Wakako's Diary 道すがら記

You are what you do, what you think, and what you eat. ホテル割引予約 - HotelClub

 

 

- 2003年04月30日(水)

make a contact


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んんん? - 2003年04月29日(火)

大分しっかり眠ったなぁ、勝手に3連休にしたからなぁと思ってふと日付けを見ると、どうやら勝手に4連休にしてたみだいだ。そうとう眠って回復した。ふと気付けば、まだまだ先と思っていた連休明けは間近で、ということは、実験をゆっくりやりすぎたかもしれない(怪我もあったし、あと手技を会得するのも遅い気が。。)。そうかぁ、いいかげん、大人のラットから新生児のラットに連休明けから移るんだったよな。。勝手に4連休にした分、明日は始発で行ってcryocutでむらなく切片を作る練習をしよう。

興味をそそられた本。
「イラクとパレスチナ アメリカの戦略」田中宇、光文社新書、アメリカを冷静に分析せよ、という主張にうなずく。

「小児科砂漠」河北新報社編集局、日本評論社 東北地方では相当小児科医不足が深刻な模様。

梅田の「ミレーとバルビゾン派展」はまぁまぁだけど、可もなく不可もない感じ。

部屋に不要品が多すぎるので、ぼちぼち片付けていきたい。


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週末 - 2003年04月27日(日)

日中若干活動した以外は、両日ともかなり眠ってた。そんなに疲れていたのかなぁ?ともあれ、どれだけでも眠れる感じ。

4/26(土)
どんよりとしたくもり。
チューター初勤務。座っていればいいというものではなく、センセイ曰く「スポ根」クラスというだけあって、しらみつぶしに問題をとかせて答え合せさせて間違えたところを解説するというもの。こりゃ、マトモにやれば力がつく。

久しぶりに金閣寺にいった。うっそうとした緑が気持ちよかった。

4/27(日)
ぽかぽかと気持ち良い晴れ(それでも?昼寝する私)。携帯がいよいよ壊れたので、修理に出す。

実験いわれた通りやってるのは楽だけど、自分でそれを開拓していくのはしんどい、んだろう。


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- 2003年04月24日(木)

今日は昨日染色のために一次抗体を作った組織の二次抗体を作り、さらに発色させた。待ち時間が多く、また、作業もあまり労力を要するものではなかったため、ラクチンだった。発色は思った以上に紫色になった。
空き時間をつめつめにすればラットの脳の固定還流ができたんだろうけど、余裕を持たせるために今日はしなかったなぁ。。(汗)

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私は、人のことがなかなか十分に思いやれないのに、だけど、「人のことを気遣っている自分」というのがおそらく好きで、また、人のことに時々立ち入り過ぎる。それも、善意でやってるから、余計たちが悪い。人との距離の取り方が下手なんだろうか。

また、個人的なことを書き過ぎるし持ち出し過ぎる、というか、バランス加減が下手だ。

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親しき中にも礼儀あり、
そして、立ち入れない領域があることに留意せよ。


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i don't know what's going on.... - 2003年04月23日(水)

4/22
cryocutで切片づくり。あの機械は、作業するという点においてはデザインがよくなく、作業する場所が機械にない。また、相当前屈みになる。
ゆえに午後一杯切片を作って気持ち悪くなる。
帰ってから相当眠る。

午前中は病院に行った。

4/23
いよいよ、切片を染めはじめた。
そのあと、ラットの脳の固定還流をして、これはまあまあうまくできて、気分が晴れた。

訳がわかんない。

というか、わかんないんじゃなくて私がアホなんだと思う。


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- 2003年04月21日(月)

実験はなかなかうまくいかない。

きれいな切片を作ることが大事なのだ。

もくもくすることは得意だけど、細かい作業には向いてないのかなとか、
悲しくなってしまった。

まぁ、はじめが肝心だから、しっかり学べばいいんだけど。

久しぶりにジーンズを履いた。

この頃暖かかったけど、今日は夕方から寒いくらいだった。
ロッカーに入れてあったフリーズを被って帰宅。

インターネットで日本にいながらにして拳銃を手に入れることができるという。銃社会になるのだろうか?

帰り、楽しいことを思い出して涙が出てしまった。

疲れている時は、亀のように休むに限る。




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- 2003年04月20日(日)

昼寝したりして、午後、待ち合わせの時間に遅刻しながら友人と滋賀県立美術館へ。「フランス象徴主義展」。なかなか興味深いが、どうしてこのよおうに幻想的な美術が生まれたのか、歴史的背景についての説明が欲しかった。

