長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年11月27日(土)

「忙しい」という言葉を、よく耳にするようになった。

「今朝忙しくてさぁ、授業遅刻しちゃった」
「宿題出来なかった、結構忙しかったんだよねぇ」
「昨日ちょっとトラブっちゃってね、夜遅かったから寝坊したの」

 ……言訳だと、思うのね。見苦しい。忙しくて何かが出来なかったと言いながら、彼らは遣るべきことから逃げているのではないか? 現に彼らは、授業をサボタージュしまくった挙句、カラオケやらショッピングやら無駄な噂話やらに勤しんでいるではないか。忙しい、というのはカラオケやショッピングや無駄な噂話をすることに忙しい、という意味か。
 優先順位は人其々だ。学生だからといって授業が一番ではない、という人が居ても、其れに関して私は何も言葉を持たない。授業よりも遊びを優先させる人が居ても、文句は無い。問題は其処ではなくて。

 煩わしいのよ。授業に出て来ないくせにテストや課題が近付くと「ノート見せてくれない?」と頼み、授業中健やかに眠っていては「ノートコピーさせて!」とせがみ、教室の最後列に坐り雑談しながら「あの先生って文字も発言も意味不明だよね」等と言う。意味不明なのは御前達だよと、私は心中叫ぶのだけれど。
 他人に迷惑をかけなければ良い。彼らはよくそう言う。然し彼らは十二分に他者に迷惑をかけている。……見苦しいし、浅ましい。

 私は、自分が誰よりも忙しいなどと傲慢なことは言わないけれど。……彼らよりは、幾分忙しいと自信を持って言える。勿論、授業には遅刻も欠席もしない。私は、学業を優先順位の上位に置いているからだ。



2004年11月23日(火) 捕食

 今日は独検の試験日で――殆ど勉強していなかったので単語の一つ一つは解らないものばかりだったのだけれど、不思議なことに長文は読めるのだから奇妙。回答を選択することも、一応出来るのよね。意味は解らないけれど此処には過去完了しか入れようが無い、とか、其のように。――之だから、受かっているか落ちているかの判断もし難い。結果は、多分二ヵ月後くらい。

 試験は北国で一番大きい(と思われる)大学の、高等技能開発センターなる施設、の、横に在る古ぼけた(捨てられた?)校舎の一階で行われた。歴史有る大学だけに、朽ち果てた校舎は新築の建造物の陰にひっそりと建った侭に残されていた様子。広い敷地の、北の一角。今年上陸した台風の影響で有名な並木道はボロボロになった癖、此の古びた校舎はどれ程軋んだのか知らないけれど倒壊はしなかったらしい。今にも崩れそうな、其のくらい古い建物。
 メインストリートから横に逸れた細い道を通り、更に曲がって小道へ。其の奥に、此の古い校舎は在った。冬へ向かう曇り空の、下の、朽葉が溜まる土の上。

 ――厭なものを見た。

 其れは、何気無い一瞬の出来事で、或る意味では自然の摂理其の侭を切り取ったような情景で、あまりに自然で、決して過激ではなく、静かで、残酷だった。

 鴉が鳩を喰い殺す瞬間を、私は初めて見た。

 厭と言うには、あまりに不自然さが無さ過ぎた。朽葉で戯れる白い鳩の横に降り立った黒い鴉が、徐に鳩へと近付いて行き、鳩の喉許に嘴を刺した。須臾、白い羽が朽葉同様大地に散った。何が起こったのか理解するのに数秒を要しただろう――私は、然し脚を止める事無く、鳩が羽を散らしながら足掻く姿を横目に、試験会場の扉を押した。
 私が――鴉が鳩を襲ったのだと理解した瞬間に走り込んで鴉を追い払ったら、鳩の命は助かっただろうか。傲慢だ、と、思う。咽喉を一突きだった、だから幾等走っても鳩は何れ命を落としただろう。其れでも大学内には獣医学部も在ったわけで、若しかしたら一命取り留めたかも知れない。
 都心部だから、鴉は餌には困っていない筈なのに。人間の残飯など、荒らしてまで食べる価値は無いと、考えているのだろうか。そうだとしたら、何と、気高いのだろう。そうだとしたら、此の土地の鴉は、何時か人間を容赦無く襲うようになるだろう。

