ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2004年07月31日(土) 多幸感の午後。

いま、ひとりのいい時間。
夕方には賑やかになるであろう集まりにでかけるが、
いまはひとりでのんびり本を読んだりしている。
一緒に行くメンバーとダンナは、さっき出て行った。
いつもなら一緒に出たのかもしれないが、
しばらく家にいたかったし、したいこともあれこれあったので、
「私は行かない。あとで車で合流するから」と追い出すように。
そしてこの素晴らしい時間だ。

一度読んだお気に入りの本を読み返して、いろんな再発見をしたり、
洗濯したり、残りのカレーが気持ちよく片づいた皿を洗ったり、
シャワーを浴びたり、
ダメモトでツテもない雑誌に「よりみち散歩」を送る作業をしたり…。

果てしなく多幸感に包まれる土曜日の午後。

私が大好きな、
「遠いところに台風がある時の風が吹いている」のも、
「ひとりで遠くまで車を運転する予定になっている」のも、
なにもかもがツボにはまっている感じだ。
あと2時間ほど。大事に過ごそう。


2004年07月30日(金) うっすらと

いつもうっすらと笑っている人が怖い。
ほほえみの顔で自分を包んでいる人が。
絶対にここから中には入れさせないぞと言われているようで。
ここから外側だけを見なさいと言われているようで。

やたらまっすぐな瞳の人が怖い。
他のものを見ないようにしている人が。
その視界に入っているものだけが正しいと思っているようで。
そもそも正しいか正しくないか、そんな白黒も怖いので。


2004年07月26日(月) 気楽バンザイ!

夏休みなので髪を染めてみた。
そんな理由じゃ、いまどき中学生でも染めないか。
けっこう茶色。久々だ。
昔は赤い髪にしていたりしたこともあったが、最近はすっかり面倒で…。
こないだは、いつも行く近くの気楽な美容室が何度もいっぱいだったので、
近くだけど初めて行く、ちょっとコじゃれたところに行ったが、
またやはり、近くて気楽な方に行ってしまった。
「近い」「気楽」…それは私にとって、すばらしいポイントだ。
特に「気楽」は、とっても大事。
食べるとか飲むとかは、まだおいしければがんばれるけど、
髪をさわられたり切られたり洗われたりするのは、それだけで気が張るので、
他の部分で気をつかうのは極力抑えたいのだ。

どういうことが苦手かと言えば、自分のことについて質問されること。
「お仕事、今日はお休みですか」と聞かれたら、
もうそれだけでいろいろ考えなくてはならず、ぐったり。
でも実際答えるのは「えぇ、まぁ、はぁ、仕事といえば仕事なんですが」
など、相手にとってみれば、まったく要領を得ない。
会話は途切れ、気まずい雰囲気…。
「仕事といえば仕事」って、どんな仕事や。

その点、その店は楽。
いまの髪のどこに不満か、髪をどうしたいのか、
それ以外はほとんど何も聞かれない。
(でもこれに関しては、結構シビアに答えを求められる)
聞かれるのは…
「コーヒー、紅茶、お茶、あったかいのと冷たいの、どれがいいですか」
「ニモ(DVDがある)見ます?全部は見れませんけど(そりゃそうだ)」
「肩こってますか」
「ニモ、映像きれいでしょうっ?」
など、いま、この時、目の前のことについてだけだ。
パーマやカラーの、ぐるぐるあっためてる時間も、
こちらのことは気にかけず、パソコンに向かっていてくれる。
兄ちゃん1人でやってるから、若手スタッフがじっと見ていることもないし。

そういえばこの前、妹と美容室の話になり、
シャンプーが終わったときに店中のスタッフが
「お疲れ様でしたーっ!」と、居酒屋やブックオフのように声を張り上げる
…それが疲れる…と語り合った。

帰り際、なにかの拍子に「ダンナもお世話になってます」と言ったら、
「あー、そーですか〜、どーもー」だけで、まったく気にかけていない様子。
ふふふ…気が抜けるほど気楽な美容室だ。





2004年07月24日(土) snow bird

詞ができました。
生まれて初めてのこころみ、作詞をしておりました。
ジャズピアニスト&コンポーザーの小國雅香さんによる、
雲仙の冬をイメージした曲です。
曲に合わせて言葉を考えるというのは、
その曲を作った人の、なんというか、波長もからんでくるので、
思いもかけない言葉が自分から出てくるのが驚きでした。
あまりの思いもかけなさに、自分の人となりを見つめなおすほど。

