ぴんよろ日記
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2003年10月30日(木) さみしっこ

最近、ねこがよく粗相をする。
それもわざとだ。
当てつけるかのように。
たとえば夜、突然出かけなくてはいけなくなって、
それまで一家団欒していたのに、急にひとりぼっちにしてしまうと、する。
数時間の後に帰ってくると、待ち構えていたかのように、
顔を見てから、する。
昼は慣れているようだが、
夜一人になり、帰ってきてからの愛情の注ぎが足りないと、する。
どうやら、さみしかったことを訴える方便のようなので、
さみしっこ、と名付けた。


2003年10月21日(火) 地道モード

いつ終わるとも知れない、地道な仕事についに着手した。
いつ終わるんだろう…。
でもすごく面白くて、時間を忘れたりするので、
あんがい地道な人間だったのかもと思う。
外は晴れているが、気にならない。
しばらくこの地道さを追求しよう。

ところで、昨日の夜は、ターメリックライスも炊いて、
インドカレーにした。
そしてさっき、今日の昼は、残りご飯もあったので、
タイカレーにした。
地道な作業のおやつのために、ココナツプリンも作って、いま冷蔵庫。
ひとり自宅アジア旅行。

また2時間がんばろう。


2003年10月19日(日) たき火のよろこび

昨日、ダイエーがサヨナラ勝ちしたのを見届けたあと、
知り合いの人たちがタチウオ釣りをしているというので、
ダンナとちょっと覗きにいった。
たこやきと、カップラーメンと、ビールと、自分用にワンカップを買って。
タチウオは、時々はねるのが見えるくらい、いるんだけど、釣れない。
見ている私もワンカップを飲んでしまった。
そのうち寒くなってきて、たき火のコーナーが設けられた。
そういうことに関して、超人的に手際のいい人が、
どこかから打ち捨てられたタンスの引き出しなどを持ってきて、
あっという間に、あったか空間を作り出してくれた。
かつて誰かが何かを大切にしまっていたであろう引き出しが燃える様子は、
見る人が見れば短編小説のひとつでも書けるのではないかというほど、
なんだか、妙に心揺れるものだった。
ひとつめの引き出しはあっけなく燃えて、
ふたつめの引き出しもどんどん燃えていく。
こりゃー、すぐになくなるなぁ、ということで、
ダンナたちは、また追加の家具を拾いにいった。
こんどは、タンスばかりか、鏡の外された鏡台とちゃぶ台もあった。
ちゃぶ台は、うちのベランダに置くのに探していた理想の形だったので貰うことにしたが、
タンスの続きと、鏡台は燃えていく。
そのうち、燃えているものがタンスだとか鏡台だとかということについては思いを巡らし尽くして、
こんどは火をじーっと見つめていることによるぼんやり感が襲ってきた。
実際、はたから見ても、どこかに行ってる感じだったらしく、
しかもその時私は、防寒対策として、カラフルな模様の布をかぶっていたので、
異国のあやしい占い師と化していたようだ。
でも、たき火は本当に楽しかった。
心の原始的な部分が反応するというか。
いやー、楽しかった。





2003年10月17日(金) 犬かもしれない。

こっそり猫と暮らしているが、
これはひょっとしたら犬かもしれないと思うようになってきた。
小さいころから何匹もの猫と暮らしたが、
こんなにも座椅子や布団を掘ったり、
いちいち後を着いてきて礼儀正しくこちらを見上げたり、
投げたボールを誇らしげに取ってくる猫を見たことがない。
羊の皮をかぶったオオカミというのはあるが、
猫の皮をかぶった犬というのはいるのだろうか…。
それとも、性同一障害ならぬ、種同一障害?
ある朝起きたら、突然ワンと鳴くようにならないか心配だ。


2003年10月10日(金) 面しすぎかも

いつの日か、歩いて海に泳ぎにいけるような場所に住みたいなぁ、
と思うようになってきた。
ねこもいるし、植木鉢じゃなく、土に直接花や木を植えたくなって。
いま住んでいるところも気に入っているし、すぐじゃなくていいんだけど、
きっとそういうところに住む時が来るだろう、というふうな気持ち。

今朝、新聞の折り込みに住宅情報のチラシが入っていたので、
布団の中でじっくり見入ってみた。
「海のそば」とか、あるのかなぁ?と思って。
そしたら、けっこうあった。
別荘が売りに出ているケースもある。
あると分かると(買いもしないのに)条件に欲が出てきて、
「大村湾で泳ぐ気にはなれないなぁ」なんて考えつつ、
またじわじわと見ていった。
そしたら、外海の黒崎に「陶芸・天文観測をされる方におすすめ」という、
「古民家風新築プラン(なんじゃそりゃ)」の高台の物件を見つけたが、
「サーフィンするわけじゃないしなぁ(黒崎は長崎のサーフィンの名所)」
と次を見たら、大瀬戸の別荘が売りに出ていて、
「車数台入る」おぉ、それは大事だ!
「南向き」日当たりはもっと大事だ!
「前が海」いいぞー!

