ぴんよろ日記
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2003年12月23日(火) 呼吸している。

コーヒーが好きで、外でも家でもよく飲む。
飲まない日は、たいてい二日酔いの日だ。
ものすごい二日酔いを三日四日引きずるときもあるが、
それ以外の日は、ほぼ飲む。
家で飲むときは、豆をゴリゴリひいている。
水にもうんちく垂れたいところだが、気軽に水道水。
一時期、ミネラルウォーターを買っていたが、
ペットボトルの増え加減に嫌気がさしてしまったのだ。

豆は、ファディという業務用食材屋さんで買っている。
いろんな豆があって楽しいというのもあるのだが、
ここの豆が真空パックじゃないところに惚れている。
この店で買うまでは、真空パックが新鮮なのだ!と思って、
豆をパックしてもらっていた。
でも、ファディの袋には「コーヒーが呼吸できるように紙パック」と書いてあったのだ。
うーむ。確かに。
真空パックって、つまり「窒息仮死状態」にするってことだ。
長期間保存するならともかく、少量の豆を買って、
短い期間で飲みきるのであれば、窒息してない方が元気だろう。

ファディは家から遠いので、一度豆が切れた時、街のコーヒー屋さんで、
豆のまま、パックにしないで、と言って買った。
「えっ?しなくていいんですか?」といぶかしがられたが、
それ以前に、そこにある豆は、どこかから大きな真空パックに入って来たものだったので、
(私が買おうとした豆が店頭の分では足りず、奥から持って来た)
買う時にだけパックしないというのは、あまり意味も無かったようだ。

それで、いつものようにゴリゴリひいて入れたのだが、
これがまた、入れてるときのふんわり加減も、味も香りも全然違うのであった。

ちなみにファディでお気に入りなのは「OZAKIマイスターブレンド」。
どうやら尾崎さんという、コーヒー部門のえらい人がいるらしく、
店頭では、その尾崎さんの「コーヒー入れ方教室」のビデオがエンドレスで流れている。
でも、月替わりのスペシャルコーヒーも、いろんな味がしておいしい。

…とまぁ、こうやって、生活のひとつひとつのパーツに、
どんどん後戻りできない「うんちくたらたら」がこびりついていくのでした。



2003年12月21日(日) 初めての「北の国から」。

これまでの人生でぜんぜん見てなかった「北の国から」を、
ここ数日、どうもダンナが見たがっているようなので、
付き合いでちょっとだけ見た。
なるほどなぁ、という気はした。
こりゃたくさんの人が見るわ、という感じ。
でも、リアルタイムで見たわけではないので、
隣のクラスの同窓会に来たような気分だった。

新参者の感想としては、やはり…、

不幸の量が多すぎてつらい…。
ここぞというところで、さだまさしの声が大き過ぎる。
(慣れている人には麻薬と同じで気にならないのかも)
ケガや病気の人が出ると、つい「コトー先生なら治すのでは」と思ってしまう。

などでした。
(ファンの方には申し訳ないです)

ちなみにいちばん好きだった登場人物は「トド」のおじさん。
ああいうキャラに弱いです。


2003年12月20日(土) ウニとインド

小さい頃から珍味ものが大好きだ。
肉は内蔵の方が、魚はワタや目玉が、
そしてウニやイクラはもちろん大歓迎である。
よく「寿司屋で安くつく人」という嗜好の表し方があるが、
私は間違いなく、高くつく人だ。すみません。

ウニとイクラ。
これは私の中で複雑な勢力地図を描いていて、
「いいウニといいイクラだったら、だんぜんいいウニだが、
いいウニに出会う確率は、ほどほどのイクラと出会う確率に比べると
かなり低いので、そこそこの寿司屋であっても、
ウニとイクラがあったら、イクラにしといた方が後悔しない、
で、でも純粋にはウニが好き、だけどイクラのプツプツ感も…」
というように、果てしなく続いていく。

まぁ、そんなにまともな寿司屋に行く機会もなく、
まさか回転寿司屋でウニを取るほど阿呆でもないので、
最近はついイクラに気持ちが傾きがちだった。

しかし、先日、野崎島の集まりで、福岡のライターさんがウニを持ってきた。
なんと彼女は壱岐のウニ屋さんの娘さんだった。
彼女が持ってきた、ラベルも貼っていない瓶に詰まっていたのは、
バフンウニに自然塩でひと塩したもの。
それはもう、すばらしい味で、ぎゅっと詰まったウニの味と、
そこに、磯の香りというよりも、
壱岐ののどかな草っぱらに寝っころがっていると、
あぁ、風に乗って海の香りもするねー、というような風味がするのだった。
思わず「イクラに傾きかけていた心がウニに引き戻された!」と告白してしまった。

