長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年10月20日(木)

 頑張ろう、もう少しだけ、って、そう思っていたけれど。
 矢っ張りちょっとまだ無理かも知れない。



2005年10月15日(土)

 雨が降り始める直前の匂い。空気の腐臭と、煙草の鼻を突く香りと、全てを洗い流そうと躍起になる人々の思いとが混じり合ったような。重たくなった雲が、落ちてくる。


 空も空気も銀色に鈍く色付いて、何処か重たく、水銀のような粘着性を持って、私の腕を、脚を、絡みとって放さない。其れは裡側にも浸透して、思考の自由さえも奪ってゆくのだろう。やがて銀色は小さな粒子となり、其れが大きくなって世界の銀色を奪い尽くし、大地へと沈んでゆく。其の日が来るまで私は待ち、其の日を恋い焦がれ、日々を過ごして行くのかも知れない。



2005年10月12日(水)

 左眼の涙腺を刺激する何か異物が眼球の表面に浮いている。


 嗚呼、こういう電子板状の公開日記とは何て陳腐なものなのだろう。書きたいことを表現できない無力感と、伝えたいことを伝えきれない脱力感。どうせ、顔も名前も知らない解らない人に対して送るメッセージじゃない。たった其れだけのこと。其れだけのことに、私は苛立ちを禁じ得ない。
 コミュニケーションの形態は変化している。変化しつつある。常に変化している。
 隠す為の日記なら幾等でも暗号化しよう。誰が読んでも解らないように。私だけが記憶に浸れるように。そうして、過去に縛られたまま未来へと歩き出す。重いものも、軽いものも、全てを背負って。



 乾燥した肌が剥がれ落ちてゆく。流れる血も無く、鈍い痛みだけが表層に残っているというのに。止める術を、私は知らない。



2005年10月10日(月)

 嗚呼、何て――――閉じられた世界。



2005年10月09日(日)

 10月10日に、隠すように、隔すように、之を書く。


 つまり、母は、言い返してくる者を決して許さない。口答えは許さない。そういう者に対しては完膚なきまでに打ちのめさないと気が済まない。つまり、あの人は、そういう人間なのだ。たとえ相手が誰であっても。そういう意味では平等とも言えようか。



2005年10月06日(木) 落穂拾い、ミレーの、或いは其れは言葉の断片を拾う作業

 学舎の窓から見下ろす並木道は漸く、色付き始めたのだろうか。緑から黄へ、黄金色を経て赤へ。空は高く澄み渡り、如何にも秋らしい、其れを強調して猶陽光は鋭く、そう、電子の、プラズマの放たれる、迸る、乾燥し切った秋の空。多分其れは地上との対比。眼鏡が遮るのはいつだって赤い光、もしくは緑の光。だからどれほど翼をはためかせて大空へ昇ったって、其の先に待っているのは小さな達成感と大きな苦痛。息苦しさは地上にいたって変わらないけれど。つまり、生き苦しさ、か。

 グラヌールの最新号には吉増さんの詩が載せられている上に原稿のカラーコピーまで付録されているけれど、どれほど吉増さんを尊敬している人が多かろうとグラヌールの存在を知っている人は極僅かなのだろうな、と思う。そういう意味で私は吉増さんと面識があってグラヌールという小さな雑誌を手に入れることも出来て、シアワセだ。10日の吉増さんと今福先生とのセッションには行けないけれど、15日に一時戻られる今福先生からきっと其の話を聞こう。来週の土曜日か。久々に、待ち遠しいと思える日がある。 でも其れも一時の事だ。きっと。

 嗚呼、何て、何て幼稚なのだろう。言いたい事の、伝えたい事の、半分も言葉にすることが出来ないなんて。文字書きとしては本当に、本当に失格。


 胃がキリキリと音を立てる。頭の片隅が鈍痛を帯びて、其の反対側では鉄鎚が振るわれている。指の一本一本が言う事を聞かず、それぞれが自分勝手に震えだすのだから始末に終えない。人間の意識ってこの程度か。無意識の領域なんて知らない。有意識の領域でさえ侵食されつつある。心臓が今にも破裂する、其の音が、私には聞こえるよ。



2005年10月03日(月) 余韻がある、其れは不吉ではないけれど不安を齎すもの

 嗚呼、私達に向けられる、幾つかの、敵意にも似た感情。然し其れは何処か神の作為的な、或いは人工的な、何か裏側の存在に支えられた感情のような気もする。本当は理解に苦しむ事柄にも頷いてしまうのがそもそもの過ちか。


 余韻がある。ノーマ・フィールド女史に御逢いする機会があって、同時に少しだけお話しする時間を戴けて、私は暫くの間其の余韻に静々と浸っている。女史の醸し出す雰囲気は、詩人吉増剛造氏の持つ空気と酷似していた。走り抜ける現代の時の流れを少しだけ穏やかに緩やかにしてくれる、周囲を見渡す余裕をくれる、そんな空気。
 実の所、私は六月の一件から未だ完全に立ち直った訳ではない。何時もの如くと言おうか、私は其の件について当時は誰にも話す事無く一人胸の内に仕舞い込んで処理しようと考えた。処理出来ると考えていた。結局、メッセンジャには上がらないわHPは閉鎖するわで関係者数名には事の次第等々多少話したが、今のところ其れだけに留まっている。そうして三ヶ月以上が経過しているのだから如何しようも無いのだけれど。
 考えるだけでは如何にもならない事もある。此の間、私はかなり活動的に動いていたし、此の一件に対する私の感情は全く別物と切り離してきたつもり。焦っていたのは確か。不安定だったのも確か。切りたくなったのも死にたくなったのも事実だけれど。
 走り抜けてきた、だから見えない振りをして平気だった部分もある。時間の流れを穏やかに緩やかにしてくれる存在は、そういう布石は、確かに私には必要なのだ。ただ、嗚呼、今回は若しかすると非常に時期が悪かったのかも知れない。余韻がある。考える時間を与えられた、鼓動、呼吸、空気の振動、其れは直接心に響いてくる、余韻。


 何処までも続く果ての無い空のように、私から続く細い細い糸もまた絶える事の無いものなのだろうか。










 <<  道標  >>


一言メッセージフォーム。長文は此方をどうぞ。




片翼 [MAIL] [CLAP!]

My追加