ぴんよろ日記
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2002年08月29日(木) 二日酔いのこと。

いま、二日酔いです。
だいぶ抜け出したけど。
そう飲んだつもりもなかったけど、
思い起こせばけっこう飲んだ。
昨日見かえしていた写真の中にトニー(ダンナの実家の死んだ犬)と、
ゴル(私の実家の死んだ猫)の写真を見つけていて、
それぞれがそれぞれの写真を見て、私はかなり泣いたけど、ダンナはどうだったろうか。
朝から具合が悪く、7時から8時ごろまでが最悪で、
いつも思う「もうお酒を飲むのはやめようかな」という考えが頭をよぎる。
妙な汗をかきながら、御湯神指しに行こうかとも思うが、
この体力で行ったら死ぬかもしれないとも思う。
でもわかっている。時間が経てば治ることを。
眠るにも眠れない感じで安静にしていると、次第に回復してくる。
ヨロヨロと「DAKARA」(CMが大好き)と「GOKURI」(今いちばん好きなジュース)を買いに行く。
普段はあまりジュースを飲まないが、
この、二日酔いの回復時に、まるで点滴のようにスポーツドリンクを飲むのが大好きだ。
二日酔いの時には、私の体さんは麦茶も受け付けてくれない。水もダメ。これだけ。
ジュースはご飯がわり。二日酔いの日の昼は、できるだけ抜くことにしている。
冷たいと胃が痛くなるので、外に出している。
…ベランダにスズメが来ている。…
本を読みながら、いましばらく悪い汗を出し、徐々に近づいているという台風を楽しみに待つ。
ここまで来れば、もうこの具合の悪さを楽しんでいる。
二日酔いって、それぞれに治し方があるのだろうな…。



2002年08月23日(金) 名前は大変。

いま、とある町の役場の名刺のキャッチフレーズを考えているところ。
よくありますね「人と森が香る町」とか、そういうの。
「ほんの少しの悪いことも言えない」というのは、
明るい道だけを歩いているようなもので、ちょっと眩しすぎる気がします。
が、名刺に「さびれた温泉街と年寄りの町」なんて刷れないので、
明るいことばかり考えています。

昨日は昨日で、マンションの名前を考えてました。
これも悪い意味の言葉は絶対使えない。
「デビル浜平」とか。プロレスラーじゃないんだから。
では「シュムッツ浜平」はどうでしょう。
一見オシャレな感じの名前ですが、謎解きは後で。

名前を考えるのは難しいです。
子どもの名前なら、逆に簡単に考えたい。
太郎とか花子とか、そのレベルがいいなぁと思います。
自分がわりと単純な名前だし。
あんまり親の思い入れを背負わされてもねぇ。
漢字検定試験の問題みたいな名前もイヤだしねぇ。

マンションの名前を考えたりするときにめくる辞書があります。
英語やギリシャ語、フランス語にスペイン語と、
いろんな単語を一つ引くと、8カ国の言葉が出てくるというもの。
「ネーミングのための8ヶ国語辞典」。
さっきの「シュムッツ」はこれで引きました。
ドイツ語で「汚い」っていう意味。ぜーったい使えませんね。
この辞書はいわばコピーライターのトンカチやカナヅチみたいなもんで、
他の職業の人にはたいした使い道のない辞書です。
でもこれを引いていると、世の中にあふれているいろんな物の名前の意味が分かって楽しいです。
昨日は釣り番組で使われていた「アングラー」が「太公望」として載っていたのが笑えました。
番組では、すっごくカッコイイ感じで「アングラーたちの熱い思いがどうのこうの」
なんて言われるんですが、なんだ、太公望じゃん。
そうなると荒い磯釣りも、一気に「今年も鮎解禁」的風景に変換されるのがおかしいです。

ネーミング辞典は約900ページ。
どこにどんなピッタリの言葉が隠されているか分からないので、
名前を考えるときはまず、全ページをめくります。
でも結局は1つの名前に決まります。
辞典じゃないところから考えることも、もちろんあります。
考えた末にボツになること…の方が多いです。
名前は、大変だ。


2002年08月22日(木) ホントに肉を食べたいか。

ふと考えてみると、いったい何日の間、牛肉を食べていないか分からない。
買えないほどビンボーってわけでもないし、
食べたいときは貯金もないくせに焼き肉屋に行くし、家で焼いたりもする。
特に体が欲しがらないので食べていなかったという感じだ。

でも、特にグルメ番組などでは、牛肉がすんばらしくおいしいものとされ、
いつでも食べたいようなものだという感じで話が進んだりする。
だいたい温泉旅館の目玉は「ナントカ牛のアレコレ焼き」だったりする。
まぁ、旅先ではバシッと肉食べてもいいんだけど。

ただ、肉に限らず、いろんなものが「好き」だと思わされていることって多いんじゃないだろうか。
「食べたい」「遊びたい」のオンパレードで、胃袋と気と財布の休まるヒマはない。
人間って、もう少し地味で地道にできてると思うんだけど。

