Wakako's Diary 道すがら記

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解剖実習ご献体慰霊法要 - 2003年05月31日(土)

来たんだか来てないんだか分からないような台風の中、解剖実習のご献体の慰霊法要が比叡山にて行なわれた。

最高気温京都27度、大津26度ということだったので、暑いかなと警戒して行ったのだが、比叡山が標高が900メートル近くある山だということをすっかり忘れていた。しかし、それを予測していたとしても、それを上回る寒さで、皆震えていた。阿弥陀堂などある頂上付近が、少なくとも平地より5度低いとしても、風が強く、それ以上に冷えていた。特に女子は寒くて震えていた人が多いようだった。午前中の返骨式が、予定時間より40分ほど早く終わってホッとしたくらいだ。

それが、お昼あたりから青空が覗きだし、徐々に暖かくなって来た。

午後、墓地で納骨式が行なわれるはずだったのだが、午前の雨で足場が悪いということで、一旦中止になり、学生代表のみがタクシーで墓地に向った・・はずだった。

それなのに、御遺族の方でお参りされた方がおられた云々ということで、バスの手配の都合とやらで、行くの行かないの、3、4回方針が変わった。

結局、私を含む学生の半分は、参拝された一部の御遺族を待つということで、駐車場で待機となり、天候など仕方ない部分があると思うが、これだけの学生を待たせておくのもなんとなく手際が悪いなぁと思った。実際、待っていたけれど、私達のバスに乗られた御遺族の方はおられなかったし。

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ところで、一応無宗教や各宗教の信仰に対応しているという説明が解剖実習のはじめのビデオで説明があったが、今日の慰霊法要は天台宗の比叡山延暦寺で行なわれた。日本人は余こだわらない人が多いから問題ないのかもしれないが、どうなのだろう。他大学ではどのように慰霊を行なっているのか興味あるところである。

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田中宇「タリバン」(光文社新書)読了。




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明細 - 2003年05月30日(金)

昨日は、早く起きたのはいいものの、そして出かけるまでは覚醒していたのはいいものの、案の定眠気が差してきて、変なところで眠ってしまった。
まずは、登校時のバス。初めて駅から大学までのバスの中で眠りこけてしまい、終点まで行ってしまった。ちょっとすいた時間に乗ると他の人が降りている気配に気づかないからやってしまった。
それから、午後、実験センターで画像を取り込んでいるとき。なんとなく眠いなと思ってちょっとうつぶせたら、すぐ眠ってしまったらしく、起きてみれば40分ほどたっているし、おまけに同じ部屋の中に他に研究者が2名ほどいらっしゃった。あであで。
というわけで、私の場合、睡眠不足はすぐさま私を直撃する。睡眠を削って激務というのは無理そう。

今朝は7時過ぎに起きて、それでも洗濯、布団干し、お風呂、朝食、ゴミ出し、とめまぐるしく一時間で動いたから、よしよし。きびきび動くのって好きだな(後の時間はこのところかなりスローモードなんだけど。。)。あとは、その他の場所にでも、出かける前の時間がハイスピードになるかな。

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ところで、昨日は、クレジットカードの明細が届いた。予想額よりは少なかったものの(単に前月がもっともっと多かったからあまり驚かないのかもしれないけど)、私のベースとなるお給料分の金額が来月十日にはクレジットカードで口座から引き落とされる。ははは。よって、勤労学生のくせに、まるで、お給料の手取額が25万だの30万だのの勤め人みたいな生活を私はしていたわけだ。確かに相当、その分着ているとも言いがたい洋服代に遣いましたからね。三月以来、ベトナムへの旅行を取りやめたのを埋めるかのように、このところ放漫経営をしすぎました。反省。

なので、家計のダイエットが目標!女性誌の「家計のダイエット お助け講座」のページによると、ペースをつかむのに10ヶ月とか書いてある。むむむ。まぁそんなものかもしれない。まず、一週間あたり自分がいくら遣っているのか把握し、それから、その額は遣える額に対して妥当なのか、そうでなければ一週間どれだけの額に収めるのがいいのか、今はその段階です。月々の貯金目標もあったりするけど、その前にカードでばんばん買い物(それもたいしたものは買っていないくせに!)するのをやめ、そして適当な額の枠内で生活することかな。

やっぱ、家計簿って大事。

それから、目標があると貯められる、って書いてあるけれど、私の場合目標は一体何なのだろう、とふと考えた。

まず、大前提は、日々、月々、自分が生活していける適正な額を確保すること。
その上でやはり貯金もしたいなんていう私は、望みが大きすぎるかもしれない。

私は一体何のために貯金したいんだろう、とふと思った。

もちろん、メリハリあるお金の遣い方をしたいから、倹約できるところはして、自分へのご褒美やほしいものも月々の枠で手に入れたい。でも、それ以上に一体何のために貯めたいのだろう?

一つ考えるのは、忙しくなったときにバイトしなくても食べられるための貯金。将来への生活費。でも、これはあまり夢がなく、またバイトしてけばいいなんて思ってしまう。しんどくない範囲で学生生活を送りたいとは思うんだけど。

その他はねぇ、一体何のために貯めたいんだろう。

へそくり?

単に遣わずに貯めるというのは、一人暮らししているから、そんなにほいほい貯まるものではない。

マンションや車を購入したいという気は今のところさらさらないし、せいぜい時々旅行に行けたらと思う程度だもん。

大学に入るためのお金、といっても、今もう入ってるし、貯金を切り崩すよりは働こうと思うものなぁ。

何なのだろう。

現在と将来へのビジョンを持たなきゃなあと思った雑誌のマネープランへのアドバイスでした(^-^)/




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ああ、快晴。:自然の涼 - 2003年05月29日(木)

今朝は5時20分に起きて、洗濯、お風呂。北向きの部屋だけど、正確に南北の軸を向いている訳ではないらしく、朝は存分に東からの朝日がベランダに注ぐ。燦々と射す日に、思いきってお蒲団を干す。出かけるまで一時間半弱は日に当てられるだろう。洗濯物も、お風呂のマットやバスタオル、タオルは外に。

この前の日曜日、雑貨屋のpassportで、ごく薄い水色の150センチ丈×100センチ幅ののれんを二つ買った。さっそくベランダに通じる引き違いのすりガラス戸の長押に、簡便に押しピンで止めて使っている。これが正解。去年は意気込んで簾を買ったけれど、止めるのに釘が必要でので取り付けないままだった。今年は早くも5月終わりから思いっきり乗れる薄手ののれんを見ながら夏気分だ。ごく薄い水色は、日に照らされると白く見え清涼感が漂い、同時に、空の水色に溶け込んで、ただ違和感なくそこに風に揺られている。

こんなことをするのは、カーテンレールが一つしかなく、そこには部屋側がピンクの遮光カーテンを吊るしていてレースカーテンを吊るすところがないから。そして、もう一つは、私がエアコンが好きでなく、夏は極力戸を開け放って自然の風にふかれていたい人間だから。

