ぴんよろ日記
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2003年04月29日(火) |
マックを使う、最大の理由。 |
新しいマックを買うことにした。 これで三台目だ。 心底マックである必要は、本当はない。 マックを使うことが多い分野の仕事はしているけれど、 突き詰めれば、私は文章を書けばいいのだから、ウィンドウズでもいい。 実際とあるデザイナーさんには「ライターでマックを使う人は…他に知らない」と言われた。 マックからパソコンに入ったからマックが使いやすい、というのはあるのだが、 今度はOSXになってガラリと使い勝手が変わるそうなので、 それもあまり理由にはならない。
あまのじゃく…それもある。 メジャーなものがあまり得意ではない…似たようなことだけど。 ウインドウズのファイルの感じとか、並び方がイヤだ…あー、大きいかも。
でも、何よりもの理由は、 「これがあるからマックが好き!」じゃなくて、 (いや、好きなところはいっぱいあるんだけど) 「ウインドウズのこれがどうしてもイヤ」というものだ。
それは、字。 ウインドウズの画面に表れる字がとにかく嫌いなのだ。 丸文字とも角文字とも付かないようなあの字が、生理的なレベルでなじめない。 これはもう、頭で考えてもよくわからないし、 たとえば私が女に生まれついてるとか、扁平足気味だとか、鼻の穴が丸いとか そのレベルの問題のような気がする。 高所恐怖症とか、先端恐怖症とか、 カエルの卵みたいに小さな丸がたくさん並んでるのが気持ち悪いとか、 他の人にとってはなんてことないんだけど、本人にとっては大問題というような。
マックがあの字になったら…うわぁ、考えただけでも恐ろしい…。
「じゃらん」や「ホットペッパー」の記事を、 意地悪な小姑のように丹念に見るのが好きだ。 大抵はやっつけ仕事の紋切り型文章が多いのだけど、 たまに、思いもかけない表現に出会うことがある。 その多くは日本語としての間違いだったりするのだが、 そこに、なんというか、正しくないものが持つパワーを感じるときがあるのだ。 これがタウン誌レベルになると、逆におもしろくないというか、 いいと思って書いてるのにヘン、というあたりが笑えない。 タウン誌の飲食店紹介記事における「こだわり」と「絶品」は、 禁句にしてほしいと常々思っている。 (まぁ、その点「ホットペッパー」あたりではすでに「超絶品」という表現に突入しているが)
そんな私の情報誌小姑ぶりに影響されたのか、 今日はダンナから報告の声が上がった。 スクーター雑誌のパーツ紹介記事から。 なかなか不可解で、良い物件だった。
「なにやらものスゴイデザインの…(中略)…目が回りそうな価格未定だ」
目が回りそうな価格未定…。うーむ。
2003年04月23日(水) |
「い」「ご」の次は…? |
こないだ、なにか悪いことをして捕まった人の名前に苦笑い。 「いとうひろゆき」 今朝、また別の悪いことをして捕まった人の名前に苦笑い。 「ごとうひろゆき」 いつも、別に悪いことはしていないけど、私のいちばん近くにいる人の名前は、 「かとうひろゆき」 という。 なんだか苦笑い。
近ごろどうも、自分が変わっているようだ。 部屋の片づけ具合や、HPの引っ越し、料理の作り方を見るにつけ、 より「ややこしくない人間」「どこでも生きられる人間」 を指向しているようだ。 こういう変化は、自分でもどうしようもないものなので、 ただ黙って従うしかない。 ひとまずは部屋が片付いたので良かった。 ピタパンも焼けるようになったりして、おいしいものも食べられる。 どんなふうに自分が進んでいくのか、楽しみに見ていくことにする。
また「近藤さん」に電話がかかってきた。 2ヶ月に1度はかかってくる。 近藤さんの電話番号が加藤さんの電話番号に変わって3年は経つというのに、 いまだにかかってくる。 今日なんか「帰ったら堀田まで連絡を〜」というメッセージが入っていた。 電話番号が入っていたら、堀田さんに掛けようかと思ったけど、入ってなかった。
かかってくるのは、ほとんどオバサンだ。 趣味か何かのサークル仲間って感じ。 借金取りではなさそうだ。 ということは、近藤さんはそのサークルの人(勝手に決めつけてるけど)に、 自分の電話番号が変わったことを知らせなかった、 あるいは知らせることができない状況に突然おちいった、ということになる。
今日は留守電だったけど、直接取ったときは、 「よく近藤さんと言ってかかって来るんです」と説明するようにしている。 それをもう、何人に言ったか…10人は下らない。 ということは、その10人同士も知り合いではないってことだ。 知り合いだったら、もしくは同じサークル(?)の人なら、 「近藤さん、電話変えてたわよ」という話になってるはずだから。
