ぴんよろ日記
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2004年11月30日(火) 私たちは「てんでしのぎ」です。

今朝はのんびりサンドイッチ。
ダンナには昨日と同じ中身。
自分には、ハム、アーティチョークムース、レタス、そしてブルーチーズ。
くくっ、やはりブルーチーズはステキ。格段においしかった。
そしてちょっと甘くした紅茶。

紅茶って、いつも遠い。
入れる時も、なんとなく気合いが入らない。
ポットを温めない時すらある。
コーヒーはちゃんとするのに。豆からゴリゴリするのに。
ひょっとして私には、ティーバッグでちょうどいいのかもしれない。
そしてコーヒーと紅茶をどちらか一生飲めないが、どっちにする?
と言われたら、10:0、いや、100:0でコーヒーを取る。
実際の嗜好を別にして、コーヒー的な人と、紅茶的な人って、
わりとすんなり分けられそうだ。
人だけじゃなく、ものごとも。

きのうの夜は「夢千代日記」を見た。
一日一話ずつ見ようかと思ったりもしたが、
性格的に無理だともわかっていたので、
けっきょく3時くらいまでかかって、五話ぜんぶ見た。
最初は、時代を感じさせる合成画面や、
ドリフのコントを思わせる(byダンナ)セットが気になりはしたものの、
じきにぐいぐい引き込まれ、しばしば涙。
4話の途中で号泣。5話でもまた涙。
やはりこのドラマの世界の空気や価値観もまた、
自分の体の奥底にびっちりと刻まれていることを再確認した。
それはひとことで言えば、絶対的な善や悪などないということだ。
そしてひとりひとりは、どうしようもなくひとりひとりで、
でも、よりそうこともできるというようなこと。

ダンナは三話目で意を決して眠った。名残惜しそうに。
はじめは、舞台が生まれ育った山陰ということに心を動かされていたようだが、
見ているうちに、ドラマ自体にはまりこんでいくのがよくわかった。
私はドラマもリアルタイム&再放送で見たし、脚本を持っているので、
いろんな伏線がわかり、それを言いたくてたまらない心と葛藤した。
何度も「言っていい?」と言っていやがられた。
四話目と五話目を、たぶん今夜また見るが、
やっぱり泣くだろうか…泣くだろうなぁ。

私たちは「てんでしのぎ」です。
…このドラマを象徴するセリフ。
「てんでしのぎ」とは、冬の荒れる海の中、
小さな船がそれぞれの身を守るしかない状態でいるようなこと。
相手が大変だとわかりつつ、自分も大変で、お互いにどうしようもなく、
しかし思いやりもしつつ、というようなことだ。
どうしようもなさと、思いやることができることのどちらに気持ちを置くかで、
おなじものも違って見えるし、実際に違ってくるのだろうと思う。

それにしても、この「夢千代日記」は小学5年生の時だったようだ。
YMOもちょうどおなじころから聴いていた。
その後の自分に大きく影響するものって、そのころに一度、出会うのかも。
なにがなんだかよくわからないままでも、かぎつけて、吸い込んでおくのかも。
子どもという状態はあなどれないな。
うん、「子ども」って、ただの「状態」だ。
本質や本性とはあんまり関係がない。


2004年11月29日(月) 11月29日、朝〜昼。

朝起きて、ダンナにサンドイッチを作った。
ハムとレタスとチーズとポテトサラダ入りの。
風邪気味のヤツは、それを持って出かけた。
まだ7時半すぎ。
自分にサンドイッチを作った。
ハムとレタスとアーティチョークムースの。
洗濯をはじめた。
9時に行くところがあるので、
あぁ、のんびりお出かけに向かう、いい1時間をすごそうと思った。
コーヒーを入れて、サンドイッチでも食べながら。
まだ時間はある。
新聞に手をかけながら、ビデオの時計がチラリと目に入る。

