、と思いつつ、 お酒を飲んでしまったから、思い出さない方がいいことも思い出したりしながら、 夜はりんごジュースを飲みながらふけていったわけですが、 次の試合もうちで見ようという話になったようなならないような、 …つ、次はイラン戦?
イラン料理って???
世の中は広いなぁ…。
◇◆◇
イラン料理を検索してみた。あんまり想像のつかない味だった。 鶏肉をクルミの粉末とザクロジュースで煮込んだりするような。 うぅむ…。
◇◆◇
部屋中が焼肉くさかったので、夏のようにあちこちの窓を開けて風を通した。 ここは、いくつかの部屋の窓を開けると、明らかに風の通り道ができて、 生きもののように風が走ってゆく。 その感じがとても好きで、それも、この部屋を離れたくない理由のひとつ。
◇◆◇
いま持っているデジカメの写り具合があまり好きではない。 色もいまいち気持ちに合わないし、前のデジカメよりはるかに暗いところに弱い。 いろんな機能を考え合わせて、かなり悩んで買っただけに悲しい。 …という事情もあってか、 近ごろとんとご無沙汰だった一眼レフで撮りたい気持ちがわいてきた。 色も撮れ方も、本当は自分が持っている一眼レフが好きだ。 でもついつい現像代もいらないしとか、そういう理由で、ついつい、だった。 夕方からランタンを撮りに出かけよう。 いろいろ買い食いして、それを晩ごはんにしよう。 唐寺の肉まんがおいしいらしいので、それも食べよう。 楽しみ。
◇◆◇
肉まん、おいしかった。 そのあと「エスパーうどん」を食べて帰ろうかと思ったら閉まっていたので、 (店の中にエスパーシールがたくさん貼ってあるので、そう呼んでいる) けっきょくまた町のほうまで歩いて戻り、 ハハに電話したら案の定残業していたので、一緒にごはんを食べた。 県庁マン御用達の小さなお店で。 大きめのギョウザと湯かけクジラと野菜炒めとビール4本。 ひとつひとつの量が多いので、それだけでたらふくだった。 私は初めて行く店だったが、 お店の人もお客も「ハハを知ってる率」ほぼ100%で、 なにやら賑やかだった。 私が娘であることが、なかなか波紋を呼んでいた。
そしてまた歩いて帰った。今日はトータルで4〜5時間歩いている…。 星がいつもよりも多く見えて、うっすらと天の川かと思うものさえあって、 オリオンも太っていて、いい、気分、でした。
| 2005年02月09日(水) |
やることがあるんだ。 |
昨日もまた、おととい電話があった人(福岡在住)から電話が。 「いま店(スーパー?)で買ってきたトルコライスを食べてるんだけど、 『ターキーライス』って書いてあるんだよね。長崎ではこれってどうなの」 とかいう、ちょっとしたご当地疑問っぽいもの。 でもそこから話があれよあれよと発展して、また、 「今年はひとつでかいことをやろうじゃないか」なんて血の気の多い話に。 でかいことかどうかはわかんないけど、 私がここ数日考えていたプランのようなものに、 またひとつ大きなヒントをもらったような気がしたのでうれしかった。 その人といろいろ語りながら、 そうだ、私にはやることがあるんだ、と思わされた。 今日はそんな気持ちで町を歩いてこよう。
夜は北朝鮮戦を見る集い。 韓国料理というか、この場合、朝鮮料理と言うべきか、を作る。 個人的には、試合を見ること自体は、どちらかといえばどうでもよくて、 どんどん料理を作りたいだけなのだった。 本当は「オモニの味」的なものをたくさん作りたかったが、 一部の参加者の間で「やっぱ焼肉か!」という期待が高まっているらしいので、 まぁ、肉も買おう。
| 2005年02月08日(火) |
ランタン、ラーメン、ライディーン。 |
異様に眠れるので、異様に眠っている。 そしてボチボチ、春の気配がする。 鼻に。 旧正月って、合ってる。明日からランタン。
昨日の夜は、ラーメンを食べに行ったら、 すごいタイミングで「ライディーン」がかかった。びっくり。 何かの啓示や暗示かと思ってしまいたいくらいだった。
そういえばその前に、久しぶりに話す人から電話があったなぁ。 たぶんこの先も、長い付き合いになるだろうというような人だ。 一緒に仕事をしようと言いつつ、なかなかうまくいかなかったりして、 でも、いつかはいい仕事を一緒にするだろう、というような人。 「ひとつ花火を打ち上げましょう」とおっしゃるので、 「私で良かったら火薬になりましょう。最近危険物扱いですから」 「ワハハハハ、なんかわかるな〜」 などと、ギリギリの線でなごやかに会話。 ライディーンは、どこか何かのタイミングが合ってきたってことだろうか。
ということにしておこう。
掃除して、洗濯。 2日引きこもったので、今日は歩きに出よう。
きのうラーメン食べたのに、いま「うまかっちゃん」が食べたいのはなぜ???