池澤夏樹さんのメールマガジンを取っているのだが、
こないだ送られてきた文章に、そのあたりをサクッと表しているのがあった。



 人間が持つ多くの資質の中で、消費者という一面だけがあまりに重視されている。
あなたは誰か。何を考え、誰を愛し、何を作る者であるか。

それを問う前に、何を買ったか、何を身につけ、何を食べ、何を所有しているか、が問われる。

 ものを買うことが自己表現の手段となり、人は互いを消費によってしか評価しない。

 親であり、子であり、友人である前に消費者。

 幼児の時から消費者。いや、生まれる前からダイレクト・メールが襲ってくる。

 経済成長の土台は消費です。

もしも20世紀的な成長の神話に背を向けて別の道を探るとすれば、ぼくたちは消費そのものを見直さなければならない。

新商品ラッシュの狂騒の外に出なければならない。



最近、冷蔵庫や食品備蓄棚をぼちぼち整理しながら料理を作っている。
電子レンジも壊れっぱなし。
でもあんまり不自由してない。
だいたい、あるもので間に合うし。
なければないでやっていけるのに、スーパーに行くと、たくさんのものを買ってしまう。
そういう呪いを、少しずつ解こうとしているこのごろだ。


2002年08月21日(水) そういや、ダメだったなぁ。

「ねずみ島」が100年らしい。
ねずみ島というのは、長崎港の出口あたりにある島で、
今は埋め立てが進んで、地続きになっている。
昔はここで水泳教室があっていたのだ。
「長崎っ子の夏休み」は、ねずみ島と相場が決まっているとかいないとか。
島で泳げなくなってからは、市民プールで開かれている。

そこでは上達の度合いが帽子で分かる。
まずは白い帽子に短い赤い線が一本から始まる。
それが何本か積み重ねられると、白い帽子をグルリと赤い線が一周する。
「赤線一周」なんて、なんとまぁ違う意味に取ってしまいたくなるが、
そういうものからはいちばん遠い、健全な子どもたちの世界である。
さらに上達すると、…どうだったっけ、赤い線がまた増えて、
たしか増えて仕方なくなると、帽子自体が赤くなるんじゃなかったかな。
そして次は白い線が増えていく。
…先生たちは黒い線の帽子をかぶってたかしら?
そのレベルになると、もう雲の上だ。

教室が始まるのは朝の9時。
出島の門鑑みたいな(すごく分かりにくい例え)木の札を、
首からぶら下げていく。プールまでは電車で通っていた。
その時間の電車は、上層部には大人、下層部には木札を下げた子どもが充満している。

だいたい友達同士で申し合わせて行くのだが、今思えば私は一人だった。
月・水・金のA班と、火・木・土のB班があって、みんながB班にしていたので、
なんとなくA班に申し込んだのだった。三つ子の魂百まで。
そのころの自分に「相変わらずだなぁ」と言ってやりたい。

たしか3年間くらい行ったと思う。
5・6年生の時は行かなかった気がする。
赤い線は短いのが3本で終わった。3年かかって3本…。
そう言うと、かなりのカナヅチさんのようだが、そんなことはないです。
これでも中学では水泳部に入り、全然たいしたことない大会でなら、賞状をもらったこともあるんです。
ではなぜ3本しか取れなかったのか。
それはとても簡単な話です。

行かなかったから。

夏休みに、しかも朝9時に、ラジオ体操が3日しか続かない子どもが、
どうやって昇級試験を受けるというのだ…。
3年間、ノリで申し込み続けたのだ。
それは試験の前の夜「明日の朝起きてやろう」と思うのに似ていて、
本当はできもしないこと。もちろんできなかった。
さらにみんな揃って何かをやることも、やはり小さいころから苦手であり、
土台無理なことだったのだろう。

水泳、ラジオ体操、そういう尺度で測られてしまうと、
私はまったくのダメ人間であった。
(もっとダメなのがダンスと行進。こちらは人間失格レベル)
いまも夏休みの終わりに、その水泳教室が「立ち泳ぎで大名行列」なんてやってると、
ちょっとだけシュンとなる。

良かった、もう子どもじゃなくて。


2002年08月20日(火) 波が立ってきた。

正直言って、この2ヶ月近くは、本当にヒマな日々を過ごしていた。
その前があまりにも忙しかったので、少々の仕事が来ても、
まったくこたえなかったというのもある。
海にたとえると、6月までが、うねりを伴った、たまに台風ありの状態だったとすると、
7月からはベタ凪(たまにさざ波)といったところ。
毎日ちゃぷんちゃぷんと、イカダの上で好きなことをして暮らしていた感じだ。
しかしこんな日もそう長くは続かない様子。
また波立つ気配がひたひたとやってきた。

多少大きくても、1つならいいんだが、来るときはいっぺんに来る。
いくつかの波がどこかで待ち合わせて、どどーっと攻めてくる。
人生は波の上。
渦中にあるときは分からないけど、あとで考えると、いろんな浮き沈みやリズムや色が見える。

今年の初めに、そうなるだろうとは思っていたけど、
今年の春までとその後では、まったく違う波の上にいるのが分かる。
同じようなことをしていても、違う波の上にいる。

どこまで、どんな波が続くのか、それは乗ってみないと分からない。
どんな波が来るのかは分からないが、海に出るのは自分の意志だし、
乗りこなせるかどうかもまた、自分の技量によるもの。
人生は波の上。
安定なんて二の次だ。
(そういや安定なんて、ホントにあるの?)


