ぴんよろ日記
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2004年08月26日(木) 突破口

昨日、弱音を吐いたコッコデショの取材だが、ちょっと光が見えた。
きのうの夜は急に取材を入れたいことが起ころうとしていたのだが、
カメラの手配は間に合わないだろうと思い、自分のデジカメで行った。
そしたら、人のインタビューを撮るつもりじゃなかったけど、
なぜか寄ってくる人などもいて、いろんな話が撮れてしまった。
そうそう、このデジカメの距離感!
「ブーメラン」で撮っていたころの素晴らしさを思い出した。
だからもう、こんな場所での人の話は、デジカメで聞こうと決意した。
それで、気持ちがずいぶん軽くなった。
ほんとうに、昨日の日記を書いたころは、気持ちが沈んでいた。
旅に出る前に浮き上がれて良かった。
取材が終わって、ラーメンを食べながら、ダンナに熱く語った。


2004年08月25日(水) 私はクロールで泳ぎたい。

コッコデショ取材に関する、弱音。

人がたくさんいれば、
いろんな考え方や、受け取り方が現れる。
それを、当事者でない人間が、しかしかたわらで見つめるというのは、
どうすればいいんだ、いや、どうしようもない、という状況で、
なんともすっきりしない。
その上、その傍観者に過ぎないはずの自分たちが、
ゴタゴタを加速させる一因でもあるんだと言われたら…。
今は「カメラが来ると、練習の雰囲気が(悪い方に)変わる」らしい。
ショック。
好きなものを悪くしているなんて。
(でも、ちゃんとそれを言ってくれる人がいて助かった)

慎重すぎるくらいにやってきたつもりだったが、
これまで以上に考えなくては。
空気になれればいちばんいいんだろうけど、
…私ひとりならそんな存在に近づけても、テレビの取材にはカメラがある。
普通に暮らしていれば、まず目の前に現れることのない異物。

原子とか分子とか、すごく小さいものの研究に関して、
観察者自身が発するエネルギーやなにかが、
観察しているものに対して影響を与え、結果を変えててしまう可能性もあるらしい。
でも、そんなの、小さい世界に行かなくても、目の前にある。
そして、考えてみりゃ、当たり前じゃん、と思う。
悲しいけど。
悲しいけど、ならば、それがいい方向に向かうように意識しておくしかない。
いてくれてよかったとまで言われるのは高望みだけど、
それに近いものを願っていよう。

そしてやっぱり、こういうテレビの仕事は、もうしないことにする。
私にとっては、あまりにも、何かがすり減る。
そうでないやり方もできるのだから、そうでない方でやりたい。

クロールが好きなのに、無理に平泳ぎをしていて、足がつりそうだ。


2004年08月21日(土) 華氏911

さっそく「華氏911」を観てきた。
映画をちっとも観ない私だが、体が勝手に動いたので、ついていった感じ。
冷静と呆然とが自分の中でぐじゃぐじゃに混じり合いながら、
一気に最後まで駆け抜けた。
これだけのものを、これだけのテンションを維持しながら作り込むのだから、
マイケル・ムーアという人は、よほどの人だと思った。
そしてたぶん彼は
「やらないでよければこんなことしたくないけど、どうしてだか、
 自分に天分としてめぐりめぐって割り当たっているようだから、
 なんとかベストを尽くしてるんだけど、ヘンかな」
というような気持ちなのではないかとも思った。
たとえば、今日の朝、普段だったら絶対だらだらしている時間に、
私の体がどうしてもこの映画を見に行くために動いたように。
自分の意思なんだけど、それだけじゃないというような。

アメリカではものすごい反響で、映画が終わったあとには、
スタンディングオベーションなどが起きているらしいが、
長崎の観客、しかも初日の一番の上映に駆けつけた人にしては、
悲しいかな、かなりのテンションの低さだった。
理由はいろいろ考えられる。
まず、言葉が多い。
インタビューがどんどんつなげられているので、次から次に字幕が現れて、
しかもそれを考えながら処理しなくちゃいけないから、
追いつけない人も多数出てくると思う。
さらに、舞台はアメリカで、出てくるのがほとんどアメリカ人。
これは当然の話だが、たぶんアメリカに住んでいれば、すっと分かる状況や、
言い回しや、共通の認識が土台になっている部分もあって、
その土台のなさゆえの、わかんなさがある。たとえば企業の名前など。

