長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月30日(土)

 或る日、すすきの。

 北国最大の歓楽街。……まず、嫌いなんだけどね、すすきのという街が。自分の意思では絶対に行かないね。まず、此処に用事なんか無いものね。どうしてコンパの大半はすすきので行われるのだろう。別に大通でも駅前でも良いじゃないか。――そう思うのは、私が賑やかな席を好いていない所為なのだろうな。皆が楽しいのなら、別に構わないのだが。
 20時解散の予定が、後輩の面倒を最後まで見て45分オーバー。皆結構飲むなあと思いつつ、酔わない自分を不審に思いつつ。結局はこういう立ち回りなのかしらと、少し鬱々とする。後輩が慕ってくれるのは素直に嬉しいのだけれども。どうも、面倒見が良いと思われるのは辛い。実際そういうわけではないからなあと、自分に嫌気すら差す。八方美人なのだろうか、とか。嗚呼、嫌だなぁ、自分自身が。

 他者が私のことを高く評価してくれるのは、其れは嬉しいけれど。其れは、私自身の評価とは勿論違うわけで。違って当然なわけで。如何にも過大評価され過ぎるのが、痛い。其れが「良い」のか「悪い」のか、そういう判断基準ではなく。自分として、時々重く感じられるだけなのだけれども。何だろう、言葉にし難いのだけれども――重圧を感じる、服の裾を捉まれて前に進めないような、寧ろ服の裾を引っ張られて躓きそうになりながら早足で前に進んでいるような。

 懐かしい音曲をひとつ、発掘して流している。笛の音がメインパートの。寂しげな音が、時には感傷をそそるだろうか。



2005年04月27日(水)

 五月病、ではない。もっと日常的な、恒常的な、鬱々としたもの。鬱病という程酷いものではなくて――気怠い感覚。時間其のものが惰性を帯びているかのように。

 気分が何と無く晴れないことを天気の所為にするのは間違っている。私は雨の日が嫌いなわけではないし、晴れは好きだけれども眩し過ぎるのは苦手だし。もっと些細なことが、其の積み重ねが、苛立ちを募らせる。穏やかに在りたいと思えば思うほど、焦る。学校ではまだ良い――十年以上も学校という特殊なコミュニティで生きてきたのだから、演じることは簡単だ。ただ、そういう行為に疲れて帰宅して、ぐったりと死んだように眠るだけ。死んだ魚のように――横たわった侭に。今、私が夜に寝付けないのは夕方に眠るからだろう。しかし夕方に睡魔と戦えるほど、私は気力も体力も残っていない。無理に戦おうとも思わない。そういう、怠惰。
 夕方の睡眠は、短いときは半刻ほどで、長いときは二時間にもなる。

 表現の方法を模索している。こうして日記を公開するのは一つの表現方法であるだろうし、執筆活動もまた然り。しかし、何処かしっくり来ない、とも思う。フィクションに限界を感じ始めたとき、随筆に近い文章を書くようになった。日記も之に近い。雑誌出版を思い立ったのも、表現方法の模索の一環だったのかも知れない。私が当初考えていたよりも大きな輪になりつつあり困惑している。其の分責任も大きくなる。それでも、一度遣ってみたいと思った。文章力の向上も兼ねて。表現方法模索の一環として。


 自ら努力することを忘れてしまった人には何も言われたくない。
 私にとってはこれが普通、私は他の「堕落の仕方」を知らない。
 知りたいとも思わない、私は私の惰性以外の「堕落」を受け付けない、理解もしない。
 ただ、受け入れることはしよう、貴方が、彼が、彼女が、「堕落」を持っているということは。
 押し付けるのも、押し付けられるのも、私は嫌いだから。



2005年04月25日(月)

