Wakako's Diary 道すがら記

You are what you do, what you think, and what you eat. ホテル割引予約 - HotelClub

 

 

- 2003年08月30日(土)

今日も大学に実験しに行った。朝から行けば良かったのだが、午後から出たため、終わるのが6時半になった。その頃には、学休期間の休日だからだろうが、学内ががらんとして少々怖かった。実験は日中にする、さらには平日にしてしまう、それに限るようだ。なんせ大学が市街地になく、周囲が保安林なので、余計気味が悪いのだ。なんせ、一階のトイレに「蛇が出る可能性があるので電灯を消さないで下さい」なんてはり紙がしてあるのだもの。

++

「大学病院にメス!」(鈴木敦秋著、講談社)読了。患者と医療側が共同して医療ミスを補償する方向に行こうとする名古屋大学付属病院の取り組みは興味深い。

このごろ「コーチング」という言葉を良く聞く。そこで「コーチングの技術 上司と部下の人間学」(菅原裕子著、講談社現代新書)を読んでいる。「コーチング」とは、「対象車が自覚していない潜在的な知識やスキルを引き出し、それを智慧に高め、結果に結びつけて行く作業」なのだという。セルフコーチングという事も盛んに言われていて自分に対しても応用できるのみならず、実験やアルバイトその他の場面でも、人に情報を伝えたり、人に接したりする際に応用できそう。面白いし、ためになりそう。





-

寝坊と自己嫌悪そしてようやく懇親会を克服(苦笑) / クレジット請求書 - 2003年08月29日(金)

今日は規模は小さいながら学会があり、7時半に集合してお手伝いをする事になっていた。しかし、気合いをいれ過ぎて4時に目覚ましをかけた私は、結局ニ度寝か三度寝し、開始時間20分前くらいに起きだし、当然遅刻し、そしてその事が分った瞬間、無意識にか動きが変になり、ドジな遅れをさらに重ねた。そして、猛烈な自己嫌悪におそわれた。責任感のある人なら絶対遅れないだろうし、こういう事をしているから足下を見られて信用されなくなるんだ、色々な面で、ほんとに使えない人材だ云々。。。

結局、人では足りており、私は実験をして下さいと機転を効かせてて下さった秘書さん(正確には技官さん)に言われ、午前は来週の染色に備えて切片作りに励んだ。午後は時間ができたので発表を聞きに行き(興味深い発表であった)、懇親会にもしっかり出たので、結果オーライということか。まぁ、私には前科があり、かつて美学会のお手伝いをするはずだった時も寝倒したことがある。この時は土曜日の朝眠り倒すどころか、日曜日に目覚めたという派手さであった。

以前からお名前は伺っていたが、今日初めてお会いした先生が懇親会では面白く話をして下さった。その先生はなんと9月にこちらにいらして新生児の還流を指導して下さる事まで快く約束して下さった。どうも大分私がやっていたのとやり方が違うようだ。

懇親会に出てみて、美学にいた時は異様に懇親会を恐れて逃げるように帰っていたが、そんなに怖いものではない事が(ようやくこの年にして。苦笑)分った。結構遠方から来ておられる方は1時間程度で切り上げられるし、宴会と違ってやけに飲ませられる事はもちろんないし、ほんとお互いの情報交換をしているという感じ。苦手なだらだらした飲み会とは全く異なる。

あと、美学にいた時は、自分の中を覗かれるのがすごく嫌だったし、自信がなかったからだと思うが、何やってるんですかと聞かれるのがすごく嫌だった。今はその抵抗がなくなったことも大きいかな(実際に手を進めて進めているという実感があるからだと思うが)。まぁ、美学関係なんて、会のあとの懇親会や飲み会でなんらかの思想に対する解釈を聞かされる事もあったから、その点、解釈の占める割合が事実によって圧縮される科学(それでも解釈は入り込むが)の方が、もっと実際的な質問ができるし、気が楽なのだと思う。

それにしても、基礎は基礎の役割があるとはいえ、医学部とは不思議なところである。臨床部門があり、その臨床の先生達が学位をとるために基礎に来られる。それは良いとして、さらに、すぐそれが訳に立つかどうかと考える必要もないのだろうが、臨床の方々が学位を基礎で取られて、それを臨床に還元できるというのはどの程度の割合があるのだろう。いつもながら不思議な気持ちがするのである。

++

昨日は、夏の家庭教師で100K稼ぎ出した事にうっとりして、このお金は大切に使おうと思ったが、クレジットカードの請求書が来て、一昨月に続きまたまたショック。

ああああ7月に帰省した折に母と妹に買い物中毒といわれたのも分かるような。。春先にネットで買える某ファッションサイトを発見してからハマった事、さらに、総額を考えずに(たしかにある程度の支払い能力はあったので)買い物をしていた事。。ついに、今回のクレジットカードの支払い請求分の最後に位置する買い物の日には、うろうろバーゲン会場を歩く自分に、疲れるし早く切り上げて帰ろうという思いと、さらにこの姿を、あたかも過食にふけりパンやお菓子をむさぼり食っているところを見られたくないように見られたくないという思いが交差し、終いにみじめになって来た事を覚えている。

