Wakako's Diary 道すがら記

You are what you do, what you think, and what you eat. ホテル割引予約 - HotelClub

 

 

お取り引き - 2003年03月31日(月)

ネットのオークションで商品を落札したり出品したりしてお取り引きをしていると、今まで見ず知らずだった方とお取り引き期間中はやり取りをする。
その中で、わずかな期間ではあるが、相手の人間性が透けて見えることがある(無機的になりがちな事務的なやり取りの中で見えて来ることだから、プラスのものである)。

このひとは、本当にものを慈しんでいるんだな、リサイクルショップ経営というのも、丁寧に商品を扱っておられるんだなとか、逆に「丁寧で柔らかい文章からお人柄が伺えました。またご縁があるといいなと思える方でした。」とコメントを頂いた日には、じ〜んとしちゃって涙が出てしまった。

お取り引き終了までよろしくお願いします、

というのを、気持ちよいお取り引きができたとき、文字どおりに感じるのだ。

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人柄、だけでは生きてはいけない、のだが、
人柄が潤滑油になって事態が好転することはある。

私が4月から雇っていただいた上で研究・論文指導のチャンスを頂くことや、
m.に気に入られている(と思われる)ことは、その
「またご縁があるといいなと思える方」
という部分に尽きるのだろう。



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人気の大学−ちょっと、受験について/美容院☆ - 2003年03月30日(日)

昨日、予備校の個別指導をしていて知ったが、どうもシガ医大は最近人気らしい。おそらく、地理的な条件(JR沿線であれば、大阪、神戸という阪神地域からも通学可能であり、さらに、名古屋を中心とする東海地方からも滋賀県は近いこと)が大きいと思うのだが(大学の研究/設備/環境が魅力的で、トイウことなら喜ばしい。が、そんなところまで受験生が考えているとは思えない。近隣には沢山旧帝大、旧医大がありますので。。)、確かに、予備校の資料でいわゆるランキングをると、こんなに高かったか?という感じで上がっている(2002年入試結果によれば、同期の桜の新設単科医大浜松医大を始め、旧医大の長崎、旧医専の名古屋市立、三重とならぶ偏差値である)。いささか、安く買っておいた株が上がっている気分である。

もちろん、偏差値は決して入試の難易度をストレートに映すものではない。
まず、このデータは、予備校のモシの受験者のうち、合格者を抽出したものであること。シガ医大の場合、近隣の京都府立、神戸、奈良県立あたりを第一志望にしていたものがセンター得点(あるいは後期合格)により志望を切り替えるケースは多いので、モシの受験者層で見ればそれなりに高くなると思う。そして、たまたま、ランキングで並んでいた長崎、三重はセンター重視だから、入試の力配分としては、まずセンターでちゃんと取ることが必須条件となるが(逃げ切り可能。実際、入試対策として文系出身者に対策が建てやすい。私は当初、センターで逃げ切り可能で、二次試験の理科が一科目であること、旧医大で環境がよく・・九州では九大の次に勢力が大きい・・再受験生が多い長崎を高校の先生から勧められていたし、センター配点が高く二次が英語のみだから前期ダメでも絶対受かるからと太鼓判を押され、後期は三重に出願していた)、今回の予備校の資料でしが医より下になっていた大学の中には、二次配点重視のところも多く、そういうところは、記述力がないと通らない。また、歴史的な状況や、教育内容は偏差値によって優劣が決まるものでは決してない(実際、国家試験は全国どこでも一緒のものを受けないといけないのだ)。

また、偏差値が下だからといって、はいりやすいかというとそれは全く別である。手許のこのランキング表において一番下に位置するA医大とM医大は、確かに数学3Cをすらすら解くことは要求しないかもしれない。が、ユニーク入試ほどばくち的な要素があるものはない。余程腕に自信があれば論文はいけるかもしれないけど、ユニーク入試はね。。それよりは、学力で見てくれる学校のほうが、対策も建てやすいし、ダメだった時も「どうして?」などと考えなくていい。その意味で、手許のランキング表の下から二番目(A大、Y大、S医大、K医大)に位置する大学群は、今年は勉強不足だけど受けるだけ受けたいというなら、Y大は論文入試だからいいかもしれないが(そのかわりばくち)、勉強はして来たから受かりたいというなら、ちゃんと学力で見てくれるS医大かK医大の方がよい。そして、いづれにせよ、どこもむちゃくちゃはいりやすいわけではない。また、ばくち入試だろうとそうでなかろうと、入学後、卒後の生活はまた別個である。どのみち、医学部のカリキュラムをこなしていくことが必須なのである。

受験に関しては、個々人のもっている学力(センターは取れるとか、数学が得意だとか)をうまく活かす方向でやれると楽だ。

そもそも、よい大学、悪い大学、などと一つの物差で計ることは出来ない。
確かに、あそこは国の予算が沢山注ぎ込まれているなど、恵まれている大学とそうでない大学を分別することはできるかもしれない。
が、あなた個人が(いや、私個人が)、そこで何をなし得るかは全く別個である。
入学したら、自分がそこで「満足の行くガクセイ生活」ができているか、できたか、それを胸に手を当てて考えるのが生産的だろう。

