ぴんよろ日記
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2004年12月31日(金) 角煮女

YMOをガンガンゴンゴンにかけながら、
ぜんぜん大きくない大そうじ。
中の下くらい。
いまはお風呂のカビ取りの待ち時間だ。
角煮の豚肉2,5キロは、エスパーかと思うほどドンピシャな量だった。
煮込みもの用の鍋の中に、過不足無く並んでいる。

昨日は、お正月の食べものに自分をたとえるなら何がいいかな〜、
なんて思いながら、料理を作っていた。
まぁさすがに、紅白なますとか黒豆とか昆布巻きとか、そこまでは枯れてないはず。
南蛮漬け、うーん、雑煮…そこまで堅実じゃない気も、
数の子、ナマコ、海老の焼いたの、クジラ…うーん、珍味ってのもなぁ。
で、けっきょく、自分が作る角煮が、いちばんしっくり来る気がした。
濃い?
お店のはどっかり来るのも多いけど、私の角煮はわりとあっさりめ。
赤身はじっくり味わい深く、でも脂身はフルフルしてて、官能的。
いいではないですかー。
でも角煮のような女になりたいってのも、どちらかといえば難あり、か。

と、ここで試食。
脳みそが溶けるかと思うほどおいしかった。うっとりした。
やっぱり目指すのは角煮に決定。

…さ、風呂のカビでも流すか。

◇◆◇

紅白の合間に、パソコンに手をかけて…あーっ!
ジオシティの引っ越しは今日までだった!
ということで、いま、昔のHPの分から、
写真と文章だけは自分のパソコンに落とした。
みんな昔のパワーブックに入っているものだから。
昔のパワーブックは、電源を取り込む部分が壊れてしまって、
もう動かなくなってしまった。
仕事のデータだけは、
スカスカにバッテリーに残っていたエネルギーで取り出した。
ハードディスクだけを取り出してつなげば、
まだいろんな写真などが見つかるのだろうけど、
なんとなくしてない。
見たい気もするが。


◇◆◇


紅白って、見だすと、あの人も見たい、この人も見なきゃって思うけど、
なにかきっかけがあって見ない時間ができると、
心底どうでもよくなる。
ちゅうことで、昼間に引き続き、YMOをゴンゴンにかけながら、
これを書いています。


◇◆◇


サーヤ。
私の1つ上。
よかった。ただ単に、よかった。
チャレンジャー黒田、よくやった!
オレなら怖じ気づく!

人の恋路の組み合わせというのは、
しかし、どうしようもないものですからね。

本人にさえ。


◇◆◇


私にとっては激動の今年も暮れようとしています。
あと…1時間半もない。
かなり感慨深し。これまでの34年の中でも。
たぶん新年早々、いろんなことがまた、
いまにも増して渦を巻いてやってくるでしょう。
渦、巻きつつあるし。むしろ激動中。
でもそうやって生きていくしかないんだなぁ、とも、強く思います。
それぞれは、それぞれの道で。
交差したらば、こんにちわ。


◇◆◇


よいお年を!


2004年12月30日(木) 進むことが

ゆっくり本が読みたい。
ほかにすることがいっぱい。
本はたまってゆくばかり。
でも、年が明けると、じっくり読める気がする。
私の予感は最近わりと当たる。
小さなことが多いけど、あぁやっぱりと思うこと多し。

隣の部屋から、
もぎくんが悪さをしている音が聞こえる。
YMOのDVDの音が聞こえる。
ライブって、違うんだな。生の感触って。

YMOの3人が、最近の映像で、昔との音楽の作り方の違いを聞かれていて、
3人とも、どんどん自由になってるというようなことを言っていた。
人から見たらとんでもなく自由なことを20年前にしていた人たちの、
いまの目に映る、手から出てくる自由って、どんなものなんだろう。

でもふと自分のことを思うと、たしかにどんどん自由になっている。
進むほどに、自由が開けていく感じだ。
進むことが、自由になる道なのかも。
進むことが、自由なのか。


◇◆◇


年末の市場で買い物。
年末の市場は、年末の市場ってだけで楽しくて、ついニコニコしてしまった。
とりあえず定番の角煮を作るため、豚肉を2,5キロも買う。
鍋に入るだろうか…。
なんとなくこれくらいは入るかなと思って切ってもらったら、2,5キロだった。
皮付きじゃないとね。プルプルっと。
「脂が多いですけど、おいしい脂ですから。もし脂が少ないところがよければ…」
とお店の人に言いかけられたので、
「いや、むしろ脂が好きです」と答えて、おばさんと二人でニッコリ笑いあった。
角煮は皮と脂っす。ふっふっふ。
それ以外は、目についた材料をとりあえず買って、
それから料理を考えるという方針。
ちょっと洋風なものも入れるつもり。
バイクでブーンと帰りながら考えついたのは、
鶏とマッシュルームとインゲンのゼリー寄せ。

コンソメゼリーが大好き。

また夜はひとりなので、のんびり作ろう。


◇◆◇


思ってもみないことは、思ってもみないので、思ってもみないふうにして、
だいたいいきなりやってくるものだ。


2004年12月29日(水) まっただなかのままで。

ぼーっと年賀状を書く昼さがり。
今年が終わってゆくのか。
さびしいなぁ。
今年は終わるけれど、
いくつかのことは、まっただなかのままだ。

あしたはおせちを作らなくては。
楽しみ。ガンガン料理するのは久しぶりだから。

忙しくはあるけれど、区切りというのは、いいものだ。
うれしい区切り、悲しい区切り、区切りたくない区切り…いろいろだけど、
きちんと時間が経つ、ということだ。




2004年12月28日(火) 手作業の楽しみ

ねむい…。
そういえば今日(昨日)はあんまり寝てないんだった。

肩にサロンパスの強力なやつを貼って、なんとか版画を彫った。
親の年賀状用に。
版画は、年賀状の時くらいにしか彫らないが、とても好きだ。
自分の絵が、ペターンとフラットになるところが。
なかなかいい感じに仕上がった。
しげしげと見つめてみたりして。
やはり手作業はいい。心がとても真っ当な位置に納まる。
試し刷りして、さほどの手直しもなく、
色づけを考え、刷り損じに試し塗りして比べたり。
楽しい作業。頭はそれだけに集中。