過食と買い物依存症は、どちらも嗜癖への依存という意味で根が同一だということを、私の感覚も主張していたのだ。

最近はクレジット使う回数ペースダウンしているとはいえ、どの程度使っているものやら。。途中でどの程度使っているか分かると有り難いんだけど。。

とにかく、小人閑居して不善を為す見本みたいに、必要かどうかではなく、買いたいかどうかでに買い物をしていた。実験で忙しくなってからはかなり出費が減っている。この調子で、引き締め、必要なところにお金を使うようにしよう。


-

誕生日という幻想 - 2003年08月28日(木)

おしゃべり系MLで、女性は誕生日を祝ってほしいものらしい、という投稿がなされたのに次いで、誕生日は生を受けた事に感謝する日だ、さらに女性は20台後半以上になると誕生日は嬉しくないから忘れられない日なのだ、占いにも必要だから、という投稿があったのを受けて、個人的な感想を投稿。

++

ほんと「人によりいろいろあり」、女性といっても千差万別で、
祝ってほしい人から得に意識しない人、
また年をとっちゃったと嫌な気持ちになる人いろいろでしょうが、
個人的には、最近女性の「女のコでいられる年齢」が上昇しているので、
20台後半であろうと、30台40台だろうと、
祝いたい人は(密やかに?)私的に、
女友達その他と祝ってたりする印象を受けています。

この前まで、35歳くらいまで「女のコ」の年齢が上がってるな、と感じてましたが、
最近は40歳くらいまで上がってるなと個人的には感じてます。
(もちろん、「女のコ」と呼ばれるのが嫌な人や、それより「(おとなの)女性」だ
なッて人も沢山いるでしょうが)

また、独身か否かというのは、余り関係ナインじゃないかな?
単に、「クリスマスを一緒に過ごす人がいるかどうか」みたいなノリで
「誕生日を一緒に祝う人がいるかどうか」っていう、
ちょっと商業主義入った風潮で(失礼)、
実は本質的なことじゃないかもしれないことじゃないでしょうかねぇ。

年をとりたくない人は独身か否かに関係ない気がしますし、
周囲に、年齢や、年齢を重ねる事に対して過敏だったり否定的な人は余りいないです
(接している範囲では、多分、いちばんわたし自身が、年相応かどうかとか、
周囲を若い同級生に囲まれているためも一つにはあり、若く見えるかどうかとか、
そんな事を気にしている気がします。だからこんな投稿をしているんでしょう。苦笑)


なんかこのあたり、前も
「若く見えるか否か」という論争、じゃなくて話題が持ち上がり、
その際、年をとる事を否定的に捉えるかどうかってことも若く見られて嬉しいかどう
かに関係するんじゃないかみたいな意見があったような覚えが
〜〜不正確で済みません。


これからしなやかに年齢を重ねて行きたいし、自分の年齢を肯定していきたいし、
(それでもいきいき若々しくありたいですが、苦笑)
「生き方」ということに敏感になっている(!?)ので、
的外れかもしれませんが個人的な感想を。

(以上、おしゃべり系MLへの投稿とほぼ同一)



-

- 2003年08月27日(水)

蛍光染色のニ種類目がうまく行った。蛍光顕微鏡の操作も教えて頂く。

木曜日から蛍光での二重染色を行なう。

++

この頃疲れていて少しでも合間に眠ろうとするのか(もの疲労感が残っている事は幸いない)、家庭教師の途中で大揺れして眠る事がままあり、「お姉ちゃんお姉ちゃん!」「わかこさんっ」と教え子に起こされている。


-

ラット新生児固定還流 / 漫然とした実験 / 勤労学生もどき - 2003年08月26日(火)

結局2度寝してしまい、実験は朝の7時半過ぎから開始した。自分でもスムーズにエレガントに、一発できめる勢いで固定環流したと思ったのに、全身にうまく固定液が回っていないようで(理由がよく分からなかったが、針の差し込み方が甘かったのだろうか)失敗。ただし、生後10日のラットに比べ、毛も大分生え、マウスくらいには大きくなっているので、扱いやすい。器具の都合と、自分の用事とあったので、一旦そこで実験を終え、また夕方6時から再開。このときは泊まり込む覚悟で寝袋も持ち込んだのだが、今度は派手なミスはしなかった(肺循環に固定液が回ってしまったりはしたが)し、おまけに一人かと思いきや他に大学院生が4人ほど現れ、とても寝袋を広げてグウグウ落ち着いて眠ることができそうになかったので、雨の中、夜道を駅まで歩き(くらい半ばスをまっているのは嫌だったので)、22:38のJRに乗って帰宅。
これが授業だったらきっとヘトヘトになっていると思うが、目標のはっきりした実験であり、おまけに今日狙い打ちしてサンプルを取る必要があったので緊張感もあり、余り疲れは感じない。また、高校の教員をしていた時は、その高校が特殊だった事もあり、テスト前は会議で学校を出るのが夜9時から10時になるのが普通、テスト後は採点でまた遅くなり、成績処理の時もまた遅くなる、さらに校務分掌の会議では午前さまが連日なんてことも普通だったので、それを思えばがんばれる。

