ぴんよろ日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月15日(木) ナメ店考〜その3〜

オードブルの内容を聞きにいってしまったお姉さんの背中を見送っていると、
とんでもないものが目に入った。
緑の木に、赤いリボン、金色の飾り…。
なんとこの若葉茂るさわやかな5月に、クリスマスツリーである。
そ、それはないんじゃないか。
別に年中クリスマスツリーを飾って悪いという法律はないが、
レストランという存在は、できれば季節感を大切にしつつ、
楽しい時間を提供してほしい場所である。
それが半年経ってもクリスマスとは…。
いや、まてよ、お正月のしめ縄飾りだって朽ち果てるまで玄関に飾っている家もある。
なにかそういう、風習のようなものでは…。

不毛な深読みなどしていると、お姉さんが戻ってきた。
5種のオードブルは、あたりさわりのない安心メニューだったので、
まぁ、それを頼む。
「今日のおすすめ」の魚料理が何かを、おそるおそる聞いてみたけど、
これはちゃんと答えてくれた。
はっきりとは聞き取れなかったけど、まぁ、それを頼む。
肉料理は…第一候補「ひな鳥の小悪魔風」は…「今日はできません」。
鶏のハーブ焼きを、まぁ、頼む。

ここで珍しいことに、飲み物の注文を聞かれなかった。
車だったし、飲んでも2人でワイン1杯かな、と思っていたので、
無いなら無いでもいいか、オードブルを食べて、
どうしても飲みたかったら頼めばいいや、と思った。

お姉さんが去っていく。
ズチャ、ズチャ、ズチャ、と足音を立てて…。
ここまで言うと、もう、小姑大姑みたいなんだが、
いや、これが、今までいろんな店に入ったけど、
こんなにお店の人の足音がダルそうなのは初めてだった。
すごくわかりにくく形容すると、
「(設定は30年くらい前)本当はもう別れたいと思いながら、
ずるずると同棲しているカップルのお姉ちゃんが、
あたしこの先どうなっていくのかしら、田舎に帰ったってつまんないし、
でもあの男といても、どうなるわけでもないし、と、
遠い目をしながら銭湯を後にする…
(男は今日は友人たちと飲み会、と言いつつもう1人の女の部屋にいる)」
という感じだ。

しかし、この店、ナメちゃいる店なんだけど、
見方を変えるとイマジネーションをふくらませてくれる店だと言えなくもない。
それがいいかどうかは別にして…。





2003年05月13日(火) ナメ店考〜その2〜

ぺなぺなのクリアファイルメニューをめくると、
そこにはいちおう、前菜からスープ、メインディッシュのアラカルトメニューが並んでいた。
でもその日私たちが求めていたのは、簡単なコースだったので、
コースがないか、まためくった。
そしたら、あった。3500円。
でも、なかった。
ていねいに作るから前日までに予約しろとかなんとか書いてある。
これだけアラカルトメニューがあるんだから、
それを組み合わせて簡単なコースくらいできそうなもんだが、
まぁ、それはしょうがない。目をつぶろう。
アラカルトメニューに戻る。
オードブルだけでいくつもある、ということになっている。
「5種盛り」が1500円。
あとは「ムール貝のオーブン焼き」「鴨の薫製サラダ仕立て」「アスパラガスのカルボナーラ風」など。
ムール貝にやられたことが一度や二度じゃないにもかかわらず、
それでもムール貝を愛するハハが頼みたそうにしている。
ちょっとしっかり食べたかったので、ムール貝と鴨の薫製を取れば、
違った傾向のものが揃うな、と思って、そう決めた。
スープは…なんか中途半端な値段で心ひかれず。
あとは魚料理と肉料理を1つずつ頼むことに。
しかしここまでメニューを読めば、もう、だいたい見切れた。
初めはコースだってじゃんじゃん出すフレンチ、イタリアンを目指しちゃいたんだけど、
さまざまな内外の要因がそれを許さず、洋食屋になっちゃった、というところ。
現実はハンバーグなのだ。
これは洋食屋が志が低いということでも、ハンバーグが子どもだましということでもない。
その人の当初の理想と今の現実が食い違ってしまい、
それを前向きに受け止められない状況に陥っているのだ。
たとえば第一志望の大学に落ちたガリ勉君が、
第二志望の大学に、周りをバカにしつつ通っているというようなこと。
それは誰も幸せにしない。

…それにしてもけっこう長い時間メニューを見ていた。
それは…そこまで食べたいものがなかったから。

お姉さんがやってきた。
「えーっと、まずは『ムール貝のオーブン焼き』…」
「あ、ムール貝は今日はもうできないんですよー」

来たぁ!できねぇ攻撃!