 剃刀は鋭過ぎて、針では鈍過ぎる。中間の痛みを欲しいと、望むこともある。

 季節に関係無く眼球が乾燥する、だからよく眼を擦る、だからマスカラはしない。
 季節に関係無く皮膚も乾燥する、だからローションやらスキンミルクやらを全身に塗る。
 目薬は欠かせない、リップクリームも欠かせない、常に乾燥しているから。
 化粧の印象で真面目さの度合いを測るのは間違っていると思う、印象は大切だけれど。
 遊んでいる暇は無い、遊ぶということが何を意味するのかは知らないけれど。
 ストレスは溜まる、多分人並みくらいには、でも人並みがどのくらいなのかは知らない。
 ストレスの発散方法が遊ぶことであるとは思わない、寧ろのんびりまったりしたいと思う。
 のんびりまったりが優雅であるとは限らない、もっと毒々しいかも知れない。
 遊ばない、だから頭が良いとは思わない、第一、頭が良いということの基準がわからない。
 初対面の人に「頭良さそうだね」と言われることに一番腹が立つ、だから何が基準よ、と。
 既知の人に「頭良いね」と言われるのも好きじゃない、だから基準は何よ、と。
 反面「賢い」とか「聡明」とか、そういう言葉は好き、「狡賢い」や「小賢しい」も悪くない。
 機知に富んでいたい、或いは要領よく在りたいとは思う、其れは一つの理想だ。


 嗚呼、何だか非常に苛立っている。



2005年04月23日(土)

 放浪癖――というほどではないのだけれど、いつもの如く時々、何処かを徘徊したくなる。今、何故かそう思っている――感じている。沸々と感情が湧き立っている。或いは電車で数駅だけ移動して、一寸遠くへ行ったりしたくなる。実際にはそういうことは、しない。精々札駅と大通を往復するくらい。時折横道に入ってみるくらい。それくらいだけれども――時々、放浪とか徘徊とか、そういうことをしたくなる。
 或いは、一日中、文字通り二十四時間絶え間なくずっと、眠りに就いていたい。食事とかも如何でも良いかな。ずっと眠っていたいと思うときが、ある。勿論そんなことは現実には無理、不可能と言っても過言ではない。だから願望というか、切望というか、夢というか。

 気分が昂揚してそうなるのではない。寧ろ逆で、地を這うような気分のとき、或いは宙ぶらりんのときに多い。苛立ちとか、もっと深く渦巻くような名前の無い感情とか。そういうとこそ思考はぐちゃぐちゃというか、どろどろというか、纏まる気配すら見せないもので、余計に苛立ちを助長するのだ。遣る瀬無い思いと、遣り場の無い憤り。歩くことでそれらが解消されるとは思わない、然し、歩きたくなることもある。


 ところで。時々焦る。――ら抜き言葉。然し気付いた時には既に時遅し、ということが多々ある。拙劣。寧ろ悔しい。



2005年04月20日(水)

 即興が、そんなにも大事だろうか――? と、最近思う。確りと企画とか、計画とか、そういうものを立てて準備をして――という手順も大切だと思う。のに。そういうのは苦手らしい、彼らは。とは言うものの、即興だから手落ちがあるかも知れませんとか言訳するのね。不自然だ。

 此の世界の何処に100%満足した、100%の充実を感じる事のできる、其のような場所があるというのだろう。そういうものを他者に求めるのは、間違っていると思う。

 昨年度より明らかに時間的余裕のある生活を送っている。なんというか――暇、とは違う。ただ、帰宅時刻が早まったり、其の分本屋や図書館で時間を過ごす事が出来たり、兎に角、精神的余裕は兎も角、時間的な余裕はある。それでも猶――或る人にしてみれば、「忙しい」と見えるらしい。何が、忙しいという概念を作っているのか解らないけれど。……想像するのは、然程難くないけれど。其れを言葉にするのは憚られるような気が、する。人によって違うもので絶対的な概念は無いとは、思うのだけれど。
 取り敢えず、二つのゼミと専門科目とに精を出している今日此の頃。



2005年04月18日(月)

