長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年09月27日(月)

 一つ、何かを終える度に、何かを成し遂げる度に、溜息を零して。
 一つ、何かを始める度に、何かを遣ろうとする度に、予定を組み立ててゆく。
 スケジュール帳を見る度に溜息を零して、其のスケジュールを組み立てた自分に苛立つ。所詮、自業自得だ。そう思う。そうして、時間の少なさに更に苛立つ。新たに課題を出される度に、いつまでにどの課題を完成させるのか、と。いつまでの宿題か、いつまでのレポートか、いつまでの調査か。
 埋め尽くされるスケジュールに、いつ休むのか、いつ休めるのか、其れさえも入れてしまう。

 時計とカレンダーが無いと生きていけない人間だから、私が時間に追われて日常を過ごすのは当然の事かも知れない。時刻がわからないと不安になって、慌てる。全て、開始時刻の十分前には、準備万端で待っていたい。そう思う。

 私の腕時計は、常に五分進んでいる。秒針の狂いまで、把握している。今は、「8」即ち40秒を秒針が差すと大体正規の時計(ラヂオとか、テレビとか)は長針を一分進める。
 正確な時刻を把握できる時計なら、五分進める意味は無いとも思うのだけれど。つまり正確な時刻をわからないようにして五分進めるのであれば、バスなどの時刻に遅れないという利点を持っているのだけれど。正確な時刻を理解しながら時計を進める、ということが、私にとっては一つの安心材料になっている。其れが在って始めて、遅刻しないような気がしている。

 明日のスケジュール。一限、臨床哲学。二限、図書館アルバイト。三限、現代ジャーナリズム論。四限、Internet Research in English。五限、情報検索演習。放課後、家庭教師アルバイト。帰宅後、某氏とオンライン予定。
 休む時間なんて、到底無い。



2004年09月25日(土)

 憂鬱な土曜日の講義。何が憂鬱って、別に土曜日其のものが憂鬱なのではなくて、もう直ぐ月曜日だなぁ……、と思う辺りが、憂鬱。
 月曜日の一限といえば、演習。自分が遣りたくて履修した内容の筈なのに、如何してこんなにも憂鬱なのかしら。不思議。……日曜日の次の日の一時間目、というのも大きいけれど。教授の所為、ではなくて、多分メンバーの所為。演習内容が内容だから日々のレポートは確かに難しいけれど。皆サボタージュし過ぎ。というか放棄し過ぎ。遣れよ! と、言いたくなる。其れから、人を頼りにするな! とも言いたくなる。困った時だけメェル寄越すのも辞めて欲しい。ゼミコンに行かないのって、そんなに不可ないことなのかしら。……平日よ!? 絶対不可能。アルコオル云々に関わらず、平日の夜なんて時間有る筈無いもの。朝から晩までゼミコンなんかに費やす時間なんか有るものか。そういう付き合い方しか出来ない関係なんて、私には必要ない。


 就職することの意味を考えている。多分――自分が本当に遣りたいことが何なのか、解らなくなってきている。進学? 留学? そう、其れは、したい。でも、其れさえ目先のことでしかない。
 未来は、恐怖だ。
 私にとって未来とは、いつも恐怖でしかない。其れは誰もが持つ未来への恐怖と、多分全く同じもの。只、私は其の何倍もの恐怖を感じているような気がするだけ。実際にはそんなこと無いのかも知れないし、其れは、比較のしようが無いから解らない。
 私は生きる事の意味を、未だ見出していない。此の愚かな問い掛けを、未だに持ち続けている。