 試験を終えて、灰色の空の、下の、落葉が群れる土の上。まるで埋葬される直前、横たえられているかのように、木の根元に横たわる白い塊。鳩の、屍骸。地面は、白い羽が之異常無いほどに散乱し、白い色彩だけが辺りを埋め尽くしていた。後一ヶ月後だったら、雪と区別がつかなかったかも知れない。其のくらい、綺麗な白。排気ガスで汚れる都心部の雪なんかよりずっと鮮やかな白だったかも知れない。不思議な事は一つあって――赤い色彩は、何処にも見当たらなかった。土に、葉に、埋もれていたのかも知れなかった。唯、私の眼に赤は映らなかった。其のくらい白の印象が強かったのかも知れない。或いは――鳩の屍骸は、喰い荒らされた様子は無かった、だから、鴉は鳩を殺しただけかも知れない、つまり、捕食したのではなく。だから傷口は喉許だけで――其処から流れる血量は、高が知れたものだったのかも知れない。鳩の許に寄らなかった私には、もう、解らない。

 真白な鳩を殺した黒い鴉は、何処へ行ったのだろう。満足、したのだろうか。



2004年11月21日(日)

 自分の事を他者に解って貰いたいと願わない時点で、私は初めからコミュニケーションを拒否している。コミュニケーションを拒否している私がコミュニケーション言語を研究しようというのだから、笑うより他無い。


 眠い。眠りたい。そういう風に思うし、感じはするのだけれど、如何せん眠れない。蒲団に潜り込んで瞼を下ろしたからといって直ぐには眠れない私は、そうして、半刻から長い時で数時間、寝返りを打ちながら苛立ちと共に夢の世界へいざなわれるのを待つ。そういう時は決まって、寝起きも悪いものだ。

 どれ程忙しくても、時間少しでも在れば何かしたいと思っていた。遊びたいとか、映画を見たいとか、本を読みたいとか。今は、同じ忙しさの中でも、たとえ時間が在っても何もしたくない。強いて言えば、眠っていたい。可能な限り。
 現実問題として眠れないということは此の際関係無い。眠りたいという、願望だけ。久々に、厭と言う程無気力だ。



2004年11月20日(土)

 ……また一週間か。此の期間に、一番驚いているのは私自身だ。

 漸く、来年度のゼミに関して一段落した。先生の許可が下りたので、ゼミはH.O.先生。現二年生が四人、現三年生が四人、計八人のゼミ。今年は(多分)十五人だったので、随分遣り易くなるのだろう。

 最近、忙しさか疲れか知らないが、夜オンラインになるのが面倒になっている。だから、此処も書けないわけなのだけれど。今はと言えば、学校から書いている。勿論、之から授業。……授業中とも言う。今日帰宅してオンラインになるか如何かは解らないから、取り敢えず今書いているという状況。土曜2限は、暇だ。
 大学の講義や、講座、それから英会話と図書館のアルバイトと家庭教師は、休む事無く必ず出ている。其れ以外は、無気力。可能ならばずっとベッドの上で誰にも邪魔されずに眠っていたいと思う。今は、何かを始めようと考えることさえ、億劫で仕方が無い。
 とは言いつつも遣らなければならないことは相変わらず山積みで――ゼミが決定したので、今度は春期休業中の語学研修の申し込みに追われている。……行ってしまえば如何にか なる/する のだろうけれど、準備するのは怠惰だ。

 ――眠い。眠りたい。

 或る一つの思想に対して――或る一個人の考えに対して、他者が口を挟む隙間は無い。少なくとも裡に在る限りは誰の眼にも留まらない。危険思想を排除するだけなら、民主化だとか平等性だとか、説かなければ良いのに。
 境界線を考える。何処から何処までが自分の領域なのか、何処までが安全領域で何処からが危険領域なのか、何処からが踏み込んではいけない領域なのか。其のようなこと。考えれば考えるほど、内側に閉じ篭りたくなる。
 秋学期が始まってからはずっと忙しかったから、本当に、冬休み中は引き篭もっていたい。