スキャンして、いま200枚プリントしたところ。
もう寝ます。自分の分は、明日(今日)考えよう。
いや、もう考えちゃいるんだが、写真を撮らなきゃ。

そして宛名書き…。
明日もサロンパス決定。


◇◆◇


この年の瀬に、ニュースでは私と同じ歳の男が電車に飛び込んだという。
うちのベランダからも見える線路で。
同じ歳ってのは、たまらなくいたたまれない。
ひょっとしたら同じ学校だったかもしれない。
知ってる人の友だちかもしれない。
相談にだって乗ったのに、って、
きっと会ったこともないんだろうけど、思う。
どんな気持ちで、こんな時に、あの壁をのぼったのだろう。
さむい夕方、コンクリートは、手のひらにズンと冷たかったろう。
その冷たさに、われに返ることはできなかったのだろうか。
残された彼の身内の心の中を察することはできないが、
誰だか知らない同じ歳の彼は、少なくとも私の心には、
とても冷たいもの…冬の夕方のコンクリートの感触のようなものを置いていった。







2004年12月27日(月) 哀しき柿ピー。

朝の4時まで仕事をしていたせいか、
右の肩がものすごくダメになっている。
その前にJRで福岡日帰りとか、8時間座ってしゃべりっぱなしとかがあるので、
一概に仕事のせいとも言えないが。
ちゃんと体操して寝たのになぁ。

そういえば昨日、帰りの電車の中で、
インドネシアの地震と津波のニュースを見て、少しだけ驚いた。
どうせ偶然に違いないが、昨日の夢は、あたたかい島のようなところで、
ものすごく大きな波が来て、なんとか逃げるというもの。
どばぁぁぁぁっと、たいへんに大きな波だった。

しかし昨日はよく飲んだ。
昼間っからビールを飲んだのはまったく序の口で、
すぐに3人でワイン1本、
そのあと場所を変えて、またビール、そして私はひたすらカンパリのロック。
他の2人はカクテルや焼酎。
3時間ほど食べ物は頼まず、カラ飲みしていたら、
店の人が柿ピーをサービスしてくれた。
しかもそれは、クリスマスに寂しく過ごした女の子同士の集まりかなんかの、
とにかく「どうよその哀しさは」というような集まりの残りだという。
それをわざわざ言うっていうのも、正直というか脳天気だが、
なんだ、つまり私たちは「その集まり以下」な感じだったのか…。
「あわれみ」「ほどこし」なんていう言葉が頭の片隅に現れては消えたが、
あまりにもおかしかったので、しばらく笑い続けた。
そのあと、失礼ながら本当にそんな集まりをしていそうな、
かなりさえない女の子の集団が入ってきたので、
「あちらさんに柿ピーをドンブリで」などとこっそり悪態ついたりしたが、
彼女たちに柿ピーが出される気配はなかった…。

それにしても「日帰りだから飲めないね」とか言ってたのに、
思いっきり飲んでるし。思いっきりすぎるし。


◇◆◇


山陰の、気分によっては耐え難い暗さと寒さについて。
私がまさに滅入っていたころ、
ダンナはとてもなつかしくていい気持ちだったそうだ。
やはり育った土地の、体に残された記憶というのは、どうしようもないものだ。


◇◆◇


夕方になっても肩の痛みは治らず。
このまま年賀状作成に突入。
編集の時に貼ってたサロンパスがあったな…。


2004年12月26日(日) サンドイッチを持って。

本日のサンドイッチは、ハムタマゴレタスと、
コールドチキンチーズレタス。
ハムタマゴのタマゴは、夢千代日記の舞台、湯村温泉の温泉玉子だ。
…っていうと、なんか妙なサンドイッチに聞こえるなぁ。
チーズは、ダンナにはただのスライスチーズ。
私はブルーチーズ。
作るときに、手についたブルーチーズをなめて思ったけど、
ブルーチーズって、しばし意識を遠のかせる。
ふーっと気持ちよくなって、あたたかな脳内お花畑に連れて行かれる。

そして私は、これからお風呂に入って、サンドイッチを持って、
電車に乗って福岡に行ってきます。


◇◆◇


そして私は、福岡から帰ってきました。
私にとっては途方もなく珍しい、女子3人という組み合わせで、
昼から夜まで、8時間ほどしゃべりっぱなし。
あまりにもしゃべりすぎて、どうやら頭が酸欠です。


◇◆◇


そしていま、午前2時。
酸欠頭で仕事してます…。


2004年12月25日(土) 旅が終わって。

いま2日分の日記を書いて、
あらためて自分にとっては、ぐったりした旅だったと思いながら、
それでも、この旅は、よかったのだと思う。
私の性分や気分などは、この旅の主旨から考えれば、
まったく取るに足らないものだと自分でもわかっているので、
この旅ができて本当に良かったと思う。
もう、旅のあいだに起こった大量のイヤな気持ちはほとんど残っていない。
どっちかといえば、自分がイヤな気持ちになったことの方がイヤだなぁと思う。
いまはただ、ぬるい風が吹くこの町に自分の体があることがうれしくて、
そう、もうイヤなことは忘れてしまった。


◇◆◇


今日はクリスマス。
クリスチャンでもないのに日本人は云々…というようなことがよく言われる。
でも、いいんじゃないのかな。
クリスチャンじゃなくても、
「そうか、この日をとても大切に思って祝う人がいるんだ」
と、チラリと思ってうれしい気持ちになってみたりすることは。
もっともっといろんな宗教や国や人種の「うれしい日」がどんどん知られれば、
カレンダーはいい日ばっかり。
…なんて、ガラにもなく、ほんわかしたことを書いてしまって、
クリスマスの魔力もなかなかのもんじゃのう。

だれかがなにかを信じていることと、
それを自分のなにかのために否定することは、
ぜんぜん違うけど、
否定の強さが信じることの強さに化けることが多くて、
それはだいたい悲しみに結びつく。
ある基準による正しさは、思っているより何も救わない。



2004年12月24日(金) 心でっかち

この時期の山陰はカニだ。
サービスとかなんとかじゃなくて、
まるでカニしか食べるものがないようにカニがある。
他の天気のあり方を忘れてしまったように、
重い雲が広がっているのと、よく似ている。

