長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年02月24日(金) 踏み台

 兄の不甲斐無さが、私を貶める。だから私は兄と一線引かなければならないのだ。そう考えるから、私は切っ掛けを必要とした。其の切っ掛けを、一つの旅として、私は独逸に行ったのに。
 結局――私がいない間も兄は 甘えん坊 で、私が帰国してからも、相変わらずの 甘えん坊 に過ぎない。嗚呼、何たる事か! 私は懸命に無い翼を広げて飛ぼうとしているのに。兄は翼を持っていながら飛ぶことを辞め、庇護してくれる屋根の下に居坐り続けるのだ。兄は、飛ぶことを諦めたのではない、自ら翼を棄てた。私は与えられていない翼を必死に探し、生み出そうとしているのに。翼を手にした兄は、私の憧憬であり、羨望であったのに。其れは嫉妬にも近いものだったのに。今の兄は、軽蔑以外の何物でもないのだ。

 兄は、何度も私を裏切った。そして最後まで私を踏み台にすることを厭わない。

 何だよ、私は鳥の翼なんて高望みはしないよ、そう、せめて蝶の翅ほどのものがあれば、飛んでみせるのに。



2006年02月06日(月)

 某新聞より。

 何だかなぁ。
 之によると、私は中学でも高校でも(大学でさえも)「やっちゃった」組なのだけれど。
何だかなぁ。
 私は誰にも告げなかったし(と言うには語弊がある。数名の友人は事実を知ってはいる。然し其れは私が直接言葉にしたのではなく、詰まりこういうサイト上の記述から認識しているもの)、オトナ――所謂家族とか教師とかには隠し通し た/ている し。
 何だかなぁ。



2006年02月04日(土) 夢(color)

 何だか、こう、……やる気が無くなってくる瞬間。

 夢はあまり見ない方だ。だから、夢を見るときは疲れているときとか、其れこそ何かを暗示しているときとか、そういう時に限る。因みに何度も言ってきたようにカラーの夢は見ない。白黒モノトーンの夢だけ。
 な の に 。此の私がカラーの夢を見るなんて。絶対おかしい。之は只事じゃあない。
 そんな風にして夢の内容が鮮明に記憶されている所為か、頭痛が耐えなくて(インフルエンザじゃなかろうね、と疑ってもみたのだけれど)、微熱は常の事として、取り敢えず普段より身体がだるいようだ。でも此の身体のだるさというのは案外曲者で、今回の場合は 夢 とかいう内的要因ではなくて、外的要因の可能性の方が高い、と私は踏んでいる。曰く、問題児兄貴様。そういうわけなので何処まで 夢 の影響を受けているのか知れないが、兎に角、私は此の 夢 を独逸にまで持っていくのだろう。何と無く、そういう気がしている。



2006年02月02日(木)

 銀世界、なんて誰が言ったのだろう。世界は只管に白く、眩暈がするほどに、何処までも果てし無く白く、天と地の境界線も無く、白く、白く、其れだけ。

 切って貼ったような一日。

 春休み。
 単位を心配するような日常を送ってはいない。そう、精々 優 良 可 のどれで合格するかということくらいで、だから 不可 なんて有り得ない。私は案外優等生なのだ。というか、優等生を演じることなんて容易いという、只其れだけだ。其れは傍から見れば酷く莫迦莫迦しいことで――傍から見るまでもなく、酷く莫迦莫迦しいことなのだ。私は自覚している。其れでも辞めない(辞められない)のは、私が其の生き方しか知らないということと、私が其の生き方を選んだのだということ、其の二点に尽きる。
 加奈陀へ一ヶ月間 海外逃亡 したのが丁度一年前。如月12日に出国して、弥生12日に帰国した。一年。そして私は之から再び、我慢できずに、 海外逃亡 する予定だ。今度は独逸。来週、如月9日に出国し、六日後の14日に帰国する。一週間の短い逃亡。私は、 家 に辟易としていてる。今回の逃亡に関して、友人達には一切告げていない。親戚にも告げていない。私は一人で行く、基、一人で逃げる。冬の雪深き黒の森へ。










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