なんだか、同級生と机に並んで授業を受けていた事なんて遠くに感じられる、と朝ふと思った。

ともあれ、失敗続きの実験を重ねていた訳だが、先日も書いた「大学病院にブラックジャックはいるのか?」という帯のついた「大学病院に、メス!」(鈴木敦秋著、講談社刊)の心臓外科や脳外科での医療ミスの下りを読んでいるため、これを医療の場で行なったら確実に何人も殺しているな、と身の毛がよだち始め、さらにその中に、医療ミスの背景として「漠然と医療に携わる医師が多い」と何度か現場の医師の言葉として書いてあったので、「ああ、私の場合は、漠然と実験しているな」と反省した。漠然としていては、手許を見ずに作業するようなもので、何かを得るのは非常に難しい。

ラットの大きさが生後10日よりは大きくなり扱いやすかった事、そして私が慣れて来た事、さらにこの自覚があったからか、ともあれサンプルを多く取る事ができた(と思う)。

++

さて、話は全く変わる。勤労学生もどき(?)をしていると、時々悔しくてなきたくなることがある。また、

白状すると、(母もそうだと思われるが)自分を上品で育ちのよい人間だと思いたいのだが(決して主義主張的な意味ではなくライフスタイルとして宮家や旧家が好きな母は、実際そういう育ちをしたとは思う)、実はそうではない、古い伝統や社交、親戚付き合いなどの(洗練された、とここでは言っておこう)から切り離された核家族であり、かといって、それが多数集まって知的な中産階級を形成する大都市に住んでいたのではなく、小さな集まりである地方都市であった事(なので、繰り返し日記に書いているかと思うが、大学院以降、就職などの現実に直面しなければならないまで、私にはずっと根無し草の感覚が強かった事)、かといって、全く品がない訳でもない(などと、大学に寝袋を持ち込んで実験をしようとする私の言う台詞ではないが)、というアンビバレントな感情である。

母は上品で優雅に子供達を育てたかったと思うが、自身は(想像するに、戦後民主化の時代背景もあり)古いしがらみや実家のカッコ付きの庇護から「自立」したく、女子大に入学し、雑誌「婦人の友」に出て来るような、上品さや女性らしさ、人間性を失わない知的職業婦人を目指したに違いなく、同時に、それゆえに家族の反対を押し切って「家柄」の懸け離れた父と結婚したに違いない。
そして、結婚してみて、自身が否定したかった、あるいは乗り越えたかった古い「家柄」という秩序を肯定するにいたったこと(どれだけ我々姉妹は幼い頃から「家柄が離れている相手と結婚すると苦労する」と聞かされて来た事だろう。そしてそれは同時に、大したモノでもない我が身を棚に挙げて、友人を選んだり、異性を見る目つきを厳しくし、ガードの堅い人間とする一因であった)。

同時に、私は決して父を軽んじているのではない。趣味をまねしたいとは思わないが、それでも父が学生の頃は、政治運動をしない限り娯楽はごく限られたものであり、その大部分を読書が占めていたので>映画「バルザック」、父も小説や歴史書を好んでいたようで、私が小さい頃、狭い住まいは本で溢れ帰っていたし、その影響を受けているに違いないし、さらに、当時の日本人の一つのモチーフであった違いないのだが、「努力して立身出世する」ということを父は文字どおり体現しており、中途で聴覚障害をえながら(現在でさえサポートが十分になされていないことが多いのだから、ましてや当時は障害者手帳と補聴器で御の字だったのだろう)、浪人時代からアルバイトと勉強に励み、さらに大学院まで奨学金3つとアルバイトで修了し、成績表には「優」(彼の出た大学においてはこれが最高の評定)しかなかった、論文で博士号を取りさらにアメリカに客員研究員として派遣されるまでは正月も帰らず(母には寂しかったと思うが)努力し、誇らしい父であった。現在のわたくしが、長々と学生生活を続けているのは時代もあるし家族の理解もある。同時に、その長さゆえに生活費を両親に頼りたいと決して思わないのは、やはり、時代が違うとはいえ、父のなして来た事への敬意による事が大きい。