旅の二日目。
町を見るでもなく見て回り、
道を見るでもなく見ながら走り、
とにかく四六時中、全員が心底明るくはなれない気持ちのまま、
ふだんは生活を共にしていない人と、狭い車やひとつの部屋の空間で過ごす。
もちろんその中でも、それなりに明るく楽しい瞬間が、時々沸き起こりはする。
しかしそもそも人とペースを合わせられない自分の心の砂の像が、
はしっこの方からポソリ、ポソリと崩れ、
しかもおそろしいほどの加速度がついているのがわかった。
これはまずいな、と思って、
大好きな米子の本屋さんで過ごす時間を作ってもらう。
少し、落ち着く。

しかしその間、他の人々は私の予想をはるかに超える困った行動を取りやがり、
本屋さんで落ち着いて修復した部分を、こっぱみじんに破壊しくさった。
かなり押さえに押さえて、小爆発を起こしたあと、
とりあえずひたすら運転して、心へ応急措置をほどこす。
(運転すると落ち着くのだ)

それから先は、どんどん笑えなくなり、でもがんばって笑い、
がんばって言葉をしゃべり、を、小さく大きく繰り返し、
こんなに長いと思う旅も初めてだと目を伏せながら、
いや、時はきちんと過ぎていってくれるのだからと、
遠くを見ながら過ごしていたが、
旅の三日目、
ついに日本一高いところにあるという灯台のそばに立ち、
海の遠いところに雪だか雨だがが強く降っているのを見てしまった瞬間、
涙がばーっと出てきて、どんどん出てきて、
近づいてきた人を冷たく遠ざけ、ひたすらひとりで海を撮った。

山陰の風景は、あまりにも心をひきずり出しすぎる。
夏はほどよいが、冬は、慣れない人間や、ただでさえ考えすぎる人間にはつらい。
山陰は大好きで、醍醐味はそれでも冬にあると思うし、
これからも冬にだって訪れたいとは思っているけれど、
私はしょせん南国育ち。こんな気分の時に、山陰の海と空には勝てっこない。
暮らすのは、長崎が北限のようだ。

心でっかち、という言葉が頭に浮かんだ。
なにごとも、度が過ぎるとつらい。
過ぎなくてはできないことも、あるが。

ひとまず、それでも帰らなくてはならないから、
暗い気持ちは風景のせいにして、
長崎に向かって高速を走るごとに明るくなっていく気持ちをおかしく感じながら、
クリスマスイブのディナーは、サービスエリアの肉うどんだった。
それはそれでいいと思った。
うれしいプレゼントのようなメールも届いた。

長崎が、あまりにあたたかくて、驚いた。
でも、急に寒くなったのだと聞いて、さらに驚いた。
ちょっと湿気た空気の匂い、長崎の匂い。
思った通り、高速移動は心も体もどこか置いてけぼりだったから、
山陰に飛ばされていた分身が、その匂いで長崎の本体にしっくり戻った。

長かった。






2004年12月23日(木) 筋肉質の曇り

高速で九州を抜け、中国道へ入ると、徐々に青空の覇気がなくなる。
中国道から米子道へ入ると、もうアウトだ。青空の息の根は止まる。
そのかわり、曇り空の曇りが、ぐぐっと筋肉質になる。
身のつまりが違う鉛色の空。
よく山陰の冬空を「鉛色」って表現して、それはすでに陳腐にさえ思えるけど、
山陰の冬空に使う「鉛色」は「色」ではなくて、「鉛」の質感の方に重点がある。
鉛と聞いてイメージする、重さ。
雲の鉛色は、それ自身に鉛色をとどめておけずに、
眼下に広がる空気や風景にも鉛色を薄く、しかしすべてにあふれさせている。
だから車を走らせていると時々現れる標識の赤や黄色が、
妙に生々しくさえ目に刺さる。

「夢千代日記」が大好きで、1人で冬の山陰を歩いたこともあったけど、
あのときはそれでも3月の終わりだった。
雪は積もっていたけれど、明るさへ、向かっていた。
しかし今回の旅は、季節は当然のこと、
人数こそ多いが、油断すればメンバーの気持ちも向かうのは暗い方だったので、
着いた日の夕方から(つまり着いてすぐから)、
九州が南国と言われるわけがとてもよくわかって、
そしてそれが恋しくてたまらなかった。
でも自分はこの中でも南方系なんだし、
ポジションとしてもそう振る舞うべきだと言い聞かせて、
少しでも明るく話したりしていたけど、元々はそんなキャラでもないし、
眠るときにはぐったりと泣きそうになり、
懐かしい人の足を、こっそり触る夢を見た。




2004年12月22日(水) どっちが?

いま、朝の6時20分。
あと12時間後には、鳥取の皆生温泉にいる。
高速道路ってすごい。
でもだいたい高速な移動をしたときは、
心と身体の両方に、なにかついて来れてなかったような部分の感触がある。
今回は特に、この旅自体が急に決まったものだったし、
行くんだけど、たぶん帰ってくるまで、
行ったのかどうかわからないんじゃないだろうか。
心の底では。

ずーっと夢を見ていて、あまり眠れなかった。
今日からの旅を通り越して、そのあとに控えている仕事の夢を、ずーっと見ていた。
正確には、その仕事をするときに、会うはずの人の夢。
あまりにも現実味にあふれていて、余計に今日からの非現実感が増す。

どっちが夢かわからない。


2004年12月21日(火) 着メロ事情

このところのYMOブームで、
携帯の着メロも大人げなくYMOだ。
電話の着信は「FIRECRACKER」、メールは「中国女」、
目覚ましは「BEHIND THE MASK」という、初期なラインナップ。
でもこれらの曲が自分のベスト3かというとそうじゃなくて、
好きな曲を取っては見たものの、
着メロ化によって絶望的にかっこわるいものになっていたりして、
なんとか落ち着いたのがこの3曲なのだった。
元の曲が電子音で構成されているから、
(つまり着メロ的だから)
やりかたひとつで失笑ものになってしまうようだ。
しかも私の携帯は古いので、たぶん単純な構成のものしか取れないから、
なおさら幼稚な感じ。曲によってはそれがいい時もある。

着メロを、時々変えるのは、あんがい好きだ。
メールの着信音は何度か変えていたけど、
電話の着信音を変えたのは数年ぶり。前はボブマーリーでした。
落差大。
鳴っても、いったん考えないと「電話だ」と思えない。
もうひとつ、YMOを聴いている時はとても気づきにくい。

さて今日は、急遽明日から鳥取に行くので、仕事をやっつけなくては。
楽しみかと言われれば…うーん、遊びで行くわけでもないし、複雑。
カニだけは食べるつもりだが。
楽しいってわけでもない時間の中で、精一杯楽しく過ごしたい。