◇◆◇
うまかっちゃんを作ろうとお湯まで沸かしたが、 そうしていると、うまかっちゃんを食べているときの「調味料感」が襲ってきた。 どうしようかと悩んでいたら、パッと「くらた」のお好み焼きがよぎったので、 さっと着替えて階段をくだる。 「くらた」のおじちゃんは、あいかわらず人の顔を見ると、 「もうテレビは出んとね!こん人はテレビに出る人よ!」 と、他のお客の前で言うので恥ずかしいが、もう慣れた。 座っていたお客さんにもなんだかんだと聞かれたけど、 「10年前の話です」とかなんとかやりすごす。 今日はイカ入りにした。 そして何と、お金を払おうとしたら、受け取ってくれなかった。 ここで普通の店なら、もう行くのがつらくなるし、 そもそも「家族レベルに達した常連しかいない」という時点で、 本来は苦手な店のはずなのに、「くらた」には行ける。
「くらた」のおじちゃんは、こないだ足の静脈瘤を取る手術をしたが、 その翌日には立ってお好み焼きを焼いていたらしい。 足に包帯をぐるぐる巻きにしてるのを見せてくれた。おそるべし。 …という話をしていたら、お客の一人が「さすが元競輪選手」と合いの手を入れ、 そこからその時代の話になり、デビュー早々、大穴を出したことを聞いた。 その時の配当の正確な金額まで覚えているおじちゃんだ。 昭和25年当時で2万いくらかだったらしい。3人しか買ってなかったそうだ。
お客のもう一人は、 「モダン焼・大」を「さすがに食べきらんやった」と言って残していた。 そりゃそうだろう。 それが焼き上がったときには、枕かと思って目を見張ってしまった。 ちなみに「中」が標準。私がほどほどにお腹一杯になるくらいだ。 でも「大」ってのは具はもちろん多くなるし、卵が2個になる。 そもそも普通の「モダン」が、ちゃんぽん麺が1玉入るから、 気分的には「中」の倍の満腹感だ。 なのに「モダン」を「大」にするってことは、 「中」プラス「大と中の差」プラス「麺」プラス 「たぶん「大」だからさらに麺多い」なので「中」の2倍でも3倍でもなく、 2乗プラスアルファ、ヘタしたら気分的には5倍なのではないかと推測する。
それにしても「くらた」にはいつも平和な時間が流れている。 常連だらけなのに、閉じていない。 なにかがすごく正しい場所だ。
| 2005年02月07日(月) |
自然体は、クセモノ。 |
昨日の夜は、五島みどりさんのインタビューと、 スタイリストさんの「情熱大陸」を見て、やはりすごい人は日々精進だとうなずく。 「トップランナー」のハナレグミとかいう人のも見たけど、 その人自身が言ったり歌ったりすることは、 なるほど好きな人は多かろうとわかるんだけど、 その人に見入っている客席の人々が不気味で苦手だった。 ひとことで言うと「クウネル」購読率120%って感じで。 「クウネル」じたいは私も「できすぎだよ」と突っ込みつつも好きで読むし、 その世界はその世界で、ある種の理想なんだけど、 若い人々が一からそれを目指すのは危険だと思う。 あれは目指してやるもんじゃないんだから。信者になっちゃダメだ。 「自然体」っていうのは、よほどの無理を乗り越えてきた人だけが、 本来は言うのを許されることだ。 奇しくも、五島みどりさんがインタビューで、 「ようやく最近『げじげじ』しなくなった」と話していて、 「げじげじ」ってのは、神経質に思い詰めてやりすぎることらしいのだが、 つまりは「自然体」っていうような境地は、 子どものころから20年、バチバチに張りつめてきた人が、 ふとたどりついてホッと一息つくような次元なんだと思う。
自然体と「ぬるさ」って、ぬるい側から見ると似てるからこわい。
わりと似た意味で、渡辺満里奈を正視できない。
◇◆◇
同じ年の人ウォッチング。 ニュースなどで、犯罪者などが同じ年のことがよくあって、 こないだは長崎で電車に飛び込んだ男だったが、 こんどは、どっかで赤ん坊に包丁を突き刺した男と、 突き刺された赤ん坊の両親が同じ年だった。 ニュースで拾うと、ろくなことをしたりされたりした人は出てこないだろうが、 気になるので、これから本格的に気にしていってみる。
