長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年08月31日(火)

 昨日の続き。

 日付が変わって直ぐに大学の先輩からメェル。曰く、
「回ってきた先輩から緊急で、メール嘘臭いって回ってきました。本当にこんな信じて回してごめんなさい! 急いで他に回して下さい!」

 あれ、何、嘘ってことになっちゃった。そうなの? まあ、取り敢えず一件落着?
 と思いきや。

 今日の夕方、大学の友人からのメェル。曰く、
「知り合いのブリーダー会社が潰れちゃって、3〜6ヶ月のラブラドール30匹が処分されることになってしまいました。それで引き取ってくれる人を探しています。お金はいらないそうです。期限は来週末までなので引き取りたいという方はお急ぎ下さい。このメールを他の人にも回してもらえますか? よろしくお願いします。」

 ……。
 いつまで続くのかしら、此のメェル。そろそろ鬱陶しくなってきた。


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 領域、を考える。
 物理的な境界は存在しないけれど、領域と呼べるもの。

 逃げ、かも知れないけれど、私は出来るだけ手を出さないようにしている。其れに触れないように気をつける。私の、領域外のものに対しては。
 其の領域が、或る物だとしても、或る人だとしても、或る事だとしても、そんな分類は関係無く。微妙な線引きだからこそ、見極めるのは難しい。其れならいっそ手を伸ばさない方が良い。たとえ、其れをどんなに欲していても。
 リスクを背負うのが恐い、のではなくて、寧ろ取り返しのつかないことになり得ないから、手を出さないというのが私の中では正しい。


 ふむ。夏休みってやっぱり長いから、色々余計な事を思索してしまう。



2004年08月30日(月)

 世間は狭い。

 昨日、高校の同級生からメェルが着た。曰く、
「知り合いのブリーダーがつぶれてしまい、ラブラドールの子犬(生まれてまだ3〜6ヶ月)が30匹ほど処分されてしまうそうです。誰か引き取ってくれる人いませんか? 知り合いとかでも良いので、いたら連絡下さい。期限は今週土曜日まで、よろしくお願いします!」

 今日の朝。曰く、
「犬の話は、何とかもらい手が見つかりました!」

 犬に罪は無いものね、処分されるよりは、誰か心優しい貰い手に育てて貰った方が良いに決まっている。30匹全てのもらい手が決まったかどうかは知らないけれど、うん、良かった良かった。
 と、思っていたら。

 今日の夜、大学の先輩からメェルが着た。曰く、
「緊急です。以下友達からメールがきて頼まれましたメール回せたらたくさん回してほしいそうです!
 友達のお姉さんの、犬のブリーダーが潰れてしまい、3ヶ月〜6ヶ月のラブラドール30匹が処分されることになってしまいました。なので飼える人を探しています! お金はいらないそうです。飼えなくてもお友達に子のメール回してくれたら嬉しいです。来週いっぱいがタイムリミットらしいので時間がありません……よろしくお願いします!」

 ???
 あれ、貰い手見つかったんじゃないの? しかも「来週いっぱい」? いつの話なの。今週いっぱいじゃないの? 転送の繰り返しで期限が古い情報のままになってしまったと考えるのは容易だけれど。其れにしたって……全部話が纏まったのだったら其の連絡も回せば良いのに、と思う。そりゃ面倒かも知れないけれど。
 嗚呼、今後も此のメェル、あらゆるところに回り続けるのかしら。回覧メェル。実は既に解決されているとも知らずに? 興味深いので一寸見守りたい気分。

 世間は狭い。



2004年08月28日(土)

 パイプオルガンリサイタル。

 ちょっとだけ、もどかしい。
 当たり前で理解したいたつもりの事柄が目の前に顕現したときの絶望に似ている。
 自分がピアノを弾くから、猶の事感じるのだ。オルガンというものに対して。

 音栓、もしくはストップと呼ばれるオルガン特有の螺子みたいなもの。これが、オルガンの音を曲ごとに変えてしまう。一曲終わるたびに音栓を一捻りすれば音が変わる。同じ鍵盤で、変化する音。あんなに歴史を持つ楽器なのに、何て機械的なのかしら。
 音の強弱。自分の意思で、指先一本で音量を変えることの出来るピアノとは全く違う。一音を伸ばすにしても、次第に音が掻き消されていくピアノとは全く違う。楽器の構造が違う、なんていうことは解っているけれど。同じ鍵盤楽器とはいえ、音管に空気を送り込むオルガンと、ハンマーが弦を叩くピアノでは、違うの決まっているのだけれど。
 ……なんか、とてももどかしい。