いやはや、簾を吊るしたり、よしずを立てたり、レースカーテンや厚手のカーテンで熱を防いだり、こういったことで結構室内温度は下がるものなのだ(高校の時、家庭科の住居で家を設計する授業があったときだったか、こういった省エネの工夫を宿題にて提言したが、マトモに取り上げられなかった。今朝、遮熱パネルなどをバス会社やオフィスビルが利用し始めた、メーカーが売り込んでいる、そういったニュースを見て、ようやく時代がついて来た(!?)のを感じた。そう、原子力発電所が思うように使えなくて今年の夏は電力不足が懸念されるとか言うのなら、日本人よ、エアコンを極力切れ!オフィスなどのビルは一面のガラス張りなんて明るいかもしれないけど熱は入り込んでくる。暑いのは当然。遮光遮熱しよう!カーテンを利用しよう!そして自然の涼を利用しよう!)。

次のささやかな目標は、ベダンダにウッドマットをひいてちょっとしたお庭にすることなんだ。

さて、いつもより早く覚醒しテキパキ動いたた今朝だが、5月29日はここ数年、何度か意図せずしていつもより早く覚醒している朝である。

そう、思いおこせば、今朝は7年目だった。あの火事に遭った日から。

時が経つの早い。そして同時に、あの7年前がどこかしらまだそばに感じられる。


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歩きたくなる道 - 2003年05月28日(水)

今日は天気が良かった。

切片の染色の続きをして、発色させた。濃さは良かったけど、問題は、切片が半分くらいちぎれてしまって拾えなかったこと。良い切片を作らなきゃなぁ。あとは乾かしてスライドガラスを載せる。

先生に楽しいかと尋ねられた。結構これは楽しい。ただ、きちんと切片が発色できないと悲しいけど。

帰り道、この頃のささやかな楽しみは新しい道を開拓すること。今日は成功!歩きたくなるいい道だった!緑溢れるお庭の住宅地をうまく縫って、小川沿いの並木のある道に出られたのだ。季節の花が咲いて、歩いているとうきうきした。車でビューッと走ってしまえば、あっという間だ。急ぐ人には道ばたのマーガレットや野菊は目に入らないだろう。6年間この楽しみを知らないで過ごす人が大半なんだろうなぁ。もちろん、いつものんびり歩けるとは限らないけど。。

今日は帰宅してからはかなりのんびりだらだら。洗い物も途中までやって漬けてある。そろそろ片づけをまた再開しよう。

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今TVでやってるフェイシャルセラピストかづきれいこさんによる「リハビリメイク」の話、興味深い。化粧は自分を受け入れる手段、隠すことが目的ではなく、チャームポイントを活かして視点をずらすことで、現実を受け入れる手段なのだそうだ。形成外科、精神科、そしてメイクのプロの三者が取り組むことが大切なのだと言う。非常に興味深いし、医療の場でも関わって行けたら面白いかも(明日早速その話を家庭教師の教え子にするつもり)、と思った。






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あくまでも私的に、心豊かな一日。 - 2003年05月27日(火)

大仰に書くほどのこともないのだが、今日はなんだかテキパキと動いた気がする。

まず実験は、久々に(!!!?)時間を持て余したりせずに、午前中、切片を作り、すぐさま染めに入った。明日続きを行なう予定。うまく発色するといいな。大量の切片をプレートからプレートに移動させるのも大分慣れて来て、切片を移動させるのに大幅に時間が短縮できるようになった。

もくろみ通り3時半に本日分の作業は全て終わり、ノートをまとめていたところに、先生が帰られたので、それをいいことに私も終業時間より15分早く退出。心がとがめながらも、とっても美容院に行きたくて行きたくてたまらなかったのだ。

しかし、実際それは余り意味がない行動だった。というのは、バスが2分送れて来たおかげで、目標の電車に乗れず、あと15分待ってても同じ電車になったからだ。

ともあれ、勇んで美容院へ。途中、ふらふらっとspic & spanのお店に入ってスカートをしげしげと見ていて店員さんに勧められるまま試着してしまいそうになったが、ここはぐっとガマン。それよりカットカット。

ふんわりパーマをかけるつもりだったのだが、目論見ほど伸びていないので、結局大分髪の量を軽くしてもらって、トップにポイントパーマをかけて丸みを出すことに。すっきりしたし、店員さんも楽しかったし、満足満足!

それからミニブーケを買って(すごくお花の取り合わせがセンスよく良かった!ミニブーケ専用のポイントカードまで作ってもらっちゃった!)、7月号の(もう雑誌は7月なのだ)moreとwithを買って、帰宅。またちびりちびりグラビアを見て楽しむ予定。夕食はカレーうどん。

一念発起して、大量の洗い物。バスタブにががっと洗剤を入れてね。
なかなか爽快で気持ちいいです。

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昨日テレビで見たドイツの自動車工業を巡る労使のルポは、何も遠いドイツだけの話ではない。日本もとうの前から産業の空洞化が起こっている。今日のテレビではモノが売れないからますます値下げして果てしなきデフレがここ数年日本では起きているといっていたが、その前に、ものを買わせる/買うのがよい、買うことを前提に成り立つ社会/産業構造を変革して行かないとどうしようもない気がする。資源と環境保全の問題も含めて。

また、ドイツでは平和・外交や社会福祉などの点でドイツの独自のあり方を模索する「ドイツの道」ということをシュレーダー首相が言っているようだが、果たして「日本の道」があるのであれば、一体どのようなものになるのだろう。

まぁ、ワタクシ個人としては、自分の生活レベルで必要以上にモノを買わないこと、モノを大切に使うこと、かなぁ。

日本の道、それはどのようなものが良いのでせうね。

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明日は暑くなるようだ。


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天災人災 - 2003年05月26日(月)

5/25
昼過ぎ、食料品と生活用品を買出しに出かけた以外、友人に映画に誘われていたにもかかわらず、結局ほとんど眠ってすごす。友人に謝ったところ、「天候不順のせいでは?」とのこと。ううむ、この天候不順に直撃されている私って一体。。まぁ、この週末は存分に眠れたからいいか。おかげで今日(翌月曜日)は眠くもなく、鼻水以外はまぁまぁ。

5/26
のんびり実験。染色した切片の切れ切れになったのを拾う。ラットの脳の還流固定。これは普通にさくっとできるようになった。そろそろ、新生児のラットの固定を指導していただくことになるようだが、そしたら難しそう。

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アルバイトの帰宅途中、駅で止まった新快速の扉が、目の前で開かなかった。どうしたんだろう、と思ったら、どうやら車内で痴漢にあった女性が犯人を取り押さえ、そのために電車が暫く止まっていたよう。

バイトの帰り道、懐がちょっと暖かくなっているところに、事件に遭遇し、ちょっと興奮気味に帰宅してテレビをつけてびっくりした。幸いさして被害は出ていないけれど、東北で震度6弱の地震があったとのこと。

今日はちょうど日本海中部地震から20年目だったらしい。はっきり覚えている、という声に、恥ずかしながら、おぼろげにしか、というか、今やっとおぼろげに思い出した(汗)。そういえば、死者も出た被害の大きい地震だった。

昨日、たまたま、テレビのニュースで、ちょうど日本海中部地震から20年目で、その記憶を風化させないために目の前で仲間が亡くなるというその時の辛い体験を語り始めた、という男性の活動を見たばかりだった。