半ばやっぱりと思いながら、
「じゃぁ、この『オードブル5種盛り』っていうのは、何が入ってるんですか?」
「今日のおすすめのものです」
「…だから、何が入ってるんですか?」
「ちょっと待って下さい」…スタスタスタ…。

来たぁ!しらねぇ攻撃!

「今日のおまかせ」とか「シェフの気まぐれ」というメニューをよく見かける。
それはそれで楽しみな感じなんだけど、
注文取る人が知らないのでまかせようがない「今日のおまかせ」とか、
スタッフ全部で10人もいないのに、
その日のシェフがどんな「気まぐれ」状態にあるのか分からない危険な「気まぐれ」。
それがどれほど客にとっては不信感の元になることか。

厨房に向かう面倒くさそうなお姉さんの背中を、
暗雲立ちこめる気分で見送った。

以下次号



2003年05月12日(月) ナメ店考〜その1〜

きのう、これまで行った中でも、かなり上位のランクに入る「ナメた店」に行った。
あまりにも見事にナメていたので、これから数日間に渡り、
ナメた店、ダメな店とは何なのかを考えていきたいと思う。
私が今まで、曲がりなりにも雑誌やテレビを通じて飲食店を取材してきたり、
そもそも食いしん坊なので、いろんな店でいろいろ考えたりしたことも取り混ぜながら。
どんなふうに進むかは自分でもまだ分からないが、日記の一環なので気楽にやろう。

◇◆◇

まずは昨日の店の話から。
静かな海の見えるすばらしいロケーションにあり、
もとは喫茶店だったのだが、
どこぞのホテルのレストランにいたという兄ちゃんがやってきて、
料理をしているという。
テレビでも、話半分しか信じられない鉄則があるとはいえ、
けっこうおいしそうに見えた。
(ちっ、まだまだ修行が足りんじゃったわい)
ハハと二人遠出して、
「ちゃんとおいしいものが食べたい」夕食のために車をとめると、
目の前には青く暮れゆく海。

店に入って…あぁ、ここでどうして気付かなかったんだろう。
もとの喫茶店と大して変わらない店であるということを。
そういえばもとの喫茶店を取材したことある。
ちょっと有名になったこともあるお店だったのだが、感じ悪かった。
「別にアンタに取材してもらわなくても、ウチには客が来る」
とでも言いたげな応対。

あぁ、初めから話はズレてしまうが、思いついたままに書くと、
取材する人間は、特に地元の雑誌だと、
またある時はお客さんになりうる人間だ。
別に特別大サービスしてほしいわけではないし、
そうされるとこんどは行きづらくなるんだけど、
とても横柄に受け答えされたりすると、
なんというか、ただ単純な問題として
「こんな人が作った料理は食べたくない」と思う。
もちろん取材する側にも問題があって、
どう見てもカメラの扱いが頼りないとか、
料理のことを知らなさ過ぎつつ取材してるとか、
取材する方が「取材してやってる」という態度を取ることもあるだろう。
不幸にしてこういう取材ばかりを受けた人が、
取材不信に陥ることも多いのかもしれない。
しかしそれを合わせて考えても、
「目の前の人間と気持ち良く渡りあう」というのは、
食べ物を出す店には必要な能力なんじゃないかと思う。


さて。
イスが安っぽい。
回転のいいリサイクルショップでもホコリをかぶっているような、
サエないラタンのイス。
バイトのねーちゃんがベタッとした声でイラッシャイマセーと発する。
そういえば「シェフ(あぁ、こんな店でもそう呼ばなくてはいけないのだろうか)」は、
入った時も帰る時も、いらっしゃいませどころか、
私たちを見もしなかった。
(こうなると、さっきの「目の前の人間と気持ち良く渡りあう」以前の問題)

それでもその時はまだおいしい店なんだと、
少々は期待しつつもメニューを待った。
窓際の席から見える景色だけは相変わらず美しい。
メニューが来た。
第一の不安が襲う。
「海のそばですてきな料理を」のはずの店のメニューが、
ぺなぺなのクリアーファイルでいいはずがない。いいはずがないんだ!