それから一週間、彼女がくれた「するめウニ」を毎日食べている。
みじん切りにされたスルメがウニであえてあるものだが、
これがまたご飯に合う。このためにご飯を炊いているようなものだ。

彼女はいま、インドに行っている。
それで、ウニを食べるたびに、インドを旅している彼女のことを思う。
暑いのかな、どんな景色を見てるのかな、お腹壊してないかな、
人生観変わったりしてるんだろうか、など。

知っている人が旅をしていると、
その人のことを思っている時間の一瞬だけ、
自分の意識がそこに飛ぶような気がする。
衛生上相性がいいかどうかは分からないが、想像の世界だからいいだろう。
ウニを食べると、インドに行けるこのごろだ。




2003年12月19日(金) 我輩は縄張りである。

名前は一応、あるのだが…。

今朝、ファンヒーターの温風にあたり、
新聞を読みながら目を覚ましていたら、
もぎ氏(cat)がやってきて、
私に向かって臀部を振動させた。
つまり…縄張りにマーキングする行為を。

あたしゃ縄張りか。


2003年12月18日(木) すごい嫁。

私にしては、外に出て人と話す仕事が多い日々、
かなり疲れてしまい、寝る前くらいは心安らぎタイムにしようと、
つい買ってしまっていた本を広げていた。
大好きな超古代アヤシイ文書系。
ふふふ…と楽しく読んでいたら、横にいたダンナが驚きの声を上げた。
「あぁびっくりした!」と。
どうやらその本の中にズラッと並んでいた神代文字が目に入り、
(章のトビラにデザインとして使われていたものなのだが)
○や△が組み合わされた奇怪な文字を、
私がスラスラ読んでいたと思ったらしい。
まぁ、ゆくゆくは読めるようになりたいですが、
まだちょっと、そこまでは…。


2003年12月15日(月) 15時間の福岡。

昨日の夜福岡に行って、今日の朝帰って来た。
「三島物語」で知り合った人たちと飲むために。
一緒に飲んだりする友人、知り合いが極端に少ない私としては、
たった1度一緒に旅行した人たちと、またこうして集まるなんて、
ほんとうに驚くべきことだ。奇跡的といってもいい。
7時から翌1時過ぎまで、よくしゃべり、ほどほどに飲んだ。

人生初のカプセルホテルに泊まった。
サウナに入ったら、フセインが捕まっていた。
いい気分の時に顔を見たくなかったので、ブッシュの演説を避けて出た。
カプセルは、永遠の夜という感じで、変な気分だった。
自分が蜂の子かなんかになったような。
でも、嫌いじゃなかった。妙なくつろぎがあった。あくまで妙なんだけど。
夜中のサウナは、私以外はほとんどがコリアンの人々で、
どこの国にいるのかわからない。
子どもみたいに、ほんとに胸がないお姉ちゃんと、
手術で片胸を取ったおばさんと、
背中にざっくり傷があるおばさんがいた。

昨日の夜の待ち合わせは「わしたショップ」にしてもらい、
大好きな「わしたポーク」と、味噌炒め用のヘチマを買った。
今日の朝は、バスセンターの隣の三越の地下で、
石けん用のアボカドオイルを買った。
そしてキハチカフェの小店が出ていて、
黒ごまカプチーノというのが朝のお腹においしそうだったので飲んだ。
飲みながらバス乗り場に上がっていたら、
ジョンとヨーコの、あの、クリスマスの歌が流れていて、反射的に涙も出た。
スポーツ新聞のスタンドには、
「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」
「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」
「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」
「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」「フセ」
が、余地なく並んでいた。
号外の「フセ」のひげ面に寄り添うように熟睡しているおばあちゃんも見た。
仕事がいろいろあって、とんぼ返りせざるを得ず、
15時間ほどの福岡だったけど、充分満喫しました。




2003年12月08日(月) 毛かよ。

うちのダンナは、小さいころは金回りのいい家に育ったので、
(というか、金離れがいい漁師の家。今は違います)
そのころの話をすると、時々「こいつ、同級生だったらムカついてた」
ということがある。
親の仕事が忙しかったので、寂しい時間も多々過ごしていたようではあるが、
その分、おもちゃなどを買ってもらい放題だったらしく、
「ゲームウォッチは全種類持っていた」
「メンコは箱で買っていた」
「プラモデル屋で、あまりにお得意さんなので『大きくなったらバイトにおいで』と言われた」
など、過去の栄光には事欠かない。