だからこそ、私は腹が立つのであろう。上流上流、それを聞く私は一体何なのよ、そういう腹立ちは、私自身の、お上品な上流の暮らしをするでもなく、父のド根性を受け継ぐ私のねじれた感覚が引き起こすのだろう。

果たして、私は何をもがいているのだろう。何をしているのだろう。



-

- 2003年08月25日(月)

習っていた時はチンプンカンプンだった数学の解析や分析化学、有機化学を、今大学生の教え子に家庭教師で教えている。自分がテストを受けた時より理解も深まっているような気がするのである。

明日は、いよいよ6時半から実験。生後14日目のラットの新生児の還流固定。うまく行きますように。


-

- 2003年08月24日(日)

今日は新聞のスポーツ欄入力のバイトが結構量があった。残暑厳しい時だが、陸上が結構あったのだ。
3時間休む間もなく入力ぶっ続けだったのは初めてだ。

「大学病院にブラックジャックはいないのか」という刺激的な帯のついた「大学病院に、メス!」(鈴木敦秋著、講談社刊)を読んでいる。身につまされながら、引き込まれるように。


-

19匹 - 2003年08月23日(土)

私はマウスやラットの固定還流が下手だとつくづく思う。
今まで成人のラットで行なって来たのも失敗が多いし、、
土曜日は、丸一日実験室にこもってラットの新生児(生後11日目、大きさは成人マウスの2/3くらい)を固定環流したが、19匹やってサンプルは(無理矢理サンプルに下のも含めて)6つ。ピクリン酸が入った固定液の方は、まだ黄色がついているからやりやすかったが、パラフォルムアルデヒドの透明な液の方は、液が管を通る時の判別がしにくく、もしかしたらうまく行くはずだったのも失敗と止めてしまったかもしれない。。

ともあれ、青い空のもと、広々と実験室をひとりじめで使って朝から実験をしているのは夕方くらいまでは気持ちよかったが、さすがに日が沈むと、そんな楽しんでいる余裕はなくなった。

辛うじて幸先がいいのは、クリオカットでの凍結切片のスライスは人並みになって来た事だろうか。

ラットよ、無事成仏してください。



-

蛍光染色 - 2003年08月22日(金)

ノルアドレナリンニューロンの蛍光染色を行なう(単色)。きれいに細胞体が染まり、ひとまず成功。あとはドーパミンニューロンの蛍光染色を行ない、さらに二重染色をして、新生児のラットの脳でも行なう。
器具がパソコンの画面上で操作する感じで、画像処理がしやすい。
(ただ、複雑で教えてもらわないと大変)

かなり暑い日で、昼間は大学の中にいたから余り分からなかったが、なぜ8月下旬になってこんなに暑くなるんだろう、お米のためには良いのかなぁなどと思っている。


-

奈良 ・ ヨーロッパピクニック - 2003年08月21日(木)

今日は実験のない日だった。
たまたま、妹が父の出張について奈良に来るとのことだったので、近鉄奈良駅で落ち合い、午前2時間ばかり一緒に観光した。
学生時代は、正確には文学部の学生時代は、良く奈良に来たものである。古寺巡礼であったり、ハイキングであったり、遺跡の発掘であったりしたが、ともあれ少々懐かしい気分になった。

駅前から春日大社の方に向けて歩き始めて、すぐ右手に興福寺がある。そこの境内で、ここの鹿は太っている、オスばっかりだと妹と言っていたところに、ボランティアガイド(?)のオジサマが現れ、いろいろ知識を面白く疲労してくださった。建物の屋根の傾斜は雨だけではなく雪のことも考えて湿気をさけるようにできているなど。本当はもっとお聞きしたかったが、一時間近くはなしを聞いているうちに方に荷物が食い込み、失礼して春日大社へ。

久々の奈良は、京都よりも時代が遡る分、解読に頭を使い、知的にわくわくする。またふらっと行こうかな。

++

今日の未明、NHKで「ヨーロッパピクニック」についてのドキュメンタリー番組を放映していた。東西ヨーロッパの間にかつて存在していた「鉄の壁」は、出国の自由を保証する精霊の施行時間を待切れなくなった東ベルリン市民がベルリンの壁を壊し始めたところから始まったというのが一般の理解のように思うが、実はそうではなく、ハンガリー政府が西側に戻る事を決意し(ゴルバチョフもペレストロイカを押し進めながら、これ以上ソ連が「東側」を支える事はできないから諸国の自立を望み、東西ドイツは必ず統一されると信じていた事が背景にあり)、鉄の壁を自主撤去した事、さらに、「ヨーロッパピクニック」なる行事を周到に用意し、ハンガリーに大挙して来た東ドイツの市民を1000人ほど出国させ、さらにそのあと西ドイツに西ドイツ市民としてのパスポートを用意してもらい、7万人のパスポートを発行してもらい、東ドイツの市民を続く数カ月で西側に出国させた事。。