8:50

は?
ステレオの時計を見てみる。

8:50

は?
時計を見てみる。

さっきと変わってない。

メインの時計が止まっていたのでした。
気を取り直して、サンドイッチを冷蔵庫に入れ、さっと準備して、
バイクでブーンとでかけた。
9時20分に、行きたかったところには着いて、会いたかった人もいた。
それから1時間半ほど話す。
会いたかった人は、クリモトさんという、
知ってる人は知ってる、難儀な人生を歩むオジサン。
私の中には、クリモトさんにはすっと通じるんだけど、
あんまり話せる人がいないような考えの系統がひとつ確実にあって、
ひとりで考えたり書いたりすれば、それはそれでいいんだけど、
楽しく話せる人がいるならそれに越したことはないので、
クリモトさんが熊切さんのラジオに出る時は、駆けつけるようにしている。
今回も濃い内容だった。ありがとうクリモトさん。
印象深かったのは、
クリモトさんは毎日近所に捨ててある吸い殻を拾っているから、
タバコは常に誰かがくれるので、不自由してないという話。
「拾っているから→誰かがくれる」の間がすごく飛躍しているように思えるが、
(拾っている姿を見て、めぐんでもらってるのではありません)
そこが私にはビッと来る。説明はできるけど、しない。
そういう説明を抜きに話せるので、彼と話すのは楽しい。

彼はいま、小説を書いている。
3本「書かなくちゃいけない(だれも頼んでないが)」らしいんだけど、
内容を聞いたら、3本とも鼻血が出そうなテーマだった。
人に伝わるように書けるといいのだが…。

もうとっくの昔に終わっているはずの洗濯物のことをチラリと思いながら、
本屋に行く。何冊か手に取りつつ、買わずに出た。
メトロって、よほどほしかったものか、雑誌のたぐいしか買う気にさせない。
物質的にちゃんと並べるという以上の愛が回ってないんだと思う。

さらに洗濯物を気にしつつ、タワーレコードに行く。
YMOを2枚。「増殖」「テクノデリック」。

帰ってCDを聴きながら、シワが強くなりかけていた洗濯物を広げ、
サンドイッチを食べ、CDの解説を読みふけり、
もういちどずつCDを掛け、iPodに入れるため、パソコンに落としながら、
これを書いている。2枚とも、すばらしいとしか言いようがない。
この音楽と空気の数々を、体の奥底に刻んで育ったことが、
本当にうれしくてしょうがない。
リアルタイムというには、私は少々幼すぎたかもしれないが、
だからこそ、体に刻まれている気がする。
頭でわかりながら聴いてなくて良かった。
でも、この年代のこういう人間を「YMOチルドレン」と呼ぶらしい。
その点では、正真正銘だ。まさしく胸をはれる。

やっと朝から今までたどりついた。
これから甘い紅茶を入れて、次の仕事のことを考えます。


2004年11月28日(日) ズバリそれで賞

昨日は、私が強烈に、強烈ないい女だと思っている人んちで飲んだ。
たくさんの人がいたので、その人とはほんの少ししかしゃべらなかったけど、
強烈だからそれでいいのだ。
そして、そのほんの少しの会話で、核心をズバーンとついてきたので、
心からさわやかに感謝した。

このところ「考え&つきつめ祭り」が続行されているのだが、
ちょっと自分の顔がおかしいな、と思ってたのだ。
それはたぶん、人には、明らかには、わからないレベルなんだけど、
なんともいえない感じを持っていたのだった。
でもその人は、私のちょっとしたほころびを見逃さず、
何の現実的な理由も知らないまま、こう言いはなった。

「あんまり考えすぎると、ブスになっちゃうわよ」

そう、それ!



2004年11月27日(土) 世の中はケース。

おとといの新聞記事でびっくりしたこと。
iPodの周辺機器がたいへんに売れていて、
その中でもさらに売れているのが「ケース」だってこと。

私がいまもっとも時間をともにしている機械、iPod。
ものすごーくすばらしい。機械にこんなに感心したのは久しぶり。
パソコンは日々「すごいなー」と感心しながら使ってるけど、
もうかれこれ10年ほど付き合っているので、新鮮さは薄れている。
パソコンも、ほぼ「ないと生きていけない」状態だが、iPodもなかなかどうして。
お出かけの時も、いまやデジカメよりも持って歩く。
(写真はいまあまり撮る気がしないので、ほとんど持ち歩かない)