でも最大の原因は、
(もちろん私が観た回のお客さんがすべてを語るとは思わないけど)
これだけのものを見せられても、
これを自分とつながりのあるものとして捉えられないほど、
日本人がものを考えないようになることに、誰かが成功しているからだ。
ラストシーンが終わり、スタッフロールが始まった瞬間の、
堰を切ったような帰り方と言ったらなかった。

私の隣に座った初老の女性は、
映画が始まってからも、猛烈にケチャップ臭いホットドッグを食べ、
氷をガジャガジャ言わせてジュースを飲み、
20分ほどで眠りにつき、
帰りにはご丁寧にホットドッグの袋を床に残して去った。
彼女だってたぶん、この映画を観るに当たっては、
何かしらの、平和なら平和でもいいけど、思いがあって来たんだと思う。
しかし、そういう人に至っても、これだ。
日本人は、あのあからさまに頭の悪そうなイメージで語られるアメリカ人より、
もっと深刻な事態になってるんだろう。

だけど、暗い気持ちにはなるまい。
そんな気持ちこそが、誰かの思うツボの第一歩なんだから。

それにしても、これ、小泉バージョンも観てみたい。
アホさ加減ではブッシュに負けず劣らず作れると思う。
「摂氏815」とでもするか。



2004年08月18日(水) 数子おばちゃん

昨日初めて、占いの細木数子さんがしゃべるところを見た。
いままではテレビの番組のCMで、
彼女が発した強烈な単語だけを編集したものしか見たことなかったから、
そういうものが続くのはつらそうなので、見たいとも思わなかった。
昨日は、出先でたまたま番組がついていた。
服と指輪は派手だが、思っていたよりも素直で普通な人で、
親戚の世話焼きおばちゃんの女王みたいな感じだった。
そして肝心の「占い」は「世話焼き断言部分」への、
ちょっとしたスパイスでしかない。
「夫が事業に失敗したときに何と声をかければいいか」
数子おばちゃんの答えは、
「人生の肥やしになってよかったじゃない」
私もすごくそう思う。
「肥やし」ってあたりが、おばちゃん度満点。

たぶん今ぐらいが、数子おばちゃんの世話焼きに、
世間がついてこれるか来れないか、いい意味での限界点なんだろう。
そしてきっと、永遠にはこんな状態が続かないことを、
数子おばちゃんは分かっていて、そん時ゃそん時よ、と思っている。


2004年08月17日(火) ザーッと、

すごい雨。
今までたまりにたまって町を支配していた湿気が、
一気になだれている。
これでスーッとしてくれるとうれしいのだが。
いま外にいる人は大変だろうな。
これじゃ傘なんて役に立たない。ずぶぬれだ。

どんどん降れ。
いろんなものよ、流れ落ちろ。

雨上がりが楽しみ。


2004年08月16日(月) 精霊流し

昨日は精霊流しだった。
精霊船には死んだ人が乗っていて、
だいたい写真が飾ってある。
船を曳く人は、知り合いの知り合いみたいな人も、
特に大きな船ではいるけれど、
一番前の方は、故人に近い家族であることが多い。
だから気をつけて見てみると、
写真の顔と、そのそばで曳いている人の顔がよく似ていたりする。
ここ数年、精霊流しで涙腺がゆるみがちになってしまったが、
昨日、そのことに気づいてから、ますますだ。

最後の船着き&壊し場を通ったとき、
ちょうどメリメリバリバリと壊されていた船を見て驚いた。
このまえ自殺してしまった中学生の船だったから。
そしてその子のお父さんは、私が知っている人だ。
遠目で探すと、その人がいて、でも声をかけることはできなかった。
もう十何年も話していないし、
十何年ぶりに、そんな場所で何を話していいかわからなかった。
たくさん、同級生らしき子どもたちがいた。
船を流したことで、その人の心の状態が、少しでも次に行けたのならいいのだけど。

精霊流しはとってもうるさいけれど、
年々、私には静かなものに見えてくる。


2004年08月15日(日) 坂のじいちゃん

ある日ダンナが言った。
「あの坂の途中で、いつもじいちゃんが外ば見とると知っとる?」
私もよく通る坂。でも知らなかった。
そう言われて気をつけて見てみると、いつもじゃないけど、
たしかにじいちゃんがボーっと窓の外を見ている。
一度は、アパートの前の坂を散歩していた。
これまたボーっと道ばたの花を見ていた。