・・とまぁ、受験を経験したものには当たり前のことなのだが、ついつい、こういう資料を見ると、進路指導部員だった頃のデータの見方の腕がなる。

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今日は、午後、家庭教師の前に、美容院に行った。キャンペーンをやっているらしく、割り引き葉書があったので利用したら、いつもメンバーズカードの割引きでカット4000円のところがなんと3500円、おまけに、私が日常セットしやすいようにとポイントパーマを勧められ、渋っていたところ、20分しか余分にかからない(パーマ技術は数年前に比べ格段に向上しているのがよく分った。昔長かった頃は、パーマかけようと思ったら2、3時間覚悟だったもん)、三本ロットをまくだけだからプラス1000円です、といわれ、じゃあ、とかけた。ほんと、セットしやすいようにかけただけだから、みてわかるようなパーマじゃないけど、待ち時間なし、ポイントパーマ込みで1時間15分、合計4500円+税なんて、なんかすっごく満足度高かった。それも、安さを売りにしているチェーン店並みだよ、パーマ込みでこれって。「お得」に弱いわたくしです。オートシャンプーはそろそろ病み付きになりそう。

次回は、いよいよ、裾にパーマをかけてふわふわさせる予定。



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COLORS - 2003年03月29日(土)

久しぶりに、堀川丸太町から川端丸太町まで歩いた。夜風が汗を程よく飛ばし、気持ちよかった。

久しぶりに(というほどでもないかな)、cdを買った宇多田ヒカル「colors」
私は、ちょっと前の、才能に溢れまるでそれを持て余すかのようにとんがっていた彼女より、今の宇多田ヒカルのほうが好きだ。柔らかくてしなやかで強くて、落ち着いた感じで、ああ、同性だな、ッて身近に感じられる。

宇多田ヒカルといえばニューヨーク在住だが、ニューヨーク在住のアート系邦人からのメールでの反戦署名が昨日届く。坂本龍一発、鶴田真由経由、ってな具合で、流れ流れて友人から回って来た。

このような市民活動が一体どの程度効を奏すのか、私は知らない。しかし、ほんと、一体この戦争はなんなのだろう?

バグダッドでは、市民がマーケットで買い物をし、家々に住んでいる。

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鶴田真由、実は憧れのお姉さんである。って、常にすべてと言うわけじゃないけど。彼女がデビューした映画「就職戦線異常なし」のころ、いいなッて思った。清楚、知的、女優さん顔。そして、今はちょっと鶴田真由が目標(意味不明な表現だが)。

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倉庫状態改善計画がんばろう!

そう、買い物依存症の果ては、まず、ウサギ小屋(ではないと私は信じている)の空間侵食から始まる。もういいや、これはあるや、と判断し、我慢、というか抑制すること、その反対にある買い物依存症は、お金で全能感を満たそうとする。
お金持ちになって何でも好きにしたいという気持ちがわかるような気がする。働きたくない、優雅に暮らしたい、好きなだけ旅行にいきたい、おいしいものが食べたい、、、、いろいろな願望がそこにはあるだろう、ともあれ、お金がありさえすれば、一国の経済を動かすこともでき、好きなものに身を包むこともでき、島一つだって所有することができる。休日はイビサ島で、明日はパリでお買い物よ、その次の日曜はシドニーにいる旧友に会うのよ。。。

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まるでオフ会みたいに、今日も出張ミニ家族団らん(in the morning time, breakfast)。

そうそう、

これなんです。私が藤井大丸でおととい買ったスカート。是非クリックしてみて!シフォン地のを買おうと思っていったのですが、案外、綿でハリがあるのもイイかな、と。お勧めです。というか、かなり気に入ってます。ネットでも買えるんだ。

水玉とパープルのほうがネットではすでに売り切れになってるけど、インパクトはあるけど合わせやすいのはやはりベージュ(実際はこの写真より薄いベージュ。店員さんはカーキと言っていた)。

ベージュのスカートはよくあるけど、そこに水玉を持ち込むことで、新鮮で、かつどこか落ち着いたデザインです。

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ところで、書留で送られて来たのは成績表であった。
1科目不合格はいたいよう。あとは必死でクリアしたのにぃ。
ともろで、おおかたは良と可が半々で、再試だらけだったそれなりの成績だけど、超笑えるところがある。ってのは、2年次、臨床心理学が秀(過食症と精神医療について書いた。そりゃあ、人生経験分、授業受けてる以上に考え知ってるから、それなりのことがかけますわな。)、余り主体的に参加していたとも言い難いが、試験がよくできたと自分でも思った細胞生理学4実習が優(これは人並みかな?)、そして、神経解剖が秀(笑)。はっはっはっ。って、採点が甘くて不合格は出さずにイエローカードのみ(成績発表時、点が悪かった人は名前が黄色に塗ってある。センセイお茶目です)、おまけに神経解剖は薬理と抱き合わせで、その抱合せられる薬理は再試受けたんだけどなぁアアア?それでも秀ってう〜ん、神経解剖がよかったのかな?舐めてさっさと退出する人が多い中、かなり最後のほうまで粘って書いたからな、答案を。それともみんな秀か優なのかな?