曲が先にあったので、その曲をひたすらMDウォークマンで聴き、
そしてこっそり歌いながら書いたのですが、
これがまた、自分の歌の下手さに苦笑いしながらの作業でした。
歌詞自体は自分でもいいと思いながら書きつつ、
耳にしている歌があまりにもひどいので、こりゃどうなんだか…と。

もちろん歌うのは、ちゃんとした人が歌ってくれます。
だからそれを聴くのが楽しみ。
そしてたくさんの人が耳にしてくれたら嬉しいです。
タイトルは「snow bird」。雪の鳥です。


2004年07月23日(金) 談合、汚職、よりみち。

こないだK切氏に教えられ、毎日見ているHPがある。
長崎を中心とした談合情報などの、まぁいわゆるウラの世界のページなのだが、
時々、長崎がらみの本の話題が投稿されたりもする。
さっき開いたら「長崎を「さるく」ための本!」という項目があったので、
「ちっ、ナガジンかよ」と思って読んだら、
な、なんと「長崎よりみち散歩」であった!
私が「さるく」という言葉を嫌いなのはこの際棚に上げ、あのHPに、
数々の談合、汚職、その他告発情報などと並んで
我が本が紹介されたのが、なんともうれしい朝でした。


2004年07月21日(水) 毎日だ。

昨日からコッコデショの稽古が始まった。
これから10月の本番まで毎日だ。
取材は毎日というわけにはいかないけど、
撮影しない日も、できるだけ見に行こうと思っている。
だって彼らは毎日なのだ。
毎日なんて簡単に言うけど、毎日はすごい。
今日も明日もあさってもその次もその次もずっとということだ。
万障お繰り合わせまくりの日々なのだ。
しかも、この暑い中、大きな男たちがぎっしりと肩を寄せ合って、
太鼓山を上げたり、下げたり、歩いたり…。
思えば恐ろしいほど高密度な夏である。
さしあたってこの2週間ほどは、ひたすら歩く練習らしい。
地道だ…地道すぎる…。
彼らの心や体がいったいどうなるのか、
やはり想像は付かない。でも想像しなくては…!
だからせめて、通えるときは通おうと思っているのでした。


2004年07月20日(火) 夏休み

明日から子どもたちは夏休みらしい。
夏休みか…。
あの、朝起きても通う場所はなく、好きにしている日々。
宿題はあるものの、この時間にしなくてはいけない、ということでもない日々。
自分がやるべきこと、やりたいことを、
他の人と「せーの」で一緒にしなくてもいい日々。
あの道を通っちゃいけないとか、こんな服は着ちゃいけないとか、
そういうことを人から命令されない日々。
ひとりでいて、いい日々。

そして今、そういう意味では毎日が夏休みだ。
子どものころの自分に、この状態を教えたい。
そしたら何と言うだろう。
「そんなことだろうと思った」あたりか。


2004年07月18日(日)

昨日、この夏初めて梨を買った。
梨が好きだ。
山陰を思い出せるから。
親の親のずーっと親をたどった肉体のルーツは、
きっとどこかで南方系の中国につながっていると思うけど、
もしも魂なんてものにも前世やルーツがあるのなら、
そっちはきっと、いつのころかは知らないが、
山陰の方にいたことがあると思う。
あの、心が懐かしく落ち着く感じは不思議なくらい。
日本海の海の色。
逆に、太平洋をさほど見たいと思うことはない。
見れば、おー、広い!とは思うけど、自分の海ではない感じ。
ダンナが鳥取生まれなのも驚きだった。
よりによって!
そして毎年通っている。だいたい梨がある時期に。
だから梨を食べるときは、
シャクシャクと体の中に山陰の気配が満ちるのでありました。


2004年07月16日(金) ハードルはハードルに過ぎない。

昨日、初対面の人(TVちゃんぽんの川田金太郎さん)と仕事だった。
初対面の人は苦手なうえ、
私にとって「ハードルとなる要素」を
いくつか持っている人だというのが会ってすぐわかり、
どうなることかと思ったが、しばらくしゃべったら大丈夫になった。
そういう要素は「原則として」苦手なのであり、
その人のすべてを語るものではないから、トータルで良ければそれはそれだ。
障害物競争だって、ハードルは倒しても走っていっていいわけだし。