その、愛すべきiPodのケースが売れている、と。
iPodはたしかに傷つきやすい。
「なんでこんな素材で作ったの?」と突っ込まれても不思議じゃないほど。
指紋ベタベタ、傷カリカリ。
私のiPodも、1ヶ月でシブ〜くなってきた。
でも、使ってできる傷って、そんなに悪いもの?
いつまでもピカピカって、うれしいのかな?
辞書のビニールカバーとか、買ってすぐ取ってしまうタチなので、
もちろん「iPodにケース」なんて発想すらしなかったけど、
そうか、世の中の大勢はケースか…。

人が考えることは、人それぞれ。ということを深く思うここ数年だが、
またあらためて、その思いが進んでしまった。

それにしてもiPod。
機械が持つ「いらぬストレスをなくす」という良い面が力一杯発揮されている感じ。
拍手。


◇◆◇


これまで、ひときわ強く心に刻印された風景の感触。

・自分の心に対して明るすぎた、小学2年の時の春の光。
 →これより20年以上、春が嫌いに。ほぼ治ったけど。

・ある人とビルの屋上で見た、夜景。
 →いろんな意味で自由を感じた。

・ある人と歩きながら見た、夜の街。
 →感情によって景色などいくらでも変わることがわかった。共有できることも。

・初めてのひとり旅の、初めてのひとりの朝に広がっていた、知らない町。
 →ウソでも世界と自分が釣りあった気がした。

・ある人とビルの屋上で見た、夜景。その2。
 →時々ある、人生を変えるスイッチ。

・ある人と公園で見た、カシオペア座。
 →「最後の走馬燈」で見る映像のひとつだろう。

・徹夜明け、ひとりタクシーに乗って見た、絵よりも絵のような夜明け前の街。
 →たとえば神さまの、ごほうび。

見るべくして見るものがある。そして、本当は、みんなそう。





2004年11月26日(金) 今日から冬。

今日から冬。
この風の音は、今日から冬。
この空の色は、今日から冬。

冬は好き。
寒いけれど、冬は好き。
眠いけれど、冬は好き。

冬の次は春。
始まったばかりだとしても、冬の次は春。
ずっとあったまっていたくても、冬の次は春。

今日から冬。
今日からは、冬。


◇◆◇


何日か前、ひとりで長いドライブをした。
そしたら「すべての苦悩を取り除いて幸せになる」
というようなことが書いてある看板があって、
ぜんぜん違うと思った。
苦悩のない幸せがあるなんて思えない。


2004年11月25日(木) 曲芸のような1日。

このところ、あまりにも食べないでいられるので、
それにかまけて食べないでいると、やはり体は物質なので、
ときどきめまいがしたりしていたのだが、
昨日はダンナが休みだったので、
無理して遠くまでおいしいカレーを食べにでかけた。
佐賀の「白山文雅」というお店。
ここのカレーとハヤシは、他にない味。
もともと、ここに来ると、食後に動けなくなるほど食べてしまっていたのだが、
昨日も昨日の状態なりに、動けない感じまで食べた。
途中でスプーンを止めながら。
量としては、普段の半分くらいだけど。

そしてまた1時間ほど走り、鳥栖のアウトレットに行った。
私はその間ずっと眠っていた。眠りながらずっと考え事をしていた。
カレー屋さんに着く前の1時間も眠って考えていた。
「もぐり&つきつめ祭り」をすると決めているので、
体を休ませつつ、考えまくった。少しまた、いろいろ判明した。
アウトレットでは、ささやかに、2人合わせて1万円分の買い物をした。
ニット2枚とパンツ1枚。

帰りは眠らず、しゃべったり、考えたり、景色を見たり、運転したりした。
バイパスに入る前にステレオがオーバーヒートして鳴らなくなった。
私がその時どうしても聴きたかった曲をかけようとしたら。
まぁでもそれはそうなるからそうなるのだと思いつつ、バイパスを降り、
新しい回転寿司屋さんに行く。
思ったよりも店員さんが多くて若く、思ったよりもいろんなネタがあり、
そこそこの値段だった。近いのでときどき行くかもしれない。
そしてそのあと、10年ぶりくらいにボウリングをした。
少なくともダンナと会ってからはしていない。
だから2人でボウリングをするのは初めてなのだが、
寿司屋とおなじ建物にあるのでやってみることにした。
ボウリング場に上る階段が、すこぶる懐かしい。
中学高校の時はよく上ってた!この感触!