イラク戦争とか人災も多いこの世だけれど、アルジェリアでも大きな地震があったし、天災に対して人間はまだまだ無力で、備えて防災しないといけないなぁと思う。

天災があるのに、そして、意図しなくても失敗して人災を起こしてしまうのに、わざわざ人災を起こす人間の愚かしさよ。

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母より便りあり。「良くなることを信じて」というところに、ああ、母の思いは共通か、とじ〜んとなる。暖かい。

幼馴染みのお姉さんのM子ちゃんの披露宴とあり、さらさら結婚する様子もなく親と対立していたとこの前まで聞いていたけど、と思いながら、確か今、32歳のハズ、10年前、いや15年前なら彼女も20代で結婚していたような、かわいらしくかつ芯のある女性だよな、とか思いながら、ちょっと安心。わたしもまだまだ大丈夫、な〜んてね。


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恥ずかしい話だが、実はこのところ小バエと闘っている。元は、実家から送って来る救援物資、ならぬ食料品を食べ切らないところに次が送って来るので、腐りかけた果物などに小バエが数匹ちょろちょろしていたのだが、それが暖かくなると共に増え、洗っていない食器にまでたかるようになってしまった(汗汗)。おかげでハエとりフェロモンテープなどをようよう先週から備え付ける有り様。名案があれば教えてください(って、まずは清潔第一かな??)。





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- 2003年05月24日(土)

5/23
指導教官の先生が一週間ほどお休みされていて、それをいいことに(?)ますますスローモードの一週間だった。でも、そろそろ論文も読んで向上を目指そう。。

共同実験センターの器機を初めて利用して切片を作った。余り皆知らないから使ってないそう。嬉々として借りにいったのだが、しか〜し、借りるとメンテナンス代としてクリオカットの場合、一回500円なり。メンテナンスする職員さんがおられる。ふうむ。ということは、講座で持っている機械は、自分のところでメンテナンスできることが前提なのですな。
一回500円の割に、標本はがたがたの切片になって余り意味のない作業となってしまったし、意気消沈。何がいけなかったのだろう?切り方がまずい?それとも標本が劣化している?

5/24
風邪がまだ抜けなくて、部屋の片づけを(せねばならぬと思いながら)余りする気にならない。よく眠る。



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喜捨 - 2003年05月22日(木)

はじめて、周囲での前評判も高かったドラマ「動物のお医者さん」を見ている。獣医学部の話なので、試験とか、研究室とか、身につまされる。試験の結果で名前を張り出すところだとか。一緒にドキドキしちゃう。岸田今日子のおばあさん役は適役だと思う。スッゴイ笑える!今まで見てなくて損した気分!

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今日は5月2日以来実に20日ぶりにラットの脳の還流固定を行なった。まぁまぁうまくいったかなぁ。ラットの体重はおよそ305グラム。なお、ラットとマウスの価格表によると、マウスの方がはるかに安い。ラットの4分の1か5分の1くらいかな。ちなみにマウスの一番安いもので一匹500円なり。貴重りんこ。

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地下鉄の駅の切符売り場の前で、昨日の朝、「電車賃がたらんねん。20円持ってない?」と尋ねられ、20円渡した。代わりに12度数残っているテレホンカードを貰った。つかわないかなと思ったが、いいことをした気分になり、一日のスタートが気分よかった。

今日も、同じ時間に地下鉄の駅を通りかかると、昨日と同じ格好をしたオジサマがいた。私の顔を見るなり寄って来て、「また電車賃がないねん。220円もってない?」と尋ねられた。ホームレスに違いない。
今日は私は立ち止まりもせず、手を降ってないよと示して通り過ぎた。そもそも、「また」というけど値上がりしてるし。。

それが良かったのか悪かったのか。少なくとも悪いことをしたような気はしなかった。おそらく彼は、そうやって誰彼となく声をかけて、お金を手に入れたらならば、電車賃ではなく、100円のおにぎりニ個などを手に入れているのであろう。

彼が余りにも毎日声をかけて来たら駅員さんか、はたまた警察か市役所に私は苦情をいうのだろう。今のシステムでは行政が、ホームレスが目立つ地域では対策を行なうことが普通のような感じである。

以下は、あくまでも個人的な考えなので、きちんとした宗教感や宗教団体への理解に基づいたものではないことを予め断っておく。

ふと、イスラムでは、信仰の中に貧しい人への喜捨というのが含まれていたことを思い出した。だから、医療も寺院に付属していることがある。

仏教でも、そういう考えはあるのではないだろうか。実際、奈良時代の皇后で仏教の考えに基づき、慈善施設である施薬院を建立した。

京都には沢山寺社仏閣があり、多くのお賽銭を人々は備えるが、のみの市をやったり、健康を祈って炊き出しを年中行事として行なったりすることは聞くが、ホームレスに炊き出しというのは聞いたことがない(あるのかもしれないが)。そういったことは、コストも人手もかかるし、参拝者を増やす訳ではないから、しないのだろうか?
でも、ノミの市よりよほど宗教の本質に近いのではないだろうか。

寡聞にして私がそのような行いを知らないだけなのかもしれない。

もちろん、だからといって、宗教団体の自発的な行為に任せれば済むといいたいのではない。ただ、その方が、駅の切符売り場で声をかけられるよりは、はるかに人もお金を喜んで「喜捨」あるいは「寄付」するのではないか、そう思ったまでである。

あのホームレスの男性をまた見かけることはあるのだろうか、そう思いながらキーを叩いている。


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波乗り - 2003年05月21日(水)

気温のアップダウンが激しく、月曜日いったんよくなったと思いきや、またなんとなくぐずぐず風邪ひきさんです。みなさんも気をつけましょう。

今朝はとても夢見が悪く(夢見が悪いと大体このごろ寝坊します)、なぜか小学校のときの面子が出てきて、私も小学生で、体育の授業で私だけ何かができなくて、夢の中で大泣きしていました。目が覚めてみたらそれは夢だったのだけど。

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昨日は午前中、病院に行った。
このごろは、あまり落ち込んだりしませんが、疲れてくると、思考が飛んでると思うんですけど、なぜだか死にたいと思ったりしてしまうことがあります、そういうときには、早く寝るようにしてます、私はそういった。

そういう時、先走ってる、って思うかとたずねられ、私は「はい」と答えた。

先生は、言った。「本質的に欝は疲れだから、眠って休息をとるってのはいい。よく性格と関連付ける人がいるけど、あまり性格が几帳面だからとか関連付けないほうがいい。波乗りみたいに、自分の調子をつかむことです」と。

自分の調子を見ながら、休んだり、作業したり、前に進んだりしていくこと。

「前に進め」の信号を出すことしか知らなかったら、体も心も休めなくて悲鳴をあげる。いろいろな信号の出し方を知ること。

そして、疲れたとき、全か無の法則みたいに他にすべがないかのように「死にたい」と思う必要は実はない(思いつかないからこそ、本人は困るのだけれど)。疲れたり、うまくいかなかったりしたとき、すぐgive upというか、思いつめずに、他にも方法があるんじゃない?と落ち着いて考えられること。自動思考の回路から抜け出すこと。