ところで、文化ゾーンは市街地から離れていることもあり、がらがら。もったいない。利便性を高めるとか、もっと複合施設にするとかしないと勿体ない。

友人と和民という居食屋で夕食。サラダがおいしい。有機野菜を使ったりして工夫しているよう。

そのあと、ぶらぶらウインドウショッピングをしながら帰宅。

このごろ怠惰な生活をしているせいか、
はたまた、環境が変わって新しいことをする(それはやりがいがあり、楽しいことでもあるのだが)ことになったことと、
いじいじすまいと私の平均値にひしてテンションが高めだったことの反動が出たのか、歩いただけで帰宅したら疲れて、久しぶりにぼんやり死んでしまいたいとか、私が結婚したいと思ったりしたこと自体間違いだった、あとは必死で働いてお金をためてケアつき老人ホームに入るしかない、と思ったりして、涙が出て来てしまった。

自分なりの
調子を整えて戻していく方法を持ってないとツライなぁ、
今はその調整の時期でもある。

賢いのは、そういう疲れた自分を人に見せないで済むことなんだけど。
(と、4年くらい前に人にいわれた。なかなかそれが実行できてないな)

早めに寝ます。



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おnew二連発 / お買い物 - 2003年04月19日(土)

4/18

サポートする会みたいな、新しいサークルを立ち上げるとのことで、説明会に出た。全国的に、障害を持った学生に対する医学教育をどうするかと言うことで注目されているらしいが、実際は何もなされておらず、その受け入れ機関としてサークルを作るらしい。メンバー募集中なり。

それから、日本の国立大学では発の、SPFサルを飼育して実験に供する新しい施設(動物生命科学研究センター棟)ができて、1日限りで一般公開されていた。ケージの洗浄など、工夫がなされている。

本学の場合、このような新しい研究施設は、優秀な研究者が(たまたま?)在籍していた場合に、研究費を申請して設立されているようである。

人材は人財なり。

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なお、全国医学部の教育白書が存在し、
それによれば、在学生の成績状況は、「大学卒(再受験、学士)>推薦入学>現役>一浪」なのだそうだ。

勿論、個人差があるから、一概には言えないが、年の功だけのことはおそらくあると言うことである。

さらに卒後の追跡調査が行なわれている学校はまだ少ないようである。

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実験は相変わらずストップ、論文を読んで口頭で要約。
来週から復帰の予定。

4/19

友人が梅田でミレー展をやってるというので、もう始まっていると勘違いして、梅田大丸へ。まだでした(汗)。

で、売りつくしだの、ワゴンセールだのやっていたので、しゃ〜ないなと例のごとく、お買い物に走る私。う〜ん、買い物って魔力があるんです。特に、高校生まで、好きにモノが買えなくて「我慢ガマン」でしたからね。。
インターネットや車で得られる全能感に近いんじゃないかな。ただしねぇ、いい加減止めないと、せっかくの貯金が破産しちゃうぞ。。。

シビラのニットは良かったかな。良く出てるそうだし、かわいいだけじゃなくて、この手のモノは機能的です。確かに夏用の薄手のニットは、去年洗濯時に失敗して、赤いまだらができてしまったので(それでもそういうデザインだということで着てるけど)必要だったけど(私は寒がりなので、夏は必ず冷房対策に羽織るものが必要なのです)、本当に、必要なものとそうでないものを区別しなきゃ。。
あとは、ははは(汗)、「良く出てますよ」といわれて気を良くして買った
バラ柄のカットソーだとか、オレンジの革のローファーだとか(試着し過ぎて、買わないといけないような気になってしまった。いけませんねぇ、こういう精神構造。確かにハキ心地はいいです)。

エネルギーの鉾先を、お金をかけること≒買い物以外に、作ろう。

もわ〜として、暑いんだか寒いんだか、変な天気なので、
気をつけましょう。

もう、ツツジの季節です。




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- 2003年04月17日(木)

今日もデスクワークと、顕微鏡でラットのプレパラート観察。こういうプレパラートをこれから作るんだよな。

帰り、鞄が重たくなって、肩が凝る。最近、重たい荷物を持つと、姿勢が悪いのか首や肩が痛くなる。

コンスタントに調子よく働くこと。気分に左右されないこと。

寒暖の差が激しいので、要注意。
とにかく朝夕の気温に合わせた格好で外に出て、調節しやすい格好が大切。


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- 2003年04月16日(水)

今日も実験できず。ただし、出血は止まっている。
試薬の調整を一種類と、あとはデスクワーク。
おかげで(?)かなりのんびりしているので、実験に戻る時気をつけよう。

計算してみたら、ヤフオクの私の売り上げは今のところ計15510円なり。
私の場合、ちょこちょこしたモノを売ってるからなぁ。

帰り、中古パソコンを見たけど、新品に比べてあまり安くはないなぁという感じだ。

朝夕の気温差が激しい。
今日も日中は晴れていたけど、結局一日中ウールの薄手のカーデガンを着てちょうどよいくらいだった。


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- 2003年04月15日(火)

指にまだ包帯を巻いているので、実験できず。ほんと、怪我は気をつけなきゃ。試薬の問い合わせ、研究計画書の英文から和文への翻訳、少しだけガラス細工。

早く退出できたので、麗らかな春日和の中、久々に大学から駅まで歩く。大津は今桜が満開だ。気持ちいい。


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- 2003年04月14日(月)