脂っ気のぜんぜんない、絵に描いたようなじいちゃん。
家族がいるのかいないのか、どんな物を食べているのかも、よくわからない。
でも私たちは、毎日のようにそこを通るたび、じいちゃんを探す。
特にダンナは、死んだ自分のじいちゃんに似ているらしく、気になるようだ。

私も死んだじいちゃんに似た人を見ると、
嬉しいような悲しいような気持ちになるから、
それが、いつも通る道で見かけられるのなら、きっと探してしまうだろう。
そしてたぶん、じいちゃんを見かけた一瞬、
じいちゃんと過ごした子ども時代に戻るのだと思う。

ダンナは小さいころに、
じいちゃんとも、生まれ育った町ともさよならしているから、
その瞬間を想像すると、じわっと目の奥が熱くゆるむ。


2004年08月13日(金) ここ数日のごはん

おとといの夜は、急に鶏のもも肉(骨付き)が食べたくなった。
1本300円ちょっと。
酒とナンプラーを下味に付けて、塩こしょうして、
ニンニクと唐辛子風味のオリーブオイルでじっくり焼いた。
弱火でのんびり。
トマトとパプリカとキュウリなどで作ったガスパチョは、
生のトマトがあまり好きでないダンナには不評だったが、
夏の疲れがびゅーっと飛んでいく感じだった。
生わかめが目についたので、さっと湯がいてごまドレッシングで。

昨日のお昼は、とにかく暑くてとにかく何もする気がせず、
しかしこれではいかん!と、納豆と辛子明太子と卵を、
残りごはんをチンして猛烈に混ぜてかきこむ。
キュウリを薄切りにして、江島醤油をかけただけのものが残っていたので、
それも出したが、前の晩より浸かっていて、良かった。
ちょっと元気になって、元気に昼寝。起きたらスッキリしていた。

その夜は、なぜかまた発作的にハムが食べたくなり、
「こんなことは1年に1度も思いつかないな…」とぼんやりしながら、
ちょっといいハムを買いに行く。
そしたら、パストラミビーフとかソーセージまでも手が勝手にカゴへ入れるので、
よほどそういうたぐいの物が食べたかったのかと、自分でもおかしい。
バゲットも買って、たくさん切れ目を入れて、
バターとオリーブオイルにニンニクをすりおろしたやつを塗って、
ちょっと焼いた。スペイン料理の本に載ってたガーリックトースト。
チーズとキュウリとハム2種。
トマトを小さめに切って、オリーブオイルと塩。
昨日の鶏もも肉の骨と、にんじん、たまねぎ、冬瓜のスープ。
シンプルなオムレツ。
椎茸とエリンギを、バゲットに塗った残りのにんにくオイルで炒めたもの。
ビールと一緒に、どんどん食べる。
時々、いろんなタイプのオープンサンドにしたのも素晴らしかった。

今日の昼。
バゲットと、ハムと、キュウリと、トマト…つまり残り物サンド。
残りのスープも。

で、これから、ひとりの夕食。ダンナは飲み会。
辛子明太子スパゲティを食べようかと思っていたのに、
体はごはんが食べたかったのか、手が勝手に米をといだ。
パプリカとナスとエリンギを網で焼いて、
砂糖、酢、塩、江島醤油、ごま油で和風マリネ。
ハスのきんぴら。
ソーセージをトースターでぱりっと焼いて、醤油を少し。
わかめのごま和え。
ニラのスープ。半熟煮卵(高山なおみさんのレシピ。常に作り置き)入り。
辛子明太子。

そういえばこないだ、ささみで作ったエビマヨもどきは良かった。
マヨネーズに練乳を混ぜておいて、
ナンプラーで下味を付けたささみを、卵と片栗粉を付けて揚げて、
アツアツのまま絡める。
真剣に、お店の味だったし、
これまで食べたエビマヨの中でもトップクラスだった。
気分によっては、マヨネーズソースにほんの少し豆板醤を入れるといいと思った。