 パイプオルガンは嫌いじゃないけれど。矢張り、私はピアノの方が好きみたい。オルガンは、もどかしい。音の強弱を指の感覚だけでは付けられないことも、音栓一つで音を変えてしまえることも。音を抜くという感覚が無いことも、弾き始める緊張感が感じられないところも。
 間を持たせるべきところが、風船のような丸いものを削ぎ落とすように音が響いてしまうところも。
 もどかしい。
 私にとってはピアノが当たり前の楽器だったから、そう出来ないことがもどかしくて仕方が無い。なるほど「ピアノフォルテ」という楽器が発明された当時重宝されたのがよくわかる。

 久々にラヴェルが聞きたくなった。バッハは、昨日まで聞いていたから。
 私は、自分の指先で感情さえも込められるピアノを弾き続けよう。鍵盤楽器は他の持ち運びが出来る楽器と違って何時でも自分の愛し続けてきた楽器を弾けるわけではないけれど。私は、自分が十五年引き続けてきたアップライトを、生涯弾き続けよう。今日、パイプオルガンを聴いて感じたのは。私にとってのピアノは、文字で何かを表現する以上の表現方法かも知れない、ということだけ。
 今年は練習する時間も無くて、毎日埃を拭き取るだけに留まっている私のアップライトだけれど。また、弾こう。誰に聴いてもらうわけでも無いけれど、私の表現方法のひとつであることには違いないのだから。


 BGM:RAVEL(play : SAMSON FRANÇOIS)
 ・夜のガスパール より:水の精、絞首台、スカルボ
 ・ソナチネ より:モデレ、メヌエット、アニメ
 ・クープランの墓 より:プレリュード、フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット、トッカータ
 ・古風なメヌエット



2004年08月27日(金)

 偏頭痛。熱は、無いのだけれど。今日は頭部前方、前頭葉の辺り?が、ずきずきと痛む。御蔭で終日ベッドから離れられなかった始末。更には入浴したら血の巡りが良くなって痛み絶頂。でも、我慢。

 明日は、パイプオルガンのリサイタル。結構前から楽しみにしていたものだから、頭痛の為に台無しにはしたくない。万全の体調で赴かねば。
 座席は中央二階席、舞台に向かってやや左側。程々の席。ピアノリサイタルだと私は鍵盤を見る為に態々左側の座席を取るけれど、パイプオルガンだから其のあたりはあまり関係ないのかしら。因みにピアノリサイタル、音が良いのは舞台に向かって右側なのだけど。ピアノ弾きとしてはどうしても演奏者の「指」が見たくなるのが性。
 Kitara(札幌コンサートホール)の大ホールって何度も行ったことはあるけれど、パイプオルガンは一度も聞いたことがない、と思う、多分。だからこそ、楽しみで。

 ……明日の朝までには此の偏頭痛、治っているかしら。



2004年08月26日(木)

 二週間振りの英会話で脳内がちょっと浮ついている夜23時。


 時々鬱陶しくなることには、何を差し置いても人付き合いだと思う。生きている以上如何しようも無いこと、とは理解しているのだけれど。
 中でも最近、寧ろ此処数年と言うべきか、鬱陶しく感じられることは、メェルだったりメッセンジャだったり。即ち、電子領域。
 実際に顔を合わせれば、気が向こうと向くまいと何らかのコミュニケーションを取らなければならないでしょう? でも、電子領域だとそういうものでもなくて。メェルだったら、返事が多少遅れても問題は無いわけで。しかし返信はなるべく早く、というのがなんとなく慣例っぽくて。メセはメセでオンラインになっていれば相手は一応パソコンの前には座っているのだろうけれど、何をしているかは知れないし。
 そういうのが厭で、私はパソコンに電源を入れてもメセには上がらないことが多い。メセには苦い思い出もあることだし。それに如何考えたってメセなんて生存確認でしかない。メェルも、出来れば必要以上のことには使いたくないと思っている。其の御蔭か携帯料金は基本料金を超えたことが無い(自慢にもならないけれど)。
 通信手段(文字)ならメセよりもメェルが私は好き。メェルよりも手紙が好き。推敲できる、という意味も含めて。