今日はcryostatという、冷凍切片を作る機械の練習をした。上級生に(裏道的な)コツを教えていただくまで、相当苦戦したので、うまく行くようになった時調子よく切ってたら、やってしまった。なんと右手の中指をざくッと切ってしまったのだ。幸い痛みはないけど、出血がすごい。

このごろ、よく既婚者に間違えられる。なんかそれがおかしい。というか、「え?」と違和感を持って聞かれるのではないので、別に結婚しててもおかしく見えないんだなと、おちついた女性に見えるのであるといいように解釈している(半ば自分の意識の問題で、「私は異常。ちんちくりん」など自分で思わなくなったと言うことでもある)。

ちなみに、初婚年齢はうなぎ上りで、母経由で消息を聞く一つ二つ上の学年のおねえさんたちはどうやらかなりシングル。同級生も結婚してたりしてなかったり(してなくてもごく普通)。昨日の結婚式でも、新婦の高校時代の友人のおねえさんたちはシングル。女性向けファッション雑誌に出て来そうな、かわいらしかったりきれい系だったりする、おねえさんたちである。

私が高校生だった時、友人との会話の中で出て来る「普通に結婚する年齢」というイメージは26、7才で、それは相当大人だと思っていた。でも、その友人も私も、その年を過ぎても結婚なんかしてなかったし、その年になった時は、結婚する普通の年齢が26、7才だとはすでに思っていなかった。それより、進路とか転職とか、お互い、そんなことに精一杯だった。いま、26、7なんて若い若い、ぴちぴちしてて許される時代になった(もちろん、落ち着いた大人の26、7歳の若者は沢山いる!)。「三十路(みそじ)までには」なんていう駆け込みも、4、5年前からどんどんなし崩し的になってもはや消えてしまい、いまや、31、2歳というのは「普通の年齢」。
今の時代にこんな発言をしたら苦情が出そうだが、高校生2年の時、ちょっと過激なやくざめいた雰囲気を売りにしていたセンセイは、授業中、「30までに相手を見つけられないようなやつは!」と教卓でのたもうた。その発言を私は23歳くらいまで真に受けていたが、
高校生の時の私が想像しなかった事態が日本では進行しているのだ。

これから私が参加することになる学年は、余り再受験生の人がいないらしく、一番年上(?)の女性の方と語らってしまった。

明日は実験、普通にできるのかなぁ?
傷口が治りますように。



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wedding bunquet - 2003年04月13日(日)

as is often the case with wakako, this morning i overslept little bit, so i had to take a taxi to the kyoto station...

今日は春の友引きの日曜日、結婚披露宴にもってこいのお日柄だった。

浜松駅からまたまたタクシーに乗ると、運転手さんはお天気がいいことをひとしきり誉めたあとに、私が遠くから来たことを知ると、「浜松で結婚式場と言えば高砂殿と出雲殿、そしてホテル呉竹」と教えてくれ、さらに、「殿がつくところは高いから、最近はホテルが多い」と続けた。

浜松の町の中を歩くことはなかったけど、
桜がすでに葉桜になって花がちらほらあるだけなのは分った。

結局全身クリームイエローのいでたちで、私は受付をさせていただき、そして、定番に乗っ取りつつ、何やら妙に個性的な花嫁に圧倒され、最後には「親子関係は怖い」となにやら思いながら、快く式場をあとにした。

また、地場産業はバイクと車であり、若者は大抵、ヤマハやスズキやその関連企業に入り、さらにトヨタに入れば万々歳という地域性にも興味を覚えた。おおらかな土地柄みたい。

そのあと、5年ぶりに友人に会って嬉しかった。
わざわざ来てくれて、ありがとぉぉぉぉ。

それから、ひな壇と自分のテーブルのお花たちをしっかりと頂いて帰って、早速活けている。花が部屋に欲しかったんだよね。

物理的距離に対して心理的距離を私は余り感じない人なのかな、と思いながら、すいすい新幹線に乗って帰宅。

vogueの滑り止め付きストッキングのおかげで、
格段にサンダルを履いていて楽になった。もう売ってないのかなぁ。。

明日からもがんばろう〜〜。



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- 2003年04月12日(土)

夜更かししたので、久々に朝9時50分頃まで寝ていた。宅急便が来てようやく起き出した。

そのあと、洗濯したり、銀行でお金をおろしたり。

5年来(?)のメタルラックをお譲りする。意外にスムーズに運び出せてよかった。

おかげで、この前scaleで買った木製の折り畳みテーブルを広げられるように。あとはメタルラックにのっていたものを押し入れに移動して、
さらに台所を作業しやすい環境にすること(4畳はあるので、ワンルームマンションの台所としては本来広いはずなのだ)。

