ぴんよろ日記
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2003年09月30日(火) いつもの街に帰ってみると。

6日間の旅を終え、
いつもの風景の中を歩いた。
いちばんおいしいと思っている皿うどん(細)を食べ、
いつものコーヒー屋さんでコーヒーを飲み、
時々行く市場でカツオとアジとキビナゴのお刺身と、
おいしそうなイワシのみりん干しを買い、
いつもの本屋さんで3冊、本を買った。
なかなか来ないバスを待ちながら、その中の一冊を読んだりした。
バスの中から2人、お店の中で1人、
知っている人を見かけたり、しゃべったりした。

しかし…どうやら自分が変わっているようなのだ。
ドラクエ的たとえで言えば、レベルアップしているような感じ。
それが「もうツキまくって大変、負け知らずのウハウハです」というような
現実的社会生活を送る上でのレベルアップであるかどうかは、
ちと怪しいのだが、なんか違うことだけは、分かる。
理由はひとつふたつ考えられて、でも、それを書いたり言ったりすると、
これまたキの字な感じが漂ってしまうのでやめておく。

まぁ、この変化パワーは、これからの仕事に放出されるでありましょう。
とりあえず今夜は、境港から送っておいたカニを食べます。




2003年09月23日(火) 熱弁。

微妙にのどが痛い。
近ごろしゃべりすぎなのかもしれない。
昨日は仕事関係で、気付いたら熱弁を振るっていたようだ。
あることについて、順を追って説明しただけなんだけど、
なんか、オンステージな感じになってた様子。
恥ずかしいことだ。
大勢の「人前」どころか、一人二人の「人の前」で話すのも苦手だ。
が、話さなければならないところに追いつめられれば、
ケンカ上等な感じにテンションとモードが切り替わる。
そして、終わって、気付いたら、どっぷり疲れている。
頭がもうろうとする。

それが終わって、山陰に行く前の「かんしゃく魂」に行こうとしたら、
お姉さんはいないし、そのうえ人が多くて大変なことになっていた。
最近、そんなときは、店先の電気を消して、
「いまはちょっと…」という意思表示をしているようなのだが、
あのラーメンの味を知ってしまった人は、おかまいなしに入ってくる。
洗い物などが間に合わず、「2〜30分待ちですが」と言われても待つ人が多い。

なんだか大変そうなので、かんしゃくには今日、出発前に行くことにして、
おにぎりの「谷がわ」に行った。
おにぎりもおいしいけど、サイドメニューが充実しているのが、
一から飲み食いする人間には嬉しい。
昨日はガシッと、串カツと唐揚げにした。
そしておでん、おにぎり、卵入り味噌汁。おにぎりは塩辛ときゃらぶき。
まぁ、そんなことはいいんだが、
いつも背筋ののびた、元・伝説のピッチャー
(後輩の高校生の「谷川さんの球、受けたかったです」という寄せ書きを見て、いつもジンとする)
の谷川のおじさんが、
「風邪の菌は、いつも体にいて、体が冷えると出てくるんですよ」
と言っていたのが、なるほど、と思った。
根絶する、という感覚ではなく、
そして「菌」と便宜上は言ってるけど、
体の中の、ある構成要素というか、組織で言えば、
「悪い状態を察知すると、もっと悪くなる前に、軽く悪くして、悪いものを追い出す課」
のようなものかもしれない。(名前長過ぎ)

いま思いついたけど「谷がわ」のおじさんは、
白くて丸いものを手で包んでいる状態に、いつも自分を置いておきたいから、
おにぎり屋さんになったのだろうか?
ということは、私はボールを食べているのかも…。

「谷がわ」ですっかりなごんで、熱弁の疲れも取れて、すぐ寝た。
でも、また深く心配していたのか「かんしゃく魂」の夢を見た。
これで何度目だろうか…。
でも心配してもし足りない。あの店が無くなると、明らかに悲しい。