波乗り、視点をちょっと変えてみること。

ゆっくりゆっくりでも、前に進んでいくこと。


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修理  - 2003年05月20日(火)

たったの6000円(!!!!)で復活したvaioクンは、快適である。以前(3年前か?)、同じようにハードディスクがおかしくなったとき、製造元のソニーに修理してもらったが、そのときは7万円もした。それを思えば、桁が違うということは、製品となったときやメーカーでの修理が人件費ということでいかにコストがかかる(商品に上乗せしている)かよくわかる。なんだか、まともにパソコンを購入したり、修理するのがばかばかしくなってきた。ちょっと腕があれば(そのちょっとの腕が問題なのだが)、自分で簡単にできちゃうものね。

修理といえば、このvaioクンと同じくやる気なく一日置いておいた自転車を、やはり動き回るにはあったほうがいいと、修理に持っていった。ちょっと夕日に照らされて晴れ間が出ていたおかげか、日曜日にどうしようもなくボロ自転車に見えたのが、少しまっとうに見えたから修理に行く気になったというのもある。

持っていくと、おじさまが優雅な手つきでいったんタイヤの中のゴムを外してからタイヤにまたかぶせてくれた。そして抜かれてしまった空気入れのピンを差し戻し、空気を入れて、元に戻った。それからピンの上にゴムのカバーをかけておしまいだ。

「おいくらですか?」
私は尋ねた。おそらく、前回そうだったように、今回も「ぴんはプレゼントします」と、ただで直してくれると思うのだが、いつもいつもお世話になっているし、見事な手つきに私はすっかり感心したし、修理代を払いたい気持ちになったのである。

「そうだなぁ」と考え込んでからおじさんは「じゃあ、100円だけいただきます」と言った。
「ありがとうございました!」と私は100円渡し、おじさんは「気をつけて乗ってね!」と私を見送った。

こんなぼろぼろの自転車、下手すると、お店によっては修理に持っていったとき「買い換えたほうが安いですよ」と言われる。でも、ここのお店は、若いお兄さんも、おじ様も、決していやな顔一つせずに直してくれる。だから、信頼して、いつもお世話になっている。

こういう、「技術」って大事だな、とつくづく思う。

まぁ、肝心の私のほうは、相変わらずちんたらとやっていて、いい加減、ラットの脳の切片をきれいにマッピングしたいのだが。。


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LAN生活 / 殻 - 2003年05月19日(月)

ふふふ。ついにジャンクと化していた私のvaioクンが素晴らしくもよみがえり、windows meを搭載した6ギガのマシンとなった。そして、研究室の自分の机に大学用の私専用パソコンが置かれ、LANにつながれ、ちょっと調べ物をしたいときやメールを書きたいときに簡便に使えるようになった!ふふふ。家のadsl接続のiBookよりやはりLANは速い。自分で組み立てられると修理も安価に手軽にできていいですなぁ。。いやはや、今まで雑な扱いをしていたのが申し訳ないくらい、素晴らしくカムバックした。

というわけで、この日記も現在大学の5階の部屋で書いている(染色の待ち時間なり)。うれしいなぁ♪

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書き漏らしたこと。

金曜日の夕刊を読んでいて、桜井淳子さん結婚、とあって、ちょっとびっくりした。何に、というと、彼女の年齢が30歳だったことに。なんとなく、ドラマ「ショムニ」のまま、彼女の年齢が27歳くらいでストップしていたのだった。時間がたつのは早いなぁ。。自分のことも棚に上げているけど。。(汗)

このごろよく、自転車の悪戯に遭う。昨日も、やられた。自転車のタイヤの空気入れの部分のピンを抜いてあるのである。おかげでタイヤがぺちゃんこ。もう5,6回やられた。このごろ撤去されることはなくなったけど、代わりにタイヤがさいなまれている。
ただ、本体ももう7年は乗っていて(早い!)かなりがたが来ていて、いいかげん、まだ乗れるんだけど、鍵もぎいぎいいってるし、どうしようかなぁと、やるきなく鍵をつけっぱなしでアパートの駐輪場においている。

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勝手なもので、子どもは人の顔色を伺ったりせず、よく笑う、のびのびとした子に育てたい、なんて思うが、自分のことを顧みると、よく笑うかもしれないが、時にそれは必要以上に笑っていたこともあったし、無表情だと小学校の時担任に言われたこともある。親は精一杯愛情を注いでいたのだと思うが、それでも私は母親に叱られるのが怖かったし、ある年齢以上になるまで、親に胸襟を開くどころか壁を作って覗かれまいとしていた(それは何も親に対してだけではなく、ほとんどの人間に対してそうだった)。

殻を被っていた。

自分は理解されない、と思い、同時に、自分を守るために殻にこもっていた。

だから、自然に道ばたで人とすれ違うように、肩の力を抜いて人と関ってこれなかったのだと思う。

肩の力を徐々に抜くことを知ったのは、大学に入ってからだ。

むしろ、抜き過ぎた面もあったかもしれない。ナニカを成し遂げると言うことにおいては。

ただ、ようやくここ2、3年で、自分が必ずしも特異な部類の人間ではないことが・・大学在学中から少しずつ感じていた感情が・・腹の底におさまって感じられるようになって来た。

普通で平凡だ。

ある意味、なんら向上心がない思いかもしれないが。それは。

被っていた殻は何から私を守ってくれていたのだろう?

自分の世界にたゆたうことを保証してくれたそれは、同時に、
私を色々なものから遠ざけることにもなったのではなかろうか。良し悪しは別として。

少しずつ折り合いをつけて生きていく。

一つずつ、決して特別なことではなくても、
一つずつ生きていく、時にそれは滝にダイブするようなものかもしれないが、
その一つ一つが、かけがえのなく、そして貴重な歩みなのであり、
そして、その一つ一つの結果が、ナニカにつながっていくのだろう。


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- 2003年05月18日(日)

昨日の朝から咽が痛く、悪寒が。sarsじゃないかと脅えてみたりしたが、大分良く眠ったり、葛根湯を飲んだり、医薬品の咽飴を舐めたり、暖かいハーブティー(ローズヒップ)を飲んで喉を潤したりしているうち、日曜夕方の今、大分良くなって来たようである。おかげで、まともに本を読んだり出来なかったなぁ。用が終わるとすぐうとうと眠ってしまうんだもん。

解剖のご献体法要行事のために、実家から式服を送ってもらう。

今日は余り食欲なし。
昨日は夕食にマーボ茄子、筍炊き込みご飯、味噌汁。マンダリンミカン。手を動かし始めると結構楽なものです。ただ、余程疲れてる時は、めんどくさいというのを越えて作って余計疲れる気にならない。何ごともほどほどか。

という感じで、余り中身のない今日の日記。体調はいい方がいい。

要らない服を処分しよう。。。



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住宅地の中を、道に迷う - 2003年05月16日(金)

今日はスライドグラスを脱水透徹封入し、カバーグラスを載せるだけだったので(カットする機械クリオカットを他大学からの研究者さんが使っておられたので新しく切片を作る作業を来週に回したため)、午前中早々に退出した。