2002年08月17日(土) うちはカラフルだ。

うちに来たことがある人は、イヤでも知っているが、うちはかなりカラフルだ。
赤や黄色や緑や青やオレンジ…とにかく原色バキバキな色に囲まれている。
パステルカラーやモノトーンなんてありゃしない。
ニセ万国旗(大)や、中国の鳥や魚、カエルなどが平気でぶら下がっているし、
扇風機だってオレンジだ。(かなり売れ残っていた)
熱帯魚も泳いでいる。

「家」って、だいたい地味な感じで、「飽きが来ない」と思われているものばかりが集まっている。
子供部屋ならいざ知らず、「世帯」や「茶の間」では「落ち着き」がよしとされる。
「重厚な」とか。
そしていかにもな部屋ができあがる。
家具調度のそれぞれに「予算内の重厚さ」が追求された結果、
なんとなく安っぽい感じの。

でもホントにみんなそれで落ち着くのかなぁ。
別に誰もが「原色バキバキ好き」だとは思わないけど、
もっと好きにすればいいのになぁ。
それとも部屋なんて住めればいいのかなぁ。

結婚して、自分の好きに部屋を作って実感したのは、
なんて楽しいんだろうということ。
好きな色、好きなものに囲まれて、部屋にいるだけで楽しい。
楽しくない部屋で考えること、送る生活よりも、
楽しい部屋で考えること、送る生活の方が楽しいに決まってる。

「たかが住む部屋」なんて、ぜーったいありえない。
「されど住む部屋」でもない。「住む部屋こそ」だ。


2002年08月16日(金) 精霊流しのことなど。

今日もまた、めんたいスパゲティを食べた。
ここ数日で3回目だ。
簡単で非常においしいので、つい作ってしまう。
コレステロール問題はどうなのか、なんて気にしたふり。
たくさんのオリーブオイルと相殺ってことで。

そういえばダンナは朝5時前に出ていったようだ。
佐世保に来た空母の取材だ。
今日はちょうど16日。地獄の釜の蓋が開いているはずだから、
飲み込まれてしまえばいいのに。

昨日の精霊流しは、トニーの船を流したあとだったので、
8時過ぎに県庁坂へ着いた。
今年もなかなかの見応えだった。
毎年見ているので新しい趣向などはすぐわかるのだが、
いちばんインパクトが強かったのが「お尻」だった。
普通、担ぐ人は白い短パンのようなものをはいている。
(伝統的なものの場合)
しかしその船の担ぎ手たちは皆、あれは何というのでしょうか?しめこみ?
つまり博多の山笠の格好をしている。
船の帆に「流」という字が見えたので、ひょっとしたら山笠が好きな人だったのかも知れない。
山笠は山笠で、みんなヘアーギリギリ、お尻丸出しなので驚かないが、
精霊流しの場でそれが存在すると、かなりの衝撃である。
でもやっぱり、日本の男って、日本の格好が似合うなぁ。
妙なところで感心した。

銀屋町の鯱太鼓風なものも格好良かった。
土台は本物の鯱太鼓のものだという。
鯱のように高く高く活けられたヒマワリは、
故人が好きだった花らしい。そう年を取っているわけでもない女性のようだった。
樺島町のコッコデショ船(?)も、ここ数年出続けている。
龍船風なのも毎年1艘は見かける。
精霊流しを見に来た観光客にとってみれば、
図らずもくんち見物ができるということなのだが、
そう思って見ているかどうかは定かではない。たぶん見てないだろう。

中継の照明が消えたあと、明らかにカタギじゃない人に担がれた、
カタギじゃない人の船が来た。まだ若い人だった。
「兄弟 安らかに 眠れ」なんて書いてある。
大きい船だったので勢いをつけないと登れないのだろう、
県庁坂を「うおーっ」という声とともに一気に上がっていった。
坂の下から見ていたので、ほんとうに船がどこかへ昇っていっているようで、
その人の若さとも相まって、じんとしてしまった。

とにかく若い人だと、見ていて胸が詰まる。

そして毎年思うのは、いちばん混雑して賑やかなエリアに来ておきながら、
しかもずーっと同じ場所にいながら迷惑そうな顔をしている人や、
シラーッと興味なさそうな顔をして、だれた浴衣を着ているねーちゃん。

早う帰んなさい。


2002年08月15日(木) 竹線香の匂い。

いま、8月15日の4時過ぎ。
街からは爆竹の音が、バラバラバラ…と聞こえてくる。
トタン屋根にヒョウが降っているような音。

バイクで走っていたら、精霊船もあちこちで仕上げに入っていた。
完成して記念撮影をしている家族も。
なにかに胸を締めつけられて、泣きそうになりながら通り過ぎると、
竹線香の匂いがした。
ますます泣きそうになってしまった。

ゴンゴン…鉦の音が聞こえてきた。出発しているのだろう。

竹線香って、そういえば長崎ならではなのでは…。
…いま検索してみたら、オシャレなお香、あるいは「日本以外のアジア」で使われている線香だということだ。
ということで、長崎は日本ではないのかも知れない。
長ーい竹ひご(ドピンク)に黄土色の線香成分がまとわりついているもの。
お墓には、緑色の線香じゃなくて、これをあげる。

昨日の墓参りも私にとっては「毎年の光景」だったけど、
初めて本格的に「墓巡り」に付き合わされたダンナ(鳥取出身)は、
ずっと「?」な顔をしていたし、2年ほど前に長崎に移り住んできたカメラマン氏(親戚)も、
かなり興奮気味で墓巡りをしていた様子だ。
たしかに長崎のお盆の墓参りは、まったく辛気くさいものではなく、お祭りに近い。
死んでいる人の家「墓」に生きている人が集まってきて、楽しくやってるという感じ。
1年に1度、墓場でしか会わない親戚もいたりする。
そうなると自分たちが生者なのか死者なのかよくわからなくなって、
まぁどっちでもいいや、100年たったらみな同じなどと思ってしまう。

お盆の墓参りは定点観測のようなもので、
去年までいた人がそこに入ってしまっていたり、
新しい人間が発生していたりする。
ほんとうに、生と死、あの世とこの世は、思っているほど遠いものではく、
もっとグジャグジャで身近なものなのだと感じる。