ヤフオクはうまくやれば儲かるらしい。

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今日買ったもの。

100円ショップで必要な文具、針と糸など。

outletという雑貨屋さんで、洗うことができ、繰り返し使えるプラスチック製(薄手)のテーブルクロス。ピンクと水色のドット柄(たまたま私の今のペンケースと同じ模様)。他にもハート模様や花柄があった。どこで作っているのか不明。380円。

となりのpassportという雑貨屋さんでは、目覚まし時計のニ個目。ジリジリと大きい音で鳴るもの。一個だと、起きるのだが、余裕をかましてこの頃もう一度寝てしまうので。それから、ドット柄のお風呂せっけん入れとお揃いのコップ(これは、となりのoutletにも同じものが同じ値段で売っていた)。今まで平皿に載せていたので、よくずり落ちたので。今までの平皿は、フィレンツェ土産のラファエロの天使の絵がプリントされたもので、他の用途に使おうと思う。

それから、化粧品を見ていて、「一筆塗るだけで、フォトジェニックな仕上がり!」という新製品を発見。ブルジョワの新パウダーアイシャドーだ。テスターを使ってみると、確かに色の輝きが違う。<オーロラの“ツヤまぶた”新デビュー!/4月2日発売「スウィヴェ モン ルガール」(ルースパウダー アイシャドウ) 全10色 各\2,300>なのだそうな。テスターで「フォトジェニックな仕上がり」のような気分になり、思わず買っちゃう。説明は,こちら

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ブンガクブの院生やってた時までと何が変わったかというと、「常にがむしゃらにやらなきゃいけない」と思い込んでいて、それで自分を消耗させてしまっていたところがなくなったことかな。オフの時があっていいし、その時は好きに過ごしてよく、常に勉強してなきゃいけないと思わなくなった。

振り返ってみれば、高校生の時の私はよく勉強していたと思うが(そしてしなきゃという気持ちに見合っただけできたので、焦ることがほぼなかった)、それでも、好きな本を読んだり、絵を描いたり、創作したり、ピアノを弾いたり、自分で満足する程度に十分できていた(当時私にとって手近な娯楽というか気晴らしというか余暇時間はそういったことで十分満たされていた。そのせいか知らないが、大学に入って、「(行動が)古風な感じがする」と今も親しくつきあっている友人にいわれたことがある)。大学生になる前の方が、(高校生がすべきことなんて余りにも規格化されていて、私も読書する以上のことを当時望んでいなかったからかもしれないけれど)メリハリのバランスがうまく取れていた(!?)のも不思議なことである。

まるで今は、映画「中国の小さなお針子」における文化大革命のあとみたく、私の娯楽や余暇の過ごし方は変わったが、常に「何かしていなきゃ」という変な院生時代の切迫感からようやく(?)自由になりつつある気がする。

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ついでに。

自由といえば、私は「親(あるいは権威ある他人)の承認」が重要に感じられる傾向のある人間であるが、親の言い分をようやく変えたと確信したことが一つある。それは、今の大学に入る前から、私はできれば学生のうちに結婚生活を開始したいと言っていたと記憶しているのだが、当初親は「まずは卒業。卒業第一。」みたいな感じだった。それが、私がいろいろ主張したことの効果なのか否か(それとも留年したので観念したのか)、ようやく、「決して焦ることではないが、結婚したら、生活で楽になる部分もあるのだから(もちろん、それだけではないにしても)、共倒れにならないように、(気分的に、肩の力を抜いて)ゆるゆるやっていったらいい」とのたまわれるようにおなりになった。

これは、私から見れば、大きな転換である。

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あっというまに明日が来て、明後日が来る。
早いなぁ。



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- 2003年04月11日(金)

実り多い一週間だった(と思う)。
働き方に関して。実験の方法をちょっとずつ学び始めたことに関して。

テレビで「ブラックジャックによろしく」が始まった。

疑念にとらわれ過ぎなのだろうか、そうでないのだろうか、単に疲れているのか、自分でもよく分からない。疑念は嫌いだ。いわれがあるのかないのか、怒りだけが渦巻いてしまう。単に一週間終わって疲れているだけならいいけど。テレビみながら座り込んだままなんかやる気がでないです。

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大丸ピーコックの3玉100円のうどん。いける。茹でなさいと書いてあったけど、お湯を足して5分レンジでちんすればいける。
これは便利。。

とても久しぶりに(何年かぶりに)ネギをかった。ざくざく切って食べるだけでおいしいのね。

なんだかちょっとした発見をした気分。





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文系/理系 - 2003年04月10日(木)

perfusion(固定環流)失敗。環流ポンプの針の先が尖っているものを使ってしまったことにより、上行大動脈を損傷したことが原因。

ラットちゃん、ごめんね。ラットりんこ。

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便利ではあるが、私自身は、文系理系という二項分類は好きではない。特に、頭の使い方(思考方法)の文系理系というのは、自分自身がピンと来ないのもあって、非常に反発を覚える。そういうのって、実際、あるのかもしれないけど。。