ていうか、秀や優もそこそこあって、多分、成績表自体はごく普通(下から30番目くらい?まんなかくらい?)なのに、一科目不合格と言う、この恐ろしい事態!うわ〜ん。でもいいの。私は実験をするわ。小学校高学年の時は白衣を着た科学者になりたくて、市役所主催の夏の天文観察会にしか行かなかった完璧な幽霊部員だったけど、一年間科学部なんてのにも実は入ってて、試薬を振る姿に憧れてた時期もあったもの。まぁ、やりたいことはやってるとおもいましょう。

上の妹は、私が高校一年生の時、30歳の自分て想像できないと言ったら、「あんたはその頃になったら医者になりたいと言ってるに違いない」と言い、本人は覚えていないらしいが、再受験を考え始めた時、妹の変な予知能力にびっくりした覚えがある(勘がいいのだ)。

臨床をするつもりで今の学校には入学したが、「脳神経と教育」という、学際的な研究に参加できそうだし、そのこと自体、ブンガクブの院生時代に学術交流サークルを立ち上げてて(確かに、組織として不十分だったかもしれないし、周りの友人たちからもいくつか批判を受けたことがあるが、「交流」の意義はあったと思う)、隣は何をする人ぞ、と知ろう、なんてやってたけど、その行くつく先がここかよ、となんだかひとり苦笑している。




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父来る・・出張家族団らん - 2003年03月28日(金)

父はちょくちょく出張でこちらにやってくるのだが、今日、会社や大学めぐりをしにやってきて、春休み中の下の妹もついて来た(今日は私と彼女が手など似ていることを彼女も認めてた)。

今回は、珍しく、訪問先に予定していた会社や先生が不在だったらしく、今日明日、観光と割り切ってた。珍しい。今日は、植物園と下鴨神社にいったらしい。

私はバイトのあと合流して、一緒にごはんを食べた。父は、出張で東京にいった時は、よく、妹二人とごはんを一緒に食べるようにしている。こちらでは大体スケジュールがつめつめでそういうことはないのだが、ああ、東京での出張家族団らんみたいに、出張家族団らんしてるんだな、と思った。
そもそも、この前帰省している時、父は出張にいったり来たりで、ちょっとしか顔合わせてないから、話したかったというのもあるだろうし。

なんか、ちょっと、じ〜んとした。

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留守中、大学から書留が配達されたらしい。不在だったので受け取れず、明日郵便局にいってみる。さらに泣き面にハチの通知なのでは、とかなり脅えている。


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わかこっちのおまぬけな一日。 - 2003年03月27日(木)

今日はお間抜け、というか、普通に、いや、前日眠り過ぎて普通以上に朝はしゃきっと起き、余りはかどらない部屋の片づけをし(たのかな?)、自転車屋さん、郵便局、銀行、と回り、午後からカテキョに行く前に寺町の電気街でデジカメを見て(どうやら大学生協の得売品のほうが安くまともなことをしり)、これはまずヤフオクで競り落とすべし、と意気込んでから、隣の藤井大丸へ。ちょっとわくわくとして入ったのだけど、同じアパレル中心の河原町阪急に比べ、こちらは個性が強い分、入ってるブランドもクリエーター系だったりして全国展開ブランドほどなじみもないものがおおく、あと、値段層が高いので、購買意欲が萎えて来たところに、おおおおお、私はドットフレアースカートを探し求めていたのだが、マネキンがきれいなドット柄のフレアーを着ているではないか!私は吸い寄せられるように商品を確かめ、お約束通り店員さんがよって来て、でも欲しいので計三着試着し、結局店員さんと話し合いながら、丈はちょっと短い方、色は水色に紫のドットはきれいだけど癖が強いから、日常活用するならグレーがかったカーキに水色のドット、と意見が一致して、購入。いやぁ、これはきれいです。デジカメで画像をアップしちゃいたいくらい。。。コットンとポリエステルの不通の混紡なんだけど、ハリのある素材で、長く着れそうです。

午後、家庭教師。嬉しいことに、しばらくほっておいた成果が出たのか、結構英語を自分で意味をとれていて嬉しかった。

いささか言い争うが、いいたいことをぶつけたのはよかったのかな。。

帰り、ふらっと覗いたお店で、若草色の水玉のキャミが売ってて、ノンブランドだけど日本製で安くて良さそうだったので、買うついでに(物欲まっしぐら?)、100円に値下げされてるタイツや靴下を12足買い込む。こういうものは何たって消耗品ですからね。定価580円とかのものが安くなってるなら買っておいて損はない。
ちなみに、ノンブランドだけど流行を敏感に反映させたお店はがんばってる(?)ような気がしちゃう。品質がそれこそ、、ってのもあるけど、そこそこで、こんな値段で、って感心するものもある。まぁ、ものは使われるべく作られるのであって、たんすの肥やしじゃないんだけど。

帰宅後、夕食を食べ、そのあと、メールの返事を書いたりしながらヤフオクに注目。今日はなんと3つ落札。
一つはプレゼント用にするharrisの花柄バッグ。キャンバス地で、イエローに、すっごくかわいい花柄がついている。harrisのバッグは、日本のお店で定価で買うとそれなりに高いのよぉぉ。セレクトショップサイトではそこまで高くないものもあるけど。。
一つはルミノアというフランスのブランドのボーダーニット。これも、定価だと高いのですが、ネットのセレクトショップ・サイトでバーゲンになってて、目をつけていたのが、新品でヤフオクに出ていたので。楽しみ。
この二つは、案外すんなり落札できました(前回、harris花柄バッグのピンクを競り落とした時は、実はちょっと緊張した。いきなりまぎわに入札して来た人がいたから。

で。もう一つが緊張感があったのですよ。これが一番間抜けだ。というのも、デジカメを落札したんです。それも、この前新品を大学生協の得売品で130万画素のPowershotを買って、ひとしきりオークションに出品したあともういいかなと手放してから、あああ、まだまだ出品したいものがある、と必要を感じて、中古で、81万画素のpowershotを競り落としたからです。最後は緊張感がありました。デジカメはやっぱり欲しいひと多いから。あああ、おまぬけな一日の締めくくりに相応しい。。が、6350円+送料610円で競り落とせて、私は満足してます。私に取ってはネットオークションのために必要なものだから。。さすがに、中古でこの画素で9000円程度以上してくると迷ったと思うけど。。