知らなかった。

ハンガリーという超大国ではないから小回りがきいた事、そして、時代の流れを明確に読み取れる政治家達に恵まれた事、そしてなによりも、ヨーロッパの外交の腕の深さだろうか。

果たして、そこまでの政治家に我々は現在恵まれているのだろうか。船をただやみくもに走らせてはいないだろうか。


-

- 2003年08月20日(水)

今日は新しく蛍光染色の方法を教えて頂き、一日目の過程を終えた。

変なところで消耗しないで、派遣社員と割切って、仕事と雇用条件の確認確保をする事かな。


-

朝討ち夜駆け - 2003年08月19日(火)

研究室がまた混んで来ていて、器具を使う時間をうまくずらす必要に迫られている。練習したいので、なんとか朝5時すぎに出て6時過ぎから実験を始められないかと思っている。
私の場合は単に時間をずらしたいということで、データを詰めて取りたいというのとはちょっと違うのだが、実験系の「朝討ち夜駆け」が少々分かるようになって来た気がする。

(って、私が器用ですぐさま技術をマスターしていれば練習する分は省けるんだけど。。)

帰り、京阪電車で車との接触事故があったとかで、電車が事故のあった箇所を除いての折り返し運転をしていた。JRでは事故がよくあるが、京阪では珍しい。


-

- 2003年08月18日(月)

8月18日
実験が始まって、なんだか目まぐるしい。大学にいながらぼぉっとパソコンでメールを打ったりネットをさまよっている時間はなくなった。幸い、今日は疲れなくて済んだけど、そのあと家庭教師をやって帰宅が10時で、それはともかく、毎日コンスタントに朝起きて、大学に行って、と思うと、一日単位で大丈夫だからと燃焼するというより、次の日のことも考えなきゃね。。

マウスは慣れると扱いやすいが、今日の固定還流でも臓器はしっかり固定されているのに、脳は今一つの固定液の色味が足りなかったりした。ただ、臓器のかたさはよかったかな。

8月17日
大阪歴史博物館に行った。「韓国の暮らしとこころ展」を見るため。
韓国の多層な土俗信仰など、興味深い。面白い展示だった。

建物からは大阪城、大阪ビジネスパークが見え、隠れた名所じゃないかな。良い施設の割に、京都文化博物館などと比べても来館者が少ない。勿体ないのでもっと宣伝したらいいと思う。

++

あと、3、4回生のうちから熱心な人たちは病院見学や体験実習に行ってあちこち回っている模様。刺激を受けた。




-

一人で生きて行く、のだろうか? そして補償ということ。 - 2003年08月16日(土)

この前帰省した時から、妹に「エッグegg」と呼ばれている。
今日は、「エッグや」と呼び掛けるメールが何通も来て可笑しかった。

++

予備校の個別指導をしていて、生徒がいうには、自分は絶対手に職をつけて一人でも暮らしていけるようにするのだという。医学部を目指している生徒だ。その他の道も探ろうとしているが、弁護士という職名が登場した。

手に職をつけるというとき、分かりやすいのは医師と弁護士かもしれないが、決してそれだけではない。美容師、看護師、職人、などなど、枚挙に暇がない。医師と弁護士は合格すれば、養成過程がわかりやすいかたちで見え、さらに、私自身がブンガクブの大学院でうまく(正確には満足が行くように)やらなかったのをあたかも今思えば補償するかのように医学部に入り直したように、他の道で自分の思うように行かず失敗と感じた人間が、補償するのに良い面を持っている、ということだ(勿論、方向転換してこれらの職業を選ぶ人間の全員、あるいは過半数が、補償しようと入ってくるとは思わない。ドライだったり、ウエットだったりするにしても、補償だけが方向転換の動機ではないからである)。

私も心当たりがあるし、周りにもサンプルがあるが、「一人で生きていけるように手に職をつける」ということで、得てして自立を先延ばしにしたり、自立へのプロセスを長いものを選んだりすることがあるのではないか、と思う例がたまにある。一人で生きていけるように、生きていけるように、といいながら、決して、中学校や高等学校、あるいは大学や短期大学を卒業してすぐに彼女や彼がいうように「一人で生きて行く」ことをしないのである。「一人で生きて行く」ための準備期感が周到に選ばれ用意される。

それは一体なんなのだろう。

実際には、「自分で食べて行く」という意味で「一人で生きて行く」のはもうちょっと簡単にできることであり(時給800円のアルバイトだとしても、家賃を抑えて贅沢をせず週5日働けば一人暮らしの生活費は稼げるのである)、同時に、「一人で生きて行く」のは、自らに起こることに対して他の人の助けを必要な場合は借りながらも生きて行くことなのかもしれないし、広げて究極的に考えれば、人間は社会的動物であり、「一人では生きて行けない」ことになる。

自立を促そうとする親の意識が逆に子に足枷になっているのだろうか?