1ゲームだけした。面白かった。89点だった。くやしい。
しかし何よりびっくりしたのが、モニターに流れていた映像。
スペースシャワーTVだったと思うけど、
私たちがゲームをしている間だけ、
きっちり、教授(坂本龍一)がピアノを弾いていた。
スケッチショウの2人(高橋幸宏、細野晴臣)も、出てきた。
いま多分、長崎でいちばんYMOを聴き込んでいる私が、
10年ぶりにボウリングをするあいだ出てくる映像としては、
奇跡のようなものだ。

もう1ゲームしようかとも思ったけど、教授のピアノも終わったのでやめた。

車に乗って、ステレオにCDをかけたら、鳴った。
家に着くまで、聴きたかった曲が、すばらしい音で鳴った。
(うちの車のステレオは、道楽者のおかげで、ちょっとしたものなのです)
そして、ガレージに着いて、最後のブレーキを踏んだところで曲が終わった。




2004年11月24日(水) もぐる。

昨日は実家で妹とずっとしゃべっていた。
兄弟(姉妹か)のありがたさやすばらしさが、あらためて感じられた。
お茶を飲みながらしゃべりまくって、うどんを少しずつ食べた。
本棚に行って、昔読んだ本をいろいろ見て、今読みたい本を20冊ほど取った。
眠る前に、何度も読んだはずの本をめくると、
これまた今の気持ちにストライクな文章が続々と。
よくぞここまで直球だな、というようなことの連続。
特に(敬意を込めて)バカ太宰には参った。
もう、バカバカ。バカチン!
こんなもん小学生で読むなよう、自分。
あんた、ある意味、このバカチンそのままになっちゃうんだよ!
なんてことをグルグル思いながら、ビャーッと泣いて、早く寝た。

このところの自分が、なぜこのような精神状態になり、
それはどういう意味を持つのか、日に日に分かってきている。
(いろんな人に迷惑をかけながら)
分かるけれど、突きつめたところで、最終的にコントロールはできない。
分かって、できることだけをしながら、進んでいくしかない。

起きて、思った。
それならそれで、もぐってやれ。
無理に浮かび上がろうとするから苦しいんだ。
たぶん、これまでの自分をもぐりなおしたいんだろう。
ぐーっと深くもぐって、気が済んだら出てくればいい。
新しい本を、読むためだけに読まなくてもいい。

二度寝のように、これまでの自分にもぐることにした。

そんでもって、とりあえず「夢千代日記」のDVDを注文した。
うーん、もぐるにもほどがあるか。でももぐることに決めた。
しばらく帰らない。
この日記も、ますます深みにはまってしまうだろうが、
ひたひたと書いていくつもり。



2004年11月23日(火) さらさらとした

いま、すっごく最悪な気分。
自分がバカでイヤで最悪すぎて、
かえってさらさらしてる。灰みたい。
こんな気分は生まれてはじめて。
かわいたような、さらさらさ。

今日のよしもとばななさんの日記に、こんなことが書いてあって、
自分の精神のしくみと、今日の気分の大半を言い当てられた気がした。

「そんなに細かく見たら見られる側と見ている側がひとつにとけるだけだろう、
 そこには希望はないだろう、世界があるだけだ、というようなものだ」

希望、ないなぁ。でも絶望も、ない。ほんと、世界があるだけ。

いろんなものごとを見すぎて考えすぎる性質に、いまちょっとだけ疲れている。
でも治るものでもないので、なんとかして昇華させたいと考えはじめている。
そして、今日のこのさらさら感を手がかりにしていけばいいような気もする。

自分を少し休みたい。しかし休めないし、休んだら終わりだ。




2004年11月22日(月) ミックスフライ

夢。
けっこう信じている。
前にも書いたかもしれないけど、私の夢はけっこう実用的。
「頭の奥底で考えていることが、意識の表面に登ってくる前に現れてるんだろうな」
というようなものが多くて、夢に見たことで「なるほど」と思うことも多い。
時間をかけて考えたはずのことを、さっと納得させられるというか。
昨日もそんな夢を見て、
「あぁ、この件について自分の心は良い状態になってるな」とわかった。
ありがたかった。
良い状態と思いたいのは山々だったが、意識できる範囲では、
ちょっと自信が足りなかったので。