歩いて駅まで向った。新しい道を開発しよう、かつ、ショートカットを、なんて思ったのだけど、やけに一里山(大学近くの住宅地の町名)は広いなあなんて思ってたら、ぐるぐる回ってたみたいだ。

昼前の小学校の横を通ると、体育館裏があって、そして、中からバスケットボールをつく音がした。横の運動場でも授業中だった。校庭側に向けて、時計の針が11時をさしていた。

こんな時間に、こんなところを歩いている私ってなんだろうと思った。
ここの住民でもないのに。
異邦人(エイリアン)。
ここにはここの生活があるが私はここに住んでいない。

瀬田、というか、一里山あたりは、実は私の実家付近に似ている。分譲宅地の庭付き一戸建ての住宅地、都市計画があるんだかないんだか、くねった道、ところどころ緑地、宅地開発前の昔からの人家、アパートやマンション。
年月を経た住宅の庭は、緑が溢れ、季節の花が色とりどりに咲き誇り、洗濯物がはためき、見た目には心が安らぐ。
それでも私はここのは住もうとせず、大学から距離をおいている。なぜだろう?
結局、大学から心理的に距離を置くこと、もう一つ世界を持つことを優先してるんだろうな。

なんてことをつらつらと考えながら歩いていた。
さすがに、予定外の一時間近く、30分なら疲れなかったほどの荷物を持って歩いたので疲れた。

帰宅してから、思いっきり2時間近く眠り、復活。

夕方から大阪のテアトル梅田まで映画を見に行く。ついでに新しい化粧品を試したりして幾つか買った。

映画はくらくらしました。ケン・ローチら監督の短編にノックアウト。


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- 2003年05月15日(木)

ラットの脳の切片を免疫組織化学法を使って染色しているが、なかなか適当な濃さにならない。今日も、狙いより濃くなってしまった。私の手技がまずいのか、はたまた、実際に濃すぎるのか(今日は計算間違いはしていないはず)。最後、屈んで一生懸命切片をガラス棒で拾っていたら、ちょっとした作業なのだが、肩が凝って気持ち悪くなってしまった。肩凝り大敵。帰宅後一眠りして、今復活したところ。

村井理子「ブッシュ妄言録」(ぺんぎん書房)・・笑える。それとも、笑え、、ない?


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- 2003年05月14日(水)

雨降り。首尾よく家庭教師をゲット。ただし、化学の計算問題が特に苦手とのこと、しょっ中、免疫組織化学染色で一次抗体の希釈倍率を間違えている私だから、要注意です。明るい素直そうな子で良かった。

過去に嫉妬しても仕方ない。今を、これからを、生きる。

オークションに出した眼鏡が予想外の高値で売れてラッキー。パソコンリニューアル代(詳しい方にパーツを交換して新生してもらっている)にします☆


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グラビアの好きなわたし - 2003年05月13日(火)

カテキョを新たに始めたいな、と思い、学生課に向っていつもはチェックしていないアルバイト斡旋情報のファイルを繰った。あるある。今日の日付けの求人、それも職員さんによれば私が到着前に届いたばかりの、ぴったりな家庭教師の求人が。ツイてる。

早速アポをとり、明日伺うことにした。

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今日は「アメリカ「超帝国主義」の正体」(小学館文庫)を読み終えると共に(この筆致は結構好きだ。ただし、私自身一次資料にあたっているわけではなく、この著自体、筆者なりの解釈なので、ひとつの指針にするのが良いのだろうが)、同じ著者の「タリバン」(光文社新書)を読み始める。

今日もサウジアラビアの首都リヤドの外国人在留地区で爆破事件が起こったし、国際情勢から目が離せない(少なくとも上記の読書により、正確な知識をえたかどうかはさておいても、より意識を向け、理解しやすくするだけの効果があったとしよう)。

同時に、前々から通信販売のカタログが好きな私は、この頃グラビアに飢えていて、空いている時間に「MORE」6月号を買ってしまったが、どうもWITHの方が(恋愛や家計に関しては)まだ記事を書いているスタンスが好きだ。自分を持ってる女性が輝いてるとか、そういう記事の方が私には受け入れやすい。MOREの方は、合コンでのモテ服の分析とかしていて、それはそれでおそらくある程度のニーズがあるのだろうし、それ以上に、潜在的に、ちまたで何となく喧伝されているよりも「(合コンに行くであろう/合コンを必要としている)恋人のいない女の子」がいっぱいいると言うことを表しているのだろうが、どうもねぇ、合コンてそんなにいいかねぇ、一度にひとり、落ち着いておつきあいできる人がいれ売いんじゃないの?という疑問、もてるのも大事かもしれないが、より大事なのは、周りの人やつながりがある人とうまくやっていくコミュニケーションスキルじゃね〜の?という大きな疑問はさておいて、まず人間、第一印象が大事だとか言うのはある程度は分かるし、こざっぱりとした格好は接する人に好印象を与えるのも分かるのだが、
服だけでねぇ、人間モテるもんじゃないですよ、って気がして辟易した。また会いたいかどうかとか、会って一緒に過ごして楽しいかどうかとかは、服で差し当たり気が惹けたとして、それとは別のカテゴリーの話でッせ、などと心の中で突っ込みを入れる。それでも紙面の大多数を占めるグラビア的な部分は楽しく見てしまう。あと、着回しとかコーディネートの部分を参考にするという感じ。メイクの「着回し」も所要時間まで載ってて面白いけど、ファンデーションとかはかっ飛ばして掲載してて、ちょっと不満。

まぁ、何も考えず、「あ、きれい」「いいな」と思ってみられるのがグラビアのよさ、ただ、物欲が刺激されるのが難点。

帰り、駅まで歩いて、ちょっと脇道の川沿いの桜並木がいきいきとした緑になっていて、木陰が気持ちよかった。


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大人になりたい、なって良かった、と思えること、とは - 2003年05月12日(月)

勤務時間が、4時までになった。同時に、私の「月々貯金もする計画」は潰えたので、家庭教師だとか、夕方からできるバイトか、空き時間に家などでできる仕事を探したいところである。

なんでも、5時までの勤務時間にすると、常勤扱いになって、雇用保険のことなど面倒なことになるという。扶養家族から出る覚悟があれば5時までの勤務も可能だったのだが、一旦扶養家族から出てまた戻る時、親子関係を証明したりと手続きが煩雑なので、私が望まなかったのである。


フランスまでのCDの送料は670円。どこが400円だぁ!