…ということで、食べ物のことを考えたり、作ったり、食べたりするのが、
ほんとうに好きなのです。


2004年08月12日(木) 半分あっちへ。

今月末に、毎年恒例の山陰旅行に行く予定で、
すでに気持ちが半分あっちに飛んでいる。
そわそわ。
ちょうどカニがシーズンオフなのが悲しいけど、
今年はコッコデショの取材があるから、
9月の末なんて、ちょっと無理だなぁと思って、
ダンナの休みを8月末にしてもらった。
(車で寝泊まりするなら、9月の末がベストなのです)

それにしても毎年通っているので、
じわじわと土地勘が出てきてしまい、
ガイドブックで新しいお店の記事を見ても、
「あぁ、あの辺か」とすぐわかってしまう。
普段の自分のテリトリー以外にそういう土地があるっていうのが、
妙な気分でもあり、嬉しくもあり。

今回は8月の末だからまだ泳げると思うので泳ぎたい。
そして松江のおいしい牛タン屋さんで、牛タンを食べる。
境港の海鮮丼も。あ、大好きな二十世紀梨が真っ盛りだ。
もちろん出雲大社と須佐神社には行きたい。
行きか帰りには下関のビビンパと焼き肉も食べたいし… … …

ということで、心ここにあらずの日々でした。


2004年08月11日(水) 500円玉

貯金に関しては、挫折とさえ言えないような付き合い方をしているが、
500円玉を貯めることだけは、続いている。
もちろん貯めつつ、時に助けてもらったりしていて、
なにかの宴会のビンゴゲームだかで当たった「30万円貯まるBANK」という、
自分では絶対買わないような貯金箱の口は、
ある日、大口の「助け」が必要になったとき、三角形に壊された。
あれを壊すときは、さすがに少しだけ虚しかった。
自分の楽しみに使うために壊したわけでもなかったし。
そういやドライバーで割ったなぁ。

口が割られた30万円貯まるBANKって、かなり哀愁ただよってる。
ゲームでこれが当たったとき、なにものかのおぼしめしだと思って、
じゃぁ500円玉だけは貯めてみっか…と始めたんだったが。

それにしても、どうして、曲がりなりにも500円玉だけは貯められるのだろう。
…と、暑さのせいもあってか考えはじめてしまったのだが、
たぶん「物だから」だろうな、と思った。
500円玉って、いつまで経っても「お金」って感じがしないのだ。
メダルっていうか、景品っていうか。
物心ついたあとに登場したからかもしれないけど、
あの重さと大きさが、絶妙に「ただの物」っぽい。
だから「これを使おう!」という気持ちが遠のく。
そして、おまけのおもちゃを、とりあえず箱に放り込むような気持ちで、
口の割れた「30万円貯まるBANK」へ入れる。

で、必要に応じて、一抹のむなしさを覚えながら貯まった500円玉を数え、
「余ったお金を楽しみで貯めてます。気づいたら5万円にもなっちゃってて、
 だから今夜はフランス料理でも食べに行こうかなんて、ふふっ」
というような物語だけは持ちつつ、銀行で両替するのだが、
その時もやっぱり、「両替」っていうより「換金」という感覚だ。
いつも「おおっ、あのメダルたちが万札に!」と、チラリと思う。

と、ここまで書いて、前も同じようなことを書いた気にとらわれたけど、
暑いからいいや。


2004年08月09日(月) 59年目の天気雨。

今日は原爆の日。
私の部屋から見える一帯は、59年前の今ごろ、焼け野が原だった。
どんな匂いだったんだろう。

普段は原爆とか平和とか、
観光のネタのひとつくらいにしか思ってないイトウとかいう人が、
神妙な顔で平和宣言だってさー。ぷぷ。
「被爆体験の継承!」だなんて、
新興善壊した人間の言うことじゃなかろう。

戦争したくてたまんないコイズミとかいう人が、
退屈そうな顔して献花してるのも、
おつとめご苦労さんという感じで笑えた。
「平和憲法遵守」なんて心にもないこと言ってるし。