そして今日見たのは、食べものの夢。
夢の中で味が分かる私としては、好きなタイプの夢のひとつだが、
今日は試練だった。
まだお肉とフライものが食べられないというのに、
食べ物屋さんに入って出てきたのが、ミックスフライ定食。
海老フライ、コロッケ、チキンカツがぎっしり盛り合わされていて、
ごていねいにマヨネーズベースのソースが、細く格子状にかかっていた。
ちなみにそれを作って出してきたのは、
いま見はまっているYMOのライブ映像に出てくる、
デビット・パーマーというドラムのサポートメンバー。
このへんはさすがに夢っぽいが、
私にとってはミックスフライ定食をどうするかというのが猛烈な問題で、
でもちょっとおいしそうだったので、チキンカツをひときれだけ、さくっと食べた。
さすがに全部は食べられないと思ったけど、そのひときれだけはおいしいと思えた。
もうすぐフライも食べられるかも!



2004年11月20日(土) 女の子。

昨日は思いがけず、女の子がふたり、誕生日を祝ってくれた。
小さなお花と、入浴剤セットと、ケーキをくれた。
ほんとうに思いがけずだったので、とってもうれしかった。
そして一緒に飲んで、女の子っぽい話をした。
「男臭いのってあんまり得意じゃないよね」とか。

こう言っちゃ誤解を与えかねないが、私はわりと男に囲まれて暮らしている。
家にはダンナとオス猫。
仕事するのも男の人が多い。
飲むのもだいたいダンナのつながりだから男ばっかり。
でも自分にもたくさん男っぽいとこがあるから、なんの不自由も感じない。
女の子って基本的に昔から苦手だし。緊張するし。

しかし昨日はすごく新鮮だった。
中学や高校の時に、こんな感覚もあったよなぁ、という感じで。
そういや、自分も「女子」ってくくられてた時があったな、って。
なんてことないことを、クスクス笑いながら話すんだな、って。


2004年11月19日(金) ジェットコースターバースディ

今日は34回目の誕生日。
さまざまな感情や現実問題の渦にグルグルされ、
一日中ジェットコースターに乗っているようだった。
でも、スコーンと抜けて、いまとてもすっきりした、いい気分。
こんなさっぱりした気持ちは久々かも。
今日は悪酔いしない自信がある。
こないだはひどかった。数年来のひどさだった。
ということで、また飲みに行くのでありました。てへへ。



2004年11月18日(木) 反動

本を読めなかった精神状態から反動が来ているらしく、
福岡に半日行って帰ってきた昨日の夜から、
ちゃんと寝て、打ち合わせにも行き、
ドライヤーが壊れたので新しいのも買って、夕御飯の材料も買ったりした、
今日の夕方までに6冊の本を読んだ。
しかもそのうち2冊は部分的に読み返したりしながら。
そしてたぶん今日の夜までにあと2冊は読むだろう。
こんなとき、「ほどほど」なんて土に埋めてしまえ、と、
やっぱり思ってしまうのだった。


2004年11月17日(水) めずらしく実感

あさって誕生日だ。
今回の誕生日は、なぜか何日も前から実感がある。
もうすぐだ、来るなぁ…って。
いままではわりと「気づいたら今日だった」とか、
もうすぐだってことを、ちょっとだけわざと思いださないようにしていた気がする。
今回のこの感じは、たぶん最近あまりにも、
「時の流れ」「どうしたって、どーしようもないこと」
などについて考えていたからかもしれない。

そういえば、本来の予定日は今日だったらしい。
2日遅刻してきたということだ。
どうしていたんだろう。今とおなじで、お腹の中で考え事でもしてたか。

しかし自分の頭の中がどうなっていようと、
自分がこの世に出てきた、今くらいの気候が大好きだ。
こんな感じの空気を吸っているだけで、わけもなく良かったな、と思える。

11月19日。
ぞろ目でもないし、祝日でもないし、他の人にとっては、なんでもない日。
完全に休もうかな、と思っていたけど、
こんど新しくやる仕事の打ち合わせがその日にできないかと言われて、受けた。
逆にそれが嬉しかった。その仕事の打ち合わせが、その日になることが。
いい予感。