あとは、あまり着ていない8分丈パンツや、おもちゃのデジカメ(35万画素。サンプル画像を見ると結構きれいに映るようなんだけど、私は下手ッぴなのか、オークションに相応しい画像が取れなかった。。)、貰ってないけど使ってない化粧品、そしてもしかしたら家具(ローチェスト)をお譲りしようと思う。

お片付けも、もうちょっとピッチを上げて真剣にやろう。三月はじめにせっかく友人に手伝ってもらって片付江方のに、今は部屋がまた倉庫並みにものがひしめいてて、ひっくり返ってるもの。




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- 2003年03月26日(水)

今日こそは解剖実習に参加しよう、と思っていたのだが、結局、夕方まで眠っていた。頭痛を抑えてバイトへ。なんとなくじめじめしていてすっきりしないし、生活に対してやる気を失っているというか。。
気持ちの上では留年を受け入れ、実験については楽しみにしているくらいだが、体がついていってない感じである。

河合塾から通知が来た。おかげさまでゼミ指導に採用されたが、平日出来ないと言ったのに入っている!なぜ?担当者に明日申し出る。

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ところで、4月7日から実験の補助ということで、「お勤め」が実は楽しみ。思い出せば、大学院の時も在籍しながら(教員免許を取りたかったので、実習するのは在籍している方が圧倒的に便利だったし、単位もガシガシとれたし)、出版社で働いていたし、なんか好きなのかも。。

今の反省点としては、ブンガクブの院生の時も、お勤め気分で、今ある材料でどう仕事するかと深刻にならずに研究してリャアよかったんだよね。芸術家的にクリエイティブにやろうとし過ぎず、サラリーマン、或いはせいぜい日曜大工みたいな感覚でやらなきゃ、しんどくなるよ、と今にして思うのである。



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母の紡ぐ話 - 2003年03月25日(火)

実家から戻って来た。実家では、一番下の妹もおり、当たり前の生活を刻むことができてよかった。
また、実家からは、木箱(コーヒーとかワインとか、入れてあったようなやつね。かつて高校生の時、妹がどこからか取って来て部屋のインテリアとして使ってたもの)を取って来た。
こうして日に日に荷物が増えるので、せっかく3月頭に片付けたのに、私の部屋はまたブタ箱状態になっている。。

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立川志の輔というタレントがいる。野太い声だなと思っていたが、それが訛りだとは余り思っていなかった。母が、「訛りがあるでしょ?」と、話を始めた。

母によれば、あれは、独特の漁師訛りで、以前から富山の人だとは知っていたという。それが、なんと、同じ小学校出身だとつい最近知ったと言う。NHKに「ようこそ先輩」という番組があり、それに彼が出ることになったのだという。そして、以前、といっても昭和30年頃だが、産休の代理で一時母校で教師をしていた母の姉がそのことをかつての同僚から聞き、母に伝えたという。母は見のがしてしまったらしく、再放送を楽しみにしていた。

富山の有名人といえば、私にとっては室井滋である。彼女の細長い顔は、一種の富山らしい顔である。あと、今はあの癒し系サラリーマンノーベル賞受賞者、田中耕一さんね。

いつも帰省すると、母は居間のコタツに(あるいはコタツテーブルに)ハマって、途切れることもなく話を始める。普段しない分をここぞとばかりに、いろいろなことを話す。私は大概相槌を打って聞いている。
今回は、そんなことに始まり、いとこの話から、母方の親戚について、母は紡ぐように話を始めた。まとまりがあるわけでなく、心に浮かんだことをそのまま話しているような感じである。
話を聞いていて、母方の親戚には何人か医者がいることが分った。私が小さい頃、富山の日赤で見てもらったとかいう大叔父とか(そして入院すると電話するとすぐ便宜を図ってもらって個室が用意されたとか、母は嬉しそうに語っていた)、誰某の嫁ぎ先が病院だとか、開業する気がなくてずっとつとめていた誰某とか、、

今まで親戚に医者がいるとは思っていなかったが、どうも、そういう流れで見れば、決して医者は親戚に少なくなく、私が再受験して入り直したり、いとこが再受験していたりするのも何やら自然な気がして来た。

母は、私がいると仕事が進まない、いなくなったらする、と言っていたが、私が邪魔しているトイウより、私がいることで母が話をしている(サービス精神なのか、話したいのか、どちらにせよ)と思う。もちろん、全く目くじらをたてることではないが。。

その他、一番下にも色々と話をしていた。何度か、いつまで松江に住んでいるのかしら、誰かと同居シタイわ、と一番下にも言っていた。そうしたいんだな、そうすることになるのかもな、と思いながら、母と一番下の妹がかもしている妙な調和に、見とれていた。







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- 2003年03月24日(月)

昨日今日と、特筆すべき事項なし。
ただ、朝起きて、昼間活動して、夜眠る、という当たり前の生活を刻む。

mothersのおっしゃることは、そのとおりだと思う。

昨日は、せっせと不要参考書をネットオークションやアマゾンのマーケットプレイスに出品(値段のつけ方がわたしはお人よしかも。。といいつつ、ちょっととりすぎ?って感じで売ってしまうこともあるし。。)。