また敵を増やすかもしれないが、
私にとっての、昨日遭遇したハードルは、
「龍馬に心酔」「さだまさし命」「大きい声でしゃべり続ける」
で、かなり難易度の高いものだったが、なんか平気だった。
いや、むしろ楽しかった。
たぶん彼の(好みや表現は遠いところにあるけれど)、
人生へのスタンス、ある種の思い切り方という点では自分と近かったからだろう。

思えば逆に、好みや表現は近いので楽しく話したりするけれど、
そういうスタンスが全く違うから、
どこかあきらめた部分を持って付き合っている人もいる。
それはそれで、また別のハードルを倒して走っていることになる。

大小にかかわらず、ハードルはある。
思いこみやイメージのハードルは、ないに越したことはないし、
あっても倒して走ればいいや。



2004年07月14日(水) やがて雲が去り

ここ数日、心身両面にずどーんとやる気がなく、
それはそれは、近年まれに見るかなりのレベルのものだったので、
自分でも驚きつつ、しかしやるべき仕事もあり、
だましだましやり終えた。
いろいろ原因は考えられるが、もう底は見たという感じなので、
あとはジワジワ登っていこう。
ほんと、おかしいかも、っていうくらいだった。

でも、そんな中、とても救いになったのが、取材の時にひいたおみくじ。
孔子廟で「中国みくじ」というのがあったのでひいてみた。
今度の「観光さんぽ」にも書いたけど、メインの言葉以外は日本語訳がなく、
細かいことは全部漢文。
なんとなくわかるようでわからない気もする、真っ赤なおみくじだ。
そのメインのお言葉が効いた。

「ぶらぶらしてする事もなくうつうつとして志を得ないが
 やがて雲が去り月が輝くように幸運は一度にやって来るものだ。吉。」

「吉」ってとこがしぶいですね。

やがて雲が去り…なんとなく、今朝の通り雨を見ながら、
自分の中の何かも、ちょっと晴れていくような気がしました。
もっといろんなものを見極めたい。

そうそう、原因のひとつは、ぜったい「食べ過ぎが続いた」ことだと思う。
些細なことだと思ってることほど、気を付けて見るべきだ。



2004年07月11日(日) おなじ深さ

昨日の夜は、このところ私と実家にあれやこれやと起こった、
いくつかのいいこと、悪いことが一段落した、
お祝い兼打ち上げのような食事会だった。
…ほんとにいろいろあったなぁ…。
そのお店は、私が小学生の頃から行っているお店で、
なにかあると、じゃぁそこへ行こうか、というようなところ。
親二人と、妹とその彼と、私とダンナの6人で、気が遠くなるほど食べたのだが、
これが本当に、近来まれに見る気の遠さだった。

もともと、何を血迷ったか、
昼はおいしくない中華バイキングの店に行ってしまっていて、
そもそもスタート時のおなかが、心底のペコペコじゃなかったというのもある。
でも、そのお店の料理はおいしいし、お祝いだったので、
普段は頼まないステーキなども奮発したりしていて、
食事部分だけで、もう、かなりの気の遠さだった。
その上、アイスクリームとコーヒーをサービスしていただけるという。
うれしいやらボーッとするやらだったが、
アイスクリームは、なんとか別腹とやらに入っていった。
よしよし、食べたぞ、コーヒーで落ち着こう。
…そう思った矢先に出てきたのはコーヒーではなく、
どっしりとしたレアチーズタルトだった!

さすがに全員の目が大きく見開かれた。
衝撃は大きかった。
笑い出す者もいた。

そして私の目の前には、思いもしなかった光景がフラッシュバックした。

野崎島。

何の心の準備もないまま、初対面の人々と、町歩きのスニーカーを履き、
真夏のような暑さの中で5時間も上り下りした、山ヒルがウヨウヨいる山。
あのとき、今思えば、かなりの終盤だったけど、
「もうすぐですから。次の分かれ道からしばらく行くと、施設がありますから」
と言われ、ようやく光が見えたような気がした。
そして分かれ道にさしかかり、言われた方角を見ると、確かに建物があった。
ただそれは照り返しのきつい、木陰も何もない、
白くて熱い道が延々とのびた先に…。
呆然とした。
思わず、座り込んだ。
しばらく、キラキラする海を見ていた。

…どうやら、そのレアチーズタルトは、
あの気持ちと同じ深さのところまで衝撃を与えたらしい。

でも全員食べました。
あの道も結局は歩き通したように。
そしてきっと、ことあるごとに思い出すんだろうと思います。
「チーズケーキにはびっくりした!」って。
野崎の時を共にした人たちとも、また会いたくなりました。