ずーっと更新していたこの日記を書けないのが寂しい。
ネットカフェでも探してみるかなぁ。


◇◆◇


今日は、
ずいぶん前に、すぐ隣の家で暮らしていた親戚の女の子の誕生日だ。
もう会わなくなって何年、十何年だろう。
元気にしているだろうか。
会わないけれど、なぜか誕生日だけは覚えている。
そして彼女が生まれた日のことも。


◇◆◇


今朝の夢に出てきた人に、偶然会った。
びっくりした。
しかしうれしかった。
私の中では、どこか兄弟のような感覚で付き合っている人なので、
ちかごろのめまぐるしさの中にあって、顔を見ることができてほっとした。
夢に出てきただけでも、ほっとした気持ちになったのに、実物にも会えた。
彼とゆっくり飲むことができる日々よカムバック、だ。





2004年12月20日(月) 昨日のままの今日ですが。

たっぷり人の話を聞いて、ちょっと飲んで、
ほどよく話しながら、またちょっと飲んで帰ってきて、
Gコードで予約したはずの「トップランナー」(教育テレビ)が、
思いっきりその時間の総合テレビが映っていてショックを受け、
その勢いで夕方買ったDVDを結局ぜんぶ見て、
そのかっこよさに打ち震えて、これから眠るところ。
だからいまはまだ昨日(19日)のままだ。日付は明日だけど。

ドボドボと悲観的になっていたことについて、
ちょっとだけ「そうではなかったのかも」と思えることを小耳にはさんだ。
いまは…それを信じてみることにしよう。

今日の弱音マン。「お寿司食べたい。でも回転寿司!」
知らない人とはね、ほら、あんまり話したくないから。

知らない人が、ほんとに苦手…。
今日も「テレビいつも見てます」とか言われて、
「いやややや、もう、もう、でででてないっっっす」と言って逃げた。

あっ、明日(今日)は早く起きて仕事しなくてはいけなかった。
寝よう寝よう。


◇◆◇


起きたら、小耳に挟んだことが功を奏して、
お酒を飲んだにもかかわらず、胃が少し楽になっている。
100%私の本意ではなかったけれど、
自分が「こうだろうな(涙)。」と思っていた事態よりは、
はるかにマシだったから。
もっと勘ぐりに勘ぐれば、その「ちょっとマシなこと」は、
「最悪なこと」のカモフラージュに使われているのでは、
と思えなくもないが、もう、それはしないことにする。


◇◆◇


急に鳥取に行くことになった。
いま天気を見たら、曇りや雨ばかり。
しかも長崎より5度ほど寒い。
夢千代日記そのままだ…。


2004年12月19日(日) 石と波紋

昨日から、ちょっと深めのブルーな淵に沈められてしまい、
胃が痛くて、心臓がチクチクして、息が苦しい。

というようなことを、まわりの人には言わないが、
ここに書いて地球の裏側からでも読めるってのは、どういうことなんだろう。
まわりの人も、本人に聞くことなく、読もうと思えばいつでも読めるというのは。

具体的なできごとではなく、それによって引き起こされた心の作用…
つまり、水に投げ込まれた石のことではなく、広がる波紋。
を、よく見て書き残そうと思っている。
こんな心の揺れ方、波立ち方もある、というようなこと。
それは私に投げられた「石」が実際にどんなものであるかを通り抜ける。

とてもここには書けないような具体的な問題やできごとにかき混ぜられ、
その上で浮かんできた上澄みのようなもの。
それはとても個人的なものだけど、
おなじようなことにかき混ぜられた人が読めば、
具体的なことを書いていなくても、
なにかピタリと、消毒薬や絆創膏になれるかもしれない。

まぁしかし、私に起きている具体的なことを知っている人や、
「石」を投げた人や、投げるところを見た人が読んだら、
「うわー」「なにもそこまで」と思う可能性も特大。
でも、理解してもらえないかもしれないけれど、
それとこれとは私の中ではぜんぜん別物だ。
起きたことそのものを書くことと、
それによって心に起こったことを書くことは。
そして「うわー」「なにもそこまで」は、たぶん、
「書く」ということそのものに向けられると思う。
どんな形にせよ、それについて書くということが「うわー」なのだ。
しかし私は書いてしまう。自分の基準にもとづいて、ギリギリな感じで。

ただ、書いてスッキリするかというと…あんまりしない。
暗いことが明るくなるという感じでは、しない。
指差し確認のようなもの。
その上で、また違う力を出して進んで行かなくてはならない。


◇◆◇


それにしても、
ここから先はさすがにないだろう
と思っていたようなことにも、
先はあったりするものだ。
そこまで行かなくてはわからないけれど、
思いがけないことが広がっていたりする。
それこそ、なにもそこまで、と言いたい。

弱音マン参上。いささかつらい。テクノデリックが染みる。


◇◆◇


久しぶりに親戚のお姉さんのピアノを聴きに行った弱音マン。
とっても好きな曲があったので、忘れないうちにCDを買いにいったら、
ちいさなお店だったのに、なぜかYMOのDVDが並んでいた。
かなり動揺し、いま大好きな曲がどっさり入ってるのを買ってしまった…。

でもいまはピアノを聴いている。




2004年12月18日(土) 男、ねぇ。

昨日は足裏マッサージに行った。
そしてまた分厚い女性誌を渡されたので、まためくってみた。
「JJ」よりは高い年齢層向けのものだったが、
内容としてはさほど変わらず。
でもオシャレな姉妹の一週間で次から次に服や小物が出てくるページで、
デートだ仕事だと細かい状況設定があるんだが、
その中で、何かの習い事に行くって場面があって、
「コーチが室伏似なの」
という、ウキウキする感じを狙ったセリフがあったが、どうだろう、室伏似って。
私はまったくときめかないです。むしろイヤ。
そういえばこないだテレビで「こんな人は性ホルモンが足りない=老化が始まってる」
というのをやっていて、女の人の判断基準の中に、
「マッチョが嫌いになってきた」
ちゅうのがあったが、これもどうよ。
個人的には「なってきた」どころか、生まれつき苦手だが。
別に友だちになるにはまったく構わないけど、男は感じない。
見るからに男!じゃない男に男を感じられる能力は、
高度な性ホルモンによるもの…なんて研究は進んでいないのだろうか。
マッチョにも男は感じないけど、運転が下手なのも決定的にダメだなぁ。