或いは、それは親と子の共犯関係なのだろうか?

ふと、思ったことである。


-

かたち - 2003年08月15日(金)

結構私は、不安を強く感じやすい人間である。

病院で、このところ大きく落ち込むことはないが、薬を飲む必要はあるか、
予定がどうなるか未定の時など(実験やバイトなど)、かなり不安を感じストレスになることを話した。

先生が仰るには、かたちになっていないと不安になるのは、不安をさけるための防衛で、現実はもう少し曖昧でちゃらんぽらんなものだと理解することでバランスがとれるのではないかということだった。

薬は、予防的に1年は飲むのがよいらしい。

なんだか、ふっと自分に対して距離を取り久々に客観的になったような気がした。

行ってよかった、とホッと思った。

++

今年は冷夏気味らしいが、
それに電力不足騒動をうやむやにしていいものか。

http://www.asahi.com/special/electric/TKY200306240309.html
より。
この発電キット、欲しいかも。
千趣会などで扱ってくれないかな?


【電力不足問題】
 
そよ風でも発電 家庭用風力発電キット発売へ 神鋼電機
------------------------------------------------------------------------


風切り音が出ない垂直軸風車型の風力発電機(神鋼電機提供)
 風速が毎秒2メートルを超えると発電する家庭用小型風力発電機を神鋼電機が開発した。購入者が自分で組み立てるキット型で、通販などで10月から売り出す。価格は20万〜30万円になる見込み。飛行機の翼状の羽根を縦に5枚取り付けた垂直軸風車が特徴で、うるさい風切り音はほとんど発生せず、住宅地でも気兼ねなく使えるという。

 風力発電機は、風車の直径が1.6メートル×羽根の長さ90センチのものから、直径4メートル×羽根の長さ2メートルのものまで4種類。三脚で屋上や庭に立てたり、バルコニーの枠に固定したりして使う。

 秒速0.5メートルで回り出し、2メートル以上になると発電を始める。電力は、風力発電機の付属装置で交流に変換する。別売りの装置を使えば、風がやんで電圧が低下しても、自動的に電力会社からの商用電源に切り替わる。安全のため風速が秒速12メートル以上は発電量は一定で、25メートル以上になると発電が止まる。

 月間発電量は最大のもので、風速が秒速2メートルの場合、5.8キロワット時、12メートルだと1296キロワット時と、風の強さ次第で大きく変わる。最大の商品では、月間の平均風速が秒速7メートル余あれば、4人世帯の月間使用電力量(平均290キロワット時)をすべて賄える計算だ。

 日本の平均風速は、主要都市がある平野部は秒速4メートル未満のところが多いが、山間部や海岸部では5〜10メートルの風が吹いている。 (06/25 00:20)



-

マウスの固定還流 - 2003年08月14日(木)

久しぶりに実験。メモを取ることの大切さも痛感。

今まで、大人のラットを扱って固定還流をして来たが、ついにマウスを使って新生児ラットへの導入とすることに。

やはり小さいので、なんといっても心臓に程よく針を突き刺すのが難しい。
4匹やって、3匹は完全に心臓に針を突き刺す段階で失敗し、最後の一匹でようやく70点を頂いた。ただし、まだまだ脳の固定が甘く、そのサンプルでは使えないとのこと。課題が残る。

マウスの心臓に針を突き刺す要領は、静脈注射と一緒などの極めて臨床的で想像しやすい喩えのおかげで、最後の一匹はできたのかもしれない。

++

大学の最寄り駅から大学までのバスが、今週は休日ダイヤになっており、いい時間のバスがなかったのでタクシーに乗るはめに。一番下の妹に愚痴メールを送ったら、「おやまあ、大学用バスは仕方ないのかね。ラットつつくといいよ。」と返事が来て、とても可笑しかった。


-

- 2003年08月13日(水)

数日前書き忘れたこと。
もしやと思っていたら、やはり妹がアクセスして読んでいた模様。
面白がっているらしい。

久しぶりの友人と話し、いろいろ示唆を受けた。

++

妹と母は私のことを買い物中毒と呼ぶ。


-

鍵 - 2003年08月12日(火)

入り口のドアの鍵がとても扱いにくくなっていて(噛んでいる、とこの辺りでは言うらしい)、今日はいよいよ、鍵をかけて出かけようとしているのに鍵が引き出せない。5分格闘してもダメだ。
さすがに観念して、管理会社に電話してみたが、どうも御盆で居ないらしかった。

困ったなぁと思っているところ、宅配のオジサンが現れた。印鑑ください言われるところ、「お願いがあるんですッ」と頼み、鍵を引き抜いてもらおうとする。が、オジサンにも無理で、私が荒く鍵を入れているから噛んでいるのだと言われた。