2004年07月10日(土) 匂いを嗅いだ。

本を出して、いろいろな人に送ったり、渡したり、
はたまた本を出したんだってね、と声をかけられたりした。
それでわかった、興味深いことがある。
私の中で、あるひとつのカテゴリーに分けられる人々がいて、
そこの人たちは「もらえるんでしょう?」とか
「持ってくれば買うよ」的な空気や発言を出すことが多い。
それが、その人たち同士は特別に付き合いが深いというわけではないのに、
申し合わせたように、そのカテゴリーの人が同じようなことを言うので、
なんだかおかしくて、同時にそのカテゴリーそのものの性格というか、
「本質って、こんな時に出るよなー」と思った。
なにげない言葉やふるまいにこそ、その人やその組織は表される。
そしてそれは、当人たちにとっては、あまりに空気のようなものなので、
出してしまっていることにすら気づかない。意識的な抑えが効かないというか。
すごく変なたとえだけど、おならではなく、体臭。
いつのまにか発散されている。
「ケチくさい」っていうけど、なるほど、こんな匂いか。


2004年07月09日(金) 消耗猿。

ドラクエ猿は相変わらずのドラクエ三昧で、
多くの事物をドラクエ的なもの置き換えて認識している。
たとえばコーヒー牛乳を飲むときも、
「コーヒー牛乳を手に入れた。ピロリロリーン」
と、ゲームの中で大切なアイテムを入手したときの音楽を付ける。

まぁそれはそれで楽しいのだろうし、
謎解きの本を読むのと似たようなおもしろさがあるから、
ゲームのことを一概に否定はできない。
よく、子どもたちの事件の時など、
「ゲームでは簡単に命がリセットできるから云々」
ということを言う人がいるが、それはなんか違うと思う。
命の重さについての「わからなさ」は、もっと別のところに由来している気がする。

ただ、あの手のゲームは、
よほど遊ぶ時間をコントロールできる精神力がないと、体に悪い。
目と、脳と、体のバランスがみるみる崩れる。
ひとところにじーっとして硬くなっていく体と、
それに激しく反比例して、ギラギラしていく頭、
恐ろしい量の情報を処理する目玉。

ここ数日、ハタから見ていて、明らかにダンナがおかしい。
ほぼ毎日会っている男の子からも、やつれていると言われたらしい。
その存在感を、ひとことで言うならば、

ジャンキー。

早くクリアして、この世に帰ってきてほしい。


2004年07月07日(水) 泳いだ。

昨日、この夏初めて泳いだ。
けっこう猛烈に。
波があんまりなかったので、目標を決め、プール気分で何往復も。
頭の芯が疲れると出る悪いもやもやが、少しずつ消えていくのがわかった。
このところ、ずーっと出ていたので。
海はすごい。

今年も体脂肪率は順調に維持されているようで、いい浮かびを見せていた。
どーっと泳いで、疲れたらくらげのようにぷかぷかと浮いて空を眺める。
よくないものが消えて、体の中の目に見えない空間が掃除されていく気分。

たっぷり泳いで洋服に着替え、
いつもながらこの瞬間の、乾いて暖かい服の感じはすばらしいと思いながら、
そのへんの植物や岩を眺めると、ものすごい輪郭で目に迫ってくる。
どの葉っぱもバチバチに命のかたまり。
岩も、生き死にを超えた、なにかのかたまり。
これらは、こんなにもすごいのに、
どうして人間は自分のことを特別な存在だと思えるんだろうか。
わからん。
そして、これらと同じと思えば、死んでしまうこと自体は怖くなさそう。
あ、もちろん今はいやだ。この体や脳みそによって生きることが楽しいし。

泳いだ体で考えごとをするのも、さっぱりしてて面白かった。
いつもがごまだれなら、この時はポン酢。しつこくない。
また泳ぎたい。泳いだ目で葉っぱや岩を見たい。


2004年07月06日(火) 猿が一匹。

いま、ウチに猿が一匹いる。
ドラクエ猿。ダンナ。
30も過ぎてドラクエ猿もどうかと思うが、とにかく励んでいる。
今日が休みということで、昨日の夜は朝までやるのだと意気込み、
本当に7時頃までやっていた。
私も眠りにつくまではぼんやり見ていたし、
寝てからもずーっと音楽がなっていたので、
おかげさまで、ドラクエ実写版のような夢を見た。