 パソコンを使わない日は無いけれど、私って根はアナログかも知れない。


 レポートを書く為の読書が思った以上に大変で、そろそろ限界を感じている今日此の頃。旅行前に宿題は全部終わらせたいと、願って已まない。



2004年08月24日(火)

 まだ暦は葉月だけれど、敢えて「秋晴れ」という表現を使いたいような一日。鰯雲が空に広がったら、矢張り夏とは言い難い。

 友達、なるものについて考えてみる。
 何度か(と言うか幾度と無く?)裏切られたとはっきり認識出来る経験を持つ私は、友人関係も深入りしたくは無いというのが本音、かも知れない。
 其れはさて置き。
 友達への手紙文って面白くて興味深い。メールも然り。
 此方の文面で、或る内容に関して自信無さげに、謙虚に書いたとする。そうすると励ますような、一寸控えめな文章が返ってくる。これを此方が同じ内容に関して自信満々で書いたら、快活な文章が返ってくる。
 気を使っている、のだろうな。そうは思えど。面白くて仕方が無い。
 こういうのも 社 公 辞 令 なのかしら。

 斯く言う私も、手紙文であろうと面と向かっての言葉であろうと、社公辞令は忘れないように努力する。こういうことが相手にとって真摯なものなのか否かは解らないけれど、理解していて辞めようとしないあたりが、また興味深い。



2004年08月23日(月)

 友人Mと、久々に会う。
 彼女とは、小五、小六、中一、高二、高三、と、同じクラスだった。家が比較的近くということもあってか、付き合いは十年くらいになる。どのくらいの付き合いで「幼馴染」になるのか私は知らないけれど、彼女とは「一寸の縁がずるずる続いた」御蔭で今まで保ってこられた、という感じだと私は思っている。彼女の存在が一寸鬱陶しく思うことも、あったから。

 お昼を食べて、一通りウィンドウショッピングして、喫茶店に入ってのんびりまったり。私が一番心地良いペースで、徘徊する。
 私が今、込み入った話を直接出来るのは、彼女くらいなものかも知れない。と、思う。今現在の話にしても、将来の話にしても。


 北国の秋は早い。夏は直ぐに過ぎ去って、冬の準備期間としての秋が在る。陽が落ちるのが日に日に早くなって、風が冷たくなって、空が高くなって、木々は葉を落とす。だからもう、秋。
 秋は、思索には持って来いだと思う。私が一番好きな季節も、秋。冬も、好き。春と夏も嫌いじゃないけれど、何処か怠惰なところは好きじゃない。
 思索というのは必ずしも身になるものばかりではなくて――少し鬱になることも、屡。

 Mは、物事を弁えている。少なくとも、私からはそう見える。そう見えるようになった、というべきか。以前は、そうでもなかったから。
 今は、彼女は自分と相手の距離を確り把握するようになったし、相手のことを考えてから物事を話すようにもなった。以前はそうじゃなかった。
 そうなると此方は話しやすくなるし、相手が自然に距離を計ってくれるので私自身も気を使いすぎる必要がない。相手がそうじゃないと、私はかなり気を使って距離を計らなければならない。Mの場合は付き合いも長いから、距離云々に関しては最早苦ではないけれど。
 ゆとりが生まれる分、考えさせられる事も多くなる。


 黒のTシャツ着て、茶色のタータンチェックのスカート穿いて、薄いベージュのジャケットを羽織る。濃茶のハイソックスと、黒のスエードっぽい靴。私は、秋色。Mは、パステルブルーのアンサンブルとベージュのミニスカート。素足にサンダル。夏の名残が見えるような服装。というか寧ろ夏色。私が秋で、Mが夏。此の関係は中学高校を通して変わらない。

 Norah Jones を聞いて、夏も終わりだな、と思う。九月になったら、KEANE のCDを買おう。



2004年08月22日(日)

