ぴんよろ日記
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2004年06月29日(火) カレンダー

何日か前、帰ってみたらカレンダーがごっそり落ちていた。
どうやらあまりの湿気に、両面テープが耐えきれなかったようだ。
私の部屋のカレンダーは、自分が撮った写真を使って
写真ソフトのおまけのカレンダー作成機能で作ったもので、
結局はこれがいちばん気に入っているので、カレンダーは買わない。
そのカレンダーを1月から7月分まで両面テープで貼っていたのだが、
1月の1枚を残して、全部落ちていた。

それだけのことと言えば言えるんだけど、
なんとなく「今年の残りの半分、さて何をする?」と言われた気がした。
近ごろちょっと、次にやりたいことについて、
考えたり手を動かしたりするのをさぼっていたから。

7月は、高千穂峡の滝の虹。
8月は、沖縄の「海山木(みやぎ)」という宿の窓。
9月は、同じく「海山木」の庭の壊れた箱に咲いていたホテイアオイの花。
10月は、大山の道を車で走りながら撮ったので、流れて見える林。
11月は、風邪引いて寝てた夕方に見上げた、夕暮れのベランダの葉っぱ。
12月は、野崎島の捨てられた家の跡にあった、草に覆われた大きな水瓶。

今年の残りのカレンダーを貼りながら、
自分で撮った写真には、時々とても好きなものがあるなぁ、と思いつつ、
(イラストでは思わない。あまりに自分が入りすぎるからだろう)
いろいろ気持ちを新たにしたことでした。


2004年06月28日(月) テレビ石

福岡で見た「平賀源内展」のグッズ売り場で、
テレビ石というものを買った。
たとえば印刷物の上にその石(短い円柱。どの面もつるりとしている)を乗せると、
上の平らな面に、下にあるはずの印刷物が写って見えるというもの。
それが不思議で、何度もいろんなものを見てしまう。

テレビ石っていうのは、あだ名みたいなもので、
正式な名前は「ウレキサイト」と言うらしい。
天然物もあるが、私が買ったのは合成もの。
「透明な繊維状結晶が完全に平行に整列した集合体で、外観上は白く見える。
 紙の上に乗せてみると、結晶がグラスファイバーの役割をして、
 下の文字が結晶表面に浮き出したように見えるので、テレビ石と呼ばれている」
んだそうです。

どんな風に見えるかは…なかなか文章では伝わらないと思うのですが、
その、テレビ石を置かなければ、なんてことない、注視することもない部分が、
それを置くことにより、驚きとともに、じっと見つめる対象になるという感覚に、
とても教わること多しだったのです。

テレビ石は、とにかくその下にあるものを浮き上がらせて見せるだけで、
大きくしたり、小さくしたり、歪ませたりということがありません。
でも、それを通してみることで、
普段は気にも止めないその辺にあるものが、妙に眼に迫ってくる。
そのものが、そのもののまま、もう一度とらえなおすことを求めてくる。

他の人はどうか知らないけど、これは私にとって理想の文章像です。
ウレキサイトな文を書けるよう、これからも精進したいです。


2004年06月24日(木) 調律。

この1ヶ月、いろんなことがあって、頭と体がごちゃごちゃしていた。
泣きたくなるほどの不幸とかでは全然ないんだが、
(ひょっとしたらそうなったかもしれない恐れはあったけど、まぬがれた)
いまも普段のペースとはかなり違う感じで暮らしている。
まぁそれも、忙しいわけでも、苦痛なわけでもないんだけど、
とにかく普段とは違うので、自分を意識的に調律しながら生きている感じだ。

調律、と言うのにはわけがあって、
今回のこの不安定さの波に乗るのに、音楽にとても助けられたのだ。
大好きな猫が死んだとき、どんとの歌にはずいぶんと助けられたけど、
その感じともまた違った。
今回お世話になったのは、身内だからってわけじゃないんだけど、
親戚のお姉さんが弾くピアノと、
何年か前に買って持っていた、ギターのCDだ。
特定のメロディ…というより、
(もちろん私が聞いているのは曲の形をしているのだけど)
それを形づくっている一音一音を奏でるその人の心のありようや、
演奏に対する姿勢が、不安定になっている私の心へ音に姿を変えて入り込み、
まさにスッと調律してくれている感じだったのだ。
その調べを聴く前と後では、どうしてだかは説明ができないけど、
明らかに心の状態が違っていた。

