ぴんよろ日記
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2002年12月26日(木) 心にしみすぎるちょっと怖い話。

それは、朝には無かったものだった。
おびただしい数のビールの空缶や焼酎の五合瓶や一升瓶を、
大黒さまのようにわっしょいわっしょいゴミ捨てに行ったときは。

それは、昼にも無かったものだった。
ハハから昼ごはんの誘いがあって、このクソ寒い中、
バイクで街に降りて、仲正で天ぷらソバと玉子丼を食べて、
またブーンと家に帰ってきたときにも。

それから、親戚のお姉ちゃんが、年賀状用の写真をスキャンしに来て、
お姉ちゃんが持ってきたイチゴをおいしく食べて、コーヒーを飲んで、
家まで送っていこうと、エレベーターに乗った。

そして降りた。

…何か落ちてる。

…う、うわー。

ちょっと、これってツラくないかなぁ…。

と、とっても怖い気も…。

…。

私はこういうものを、生で、この眼で見たのは初めてでした。
あんまり引っ張りすぎるのもなんですから明かしますと、
写真だったんです。
「破れた」じゃなくて、おそらく「破られた」写真。
もう、ビリビリ。普通のサイズが10枚くらいに分解されている。
しかも、か、顔のところが真っ二つに…。
それが、このビルに住んでいる人ならば日に何度も通るようなエレベーターの前に落ちていて…。

この写真のあり方に至るまでの経緯は、いろいろ想像はできますが、
とにかく、なんというか、肌に悪い寒さがまとわりついてくるような気持ちになりました。
もしも触ったら、こっちまで呪われそうな…。

でも、今日はもう一度、そこを通らなくてはいけません。
そのとき無くなっていればいいのですが…。



2002年12月17日(火) 「かんしゃく魂」好きを自覚した決定的要因。

私は「かんしゃく魂」のラーメンが好きだ。
(長崎市浜口にあるとんこつラーメンの店です)
理由はいろいろある。
食べ物屋さんの文章を書いてお金をもらうこともあるので、
人よりも多様な言葉遣いで書く自信もある。
でも、今日はそんなことじゃなく、
自分にとっての「かんしゃく魂」の価値を、
決定的に自覚させられたことがあったというおはなし。
気付いたときは、なかなか笑った。

ある夜、いつものように
「チャーシュー(つまみバージョン)」を食べながら
エビスビールを飲み、えび餃子を食べ、
2本目のエビスビールを飲み、
ラーメンを頼んだ。
これは加藤家の黄金パターンで、なんだかもう、
あまりにも変わらないので、頼むときに最近照れを感じるほどのお決まりだ。
ラーメンが、そのときの気分で、2杯とも唐辛子味噌入りの「かんしゃく魂」か、
1杯は普通のラーメンかに分かれたりもするが、基本的なスタイルは変わらない。

で、そうやってコースも佳境に入り、ラーメンを食べていたのだ。
そしたら、自分でも気付かないうちに、
まるで赤ん坊が喜んでいるかのように、
足をバタバタさせながら食べていたのだった。

…けっこう、こりゃ驚きです。
「どうした、自分、そんなに嬉しかったか」と、
ちょっと引いたくらい。

おいしさに身をよじることはあっても、
足をバタ付かせたのは、たぶん、それこそ幼児期以来だと思う。

だから、もう、「かんしゃく魂」さん、これからもどうぞよろしく…。


2002年12月09日(月) 人種の違い。

昨日の「情熱大陸」。
久しぶりに「あっ、これは絶対見よう」と思ってテレビを見ました。

青森の伝説のマグロ漁師の「復帰戦」を追いかけていたのですが、
(あまりにも釣っていて、人望も厚く、それゆえ漁協の会長を務めさせられ、
3年間船を降りていた。人間社会は残酷です)
いや〜、しびれたです。
小さい頃から船に乗り、魚を取ることがすべての人。
追いかけているのは、1本2〜3百万のでっかいマグロ。それだけ。
ディス イズ 漁師。
1ヶ月の約束で取材していて、結局釣れなくて、昨日の段階でもやっぱり釣れてないらしいのですが、
いや〜、よかった。
釣れずに帰って温泉センターでビールを飲んでいると、
脂ぎった町会議員が挨拶していく、というシーンがあって、
もう、その人たちと並ぶと、余計に人間の空気が違う。
とにかくいらんものが何もない。
もし荒れる海に飲み込まれることがあったとしても、
すぐに即身仏になれそうな感じ。
とてもすがすがしい気持ちで見ていました。
過不足のない人生、なんてことを考えながら。

そういえば、昨日はジョン・レノンの命日でしたね。
「情熱大陸」のあと、「あっ」と思ってチャンネルを変えたら、
オノ・ヨーコさんのインタビューの、最後の最後でした。
でも、こないだポール・マッカートニーのライブ盤をちらりと聴くことがあったんです。
ビートルズナンバーをたくさん歌っていて、
そのとき思ったのは、長く生きるのも悪くないな、ということ。
特にアーティスト関係の方々は早く死んじゃう方がかっこいいことにされがちで、
さらにビートルズのジョンとポール、ってことになると、
当然のことながらジョンはスラリとしたまま人の心に生き続け、
その一方でポールのシワは増えていく。
でも、生き残って、歌に味を付けながら歌い続けていくというのは、
やっぱり生きたモン勝ちなんだ。
若いビートルズの歌が耳に焼き付いているだけに、
いまのポールの歌声は、なんか、月日と、それによってだけできる味があると感じます。

死んで印象づけるのもアリかもしれないけど、
生きて広め続けるのも、決してそれに劣るものではない。

漁師の濱端さんだって、伝説の人のまま、船を降りっぱなしでも良かったんじゃない?
という考え方もあるかも知れないけど、
そういうことを考える人は、突き詰めれば脂ぎった町会議員になっていくような人で、
釣れないリスク、荒海で死ぬかも知れないリスクを分かっていても、
海に出るしかないと思う人間とは、
黒人、白人という分け方以上に人種が違うのだ。

生きていれば、するし、
死んだら、それまで。
生きつつ、しないという選択肢はありえない。

濱端さんは、人が知らない風が吹いている所に立ってた。
「ピュアな魂選手権」で頭が一つ抜け出しているようだった。
釣れてるかなぁ、マグロ。


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