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昨日の続き。

個人的な印象としては、私が通っていた小学校は過剰に「活発で元気な子」というのを「良い子」のデマゴーグとして流しており、物静かな子、思慮深い子、そういう子の入る隙間がなかった。中学校に入って、初めて、そういう子も(センセイに)認められる、肯定される、クラスの中に居ていい、という感触を得た。だから、小学校時代、休み時間は「友だちと元気に(なるべく外に出るなどして)遊ぶ時間」であり、「机に座って1人で過ごす時間」として認められていなかったのである。ちなみに、小学校一年生に入学した頃の私は、休憩時間もお行儀よく椅子に座っていた。小学校は、幼稚園と違い、そうするものだと思っていたのである。

小学校高学年の時だったか、中学校の時だったか、はたまた高校に入ってからだったか、今は定かではない。親しかった友人が、帰り道に嬉しそうにこういったことを覚えている。
「大阪とかでは、テレビの話とかついていかなくっても、楽しく過ごせるっていとこが言ってた。」
その時の友人の目がキラキラとバラ色に輝いていたこと!
そう、大きな町だと、色々な人がいていい、会話に全てついていかなくていい、それは単に友人のいとこのコミュニケーション能力が高かったということなのかも知れないが、色々な人がいていい、色々なことに興味を持つ人がいていい、それで当たり前だ、そういう世界が素晴らしい世界として感じられたのは確かである(少なくとも、その友人と私にとって、育った地方都市は、どこかしら小さくて息苦しかった)。

もちろん、大きな町だからいいということにはならない。都市の郊外の住宅地などは、同一の世代、収入層が集まることで、横並びの多様性のない地域が生まれがちであり、一昔前までは、そういうところで、子どもの進学や夫の昇進をお隣と比べあう、そんな風潮が揶揄されたものだ。
そして、それは、一面、息苦しい「ムラ」世界かもしれない。いや、しかし、それほど今地域は力を持っていないだろう。。

とはいえ、中学生の時、過剰に趣味に没頭することで逆に排他的閉鎖的である「ヲタク」の世界に違和感を感じた私は、高校生の時、すでに自分なりの個の世界に引きこもっていた(いわゆる、自我の目覚めと言えるかもしれない)。読書。そして、数少ない友人と接すること。それで全て満たされていた。そして、あと少しすれば、私はここから出ていく、楽しい世界が待っている、そう信じていたし、それは描いたほど完璧ではなかったかも知れないが(私はなぜか、入学する前、おばあさんのいる古い家に住んで、本を沢山読んで、そして、心の通じる仲間を見つけよう、作ろう、という願いの現れだったのだと思うが、同級生と友だち的に学生結婚しよう、と夢を持っていた)、6、7割方は満たされた。

何が言いたいのだろう。大人になるほど、少なくとも私は、自由に好きに生きることができてる。そんな風に自己実現し、「大人になりたい」、「大人になって良かった」と思える社会が、おそらく、活力があり、平和な社会であるのだろう。

そして、私が子どもを育てるのなら、少なくとも、子どもには、「大人になったら、大きくなったら、○○をしたい、○○になりたい」と自由に夢を描くことのできる社会を、そして、その子が育った時に、「良かった」ト思える社会を、用意したいし、そして、そのような社会を準備することは、私達大人の義務であろうと思うのである。








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- 2003年05月11日(日)

5/10
遅ればせながら、「アホでマヌケなアメリカ白人」(マイケル・ムーア著、柏書房)を読んでいるが、ちょっと目眩が。。

卵サンドに茹でたブロッコリーをほぐして入れるとgood.

5/11
雨で南比良の蓬莱山にハイキングに行く予定は延期になった。

ついでがあったので、大阪梅田のディアモール大阪内の、IENAにて、憧れの(!?)紺とベージュの細目のボーダーのプルオーバーをついにゲット^^。青と白のボーダーとどちらにしようかと迷っていたが、試着した後に店員さんが、青と白の方はかわいらしすぎる、紺とベージュの方なら秋冬も上にカーディガンを羽織ったりすれば着れますよ、差し色もしやすいですよ、と言うので、もともと狙っていた紺とベージュのボーダーの方に。

ディアモール大阪は梅田(正確には北新地の方なのだが)にしては人がまばらになるし、結構落ち着いたNATURAL BEAUTY BASICなど大人向けの服屋さんがあって(註:ここでの大人とは、OLさんが職場にも着て行けそう、上品、そんな大人向けの意味。カジュアルすぎる、どちらかというと中高生向けのようなスタイルのことではない)いいかも。

自戒。(お金があれば、という条件付きで)、この社会には欲望を喚起するものが溢れているし、喚起された欲望を満たすのも簡単、ということ。ただ、過剰になった欲望、過剰に満たされた欲望。

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帰って来たら、友だちからテアトル梅田で上映中の映画「セプテンバー」のお誘いが入っていて、返事するにもちょっと遅くなっていたのだが、もっと先に分っていたら!と苦笑。

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今、テレビでとある小学校の4年生のクラスの取り組みをやっている。担任の先生が、皆の心の中にあるいじめや仲間はずれや、そんなことを建て前じゃなく、荒ざらい学級で話し合う。家族の死の悲しみの経験(今はやりノ言葉で言えばトラウマ)を話し合う。保育園で仲間はずれにされた経験がある子が、もう嫌だと、今は他の人の噂を流す側に回る、そのことを泣きながら告白した子は、(噂を流したことではなく、告白したことが)すごいと思うし、先生も相当力量があると思う。
勿論、現場では賛否もあるだろうし、報道にバイアスがかかっていないともいえない。
しかし、すごいと思う。

外されたことがない人に(それが気にならない人もいるだろうけど)、外される痛み、仲間に入りたくても入れない辛さはワカラナイと思う。気軽にそこで「私も入れて」とか、知らない話題に対して「どういうこと?」と聞けば良いことかもしれない。単なるコミュニケーションの技術の善し悪しの問題かも知れない。そして、1人でも辛くないと思えることかも知れない(しかし、当たり前に他人に声がかけられる人が寂しくないと思えるのと、声がかけられなくて辛いのを、同等に扱えるだろうか?)しかし、それで済まない場合もある。

もちろん、「外されるのが怖いから迎合する」というのは、本当の強さではない。しかし、外されてしまう恐怖が大きすぎる時、それは弱い人間だと非難して片付けていいことなのだろうか?

人は弱い。弱い弱い存在である。

それでも賢く知恵を働かすこともできる。

10歳ほど年上の方が「おれらの年頃になったら、別に仲間はずれになっても他に世界もあるし、いいやって思えるけど、若いうちはそう思えないことがある」と仰ってた。それは確かに分かる。学校が全ての世界だった時、スムーズに友だちの輪に入っていけなかった時期、日々、砂を噛むようだった。別に、1人でも良かったのかも知れないが、学校、少なくとも高校、いや、中学校、いや、小学校までかもしれないが、過剰な単一の集団生活がかされる場で、1人なのはどこかぽつねんとしていることだった。私は内気で、自分から仲間に入れてもらうのが怖かったし、怖いどころか、ダメ、と言われたら、それを冗談ぽく返すことが出来なかった。

ぽつねんとした小学校時代を象徴するように思い出させるのが、学校の壁にはってある小学生新聞だった。
昼休みや、1、2時間目と3、4時間目の間にある30分の長い休みの間に、1人で過ごしていたときの私は、することがなく、かといってそのまま机に座っていることも小学校では気が退ける行為であり(中学校に入れば、そのまま座って読書したり寝ていても、おかしくはなくなったが)、私は、全校の廊下を当てもなく歩きながら、壁新聞を読んでいる振りをしていた。

もう、あの小学生時代には戻りたくないし、そういう意味で、大人になることは、私に楽な選択肢が沢山あることを教えてくれることであり、今の方が余程いきていくのは楽である。

それなのに、今日、「いつも追われてばかり、追放される側」というその言葉を、私は「そんなことないよ」ときちんと受け止めなかった。まず、「そうお、追放されるの?辛いねえ。」と共感を示してから「追われてるの?」と、もし認知が歪んでいると私が思うなら訊けば良かったのである。

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なぜか突然、アマゾンに出品していた商品がフランスから注文された。しかし、送料は400円支払われるようだけど、それで足りるんだろうか?