音楽には、いわゆる音楽以上の力があるなぁ、と思った。



2004年06月21日(月) 落ち着かないよう。

髪を切った。
ここ数年でも最高に短く。
ここまでするつもりはなかったのだが、あれよあれよと。

悪くないという声、小学生のようだという声…いろいろ聞かれはするが、
見た目がどうのというよりも、なんだか落ち着かない。
洗うのはらくちんだけど、妙に落ち着かない。
頭がホワーッとしっぱなしというか。

うーん。もう少し伸びないかなぁ。


2004年06月09日(水) 失礼してない。

インターネットの中で使われがちな言葉で、嫌いなものはたくさんある。
そのひとつが、あいさつがわりの「失礼します」だ。
いつもその人が書き込んでいるわけではない掲示板に、
何ごとかの告知をするときなどに多く見られる。
「突然の書き込み失礼します」とか。
そんでもって、延々とイベントの内容が綴られたりしている。
その後、それを書いた人が掲示板に書き込むことなんてほとんどない。

この場合の「失礼します」は、
「私はこれから私が言いたいことを言うだけ言うので聞くように」ということだ。

だいたいのHPは、ちょっと探せば、
それを作っている人へメールが出せるようになっている。
だから本当に「突然の書き込み」が「失礼」だと思っているなら、
一度メールを出して聞けばいい。
でもそんなことはしない。
そのあげく「不適切だったら削除してください」なんて、
これまた慇懃に書いてあったりする。

人んちの玄関にいきなりやってきて、どっさりチラシを置いたあげく、
「必要なければそちらで処分の方、よろしかったでしょうか」
というようなものだ。

思ってもいないことを文字にするむなしさよ…。


2004年06月08日(火) こ、これが…?

いまとても身近な人が入院していて、毎日病院へ通っている。
病気はもう、治るだけだから、時間が解決してくれると思っているが、
(だからこそ、こんなことものんきに書いていられるんだけど)
それにしても、病院のごはんというのは、大丈夫なのか?あれで。
私が見た、ここ数回のメニューだけでも、なかなか驚かされた。
冷え切って油がまわったような唐揚げとか、
噛みきれないようなイカが入ったサラダとか、
ぐっちゃりどろどろな皿うどんとか、
ちくわのカレー揚げと魚フライときんぴらのセットという、君はノリ弁か!
というものまで。
しかもお吸い物は思いっきり調味料臭いし。
これが病気を治すための食べ物だろうか…?
先生からは「食べて体力を付けるしかない」というようなことを言われるのだが、
本人はごはんのふたを開けただけで、遠い目をする。
たとえ健康なときでも、よほど、よほどお腹が減っていて、
その上割り切らないと手が出ないような食べ物を、どうして今食べられようか。

ひどい病院じゃないんです。
先生も看護婦さんもすごくいい人たちだし、信頼できる。
ただ…このごはんは…。

だから野菜スープなどを作って持って行くのだが、
それはペロリと食べられます。
別に難しいことなんて全然していない、簡単なスープ。
でももし、病院の食事に頼るしかない人だったら、
食べられなくて、体力もつかなくて、治るのはどんどん遅くなるだろう。

食べることは、本当に大切です。
そしてそれは、難しいことでは、本来はないはず。
当たり前のことって、そんなに遠いことなのかなぁ。




2004年06月06日(日) そんな夢のようなことが

久しぶりにばあちゃんと会った。
梅雨の晴れ間だね、と話していたら、
終戦の年の、ちょうどこの時期に、食料調達の買い出しに行った話が出た。
長崎の町から一山超えるあたりの農家に頼んで、
その時はジャガイモと豆を買えて、家族がとても喜んだと。
ばあちゃんのお父さん、つまり私のひいじいちゃんがまだ5〜60歳くらいで、
元気にリヤカーを引いて行ったらしい。
私は寝たきりのひいじいちゃんしか見たことがないが、
彼は若いころアメリカへ渡り、バリバリ働いて戻ってきた人だ。
そんなひいじいちゃんが、ある時、みんなをびっくりさせた。
そのころ、食べものは、野菜は八百屋さん、米は米屋さん、魚は魚屋さんで、
時にご用聞きに注文しておいて、ひとつひとつ買い求めるものだった。
(本当に物のない時は、買えるだけでも御の字だった)
でも、ひいじいちゃんはこう言った。
「アメリカにはたくさんの品物が並んでいて、
 自由に選んで、最後にまとめて一度、お金を払えばいい店がある。
 きっと日本にもそんな店ができて、そういうふうに物を買えるようになる」
つまり、スーパーのことだ。
それを聞いた家族みんなは、心から驚いたという。
ひいばあちゃんに至っては、
「そんな夢のようなことがあるんですか?」とききかえしたそうだ。