でも朝までやりたい気持ちはよくわかる。
私もドラクエは5までクリアしたし、ファイナルファンタジーも5まで、
MOTHERも最後は号泣したりしていた。
ひどいときは2日も3日も、ほぼ起きている時間はやり続けたりしたが、
青くやつれた自分を鏡の中に見つけて「これはよくないのでは」と思ったことも。
まぁ、大学時代だったけど…。
それからは、ファイナルファンタジーは攻撃に反射神経が必要になってきたし、
(私にそういうものはありません)
ドラクエも、結局は同じことの繰り返しだから、なんかもう、やめた。
人生の時間をそういうものに費やすのが惜しいくらい、年をとったということか。

32にして人生の時間を出し惜しみしないダンナが今やっているのは、ドラクエ7。
いままで彼は、1から3くらいまではやりかけたことがあるが、
一度もドラクエシリーズをクリアしたことがないらしい。
それがいきなり7。
だからドラクエの基本的なコツが体に染みついていない。
「村全員の人の話を聞く」とか、
「その村が困らされていた大きな敵を倒したら、もう一度みんなの話を聞く」とか、
「夜になったときの話を聞いたら、いったん宿屋で寝てみる」とか。
(ドラクエしたことない人すみません)
だから「どうしたらいいんだ!」と嘆くダンナに、
「あの婆ちゃんにもう一回聞いてみたら」とアドバイスして、
だいたいその通りになるので、すごく尊敬される。長老になった気分。

しかし一つ、偉いなぁ、これはやっぱり生まれつきのもの?と思うのが、
私はわりと向こう見ずに旅をしたり戦ったりして、
しょっちゅう全滅していたのだが、ダンナはこれまでまったくしていない。
大きな敵に向かうときには、ちゃんと経験値を上げてから行っている。
話を聞いたり、謎解きをしたりということに関しては、
病気かと思うほどしつこい私だが、
戦いに関しては「非力でも万が一で勝つかも」と無謀にチャレンジ…全滅。
(「万が一」の使い方が間違ってる!)
ダンナはその逆。
でも結構なレベルまで「ぬののふく」を着ていたりして間抜け。

この手のゲームは、最終的な目的は一つしかないけど、
その道のりではとても人間性が出ておかしい。
がんばれ!猿!


2004年07月05日(月) 変なクセ。

原稿を書き出すと、なぜか耳がかゆくなる。
だから綿棒は必需品。
数行書いて、耳をかいて、それから本格的に書く。
変なクセだなぁ。
無性に眉毛を抜きたくなったりもする。
…ひょっとして、ツルの恩返し!?
身を削って書いていると言えば聞こえはいいが、
ちょっと違うし、なんだか、いやだぁ。


2004年07月04日(日) ぐれねこくん

ここ1ヶ月、昼も夜も家を空けることが多く、
もぎ氏(猫)におかれましては、心になにか暗いものが生まれたご様子。
妙にぴったり離れなかったり、かみつきの度合いが増したり。
その上、何日か前に、不意打ちのようにお風呂に入れたら、
(だって足にウンコがついてた)
その暗いものが、ぐっと増殖したようで、明らかになにかおかしい。
とあるところで「虐待レベルのおるすばん」という言葉を見たが、
ちょっと近かったかもしれない…。
これが犬だったらもっと大変なことになるのだろうか。
今は時間をかけて信頼関係を回復させるのみ…。


2004年07月02日(金) 定番茶

深酒した翌日の飲み物が決まった。
ポカリやウコン茶、グレープフルーツジュースなど、
これまでいろんな飲み物を試したけど、
ようやく運命の飲み物にたどりついた。

それはゴーヤミント茶。
ゴーヤ茶を、ベランダのミントをしこたま入れて作る。
麦茶すら体が受け付けない時も、これは大丈夫。
そして、飲むと、めきめき回復するのが分かる。

それ以前に、そこまで飲むんじゃないという気もするが、
飲む時は気づいたら飲んでいるのでしょうがない。

深酒の翌朝の定番茶だ。
今日もお世話になりました。


2004年07月01日(木) セミが。

セミが鳴いているのに気づいた。
この夏初めて。
この辺で本当に始めて鳴くセミかどうかはわからないが、
気づいたのは、さっきが初めてだ。
7月1日。
ダンナは早くから佐世保に出かけていきました。
去年の少年事件から1年。
こないだの少女事件から1ヶ月だそうです。
私は4時まで仕事していたので、なんだかボーッとしていて、
そこへセミが鳴くのでした。


トンビ |MAILHomePage