それにしても、刺した男と刺された子の父親は、同じ年とは思えない見かけだった。
◇◆◇
拷問のようなローカル番組をジッと耐えて見る。 どうやればこんな前時代的なコメントが書けるんだ。 「ここは、おもしろストリート!」って、ギャグで言ってんのかな…。 うぅ…拷問だ…。 そして長崎のある部分は、これからどうオモチャにされてしまうのだろう。 もう遅きに失したこともたくさんあるけれど、 ほんとうに今のうちに見たり残したりしておかなくては、 良心という名の軍靴に踏み荒らされてしまうのは必至だ。 あぁ…みんなだまされないで〜。
| 2005年02月06日(日) |
つまんなくなんかないのに |
静かな日。ひとり。 朝から自分の声が流れる番組を見る。 相変わらずいい人っぽくて笑える。 妹ともメールで笑い合う。 「絶対『ムー』とか読まなそうだよね」 「まさか『いちばん詳しい地獄大図鑑』とか持ってる人とは」 「YMOのレア音源を集めてCD作ったりも」 とかなんとか。 番組は、ジャズをやってる小学生から高校生の話なんだが、 高校もやめてプロのドラマーを目指している男の子が出てきたりして、 15分にしてはいろいろ物語があった。 つまらない世の中とかなんとか、たくさんの人が言うけど、 彼のように自分の基準で生き抜く決意を持った人は、 たぶん思ってるよりもいっぱいいるはずだ。 「つまんない」っていう人は「つまんない」っていうことにしといて、 いろいろ考えずに暇つぶしなんかしてたほうが楽だから、 「つまんない」って言ってるだけなんだと思う。 あとは「つまんない」ってことにしといて、 暇つぶしの道具やサービスなどを売る側が、盛んにつまんないことにする。 それはそれで、その人たちがいいなら勝手につぶしてればいいけど、 それを「世の中は全体的にこうなのだ」と思いたがらせているのが腹立たしい。
◇◆◇
最近少々飲みが続いたので、今日はひとりだし、健康的に。
お昼はうどん。生卵とネギと、平戸の魚醤油で。 夜のために玄米を水につけておく。 残りものがちょこちょこあるので、それをおかずにしよう。
◇◆◇
昨日は、すごく久しぶりに、でも以前はしょっちゅう飲んでいた人たちと、 以前はしょっちゅうだったシチュエーションで飲んだ。 思えば、そのメンバーと状況で飲める日々は、 いろんな意味で、実に平和というか、普通の日々だった。 それがかれこれ、4〜5ヶ月ほど無かったのだ。 あらためて、ここ最近の、どんぶらこ加減を思った。 そしてだいぶ、取り戻しているんだな、と実感できた。
◇◆◇
あっ!今日はじじ(祖父。顔、性分などかなり似ている)の命日だった! ばあちゃんちにお茶飲みに行こうかな。
◇◆◇
いくつかのことが、本当に、静かに吹っ切れていく感触に包まれている。 逆に、これまではやはり、吹っ切れたと思いこみたくて無理してたな、とわかる。 何度も、泣きもした。 しかしいまは、雲が、スーッとちぎれて、少しずつ消えていくようだ。 吹っ切りたかったのに、いざ消えていく感触が生まれると、寂しくさえある。 良いものも、悪いものも、どんなものでも、 触れてしまったものからは、ある種、離れがたくなってしまうものだ。 ひどく苦しめられたものですら。 いちどきは、自分の気持ちや感情を沸かせたという点で。 だけど消えていく。 無理しても消えなかったものが、 無理したくても無理もせずに消えていく。
そしてまた、次の空。
◇◆◇
けっきょく一歩も外へは出ず。 いろいろプランはあったが、 「出ない」という選択肢を思いついたとき、 とても体が軽くなったので、出ないことにした。 もぎくんとゴロゴロしながら、本を3冊読んだ。 なぜか全部、しかも違うときに買ったちくま文庫だったのが、 …ふむ、意味はないが、なぜなんだろう。
きんぴらごぼうが食べたくなって、作る。 あとはキムチスープと豚の煮込み。玄米。 さて、ビールを飲まずにいられるだろうか???