 占い、というものを、私はあまり好いていない。昔は大好きだったのよ。其の辺りは、女の子らしく。
 嫌いになった理由は幾つか在る。血液型占いとか、星座占いとか、「人口○十億(或いは日本限定で一億○千万)の人間の運勢を4等分とか12等分(13等分?)とかするのか!」と、思ってしまったこと。之が一つ。
 もう一つは。――よく当たること。今日の運勢、などではなく。性格とか、そういうもの。A型は几帳面でB型はマイペースでO型はおおらかでAB型は二面性を持つ?とか何とか。そういう奴。星座も然り。血液型は?とか、星座は?とか、訊かれて答えると、嗚呼うん解る、等と言われるのが厭になった。そういう型に嵌っているような自分を、嫌悪した。
 だから、占いが嫌いになった。否、嫌いなのではない、人前ではあまり遣らなくなっただけ。
 ほら、カバラ数秘術、あれなんか酷いじゃない。殆ど当たってるじゃない。特に短所とか。短所とか。短所とか。見ていて厭になるじゃない。だから私は占いを嫌悪するし、占いなんかに当てはまる自分を嫌悪したくなる。

 どうせ唯の占い。そう思えば、其れだけなのだけれど。其れだけで終わらない辺りも、私にとっては嫌悪の対象。



2004年09月23日(木)

 ……先生御免なさい。5500字を数十字超えて終了致しました。まぁ、4000字以上のレポートだし。うん。大丈夫。多分。


 今週はアルバイトの夜当番が昨日を含めて三回。金曜日と土曜日は何時もの事だけれど。そう、明日から、本当に元の生活に戻る。まだまだ身体は休み気分が抜けていない。頭では、切り替えているつもりなのに。
 取り敢えず今週。明日は二限がバイト、昼休みに部会があって、三、四、五限に其々講義、以降20:40まで再びバイト。明後日はニ、三限が講義、四限以降同じく20:40までバイト。大学に缶詰、であることは春学期と何一つ変わっていない。だから、多分大丈夫。また、何の問題も無く、恙無く、秋学期も終了出来る。出来なければならない。

 何処かでほっと胸を撫で下ろした自分が居る。再び、切るという行為を可能にしたものが何であっても。切りたくても切れなかった此の一年を思うより、一度は後悔したにせよ、どんなにか精神的には楽だろう。愚かだ、そう思わずにはいられなくても。嗚呼、こうして何度も何度も数え切れないほどの愚かさを繰り返し、積み重ね、其れが今の私を構成しているのだ。理想と現実の差なんて、関係無く。ただただ、私は自分の愚かさを呪い、自分の愚かさを容認している。
 私は誰よりもよく自分の性格、或いは性質といったものを理解している、だから、此の愚かな行為が何時まで続くかという事も、きっと理解している。

 北国は、既に秋深く。冬の気配すら匂わせる風に、私は多くの衣を持って身を隠すだろう。裡の傷を晒す等以ての外、然し私は外の傷も決して晒す事は無いだろう。私が、今の私であり続ける限りは。



2004年09月22日(水)

 論文紛い、の、レポートを書いている。一応4000字以上という指定なので小論文かしら。でも、絶対4000字では書き終わらない。絶対書ききれない、と思う。
 今まで資料収集していたのだけれど、ニ、三日前から執筆に取り掛かっている。因みに締め切りは今週金曜日。明後日。……笑う。2500字は超えたけれど。……意地でも今夜中に終わらせる。

 居場所を探す。
 高校のとき、教室に私の居場所は無かった。だから私はお昼休みになる度に図書室へ赴き、図書室が休みのときは進路指導室に行った。どちらも本が立ち並ぶ場所ではあったけれど、別に私は本に囲まれた場所を自分の居場所と考えているわけではない。屋上が解放されていれば屋上に行っていたかも知れないし、音楽室に自由に出入りで切れば音楽室に通っていたのかも知れない。今、図書館でアルバイトしている私ではあるけれど、図書館内に私の居場所はない。少なくとも学生アルバイトとしての私は、図書館に居場所を求めて働いている訳ではない。待遇はかなり良いし、興味深い仕事内容ではあるけれど。もしそうでなければ、そうしてお金を必要としていないのであれば、こんなに忙しいアルバイトを誰が続けるだろう。
 家の中に自分の居場所を見出せないのなら、外に求めるしかない。喫茶店、とか。ちょっと可愛らしい雑貨店内、とか。でも其れは四六時中居続けることの出来る居場所ではない。時間が経てば立ち退かなければならない場所。