 小学生(多分、高学年)の頃、或いは中学生の頃、何か事件が起こるたびに、世間を騒がせる何かが起きるたびに、私達は登校と同時に朝学活(と言って良いのかしら、辞書に載ってないわ。兎に角先生が教室に来る)まで、其の出来事に関する事を子供ながらに論議していたように思う。子供には子供の、少ない知識を総動員しての意見が、あったように思う。その当時に比べて現在は、成程、何処何処で誰々が殺されました――なんて居る事件が増えて、それこそ毎日のように在って、目新しくも感じなくなってしまったのかも知れない。感覚の、麻痺。然し如何だろう、私は大学に毎日通いながら此の方――そういう話題を、殆ど聞かなくなった。皆無、では無いけれど。皆無に近いくらい、そう、7000人は居る筈の校舎で、そういう話題に敏感であるべき筈の場所で、聞かない。事に今時分話題になってもおかしくない筈の――日中関係の話を、中国人や韓国人の留学生以外の口から聞いたことが無い。……嗚呼、私達は目を背けているのかしら――と。思わずには居られない。小中学生の頃の方が(現代の小中学生が如何かは知らない。少なくとも私の教え子である中学三年女子の口からこのような話題が出ることは、皆無であるが)、敏感に反応していたように思う。何故だろう――何から、逃げる事があろうか。私達自身が暴徒化することを恐れているのか。違う、そうじゃない。そうではなくて――議論する事自体を、恐れているような。其の後の事なんて、何一つ考えていないような。他人任せも甚だしい、誰かが如何にかしてくれる、其の結果を受け入れるだけ、或いは其の結果に意味無く反発するだけ。
 いつから、こうなってしまったのだろう。何かを考えるのに過去の如く石や火炎瓶を投げる必要なんて、無いのに。身内仲間で小さく話をする事さえ、出来ないなんて。私達は、何から逃れようとしているのだろう。



2005年04月17日(日)

 兄を尊敬した時期があった。多分、小学生くらいの時。私は兄と四つ離れているのだから、私は低学年で、兄は高学年だったのだろう。
 アイデンティティという言葉の意味さえ理解していなかった頃のことだ(其の言葉を聞いたことさえなかった頃、かも知れない)けれども、若しかしたらそういう「自己同一性」なるものは複数存在するのかも知れないと、私は兄から学んだ。つまり、兄は私の前では「お兄ちゃん」、両親や先生即ち目上の人の前では「僕」、更に友人の前では「俺」と、三つの一人称を使い分けていたのである。之は私にとっては酷く驚愕すべき事であった。兄は、一度だってこれらの一人称を間違えることは無かったのだから。否、私の知らないところで間違えることくらいあったのだろうけれど、其れは回数のうちには入らないだろう。今猶、兄は此の使い分けを徹底している。人生の中で何回一人称を使うか知れないけれど、その中での何十回という数は、然程大きくは無い。
 演じ分け、と言うのかも知れない。一人の人間が一生のうちに幾つの人格を演じ分けるのかは解らないけれど、成程、一人称を使い分けるという事は容易に幾つかの人格を演じ分けることが出来たのかも知れない。
 比べて私は如何だろう。常に「私」の一つで過ごすことが出来る私にとって、然しそれでも人格を演じ分けねばならない私は、何処かで混同してしまうことがあるかも知れない。其れを恐れて私は、慎重になるのかも知れない。



2005年04月16日(土)

 何だか生温くて、怠惰な感覚。春眠不覚暁――ではなく、もっと、不快な感じだ。

 幾つかの事柄が気になり始めるともう忘れられなくなって、他の全てを放り投げても其の事柄に打ち込むことがある。同時に、どれ程気になっていても其れに手を付けられないこともある。だからか――今日出来ることは明日に延ばさず、或いは今日出来ることも明日に延ばす、というような、私は常に二つの選択肢を作る、作らねばならない。其れが、私の中では一種のシミュレーションにもなっている。
 四月は物事の始まりで、新しい環境が作られて、何かしら自分も新しく変わらねばならないのだと――そう考えている友人がいるようで、彼女は必至に変わろうと努力している。化粧を濃くしてみたり、髪型を変えてみたりと。其れ即ち自分のスタイルを変えることによって自分自身も変わろうとしているわけだけれども――其れが彼女の何を変えるというのだろう。私から見れば、彼女は何一つ変わったわけではなく、変わろうと努力している姿が痛ましくさえ思える。別に彼女を非難する訳ではなく――つまり、変わろうとする精神に対して如何こう言うつもりは皆無なのだけれども、そこまでして変わる必要があるのかと、私は問いたくなるだけ。現に、変われない自分に絶望している彼女自身が其処には居る。
 何故、他者に理解されねばならないのだろうと――思う。他人に認められなければ自分自身さえ認められないのだろうか、と。私は決して強い人間ではないから、成程確かに自分以外の誰かに私という輪郭を作ってもらう必要性を感じるときも、ある。と同時に其の作られた輪郭から、私は飛び出すことが出来ない。輪郭を壊す事が出来ない。精々、輪郭から様々な連結する線を描いて幅を広げるだけ。然し其れさえも、再び他者によって消されてしまう事もある。畢竟私という存在を規定しているのは私ではなく、他者なのだろうけれども。だったら猶の事、変われない自分に絶望するなんて無意味ではないか。
 私はコミュニケーションを学ぼうとしながら現実には初めからコミュニケーションを拒絶する傾向にある――ということぐらいは、自分のことであるし理解している。拒絶するというのは他者と関わりを持たないということではなく、理解という域に関しての話だけれども。人間一人では生きていけないのだから関わりを否定することは無い、然し他者を全く理解しようなんて莫迦げている――そう、思っている自分が何処かに在る。
 変わろうとしている自分がいる、其れだけで既に彼女は変わっている筈なのに。何を、焦り、慌てているのだろう。