私はこの「街のすぐそばにある斜面にびっしり貼り付いた墓場を、
花火を交えながらじゃんじゃん巡って親戚にやたらと会う」
というスタイルのお盆しか知らないので、逆に「静かに自分の家の墓だけ参る」という感じが分からない。
大学生のころ他県の友だちに「そんな墓参りのスタイルは不謹慎だ」というようなことを言われて、
けっこう大きなショックを受けた。
だったら長崎は不謹慎な街だということになるんだが、それはまったく違うと思う。
私は他の街で死者やホトケになるより、長崎でそうなりたい。
精霊流しは盛大にやってもらいたいし、墓ではどんどん花火をしてほしい。
久しぶりの親戚や知り合いや同級生に偶然会って、ワッハッハ、元気ですかなんて会話をしてもらいたい。
余所の人から見たら不謹慎でクレージーなお盆。
でも死者にとっては居心地のいいものなんじゃないだろうか。

さて、トニーの船でも流して、精霊流し見物と参りますか。





2002年08月13日(火) オリーブオイルに教えられる。

めんたいばなしの続き。
「いかめんたい」と「うみたけめんたい」の賞味期限は、それほど長くない。
だから大量消費メニューを考えて、スパゲティにすることにした。
たっぷりのレモンと、幻と呼ばれたりもする江島醤油、
さらに最高級オリーブオイルをどどどーっと入れて、混ぜておく。
固めにゆでたスパゲティを皿に盛り、これにも軽くオリーブオイルをからめる。
そこへめんたいペーストをドーンと乗せて、混ぜながら食べる。
「うわー」「きゃー」と言いながら食べた。あまりのおいしさに。
オリーブオイルの美味しさが決め手だ。

どれくらい最高級かというと、奥さま、タクのオリーブオイルは、ホホホ、
いやだわ、お値段を申しますとね、そうですわね、高級ワインとおなじくらい。それくらいでご勘弁下さいまし。
…っていくら何でもそこまでは高くなくて、1本3000円ぐらいのです。
まー、たしかに高いでしょうが、それにしたっておいしい。
さすがに加熱調理するものは別のオリーブオイルを使っているが、
カルパッチョやサラダなど、生で食べるときはこれをつかう。
バルデ何とかというもの…(台所へ)…違った、フレスコバルディ・ラウデミオだ。
これはもう、トマトのサラダなんてのにかけますってーと、
うっとりするぐれぇのうまさなんで。
それまでも調味料好きの私は、高めのオリーブオイルを買ったりしていたのだが、
ラウデミオさんはそれらをはるかに飛び越えてしまった。
なんだかんだと凝りたくった料理より、生や、さっとゆでたり焼いたりしたものに、
オリーブオイルとレモンと塩(これも各種取りそろえております)の方がおいしかったりする。
そういうおいしさの方が、かけがえなく、せつない感じがする。
よろこびはせつなさと夫婦だ。
せつなさとセットになったよろこびを感じるとき、生きていることを強く思う。
妙なところに結論が着地したが、そんな理由もあって、おいしいものが大好きだ。


2002年08月12日(月) めんたいごころ

きのう、ちょっと気が滅入るようなことがあり、
それがそのまま続いていた。
新聞が休みだったのも、一日の始まりをちゃんとできなくて、
その「滅入り」の続きに拍車をかけた。
やろうと思っていたことがいくつかあったにもかかわらず、
「滅入り」が重く体を包む。
それでも洗濯と掃除をして、おいしいものでも食べに行こうと思ったが、
やっぱりどんより座り込む。

そうこうしているうちに宅配便が届いた。
福岡の友だちから辛子明太子のセットが送られてきた。
めんたいと、うみたけめんたいと、いかめんたい。
冷蔵庫に入れて、また椅子に座る。
滅入りの原因のことを少し考える。
でもいくらいま私が考えてもしょうがないことだと見切りをつける。
どこで何を食べようかな、と気持ちを切り替えるが、
ぜんぜん切り替わらないどころか、外に出たくもなくなった。

めんたいで残りご飯でも食べようということにした。
「うみたけめんたい」にする。
昨日の残りの蒸しなすも出す。
なぜかカップヌードルのミニも。
味付け海苔。
あー、やる気のないご飯…。

ご飯に「うみたけめんたい」を乗せて、口に運ぶ。
うわぁ、うまい!
ほぐしためんたいに、サクサクコリコリした「うみたけ」とやらが入っているのだが、
こりゃー、うまいです。
なんだか一気に気持ちが明るくなってしまった。
心から友だちに感謝しつつ食べる。

その後、本を1冊読んで、いろんなことに納得した。
さらにやろうと思っていたことを実行する。

めんたいひとつで心も変わる。
「滅入り」の原因は消えていないけど、
こっちの心は変えられる。

だーれでも心の持ち方でー
しあわせにしあわせにしあわせにーなれるー

なんて歌ってる人もいるしなぁ。
(そういえば今朝、なんとなく予感がしてラジオをつけたら出ていた)