そういえば熱弁の話だった。
感触は悪くなかったけど、社会やビジネスといったものは厳しいので、何とも言えない。
成果が上がるといいのだけど。


しばらくキーボードから離れるので、長々と書いちゃいました。









2003年09月22日(月) 年のめぐりを感じる日。

すっかり年中行事と化した山陰行きが迫ってきた。
年に何度か「あぁ、一年がめぐってきた」と感じる日があるのだが、
山陰の空気を吸うことが、どうやらそれに仲間入りした感が強い。

深い日本海の色。
いろんな形をした海岸の岩。
赤い瓦。
山はあるのに、やけに広い空。
安くておいしいカニ。
近付くと、明らかに空気が変わる、出雲大社。

わくわく。

この他の「年のめぐりデー」は、
お盆の夕暮れと、庭見せの夜、くんちの朝。大晦日。

なぜか誕生日と元旦は、そうでもない。



2003年09月21日(日) 美しい長崎はいつ。

第2回目の「ナガサキ観光さんぽ」で、
「大浦天主堂の案内のアナウンスがうるさい」と書いた。
(「ながさきプレス」の、たぶん7月号)
バァちゃんにコピーを渡していたんだけど、
こないだ家に行ったら、
「女学生の頃、工場(戦時中です)の帰りに寄り道したことがあって、
その時はアナウンスなんてもちろんなく、
とても静かで、神様はいるのではないかというような美しい空間だった」
と言われた。
「あの時にだけは戻ってみたい」とさえ。
戦争中は、戦争中ではあったけれど、
まだいろいろな素晴らしい時間や空間が存在していたようだ。
特に長崎は、原爆が多くのものを壊したし、
戦前の無謀な価値観に取ってかわった、
また別のダメさがある戦後の価値観が、
さらにいろんなものを壊したし。

考え方もいろいろだから一概に昔は良かったなんて言えないけど、
バァちゃんが時々語る、小さい頃、若いころの長崎は、
これだけは確かに、今の風景よりも美しくイメージできる。
光と静けさに満ちた天主堂。私も行ってみたいです。





2003年09月19日(金) ドリフだよ!グッドモーニング

1年に1、2度、悲しい夢や怖い夢を見て、
泣きながら起きることがあるが、
きょ、今日は、自分が夢を見ながら笑っているのに気付いた。
ダンナには気付かれなかったが、けっこうな大笑いだった。
(私が自覚していない「寝笑い」を、ダンナは何度も目撃しているらしいが)

ドリフの夢だった。
ドリフのメンバーと私は一緒に漁船みたいな船に乗っていて、
「そろそろ新しいメンバーを入れたいんだが、誰か知らないか」
というようなことを言われる。
私は友だちの男子(実在)がいいとひらめいて、
隣にいたダンナに言うと、すごくいい感じに行きそうだったので、
ドリフのみんなに提案した。
志村けんがいちばん乗り気だった。

うまく話がまとまったので、
そのあとドリフのみんながいろんな面白いことを言ったりしたりしてくれて、
それがものすごく面白くて、
「やっぱり私はドリフ育ちだ。吉本なんて関係ない」と深く思いながら、
ずーっと大笑いしていた。

そして、少し目が覚めた。「わはは…、あれ?」という感じで。

もう一度眠っていて、ダンナがご出勤なさるとき、
(すんませんが、朝は起きません)
半ば寝ぼけて「ドリフの夢を見た!」と訴えたら、
「はいはい、ドリフをつかまえとって」と、ねこを渡された。





2003年09月18日(木) 住みたかないけど

ふと、東京に行きたくなった。
ぜんぜん住みたくはない街(あれは街と言っていいのだろうか)だけど、
たまーに、行きたいなぁ、と思う。
ヤナちゃんのライブに合わせて。

どんとのイベントは九州でもたびたびあるけど、
ヤナちゃんが九州に来ることはほとんどない。
ライブはほぼ東京だ。

さっきHPを見ていたら、秋にたくさんライブをするらしい。
くーっ、行きたいっ。

あと行きたいところは、伊勢神宮、熊野大社、東北一帯など。
また神社かい!