2005年04月14日(木)

 指先が、或いは指の付根が、ちりちりと疼く。

 今日で一応、授業開始から一週間を終えて、一通りの授業を受けたことになる。土壇場で――というわけではないのだけれど、正式にゼミナールを二つ、取り敢えず一年間掛け持ちする事を決定する。……消えない違和感を払拭させたくて、忙しい振りをする、している。必要の無い授業を履修してみたり、フォーラムに参加してみたり。無駄に本を沢山読んでみたり、本の出版を計画してみたり。時間があるからそうしているのではない、多分――今ある時間を潰してそうする事に、意味があるのだ。だから仮令昨年どのように時間が無い状況でも、きっと私は同じようにしただろう。
 苛立ちが収まらないのは、まだ新年度の時間を上手く使えていないからだろうか。或る事が切っ掛けで、此処最近は高校の情景を思い出そうと必死になっている。或いは中学、小学の情景をも思い出そうと躍起になっている。人の記憶はこんなにも曖昧模糊としているものかしら――と、疑ってみる。あまりにも思い出せずに――思い出と名の付くような事が殆ど無いとしても、一つ一つの事柄を丁寧に思い出すことが出来ずに、いる。
 若し、唯一つ言い切れる事が在るとすれば其れは――常のように、只管に疲れた――と、矢張り紡いでしまうのだろう。何とも、不甲斐無いと言うか。自己嫌悪に陥る事も亦、此の如何しようもない正体不明の違和感を払拭する為には、仕方の無い事なのだ。



2005年04月09日(土)

 何かが私を落ち着かせない。其の何かが解らなくて、今日もガムを噛んでいる。

 貪るように読書に打ち込んでいる。――莫迦みたい。そう、自分で思うほどに。久々に遊びたいなぁと思ってパソコンに電源を入れても(私がパソコンで遊ぶと言ったら其れは一つしか意味しないのだけれど)、ついに其れを実行する事は無く、何と無く時間だけが、そう、私の大嫌いな無駄な時間というものが、支配していくだけ。其れを此の一週間繰り返した。中途半端なんだなぁと、思う。春休みが二ヶ月あったとは言え、私は其の半分に相当する一ヶ月間を海外で、別の大学に通い、授業を受けて相応に勉強していたわけで、友人間の「長い春休み」との感覚がずれている事も確かだ。其のずれが、微妙なずれが、埋まらない、戻らない。自分がこういう奇妙な状況に陥ろうとは、国外逃亡の前には考えなかった。だからか――何と無く、持て余している。シュミレーション出来ないことは、私にとっては、痛い。
 先日、某 I 先生に許可を取ったのでゼミナールの掛け持ちが、直ぐに始まるだろう。忙しくなる――忙しく、する。今は、そうすることが一番、自分を保っていられるような気がしている。ゼミが一つ増えたくらいでは去年との忙しさと比べるまでも無く、まだまだ時間は余っているのだから。そう、時間は、まだたくさんあるのだから。



2005年04月07日(木)

 何を、焦っているんだか。

 国外逃亡に向かう機内からずっと、帰国した今まで、癖になった事が一つある。ガム(何故かXYLITOLであることが多い)。無意味にガムを噛む癖がついた。――精神安定剤だよね。そう呟いたのは、共に留学した一人だけれど。成程、確かに精神安定剤だ、之は。解消し切れない苛立ちを抑える、或いは不安を一時的にでも解消する為の、安定剤の代用品。