運転が下手なマッチョ…くくっ、来世でも付き合うことはないな。




2004年12月17日(金) 軽い押し売り

髪を染めた。
ほんとはもっと、初志貫徹で緑色っぽくしたくて、
色見本でもけっこう緑っぽいのを選んだんだが、
たいして、というか、ぜんぜん緑じゃなくて、普通の茶色だ。
染めているあいだ、生まれて初めて「JJ」という雑誌を見てみた。
ゲップが出たけどおもしろかった。

表紙化粧品広告服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服靴靴靴バッグバッグ服服服服服服服服服服服髪型髪型化粧化粧服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服服時計ジュエリージュエリー服服服服服服海外セレブ服服服服服服服服おねだりリスト服服服服服服服服服服服服服服服服読者の結婚式報告服服服服服服服服服服服ダイエット広告おっぱい広告裏表紙

って感じで。
たいへんだなぁ。

気づいたら、今年も残りすくない。
でもやるべき仕事はいっぱい。仕事以外のヘビーに考えることもいっぱい。
とりあえず足裏マッサージにでも行くことにする。
昨日ちょっと押してみたら、かなり弱っちぃになっていた。

近しいだれかに悪いことが起こっているからといって、
そのために自分のすべてを我慢したり犠牲にしたりするのは違うと思う。
もちろんその人に最善を尽くして接するのは大切だけど、
しなくてもいい我慢やあきらめは、逆に失礼だし自分をも損なう。
でもまわりが言ったりする。「そんなことしてる場合じゃないだろう」とか。
そんなことは本人が決めることだ。
やだなぁ「もっともらしいこと」って。
そのほとんどは「らしい」だけで「もっとも」じゃない。
「これを買わないと損します」って言われてるみたい。
軽い押し売りっていうか。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という名言を思い出す。






2004年12月16日(木) きれいな部屋。

一緒に住んでいる人の、わりと荒れ放題になっていた部屋が、
さっき見たらきれいになっていた。びっくりした。
びっくりして、その人の心の中、多くは悲しみのようなものを思った。
その人はいま、大きなものを失いつつある。
それはとても個人的なことだし、誰にもどうすることもできないもので、
私も何と言ってやればいいのか、どうしてやればいいのかよくわからない。
よくわからないから、いつものようにごはんを作ったり食べに行ったり、
寝る前に本を読んで笑ったり泣いたりしながら一緒に住んでいる。
あまりにもその人が純粋な悲しみに包まれていて、
私はそれを想像することはできるし、私なりにそのことについては悲しいけれど、
同じ質と量を共有することはまったくできないので、
どこか遠いところにいるような人に思えるのだ。
そして、こんなこと感じなくてもいいのかもしれないけれど、
そんな状態にあるその人に対して、私は確実に気後れしている。
たとえば、ウソでも一緒に泣いたりすることが、まったくできないことや、
これだけ言葉を並べる人間のくせに、何か気の利いたことが思いつかないこと。
もちろんそういうことをわかっててやることが、
逆に不誠実だということは、わかる。
でも、わかっているけど、それがちょっとでもその人を楽にできるのなら、
そうしてやれないものかしら、と思いつつ、
それができれば自分が楽になるからしたいのかも、と、思いとどまる。

やはり私は自分の立ち位置にいよう。
それがその人にとっても、いちばん良いと思うことにしよう。


2004年12月15日(水) 仕事よありがとう。

仕事というのはありがたい。
ほっとくと必要以上に閉じる心や、
ほっとくと体を流されてしまう事情などから引き留めてくれる。
そしてお金ももらえたりする。
仕事はすごい。

今までの自分をベースにしつつ、
まったくやったことのない形の仕事に取り組むところだ。
どうやって進めればいいか、どうすればより面白くなるか、
どきどきしながら考えていこう。


◇◆◇


動物が本能で薬草を探し当てるように、
読みたいと思った本を読みたいままに読んでいると、
傷んだ気持ちに効くようなひとときが訪れる。
時には塩を塗り込まれるような瞬間もあるが、
自覚しないことには治らないので、努力している。
治ったからうれしいということでもないのだが、
いつまでも生傷さらして生きるわけにもいかないし。
心に「つ(長崎弁でかさぶたのことです)」を作りつづける毎日だ。





2004年12月14日(火) 滝のように。

こないだ行った小国の友だちのとこで読みかけた漫画。
いま出ている全6巻を、昨日まとめて買ってみた。
こういうのを「大人買い」って言うらしいが、
ホントに買いながら「大人…。」って思った。
夜、読もうと思ってダンナにドサドサーっと見せると、
「うわっ!大人っ!男前っ!」と感動していた。
やはりこの年代の人間は「コミック6冊しかも新品一気買い」という事態に対して、
「大人」という言葉しか思いつかないものなのかもしれない。
それが「大人」ってどうよって思うけど、子どもと大人の違いなんて、
そんなとこにしかないのかもしれない。

なにはともあれ読みふけったが、
想像だにしなかった痛いとこを突かれ、
だーだーと滝のように、何度も泣いた。
「滝のように」ってのはオーバーな表現じゃなく、
座って読みながら涙がびゃーびゃー出て、
ほおをつたって、首に行って、巨乳(大ウソ)の谷間を抜け、
シャツに吸い込まれていった。
それはやっぱり、まるで滝だった。


◇◆◇


今いちばんお気に入りの焼酎を、いつものお店で買っていたら、
ついにお店のおばさんから「好きなんですか」とニコニコしながら聞かれた。
あの店では、きっと私は「松露のねーちゃん」と認識されているのだろう…。



2004年12月13日(月) 方針

さて、一週間ほど前に突如わき起こった大問題。
それがけっこうすごくて、普通だったらゲッソリ振り回され、
生活の形を変えることも当然余儀なくされるって感じなんだろうけど、
私はそれが絶対にイヤで許せないので、
振り回されない、生活は変えない、
いやむしろ良くしようという方針を取ることにした。
暗い方に考えれば果てしなく考えられるからこそ、
一切そうしないことにする。
関係者のほとんど、いや私以外は全員、筋金入りの悲観人間なのだが、
そんなもんにチンピラのオレが負けてたまるか!と思うのだ。

そう思えば、そうなるような気がしてくるから不思議です。


◇◆◇


こう書いた数時間後、思わぬ解決策が登場。
それが実現すれば、現実的なことのつらい部分はかなりなくなるはず。
(根本的なところは依然としてつらいが)
よし、やはり強気で思うことを推進していこう。