もちろん式の中心には、
「これで俺の名前が残る」と喜んだジイサンが作った像が。

矛盾を絵に描いたようなひととき。
頭のわるいオッサンたちの祭典。

絵に描いたようなことに包まれて、
そうでない、ほんとうのことが、ひとつひとつ消えていく。

国際的なナントカカントカ、
政治的なドウトカコウトカ、
そんなことを考える考えないは、どなたさまも自由だけど、
近くに原爆が落ちたら死ぬ、それだけは確実。
式典会場の「遺族席」という看板が見えたとき、
なぜかいままではそう思ってなかったけど、
そういえば親類の中には原爆で死んだ人がいるんだから、
自分が座っててもいいんだと思って、ズーンとした。

原爆でなんて、死にたくない。
即死ならまだしも、すごい火傷や放射能で苦しんで死ぬのはたまらん。
でも、そういうことって、
広島や長崎の人はわりと見聞きして育ってるけど、
よその土地や、ましてやアメリカの人なんて、知らないだろうから、
自分のとこに落とされたら?なんて想像することもできなくて、
「爆弾はスゴイ方がいい!作りたい!落としたい!」
って思うんだろうな。

あぁ、でも、死にたい人が落とすんじゃなくて、
殺したい人が落とすんだった。

殺されたくないなぁ。
あんな頭わるそうなオッサンたちには。

そんなことを考えていたら、大粒の天気雨が降ってきた。
久しぶりに雨を見た。
この雨が59年前に降っていたら、少しは、ほんの少しは、
たった数秒でも、焼けた体に気持ちがよかっただろうか。
でもその時降ったのは、いろんなものを吸い込んだ真っ黒い雨。
ちょこざいな言葉でお茶を濁す人々に代わって、
何よりの供養…になればいいけど。

それにしても天気雨。
意味深な、天気雨。


2004年08月08日(日) 打ち水

ここのところ、毎日暑い。
夜も暑いから、なんだか朝起きると体がカッカしているし、
ちょっと掃除機なんかかけると、汗が噴き出す。

そこで、シャワーを浴びる。
お風呂場を出た瞬間、ウソみたいにスーッとして、
シャワーは体への打ち水だな、って、
毎度毎度、飽きずに思う。


2004年08月05日(木) ただでさえ暑いのに

オリンピック。
テレビや新聞が言ってる感じの、10分の1の関心も持たない私だ。
「長嶋ジャパン」とか「金以外にはない」とか「フォアザフラッグ」とか、
だれも頼んでないのに、わーわーと気持ち悪いことを言ってる。

長嶋ジャパン…まだ生きてるのに弔い合戦状態。

金じゃなくてもいいじゃん。
それに、これまでそんなことを言えば言うほど取れなかったことを、
まだ学習してないのか。

また「感動したがりくん」や「お涙ちょうだいさん」が出てくるんだろうなぁ。

飾る人が飾ることに酔ってる飾り付けを取っぱらった、
そのものだけのスポーツを見たいんだけど、と思う。

選手の活躍を「直前に亡くなった父のおかげ」なんかにしないような感じで。


2004年08月03日(火) 長々と、あれこれ。

ふたつ、峠を越えた。
ひとつは夏が。昨日の夜の風は、秋の匂いとまではいかないけれど、
夏の終わりが遠くに見えた風だった。今までは見えなかった。
もうひとつは、足。
数日前アブに刺されて、思いっきり腫れて熱を持っていた。
今朝起きたら、まだ腫れてるけど、勢いは下降線だとハッキリしている。
良かった…。

なんにしても、つらいときは「ずっとこのままか」と思えて、
その状態に慣れすらするが、いつかは終わる。
もちろんいい時も終わってしまうけど、それはそれでいい。
花火を一日中見ていてもしょうがないのと同じ。
要は、花火を見に行く道中や帰ってからの時間も、どう楽しめているかだ。
日々の暮らしのベースのレベルアップというか。
もちろん気の持ちようの部分で。

◇◆◇

子ども。
これまた数日前、知り合いの赤ん坊と過ごす時間があったが、
あまりにもひとりの人間だったので、嬉しくなったり驚いたりした。
どうしようもなく小さくて、現実的なことはほとんど何もできないが、
すでに、あまりにもひとりの人間だった。
「赤ちゃん」とか「子ども」とか、ひとくくりにするなんて畏れ多いほど。
さらに昨日、4人の子どもたちがいる家に行き、
用件を数分で済ませ、あとは子どもたちと遊んでいたが、
おなじ親から生まれてきた4人なのに、
またまた強烈にそれぞれだった。
親とか兄弟とか、普通は揺らぎがたい関係だと思われがちだが、
それ以前の大前提で、年は違えど、ひとりの人間同士でしかない。
産んだ、産まれた、育てられたというのが強烈な縁だというのは動かないけど、
大前提は、ひとりひとりだ。