 居場所、というものが、定位置に存在している場所、であるとは限らない。よく言われるところでは、人、とか。けれど私は、即座に誰かの名前を上げる事が出来る程、深い付き合い方をしているような人はいない。
 ……まだ、多分、まだ、必要無い。だから今の私には居場所が無い。



2004年09月21日(火)

 秋学期の時間割を、春学期の時間割と比較して、新たに表を作ってみる。月曜から金曜まで其々5限まであるわけだから、全部で25時限。図書館アルバイトと留学生の日本語クラス御手伝いを入れると、春学期は空き時間が1コマしかなかった。秋学期は、4コマ空く。……凄い進歩。
 然し北国の冬は結構厳しいもので、特に山奥にある、ええもう本当に山奥って感じのところにある我が大学に通うのは至難。留学生の日本語クラス御手伝いを辞退するとプラス1コマ空き時間が増えるわけだけれど、如何しようか迷っている。
 自分の勉強時間を減らしてまで御手伝いする必要があるのかな、と。何より今は独検3級とカラーコーディネーター3級の取得に向けて勉強しなければならないわけで――序でに、というか他の勉強も、疎かには出来ないわけで。


 其れも之も全部卒業後の進路の為。(カラーコーディネーターは趣味だけれど)


 卒業後の進路、の、検索をする。場所と、内容と。如何しても北海道から離れたいという思いは、今猶私の中では変わっていない。同様に、親は私を道内に、出来れば札幌に留めておきたいという思いを、未だに持ち続けている。
 ……微妙だ。



2004年09月20日(月)

 他者の言葉の中に幾つかの矛盾を見つけてしまったら、後はもう其の矛盾に反発したくなって仕方なくて、然し私は抑える事しか知らない。から、其の侭放置して、其の場は見つけた矛盾が消え失せて、暫く経過した後、思い出したように胸の奥の方が沸々と煮立ってくる。苛立ち。それから、名前の無い心地悪さ。
 悔しい事に、私は他者から身を守る薄い薄い紗幕を持ってはいるかも知れないけれど、他者に立ち向かう牙は持っていない。


 切って後悔したのは、多分初めてだ。
 今までは幾等切ったって、後悔はしなかったと思う。


 高校三年の夏にはもう受験受験で忙しくなって、自分に意識を向ける余裕すらなかった。大学に入って、其の侭安穏と過ごしてきた。今年に入ってからは、文字通り朝から晩まで大学に缶詰状態で、土曜日にも授業を入れて、休みらしい休みは日曜日だけ。其れも月に一度はアルバイトで潰れる日曜日。月に三度の休みは貴重だから、其の内の一回は映画を見に行ったりショッピングしたりして、其の内の一回はのんびりする事に努めて、残りの一回は死んだように眠る。というのが、私の此の半年間だった。
 夏休みに入って此の生活が崩れて、或る意味ではとても安定していた私の日常は簡単に、脆く、崩れ去って。崩れた安定さが齎したものは勿論、不安定。
 そうして思い出した、傷と、痛み。

 後悔先に立たず、と言うくらいだから。でも私はきっと何時もは後悔を先回りさせている。そうするのは、案外容易い。一寸先を予測して、嗚呼「こう」なるのかなと理解しつつ、実行する。失敗しても後悔はしない。「こう」なる事は、先に理解していたのだから。
 嗚呼、如何して今日は気付かなかったのだろう。私は自分の愚かさを、多分に呪うだろう。
 あの頃は全く痛みを感じなかった。今は、刃毀れした銀色と、弱くなった肌が、一本の線を作り出すまでも無く痛みを覚える。単なる莫迦だ。もう一度肌を、あの頃と同じまで強くするには、どれ程の時間を要するだろう。今の私には、そうしている時間も、余裕も、無い。



2004年09月19日(日)

 …………怖いな、と思う。人の、意識が。自分に向けられるもの以上に、第三者に向けられる意識が。如何してこんなにも恐ろしいことを言えるのだろうと。そうして私は、いつか感じた恐怖に陥り、いつか感じた狂気を思い出す。