仕方なく、急きょマイナスドライバーでネジを外し、鍵穴の方を緩めたりしてみて、そうこうするうちに、なんとか鍵が出て来た。

オジサン曰く、油を塗るといいらしい。

サラダ油を取り出して塗ってみると、たしかに一気に滑りが良くなり、するするっと鍵が入り、また出て来るようになった。

な〜んだ。油が足りなかったのか。少々、ほっとした。

このところとみに立て付けが悪くなっているように感じていたので、私は誰かが私の不在中に他の型の違う鍵で入ろうとして鍵穴を潰しているのだと信じ込んでいたから。

++

「才女考」(頸草書房)を読みはじめる。


-

- 2003年08月11日(月)

8月10日
朝上の妹は東京に戻っていった。会社の上司がどうのこうのとぶちぶちいっていたが,一頃より穏やかな感じ。

この日はかなりがんばって押入に入っていた衣類を見て,自分が着られそうなもの,そしてオークションに出せそうなものに分け,オークションに出すものは写真を撮って出品した(写真の取り方が,あとから見ればかなりまずい。といってそのままにしている私も私だが。。)。

以前,手編みで作ったベストが出てきた。やたら幅が広くできてしまったので,余り着なかったものだ。両脇にリボンを通してちょっと詰めた。上手くシャーリング風にしようと思ったのだが,ちょっと編み込んだ感じだ。ともあれ,これで着られるようになるかな?

8月11日
妹が持っていた山本文緒の「あなたには帰る家がある」をぱらぱら読む。なんかねぇ,筆致が上手いんだけど,人間のいやらしさが出ててねぇ。。




-

帰省 - 2003年08月09日(土)

台風も徐々に過ぎゆき,帰省した。東京の妹も同じような時間帯に実家に向かっており,新幹線に苦戦しているようだった。別々に一所懸命実家に向かっていこうとするのが何ともおかしかった。これが全国で繰り広げられている光景なのだろうか?

途中で妹と私の携帯に上の妹からのメールが入った。「今どちら?」「チャ=父はいないよ」などの断片だが,どうやら上の妹は実家にすでにいるらしい。松江駅に着いてみると案の定であることがわかり,妹と私は二人でタクシーに乗り実家に辿り着いた。上の妹は,昨日ついたらしかった。少し雰囲気が柔らかくなっているような印象があった。次の日の朝,もう発っていった。

私の方は,しばしのんびり過ごしている。




-

台風10号 - 2003年08月08日(金)

大形で強い(らしい)台風10号が日本に上陸している。九州の方は大変だったようだ。ただ、中国地方でも土砂崩れがあったらしく、今日の午後帰省するつもりだったのを、一日伸ばした。まぁ、この夜11時44分の時点で、妙に凪いでいるのだが。さっきはコンビニに牛乳を買いに行ったけど、雨も降ってなかったし。

代わりに、いつもよりかは熱心に、写真を撮ってオークションに出品している。

ともあれ、自然に振り込められ足留めって久しぶりじゃないかと思う。

実験の指導は、14日から受けることになった。新生児ラットは小さいから難しいだろうなぁ。。


-

愛を求めて - 2003年08月07日(木)

今日は家庭教師三軒。午前京都市内、午後大津市内、夕方から守山。なんか充実感。また、家庭教師の曜日が増えそうだし、始めてプロ家庭教師センターから面接したいと電話が。ちょっといい気になれた。
ただし、帰って来てみると、友人からのオークションに関してのメールに相当キレ易くなっていた。普段余きれない方なので、疲れたのかな。

++

私はすぐ、疑心暗鬼になるし、対人関係に関して嫌われていないかなどと不安になる。また、先のワカラナイことに対して(開始時期が未定だとかなどなど)おそらくかなりイライラして不安になる方である。

その原因と言えば、、小さい頃、親、特に母親が気紛れで(体調のせいもあったかもしれない)、家族全員で休日に出かける予定を立てていたのに、当日の朝になって行かないと言い出し、父をはじめ皆で「え〜!」と声をあげるのを母が押し切るということが度々繰りかえされたから、約束はいつ反故にされても仕方ない、とどこか身を守るように感情を押し殺してしまったことがあると思う。

明日はしれぬ約束であり、明日はしれぬ愛情なのである。

大学に入ってから、感情的に安定して物事を見れたり、物事を決断したりする友人を見て、新鮮で、同時に、その家庭では、決して気紛れなことは行なわれなかったのだろうな、と、生育環境が人の思考に与える影響力の大きさにおののいた。

とはいえ、いい加減私も親のせいにできる年ではない。
そろそろ、こんな私から卒業して行きたい。


-

マイ・ビッグ・ファット・ウエディング - 2003年08月06日(水)