2004年12月12日(日) 夢の普通は夢

今日の夢では、会いたい人に2人も会えた。
そして夢っぽくなく話をして、とてもうれしかった。
近ごろの私の夢は、あまり夢っぽくないものが多い。
普通に、普通の話をしたりする。
この人に、こんなことを伝えたいと思っていることを、
自然に話せているという夢もよく見る。
でもその状況を作ることが、現実の世界では難しかったりして、
それはそれで、やはり夢の世界だ。
これが夢でなければいいのに、と思いながら起きる。
でも、夢さえも見ないよりは100倍いいとも思いながら。


◇◆◇


今日はゴルさん(まえに一緒に住んでいた猫)の命日だった。
妹からのメールで、さっき思い出した。ごめん。
写真が移り変わるようにしているスクリーンセーバーで、
今日はいままで見たことがなかったゴルさんが登場して、
あー、ゴルさんだーと思ったのだ。「忘れてない?」って出てきたのかも。
ゴルさんの前後の写真は、大きな虹の写真だった。
いまごろどこにいるんだろう。
私は、死んだ人や動物は、おおもとは違う世界に行ってしまっていても、
ちょっとだけ何かを分けて、
支店のように、その辺にいてくれる部分もあるんじゃないかな、と思っている。



2004年12月11日(土) 肉、酒、カレー。

空気がきれいな小国の町に行ってきた。
そこに住む友だち夫婦と猛烈に焼肉を食べ、酒を飲み、カレーを食べた。
肉は、この2ヶ月に食べた量を、軽く一晩で上回っただろう。
その店の肉はすごくきれいでおいしい。
しかし何よりその焼き肉屋さんに行くのを楽しみにしていたダンナは、
なぜか急に具合が悪くなり、戦力外通告。せつない顔でリベンジを誓っていた。
酒は、お肉を食べて帰ってきたのが9時前くらいだったと思うけど、
それから朝の5時まで。どっさり語りくさりながら。
たぶん私は焼酎を五合瓶1本分は飲んだと思う。
お昼に起きて、インドカレー屋さんに行き、これまたしこたまカレーを食す。
自分に「誰?」と突っ込みたいほどの食べっぷり飲みっぷりだった。

いま帰ってきたところ。
さすがにこれからは飲みません。

太った気はしないが、お肉を食べることでおぎなうべき体の部分が、
このところスカスカで、そこにギューンとお肉成分が注入された気はする。


◇◆◇


さて、数日前に出現した問題は、けっこう最悪コースで進みつつある。
もはや立ち向かうしかないのであるが、くたばらないように注意したい。


2004年12月10日(金) 似てる。

目と口って、似てる。
上と下から開いたり閉じたりするものがあって、
その奥には、味わうものが内蔵されているところが。
語るところが。

◇◆◇

昨日は、ほんとはしなくちゃいけない仕事をしなかった。
それよりも心と身体の回復を優先させた。
社会的には(つまり〆切)まだ大丈夫なんだけど、
自分の中で「今日やろう」と思っていたことをしなくて、回復に全力を尽くした。
明日は(日にちからいけば今日だな)、楽しみにしていた所に行って、
会いたかった人たちに会うので。
それを味わうベースの所までは自分を持って行っておきたかったのだ。
その成果もあり、かなりいいところまで来たと思う。
昼寝のあとから読んでいた本に感謝だ。
2度ほど読んだ本だけど、まったく新しい、つまり切実な思いで読みふけった。
この世に新しいことなどひとつもないが、
切実さを持って見たり聞いたり書いたり演じたりすると、
それが新しいことになる。新しさとは、切実さだ。

やっぱり私は、言葉でグッと来るのが、いちばんグッと来る。
言葉による療法が、いちばん治りがはやい。
言葉には、落とし穴も、それはそれはたくさんあるけれど、
すばらしき良き面も、どっさりある。
少なくとも、言葉中心で暮らす私にとっては。
態度で示されるのは苦手だし、
底知れぬ想像や推測や思いの渦を作ってしまうので、ぐったりしてしまう。
良くも悪くも言葉でお願いしますって感じだ。





2004年12月09日(木) 作ろうと思えた。

髪が伸びてきた。
切ろうかこのままのばそうか迷っているところ。
仕事の時など、きゅっと結んで気合いを入れるのが好きではあるが、
何ヶ月か前に思い切って短くして、現在に至る感じも、悪くはなかった。
旅先で簡単だし。

色もどうしようか考える。
前に染めてだいぶたつから黒いところも増えちゃったし。
名前がそうだからってわけじゃないけど、緑がかった色にしてみたい気もする。
でも、髪の色はやはり心にも影響するらしく、
たしかどんとが頭を緑色にした時にいろんなことがおかしくなったと、
なにかで読んだような記憶もある…。あれ?赤の時だったかな?(真反対じゃん)
どんとみたいな真緑にするつもりではもちろんないのだが。

こんど美容院に行ってから決めよう。
あの気楽な美容院で。

それにしても、ね、眠い…。
仕事しなきゃいけないのに…。

◇◆◇

そしてあまりにも眠いので2時間ほど眠った。
ものすごい密度の眠りだった。ちょっと痩せたのではないかと思うほど。
しかし気分はいまひとつ晴れないまま、
単なるダジャレかもしれないが、むしろ腫れてるって感じのまま、
いちど読んだ本を何気なく読みたくなって、ほんの数ページ目に、
いまの私の心の中の、痛いってわかってるところを、
ぐぐぐいっと押すような部分があって、
何度も見返してはあまりの痛さにくすくす笑った。
そうだよ、わかってるよ、だからなんだよう、押すなよう、って。

昼寝の起き抜けには、黒酢入りのリンゴジュースが最高。


◇◆◇

さらに本を読み続けていくと、
まさしく最近の自分の状態や良いところやダメなところが、
それを書いた人のものとかなり似かよっていて、
そうそうそうそうそうそう…!と、心の中で言い続けた。
そして手放すべきなのに、手放せないでいるものは、
やはり手放すべきなのだということがよくわかった。
また、手放せないでいるのは、自分が何も作らずにいるからだということも。
本当はすでに手の中にないものをいつまでも持っていたくて、
手をもぞもぞさせているだけで、何も作っていないという、不健康な状態。
だからなにかを作ることにした。
なにかが何なのかは、そう思った瞬間、ぱぱっと決めた。
ちょっと前に思いついて作りかけていたものが、やっぱり答えだと思った。