メニューは大事だ。
ずいぶん前にも
「線を引いたメニューがあまりにも多いメニューを出す店はダメだ」
と書いたことがあるが、
私はメニューで、文字通りその店を読もうと思う。
それは料理を出す側と出される側の、
大切なコミュニケーションの道具だから。
初対面の人に汚い名刺を出されたら「…?」と思うように、
メニューにはその店の美意識なりナメ具合なり、
現在の経済状況なり、能力が現れている。
不安な気持ちを増大させながら、ぺなぺなのメニューをめくる…。

以下次号




2003年05月09日(金) こんどはお灸。

収入のはざまで、ここ数年来のビンボーな今日このごろ、
(先月油断して飲み過ぎたので文句は言えない)
しかしこんなときほど、実際にやるべきことはたくさんあって、
基準値を上回る肩こりなどが発生する。
しかし麦飯石サウナにも、林治りょう院にも、足裏マッサージにも行く気になれない経済状況なので、
さてどうしようかと考えた。
そして、買っておいたままチャレンジしていなかった「せんねん灸」が目にとまった。

せんねん灸は、何年か前にもしたことがあったのだが、
ソフトなもの(いろいろ種類がある)だったからか、
「ふうん」という感じで通り過ぎていた。
でも目の前にあるのは、一番強力な「にんにく灸/近江」である。
(なんで「近江」なのだろう?他にも「竹生島」なんてものある)

肩や腰の、効きそうなツボに据えてみた。
ぽわーっとあったかくなったかと思うと、最後には手を握りしめるくらいギュッと熱くなる。
それを通り越せば終わり。
いやー、それが、やっている最中から体がぽかぽかしてきて、
肩も腰も軽くなったし、気持ちもすっきり。
(肩こりのツボは「精神的緊張が続くと眠れない」という症状のツボでもあった)
それまでとっても下がっていたテンションがみるみる戻って、
やる気なく放置されていた夕食の後片付けとか、洗濯ものたたみも、
急に体が動き出して遂行された。
眠りもぐっすり。

でも不思議なのは、同じお灸を据えても、場所によって熱さが全然違うこと。
火をつけたかどうか心配になるくらい、何も感じなかったところもあった。
それはどういうことなんだろうか。

世の中にはまだまだ分からないことがたくさんあると、先日書いたが、
自分の体もぜんぜん分からない。



2003年05月06日(火) もし私が線を引く人だったら。

いま、1冊の本を読んでいるのですが、
そこに書かれてある言葉、文章があまりにもビシバシくるので、
「あぁ、線を引きながら本を読む人なら、こりゃ線だらけに違いない」
と思いながら読んでいます。
しかもこれを書いた(講演会の記録なので、正確には語った)人のことは、
ほんの数日前までは知りもしなくて、
さらにその人はもう死んでしまっているのです。
世の中はまだまだ広い。
つまらない、というには、あまりにも広いようです。


2003年05月05日(月) うれしいおまけ

新しいパソコンには、なんだかいろいろ入っている。
音楽をあれこれするソフトがあって、
あらかじめCDから好きな曲を放り込んでおいて、
別の仕事をしながら音楽をかけられたりもする。
もちろんCD本体をかけながらの作業もできる。
…これって常識なのかもしれなくて、
前のパソコンでもできないことはなかったんだが、
他の動作が遅くなっていたりして、
なにげなく、というところまでは頭がついて行っていないようだった。
いまはストレスなくそれができる。

インターネットのラジオがあるのにもびっくりした。
…またもやこれって常識なのかもしれないけど、私は初めて知った。
いろんなジャンルで音楽が流れっぱなしになっている。
レゲエひとつ取っても、いくつも放送局がある。
普通のラジオと違って、いらんCMや巻舌のおしゃべりや、
ラジオショッピングもないので快適だ。
AMラジオはともかく、FMでしゃべりっぱなしというのは、
とても腹の立つことのひとつだから。

音質が程よく悪いところも、飲み屋さんにいるみたいでお気に入り。
雑音がかもし出す居心地の良さもある。

なにはともあれ、うれしいおまけだった。


2003年05月04日(日) ベクトル。

いろんなところにいろんなものごとがたくさんあって、
どんどん想像していくと途方もなくなってしまうけど、
あわてることはない。
必要な人やものには、必要な時に巡りあわせるようになっている。
むしろチャカチャカとした世の中の動きには、
高い優先順位を与えることなく、
自分がなんとなく「やってみようかな」と思って先送りしていたことに、
少しだけでもベクトルを向けてみる。
「白装束集団徹底取材」を見る時間があったら、
気にかかっていた棚のひとつでも整理した方がいい。
そうすればまた、新しい「やってみようかな」ということが発生して、
どんどんいろんなものごとがやってくる。
巡りあうべき人や物には、遅かれ早かれ会ってしまうものだ。
他のことに気を取られ過ぎていないかぎりは。


トンビ |MAILHomePage