2003年09月17日(水) 消えたトンボ玉。

台風の日に取材を終えて、
強まる風の中、バイクで家路を急いだ。
お諏訪の森の六角道
(ご神木が道路の真ん中に次々に現れる、すごい道)を登っていると、
カランカラン、と音がした。
それは首から下げていたトンボ玉が落ちて、タンクに当たった音だった。
トンボ玉を下げていたのは、けっこう頑丈なチェーンだったので、
切れるわけがないはずだった。でも、切れた。
こんなことがあると、やっぱり一瞬イヤなことを考える。
誰か死んだんじゃないかとか。
しかしなんとなく頭をよぎったのは、
あぁ〜、取られちゃったかな〜、だった。

チェーンが切れるちょっとまえ、
坂を上りながら、いつものようにご神木を眺めて、
すがすがしいなぁ〜、もしお諏訪に神様がいるのなら、
お社よりも、こっちにいるよなぁ〜、なんて確信を強めていたのだ。

こういう話が苦手な人もいると思うけど、
最近、人間が「かみさま」と思ってしまうものの仕組みというか、
正体のようなものって、何だろうと考え続けている。
それがようやくまとまりつつある今日このごろで、
こないだ行った野崎島でも大きな収穫を得た。

そういうことをずーっと気にかけていると、
時々「わかる」時が現れる。
ぜんぜん「見える」人ではないので、ほんとにたまに、感じる程度。

で、その坂を「いるなぁ〜」と思いながら上っていて、
その直後のことだったから、
トンボ玉は、お渡ししたことにしたのだ。

バイクを止めて、
しばらく坂を降りて探したんだけど、見つからなかった。
枯れ葉がけっこうあったから、
引っかかっていてもよさそうだったんだけど、
見つからなかった。

あきらめて、バイクに乗ろうとしていたら、
久しぶりに会う友達が車で通りかかった。
それも含めて、やっぱり、と思った。

緑色のトンボ玉、気に入ってくれると、いいんだけど。





2003年09月16日(火) どんどん大きくなっていくねこ。

まだ生まれて半年も経っていないはずなのに、
ねこがどんどん大きくなっている。
もう、昔飼っていたばあちゃん猫くらいになった。
手足が長くて大きく、まだまだ大きくなりそうだ。
骨格の方が何歩か先にできて、肉がついていっていないアンバランスな感じ。
言い換えれば、可能性のある体だ。
まだまだどんどん大きくなるだろう。
どれくらいになるのだろうか。今の倍になったら、それは怖い。
でも見届けるしかない。

いま、港で何かの号砲のような音がした。
そばにいたねこは驚いて、どこかに行ってしまった。
3階の犬も吠えている。
一応、このマンションはペット禁止だが、他にもいる模様だ。

でもしつけのされたペットより、
やりっぱなしの子どもの方が、
よほどマンションを痛めると思うのだが。

とにかくうちのねこは、どんどん大きくなっていく。




2003年09月15日(月) イラストについて。

いま、ながさきプレスに連載中の「ナガサキ観光さんぽ」。
今日は眼鏡橋のイラストをせっせと描いておりました。
ペンで描いたものをスキャンして、グレーの色づけはパソコンの中でします。
イラストと文章をレイアウトして編集部に送ったあと、
イラストだけをプリントアウトしてじろじろ眺めるのが嬉しい時間です。
絵を描くことの楽しさが、小学生の時以来思い出されるひととき。
そういえば漫画家になりたかったんだった。
ノートにも、テストの問題用紙の裏にも、たくさん絵を描いていた。