 昨日と今日は久々に図書館のアルバイト。疲労困憊。


 私は、年上に憧れる傾向があるのだけれど。実年齢もそうだけれど、精神年齢というか、性格的に「大人」に憧れる。
 其れは同時に、同属嫌悪、でもある。

 何と無く、自分と似たような雰囲気を持つ自分より年下の子と、私は馴れ合いたくない。馴れ合わない。特別な理由なんか無い。だから、同属嫌悪。
 何と無く、自分と似たような雰囲気を持つ自分より年上の人を、私は嫌悪する。同時に、多少の憧れを抱く。其れは理想でもある。理想ではあるのだけれど、嫌悪する。

 丁度、図書館の学生アルバイトの中に、此の、条件に当てはまるような先輩が居る。Iさん(仮)。現在四年生。私より二つ年上。

 憧れは只の憧れでしかなくて、其れ以上でも以下でも無い。夢は摑むことが出来るかも知れないけれど、憧れは、如何にもならない。
 嫌悪は、其れ以上に如何にもならない。好きや嫌いに理由があるの、とかいう月並みな台詞以上に、嫌悪感こそ、如何にもならない。気が合う合わない以前の問題で、気が合おうが合うまいが、嫌悪は嫌悪として別次元に存在している。

 図書館のアルバイトって流れ作業が多い上に快適な環境なものだから、仕事中は物凄く眠くなる。でも、Iさんと一緒の勤務時は、私は眠気なんか吹っ飛ぶ。緊張する。良い意味じゃなくて、悪い意味での緊張。だから仕事が終わって帰宅すれば私は弛緩する。其の緊張と弛緩の差は、疲労の種でしかない。


 其れよりも何よりも、Iさんには全く非が無いわけで、私は自己嫌悪に陥る。そこで疲労の種は芽を出すのだ。



2004年08月17日(火)

 お盆に一週間休みを取った兄が、今日、帰る。
 帰る、のか、戻る、のか、私には解らないけれど。取り敢えず、家から居なくなる。

 「お兄ちゃんの妹」であることに、私は疲れている。

 兄は、兄でしかなくて、只の兄なのに、私を縛り付ける存在の一つだ。
 私の領域を勝手気侭に侵す存在。
 敵わない。何年経っても、私は兄に勝つ事なんて出来ないし、私が兄の上を行く事も無い。
 恵まれた兄と、そうでない私の、埋まる事の無い差。
 私が幾等望んでも、周囲は其れを望まない。だから、私は何時まで経っても「お兄ちゃんの妹」でしかないのだ。
 兄を愛した母は、妹を同じようには愛さなかった。
 只、其れだけの事なのだけれど。
 其れだけの事なのに、私は、幾つもの枷を外すことが出来ないで居る。


 窓の外で騒ぎ喚く子供が煩くて、今日も私は眠る事が出来ない。



2004年08月16日(月)

 少しだけの変化を好む。

 誰にも気付かれないくらいに染めた髪とか、透明なマニキュアとか。
 普段よりも黒を多くした服装とか、胸元に小さく光る新しい十字架のペンダントとか。
 会話の中の相槌とか、ちょっとした語尾の変化とか。
 夏仕様の携帯ストラップとか、夏らしい髪留めとか。
 化粧の色合いを変えるとか、香水をつけてみることとか。

 誰も私の変化に気付く事は無いけれど、私は、私の中での変化に気付く。
 私だけが気付く、小さな、少しだけの変化。



2004年08月15日(日)

 夜の海は、冷たく、水銀のような波が砂浜に打ち寄せて、其れから、砂は容赦無く足に絡みつく。
 嘗ての友人は、六人集まった。
 バレー少女Mと、介護士を目指すCと、私と。俳優だか声優だか志望のHと、私の後輩に当たるのかも知れないAと、情報系に進んだサッカー少年Oと。
 前半が女、後半が男。私達の中では、一寸異色の組み合わせだと思う。集まる時は何時も九人だった、私達の中では。其の中で欠けることがあるとしたら、まず私だったから。だから、私が欠ける事無く私以外の三人が欠けるのは、珍しいことだったと思う。