広い交友関係を持っていた近藤さんの電話番号が、 3年前のある日、その人たちに知られることなく、 近藤さんのものではなくなった。 いま、近藤さんはどこでどうしているのだろう。 いろいろな人から掛かってくる電話番号だけが、 加藤さんのものとなって存在している。
昔書いたか書かなかったか、 書かなくても複数の人には話したことがあるのだが、 テレビに出たりコピーの仕事で外に出るのは、 自分に修行を課しているという部分がとても大きい。 放っておくと家や道ばたにこもってしまい、 グジグジと自分の世界で遊んでしまうし。 人と話すのも苦手だし、できれば家族や数少ない友人たちと、 ときどき会うくらいで暮らしていきたいと思っている。 でも、それは、やっぱり違う。 そういう世界は、帰ってくる場所だ。 帰ってくる場所の人だって、 家でグジグジこもっていたヤツのグジグジ話なんて聞きたくないだろうし、 なんというか、それは虫のいい話だ。 出て行くからこそ、帰ってこれる。 いくら居心地が良くても、一ヶ所にとどまり続けるというのは、 いつの間にかよどんでしまうと思う。 すべてのものはうつりかわる。 うつりかわることで、そこにある。 うつりかわるもの同士が、うつりかわりながら、時々会って、飲んで話す。 それはダンナでもそうだ。 毎日それぞれに家を出ていって、帰ってきて、話す。 私は自宅就労者なので、家の中の仕事場に出ていくときもある。
リビングは、帰るところであって、いつもいる場所ではない。
でも、こんなこと書くと、 「ワケあって家から出られない人はどうするんですかっ!」って泡飛ばすヒマな人がいる。 それは気持ちの問題なんだ。 頭の切り替えには、体の動きがいちばんきくので、外に出ようということなのだ。 そんなこというヒマがあったら、宇宙の本でも見ていよう。 「図書館にだって行けないんですっ!」 だからさー、それは事実なだけで、自慢することじゃないんだって。 自分の弱さを探して武器にするのって、違う。
なんか、違う方に話が行ったが、よどむのは良くない、という話でした。
ここ数日、雨が降る雨が降ると思いつつも、 そんなに大層な雨ではありませんでした。降ったり止んだりで。 今日は、まぁずっと降りそうな雨。 春らしく、静かな雨です。 これから、おとといに引き続き、部屋の片づけ。 今日中にやっつけたいたくさんの仕事があるのですが、 それをするには片づけしないとできない。 いま、足の踏み場もありません。
何がそんなに部屋中に広がっているかというと、 何年も前からの「ながさきプレス」がけっこうたまっていたので、 自分が書いたのをジャンジャン切り取って、それをジャンルごとに分けていたのです。 いろいろ書いてました。 今も続いているページもありますが、単発の旅ものなどがあって、 時の流れを感じました。(いまは隠居状態でそんなページを書かないので) 新入生用の長崎ガイドもあった。 「ヤゼッカ・デスバイ」という西洋ジジイが長崎を紹介するという設定のものは、 ときどき頭をよぎっていて、どこに行ったかなぁと思ってたので嬉しかったです。 「訳・大林源三」だったし。 当時私は「大林源三」というジジイネームで、しばしば原稿を書いていたのです。 大林源三さんがパチンコにはまっていたころの編集後記「銀玉の小部屋」も発見されました。 昔は編集後記にも顔を出していたんだなぁ…。
でも、いま読むと「ちょっとやだ」と思えるのもありました。 自分のものの見方に対して。 それが思ったよりもあったので、大して変わらないと思っていることも、 やっぱり変わっているのだと実感しました。
これからまた、たぶん読みはまりながら、ファイリング作業をします。
2003年04月02日(水) |
もうそこにはいない。 |
この前、ある人の展覧会のようなものを見ました。
その人の本を、私は10年ほど前からたくさん読んでいて、 その人が持っていた物の写真もたくさん見ていました。 その人は数年前に死んでしまいました。 その人が持っていた物たちは、持ち主に死なれてしまったわけです。 その展覧会には、その物たちが並んでいました。
写真のほうがよほど楽しかったです。 とても寂しい気持ちになった。 …いや、はじめは「寂しそうだな」という気がしていて、 「それらを愛した人からもう使われることはないから」と、 説明しやすい理由を考えていたのですが、 単なる寂しさとも何か違うような気がして、 何だろう、と思いながら見ました。 考えた末の結論は「ついていっちゃったんだろうな」でした。 その物たちを愛した人があの世にいっちゃったと同じ時、 その物たちのいちばんいいところ、魂のようなものも、 ニコニコしてついていっちゃったんだろうな、と。 だから会場に並んでいるのは目に見えるただの「かたち」の部分。 寂しさというよりも、成仏しちゃったさっぱり感。 お骨、のようなもの。 もちろん目に見える部分の「かたち」だけでも、 とても美しい物たちでしたが、 もう、そこにはいませんでした。
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