いま聞けば、その家族の光景の方が夢のようだ。


2004年06月02日(水) 大義名分

どれだけの影響力があるか、怪しくないわけではないけれど、
「長崎の港をぶった切る橋ができる2006年に向けて、
 長崎の観光をより良いものにいたしましょう」という動きがある。
そして私は、それについて、大いに心配している。
「観光という大義名分」によって、たくさんのものが壊されると予想している。

観光は、それをする側が、その土地の「光を観る」ことであって、
される側が意図的に、それを目的とした「光を作る」ことではない。

思ってもみてください。
「オレはこんなにカッコいいんだから、
 さぁ、そこのオバサン、ボトルを入れてください」
と言ってるようなものだ。
世の中にはそういう男の人がいて、もちろんそれはそれで、
ある瞬間は夢やお金が素敵に行き来している。
でもそれは、結局は、嘘でしょう?

わかっててやる「観光」なんて、スケベ心以外の何ものでもない。
市民総出でもみ手してるような町に、だれが来たいものか。

私は、そういう意味での長崎の観光のことなんて、ぜんぜん考えるつもりはない。
プレスで書いている「ナガサキ観光さんぽ」という連載は、
すでに固定化されてしまった「観光地」を、
もういちど長崎の人に向けて解き放ちたいという、ささやかな試みだ。
観光は、考えてやれることじゃない。
そういう人たちがよく口にする「本物を求める人たち」は、
用意された観光の仕掛けになんてだまされない。
心ある旅の人というのは、
その土地の人が、町と暮らしを愛している時間と空間に、スッと来て、共有し、
取り立ててひけらかさなくても、自分なりの何かを得て帰ってゆく。

もちろん、きっちり楽しませてくれる部分はあっていい。
だけどそれを、路地裏にまで押し広げるのは、
日常や生活に対する「大義名分」の暴力になってしまうのだ。

有事法では「事」が起こると、
民家の庭でも必要とあらば開放しなくてはいけないらしい。
それと同じで「観光のため」と言われれば、
暮らしの中で大切にされているものや空間が
踏み荒らされることも大いに考えられるし、
すでにそうなっている所も増えてきた。
私は私なりに、違うだろ、と思い、
これからも何らかの形で書いたりしていくつもりだが、
きっとたくさんのものや空気が姿を消すと思うので、
いまのうちに見ておいた方がいいだろう。

ただ、どれだけ長崎の上っ面がそうやって荒れてしまっても、
この特筆すべき地理、地形、自然の価値は変わらないので、
それだけでも長崎は、本質的に救われてしまっている。
すべてをなくしても、またそこからやっていけるだろう。
国破れかぶれて山河あり…私が予測する、長崎のこれからだ。


2004年06月01日(火) 夏のはじめの1日。

ちょうど一年前に、子猫が来たこの日、
帰り道に、一年前の子猫くらいの子猫が死んでいた。
困ったことに、そこをそのあと2度も通らなくてはいけなくて、
でも、2度目には、より静かな茂みへだれかが移してくれていて、
白くて細くて小さな足だけが見えていた。
こうなったからには、どんどん、だれかにおいしく食べられればいいな、と思った。
一年前の子猫は、すっかり大きくなって、いま、私の後ろで目を細めて座っている。
ここからちょっと離れた町では、子どもが子どもを殺してしまった。
殺した子どもの足首がテレビにうつって、それはとても細かった。
私はといえば、祭りの始まりを追いかけて、今年いちばん、汗をかいた。
死んだり、生きたり、殺したり。
ぐるぐると回る、夏のはじめの1日。


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