 甘えは、許されない。

 夜の道は、昼とは全く異なる雰囲気に包まれて、Oの運転する車は珍しくも道に迷いながら――一時間ほど彷徨った後――目的地だった砂浜に辿り着く事になる。
 私は始めてOの運転する車に乗り、私は始めて「夜遊び」なるものを実行した。私は母に 花火をするためにOが運転する車に乗って海まで行く とは言っていないし、私は友人に 母に全て諒解を得て参加した とも言っていない。私は、多分、二重に嘘を吐いた。

 私は、本当は、どんな嘘を吐いてでも彼等に会うつもりは無かった。本当は。お盆だもの、如何にでも嘘はつけたのだもの。だけれど、其れ以上に家に居たくは無かった。だから、止まらない偏頭痛をおして、行った。

 彼等は――彼等は、最早私の人生の中には必要の無い人物なのだと思う。中学のときに出会い、高校への進学で散り散りになったにも関わらず年に数回全員でつるんで。そんな関係をずるずると引き摺った仲間は。最早、私には必要の無いものだ。寧ろ、私は彼等との関係を続けることで彼等に甘えてしまう。自分自身への戒めを、緩めてしまう。だから、私は普段決して自ら連絡を取りはするまい。

 甘えは、許されない。

 帰宅して、私は後悔する。
 何時もと同じ過ちを、繰り返す。



2004年08月06日(金) 夏休み其の弐

 新着メェルの中に教授の名前を見つけたときの驚愕度って凄まじい。私何か悪いことしたかしら!?……と、まず焦ってみる。実際は全然そんな事無いって解ってはいるのだけれど、取り敢えず疑って焦ってみる。……いや、単に課題に対する返信だったのだけれど、だから、とても焦ったのよ。

 図書館の書庫は寒い。
 外の気温は30℃超。図書館内は冷房が効いているので過ごし易い。が、書庫は別。冷房がんがん、プラス除湿。……寒い。仕事終えて17時頃館外に出ると、もう死にそう。じめじめ、暑過ぎ。
 開架書架も書庫も、図書資料は埃だらけ。其れに常触れているので手は荒れ放題。休憩時間の度に石鹸でごしごし洗うので矢張り手は荒れ放題。然し、もっと酷いものを発見した。書誌。それから参考図書(要するに事典辞書の類だけれど)。更に新聞の縮刷版。……あれ、黴じゃないかな。白い黴。絶対そうだと思う。
 黴と言えば貴重書。恐ろしく古い本が立ち並ぶ。あれは、江戸時代とか、そういう時代の本。活字本じゃないのよね。。触ったら崩れてしまいそうな古書。実際は勿論それほど脆くは無いにせよ、一応「貴重書」だから、扱いは丁寧に。恐る恐る、様々な作業を続ける。


 私の迷いは一つだったと思う。ゼミのメンバと中々気が合わなかったのは、心持ちが違ったからだろうけれど。更に言えば最初のゼミコンに私一人参加しなかった所為だろうけれど。結局は性格が合わなかった所為なのかも知れないけれど。つまり、私は別段ゼミのメンバと仲良くするつもりは無かった。だから、擦れ違い様に挨拶を交わす程度だっただけのこと。
 困った時にだけ話しかけてくる相手には、慣れている。ずっとそうだったし、要するに小学も中学も高校でさえも、というか大学でも、普段は挨拶だけの雑談歓談すらしない相手に限って、困った時だけ声を掛けてくる。鬱陶しい人種。最近はメェルと言う便利なものもある御蔭で、時間も場所もお構い無しに「声を掛けて」くる。
 其処で私は迷い、悩む。唯一つのことに関して。嘘を吐くつもりは皆無。しかし自分の考えを其の侭解りやすく伝えるか、否か。曖昧な表現を使いつつ真実を逸らすことは、案外容易だから。
 私は困惑する。まず相手を想定する。相手と其の交友関係まで想定する。つまり、私の言葉が何処まで影響を及ぼすのか、私は思案する。
 愚かしいかな、って思うのだけれど。浅ましいのは、嫌い。後悔もしたくない。だから、想定出来得るものは全て考える。予想、予測、想像、言い方は何でも良い。兎に角、考える。

 考えたところで結果は決まっている。迷い一つに対し、結論も一つ。常に、其れは変わらない。
 一瞬の間に思考は色々なことを廻り考えている、唯其れだけの事。










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