…いられませんでした。1本飲みました。
しかしこれまた実に久しぶりに、石けんを仕込んだ。2本も。 いま、香りの配合を考えてメモしたところ。 使えるのは3月に入ってからなので、 春らしく華々しいものと、どうせまだ花粉に悩まされているだろうから、 ユーカリやハッカを効かせたスースー系だ。
| 2005年02月05日(土) |
考えごとは歩きながらに限るな |
昨日も2時間近く歩いた。 その間に、いろんなことを考えて、しかもそれは前向きなことで、 いくつものアイデアなどが浮かび、よしよし、とうれしくなった。 白い梅の花が咲いていて、 そのほんのりかすかな匂いをかいだら、 あ、そういえば友だちのウエディングドレスには梅の刺繍があったな、 なんてことを思い出した。 白いドレスに白い梅が刺繍されていて、なんか、「らしいなー」と思ったのだ。 歩くことって、ほんとうに考えごとにむいている。 ちゃんとしたことが思いつく。
そしてそのあとまた飲んだ。 妹とふたりで飲んでいたら、その後、ダンナとハハが加わって、 なかなか面白かったが、最後のほうはまた覚えてなかったりする。
また夜中に何度も水を飲んで、起きたらすっきり。 トルコライスだって食べられる勢い。 いいんだか悪いんだか。 今夜も飲むのだが…。
私はたぶん何代か前にはきっと中国人だったと思うので、 中華料理が大好きだ。 昨日は、お昼によく行くお店で晩ご飯を食べた。 餃子や牛肉とニンニクの芽の炒め物やエビと季節野菜の炒め物、 そのお店の名物のチャーシューネギソバなど。 おいしくてボーっとした。 和洋中エスニック、どれを一生食べられないとつらいか。 私はダントツで中華。 もちろん刺身や天ぷらや焼鳥やおでんやうどんや、 オリーブオイルドボドボのパスタや 魚の焼いたのにサフランソースがかかってるのや、 生春巻きやインドカレーなどが食べられなくなるのはイヤだが、 餃子やトロリとした炒め物やピータンや蒸し鶏が食べられないことに比べたら、 だいたいは我慢できる。 そして毎日食べて平気なのも中華だ。 昨日の夜も食べたけど、今日これからのお昼ごはんに中華でもノープロブレム。 夜でもオッケー。 だって中国人は毎日中華。そして私はどっかで中国人。 もうすぐランタン。なぜか強烈に懐かしい。
昨日の夜は念入りに体操したら、 悪いものがいろいろ出て行こうとしたみたいで、 猛烈な寝汗をかいた。 時々目が覚めるのだが、ちょっとでも布団の隙間ができると、 ふだんではそこまで感じないくらい寒く感じる。 背骨にずおーんと寒気が走る。でも朝には抜けていた。 つまりは一晩のうちに風邪をひいて治したということみたい。 いまアオサと玉子の雑炊を食べて、体の労をねぎらっているところ。 だいぶ体のコントロールができるようになってしまった。 要は注意深く観察することと、本当にどうしたいか耳を傾けることだろう。 体に悪いことって、だいたい本人はわかってやってしまうものだから。 やってしまったら、そのぶんを戻せばいいのだけど、 これもつい流してしまいがち。 そしてすごく大きいな、と思うのは、食べ過ぎないこと。 食べ過ぎないことをできるようになって、かなり体が変わった気がする。 不思議なことに、ふだん食べ過ぎないでおいて、体を整えておくと、 いざ!というときにスイッチを入れると、ガツーンと食べられることもわかった。 焼肉とか。
でも、心に関してもそうだけど、 「ダメだとわかっちゃいるんだが、どうしてもそっちにひかれてしまう」 ということが多々ある。食べ過ぎとか飲み過ぎとかもそうだし、 ヘンなカッコで本を読んでしまうとか、うたた寝しちゃうとか、 人には言えないようなこと一般とか、極端な場合は犯罪とか。 そりゃみんなよくないかもしんないが、 だったらなぜここまでバリエーション豊富にあるんだろう。しかも魅力的に。 それはやっぱり「ダメなこと」が魅力的だからだと思う。 それだけ、そこだけ見ればダメなことでも、 トータルで良ければいいんじゃないかと思うんだがどうだろう。 振れ幅の小さい人って、つまんない。 そして何かを隠し持っていることと「嘘」って、違うと思う。 隠し持っていることも含めてのその人、とは思えないだろうか。 意識的、無意識的なものも含めて。 なんでもさらけ出せばいいってもんじゃないのでは。 さらけ出すとか、許すとか、よく美しいものとして語られるけど、 そうかなぁ。 やってる時は気持ちいいかもしれないけど、なにかに対して失礼な気がする。 あからさまなものが嫌いってのもあるけど。
