長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年09月29日(木)

 地下鉄の中に居て、雨が窓に当たるような音を聞いた。


 別に或る事象に対して興味が無い訳ではないし、寧ろ私は可也様々な事象に対して興味やら好奇心やらそういうものを持っているのだろうと思う。関りたいとか、携わりたいとか、そういう些細なものだけれど。メインである必要は無い、サブで充分。だからこそ、か、全てに対して関り過ぎるのは好くない。深くのめり込み過ぎるのは好くない。そういう意味では、私は全ての事象に対して興味が無いのだ。きっと。
 学生生活を満喫している、というように周囲からは見えるらしい。確かに私は出席率に関して言えば優秀だろうし、教授の御手伝いもするし、授業のサポートやアシスタントもするし、フォーラムやフィールドワークにも参加するし、自主出版もするし、……。アルバイトに明け暮れて授業もまともに出席しない学生よりは余程学生らしい生活を(何が学生らしい生活なのかは知らないけれども)送っているのかも知れない。成程、こういうことを世間では満喫と言うのか。
 つまり、私から見ればこうなる。私を見て羨ましそうに「学生生活満喫してるね」なんて言う前に、自分で自分の生活を見直して見れば良いのに。バイトに精を出して授業をサボタージュしてお金貯めて豪遊するなら、其れは其れで良いじゃない。其れも一つの学生生活。如何して他者を羨むことしか知らないのかしら。私は誰も羨ましいとは思わない。其の代わりに、自分が世間から見て如何であるとか、自分の価値観を他者と比べるとか、そういう行為はしなくなった。無意味だ。そして、瑣末事。


 雨の音なんて、地下では絶対に聞こえないものだと思っていた。なんて寂しげに降る雨だろう。郷愁。そういう単語をふと思い浮かべて、次の駅で人が出入りすると波に流されて、全ては消える。



2005年09月21日(水) 或るひとつの旅を終えて

 ……また随分と間が空いたな。モチベーションを保ち続けるのは簡単ではないけれど、其れ以上に、何か書く為の原動力が欠けている気がしてならない。

 一応今月は誕生月だったわけで、予定通り、旅に出てきた。総旅程11日間。何て中途半端なのかしら。半分はフィールドワークという名目で、残りは観光とか、何とか、そういう旅。
 日常から離れるという行為は悪くないと思う。良くも悪くも違う視点を得ることが出来るし、視野が広がる。これが日常でなくて良かったと、私は思う。旅が日常になってしまってはいけない。境界を越えること、境界線の周縁の踏むこと、其れは両方とも非日常でなければならない。日常になってしまったら、其れは日常の境界線を失ってしまうことでもあるから。
 新しい自分を発見するとか、そういうことではなく。唯、嗚呼今の自分はこれ以上変わることが出来ないのかも知れない、そう認識する事さえも、周縁を踏む、境界を越える、意義かも知れない。変わるとか変わらないとか、最近はそういうことにさえ重きを置かなくなった。そういうことも、瑣末事。私には私の考える価値観が、其れがたとい周囲によって構築されたものであっても、価値観が存在していて、今はそれを壊す事が出来ない、或いはそれを壊さない方が良いと考えている。だから、というわけではないけれど、そう、私が構築した私と周囲によって構築された私の比率を考える必要も無くて、私は、所詮此の思考と此の器を捨てることは出来なくて、また取り替えることも出来ないのだ。

 来週から講義が始まる。夏期休業は終わり。之も私の日常で、平行して同時に非日常も点在するのだろう。全く、時間軸というものはとても鬱陶しくて、其処に起こる事象を把握するだけで大した労力を使うものだ。機械的に生きれば生きるほど、ふと空いてしまった時間に考え込んでしまう。本当に、厄介な、瑣末事。



2005年09月04日(日)

 前回が8月19日か。随分長い事、期間が空くようになった。
 書かないと自分を保っていけないのだと思っていたけれど、そうではないらしい。
 それとも、書かなくても自分を保てるようになったのか。不安は、尽きないけれど。

 そう、此処に、三週間何も書かなかったわけではない。何度も書き、書いては消した。書きたいと思う反面、書けないと思い、書きたくないとも思う。其れは、今でも変わらない。何時からかそうなった。五年前は、書くことが最適な表現方法だと信じて疑わなかったのに。語彙力とは無関係に、繊細な言葉遣いをしていた筈なのに。其れさえ、失われてしまった気がしてならない。其れは、とても、哀しいこと。

 全ては瑣末事だ。其れは、五年前も今も変わらずに感じる。自分の周囲に生じる事象は全て、瑣末事。そうやって自分に言い聞かせ納得していく事は、一つの処世術だった。生きていく上で必要な、スルーの仕方。通過していくこと。見て見ぬ振りするのではなく、通り過ぎる事。真っ向から立ち向かう事とも異なる。見下ろすのでもなく、見上げるのでもなく、片目を伏せて真横を歩んで行ってしまうような。そういう生き方の一つ。

 誕生月に旅をしたくなるのは、其れが休暇中であることと、飛行機が安くなるからだろうか。それとも、誰にも祝われない事を認識しているからだろうか。旅は、悪くない。非日常であるし、冒険でもあるし、休息でもある。終わってしまえば全ては瑣末事。だからこそ、非日常なのだけれども。
 もうすぐ、10日ほどの小旅行に発つ。今年は、去年より遥かに南へ。










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