「横も海」

…それはちょっと海に面し過ぎかも。
ボートがつけられるそうです。



2003年10月09日(木) 画期的な方法。

最近、イラスト描きが好きでしょうがないが、
それは、画期的な方法にたどり着いたからというのが大きい。
しかし、その方法というのが、あまりにも当然のことなので、
ダンナにさっき打ち明けたら、複雑な顔をされてしまった。
その方法とは…

 鉛筆で下書きをする。

これまで、けっこう複雑な教会の絵なども、
いきなりペンでゴリゴリ描き進めて、
気に食わなかったら、また1からやり直していたのです。
もちろん紙はグシャグシャポイ。
それが、鉛筆で下書きをすることによって、思ったように描けるし、
紙も無駄にならずにすむようになってうれしい。

パッと見て、ささっと一筆で決めるのがカッコよくて、
そうじゃなきゃダメなんだと思ってたのですが、
別に画家じゃないから、そこまで思い詰めなくてもいいかと気付いたのでした。
たとえば道ばたでお金を貰って描くなら、
やはりそういう大道芸的スピードが必要になるかも知れないが、
私は自分が撮った写真を元に、一人でコツコツ描けばいいので、
無理することもないのであった。

ということで、今日はたくさんの建物が混在する絵を描いたことだよ。






2003年10月05日(日) ようやく上澄みが。

こないだ行った、宇久、小値賀、野崎の3つの島。
(野崎は小値賀に含められがちだが、私の中では同じにできない…)
次のプレスに記事とイラストを書くために、写真を見返している。
この旅は、いろんな意味で強烈だったので、
帰ってきてすぐは、とても感想を書いたりする気になれなかった。
でも、ようやく、ぐわ〜っとかき混ぜられていた頭の中が落ち着いてきて、
上澄みが発生してきつつある。

見て聞いて、すぐ書くやりかたもありだけど、
私は上澄みをすくうのが好きだ。
「ふうん、こんなこと考えてたんだ」と、自分で思うくらいの。

どんなものが出てくるか楽しみ。

写真はプレスには載せないので、ここで出します。
…と宣言したので、これから作業します。



2003年10月03日(金) お、男に。

6月に拾ってきたねこ「もぎ」くんが、
ぐんぐん大きくなって、
いろんなところが大きくなって、
臀部に付属している、袋状の部分も立派になり、
ついには毛布に対して、
アヤシイ腰使いの動きをするようになってしまった。
この状態で暮らしていくなら、
立派に育った袋状の部分を取らなくてはいけない…。
すごくしのびない気もするが、
お互いのためなんだろうか。
あぁ…。


2003年10月02日(木) 驚きの2冊。

山陰から帰った翌朝、どっさりたまった新聞の山を前に、
読んでもいいし、読まなくてもいいな、と思ったが、
「本」と頭に浮かんだ。
そうか、新刊書の広告だけは目を通しておこう、と、
山に取り組んだ。

そしたら。

そしたら。

うそ!
ホントに!?
どうして!
信じていいの???

と、何度も紙面を見直してしまう事実がそこにあった。

それは、出版が無期延期状態に追い込まれた小説の、
しかも3部作のうちの2部と3部が同時発売という広告だった。
私は数年前にその1作目を読んでいて、
とても面白く、大好きになってしまったので、
今も受け持つ、タウン誌の本のページにもあれこれ書いた。
1冊で終わらないことは分かっていたのだが、
あまりにも次が出ないので、どうしたんだろうと思って、
ある時インターネットで検索してみたら、
さまざまな力がその本の出版を妨害していると分かった。
すぐに読むのはあきらめざるを得ない状況だった。

日本という国は、けっこう恐ろしい。
あらためてそう感じた。

しかしいま、この世に本は出ている。
2千年来の思い込みのようなタブーを乗り越えて、私の手もとにある。

昨晩、2作目を読んだ。
ある場面では、くっと泣いた。

…小説は、ほんとうに人それぞれの好きずきがあるから、
別にこの本を勧めたりはしない。
特に私は、ほとんど「ジャンルとしての小説」は読まないし。
(この作家の小説も、他のは読んだことがない)
小説を書くための小説というか、
作者の心の健康のために書かれた排泄物のような小説が多いので。
でも、好きになったり、読みたいとなぜか思ってしまう小説も、ある。
そこに作者の手を伝わって現れた、
「小説の姿をした何か」を感じる時、眠りを忘れて、読みふける。

「彗星の住人」「美しき魂」「エトロフの恋」

タイトルを見て、心惹かれた方は、どうぞ本屋に行かれてください。
タブーの暗い影響が、それでもあるのか、
この作家の、このボリュームの本にしては、
私が行った本屋では、とても新刊とは思えない扱いをされていました。
平積みされていると思ったら、ひっそりと棚に押し込められていたのです。

この3冊を暗いところに葬ろうとした「タブー」がなんなのか、
それを乗り越えて、世に出た「小説の姿をした何か」がなんなのか。

今日は3作目を読みます。



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