今日は、とある実験を見せてもらった時に、私が勉強をしているにも関わらず、試験を落としまくっているので気の毒である、理系の思考法(自然科学の思考法とでもいおうか)においては、思考法が大切であり、必要最小限を覚えればあとは圧縮可能である、それが一旦自分で導き出すことができれば、大分変わって来る、と言われた。他の文系出身の人たちはちゃんとやってるのに、なぜ私はダメなんでしょうね、と尋ねたところ、私の場合は、真剣にブンガクブで研究者を目指したことがあり、ゆえに、完全にそっちにいってしまっているからではないか、とのこと。

確かに、私のいたブンガクブは、普段はいい加減だったけど、卒論だけは、それなりにやらせた、というか、メインイベントだった気がする。ただ、
院に行くか行かないかは結構卒論難易度において重要で、努力の上限はいずれにせよないが、そのまま就職するなら、原書に当たらずともよく、とにかく最低限起承転結があり枚数があれば良いという風潮があったのも事実である。院に行く場合は、ちゃんと原典に当たることは勿論、内容的な適切さが要求される。
勿論、就職する学生の中にも、「院に行かないの?」と惜しまれる論文を書く者は沢山いる。
あと、試問が全然違う。進学する者はまさに「口頭試問」でびしばしやられるけど、そうじゃなかったら、「どこに就職するの?おめでとう。」なんて和気あいあいとした話でいいらしい。

自然科学においては、誰もが同じ答えに到達することができる。が、鴎外は鴎外1人であり、漱石は漱石1人である。

が、同時に、鴎外も漱石も、医師であり、学者であったが、文学作品に関しては、独創性が必要とされる。言葉というのは素材であるが、そこには、決まった「文法」というのはない。追創作可能ではない。

人文科学の研究は、果たして同じ答えに誰もが到達することができるものであろうか?

資料、論理、そこには、多くの人為的なファクターが絡むだろう。
が、そこに客観性はないのだろうか?

客観性を持とうとして、人文科学研究もお互いを高めようとしているのではないだろうか。

う〜ん、私が文系の思考の極限までいってるのかはよくわからないけど、そういう、理系と文系の思考方法の違いがあるとすれば何ぞや、と、少し考えている。

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3月はじめか2月終わりに駅の地下街のポルタで買ったトートバッグは正解。キャンバス地は丈夫でしっかりしてるし、いっぱい入るし、持ちやすいし、かわいい。ニコ

あと、先日買ったSKOALの白いドライビングシューズ、これも◎。今年はやりのデザインのものだが、とにかくハキ心地が良い。足を締め付けず、歩いているだけでツボが刺激されるような爽快感がある。ナースシューズよりずっと心地よいですわよ。本革でなんと4900円。お勧めアイテム。ただ、made in Japanの表示がないので、おそらく、中国製なのだと思う。とにかく、◎。





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- 2003年04月09日(水)

今日は寒かった。張り切って、ライナーなしのトレンチコートを着て行ったら寒いこと寒いこと。

副学長との面接、あっけなく終わる。

perfusion(固定環流。脳を生体からはじめに固定する時に用いられる方法)は今日4体目をしたが、なかなかうまく行かない。ラットの心臓に細工するのが、不器用なのもあってニガテ。細かい作業も慣れていかなきゃね。

この頃(前からかも)何も考えずに見れるものがすき。カタログとか、インテリアの本とか、ファッション誌とか。
今日は、朝コンビニで小包を二つ出したついでに、「Rooms vol.9」を購入。「お金をかけずに部屋づくり」「カンタン家事のコツ」「食材使い切り!7days recipe」「節約アドバイザーの連載」が魅力。行き帰りにかなり読み込んだ。

あとは、実行アルのみ!

お部屋をねぇ、住みやすくして、日々家事も快適にぱぱっといきたいものです。


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実験 / 情報 / お祝2 - 2003年04月08日(火)

昨日から研究室に通っている。先生の指導の下で今は、ラットの脳の「固定環流」の練習をさせていただいている。1年の時の、生物実習のマウスの解剖の延長線上。あと、実験ノートの作り方は、同じく1年の時の化学実習のときの経験が役に立つ(1年の時は、全員1人ずつやる実習だったから、2年の後期より習熟度が高くなると思う)。

結構第一解剖の教室は学生や留学生の出入りが多いところらしく、学生の扱いには慣れておられるとのこと。留学生の数も多いらしいし、大学院生もおおいんじゃないかな、わりと。学生も何人か出入りして研究している様子。

今はまだはじまったばかりで、なんともいえないけど、座って講議を聴いているよりずっといい。先生には、「研究者の道も残しておいた方がいい」といわれているけど、年齢的にそれで仕事するというのは大丈夫なんかいな。大丈夫だったらそっちにいっちゃうかも。

ともあれ、実験をして論文を書くのを目標にするだけのみならず、身近にコンスタントに良質の仕事をされておられる先生の姿を拝見して、仕事、ひいては生き方を学べるのは非常にありがたいことである。