2002年08月11日(日) 毒はこまめに。

昨日は飯盛の「御湯神差し」に行きました。
麦飯石サウナと漢方燻蒸でごっそり毒を出してきました。
サウナに入っていると、なんて言ったらいいのか、
頭の中のことが見えてきたんです。
頭の中に、黒いモヤモヤした固まりがある。
汚い、でもフワフワした綿がぎゅーっと固められたようなもの。
煙が固体になったような。
ここしばらく、頭がくぐもっている気がしてて、
ちょっと二日酔い気味なのもあって、目は開けてるんだけど、
はっきり開いてないような感覚でした。
その正体だろうと思えました。なぜだ!と言われてもわかりません。
「あぁ、これかぁ…」と思って、黒い固まりを意識していると、
それがほどけ始めました。
ほどけて、ふわふわと拡散していくのです。
それがかなり薄ーくなってきたところで、汗がどばーっと出ました。
それまでも汗はどんどん出てたんですが、
背中が滝になったようにどばーっと。ざーざー、ざぶざぶ。
黒い綿は消えたようです。
暗いドームから出ると、目がスカッと開けられました。

たぶん、あの黒いモヤモヤがどんどんたまって、
ガッチガチになって、ある一線を越えてしまうと、
バターンと倒れたりするんではないだろうか。
オソロシヤオソロシヤ。

毒はこまめに出しましょう。


2002年08月09日(金) 大好きなたべものを巡る一日

西彼町の生長の家のギラギラとデカイ鳥居のちょっと先に、
「リーフ」というレストランがあります。
ダンナの同級生がやってるんですが、とてもおいしいです。
長崎では有名な天ぷら屋さんの親戚なんですが、
味の世界に「七光」はありません。おいしいものを作れるかどうか、
それは本人の勝負です。
「おいしいものを食べて育った」という良い環境は人よりもあったでしょうけど、
それだけでおいしいものは作れない。
で、彼はとても真摯においしいものを作っています。
特においしいのはタンシチューやハンバーグ。カレーもおいしいな。
もちろん出来合いのドミグラなんて使ってません。
タンも「いいタン」の「いいところ」をたっぷりと。
化学調味料なんかの「イヤな味」はひとつもしません。
だから逆に、そういう味が大好きな人にとっては、少し物足りないかも。
彼もそのあたりについては、お客さんから言われたりしたらしく、
「変えなきゃいけないのかなぁ…」と漏らしたこともあったけど、
その時は「絶対これがいいんだから変えたらダメ〜」っと申しました。
(たぶん言われなくても変えてないと思う。そんなヤワな人間じゃなさそうだ)
街の真ん中にあるわけでもないし、そもそも商売って難しい。
でも自分のやり方を信じてやってる、そういう人を見ると嬉しいです。
なにより大好きな味。
行くたびに内装などが変わっているのも楽しい。
(これまたほとんど自分でやっている)
コーヒーだけでも大丈夫。デザートもあります。
西彼方面に行くときはぜひ寄ってみてください。休みは水曜日。

昨日はそこでお昼を食べて、ゆっくりコーヒーも飲んだあと、「雪の浦手作りハム」へ。
こちらも大好きな味です。
いちばん好きなのは「ベリーロール」という、ハムにスパイスなどを巻き込んだもの。
脂身もけっこうあるんですが、この脂身ったら、もう。
私はこれを食べて、肉食人種の気持ちが少し分かりました。
生ソーセージ(バジル入り)も買いました。
初めての人には、奥さんが調理法を厳しく指導します。
「おとうちゃんの努力が無駄になる」ので。
ここは9月から長与駅近くに移転します。風花の中だったかな。
近くになるので嬉しいです。

そこにあったチラシを見て、西海町の「パオ」というお店に行ってみました。
カレーなどがおいしいようですが、さすがにお腹いっぱいなので、
雑貨とお店の雰囲気を見に。
ちょっと分かりにくいところにありますが、
元気な犬ちゃんが出迎えてくれました。
思ったほど雑貨はたくさんなかったけど、気持ちのいいお店です。
カレーもとってもおいしそう。
ジンバブエ製のTシャツと、椰子の実からとった砂糖を買いました。

西海町を南下して、産直の店で野菜を仕入れます。
「枝折れなすび」はこのあたりだけで作っているという、パッチパチして重いなすび。
枝が折れるほど重いってことなのでしょうか、命が満々という感じです。
見たことのない葉っぱがあったので訊ねると「つるみどり」という答え。
これまた弾けそうな新鮮さだったので買いました。
(アスパラとほうれん草を足したような味でした)
ずっしり充実の玉ねぎとジャガイモとアスパラも。

夜のメニュー。
ベリーロール。ゆでアスパラ。
玉ねぎと椎茸とトマトのスープ。
(生ソーセージをボイルしたお湯が出汁。コンソメなんていりません)
生ソーセージ。
ジャガイモ塩ゆで。
枝折れなすのオリーブオイル炒め。
つるみどりと白キクラゲ、トマトのサラダ。
(かぼすと生醤油としょっつる、ゴマ油のドレッシング)
バケット。

勢いあまって「適当ココナツプリン」も作った。
ココナツミルクと牛乳を温めて、椰子の実砂糖と阿蘇で買ったハチミツ、
溶かしたゼラチンを入れて冷やすだけ。
ココナツミルクがあまっていたのでムースでも作りたいと思って
ネットで検索してみたけど、メレンゲだ何だとあまりに難しそうだったので、
ダメモトで適当に。まったく問題なし。ビバ適当。