来年の今ごろ…どうしてるのか想像つかない。
去年の今ごろ…こんなふうだって思ってもいなかった。

そうやって、また新しい1年だ。


2004年11月16日(火) ふたきれ。

さっき、なんと焼肉を食べに行った。
そしてカルビとロースをひときれずつ食べた。
あとはササミ。塩タンもちょっと食べた。
でも、焼き肉屋に入れただけでも、
さらにお肉をふたきれ食べられただけでも大進歩だ。
前ほどではないけど、おいしいとも思えたし。
やせた分をキープしつつ、この調子で食べものの幸せを取り戻そう。
いつもじゃなくていいけど、たまにお肉を食べるのは嬉しかったから。


2004年11月15日(月) ときどき黒と銀色。

自分の身のまわりのもの、
特に洋服なんか、赤とか黄色とか緑とか青とか、
並べたらレインボーになるような原色系が多い。
部屋の中も、かなりカラフル。

でもときどき、違う。
携帯、カメラ、財布、バイク。
バイクなんかもともとは黒のボディで、グレーのシートだったけど、
わざわざ黒のシートに変え、ウインカーやミラーも黒にして、真っ黒仮面だ。
カラフルなものを選べるのに、黒や銀色を選ぶ。心から。
そういうときに、自分の中の無機質な部分が見えるような気もする。

いまは一歩間違えば
「ラブ&ピース地球はみんなひとつの命」的な人間に見られる危険性も、
なきにしもあらずかもしれない。ないか。
でもまぁ、そのルーツは、ピコピコテクノ少女なのであった。
じゃぁテクノが無機質かと言えば、それはぜんぜん違うと思ってはいるけれど。

すべてのものの裏側には、いつも違う色がひそんでいる。


2004年11月14日(日) 年明けは血と肉。

ボ・ガンボスのDVDや、ネットオークションでも出てなかったCDが、
来年の正月早々、どばーっと発売されるらしい。
いま、どんとのHPを見て、あまりのうれしさに鼻血が出そうになった。

もうとっくに死んでいたどんとを好きになって、
聴いて聴いて聴きたおして、イベントにも行って、沖縄までも行って、
自分の血となり肉となったところで、毎日聴くということはなくなった。
でも酔っぱらったらビデオを見て、疲れたらビデオを見て、
泣いたりするのは変わらない。
心が体から抜けそうになったら、たぶん見るのだろう。

最近は、ちょうど、どんとが世の中に出てきたころに、
別の人たちが作った音楽を聴きながら、
(でもそういえば、その人たちがどんとのバンドをいいと言ったことが、
 どんとが世に出たきっかけのひとつだったという経緯もあったような)
自分の「骨」または「根」の部分に降りたっているが、
たぶんこれが今年いっぱい続いて、
年が明けたら、血と肉の世界をもういちどくぐりなおすのだろう。

そうやって旅はつづいていく。


2004年11月13日(土) 花が咲いている。

ここひと月ほど、
自分の心の中のある部分を託している花がある。
ベランダの、去年かおととし植えたのを、そのままほったらかしていたら、
今年も細々と小さい花をつけ続けている、朝顔。

もう11月だから、いつ最後の花になってもおかしくないけど、
朝起きて咲いていたら、そのことに関して、あぁ、まだ大丈夫だ、とか、
やっぱりまだ続いてるんだ、とか、いろいろ思いすぎるほど思う。
たしかそんな、有名な話がありましたね。
葉っぱが落ちるのを見て、最後の1枚が落ちたら死んじゃうと思っていたら、
だれかその女の子を思うひとが、葉っぱを描いちゃうのでしたかしら。

私の場合は生き死にに関わることではないし、
だれに説明するようなことでもないし、説明する気もないけれど、
咲けばよし、咲かなくても、またよし、という感じで、
じいさんのように眺めているのでありました。


2004年11月10日(水) 12年前の、25年前の。

このところ、昔の自分に助けられている。
おもに、昔自分が好きだった音楽に。
そのころ夢中で聴いていて、それからしばらく聴いていなくて、
いままた聴いてみた音楽たち。
いろんな、いまとは違うことを、いまとは違うやり方で考えていたあのころ。
小さく、若く、いまよりもたぶん、不自由で、自由で。
背伸びをしていたかもしれないけど、でも大好きだった曲の数々。
昔を振り返ることなんてちっともしない性分だけど、
いまはそのころの自分がたのもしい。
これらの音楽を聴いていた彼女がいるから、いまの自分がいると言える。