まー、犯罪はね、さすがにまずいですが。 それにしたって、何をもって犯罪として、 国家権力がお縄を持って追いかけてくるかってのは、 明らかな人殺しや強盗なんてもの以外は、その時々で微妙だったりするし。 坂本龍一さんの本に「いま自分が戦前の日本にいたらどうだろうって考える」 「どこまで拷問に耐えられるだろう」というようなことが書いてあって、 私もそれは以前から考えていたことだったので、 やはりそうかと、ズーンとした気持ちになった。 たとえば戦争に向けて日本が盛り上がってしまい、 いつも仕事をしている広告代理店から、 「お国のために」的ポスターのコピーを書いてと言われて、 さてどうする、というようなことから始まるだろう。 「書けません」と言ってもいいけど、その夜には暗く鋭い目つきの男たちが、 この部屋のドアの前を囲み、しばらく私は家を空けることになるだろう。 そういうことだ。 そしてさほど突拍子もない想像だとは思えない。
…食べ過ぎの話から、だいぶ遠いところまで来てしまったなぁ。 昨日受けた、とある「あ〜ぁ」のダメージが少々大きかったみたいで、 しかしそれで逆に前向きになってたりするのが、心の神秘である。 私にとっては「逃げてんなぁ、逃げとくしかないもんなぁ」と思えるが、 世の基準から言えば、そっちの方が正しいことだったりして。
そんなことを考えていたら、テレビの中継で幼稚園の豆まき。 「心の中の鬼を豆に閉じこめて投げてみましょ〜う」 らしいです。 「みんなの心にはどんな鬼がいるかな〜」 だって…きゃぁ!こわい!よかった、こんな幼稚園で育たなくて。 しかも豆は、ビニールに入ったまま投げられている。お手玉みたいに。 豆の粒々さ加減が、いろいろ「危ない」ってことなんだろう。 ハァ…。バカくさ…。投げられる前にビニールで窒息する鬼さんであった。
鬼、好きだけどな。飼い方次第だと思うけど。 付き合い方だろう。退治じゃなくって。
…さりげなく話がまとまってるような気も。
昨日はしかし、ごはんを準備していたら、 急に飲みに行くことになり、雪の中でかけた。 したたか酔っぱらって、でも、映画みたいな風景も見て、 時々記憶が飛んでいたり、最後とても気持ちが煮えたのも覚えているが、 概していい酒だった。 …と、思っておきたい。
その後眠って見た夢も、ずーっと飲みの続きの場面で、ごちゃごちゃに。 夢で行ったと思っていた吉野家が、本当に行っていたと聞いて笑った。 私は食べなかったけど。
それにしても、飲んでるときはそんなふうだが、 回復力が強くなった。分解時間が早いというか。 ウォーキング、玄米、黒酢、体操…さて何が効いているのでしょうか。
雪景色には、もう、ヤマを超えた感があふれている。 静かに仕事をしよう。
◇◆◇
目の細かい吹雪が続いている。 ぼんやり見てると、もやにも見えるような。
あーぁ、ってことがまたひとつ発生して、 ほんとまぁ、あーぁ、って感じで力が入らない。 なんでもう、こんなことばっかりなんだろう。 抜け出すと信じるしかないけど、なげぇよ、おおすぎだよ、と、 トンネル建設の担当者には言っておきたい。
もぎくんの気配に気持ちがとりとめられている今日このごろ。感謝。
固い雪だ。ベランダがカンカン言ってる。 これは…あられって呼ぶべきなのだろうか。 そして晴れてきた。 私も晴れたいもんだよ。クッ。
◇◆◇
つまんない人っているもんなんだなぁ。 でもそのつまんない人は、 その人をつまんないって思ってる人みたいな人のことを、 イヤな感じ!なんて思ったりするもんなんだろうし。 心のつくりが違うからしょうがないな。 そんな人のことは、あんまり考えないようにするしかない。