++

なんでも、同じ学年から9人(多留生含む)留年したらしく、今年から、副学長が留年する者と面接して指導することになったらしい。前期は研究室に通って、後期は留学するという志の高いものもおり、きっと、いい1年を過ごすと思う。

同じ学年から何人留年するかしらないといったら、先生に本当に情報にうといと呆れられた。情報に振り回されてはいけないが、情報が大切な時もあり(過去問さえあれば通る試験とか。そういう試験で進級をきめるのはどうかねぇ。。。。。)、私のように、「グループ」に入ってない人間は、時々いたい思いをする。入ってなくても、真面目さで報われることもあるけど。。

そう、「グループ」って守られるんだよね、入ってれば。そこで疎外されたら辛くなっちゃうけど。。

なんかなぁ、結構私はグループには入ってないけど学校では割に万遍なく仲良くする人当たりのイイ(と自分で言うか。汗汗)人間なので、ど〜でもいいや、って思ってるけど、ふと寂しくなることはまぁあります。つながりがないってのはね。

以前、知らないことを私が恐れている(実はコミュニケーションの仕方の問題である)と指摘されたことがあるけど、実際問題、死活問題のことはあるんだよね。。知ってるか知らないか。コミュニケーションを越えて。

確かに、1人でいることは怖くはないかもしれない。
でも、つながりがないことは、半ば私にとっては恐怖である。

++

一ヶ月半〜2ヶ月程前、私は留年したら退学すると騒いでいた。
それにたいして、年寄り組の友人達は、せっかく入ったんだし、1年にこだわりすぎなくていいのではないか、ここで止めるのは勿体ないのではないかといってくれた。それは確かに正しい。

実際、私の場合、実験、論文、という思っても見なかった経験ができることになり、留年することを受け入れるようになった。

が、もしも、去年の後期のペースがそのまま続いていたとしたら(留年すればそれはそれでリズムが違って来るのではあるが)、私はしんどくてしんどくてたまらなかったので、もうこれ以上、こんなしんどい状態は続けられないと思っていたのも事実である。

理由を作り過ぎていたのかもしれないが、でも、生活費のためにはバイトのペースダウンが出来ない、受験生で手が抜けない、留年すれば余計学生しながら生活費を稼ぐ時期が長くなる、、そういうスパイラルの中にいた。

もちろん、二年の後期、誰しもしんどかったと思う。試験はしょっちゅうあるし、量が多いし、解剖と途中から平行になるし。。

それに、生活費を自分で稼いでいるのは、ちゃんと進級した子の中にもいる。しんどいのは私だけじゃない。

でも、しんどかった。

ひとつ、フルタイムで働いたことのない人に、私が勤務に耐えられないとか、言わないでほしい。

実際、耐えてるし、以前、文学部の院生だった時は、研究室の先生、先輩や同級生が怖くてたまらなかった。勝手がわからなくて何をしていいのか、わからなかった。それを、おばかさんといわれてもいいけど、働いたことで、そう大仰に構える必要はなかったと言うことが良く分ったもの。

もちろん、いろいろなことのバランスをとっていくことが、大事なのは分ってるけど。


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お祝い金について。

そんなもんだ、と割り切ってしまえばいいのだろうし、多分、そろそろ私は割り切ってしまうだろう。ただ、齟齬をなぜ感じたか、というと、理由の一つには、母の交際費の金銭感覚が25〜30年前で止まっていること。これは、諸事情があるので、母を非難する気はないが、とにかく、母は、今のおつきあいにかかるコストを知らない。

それから、もうひとつ。件の友人は、私のドン底も知っていると言うこと。私が焼け出された時、周囲の人たちに募金を募ってくれたのは、研究室以外では彼女だったし(涙涙)、指導教官に怒られてまで私に研究室のワープロを回してくれた。彼女が譲ってくれたバスタオルには私はじ〜んとして熱くなった。


お祝について。

なぜか、また、有り難いことに、わたくしは「友人代表のスピーチ」をさせていただけることになった。ありがたい。ありがたい。

俗っぽい(???)けど、ブーケが欲しいです。。。

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欲を言えば、私も留年してる間に結婚して子ども産みたいんですが、、、
まぁ、なかなかそうは問屋が下ろしてくれないの、かなぁ。。


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桜 / お祝い金 - 2003年04月06日(日)

桜がちょうど見頃だ。天気もよく、満開の桜を見ているとああいい季節だなぁと思う。観光地、あるいは名所といわれるところの桜もきれいだけど、押すな押すなの人だかりだったりする。それよりは、家の近くでいきいきと咲いている桜のほうがいい。

++

長い間ガクセイを続けていると、困ることがある。それは、年齢から期待されるものとの金銭感覚のギャップというやつである。たとえば、7万の家具をどうしようと嬉しそうにいわれても困る、というような(私には手が届かないものだから)。