 嗚呼、色々な事が一遍に起こり過ぎて私は混乱しているのだ。と、そう思い込むことは容易いけれど。全てを拒絶する事は簡単だけれど。或いは全てを受け入れることも難しくは無いけれど。それらはどちらも、残酷だ。
 どれ程心地良い陽溜りの中にも無秩序の陰は潜んでいる。

 他愛無い文字を、綴り、自分の考えを再認識するくらいなら。ただただ窓辺に座り物思いに耽って、静かに、思考を深めたい。其れすら今の私にとっては至極残酷なのだけれど、第三者と向かい合うよりは、多分、救われる。



2004年09月17日(金)

 複雑、なのよ。それゆえに、単純なの。理解はしている、しているのに。

 安定しているからこその不安定さがある、というのは矛盾ではない。少なくとも、私にとっては。不安定の上にも安住することは可能だ。
 何時も考えるのは、其の考えることが良いことか悪いことかは解らないけれど、ということ。正しいとか正しくないとか、そういうことは十人十色だと思う。倫理的な問題でさえ、多分そうなのだろう。


 昨日から、大学院の秋学期が始まっている。大学は来週から。図書館は昨日から通常運営。従ってアルバイトの勤務も開始される。
 定期は未だ買っていない。けれど大学までの長い道のりを通うのは、多分もう慣れた。疲れるほどに。今のところ皆勤なわけだけれど、如何してこんなに頑張ってるんだろうと、時々思う。否、皆勤なのが当たり前なのかも知れないけれど。それとも大学なんて適当に休んで単位さえ貰えればよいというのが普通なのかしら。こういう考え方も、十人十色なのかな。

 私は、周囲に、あらゆる関係性に、恵まれているのだろうか。

 忘れかけていた自分自身に対する約束を思い出して戒めとする時、其れが何時なのかはわからないけれど、多分私は四年間のうちに何度か、自分を縛り付けるだろう。

 一人の学友が、大学を退学した。
 一人の幼馴染が、大学卒業後の夢を語った。
 ……それから?

 私は、恵まれているのかしら。私は、未だ、何も、多分決定していない。



2004年09月16日(木)

 今日は私の父の誕生日である。


 ……と、一寸ひねくれて書いてみたくなる。今日が父の誕生日ということは要するに今日は、私自身の誕生日でもある。
 祝ってくれる友人が少ないので(友人の数が少ないわけではない、と思う)偶に主張してみたくなるのだけれど、別に祝って欲しいわけではなくて。十代卒業、漸く二十歳、という事を書いてみたかっただけ。

 去年までの誕生日と同じように、恙無く、時間が流れるだけの一日ではあるのだけれど。否、朝から区役所へ行って年金(!)の手続きして家庭教師の本部に行ってぶらぶら街を歩いてCDを一枚買って英会話に行って、と通常通り忙しい一日を送っただけなのだけれど。


 思考する。
 散財する事を覚えたのは最近で、嗚呼自分に投資するのって面白いな、とも思う。お金を使って何かを買う、という行為はストレス発散になっているのかもしれない。本とか、服とか、CDとか、花材とか花器とか、其の他諸々。
 秤に掛けてみる。何が私にとって良いもので、何が私にとって悪いものなのか。つまり、そういう影響を私に与えるものなのか否か。私の周囲の環境に相応しくないものは、どれか。其れを選んで、天秤に掛けて、私は物事を実行する。

 どうしようもないくらい痛いことって在るけれど、痛みなんて感じないくらい、痛みに慣れてしまいたいと思うことも侭ある。


 ――で、明日は図書館アルバイト。溜息吐いても良いかな。



2004年09月15日(水)

 日本人は自由を勝ち取ったのではなく、自由を与えられた。だから日本人は自由に対する考え方が甘い。だって、日本人にとって自由とは与えられるものであって、勝ち取るものではないから。
 そんなふうに、高校時代に聞いた。高校時代の社会の、日本史の先生は、色々な良い話をしてくれた。其れは、少なからず糧となっている。

 大学生活は、私にとって必ずしも無意味なものではない。有意義なことは探せば山ほど在るわけで、有意義に過ごそうと思えば幾等でも意味のある生活になる。億劫になることも鬱になることもあるけれど、其れでも探せば良いところは転がっている。