 霜月も後十日で終わるかと思うと、月日の流れるのは本当に早いと感じる。其れでも、冬休みまでの残り数週間が長いと感じる。雪が積もれば一層、其のように感じるのかも知れない。



2004年11月13日(土)

 一週間振り。何かを書く気も失せて、此の一週間ずっと睡魔に襲われ続けていた。地下鉄の中でもバスの中で授業中でさえも、眠いと感じない時の無い一週間。少し、辛い。

 何かを新しく始めることが難しいというのなら、其れに対して私は何も問題を持っていない。新しいことを始めるのは、私にとっては至極簡単だ。然し、何かを新しく始めようとするのは容易で、難しいのは其れを継続することだとしたら、私は多分大きな問題を持っている。
 継続。其れは、或いは私の持つ惰性が大きな要因となって断絶されるのであろう。惰性。其の要因が何処に在るのか、私には解らない。潜在的なものなのか付与されたものなのかすら、私は知らない。性善説も性悪説も、興味は無い。デカルトもカントもルソーもヴィトゲンシュタインも、如何でも良くなったのは最近のこと。

 H.O.先生のところへ行って来た。「共通語」について話す。
 共通語。日本国内での標準語としての共通語とか、世界共通語としての英語とか、其のような話では無く。隣人と会話していても其れは「共通の言語ではない」ということを前提にした話。いつか、考えさせられていた話題。私が、高校二年の頃の話。数年越しに、記憶を抉られたような気がして、でも何処か懐かしさを覚える記憶で、私はゼミナールの一次募集を此の先生に決めた。800字前後で志望理由を纏めて提出、其の後面接を経て、合否が決まる。

 高校二年、其の年の夏以降を、私は人生に幾度か訪れるターニングポイントの一つであったと思っている。若しくはそうであったと信じている。言葉というものについて、コミュニケーションに関して、あらゆる事象に対して、深く考えさせられた時期。或いは自発的に、考えた時期。

 今年も秋が終わって、冬が到来する季節となって。大学の端に在る数本のポプラの葉が金色に染まった。此の金色の葉が完全に落ちると、寒さが一段と増して本格的な冬が遣って来るのだろう。今年も此の黄金の道に出会えたことを幸運に思うべきなのか否か、私は困惑している。



2004年11月07日(日)

 明日のことを考える。或いは、先のことを考える。之からのこと。未来、と言う程大仰なものではない。もっと、近い先のこと。

 研修旅行中、初日、院生と三年生のSさんとYさんと夕食を共にしたのだけれど、其の時Yさんに聞かれた。ストレス、如何遣って発散してる? 私は、何時ものように鸚鵡返しに問う。Yさんは如何遣って発散してるんですか? Yさんは、古本屋で山ほど本を買い込んで、読書することが、ストレスの発散法らしい。そうして私は、読書でストレス溜まることは無いんですか、と笑って問い、Yさんは、古本を買うことがストレス発散だから、と笑う。其れで、此の話題は終了。……だって、そうでしょ? 私にストレス発散法なんて無いんだから。

 明日からゼミの申し込みが始まる。Sさんから強い勧誘を受けたので取り敢えず比較文化のH.0.先生のところへ行ってみようと、朧に考えている。三年のゼミは卒論も考えて取らなければならないわけだし、此の先生なら遣り甲斐があるかも知れないと、思っている。

 ストレス。此処には何度も書いてきたように――私には、そんなものの発散法なんて無い。溜め込んで、何時か破裂するだけ。破裂。何度か、そうさせたこともある。意図的に破裂させる時は兎も角、意図せずに破裂してしまった時は、収拾つかないけれど。
 定期的に、或いは毎日と言っても良いけれど、高校時代のように腕に刃物押し付けるだけで、多分破裂は避けられるのだろう。けれど。今の私に、其れが出来るだろうか。