同様に、戸惑うことの一つにお祝い金がある。あまり結婚式の類いによばれることはないので、そう悩む回数は多くないのだが、前回はおしゃべり系メーリングリストで話題を振ったところ、お祝い金はケチらない方がよい(ガクセイといえどもそのような場合ハ相場を出しましょう)、お金は天下の回りもの、式に出るということは、それなりのお祝をするということ、出したくなければ欠席すること、というアドバイスを諸氏からもらった。結局、そんなものかなぁ、としたがった。
しかし、どうしても、けちだと思われても仕方ないのだが、違和感がある。おめでとうという気持ちには変わりはないが、例えば誕生日プレゼントでどこまで出すか(自分の可処分所得の中から出すのが当たり前!)、というようなことと私には重なって感じられてしまうのだ。

私とて、生活費を親に頼っているわけではないし、
ましてや、今回は、木造築80年の寮に住み、大学院生としての研究の傍ら(!???)昼間のバイト、さらに夜間は入力のバイトを未明までこなす、という生活をつい三月までしていたというつわものの結婚である。彼女には幸せになってほしいと心底思うと同時に、お互い足元を知っているのに、ここだけ(というわけでもないかもしれないが)世間並みに取り繕うのはねぇ、、と非常なる違和感を感じるのだ。

いや、足元を知っているからこそ、弾むべきなのかもしれないのだが。

というわけで、あと数日、私は悶々と考え続けるだろう。

(と書きつつ、結局、友人も額にこだわる人ではなさそうだし、
お互いの生活に照らして、ちぐはぐにならない、私が納得する額を包むことにいたします)


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とりとめもなく、 - 2003年04月04日(金)

今、TVで「もやもや病」の手術を放映している。脳外科の手術はものすごく細かい!わーーー。血管の縫合により、血流が戻り、めくるめく回復をなしとげる。すごい。

朝の連ドラをなんとはなしにここ数日見ているが、なんかねぇ、小池栄子が演じてる子は軽いノリで不倫してることになってる。不倫であろうとなかろうと、全力でぶつかると傷つくことに変わりはないから、腹を据えてやっているのだという。主人公の他の友人は合コンに夢中だし、よる9時とか10時のノリで、、「まんてん」とか「ちゅらさん」は健全第一ってかんじだったけど、料理人のお父さんの隠し子が登場したり(こちらはなんとなく後ろめたいモードがあったけど)、朝ドラもかわったとでもいいましょうか。。

ドラマを曜日と時間をチェックして毎週見ることはなかなか現在難しいので、ほとんど見ていないのだが、ニュースの続きで、これまた夜の11時からのNHKの連ドラはそこそこ見てたりする。今は、OLを辞めて女将になる「女将塾」に主人公が入るという根性もの(?)をやっていて、酒井法子が主人公を演じている。
話の筋はともあれ、アイドルから出発したのりぴーが女優業こうして続けて演技も深みをましているのは、なんか嬉しい。

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雑誌with4月号を美容院で読んでいたら、ペタンコ靴百花りょう乱とかいう(良質の)春夏モノの新顔靴の特集の他に、一ヶ月7着で着回しとか(この手の特集は人気があると見た)、さらに、「ユンソナ(韓国出身の芸能人です)のユニクロ指命買い」などというページまであってびっくりした。ユニクロが「きれいめのおしゃれ服(そして私達の味方)」と女性誌にも認識され、ここまで市民権を得たんだなぁというのと、以前は柄物はほとんどなかったのに、デザインが豊富になっていることに驚いたのだ。
また、1年程ごぶさたしていた家計簿の付け方や、無料家計簿ソフトの紹介が出ていたので、興味を持って、5月号を買ってみた。

目的の第一は、「20代で1000万ためた女(ひと)たち」である。
なるほど、力をいれ過ぎなくても、ノートにレシートを張り付けて可視化、それから1日の自分の予算枠に自分をはめ込む、なるなる。

ためましょう♪
あとあとの生活費かもしれないし、自分がしたいことをするためのお金かもしれないけれど。

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今日買ったもの。
目覚まし時計。ジリジリと大きい音で鳴るもの。朝ちゃんともれなく起きるため。当然、デザインより機能重視!
卓上ミラー。今までのよりも少し大きく、安定性があるもの。
mid-century 風卓上ランプ(ドット柄、紙製)。これは40ワットまでの電球を入れることができる。どうしても夜、このごろ泥棒が入りそうな気がして怖いので(イラク戦争を報道するテレビをつけっぱなしにして眠ってばかりいたせいかも)、電気をつけておくため。天井の明かりだと時々明る過ぎて気になることがある。

以上、すべて、passport という雑貨屋さんで。
made in chinaのモノが多いということもあるのだけど、結構安くデザインの優れたものが手に入る。ドット柄のきれいな色のビデオケースとかちょっと気になるアイテム(一つ380円)。