 明日から通常授業開始。そう考えると、少し憂鬱であったり、其の逆であったり。確かに楽しみでもあるのだ、昨年度までは履修出来なかった科目を学ぶ事が出来るとか、名前と顔を覚えて貰った先生の授業を取る事が出来るとか。基本的に、私は、学ぶという事は好きだから。高校までの義務的教育(若しくは予備校的授業体系)に比べて、詰め込まれる事も押し付けられる事も無い、自主的に遣りなさいと突き放されるのが、却って私には嬉しい。努力するのは嫌いなのだが、遣った分だけ認めてくれる先生だと更に嬉しい。勉強が学生の本分だと言うのなら、其れは仕事――仕える事、ではなく、為事――為す事、であろう。私は、此の言葉が好きだ。為事。
 憂鬱であるというのは他でもない、恐らく、感情が、或いは気分が、先回りしているのだ。之から起こるであろう(其れは100%に限り無く近い)「厭な」出来事を感受している。唯、それだけの事。ただ、何と無く安心出来るのは、先に憂鬱になっているからこそ、いざ「厭な」出来事に遭遇した時に上手く回避できる可能性が高くなる。……気がする。

 結局はガムでも噛みながら、様々な事を淡々と処理していくのかも知れない。



2005年04月06日(水)

 教務ガイダンスなんて行かなくても良かったのかも知れないのだけれど、例年此のガイダンス時に『危機と文化』なる学部の紀要を配布されるので登校する。結局、発行が遅れているとかで『危機と文化』は手に入らなかった。後日ゼミナールを通して配布される、らしい。今日の目的は此の紀要だけだったので其の侭帰宅しようかとも思ったのだけれど、部室に立ち寄る。単なる気紛れと言えば、其れまでだろうけれど。強いて理由付けをするならば、年明けから音信不通にしていた事を少なからず気にしていた事、休部中の部員 N 氏と鉢合わせた事、だろうか。
 考えてみれば三ヶ月振りの部室のわけで、違和感を覚えるのは当然と言っても過言ではなかったのだろう。私の不在中に新しい部誌が完成していた事とか、既に新入部員が三名居る事とか、そういう事を含めても除いても。
 別に夕方まで居坐っても良かったのだろう、私は他に目的も予定も無かったのだから。其れでも一時間足らずで退室してバスに飛び乗ったのは、微妙な空気の違いを感じていたからだろう。部室の空気が変わったとか、雰囲気が変わったとか、そういう事ではない。つまり、私自身の問題。――国外逃亡先の空気を未だに纏っている気がして、そういう微細な感覚が拭い切れなくて、居た堪れなくなったのだ。厄落とし――の気分で、大通を徘徊する時間は充分に在った。近々買物をしなければならないし、其の下見として徘徊の理由も充分だった。……雑踏に出たくないと思ったのは、何故だろう。人酔いしやすいから、という理由ではなかったように思う。ただ、そう、何と無く。
 多重生活、という表現が適切かどうかは解らないけれど、演じ切る、という意味合いでは若しかしたら私は多重生活を送っているのかも知れない。時々不安定になることには、其れらの境界線が曖昧になり兼ねない爆弾を抱えている、ということだろう。爆弾。梶井基次郎の『檸檬』風に言えば、不吉な塊。未だ私にもこんなに sensitive な部分があったのかと、驚きと呆れが充ちる。嗚呼、何だかなぁ! そんな感じ。
 ……結局、厄落とし、は、名前の無い某友人(こういう書き方は不可ないのかしら?)に助けて貰う形で、如何にか。取り戻したというか、何と言うか、取り敢えず一段落させる。
 明日が朝一で履修登録、明後日からは通常授業が始まるわけで――悩んでいる暇も迷っている暇も無いのよ。畢竟するに、私たちは時間に追われながら日々を過ごしているんだなぁと思うばかり。

 何を、焦っているんだか。



2005年04月03日(日)

 例えば一つのオレンジが目の前に転がっている。手を伸ばせば直ぐに届く距離で、直ぐ先には坂道が伸びていて、若しオレンジを手にすればきっと甘酸っさが此の空腹を満たしてくれるだろう。然し若しオレンジをほんの少し押してやれば、オレンジは坂道を転がってゆく。坂の、終わりまで。其れは若しかしたら此の名前の無い空虚さを埋めてくれるかも知れない。
 別に林檎でも良いのよ。でも林檎は、手で皮を剥くことは出来ないでしょう。丸かじりは、出来るけれど。オレンジは自分の手で皮を剥くことが出来るから、オレンジの方が良いのですって。