なんだかんだとおいしいものに囲まれて、いい一日でした。




2002年08月08日(木) こじんまりクラッシックのすすめ

昨日は時津のカナリーホールで、日本フィルのコンサート。
…なんだか連日カルチャーなオバハンみたいだが、重なるもんは重なる。
前日の「セントラル劇場」から一転、こじんまりしたホールに響きわたる、
ほんっとに耳と脳味噌が洗われるような音だった。
(脳味噌を洗われると、しかし怖いことになるなぁ…。)
「ルグリ」から残っていた雑音が、すっかり溶けていく感じ。
この日はフルオーケストラじゃなくて、弦楽器がいくつかの、
これまたこじんまりした編成だった。
でもこういう、いわば「初心者向け」のクラッシックコンサートって、
自分が初心者なこともあって、楽しい。
メンバーもリラックスしてるし、いろんな説明も聞ける。
「クラッシックの人」って、そりゃ「超一流」って人はどうかしらないけど、
「聞いたことある」レベルのオーケストラでも内実は苦しかったりするし、
演奏家たちが、演奏だけで生きていくということはけっこう難しい。
でも、一度、なんというか、表現することに魅入られた人にとっては、
たとえ田舎のジーチャンバーチャンでも(いや、その方が時に新鮮な気持ちを呼び起こすのだろう)、
自分たちの表現を聴いてくれる機会があるというのは嬉しいことだとおもう。
(それは音楽に限らない)
昨日の人たちも、プロフィールを見ると、それはそれは遠い世界に身を置いている人のようだけど、
でも目の前で一心に、楽しそうに演奏している人たちでもあった。
だからとても楽しかった。
そういえば何カ月か前にN響だったかな、その「こじんまりクラッシック(勝手に命名)」も、
大変に面白く、楽しかった。
クラッシックは、そりゃーもう、敬遠されるものの中でも、かなり上位を占めるのかも知れないけど、
極端な話、寝に行ってもいいという気持ちで行き始めると良いと思う。
何が良いって、つい寝てしまうほどに「いい音」が聴けること。
どこへ行ってもガーガーうるさい日常で暮らしていると、
思いのほか耳は汚れてるんですよ、お嬢さん。
そこで純粋に、耳の洗濯ができる方法を教えちゃいましょう、ハイ、こちら。
…つい「みの」になりましたが、そういう感じです。
さらにあれこれ考え事がはかどります。
体はじっとしてなくてはいけない状態で音楽が流れていると、
たとえば電車に乗っているときのように、
「心にうつるよしなしごと」がじゃんじゃんあふれてきて、深く考えることができる。
そのために、逆にフルオーケストラはつらい時がある。
たくさんの楽器の、いろんな音が渦をまいてて、大雨のあとの川で洗濯をするようなもの。
もちろんそれでもオッケーの強者はそれでいいんですが、初めはやはり小さな流れから。
あ、もちろん曲を純粋に楽しんでもいいんですけど。
そんなこんなで「こじんまりクラッシック」、おすすめです。

ところで、時津の「カナリーホール」、とっても良かった。
仰々しくなく、こじんまり感にあふれていて、
カフェも居心地が良かった。ビールもあるし、食べ物も充実してるし。
(カフェだけ行ってみる価値も充分あり)
あぁどうして長崎の中心部にこんなホールがないんだろう。
ブリックは立派かも知れないけど、ちょっと大きすぎる。
飲食関係もイマイチだし。
公会堂…あそこにこんなホールができたら嬉しいのにな。





2002年08月07日(水) もらった券で行ってて何ですが。

昨日、ブリックに「なにか」を見に行った。
ハハが、なにやらチケットをもらったから見に行こうと言うので。
そういうものは、知らなくても見れば面白いものが多いから、行くことにしている。
アミュで本を買って、駅でぶたまんを買って、電車に乗った。
茂里町が近づいてきたので「すいませんすいません」と言いながら前に進むと、
頑として動かない女が一人。
「すいませんすいません」「…」
けっきょくその女も茂里町で降りた。同じ催しに行くらしい。ヤケに気取った女だ。

「なにかを見に行く」と言いつつ、バレエ、ということは知っていた。
ブリックに近づくに連れて、どんどん姿勢のいい人が増える。
服に気を使っている人も増える。ブランドバック所持率もうなぎのぼり。
ロビーで待ち合わせだったのだが、ぜんぜん退屈しなかった。
バレエを習ってるっ!という雰囲気を持つ女子が、小学生から大人までわらわらと。
ちょっと親が小金持ちな感じで、それをハナにかけてそうな若いおねーちゃんもたくさん。
中学や高校でおんなじクラスだったら、ぜったい仲悪かっただろうな、という感じのおねーちゃん。
そして私の「全身ピンクハウスな人」観測史上、最高齢な人も見ました。

催しの名は「ルグリと輝ける仲間たち」だった。
ルグリさんという、フランス人の、スゴイらしいバレエの人と、その仲間が踊る。
クラッシックあり、現代風あり。
拍手するポイントがあるらしく、技ごとにパチパチパチ…。
まったくこの世界に縁がなかったので、正直言って戸惑いました。
ツンとすましたオバチャンやおねーちゃんが、
あの、ですね、その、男子ぴっちり白タイツの問題は、もう、いいのか、
無いことにして見てるのか、それにしたって、それは、だって、うーむ。
なんて考え込んだりして。
しかも私は、前の日、なんとまぁビデオで「フルモンティ」を見たばっかりだったのでした。
ふと気付くと、電車の、あの女も近くに座っていた。キミもいいのか、あれで。