なのについ考えてしまうのだ。 囲碁とか将棋とかの人が、すごい先まで手を読むみたいに、 こう思ったらこうだろうから、そしたらこう思われてしまうし、 そう思われたらこう来るからこうでこうでああでああで、ドッカーン!だ。 そしてほとんど、考えた甲斐は無い。 私がグダグダに考えをめぐらせた相手は、 だいたいそこまで考えていないものだし、 私はその人ではないから、考えたところで、考えの通り道が違う。 方程式の形はわかっても、肝心の「X」の値が違うってとこか。 答えが違うのは当たり前だ。
どんだけ理詰めで考えても、人の思いや心のようなものは、 そんなものではぜんぜん左右できない。 現に、まったく自分がそのいい例だ。 考えるとおりになるんだったら、こんなに楽なことはない。 ならないことを、少しずつ、なんとかしながら、やっていくしかない。
大好きなチョコでも食べて紅茶を飲んで、 体操でもしてゆっくり眠ろう。
◇◆◇
時間が解決できることと、できないことがある。
◇◆◇
弱いものは、強い。 その弱さが、恐ろしい武器だ。 強いものになりたいわけじゃないけれど、 自分が弱いなんて胸を張るようなところに落ち込むことだけはしたくない。 それだけはしないようにしてきたし、これからもそのつもりだ。 それが人から「強さ」だと思われるのなら、悲しいけれど仕方ない。 ほんとうは違うと言いたいけれど、 たいていは、もう、ハシゴは外されたあとだ。
| 2005年02月01日(火) |
ひょろ〜んと肩すかし |
夜中にごとごとする音で目が覚めた。 ベランダの大きな植物が、風に吹かれて倒れていた。 今日もまだ風は強いので、そのまま寝かせておく。 外には吹雪が広がっていた。 街に吹き付ける雪の大群だった。 どんどん目の前を駆け抜けていった。
朝からも、雪。 起きたときは青空混じりの流線型モザイクな空だったが、 いまはもう曇りきって、小さな雪が次々と降りている。 向こうを見れば、弱い魚の群れに似た、 あってないような法則が、雪のカーテンを作っている。
下手な考え休むに似たり、とだれかが言った。 なにか大きな存在の方から見れば休んでいる風なんだろうが、 下手な考えほど、ぐったりする。 そしてそれが積もり積もっていたものを、 ひょろ〜んと肩すかしされたようなときには、もっと。 もう、騒ぎたてたり、行動を起こす余力もなくなる。 また静かに、内側へ向かっていく。別の外側を探しながら。
今日はお昼過ぎに取材に出なくてはいけないが、 ほんとうだったら雪がつらいんだろうけど、 雪にでも吹かれたい気分だから、よしとしよう。
昨日は豚バラと大根を甘辛く炊いてみた。 料理の本などでは下ゆでだ何だとうるさいが、 ダメモトで下ゆでもせず、気持ちのままに作ってみた。 …なんだぁ、うまいじゃん。 「臭み取り」と称してよく登場するネギだってショウガだって、 なんとなくいらない気がして入れず、 とにかくシンプルな手順で作ったが、 あれこれ小細工するよりも、ちゃんとおいしかった。 角煮の時は量も多いし「格闘」って感じだが、 日々の中でも、じゅうぶん豚バラの炊いたのはおいしくできた。
◇◆◇
吹雪だ。 取材をして、買い物をして、バス停まで歩く間に、自分に雪が積もった。 バス停に着いたらあと10分あったので、 (本当はもちろん歩いて帰りたいが、日陰の細い階段はたぶん凍ったままだ) 2つ先のバス停まで歩いたら、ちょうどバスが来た。
太白ごま油とビールを買おうと思ってストアに入ったが、 私の大好物であるカツオのたたきとナマコが、 量も値段も手頃な感じであったので、つい買ってしまった。 吹雪の日のメニューじゃないよなぁ。 よくお風呂で温まってから、熱燗と食べよう。 菜の花が出ていたので、 湯がいてあったかいままオイスターソースをかけようかな。 わさび菜という初めて見る菜っ葉も。 さっきちょっと食べたら、ほんとにわさびみたいな味がした。 カツオのたたきとたっぷり合わせよう。 アオサもあった。最後にみそ汁にして、ごはんと食べよう。
どこからか、寒そうな猫の鳴き声。 たまらん…。がんばれ…。
雪はひどくなるばかり。 明日はどうなるだろう。
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