映画のキャッチコピーから、もっとハートマークが飛んでいるような内容を想像していたのだが、結構しっとりと真面目で、文化の違いをテーマにした映画だった。

友人が2度見に行こうかなと行ったことから、そんなに面白いかとレディースデーを利用して見に行ったのである。

30歳の娘に過干渉する父親、ギリシア系アメリカ人の家族だ。また、家族というとき、いとこなどの親族も含められる。娘はコンピューターを学ぶため大学に通い始め、そして、家業の手伝いから、家を出て親戚の旅行代理店で働きはじめる。いよいよ恋のチャンスも訪れる。

交際するならちゃんと家長の許しを得ろ、ギリシア人以外はよそモノだ、などと父親は言うが、結局最後の結婚式で、皆同じ人間だという趣旨のことを言う。

アメリカにもいろいろな文化が混在していることを見せる一本だ。





-

子ども好き - 2003年08月04日(月)

私は昔から子どもが好きだ。自分で言うのもなんだが、すんなり一緒に遊んだりする方。出かけた時、街角や乗り物で子どもを見かけると、目を合わせてニコッと笑うと、子ども(といっても乳幼児だが)は喜ぶ。日本では大人は、見知らぬ人と目を合わせたりするのは失礼だと思ってるから、そんなちょっとワクワクするアクシデントは起こりようがないのだが、ニコッとしたり、顔の表情をかえただけで子どもはけたけた笑って喜ぶ。

なぜ子どもが好きなんだろう?
子どもはパツンパツンだったりぴちぴちしていて愛くるしいからだろうか?
無心に一緒に遊べるからだろうか?

良く分からないが、少なくとも原点は一つ違いの妹がいて、彼女に便乗して彼女の友だちと遊ぶのが好きだったことにあると思う。あとは、アメリカにいた時、年の少々離れた年下の子供達と遊んでお姉さん面することを覚えたからかもしれない。

とどめは、なんと言っても、年の離れた妹がいることだろう。小学校四年生の時に生まれて、小学校高学年で突如学校生活の中心に躍り出た部活動、その部活動を私はしていなかったので、帰宅すると妹と遊ぶのが日課で散歩させたりするのがとても楽しかった。

案外、自分がいい顔できるから好きなのかなぁなんて、心の底に隠れてるエゴにそ知らぬフリをしたくなるこの頃である。




-

年間100万円生活はまだ遠く。。 - 2003年08月03日(日)

暑い。お昼、ふとラーメンを食べたくなってラーメン、お腹が空いているように思えてさらにライスと餃子とセットにした。さすがに途中でお腹が一杯になった。

予備校のフェローは今日は結構質問があった。学習法とか、そろそろ切羽詰まる頃なのかな。進路をつかみ取ろうとしている受験生を相手にしているのは楽しい。

一週間分くらいたまっていた家計簿をつけていて、ぎょっとした。
先月こんなにお金を使っていたとは!これじゃあ年間100万円生活どころか240万円生活だよ!

朝、1リットルのお茶のはいっていたパックを再利用して、お茶のパックを1リットルの水に入れて、1時間おいてから飲んで水だし100万円生活だの胸を張っていたのに。。

去年のくれごろだったか、以前同額を学生で一人暮らししていた友人が一月つかったといってかなり落ち込んでいたのを思い出し、その時軽く流してしまったが、今、その気持ちが良く分かった。


-

- 2003年08月02日(土)

蒸されるように暑い。

研修病院の説明を見ていて、名古屋辺りはものすごく手当てが良いことが分かった。月収50万の病院がごろごろある。そのかわり、こきつかわれるんだろうなあ。同じ研修指定病院でも2倍以上格差もあるみたいだし、当直もあるところとないところがある。あと、明記していないけれど、年齢による差別もあるらしい。うげげ。
それから、やりたいことがはっきりしている人は、例えば病理学会の認定研修指定病院だとか、そういう基準で選ぶことが必要になる。

手当ての良いところに行けば、確かに臨床は収入が良いといわれるのも分かるような、丁度折り込み広告で大学の最寄り駅のもう一つとなりの駅から2キロほどの分譲宅地の案内がはいっていた。宅地800万円から、最多価格1300万円。これなら、2年働いてがっぽり貯金すれば家も立つわな。


-

いよいよ8月。 - 2003年08月01日(金)

いよいよ8月。再来週か、あるいはそれ以降になるかもしれないが、実験を再開できる予定。今日はいよいよ妊娠ラットを発注し、届くまで暫く待機。新たに御指導していただけることになった。新生児はものすごく小さいらしいので、固定が難しいだろうから、緊張する。固定がうまく行けば、蛍光二重染色ができる。実験がうまく軌道に乗ることを祈っているし、うまく乗るとしたら非常に楽しみな作業である。

++

夜帰宅して、やけに身体が火照るなぁと不審に思っていた。どうやら、日焼け止めも塗らずに大学から昼間に歩いて駅まで折田のが聞いているようだ。暑かったんだなぁ。


-



 

 

 

 

INDEX
past  future

 Home