なお、1999年4月から2000年3月までの英語雑誌timeもこの際処分しようと思っている(一号のみ欠)。世紀の変わり目らしく、ノストラダムスの予言はあたるか、なんてタイトルもあるし、数年前はまだe-commerce勃興期だったということを反映するように、the man of the yearはアマゾン・ブックストアの社長だというところに世相が反映され、the man of the centuryはアインシュタインだというところに納得。

きちんと教材、あるいはご自身の読み物としてご活用いただける方にお譲りしたいと思っている。ネットオークションにも出しているが、ご希望の方は私までご一報いただけるとありがたい。





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「イラクの小さな橋を渡って」 - 2003年03月22日(土)

池澤夏樹氏の「イラクの小さな橋を渡って」読了。この人は、12月にこの書を書き、戦争がはじまることになるとき、それが降りかかる普通の人たちの姿を伝えたかった、と書いている。個人の主観交じりの紀行であるが、本を読み、写真を見る限り、イラクの普通の姿は、隣国のイランと大して違わないのではないか、と思う(数年前、イランを訪れ、個人の手配旅行であったがために、現地の旅行代理店の方のご自宅をも訪ねるチャンスがあった。3都市回ったが、イランは、一度恐喝まがいのお兄ちゃんたちにあった以外は(実害なし)、きわめて穏やかな落ち着いた大国に見えた。今は、首都のテヘラン(数年前で800万都市だった)に地下鉄が走っているという)。嗚呼、はじまっちゃったな、と愕然とし、同時に、本を読み、写真を読む限り、このような普通の生活が成り立たせているインフラもまた、破壊された分は一からやり直しなのだ、と戦争の非生産性を思う。

友人のアイディアでは、国連にでもリングを作り、国家の代表者同士に素手で取っ組み合いでもしてもらい、放映権を売れば、きわめて平和的であるし、商業主義に乗って国連も収入があるし、良いのではないかという。おそらく、オリンピック並の視聴率は期待できるのではないか、と。わたしも戦争がおこるたびにそう思う。国家の代表者同士、あるいは組織の代表者同士が、大平原にでも一列に並んで、素手で取っ組み合いすればよいのだ。それが文化というものではないだろうか。


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テレビは一日中イラクのことを報道している。 - 2003年03月21日(金)

早く終わってほしい。

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真っ青な晴天、だったらしい。
昼過ぎまで寝ていて、お風呂に入ったり洗濯したり、メールを書いたりしている。

贅沢なことをしている気分になる。

今日もフォローのつもりで電話して、さらに墓穴をほるということをしてしまった。このところ、そういうパターンが多すぎる。

ただ、そのことで不快感をかけているにしろ、自分が何かのせいにし過ぎる、そして認知が歪んでいる部分がある、ということがはっきりして来た。
つまり、直接のストレス源に、論文の時もそうだったが、正面からなり、何なり、向き合っておらず(別に戦法は正攻法じゃなくてもいいのだが)、他に幾つも理由があるかのような状況、それはいかんなぁと。
八つ当たりなどで迷惑はかけているが、こういう気づきを、自分の成長の肥やしにしていくことができればいいのではないか、今は、そういう気持ちだ。


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とうとうイラクへの攻撃が始まった - 2003年03月20日(木)

月曜日以来、バタバタしていて、また、私も気が動転していて、日記を書く余裕がありませんでした。アクセスしてくださった皆さんありがとう。

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本試験で通ったのは実習試験と数えるほどの講議で、再試続きの本年度後期でした。

それでも、めげずに、最後まで受けましたが、どうしても一科目力不足で、一科目留年、いわゆる、単独留年をすることになりそうです。学長や副学長が鶴の一声でも出さない限り。

該当の科目は、内分泌で、再試験で43点でした。自分の不勉強は分っており、フォローしようもない点数ですが、もっと早くこのことが分っていたら、本試験のことなど(図示せよと書いていないのに、図示していないという理由でマイナス15点など)先生に質問できたのに、という思いもあります。

また、内分泌は、50名ほど受けた再試を、大反対を押し切って当初の日程では都合がつかない、その日程では留年すると言って来た2名のために日程を動かした挙げ句、自分が不合格になり、留年になるので苦笑を禁じ得ません。
さらに、自己満足でしかなかったのですが、解答集など作って多数に配っていたくせに頭に入っていなかったし。。ギャグみたいな不合格です。


何よりも、授業中に学生たちの前で「ボーダー」と言われたのを、いいように取り過ぎていたのでしょうが、このような結果を出されるのなら、そのようなことは仰らないで頂きたかった、少なくとも、来年からはそのような言動で学生を振り回すのは辞めて頂きたい、そういう思いで一杯です。


もちろん、再試験に引っ掛からないことがベストですし、同世代としてもどかしいと(エールの意味で)言われたこともあります。が、私自身、一生懸命がんばってもどうしても、今年は生活費を得るための時間の制約や、精神的なことからくる不調のことで(勉強がどうしても手につかない、とにかく感情失禁の嵐で涙が止まらない、電車の中や自室でのみならず、授業中でさえ涙が出る、というのは、経験していないとなかなか想像しずらいかもしれません)ベストの力で走り抜くことができませんでした。それでも、最後まで諦めず、誠心誠意、試験を受け、質問をしにいき、再試験を受け、理解を深めていけたことに対しては、(低レベルでこそあれ、そして全く自慢することではないのですが)よくがんばったと、自分を誉めてあげようと思います。