ちなみに、売れたものは計4点、約3000円。

その他は、食料品。
今日は、ちゃんと、お昼はガーリックライス、夜はハンバーグ(といっても、半調理品だけど)としそごはんを自炊。






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お片付け - 2003年04月03日(木)

非常にスローペースのお片付けで、今日、ようやく、大事業のベッドの移動。縦においていたものを横にしただけなんだけど:-Pずりずりずり、ッと。あとは、お日さまのもとで新聞紙の片づけ。まだまだ、だけど、明日もうひと踏ん張りカナ。床に散らばっている紙類を片付けるのだ。

あと、区役所に年金の免除申請(一瞬にして終わって、身構えていたけど拍子抜け)、不要の衣類(セーター、フリース、パンツ、シャツ)をイラク支援の物資を集めているNGOへ(果たして必要な人のもとへ届くのか、活用されるのか、よくわからないけれど、一枚でも暖かい服が役に立つのなら、と)送り、青空がまぶしい、そんな1日。

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ところで送った物資はyahoo!ゆうぱっく利用。民営化もしたし、郵便局も変わったよ。ローソンにポストがあるようになったのみならず、ファミリーマートではゆうぱっくが出せるもんね(それも、割安料金で。クロネコヤマトよりも安かったりする)。

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モノについては、一時的にしか使わないけど必要だと割り切るもの以外は、それと心中する、最後まで看取るつもりで手に入れなきゃなぁとこのところの消費熱に浮かされた我が身を反省。


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映画二本「中国の小さなお針子」「Bowling for Combine」 - 2003年04月02日(水)

以前おしゃべり系MLで話題になっていた
映画「中国の小さなお針子」を見た。
選択肢のない状況下で、文学が人に与える影響が大きかったという評がわかると同時に、バルザックが一体お針子の具体的に何を変えて山村から都市に出ていったのか、(女性としては?)一歩突っ込んで描いてほしかった。

あと、これまた女性としては、だが、
愛しあって妊娠というのはわかるのだが(これも防ぎようが、、と思うだろうが、山村で手段を期待してはならない!)、
それを相手に黙って処理する、その時の周りの(もうひとりの知識階級出身の青年と、青年が頼みに行った医師)
ささやかな力添えはともあれ、台の上でお針子の流す涙に、
「それはバルザックの(或いは文学の)教えてくれたことじゃないだろ!
(むしろ、反対ちゃうの???)」
と、ちょっとプチッとなった。

個人的には、全体的に、文化大革命という状況下ではあるが、
(男性の視点からの)
フランス映画らしい、「男と女」というか、
well-madeな青春映画だと思う。


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それと、もう一本、「bowling for colombine」を観た。
アメリカの都市郊外のコロンバイン高校で起きた高校生の銃乱射事件と、
それにまつわるアメリカの銃社会を、まぁ、素人目からの視点で、
歴史的な考察も交えながら分かりやすくコミカルに時にシニカルに描く。

今年のアカデミー賞受賞作のドキュメンタリーとなったためか、混み合っていた。

やはり、アメリカの白人中産階級の視点を越えてない部分もあるし、
銃を売っている全国チェーンのコンビニに乗り込む時のやり方も
ちょっと高校生レベルじゃない?って感じだけど
私的にはお勧め。

同じ銃が自由に手に入れられ、所持率も高い隣国のカナダと比較し、カナダでは銃による殺人の発生率はかなり低く、治安がいいため、大都市でさえ、住居の施錠をしない人が大半であることを取り上げ、カナダはお互い話し合って解決する姿勢が強く、アメリカによる他国の空爆に対しても「安易に戦いで解決すべきではない」というマスコミの論調、政府は貧困を解決し、国民の福利厚生に力をいれていることと、

それに対し、アメリカの社会は恐怖社会である(おそらくそれは、対外的なパワーをふるうことを優先し、国内の貧困問題などを解決せず、そこを銃で抑圧する、みたいな)という趣旨であったと思う。

また、2001年9月のアメリカを襲ったテロの首謀者とされる
「ビン・ラディン氏」、かつてソ連との冷戦があった時期、テロリストとしてアメリカが育てた(資金援助した?)ということも、このドキュメンタリーで初めて知った。

「9月11日とは何だったのか」などとアメリカ人やものの分ったような知識人がまるで被害者ヅラ(?)して語ることが多いような気がするが、
それは、アメリカという国が覇権をなすために行なった所業のツケである(もちろん、被害を受けたのは、イラク戦争と同じく、「一般の個々の市民」であり、そのことに対しては、他の戦災・テロ・災害・事故と同様、被害にあわれた方には、心から御悔やみ申し上げる)
と映画を見終わった今、思えてならない。

なお、コロンバイン高校で高校生2名による銃の乱射事件のあった1時間前、アメリカ(クリントン政権)はコソボを空爆していたという。そして1時間後、銃乱射に対して冥福を祈ると記者会見を行なったクリントン氏。


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