いや、それはそれ、よくあるバレエを好きな人と、馴染みがない人の意識のすれ違いなんですけど、
ひとつ、ホントに、頭を抱えてしまったのが「音」。
その公演は、S席が13000円もするもんでした。
なのに、すんごく音が悪いんです。
生演奏じゃなかったのも、ホントのところ「えっ?」と思ったんですが、
そうじゃなければないで、きれいな音に乗せて見たいところです、
というよりも、それが当たり前なはず。
なのに、昨日の公演では、音が割れたような、かすれたような感じで、
申し訳ないが長崎の人だけに分かりやすく言うと、セントラル劇場の音。
フランスでも最高峰だというバレエを、セントラルの音で。
音響設備の問題じゃなくて、たぶん「輝ける仲間たち」が持ってきた音源がひどかったんだと思う。
曲の前に「シャー」なんて音が流れてた。
MDでやった「ヒサシ・クリモト」のコンサートの方が、
遥かに音は良かったです。

踊りはさておき、音のひどさにグラグラしてしまった3時間でした。
オペラ座だかなんだかの、
高い美意識を持ってるらしい最高のバレエ・ダンサー、ルグリさん、
ホントにあの音でいいのか???
そしてちょっと気取ったお姉さんたちよ、あれでブラボーなのか?
スタンディングオベーションなのか?

ひょっとしたら、そいういう世界なのかなぁ…。



2002年08月06日(火) 夢千代日記と痩せそうにないダンナ

昨日の夜は「かんしゃく魂」でディナーだった。
つまみのチャーシュー、えびぎょうざ、ラーメンのフルコースだ。
「かんしゃく魂」のBGMは、ふたむかしくらい前の歌謡曲やポップス。
たぶん有線のプログラムなんだろうけど、
昨日は思い出深い曲が流れてきた。
といっても、曲名も知らない。

その昔「夢千代日記」というドラマがあった。
たぶんどこかで書いたことあるとは思うけど、私が小学生のころのもので、
かなり「大人」のドラマにも関わらず、欠かさず見ていた。
好きで好きでたまらなかった。
山陰の小さな温泉町を舞台にした、人間模様。
主人公の夢千代は吉永小百合。広島の原爆を胎内で受けたという設定だ。
(そういえば今日は8月6日)
出てくる人それぞれが、深く暗い問題を抱えつつ、それでも生きていく。
私の、なんだろう…、人間観にかなり影響を与えたと思う。
あこがれにも似た気持ちで、山陰の鉛色の空や、海鳴りや、温泉街を見ていた。
(そしてそのころ、ダンナはまさにその、鉛色の空の下に住んでいたという不思議)
大学を卒業するとき、ひとりで山陰を旅した。
「夢千代日記」の舞台になった温泉はすっかり観光地になっていたけれど、
街の端々にはまだ、ドラマの雰囲気が残る場所があった。
たとえば小さなストリップ劇場。

ラーメンを食べながら耳に入ってきたのは、
ドラマの中で必ず出てくる、ヌード・スタジオのシーンで流れる曲だったのだ。
ストリッパーは一人しかいない。強烈なことに緑魔子だ。
さびしいような、たのしいような、どうしようもないような、そんなステージ。
あがた森魚がバイオリン弾いてたりして。

家に帰って、さっそくネット検索した。
なんと、テレビの全シリーズがビデオでもDVDでも出ている。
これは手に入れなくてはイカン。
しかし…。
ウチにはいま、ビデオしかないが、
年末までにダンナが8キロ痩せたら、プレステ2を買ってやるという約束というか、賭けをした。
DVDは、プレステ2でも見れる。
痩せるとはまったく思ってないが、もし。
さらにDVDはきれいだし。
あぁ。
こないだようやく「もののけ姫」のビデオを借りて見たけど、
いったい何度回されたビデオなのか、途中でセリフが聞き取れないほどノイズが入ってたなぁ。
レンタルの「もののけ姫」ほど「夢千代日記」を見るとは思えないけど、でも。
あぁ、あぁ。

とりあえず実家にある「夢千代日記」のビデオを持ってこよう。
(何年か前に再放送されたもの。悲しいかな全回分は揃ってない。)



2002年08月05日(月) 軽くカルチャーショック

昨日はオットとその両親・カトパパ、カトハハと寺に行った。
カトハハが好きな(?)寺が鳥栖のあたりにあって、そこに連れていった。
けっこう真剣に拝んでいる人がいた。
若い人、中学生ぐらいの女の子が長〜い数珠をジュズジュズいわせて、
ソラでお経を読んでいたりする。こんなこともあるんだなぁ。
カトハハは本堂で熱心に拝んでいる。
あ、別に新興宗教とかじゃなさそうです。家にはデカイ仏壇も無いし。
細い木切れを1枚500円で買って、人の名前を書いて、燃やす。
まぁ、信じるなら信じていいし、信じるというよりも、
心の拠り所という感じのような気がした。それはそれでいいんだろうけど。

その帰り道、私の干支は何かとカトハハ。
「蠍座、戌年、三碧木星です」と答えて数十秒後、
「あなた、来年は本厄じゃないの?絶対お払いにいかなきゃ!」
と、普段温厚でスローな語り口のカトハハがヒートアップ。
「付いていってあげるから!」とさらにヒートアップ。
「いや〜、わたしゃお諏訪の氏子ですから」なんて逃げますってーと、
「お諏訪さまでもどこでもいいから絶対行かなくちゃ!
こんなことは馬鹿にしてちゃだめ絶対あるんだから嘘じゃないのよあるんだから!!!」
句読点を打つヒマもなくヒートアップ…。
どうすりゃいいんだ。
マジで信じている人に対して、何と言いようもない。
信じてる人がいるのは別にいいけど、私はしようとは思ってなかったし。
さらに面倒だからと言って、すんなりお札を首にかけるのも何だかな。
無神論者って訳じゃないんですよ、ただ今あるカミやホトケがどうかっていうと…。
カトチチが「もういい加減にせんか」と押さえてくれて、まぁ、その場は。