先生方も、怠けていたのではなく、最後までがんばったのだと、ご理解は頂いているようです。


4月からは、解剖の研究室で、何やら壮大で夢のある研究計画の一端を担わせて頂くことになりそうです。実際の作業は、マウスの脳の切片を作る仕事ですが。。かなり学際的な、元気の出る研究テーマです。おまけに、実験補助ということで、雇って頂けますし、論文も書かせて頂けます。このことは、有り難いご配慮だと思います。
医学部(理系学部)だからなのか、それとも単科大だからなのか、ドアを叩けば研究をいくらでもさせて頂ける環境のようです。まえにいた大学では考えられないことですし、座学では得られない経験です。

実験が面白すぎて3年生に戻るのがいやになったら、、
それはそれで、そのときに考えましょう。





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眠り姫 - 2003年03月16日(日)

3/15

結局、体調不良で一日ほぼ眠っていた。よくこんなに眠ってるなぁと思うくらい眠っている。体が欲してるのか、変な夢を見てばかりなのが困り者である。いきなり留年して退校命令を受ける夢なんかは、余りにもリアルに感じられ、夢だと思われず、寝ぼけながら電話してしまったくらいだ。
ともあれ、こんな過ごし方して!という焦燥感はない。まぁ、眠れる時に眠ってましょう。

ネットオークションで、入札2つめのモノが届き、出品のモノは2つめが売れた。

3/16

昨日の反動で、明け方ちょっと眠った以外起きていた。そのせいで、家庭教師から帰って鎮痛剤を飲んでひと休みしたら、夕食の約束の時間より寝過ごしてしまって、友人を1時間待たせてしまう。ううう。すまん。
友人はユトリロキッチンの「アジアンパフェ」を食して機嫌をなおしていたから良かった。。

家庭教師から帰って来たら、今日は妙に悪寒がしたし、昨日も体調が良くなくて一日眠っていたので、旅行はキャンセルして良かったと痛感。

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今日したこと。

MLで研修医の生活についての質問。/ 手紙を書く。

アマゾンブックストアから届いた本をぱらぱら読む。

家庭教師。

荷物の発送。

ヤフオクでHarris花柄バッグの落札!(汗汗)

フレアースカートの裾のお直し。

法蓮草と卵のソテー、トーストの朝ごはん。

ユトリロキッチンの晩ごはんの蕪と人参、湯通しした鶏肉、昆布の酢みそ和えがおいしかった。




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起床、6時25分、昼過ぎまで朝寝 - 2003年03月14日(金)

一旦朝起きたものの、8時半頃からまた1時頃まで眠っていた。ホントよく眠っている。

歩くのが気持ちよくなるような晴れ。

したこと。

スカートの裾上げ。裾がほつれて着なくなってしまっていた。さっそく、100円ショップで買った裾上げテープを一つ使い切る。

ボーダーのニットをお直しに持っていった。母が若い頃に来ていた年代物だ
けれど、デザインが新しい。ランダムの紺のボーダーが白地に入っている。
ただ、虫食いあとをかがるのは、一箇所1500円はするといわれ、何箇所もあるので、かがり方を教わって帰宅。

ついでに、uvカット効果のあるファンデーションを購入。輸入モノから始まり、最近、だいぶんピンク系の色が増えて来た。

荷物の受け取り。

銀行や郵便局。

友人を囲んで食事会。このごろ話さない話題が出て面白かった。

3月15日、朝、雨。

3月15日する予定のこと。

ニットのお直し。

スカートの裾のほつれのお直し。

お礼状。

引き続き、ぼちぼち部屋の片づけ。


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起床、午後3時 - 2003年03月13日(木)

今日も、午後3時過ぎまで、うとうとと眠っていた。おまけに、シーツに鼻血がついていた。解剖実習をしていて鼻の粘膜が弱くなって切れ易くなっていたのだが、眠っている間に鼻血が出るなんて初めてだ。
まぁ、夕方からのバイトには余裕で間に合う時間だったし、いいとするか。そんなこんなで、解剖実習に参加すると、いささか自慢げに豪語していたのに、ちっとも参加していやしない。

今日は、いよいよ、スノコベッドを組み立てた。組み立ててみると、案外幅が広いことに気づいたが、そのくせ、手持ちのお蒲団を載せてみると丁度良かった。セミダブルのベッドに丁度良いとは、蒲団がそもそも大きめだったのかな?
部屋が狭くならないように、その他のモノをどんどん片付け整理する予定。


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300円 / 通過点 - 2003年03月12日(水)

意を決して、今日はとうとう古着屋さんに行った。もちろん、新品の来ていない服を売るためである。どきどきしながら開店時間より早くついてしまい、うろうろ辺りを見て回りながら時間を過ごしていざ、初めて入るお店にと足をふみれた。以前、服を売るのにいいと聞いたことがあった店である。

「ただ今込み合っておりますので」と、暫く待たされてから店の奥の個室に呼ばれた。店員さんが値踏みしている間、私はドキドキしながら待っていた。いくらぐらいになるんだろう?500円?もっといったらいいけど、どうだろう??