でもある時、自分の絵がとってもつまんないなぁ、と思えた。
それは高校に上がるくらいの時なんですが、
先生受けはいいんだけど、面白くない。
つい熱中すると描き込みすぎるので、なんというか、重い。
美術なんて別に好きじゃない、というような子の方が、
ダンゼン面白い絵を描くんです。それは分かるんだけど、描けない。
そのうち文章を書くことの方がどんどん好きになって、そのまま。
絵は、私にとっては、一度お別れしたもの。
好きだけど、本分じゃないという気持ちです。
しかし今となっては、これが肩の力を抜くいい要素になりました。
楽しめる。
いつしか年賀状の版画の原画くらいしか絵を描かなくなった私に、
それもありだ、ということを思い出させてくれたのは、
今はなきテレビ番組の小さなコーナーでした。
番組が始まる時に「イラストを描いて」と言われた時には、
正直言って、かなりギョッとなりましたが、
どうにかこうにか2年間描き続けました。

今さら絵描きになろうとは思わないけど、
機会があれば、文章とともにどんどん描いていきたいです。
製造元が一緒なゆえ、
少なくとも自分の文章には自分の絵がしっくり来るなぁ、と思うので。


2003年09月12日(金) ドラマ人生が。

いま、ビデオに撮っておいたドラマの最終回を2本見た。
(ウォーターボーイズとクニミツの政)
昨日、コトー先生も最終回だったので、
私のドラマ人生も終わってしまった。
本当に久しぶりだった。こんなにドラマを見たのは。

でも、ウォーターボーイズは映画の焼き直し、
クニミツとコトー先生は漫画。
テレビ独自のグッと来るドラマはないものか。

ぜんぜん話は違うが、
台風がかすめて、やっぱりダンナは仕事から帰って来ないので、
なんか非常食じみたものが食べたくなり、
久しぶりのどん兵衛だった。
そこそこ気分は盛り上がった。


おおかぜに どん兵衛すすり ドラマかな


…2本目のビールでも飲むか。





2003年09月06日(土) 内包された好物。

昨日、カフェ平井で週刊文春を読むという、
よくあるなごみの時間を過ごしていたら、
椎名誠のエッセイに、自分はどうしてこんなにもナマコが好きか、
ある時とてもよく納得したということが書いてあった。
それは、自分の名前の中にナマコが入っているというもの。

しい ナマコ と

という具合に。
それってオカシイ〜!と思って、自分の名前を見てみたら、

かと ウミ どり

で、海が入っていて嬉しかった。(膿だったらイヤだが)
しかし笑ってしまったのは、元の名前。
2つも好物が!

し モツ まみどり

しも ツマミ どり

海、モツ、つまみ。
なんと私を象徴していることか…。
そして、いつも「みどり」の中に、鳥がいるのが嬉しい。

みなさんもどうぞ、自分の中に何かいないか探してみてください。


2003年09月01日(月) イヤな視線。

いま、ちょうどこの時間、ダンナはイヤな視線を浴びていると思う。
何かと言うと、あの、7月のつらい事件を起こした男の子の中学校に、
始業式の様子を取材に行っているのだ。
あの事件は、男の子の周辺に、様々なイヤなことを引き起こした。
そのひとつが、すさまじい取材だ。
あの事件の後、私がいくつか聞いた「東京からの取材の人」の、
とてつもないあこぎさは、
ローカル局の報道の仕事に関わっているダンナのためにも、
私だけでも「あれとは違う!」と言ってやりたい。
でも、きっとカメラを持っている人はすべて、
撮られる側から見れば同じやつらでしかないだろう。
だからいま、ダンナはきっと、
子どもや先生たちから「もういい加減にしろ、出て行け、イヤな奴らめ」
という気持ちや視線を浴びているのだ。
私も、もうそんな取材はやめればいいのに、
と、ニュースを作る人に対して思うけど、
イヤだから行かないと言える仕事ではない。

気持ちや視線を浴びるということに関して、
私は最近、水にイヤな言葉を投げかけ続けると、
結晶にした時に、つらい形を作るということを知ってしまったので、
体の70%を水分で形作っているダンナが心配だ。
でも解決策はあって、遠くからでも良い思いを送ると、
それに対抗できるらしい。

とりあえずがんばってみます。
猫と一緒に。


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