長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年03月28日(火)

 続かない。――未来が、或いは過去が。


 今週で長かった春休みも終わり。次の一週間はガイダンスやら何やらで、更に次の週からは講義も始まるのだろう。――もう、あまり私には関係ない。私は、授業はゼミナールと卒論しか履らないつもりで、大学に行くのはアルバイトの為――になる予定だ。其のバイトだって、適当な量にするつもり。私は、今年一年を人生最後(のつもり)の受験勉強に勤しまなければならない。
 三年前は、其の時が人生最後の受験勉強だと思っていた。私は学校という空間が大嫌い。だから、教職も履らなかった。勉強するのが嫌いなのではない。学校という空間が、大嫌い。其れなのに、まさかもう一度受験勉強する嵌めになるとは。
 大学は嫌いじゃない――多分。高校は嫌いだった。恰も義務教育の延長のような、大学予備校のような、市内屈指の進学校。学問は好きだったのに、勉強が嫌いになった場所だ。

 後悔が無いわけじゃあ、ない。でも、開き直ってしまえさえすれば、何も、問題は無い。

 雨音が耳に響く。――煩い。
 明日は、雪が降るらしい。春の、雪。


「予約差し止めなんです、shiro と mizuiro」
「発売前に御予約頂いたお客様の手にも渡っていないんですよ」
「予約された方全員の御手許に渡る前に生産中止になるかも知れないそうです」
 そういうことは事前に言って下さいよ、店員さん。……仕方が無いので、別の機種で妥協することにした。色、性懲りも無く再び silver。red も素敵な色だと思ったのだけれど、厭きるかなぁと考えずには居られない。だから、結局は silver に落ち着くのだ。厭だなあ、此の性分。自己嫌悪の対象だ。



2006年03月25日(土) 笑うな。

 三年使った携帯電話をそろそろ機種変更しようかな、と思ってショップに行ったら、40ヶ月ですね、って笑われた。笑うな。そりゃあ、写メも出来ない超アンティーク携帯電話だけどさ。笑うな。私は其れなりに気に入って使っていたんだから。笑うな。バッテリーさえイカレなければあと一年は使うつもりだったんだから。笑うな。
 カタログを見比べつつ、近年の携帯電話は兎角高いなあと思う。現代人は携帯病ね、きっと。私の周囲には携帯電話を持っていない人が結構居るし(大学生の友人一名、大学の教授一名(自分自身で「いつまで携帯電話を持たずに居られるか」コミュニケーションの実験中らしい)、後は両親か)、私自身然程使わないので、必要無いかなぁとも思うのだけれども、学生という身分上如何しても連絡網として必要不可欠なのも事実で、緊急連絡はPCじゃ受け取れないし――等々考えてしまうと矢張り必要なので、壊れる前に機種変更は必須と思われる。色々悩んだ結果、あれにしよう、simple is the best だ、au の neon(shiro)。外面だけ白くて中身は黒、外も中も黒より余程洒落っ気があるじゃあないか。私にピッタリだ。明日にでも買いに行こう。


 隔週で土曜日は華道と茶道。華道、は和洋両道で。着付けも習いたいが、其処までの余裕は時間にもお金にも無い。


 ディスプレイに向かって作業をしていると、眩暈がする。頻繁に。
 飛行機で大陸間を移動すると、身体だけが先に 彼方 に着いてしまって、心は 此方 に残されてしまうのだそうだ。船旅は、そういうことがない。心も身体も一緒に 向こう側 へ渡ることが出来る。――らしい。確かに、覚えがある。飛行機は、何だか無理矢理 連れて行かれた 気がする。船旅なら太平洋を渡るのに一ヶ月くらいだろうか、欧州までは三ヶ月はかかる。つまり、其れくらいかけて移動しないと人間の精神は状況に追い着いていけない、ということか。案外、繊細だ。
 携帯電話は何時でも何処でも誰にでも捕まってしまって、常に監視されていて、嫌いだ。PCは其の点電源さえ入れなければ、誰にも捕まらない、誰にも見られていない。縦令電源を入れても、私を「私」と知ることの無い人ばかりがこの ディスプレイ の向こう側には居る。だから、私は幾等でも演じることが出来る。それでも。私は眩暈を覚える。ディスプレイ越しのコミュニケーションは、こんなにも遠いということを知っているのに。



2006年03月22日(水)