5分くらいに感じられた2、3分後、店員さんの声がした。
「はい、買い取りは300円です。よろしいですか?」
う、と私は一瞬詰まった。13000円だの5000円だのの値札だってそのままつけて来てるのに、元手は数万かかってるんだぞ!(とはいっても、妹が買ったものが4枚、親戚から譲られたものが1枚、私は1枚買っていただけであるが)表の店には、まるで新品がバーゲン品になった程度の、それなりのお値段がついているではないか。
「じゃ、これ、持って帰っていいデスか?」と私が自分で買ったものを持ち帰ろうとすると、「これが200円なんですよ」と店員さんが応えた。私は「イイです」と諦めた。表に出す時は、10倍以上の値段をつけるに違い無い。。。

そして、今日思い知ったのは、ごく当たり前のことであるが、モノを買うということは、すぐ売り飛ばすためにする行為ではなく、そのお金に見合っただけ使うこと、それが一番倹約であるということである(そして、要らないものは買わない!)。

一旦買ったら、次売るのにも、新品であろうと、半額以下になる、という市場原理の厳しさ(?)を実感したのである。

300円。

私が帰りに、100円ショップで片づけのためのカゴを3つ買ったが、それと同じ値段ではないか。。

とどめを差すかのように、私はセレクトショップで売り切れ、入荷待ちとなっていたラメのバレエシューズをたまたま見つけたので、勢いよく飛びつくように試着して何のためらいもなく買い(まるでファッション雑誌で見てました、欲しかったんです、と言わんとばかりだった)、そのあと白い革のベルトを店員さんのアドバイスを貰いながら買い(ベルトは使ってると壊れるので(汗)、足りてなかった)、帰宅後、通販で頼んでいたスノコベッドを受け取ってとうとう念願のベッドを手に入れ、そして買い物依存傾向に終止符をうった。

昨日、ファッション誌の「9着で2週間着回し」特集を見ながら自分のワードローブをひっくり返して整理し直して、「あ、こんな服あったんだ」と、服が十分足りていることを認識したこともあるのかもしれないし、それに加え
今日の300円ショックが効いたのだろう。
そしてなによりも、いい加減、満ち足りた、というのかな。

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ところで、今年度受験まで受け持った生徒さんは、ふたりとも、志望学部には進学するが、第一志望大学ではない。
ひとりは、親元から一旦離れるよい機会ではないかと思ってみている。彼女は柔軟だから、いろいろ吸収していくことだろう。

もうひとりは、「志望の大学ではないですが、活動していきます」とメールが来た。が、どこにいても志がある限り、することには変わりはない。私は返した。「お分かりのように、大学は通過点です、以前語ってくれたような夢に向けて一歩一歩進んでください」、と。

あくまでも、大学は、(あるいは大学生という時期も)通過点である。

高校生の時、社会の先生はしょっちゅう、「高校なんて通過点だ」と授業中に語っていて、それはほぼ授業の本筋からは外れていたから、聞いていない生徒も多かったと思われるが、私は聞き耳をたてるように聞いていた。そして、先生のいうことに同感した。新設校に通っていたのだが、創設期の熱気がそろそろ沈静化する時期で、どこかしら私達の学年は覇気がなかった(ようにわたしには感じられた)。そして、私自身、文化祭だの体育祭だの、遠足だの、甲子園の応援だの、そういった学校行事から極めて距離をとって覚めた目で眺めていた。

しかし、先生は「大学も通過点だ」とは仰らなかった。あるいは、仰っていたのだが、私が聞いていなかっただけかもしれない。私は、文系か理系か、体力がないから泊まり込みの実験なんて出来ない、文系だ、社会システムを維持し動かす法学部にいこうか、いやどうせなら好きなことをやろう、文学部だ、と考えた。そして、文章を書くのが好きだったので、モノ書きになりたい気持ちがあったが、ものかきだけでは食べていくのが難しかろう、研究者になって文献を読み、論文を書いていれば良い、と思い、さらに、当時読んで非常に面白かった「室町記」という、歴史と当時の時代背景を描いた考察が、山崎正和氏によって書かれており、山崎正和氏は美学美術史学出身であったので、受験前より、迷わず美学美術史を志すことにしたのであった。こんな血沸き肉踊る文章がかけるんだ、とわくわくしたのである(本業とはあくまでも違うとそのときは気づかなかった)。さらに、続いて読んだホイジンガの「中世の秋」も芸術作品への言及の多い文化史であり、わたしはますます美学を専攻しようと思った。

そうして、私は、いくぶん、大学は通過点ではなく、そこで人生の大きな保障が得られるかのように勘違いして入学し、時間を過ごしたのであった。論文を書くことに対して自分がどれだけ自分を追い込み、そして、さくさくと書く手順が苦手かということを痛いほど知るまでは。

そして、高校生の時には思いもよらなかった教員免許を取り、高校の教壇に立ち、今は医学部に在籍している。

高校の先生は、愛校心やきれいごとの団結や友情などを煽るのではなく、おそらく冷徹なモノの見方を生徒に促すつもりで高校は通過点です、と語っていたのだと思うのだが、それ以外に、大学も通過点です、と語るべきではなかったのだろうか。

しかし、そこで、大学も通過点ですなんて言ってしまっては、受験と言うシステムが成り立たなかったのかもしれない。目先の合格の向こうに幸せがあると保障するかのように幻覚を与えることで若者たちを駆り立てるのが効率が良かったのかもしれない。

が、通過点は通過点であり、その通過の仕方も、そして通過したあとも、自分で作っていくものだ、ということが、ようやく今ごろ自然に実感として口をついて出て来るようになり、もし、今教壇に立つなら、生徒たちに向かってそう言うだろう、と思うのである。