 何度も、多分本当に幾度と無く数え切れないほど、考えてきたこと。何時か――何時か、そう思い、叶わぬ夢を信じ続けてゆく愚かさ。私は、自分がどれ程傲慢かを、多分知っている。だから、抑えられる感情もある。

 研修旅行から帰宅して次の日、私は破裂した。でも、其れが意図したものなのか、そうではなく無意識のうちだったのか、今でも私には解らない。解らなかったから、私は、収拾のつかないまま眠りに入ったのだ。



2004年11月06日(土)

 奈良・京都より帰郷。

 手帳を持って行っていたので、手記らしきものは常に書き留めていた。別に、如何というものではない。拝観した寺社について描き留めた訳でもなく。只、其の都度見たもの思ったことを、つらつらと書き綴っただけ。

 睡眠時間は毎日四時間前後だった。毎日毎日確かに疲れてはいたし、後半は疲労の蓄積も自覚していた。不慣れなベッドで寝ることを差し引いても。多分、五日間緊張状態から抜けることは無かった。
 二年ゼミ生は男子七人、女子は私を含めて四人。三年ゼミ生は男女各一人ずつ。院生男子一人。其の他に一年生の女子二人、三年生はギャルが二人。先生を含めて合計十九人。私は三年ゼミ生の二人と院生と、多くの行動を共にした。同級生とは自由行動日の午後だけ一緒に行動し、残りは夜、同室になった人と少しお喋りした程度。先輩方は流石に様々な知識を持ってはいたし、それらの話を聞くのは退屈ではなかった。同級生の、幼児がするような「これは何?」と訊くような質問の山より、ずっと興味深かった。三年ゼミで扱っている『麗気記』を私は知らなかったけれど、話を聞くうちに随分と新しい事柄を学んだ気もする。

 如何でも良かった。二年ゼミ生は誰一人として事前調査をしていなかった。自分の持っている知識をひけらかすだけで、解らない事は適当に誤魔化すような。其れは、普段雰囲気が悪く発言できないゼミの中での遅れを取り戻すような、先生に取り入るような、そんな哀れな姿にしか私には見えなかった。私だって、完璧に事前調査をしたわけじゃなかった。ホームページと、図書館に在った本を少しコピーして、纏めただけ。予定外の寺社にも行ったし、時間の関係上行かなかった寺社もあったので、役に立たない資料もたくさんあった。旅程の中で学んだ事は、建物の装飾による年代測定の仕方と、仏像の手の形による判別と、仏具や曼荼羅の意味。梵字は、簡単なものは兎も角複雑なものは全く解らなかった。

 ――旅の間中、ずっと何かが引っ掛かっていた。醒めない夢の中に這入り込みたいと切望し、切りたいと切望したのも、多分随分と久し振りの事だった。何か「痛み」が欲しいと思ったことが。

 旅程、幾つかの山登りをした。山の上の寺院や神社。其処は、当時は清らかだったのだろう。小川のせせらぎや木々の葉擦れの音が。然し今は、私にしてみれば、清涼というよりは澱みの、濁りは無いかも知れないけれど沈殿した、混濁した思想と意識の溜まり場だった。

 結局――帰宅したのは昨日で、其れから死んだように眠って、目が醒めても何度かは、起きるという行為を忘却した振りをして、瞼が開かれる度に再び眠りに入った。スペシャルウィークは昨日で終わったわけだから、土曜日の今日、本当は通常授業もあったし、図書館のアルバイトもあった。けれども、どちらも休んだ。図書館には先週のうちに連絡しておいたし、代役も立てておいた。授業は、完全にサボタージュした。まだ、眠い。身体の疲労も、精神的な疲労も、暫くは抜けないだろうと思う。
 帰宅してみれば、ゼミ旅行なんて随分と昔の出来事のように思える。本当に行って来たのかどうかさえ、現実味の無い出来事のように。










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