 一本だけ、切ってみる。昔ほどの痛みは感じない。
 二本目を、切ってみる。昔以上の痛みを感じる。
 ――何だ、大したこと無いじゃん。

 でも今は、三本が限度だな、きっと。


 自分自身が嫌いに、大嫌いになる瞬間がある。嫌気が差す。虫唾が走る。


 私は、弱くなった、か。



2006年03月21日(火) 残/遺

 紅茶を淹れながら、思う。砂時計が欲しい。3分用と、5分用。二つあれば2分も計れるし。でも今日の afternoon tea は葛餅と珈琲。モカ・ブレンドは一寸苦くて一寸酸っぱい。モカの酸味、苦手だ。


 最近、更新が多い。其れについて考えている。日記を書くだけの余裕がある――ということなのだろうか。其れは、とても喜ばしいことのような気がする。今は既に消してしまった高校時代のエンピツ日記は、更新頻度は其れはもう高かったけれど、大学入学後は殆ど更新しなくなって、月に片手くらいの更新。高校時代は荒んでいた――精神的に。荒むことで、満ちていた。大学時代は、枯れていた――精神的に。唯枯れていて、荒涼として、何も無かった。荒むことで満ちていたから書くこともあった高校時代と、荒涼として何も無かったから書くに書けなかった大学時代と。今は――無理して書こうとしている感じが強い。何かを、残/遺 そうとして。
 後一週間もすれば新学期が始まる。新年度だ。また、荒涼として、沙漠のようで、此処の更新も少なくなるのかも知れない。


 今年一年、人生最後の受験勉強をしようと思っている。



2006年03月20日(月) マニュアル

 あっさりグレープフルーツジュースと豆腐屋さんの作ったしっとりクッキー。


 朝起きて、雪。吹雪。猛吹雪。気付けば暴風雪警報発令中。……春近くして、冬将軍怒髪天を衝く。ブルドーザーが入って、雪を根こそぎ掻っ攫ってゆく。春先の降雪20cm。
 鴉が一点、何か赤いモノを銜えて何処かへ飛んでいった。

 丁度一年前に、諸事情が重なって辞めざるを得なくなった(私は本当は辞めたくなかった)大学図書館のアルバイトが、何故か復帰の声が掛かってあれやこれやと言う間に再契約。前回は大学に雇われていたのだけれど、今回は委託という形なので某巨大書店に雇われる身に。今までは上司だった大学職員が、今度はお客様という扱いに。……そして、スタッフリーダーが唯一の男性、他のスタッフ及び職員・臨時職員は全員女性。……溜息。というのも、女性は案外臨機応変に業務に携わっているのだけれど、男性って何でもマニュアル化したいみたい。マニュアルが無いと不安になるし、何か問題が起きた時には結局リーダーである自分がお叱りを受けるから、更にマニュアルを必要とする。基準とかスタンスとか、そんなことばかり気にして。――此処は大学図書館だっての。相手は学生と教授達で、唯一無二の金食い虫。利益がプラスになることなんて有り得ない場所で、何をそんなに焦っているのやら。そういうわけで、今日は私にとっては初のスタッグミーティングなるものだったのだけれど……詰まらん。四月から、不安だ。

 夜になっても雪が止む気配は無く、帰宅したのは19時半で、其れまでも其れからも降り続けている。厭きる事無く。



2006年03月19日(日) 砂溜まり

 演じるのは容易だ。――今でも、私はそう思っている。


 従妹(大学生)が実家に帰ってきているらしく、久々に会う。私より一つ下で、私と同じ高校を母校として、一浪して大学に入学して今は他県で一人暮らししながら勉学に励んでいる(筈である)。第一子長女という環境も手伝ってだろうか、私よりも活発で、同じ街に育った所為だろうか、他の従姉妹達よりは話が合う(寧ろ馬が合う)娘。一緒に遊んだ記憶は少ないけれど。――そう言えば、従兄弟姉妹と遊んだ記憶って、殆ど無い。御正月と御盆くらいしか会わなかったからだろうか。元々人見知りの激しかった私には、あまり関係の無いことかも知れないが。
 桃(従妹の住む県の特産だ)饅頭を御茶請けに、トワイニングの300周年記念ブレンドの紅茶を落とす。従妹は、よく喋る。私は普段から相手によって聞き役にも喋り役にも転じるけれど、こういうときに感ずる。私は、如何やら聞き役タイプらしい。喋っている相手を遮って話し始めることは、好かない。言いたいことが山程、脳内でぐるぐると廻っていたとしても。
 雄弁は銀、沈黙は金。
 でも。言わなければ理解されない。でも。言ったところで、理解されるとは限らない。私は一パーセントの可能性を否定する。言葉を紡いだところで、相手は其れを理解するだろうか、否、しないだろう。私は、雄弁より沈黙を選ぶ。選びたい。無用な誤解を与えるより、理解されない方が良い。どうせ、人間が他者を理解し切ることなんて、皆無だ。
 雨も雪も降らなかった。天気予報は大ハズレだ。代わりに空は晴れたり、曇ったり、忙しない。雲が広がって陽が遮られるたび――疼く。痛む。悲鳴を上げる。庭は、黒ずんだ雪に覆われている。此の雪が完全に解けるまで、春は来ない。
 紅茶は、ダージリンベースの品ある味だった。桃饅頭のほんのりした甘みが丁度良く合う。珈琲を飲めない従妹は、角砂糖を一つ溶かして紅茶を味わっていた。勿体無い、砂糖なんて要らないのに。私は言ったけれど、彼女はのほほんとして甘い紅茶を飲んでいた。