 旅行を終えて、或いは旅行の最中から、自由というものについて少しずつ考えてみる。最近は忙しくてそんな機会も失われていて、或いは意図的に失うよう仕向けていて、だから少しだけ向き合える時間があることは、私にとって悪い事でない、きっと。
 大学受験に失敗したとき、四年間我慢しようと、私は自分で決定した。何かを決定するという行為が非常に苦手な私が自ら決定した事だから、そうして此の決定は私自身に深く関わる事だから、私は頑なに守るだろう。此の四年間は、私は、己の自由を諦める。受験に失敗した事が、私の咎だから。

 ――と、今更一年半も前のことを考え直してみる。改めて、思い出してみる。正しいとか正しくないとか、そういうことは無関係に。私は、私の周囲の環境と関係性を考慮した上で、決定した。昔と、変わらずに。
 私は、20年くらいの人生の中で、何度か自分自身に深く関わる決定を下している。其のうちの一回が、一年半前の其れで、此の決定はあと二年半の効力を持っている。


 リスカの意味が、私にとっては刻印で、忘れない為のもの、であるならば、今は紅い筋を作らない白い筋だけが残っている左の腕に、私はもう一度紅い色を刻むべきか、若しくは刻むことが可能、なのかも知れない。



2004年09月13日(月)

 小旅行から帰って来る。

 金沢と、東京と。旅行程四泊五日。
 一番花の無い時期外れも良いところの季節に訪れた金沢は、日本三大庭園とは信じられないほど花の無い(時期が時期なので当たり前なのだけれど)兼六園が雨に濡れていた。鍵忘れても傘忘れるな。そう言う程に雨が降るらしい金沢。まあ、雨に濡れる黒い瓦屋根は情緒的だったけれど。風情、と言うのかしら。札幌には、ああいう景観は無いから。茶屋街は、本当に街並みが美しくて。素直に素敵だったと思う。

 初めての旅行で、初めての一人旅で、不安が無かったと言えば嘘になるけれど。自分で計画を立てて、勿論自分でお金を支払って、ということを遣っていると、経験して良かったと思う。切に。

 観光では初めて訪れた東京。とても、面白かった。東京と言ったって凄く広いわけで、札幌の中心部みたいに碁盤の目状になっているわけでも無いので、一人ではきっとずっと、迷うだけ迷って地図と格闘するだけで終わったと思うけれど。良いところに案内して頂いた。


 考えたい事が、沢山ある。だから暫くは旅行ネタが続くかも知れない。
 旅行ネタ、とは言うものの、多分旅行其の物には触れないけれど。
 旅行中に考えたこと、思ったこと、そして帰宅して思考したこと。



2004年09月01日(水)

 秋。
 九月に入ったのだから、そろそろ「秋」と言っても良い季節。
 昨日の台風一過で家の近くに野生しているコスモスは全部薙ぎ倒しにされて根が剥き出しになっている株まで在ったけれど。
 夜の風は本当に秋っぽくなった。

 カレンダーを捲って、部屋の片付けをする。溜まっていたプリントを整理して、山積みになっている本を整頓する。窓を開けて空気の入れ換えをする。窓の外を眺めて、あまりに良い天気なものだから、魅入ったまま暫し。そうして、部屋の片付けにさえ厭きる。だから部屋の片付けはひとまず中断。
 ピアノの蓋を開ける。其の前に埃を払う。埃を払うのは私の日課。楽譜は、ショパンを並べてみる。秋だから。特別な理由は無いけれど、思索の季節にはショパンの曲が似合う気がするから。指慣らしに色々弾いてみて、最後はバラードに行き着く。そうして、指が上手く動かない事に苛立って投げ出す。ピアノに向かってから二時間か、三時間か、其のくらい経ってからのこと。

 夏休みは長過ぎるから、怠惰になってしまう。本当はもっと色々な事を遣りたいし、遣らなければならないのに。
 北国の夏は短くて、秋は既に訪れて、そうしている間にも冬将軍が迫ってくる勢い。プラタナスの葉が落ちきった時には、もう初雪が落ちてくる。










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