明日からは実験も二種類の神経細胞をターゲットにして染めはじめるし、いよいよ本格的(?)になる。


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- 2003年05月09日(金)

ようやく、切片の一次抗体を作る時の希釈倍率が程よくなってきた。来週からは、別の種類の組織の染色も始めて、比較する予定。非常に待ち時間が多くてラクチンだったけど、最後の電顕観察が妙に疲れた。

「イラクとパレスチナ」読了。同じ著者の「アメリカ超帝国主義の正体」を読み始め、身の毛がよだっている。


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turn off the tv - 2003年05月08日(木)

ごく当たり前のことかもしれないが、安眠の一つの方法を発見した。
それは、テレビを消して眠ることである!

うっかりして消し忘れたまま眠ることもあるが、イラク戦争の時、少しでも情報を、なんて欲張ってテレビを夜中つけたままにして寝ていたものだから(それでも眠っている以上は情報はストレートのは入って来ないが)、寝つきは悪いわ、夢の中に戦争シーンが入って来て怖い思いをするわ、でろくなことはなかった。私だけかと思っていたら、家庭教師の教え子もそうだったらしい。ブッシュさんと握手したとか、兵隊に追い掛けられたとか言っていた。

戦争が終わったが、眠い時、相変わらず欲張ってテレビ番組を見ようとしてそのまま眠ってしまう、そんなことが相次いだ。同級生とものすごく揺れる高速バスに乗って、降りて中国の西湖に向かっているはずが、一面の雪で、湖も凍っていて、そらに5本指の巨大な化け物が現れて皆が追い掛けられる、
その夢は怖かった。夢にうなされ、始業時間にはじめて派手に遅刻したくらいだ。

その時に見ていた夢はワカラナイが、一昨日、夢の中で同級生の友人二人に向かってイライラして八つ当たりしている夢を見た。本当に、頭のてっぺんに血がのぼった感じでカーッとなっていたのだ。

ふと目覚めると、テレビでスティーブン・ホーキングのホラー映画「it」を放映し終えるところだった。なるほど、そのためにカーっとしていたのだな、と納得して再び眠りについた。

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そんなことが相次いだので、テレビはしゃんと消して眠ることにした。当たり前と言えば当たり前のことだが、節電にもなるし、安眠にもなるし、おかげで朝シャントめも覚めるし、良いこと尽くしである。


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- 2003年05月07日(水)

昨日からラットの脳の切片の染色の第二弾をしていたのだが、希釈倍率を間違えて(極めて初歩的な計算間違い)はるかに濃くなってしまった。う〜ん、失敗。なかなか前に進んでいないような。。明日明後日はそのやり直し。

もちろん、私が安易に失敗し過ぎているという気持ちもあるのだが(例えば、貴重なラットりんこを、器具の先が外れたということで、標本として失敗してしまったとか)、こういうのんびりしたペースでいいのかなぁという気持ちもある。まぁ、良しとしましょう。

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昨日、久々にまとめて家計簿をつけ、一ヶ月の枠組みを立て、さらに(厚かましいことに)貯金目標まで立てたのですが、早速そのあとに(なんてこった)、ふらふらとデパートの靴売り場へ。そしたら丁度お安くなってるじゃありませんか。それも欲しいタイプのパンプスが。。試着して買っちゃいました。あああ。でも、今日早速履いたからイイかな。

履き回しできるタイプだし、いいかぁ。なんて思ってたら、ぱらぱら見てた雑誌with5月号の「はきまわし力で選ぶなら」ってとこにこれが出てるじゃありませんか。おっと。「どんなシーンも乗り切れる!優秀デイリー靴」「黒一色ではきまわし力も抜群」なんだって。
おまけに、定価から40%オフだったということだし。。

と、私の溜飲は下がった、いや、かすかな罪悪感は飛んでいったのでした(汗)。

といいながら、せっせとオークションだとかアマゾンのマーケットプレイスで売れた商品の発送の準備をして、新たに出品してたりするのですが(自分でも笑えますねf^^;)。





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- 2003年05月06日(火)

5/4

携帯の修理が終わったとのことで、取りにいった。したらば、なんと、「修理不能」だったのだ。オレンジ色の着せ替え携帯で、表にミラー付の着せ替えををつけていた。気に入ってたのに。。
やむなく、5000円安心プラン(!!!)の携帯に新しく変える。うるうる。

午前のテレビでやっていた「未来への教室」は、アジア九か国で製作している中学生向け環境番組らしいが、大人が見ても十分耐えるないようだった。現在の世界人口は63億。日本人の一日平均摂取カロリー2700で丁度全員の口が満ちるらしい。以外にも、中国や韓国、インドの方が日本より摂取カロリーがかなり高い。風土の関係か。もっと、野菜や穀物、魚中心の食事にしよう、と思った。

久しぶりにゆで卵を潰して卵サンドイッチを作った。

5/5

夏日。また梅雨時寒くなるんだろうなぁ。。

「立花隆秘書日記」「小児科砂漠」読了。

前者によれば、立花隆は「知りたい」という気持ちに駆り立てられて仕事をするらしい。ロッキード事件の追求の頃からそうだったという。

そのせいか、私も久々に(?)なんだか「知りたい」という気持ちがむくむくわいている。今読んでいる「イラクとパレスチナ アメリカの戦略」は、それを満たしてくれる一冊。

それにしても、街中には、服を売る店が溢れている。どうしてあんなに服を売る必要があるのか?非常な資源の無駄を発生しているのではないか。


といいつつ、私も必要以上な服に囲まれて暮らしている1人である。無駄を省けば、どれだけ他のことにまわせるだろう。

5/6 空き時間を利用して、一気に家計簿ノートを一月分ほど整理した。意外にすぐできた。やはりレシートを張り付けるのは楽ちん。4月分の食費は、合格。ただし、食べ切っていないで腐らせているものもそれなりにあるので、もっと削減できるはず。

あと、食費は良しとして、服を買い過ぎ!ろくにきていないものがじゃらじゃらある。もっと厳選しよう。

目標:食べ物を食べ切る。/不必要な服は買わず、シンプルライフを心掛ける。

重たい荷物を持って帰ったので肩が凝った。



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比良連峰アタック - 2003年05月03日(土)

友人と北山へ。来週末京阪電鉄が主催するハイキング会、「比良連峰アタック、釣瓶岳(標高1098m)、ナガオ尾根」を先取りして歩こうと目論んだのだ。

朝、出町柳7時45分の朽木村行きバスに乗って(一日2本とあって、大行列が出来ていた。さすがに増便されていた)、それでも途中でどんどんおりていき、私達のおりた朽木栃生は私達二人だけだった。当初、わりと楽に登れ、バス会社が作った地図のコースタイムは間違っていて何回もぬか喜びしたけど、おっとこれは健脚向きじゃないじゃないか、とイイ調子になって頂上へ。途中の軽快なブナ林、新芽から萌え出たばかりの新緑の色がとてもきれいで、気持ちよかった!皆さんにご覧頂けないのが残念です。。