 砂時計から零れ落ちる時間が、溜まってゆく。



2006年03月18日(土)

 バイトの面々と食事会。――大学図書館の学生アルバイト。


 久々にCDを一枚購入して、行き付けのお店に立ち寄りつつ、何だか古傷が疼くような感触を摑んで、非常に苛立ちを募らせる。――嗚呼、何だ、湿気が多いんだ。明日は雨だか雪だか、そんな天気予報だった。空に雲が広がっている、其の鈍色が、私を苛立たせる。
 雪解けは、決して美しいものじゃあない。
 全て、黒ずむのは其のモノが悪いわけじゃなくて、其の周囲が其れを穢しているに過ぎない。寒さは冬の雪を清廉な白にする、綺麗な結晶を生み出す。春は、暖かさを齎す代わりに、雪を穢してゆく。唯、其れだけだ。仕方無いこと。何かを得ると、何かを失う。そして、何かを失ったときに得るものは、とても気付き難いもの。



2006年03月17日(金)

 陽溜まり。を、見つけた。暫くは――春が来るまでは、精一杯日光を楽しんでやろう。

 可哀想な娘を見つけた。でも、私には助けてあげられない。(助けてあげる、なんてほど傲慢でもない。)助言すら、私には出来ないだろう。何もしてあげられないのなら、きっと声を掛けることすら辞めた方が良い。だから、私は何も言わずに、立ち去ろう、此処から。


 土を抉って生えてくる野の花のように。幹を裂いて顔を出す新芽のように。此の腕を切れば、何か出て来るかも知れないじゃあないか。赤いモノ以外にも。



2006年03月16日(木)

 嗚呼、何て、何て――弱虫な私。気弱な私。自分自身に腹が立つ。苛立つ。虫唾が走る。



2006年03月14日(火)

 冬の残り香がする。不毛な大地を芽吹かせる強く冷たい風。春は近いようで遠くて、北国では、梅も桜も五月に花開くものだから、冬が長いというのは強ち言葉の綾ではなくて真実なのだろう。
 春は、未だ来たらず。

 止め処無く流れ続けるニュース。News。新しいこと、そして其れらは直ぐにも古くなってしまって、ニュースとは呼べなくなっても報道され続けたり、何かしらの新事実を交えて面白おかしく話題性に富ませて、矢張り報道され続ける。近年のメディアって方向性誤ってると思う。良い部分もたくさんあるけれど。良くない部分が隠されて、其れが逆に目立っている。
 何て、詰まらない報道たち。

 歌が聞こえる。



2006年03月13日(月) 千切

 過去の、幾つかの記憶を思い出して、其れらに苛まされる、辟易とする。
 人間不信が呼び起こされる。
 春休みの所為だ、日常が崩れてゆく、其れが、精神の崩壊に繋がる。
 頭痛、眩暈、そして発せられない声が、苛立ちを増す。

 ディスプレイの前では何も変わらない、声を出さなくとも言葉は発せられる。

 誰も見ていない、誰からも見られていない、存在の拒絶と否定の狭間。
 揺り籠の中か、漂う水面か、空から落ちるかの選択。
 息苦しさは、酸素が無いことではない、息をすることの苦しさ。

 過去の、幾つかの記憶に非過去を疑われている。


 記憶と夢とを混同させて、新たな夢を見る。
 夢を、見ようとする。



2006年03月04日(土) 書き付ける

 最近月に三、四回しか書き込まなくなった、ね。書くことが無いというよりは、態々書き付けることでもない、と思うようなったのかも知れない。高校時代の私なら、在る事有る事全部書き付けないときが済まなかったんだろうな。当時は当時で、其れで納得していたし、今は今で、当時から見れば充分枯れていることに納得している。思うことは以前よりずっとずっと多くなったのだけれど。そう――言葉で表現するのって難しい。安易に言葉に置き換えてしまうと、意味を違えて捉えられてしまう(或いは過去の自分を非過去の自分が間違えて捉えてしまう)可能性が潜んでいるから。……其れを利用して、態々言葉に置き換えることも勿論あるけれど。其れは其れ、ということで。










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