そう思えば「親兄弟の問題」とされていることで、
解決することは多いのではなかろうか。
でもなかなか思えない。
それは生きものとしての体の結びつきは、あなどれないから。

前にどこかで書いたかもしれないけど、
私は「私って子ども好き!」と公言する人を信じられなくて、
それは「犬好き、猫好き」とおなじに聞こえるからなんだけど、
この数日で、やはりその思いを深くした。

◇◆◇

昨日は、大好きな「ホスト」の番組があったので、しっかり見入った。
ホストクラブに行きたいとは毛の先ほども思わないが、
彼らを追う番組は、つい見てしまう。銀座のママがでてくるようなのも見る。
ホストたち…もう、私の年の人は出ていなくて、
今ナンバーワンという人も、
かつてナンバーワンで、いま自分の店を持ってるという人も、
どっちも妹と同じ年だった。

いま流行りの「自然体」や「等身大」を自分の中から追い出し、
ギラギラと背伸び以上に生きている人たち。
彼らの方が、よほど人間的に見える。
経営者の家で共同生活をしている若いホストたちが、
抜け殻のような顔をして冷やし中華を食べているシーンにグッと来た。
ナンバーワンのホストが、
野菜のいっぱい入ったスープを自分で作って食べているところも。

ひとつ心が痛むのは、
ラッパ飲みされている高級酒を造る人に気の毒だという点だが、
そのほかにもいろいろと見るべきものが多くて、見入るのであった。

◇◆◇

今日は長かったですね。


2004年08月02日(月) 主婦ライター。

主婦って何だろう。
時々肩書きに付けてる人がいるけど、それは何だろう。
結婚している女ということであれば、私もすぐに
「主婦ライター」
と名乗らなくては!
「人妻ライター」
もステキかしら…。
そういえば、女子サッカーのメンバーを取材したテレビで、
「人妻ボランチ」
という言い方をしていて、
それは始まったばかりの「報道ステーション」だったんだが、
そういうコメントを平気で書く人が作ってるってだけで見る気が失せた。
古舘伊知郎さんも、さすがに突っ込んでいた。
すごいよなー、その発想。

よくわからん。

あと、平安時代の日記の作者の名前(○○の娘とか)のような
「○○くんママ」
というのもよくわからん。
よくテレビ番組に送られてくるペンネームにあるやつ。
自分の子どもがまずいて、そんでもって、ママ。
「○○ちゃんママ」もあるけど「くん」が多い気がする。
赤子といえど、男。
そんなふうに名乗りたがる女は、やはり男への依存心が強いのか。
いずれにしても、人との関係の中で自分を位置づけている点がしょんぼり。
それと同時に、心の中には「もっとステキな本当のあたしはどこ?」
という思いがとぐろを巻いている。

だったら私はなんだ。「もぎくんママ」か。

「主婦ライター、もぎくんママ」

うへぇ〜。




2004年08月01日(日) ぬるい

ダンナの「ドラクエ7」がようやくエンディングを迎えた。
ほっとしたのもつかの間、
何と心ない友人が「ドラクエ5」を貸してくれたようだ。
あぁ、また謎解きと戦闘にかり出される日々。

「5」は、ずいぶん昔のもののリメイク版で、
私がクリアした最後のドラクエだ。
技術の進歩とやらで、
昔のものがまったく思い出せないような3D画面になっている。
それはまぁ、仕方ない。
でも、あまりにも驚いたのは、登場人物が死ななくなっていること。
「7」までは、敵の攻撃で体力が完全になくなると「しに」という表示になり、
教会で少なからぬお金を払って生き返らせていた。
それが、単なる気絶に変わっている。ぬるい、ぬるすぎる…。

なぜだろう。

まさかとは思うが、
「ゲームでは何度死んでも生き返る、
 そんな感覚を植え付けれらた子どもたちが犯罪を…」
という、脳天気な考え方が基になってないだろうな。
どうしてそうわかりやすい方に行くかなぁ。

こんなアホなことからコツコツと考えていこう。


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