ほんの数週間前、ハハ(私の)とばーちゃんと3人でゴハンを食べたとき、
奇しくもこんな会話をしていた。
(私…「み」ハハ…「ハ」ばーちゃん…「ば」)
ハ「厄入りとか厄払いとか、めんどくさかよね〜」
み「ごちそうしたりされたりさ〜」
ハ「そういえば厄年って何歳?」
ば「女は33やろう」
ハ「あら、みどりちゃんは来年?再来年?」
み「来年かねぇ」
ハ「あっはっは〜、お母さんはいつのまにか終わっとったばい」
ば「なんもなかとさ、厄とか言うても」
み「そうさね〜、なんかあるときはあるし、なかときはなかさ」
ばハみ「わっはっは〜」

見る人が見れば、罰当たりな家系。信心ゼロ。
いちばんあれこれ言いそうなばあちゃんがいちばんドライで、
「人間は死んでしまえば、なーんもなか」と言い切る。

さて、そんな私の「厄」はどこに行くのでしょうか?
出雲大社のオオクニさんにでも話してみようかな。
(神様、友だちよばわり)
出雲大社で拝んできたと言えば、カトハハも納得するだろう。そうしよう。

いろいろだなぁ。家は。
こういうことが険悪に、些細なことまでぶつかりあったりして、
ヨメシュートメのあれこれがあったりすんだろうな。



2002年08月03日(土) やっとこさ

「各種手続き」が先天的決定的に苦手なのだが、この数週間でかなり遂行できた。
3月までは曲がりなりにも会社に属していたようなので、いくつかは逃れていたのだった。

中には言うのがはばかられるようなものもありました。
…まずは確定申告、くくっ、〆切は3月。
バカのふりして送ったら、これがしかし、足りない書類があったとかで手紙が来た。
「納税に関してはご理解をいただき…」などと書いてある。
そうかー、納める意志があるってだけで、カテゴリーとしては「良い人」なのか…。
零細自由業なので、確定申告をするということは、
「還付金」という名の臨時収入が来るということではあるのですが。
(もちろん払いすぎてたのを返してもらってるだけなんだけど)

でも、この還付金が来たところで、吸い取られる先は決まっている。
3ヶ月分の保健と年金のお金だ。

保健と年金は、くくっ、これもつい先日、ようやく手続きをした。
どちらも3月に切れてて、4月から3ヶ月ほど空白だったのだ。
年金はともかく、保健は自分でもけっこう笑えた。
「あー、いま病気したら、事故にでも遭ったら、全額払うんだぁ〜」
それはそれですがすがしくはあったのだが、
以前いまよりもビンボーなプー太郎時代に、年金をたんまり滞納してて、
担当職員の「家庭訪問」を受けたことがあったので、
そういうのも、あー、やっかいだなぁ、とかなんとか思って入った。
(そんときは「親戚ですが」と他人のフリをした)

でも手続きをしていて、すごくイヤな気持ちになった。
健康保険って、どうやら「世帯」単位らしくて、
世帯主が違う保健に入っていても、保険料を払うわけではなくても、
なにはなくとも「世帯主様」があって、他の者はその庇護のもとにあるという形を取っているのだ。
だから保険証の受け取り(あ、行ってねぇ)の時には、委任状がいる。
こんなことが書いてある。
「世帯主以外の方が保険証を受け取りにこられる場合は、
必ず世帯主の方が委任状に記入して代理人に持たせてください。」
「持たせて」って、アンタ、子どものお使いじゃないんだから。
「代理人」って、アンタ、わたしゃ本人なんだけど。
ぶりぶり文句言いながら「世帯主」にサインさせていると、
「そう言われても…」と困っていた。
そりゃそうだろうけど、とっても不愉快。なんで個人個人じゃいけないの?
専業主婦や子どもたちはそれでもいいかもしれない。
でも自分で稼いで、自分で保険料払う人間にとっては、とても頭に来ることだ。
今時なにが「世帯『主』」なんだか。
このウチのどこにいるんだ「主」が。熱帯魚か?

再開記念に長々と。
もう一つ、やっとこさ変えたもの、それは新聞。
世帯主様のご親戚が地元新聞におつとめだったので、
結婚と同時に取るハメになったのだが、正直言って面白くない。
それでもまぁ、3月まではNBCで読めたので、我慢していた。
私にとって何がダメかって、本の広告が無いこと。
絶望的に無い。あるのは「生命の真相」や「人間革命」、
あとは「すてきな奥さん」とか。トホホのホ。
2週間ほど前に、唯一の楽しみだった日曜日の書評欄が、いつもの半分になっていた。
それが「手続き嫌い」の重い腰を上げさせてしまったのだ。
他にも理由はいろいろあるのだけど、それが決定打だった。
たしか春頃には「世帯主」の親戚さまも定年になっていたので、心おきなくやめた。

やめた日、たくさん新聞を買ってきて、どれにしようか考えた。
けっきょく西日本にした。全国の話題もそこそこカバーしつつ、
ローカルも充実しているので。ローカルで生きる身としては、これは重要。
本の広告もちゃんと載ってたし(朝日にはかなわんが)。
朝日もなんだか「朝日臭い」し、読売は思想的にも野球的にも論外。
毎日…うーん、お悔やみ欄の充実度が…。(何で決めてるんだか)
でも新聞って、毎日読むもんだから、じわじわ脳味噌を作ると思う。
気をつけた方がいい。

あー、いろいろ終わってさっぱりしたな〜。



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