 国外逃亡先の或る先生は、文化なるものをオレンジに例えて講義を展開していた。オレンジの皮に相当する部分が表層的な文化。オレンジの実に相当する部分が文化の本質。そんな風に。

 退屈は人を殺す――と言ったのが誰だったのか、私は覚えていないけれど。私は思う、成程、と。同時に思う、そんな横暴な、と。


 そう言えば、三月末の話かしら、兎に角帰国して一、二週間経った頃の話だけれど、私にとっては一人の貴重な友人ではあったけれど多少迷惑でもあった T が、彼氏と別れた云々という内容のメェルを私の寄越した。小一時間考えた末に私が送り付けたメェルを読んだ彼女は(感動して)涙したらしいのだけれど、……如何なのだろう。因みに私は何も感涙して貰おうと思って文面を考えていたわけではない。結果的に、何故かそうなってしまっただけ。彼女は、彼女にとって大切だったものを失って何か穴のようなものを抱えていたのだろうか。そうして彼女は限り無く長い坂道を転がっている最中だったのだろうか。――悲劇だな、と思う。転がり続けるオレンジは自分の意志で止まることが出来ない。坂の終わりまで転がり続けるか、途中で誰かに拾って貰わなければ。



2005年04月01日(金)

 そういえば大学図書館に何時の間にやら Penguin readers なるシリーズが入っていて吃驚したのが、数週間前の事。350タイトル以上、既に入っているようなので少しずつ読んでいこうかしらと思う日々。勿論、easy からスタートするつもりなので Lv.6 に辿り着くのがいつになるのかは、全く見当もつかない。先の長いお話。

 去年は一年間ずっと、休み無く、異常なほど忙しかった(多分世間的には異常という言葉で表現しても過言では無いほどの多忙であったと、私は考えている)所為だろうか、春休みも前半は国外逃亡の為に決してゆっくりは休めなかったし、帰国後も色々と作業とか仕事とか詰まっていたので結局あまり休めなかったわけだけれど。昨日、一応新学期の準備等の為に大学へ登校して、此処数日の授業組み立ての間中ずっと考えていたことが、如何やら現実になりそうで恐ろしい。即ち、一年前に比べて随分と暇になりそうである、ということ。
 暇、というのが「自由に使える時間が沢山有り尚且つ遣りたい事が有って時間を有効に使え充実した時を過ごす事が出来る」ことを言うなら、私は全く問題皆無である。然し若し「単に時間が余っているだけで時間を有効に使えない」となると、私にとっては大問題である。何より厭なことは「何と無く暇である気はするのだけれども何と無く微妙に忙しくて結局何も出来ない」という状況。厭なのだけれども、一番陥りやすい状況なのだろう、きっと。
 そういうわけで授業の取り方も、出来る限り無駄な時間が生じないように努力はするのだけれども、中々上手くいかない(というのも大学までの道程が片道一時間掛かってしまう事が一番大問題のような気がしている)。履修登録までにはまだ数日あるわけで、其れまで悩む事は可能だけれども。悩んだところで如何にかなるものでもない、きっと。然しまあ、此の授業の組み立てとは一年間付き合っていかなければいかないのも事実で。酷く悩んでいる。

 嗚呼もう暦の上では四月なのだなぁと、思いながら窓の外を眺めてはみるけれども何かが大きく変わることは無い。相変わらず、わさわさと雪は降るし。桜が咲くのは一ヵ月後だし。過ごした一ヶ月間が常春だった国外逃亡先を思い出す。手紙を出しても検閲されて酷く無残な姿にされてしまうので、向こうで出会った人達との連絡は基本的にメェルなのだけれども。距離と、時間との差があまりにありすぎて、つまり本来は航空便なら一週間かけて、船便なら二ヶ月ほどかけて届くべき筈のものが、一瞬で届いてしまうわけで、此の感覚が私は好きになれない。便利と言ってしまえば、其れまで。然し、本当に其れだけがコミュニケーションの良い有り方なのかしらと、思ってしまう。
 科学の発達は、本当に世界を小さく狭くしたのかしら。










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