昼寝しても晴れなかった気持ちが、ちょっと晴れた。


◇◆◇


ひとつひとつの問題ならばシンプルに考え、解決できても、
それがからみ合うと大変なことになり、時間もかかる。
「もう解決」と自分では思って、人にも宣言して、
でも全然違ったことが何度もあって、えらい目にあったりあわせたりした。
たぶん今もまだ途中だけど、なにかを作ろうという気になったのは、
かなり大きなステップだろうと思う。




2004年12月08日(水) おおお、音が。

昨日壊れたCDプレーヤーは、ゴムだけだと思っていたら、
また違う怪我もしてしまい、たぶん復活不能。
CDが聴けない生活は、いまちょっと考えられないので、
あとでハードオフにでも買いに行こうと思っているが、
計画通り、テレビとビデオ、ステレオ、プレステなどを一体化させた。
テレビの音も、ビデオの音も、ゲームの音も、DVDの音も、
ぜんぶスピーカーから出るようにした。
これがもう、うっとうしいのなんの。
ダンナが夜中まで取り組むドラクエの、馬鹿馬鹿しいほどの臨場感ときたら、
せっせと作業したことを後悔してしまったほどだった。
普通に見るテレビ番組も、かなり過剰な感じ。
料理コーナーで低音が響いてどうする。
いい音が邪魔なこともあるのだと知ってしまった。
しかし、朝っぱちからYMOのDVDとボ・ガンボスのビデオをかけてみると…、
すごい!こんな音がこんなとこに入ってたなんて!
ドラムやベースがぎゅんぎゅん聞こえるっ!
まだ眠るダンナの横でガンガンに鳴らしながら、
感動と感嘆の渦を巻き起こしてみた。

音はすごいなぁ。いろんなものがあらわれる。
自分自身が「あらわす」と言えば、つい字や目で見えるものを思うけれど、
音の「あらわし」っぷりもすばらしい。
当時は、クールで、何でもわかっててやってるように思えたYMOの面々が出す音の、
なんと手さぐりで、若くて、楽しそうなことか!
そしてたぶん、こんな音は、本人たちにももう出せない。
音と、それを記録するということ、そして再生するということ。
機械的にはどんどん簡単にできてしまうからこそ、
その純粋な良さと意味を味わいたいと、
ステレオをつなぎなおしたくらいで思えてしまうのであった。


2004年12月07日(火) 脇役の当事者。

ステレオが壊れた。
壊れたと言っても、定期的にCDプレーヤーのゴムが切れるだけなんだが、
(輪ゴムで代用しているので、弱いのだ)
上に乗ってるアンプ類をぜんぶどかして替えなきゃいけないので、
この際、テレビとステレオをひとまとめにする計画を遂行することにした。
楽しみな配線タイムだ。
機械の仕事をしようなんておそれおおいことはさらさら思わないけど、
家庭レベルの必要にかられた機械いじりは大好き。燃える。


◇◆◇


一難去ってまた一難。
自分の中の大きな問題を、ようやく溶かして蒸発させて見送りつつあるところに、
またぜんぜん違ったタイプの大問題がふりかかってきた。
どういう展開になるかは、ちょっと見えないが、簡単に行かないことは確かだろう。
思い悩みながら眠ったら、ものすごい寝汗をかいた。
しかしこれもまたなるようにしかならないし、
今度の件に関しては、何人かの関係者の中では、
私がいちばん冷静に考える役回りだと思うので、不幸中の楽(?)だ。
当事者だけど、脇役というか。
問題が起こって冷静に考えることは、そうだ、それこそ配線を考えるようで得意だ。
ひとたび感情がからむと、あっけなく混線・崩壊するのが致命的だが、
そういうことはほとんどない。その点の沸点は高い。
高いけれど、高いがゆえに、
沸点に達してしまうと自分でも手がつけられなくて、しょんぼり。

まぁ、それはさておき、しかし、やれやれ、だ…。



2004年12月06日(月) サンドイッチばやり

うちでは今、サンドイッチが大流行。
ほぼ毎日作っている。
ハムとレタスとチーズのベーシックなものが中心だが、
ゆで卵を入れてみたり、アーティチョークムースを入れてみたり、
チーズが入らなかったり、ブルーチーズになったり、
その時の冷蔵庫の事情でいろいろだ。
ベーコンエッグなどはダンナが熱狂的に好きで、
あまりの熱狂的さに、作った本人はまだ食べたことがないほど。
昨日はマッシュポテトに辛子明太子を混ぜたのを挟んでみた。
プラス、チーズとレタス。かなりのおいしさ。
(それを食べながら書いてます)
これからしばらくサンドイッチ道を開拓しようと思う。
そういえば、実家のツナサンドは、ゆで卵が細かく刻まれたものが混じっていて、
これが普通だと思っているが、どうなんだろうか。
ハハはいつからあのレシピを作り始めたのだろう…?

もし商売をするなら定食+ちょっと飲み屋だと思っていたが、
サンドイッチ屋もいいかも。ワゴン車でもできる。


◇◆◇


ここひと月は心身ともに破壊的な飲み方ばかりだったが、
この数日(ほんの…)、真っ当に飲めるようになってきた。
昨日もおとといも楽しかった。
しかしこの1ヵ月は長かった。
昨日は風邪を引きかけた気がしたので、お昼は過剰に布団を着込んで、
どっさり汗かきながら眠った。すっきりした。



2004年12月05日(日) 知らないところで

あの、身も心も空っぽにして作ったコッコデショの番組だが、
番組の中で少し紹介した、西日本各地の「太鼓台」を研究する人や、
実際に参加している人の間で、ビデオが見られているようだ。
それも、かなりの評価とともに。
こういうのって、すごくうれしい。
自分の知らないところで、自分が作ったものが、よろこばれているなんて。
さらにこれが、長崎出身者が懐かしむ、ということでなく、
(もちろんそんな見られかたもうれしいけれど)
太鼓台としてのコッコデショ、という見地から見てもらえるというのがうれしい。
自分自身が、どちらかと言えば「祭りの感動!」よりも、
「踊りそのもの」に心ひかれるタイプなので。