昨日また、驚くべきアイテムの話を聞いた。
小学生の頃はやった「耳当て」。
巨大ヘッドホンみたいなあれです。
「あれ、毛糸のじゃなかったもん。毛だった」
「毛?」
「ほんとの毛。ふわふわであったかいやつ」
「えっ?私は赤とか黄色とかだったよ」
「そんなんじゃないね。毛。茶色の毛皮みたいなの」
小学生が毛皮の耳当てですって。
正直、ケッ、と思ったです。

でも、この冬も、そんな彼が小学生の時に買ってもらったという、
イギリス製の上等なダッフルコートを着るのであった。
お下がり。トホホ。

しかし、思うに、金持ちの子どもって、ロクなもんじゃない。
金持ちの家に生まれるというのは、決していいことではなくて、
将来心がけて克服するべきものだと思う。


2003年12月06日(土) 千日行の番組を見て。

ずいぶん前に撮っておいたNHKアーカイブスのビデオを見た。
千日行という、厳しい修行をするお坊さんのドキュメンタリーだ。
その行は、終えるのに7年もかかるし、
毎日何十キロも山を歩いたり、
あいだには、飲まず食わず寝ずの9日間を挟んだりしないといけない。
何十年だか何百年だかのうちで、何十人しか成功していなくて、
しかも、挫折する人は原則として死ななきゃいけないという…。
「堂入り」という「飲まず食わず寝ずの9日間」を中心に構成されていたのだが、
日に日に、そのお坊さんの目が遠いところにいってしまう。
「5日目、瞳孔が開いたままに…」
なんて淡々とナレーションが入るのも、うわー、だ。
結局そのお坊さんは、堂入りもやりとげ、
その後の修行もこなし「満行」するのだが、
番組が終わって、あの、案内役のゆったりしたおばさまが、
その2年後には、また千日行に挑戦して、それも満行したというので、
もう、何が何やら、人の心と体の可能性とは、どうなっておるのじゃ、と思った。
最後に、現在の、すっかりおじいさんになったそのお坊さまがインタビューに応えておられた。
二度の千日行から得たものは、
「一日一日は、全部違う日である」
ということだけだと。
よくいわれることかもしれないが、
あの行を見た後だけに、それがドドーンと心に打ち寄せた。
毎日同じものを食べ(しかも、うどんとじゃがいもと豆腐)、
同じ道を歩くだけの毎日をくぐり抜けてきた人がそう言うんだったら、
頭を下げて聞くしかない。

もうひとつ、その番組で思ったのは、
自殺のパワーの大きさだ。
自殺する方は、つらくて自殺するんだろうけど、
この世では自殺すればそれで終わりにできる。
(あっちの世界では、またまた苦しいらしいですが)
でも、自殺された方は、そのことによって、
とてつもなく暗くて深いスタートラインに立たされる。
そのお坊さまは、奥さんに自殺されたのが出家のきっかけだったらしい。
千日行を決意表明したのは、彼女の命日だったと。
もちろん、身近な人に自殺されたからって、
そこまでしなくても、と思う人が大半だろう。
でも、それもまた「一日一日」と同じで、捉え方は人によって、
思っているよりもずいぶん違うのだ。
さらに彼が、たくさんの人から讃えられる千日行を2度も満行したからといって、
たとえば「奥さんが自殺しなかったらできなかったし、偉い坊さんになれて、結果オーライ」
なんて考えることは、恐ろしいことだ。
そんなことは、彼にしかわからないし、きっと違う。

いま、思い出した。
小学校に上がったころだったと思うけど、
私の幼稚園の先生が自殺したことを。
そのことを思うと、寂しい糸がすーっと彼女から延びてくる気がする。
自殺は、きわめつけに寂しいことだ。
寂しさの大半は、
心が通う人が(物理的な距離の問題は別にして)そばにいないことから起こる。
だとすれば、寂しさのきわめつけが自殺だろう。

彼女が、どこか、山小屋みたいなところで死んでたって聞いたのが、
今でも妙なリアルさでよみがえる。






2003年12月05日(金) 健在。

しょうもないとわかりつつ、
時々見てしまう深夜のテレビ番組、それは「でぶや」。
えっと…石塚さんと、パパイヤさん…だったかな、その2人が、
いや、もうひとり、マッスルかなんかいう異国の人もいた、
その人たちが、各地の名物を、豚のように食べ歩くというもの。
なぜか、暮らしの流れの中で、それを何度も見てしまっている。
でも、昨日は見たかいがあった。
青森のマグロだったのだが、そこに出てきた漁師が、
なんと以前この日記(2002.12.9)に書いた漁師さんだった。
あいかわらずのすがすがしい精神ぶり。
元気に漁を続けておられる様子でうれしかった。
横にいた若い漁師さんが、彼を尊敬している空気が伝わってきたのも、
ちょっとジンとした。
そして、漁師の特権というマグロの内蔵各種がおいしそうだった。
心臓の弁(!)を食べてみたいと思った。