自分の中の、ずーっと下の階に、トントントンと降りていって、
12年ぶりに、あるいは25年ぶりに開けた部屋の中で、
いまの私は、しばらくお茶を飲んでいる。


2004年11月08日(月) 本読み再開。

時間のペースだけは自分のものだが、
頭の中は、まだ混沌とした暮らし。
昨日、ようやく本を読むことを再開した。
こんなに本を読まなかった、いや、読めなかったのは、
たぶん物心ついてから初めてだ。
幼児期から、読んでばかりの人生であったから。
昨日、自分の枕元に本が2〜3冊あるという、よくあったはずの風景を見て、
ひどく懐かしいような、でもそれはそれで新しいような気持ちだった。

ほんとうに時間というものは過ぎてゆく。
昨日あったものが、今日はもうなく、
今日なかったものが、明日には生まれている。
変わるということだけが変わらない。

本を読むことは変わらないが、
読む本はそのつど変わっている。
しかし本を読むことさえ、できなくなることも、時にはある。

いろいろ勉強になった。

そして本を読むスピードが、どうやら前より速くなってしまっている。
脳みそエンジンがチューンナップされたか。
でもできるだけゆっくり読んでいきたい。


2004年11月06日(土) 考えたあげく考えないのが。

まだ編集の夢を見る。
使ってなかったいいカットや、いいコメントが見つかって、
さてこれをどこへ入れたらいちばんいいかな、なんて考えたりするような。
でも「いや、入れてもいいけど、入れない方がいい。いまあるのがやはりベストだ」
という答えに必ずたどりつくところが、またすごい。
夢の世界にあっても、悔いなし。

取材中も編集してからも、考えて考えて考え倒してかかったけれど、
結局はそれをぜんぶ壊して、
いつものようには考えられないほど切羽詰まりながら考え直して、
最後あたりは、いま思えば、なにか、イタコのような感じだった。
番組の中でも特に、猛烈に切羽詰まって作った数分間があるのだが、
そのあたりは何度見ても濃い。
考え詰めたあげくに、考えないで作るのが、なにかを作るときのポイントだと、
あらためてわかった次第だ。

それにしても、オンエアから一週間もたつのに、
まだぜんぜん、あの世界から抜けてない…。
お肉も食べられないし。
レバ刺しは食べられるので矛盾を感じないこともないが、
焼いたり揚げたり、かたまりだったりするお肉がまったくダメ。
おととい、ほんの一口だけ、いい豚肉を上手に焼いたのを食べたけど、
それでも体中から「食べちゃダメ!」と信号が来て、一瞬具合が悪くなった。
鶏肉はなんとかいけるが、
大好きなはずの焼き鳥も、まだ心から食べたいと思えない。
焼肉を食べる日は来るのだろうか…。

そして今夜は何度目かの打ち上げ。しみじみ飲もう。
お肉とのヘンな化学反応がないからか、酒は強くなってしまった…。
健康なのか病んでるのか、いいのか悪いのか、さっぱりわからない。



2004年11月02日(火) 偉い飲みもの。

私にとって、この世でいちばん偉い飲みもの。
(水はおいといて)
それはビールに決定した。
これまでもうすうすそう感じてはいたのだが、
今回の仕事を通じ、心からの賛辞をおくらずにはいられなくなった。
さまざまな節目で飲むビールの、恐ろしいほどのおいしさよ。
労働との密接な関係も、あらためて分かった。
番組を納品した、その日の打ち上げでは、
夏でも飲まない「生3杯」を軽く空けてしまった。
これからも、これまで以上に尊敬しながら飲んでいきたい。


2004年11月01日(月) 逆に茫然と。

久しぶりに本を読んだ。
読むつもりはなかったのだが、
いま考えあぐねていることへの答えが書いてある予感がして、
気づいたら開いていた。

ときどきこういうことがある。

また、今日読んだ本じゃないけれど、
あるカテゴリーの考えを進めているときの、
なにかスッキリしない局面を打破するため、本当に適当に開くと、
十中八九、答えが書いてあるという、魔法のような本もある。

それにしても今日ばかりは、自分の勘の冴えに目を見張った。
答えは、ちょっと前に何気なく買っていたその本の130ページに、
たった2行で過不足なく書かれていた。

あまりにも解決したので、逆に茫然としたほどだった。


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