さて、12時頃に頂上につき、そのあと、地図に載っていない(しかしハイキング会のコースになっている)尾根伝いの道へ。これまたちょろいちょろい、ブナが岳を横に見ながら町村の境界線上を歩くのは気持ちよかった。

途中で、ハイキング会の下見に来ておられるオジサマに遭遇。ショートカットの道を教えていただく。

これが問題だった。途中まで良かったのだが、分岐点で迷い、引き返し、さらに、急な岩だらけの道を下ったところで(参加者を一般から募るハイキング会なんて無理じゃないかと思うような道だった)、道の案内が途中で見えなくなり、急な斜面を必死で這い上がって道を探すもない。どうも廢道になったのでは、ということで、引き返すが良く分からずさらにうろうろ。たまたま先ほどのオジサマに再会して、みちを教えていただいたので正規ルートに戻れたけど、あのままうろうろして日が暮れていたら、、と思うとゾッとする。本当に、素人がうろうろして迷うと恐ろしい。。
もしかして、急な岩だらけの道も、迷って違うところを通ってしまったのかもしれない。
なお、正規ルートは一気に歩きやすい道となり、立て看板もあり、整備された道だった。途中に残雪がところどころあった。

帰り、ロープウェイがまたロッジからそこそこな山道でついたと思えば混んでて、整理券を貰う(私達がのぼった釣瓶岳は余人がいなかったが、ブナが岳やロッジ付近はそこそこ人がいたのだ)。並んでようやくおり、さらにリフトでおりる。久しぶりで緊張した。

こわがりで、小学生の頃は何かあると怖い怖い足がすくむと(バランスよく体重を動かせないので、高所での運動は特に苦手だった)泣いてわめいていた私が、斜面を這いつくばってのぼったり、リフトに(一応)平然な顔をして乗っていたりするのが、なんだか不思議な気がした。ちょっとした、成長なのかなぁ。。

とにかく、運動は、今も、一度に幾つかのことを同時にしなければいけないようなことは苦手だ。歩いたり山に登ったりということはできるけど。

さらに増便バスに乗り、ギリギリで、思わず「待って!」と叫びながら、比良駅で電車に駆け込む。なんだか長い旅路だったような、一日。

比良のふもとの風景は、まばらな分譲の宅地に立っているどこかメルヘンな三角屋根の家と、そして軽快なブナの木のおかげか、こじんまりとした感じがアメリカにいた時週末旅行で良く見かけた東部の田園地帯を思わせ、懐かしかった。同時に、湖西線沿いはきれいだなと思った。

新緑の爽快感、それと苦行のような帰り道が印象的なコースだった。

とにかくこのごろ疲れてくるとぼーっとろくなことを考えないので、夕食を済ませ、洗濯のツケおきをしたりしたあと、「とにかく眠ろう」と自分に言い聞かせて眠る。おかげで、良く眠れたと思う。


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肩の力を抜いて。 - 2003年05月02日(金)

今日は画像処理の続き、セミナーの案内の発送準備、ラットの脳の固定還流、切片を拾って一枚のスライドグラスに6枚並べる練習。ラットの脳の固定還流は、器具が途中で壊れて失敗!ううう悔しい、トイウか、ラットさまに申し訳ない。今日は、一発で麻酔も効いたんだけどなぁ。。

途中で、ふと疲れて(ここでぼおっと「死んだ方がまし」とか思っちゃう時は、思考が飛んでるのだが、疲れてる時なのだ)友人達にメール。

当たり前に進級した人たちがまぶしいけど、もう一緒に走る気もないし、卒業できたらするかも、ただ、自分ができることをして食べていくという線は崩さないけど、弱気でごめんね、みたいな内容。

半分怒られるかな、と首をすくめて、それでも送った。

そしたら、返って来たメールに励まされ、一気に元気になった。
和歌子さんは真面目だから、逆に肩の力が抜けたようで安心したと。

持つべきものは友哉。というか、受け止めてもらって、かつ、違う角度から物事が見れることなのかな(自分でできれば言うことなし)。

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自分でも、本当にころっと憑き物が取れたみたいに変わったと思う。

医学部に入り直す前までは、とにかく入り直す、その一点に必死になっていたが、今は、自分が極端に無理せずにできること、そして自分がほどほどに満足できることで食べていこう、そういう気持ちになっている。ナニカになろうという20代半ばまでの熱い気持ち、常にエンジンをフル回転して宛先もないままに暴走しているワタシ、はどこかへいった。いや、ナニカになりたいと思わなくなったという方が正確なのだろうか。

っていうかね、自分が出来ないこと、手に余ることをしようとしてもできないから仕方ないと思えるようになったんだよね。

それはある意味で退歩かもしれないが、ある意味で現状への満足である。

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帰り道、駅まで歩いて、道すがら、緑や花がきれいだなぁ、と心底感じ入ったし、歩いていて本当に気持ちよかった。快適快適!

夕食は讃岐うどん(お気に入りなのです)にカルボナーラ。

昨日活けたお花のカーネーションやガーベラがどんどん咲いて来て嬉しい。



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お花を買ってお家に帰ろう♪ - 2003年05月01日(木)

日記、おさぼり気味でごめんなさいね〜。掲示板はもっとほったらかし。ごめんなさい。レスしてなくても気に為さらないでくださいね。

いい加減、頭を使おうと(このところ、実験などして帰るとぽけ〜とメールの返事したり、雑誌見てたりしてたので)論文を持って帰る。ああ、だけど明日の朝まで読むのかな。

今日は、切片をより薄い濃度で発色させ、スキャナーで画像データを取り込む。画像を取り込みながら、パソコンで取り込める時期にブンガクブにいたら、画像を扱うのも苦じゃなかったかもしれない、これだったらやっていけたかも、なんてついつい思っちゃう。そして、相変わらず画像(数値で活性があらわされるような生化学などと違い、解剖学は「形」を扱う学問だから、画像と切り離せないのだ)と関わってる自分に苦笑する。私は、画像や空間をどう言語化していいか分からなくて、それで美術史やるのやめて美学にいっちゃったんだよね。。

読みかけの本。「立花隆秘書日記」(佐々木千賀子、ポプラ社)。
カズオ・イシグロが「日の名残り」で描く執事を思わせる、良質の秘書の仕事と共に、当時の(1993〜98年)時代背景が懐かしく思い出される。

部屋で花を活けるのがマイブーム。
って、大仰に華道してるんじゃなくて、最近はやりの500円ブーケですね、これで楽しむのです。小振りな寄せ集めのお花、きれいですよ(あまり沢山本数があると、持て余すしね)。

今日の花束は、黄色い小振りな百合、ピンクを白が縁取ったカーネーション、ピンクのガーベラ、それぞれ数本ずつあってきれいですよ。ささやかなお部屋の楽しみです。

なかなかこれ、お勧めですよ。500円で一週間以上、リッチな気分に浸れます。


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