2003年12月04日(木) それをかぶっちゃお仕舞ぇよ。

エッセイに付ける写真を撮るために、
15分だけ山登りをした。
山の中腹にある神社に行くために。
その辺はお寺とか、各種石仏とか、神社などが密集した地帯なのだが、
神社の裏で無事写真を撮って石段を降りていると、
白い着物のようなものを着た人が、さっと下の方を通った。
ただならぬ雰囲気。ちょっと怖い気もした。
その人が向かった先にあるのは、小さな滝だ。
肩の辺りは裸だったので、滝に打たれに行くらしい。
なにやら線香の匂いもただよってきた。
なんとなく、私がその人を見たことを気付かれない方が良さそうな気がして、
足音を立てないようにゆっくり降りた。
そして滝が見えるところに来たので、どうしようか迷ったけど、
やっぱりそっちを見てしまった。
そしたら、滝に打たれる前のお参りをしている背中は、女の人だった。
彼女の向こうには、小さいけれど、打たれるには充分の滝と、
その横に、どどーんと、不動明王(メラメラ炎を背負ってる方です)の像。
やっぱり、やっぱり、見ない方が良かったのかも〜と思ったが、
まぁ、そんなに気にするこたぁねーか、と思い直した。
だって、いくら暖かい日が続くといっても、
曲がりなりにも冬の滝行なんです。
良いことか悪いことかどっちにしても、
とても強い願い事があるんでしょう。
なのに、彼女ったら…シャワーキャップをかぶっていたのだ。

滝行にシャワーキャップ。

アリかナシかと聞かれたら、私はナシと答えたい…。



2003年12月03日(水) 悪くない傷のようなもの

お店で食事をしていて、
聴いたことがある曲が流れて来た。
なんだろう?すごく聴いたことがある!
アレンジは違うけど、このメロディは懐かしすぎるぞ!
そう思って考えたら、何の曲かすぐわかった。
自分が2年間出ていたテレビ番組のオープニングに使っていた曲だった。
その2年間は毎週聴いていたけど、
自分ちにCDを持ってるわけではないので、
そういえば番組が終わってから聴いたことはないのだ。

その曲だと分かった瞬間、目の裏まで涙が来た。
そしてそれが、自分でとても意外だった。
そんなふうに感じるなんて思ってもみなかったのだ。
少しでも気持ちをゆるめれば、ドーッと泣けそうだった。
家族と食事をしていて、
みんなに「ブーメラン(番組の名前です)の曲だ。
ちょっといま、ジンとしてる」というと、
みんな、あぁ〜、と言って、
そして、ハハはきっと私が泣いたら泣くかもしれないという気が一瞬した。
そのあと、変な人がたくさん出てきたね、など、
しばらく番組の話をしていた。
(バラ園のおじさんとか、ただいま絶賛巡礼中のクリモトさんとか、
他の番組では手に余るような人々よ!)
曲がまた、長々と続くんだ。
音楽はすごい。
ことばじゃないのに、いろんな感情をジャジャーンと引き出してくる。
涙こそこらえたが、ずっと妙な気持ちに包まれていた。
それが、思い出す、という感じではなくて、
なにか古い傷や知らぬ間に痛めた関節が、
天気が悪くなるとじんわり痛い、という感じに近かったのだ。
番組はとても好きだったし、
今思えばよくあんな番組2年も続いたなぁって思うけど、
それが自分の心にこんな「古傷」まで残していたとは、
ビックリでござったことだよ。





2003年12月02日(火) 生き物のちから

朝目が覚めたらのどがとても痛くて、具合も少し悪かったので、
もう2時間、布団の中で汗をかいて治療しようと思った。
具合が悪い顔だけ少し布団から出して、うーん、とうなっていると、
もぎ(猫)が通りかかって、こっちを見た。
じーっと見ている。
普通だったら通り過ぎていく勢いの足取りだったのに、
ぴたりと止まってじーっと。
「こいつ、なんかいつもと違わねーか?」という顔をして。
それでちょっとホッとして、すぐ眠った。
しばらく眠って、どっさり汗かいて、起きてみると具合も良くなり、体も軽い。
でも、ちょっと消耗していて、変な軽さ。
そこへまた、もぎが通りかかった。
今度はもぎに近付いて、くっついてみた。
呼吸の音が伝わってくるほどに。
そしたら、その呼吸のリズムとともに、なにか、エネルギーのようなものが、
ぐんぐんと自分にチャージされていく気がした。

生き物のパワーの偉大さに心打たれる朝であった。


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