長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年01月18日(水) コドモ

 何と無く、否、明確な理由を持って。――字はまた小さくなったよ。


 ゼミの先輩が卒論で「子どもをもつこと」というタイトルで書いていた。内容は虐待に始まり、家庭内暴力から経済的問題にまで及んでいたのだけれど。……嗚呼、こういうのって、つまり、虐待とか家庭内暴力とかだけれど、そういうのって、 シアワセに育った子 が書くんだなぁ、と思った。内容があまりにも一般化し過ぎていることと、視点が妙に大人であることと。此処でいう大人というのは、子どもを知らない、或いは忘れている人間だ。もし、 虐待された子 や 家庭内暴力を振るった子 がこういう趣旨の論文を書こうとすると、きっと全く異なるものになるだろう。上から抑え付けることしか知らない大人。子どもが自ら成長することを認めない、大人。
 私は子供が好きではない。寧ろ嫌いだ。だって、私は親が嫌いだから。だから親の子供であった私自身が嫌い。だから私は早く子供じゃなくならなきゃいけなかった。早く、自立しなきゃ。早く、一人立ちしなきゃ。でも親は其れを認めない、認めようとしない。私はいつまで経っても子供のまま。だからせめて世間的には子供じゃなくならなきゃいけなかった。大きくなったわね、いつの間にか大人になったわね。そう言われるようにならなきゃ。だって、私は子供が嫌いだから。子供である自分がきらいだから。早く大人になって、そして絶対親になんかなるものか。だって、私は、 子供 が嫌いだから。



2006年01月13日(金) 無気力な 境界点

 何だろう、この――やる気の無さ。惰性、か。ゼミ論を終えたことで気が抜けたか。


 あの人は如何しているだろう、なんていう過去への、或いは現在の遠くへの、思いを馳せることを意図的に辞めて、目の前のことだけを処理しようとしたって、取り敢えず出来ることから、なんていうのは所詮口先だけで、取り敢えず出来ることなんて何の意味も為さないことだったりする。何の意味も、為さない。過去に囚われるのは不可なくて、未来だけを見詰めてふらついているのも不可なくて、じゃあ現在って何だよ。過去と、未来との、境界線。否、線じゃない、点か。境界点。

 人間がどれほど自分勝手かってことは知ってる。私だって自分勝手な人間だ。人間は皆エゴイストだって私は考えている。だって、私はエゴイストじゃない人間に出会ったことがない。自分のことしか考えていない――他者のことは考えている振りだ、とは言わない、でも他者より自分の方が遥かに可愛い――其れが人間だ。きっと。人間だけじゃなくて、動物なんてそんなものだ。自分が生きることだけしか考えられないのだ、生き残る為の、其れは本能だ。だから、エゴイスト。私が人間不信だからそう感じるのではない。きっと。
 でも、そうとは理解していても。こんな理不尽なことはない。全てを無視された形での一方的な依頼――拒絶できない命令のような、依頼。


 ル・クレジオ氏が来るんだよ、お会いできるんだよ。『ナラ・レポート』の津島佑子氏も来るんだよ。でも、こんなのは私の 為事 じゃあない、よね。



2006年01月11日(水)

 新年明けましておめでとう御座います。
 ――……遅過ぎるか。

 今日から授業再開。短い冬休みは、当然の如くゼミ論の執筆と試験勉強とに追われて碌に休みらしい休みを過ごすことは無かったですよ。多忙、なんて言うつもりは無いけれど。まあ其れなりに、学生なりに、せかせかと生きているわけです。

 兄貴様の 御病気 の具合は知れないけれど、彼の御蔭で私は胃痛が酷いので、彼が呑む筈の薬の中から胃薬だけを頂戴して服用している(だって彼は薬なんて必要無い(と当人は言わないけれど当人が呑もうとしないから余っている)んだもの)。胃薬は他の薬と一緒に呑んでも平気(だと思われる)ので、時々は頭痛薬も併用。薬漬けにはなりたくないと頭の片隅では考えているのだけれども。何と言おうか、背反して薬を呑みたくなってしまう感情的な部分が、何処かに潜んでいる。ね、こういうのがいけないんだよ。感情とか理性とか、そういうものが理解の範疇を超えて働いてしまう感覚。――嗚呼、ポストモダニズムの考え方では理性なんて存在しないんだっけ。真実なんて無くて、普遍的進化も進歩も無くて、アイデンティティも無くて。一部は私も肯定するけれど、一部は矢張り 感情的に 拒絶してしまうな。こういうのが、いけないのか。

 手作りで「雑誌」なるものを発行し始めて、季刊誌なので三ヶ月に一回、其れが三冊目を数えて、四冊目の準備に取り掛かっている。原稿は学生に依頼、其れらを編集して、校正して、印刷して、製本する。製本は和綴じ、宛ら裁縫でもしている気分で、ちまちまと「家庭内手工業」を実践している。細々しているし発行部数も極端に少ない(手作業なので一度に作れるのは30部が限度である)ので如何にも寂しいのだけれど、私はこういう「手作業」が嫌いではないらしい。何かを作り出すことは面白い。其れは、立体的な形を持ったものかも知れないし、平面的なものかも知れないし、無形物かも知れないし。でも、結局は好きなんだなぁ、と思う。四冊目、つまり、四季が一巡りするわけだ。学生発、学生執筆の雑誌。モラトリアムの私たちは、意外と「何かを書いてみたい」と思っている人が多いんだなぁって。どうせなら、ちまちまと、北国以外の人からも原稿を集めてみたい。なんていう密かな野望。興味のある人は此方まで御一報を――なんて書いたら、連絡下さる方なんているかしら。










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