いろいろあったが、やってよかった。
こんなこと、一生に一度だ。
長崎に育って、くんちが好きで、中でもコッコデショがいちばん好きで、
テレビ局の人間でもないのに、そのコッコデショの番組を作るなんて、
まさに針に糸を通すようなものだった。二階から目薬だ。

今年も終わろうとしているが、
前半は「よりみち散歩」を出したこと、
後半はコッコデショ、このふたつに尽きる。
濃い一年であったことだよ。


2004年12月04日(土) 12月4日、朝。

いつものように、いちど8時に目が覚める。
眠たいので、また眠る。10時。
日課のHPをいくつか眺める。
紅茶を飲みたくなったので、
おととい買ったティーバッグのアールグレイを入れる。
あぁ、気軽。パッケージにアールグレイさんという人が載っていた。
人の名前だったんだ…。
好きな紅茶がアールグレイというだけで、
自分が真の紅茶好きじゃないってことがわかる。
単にベルガモットの匂いが好きということが、
紅茶を好きということよりも勝っているんだから。
しかもちょっと砂糖を入れた。薄いハチミツトーストも作った。

それを飲んだり食べたりしつつ、iPodでYMOを聴きながら、パソコンへ向かう。
パソコンかステレオで聴けばいいのにと思いながらも、ダンナは寝てるし、
「またYMOか…」とあきれられるのがわかるし、
この閉じた感じがいいのでiPodだ。
しかもiPodをパソコンで充電しながら。なぜか倒錯してる気がする。
そしてさらに、パソコンで読んでいるのは、これまたYMOのウェブマガジン。
全12回、YMOの歴史を、ここ1週間かけて、ちびちび読んできた。
さっき、最後の2回を、ついに読み終わる。
散開(一般的には解散ですが、YMOは解散を散開と言ったのでした)のとこで、
やはり静かに泣く。

雨がまたいい。
冬の雨の落ち着き。


◇◆◇


このところの、いくつもある懸案事項の大きなひとつに関して、
自分の中では行くところまで行ったというか、
かなりバカでまずいやり方で追うところまで追って、
そこから「待ち」に転じた状態になったのだが、そうなると、
「もういいか」という気持ちになった。
予想していたよりも待っているし、
そもそも待つということが苦手というか、興味がない。
バカでまずいやり方で追うよりも、静かに待つ方が自分を情けなく思う。
待つぐらいなら忘れたい。
と言いつつ忘れられないけれど、
生々しい感情は急速に薄れるという精神構造のようだ。
なんだって、やっぱり、なるようにしかならないから。自分の好きにはできない。
自分が好きにできることなんて、ほとんどない。自分のことはなおさら。
しても無駄だ、もっと悪くなるとわかっているのに、
なんだかんだとやらかしたりするのがいい例だ。
占い師は自分のことを占えないというのがよくわかる。
今の生活にたっぷり不満を持って鬱々と生きている人よりは、
3mmくらいは好きに生きてる気がするけど、ほんの3mmだ。
あとはどうにもならん!
(その3mmに、もちろん重きを置いてはいるけれど。)

「待つ」って行為は、未来に向けられているようで、
その実態は、過去の清算なのではないだろうか。
私は過去としての過去、
ドキュメンタリーとしての自分にほとんど興味がないから、
待てないのかもしれない。


日々は過ぎゆく。



2004年12月03日(金) 中途半端が困りもの。

今日も、古い建物で取材だった。
でも今日はそれほど重くなかった。
(昨日の取材は、久々の取材らしい取材で、その点は楽しかったが、
 建物にただよう空気に、ちょっとやられたのでした。)
やはり昨日の建物には、さまざまな人の思いの渦巻きが残っているのだろう。
今朝起きた時の肩の張りは、ただものではなかった。
あまりこんなことに、中途半端に敏感になるのは困りものだ。
実際困ってるし。
すごく感じたりわかったりするようになれば、
それ相応の身の振り方も対処の仕方もあろうが、このささやかさがくせものだ。
これ以上、自分のことをもてあましたくないのだが…。


2004年12月02日(木) Be quiet!

久しぶりにお店の取材をした。
新鮮、ではないけれど、久々の感覚が、心地良くさえあった。
ほんとうは、人と話さなくちゃいけないから、あまり得意ではない。
でも今日は「あぁ、自分はこういう人でもあったな」という感慨を深めた。
仕事という、自分の一部分。

これからどうなっていくんだろう、と思うけど、
今までもどうにかしてきたので、どうにかなっていくと思う。
どうにかしようともしているし。

◇◆◇

何日か前に、とあるカフェに行った。
そこにはおいしいコーヒーがある。
女の子がひとり、お客さんだった。
マスターに、私が好きなコーヒーを注文したら、
なんとそれだけがなかった。(ちょっとイヤな予感)
仕方ないし、たぶん他のコーヒーもおいしいだろうから、違うのにした。
窓際の席で、ひたすらボーッとした。
2階から下を眺めていると、短時間に2人も知ってる人が通った。
コーヒーが来て、でもやっぱり私が飲みたかったもののほうが好きな味だった。
ゆっくりゆっくり飲んでいると、
ちょっと常連らしいお客の女の子と、マスターが話しだした。
静かな店なので、イヤでも聞こえる。
二人はとにかく話した。ずーっと話した。
長崎って、ちょっと古いものもあって、大きすぎないところがいいとか、
お気に入りのカフェがどうのこうのとか、
でも、なんというか、いじわるく言うと、
スローライフをわかってる、心豊かなあたしら、というような気配が漂っている。
「このお店って、なんか居心地いいんですよねー」
「自分(マスターね)もここが大好きで、ずっといたいって思いますもん」
まー、いいんだけどさ、2人きりなら。
こっちは居心地悪いんですけど〜。
ぼんやりしたいのに、中途半端なスロー話を延々聞かされてさぁ〜。
あんまり楽しそうに話してるから、席を立つタイミングもわかんない。

しゃべりすぎる店はダメだと、あらためて思いまくった。
コーヒーはおいしいのになぁ…。




2004年12月01日(水) やすらいでみた

今日は妹と二人で「やすらぎ伊王島」へ。
なんど見ても、この「やすらぎ」ってなじめないけど、
温泉のお湯が好きなので行ってしまう。
往復乗船券とお風呂で980円というのもたいへん魅力的。
お風呂からの長崎の眺めも大好き。
たっぷり浸かって、サウナで汗もかいた。
そんでもって、これから飲みに行く。またかいっ!


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