もちろん、通過点だからといって軽く見るのではない。
が、そこはゴールではなく、次へのスタートなのである。


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なぜか、旅行を巡る葛藤。 - 2003年03月11日(火)

体調が悪く、悪寒がして、5時半過ぎまで眠っていた。昼まで眠っているというのを越えて、夕方まで眠っているというのは、先週の木曜に続き2日目である。そんなに疲れる毎日を送っているのかなぁと思うが、心がどこか縒れているのかもしれない。解剖実習はどこへやら。。

それもあり、また色々そうとうごちゃごちゃ考えた末に、旅行のキャンセル。お金の遣い方とか、行ったら行ったで楽しいけど、連れて回られるならともかく、1人でガシガシ回るにはこのところの体力の無さとか、単に良い子で居ようとしてるだけじゃ無いかとか(やたらこのところ親の「帰省して」モードが感じられた)、
また、旅行フリークと思っていた友人曰く、

「旅行を実行するだけ、になると億劫になる気持ちワカル。向こうにワンダーランドが広がってるわけじゃなし、移動して御飯食べて寝て、が面倒になるだけだよな、と思う。キャンセル代もったいなさに出掛けて、ああやっぱり来て良かったわ〜となることが多いね、私の場合。」

そうなのだ。ワンダーランドは広がっていない。飛行機に乗ったとたん全てがリセットされるわけじゃ無いのだ。そりゃ、ちょっと気分転換に海外旅行に行って元気になって来る、それはそれでいいことだし、私ももうちょっとエネルギー値が高かったら一人旅をしてくるだろう。ただいまは、何となく部屋の片づけと、週4回ほどの家庭教師だけで十分、手一杯な感じだ。

試験に終われる毎日だと、今年度の試験が全て終わったあと、30分ほど喫茶店に入って自分が読みたかった本を広げるだけで、こんなにくつろげるんだ、って感動した。試験資料を広げなくても良い私の時間。わざわざ、バンコクのスタバに入らなくてもリラックスできるんだ、と当たり前ながら、発見してしまったことは大きい。

いま、ここに、ちょっとした時間の隙間に、非日常が転がっている。

勿論、一度はハノイに行ってのんびり旧市街を訪問し、ハロン湾クルーズを楽しみたいとは思うが。。

決め手は予備校フェローの採用面接。これは時給3000円、そして問題の作製(作問)なんかするとまたそれで1万円もらえるという有り難いバイトである。
面接日時変更してくれと言ったけどぎっしり入ってて無理と言われ、なんだかんだいいながらキャンセルする方向に。。はぁ、しかし、、面接の案内もっと早くくれよぉぉぉ、日時が都合の悪い方は早急に連絡してください、と今日来た案内あるのはいったい何なんだ?

というわけで、今回の旅行のキャンセルを巡る私の葛藤はようやく終わり、その分(ホントにイイコちゃんだと思うけど)、帰省して、親の要望通りパソコンをきちんとセットし直して、読まない本や古着を整理しよう。


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30000ポイント / 本 - 2003年03月10日(月)

私がにわかにお熱を上げ始めてしまったファッションサイトは、今、30000ポイントためると商品券が3000円分もらえるという、プレゼントを実施している。ちなみに、この30000ポイントというのは、1円1ポイントの加算ではない。10円が1ポイント。だから、30000ポイントためようと思ったら、実に、30万円以上はお買い物をしなきゃならないのだ!

こうかくとぎょっとする。
実際、最初、私は、おそろしぃ〜、こんなにためれるもんか、と思った。百貨店やふつうのお店のポイントだって、キャッシュバックはトータルで3万円とか5万円とか購入した時点で可能じゃないか、と。

が、その疑念はすぐに吹き飛んだ。

例えば、3000円のバーゲン品を3点買ったとしよう。そしたら9000円。5000円のバーゲン品を3点買ったら15000円。私のような、割り引き大好きの人間は、安くなっているということ自体、そのお得感がたまらなく魅力的だから、一度のクリックで3点は買ってしまう(この、ワンクリックで買い物ができる、というのが、ネットのお店やオークションの魔力なのだ)。前からいいな、あると便利だな、なんて思ってた品がバーゲン品だったりすると、当然迷いはない。

で、ですね。お買い物かごの注文を確定するクリックが仮に月に一度だったとしよう。そして、毎月、必要に応じて(あるいは欲望に応じて?)クリックしたらば、1万5千円×12=18万円なり。

さらに、クリックが2回、3回と度重なるか、あるいは、私のような値引き主義ではなく、旬の服は定価で先取り、または、バーゲンなんて待ってられない、行ってられない、と、定価で服を買うとなるとですね。。
ユニクロなどで済ませれば話は全く別ですが(とはいえ、あのタイプの商店は、量を買わせることを目的にしているような気がしてならない)、3枚、必要に応じて春物ブラウスだの、ニットだの、買ったとしましょう。翌月にはスカートやワンピを買ったとしましょう。あと、値引き主義の有無に関係なく、ストッキングだの、靴下だの、下着だの、そういうものは消耗されてゆきます。。したらばですね。必要な基本を揃えるだけで、一月2、3万かかるなんてことは特におかしくもなくあるのです。。
ってことは、30000ポイントなんて、1年くらいかけて、かつ、そのサイトを愛用してれば、まぁ貯まっちゃうわけで。。

(あああ家計簿の習慣を復活させねば。今年度は、細かく費目をわけられる生協の家計簿をゲットできず、自分のデータをとってないのです。平均的なデータを私は見たことがないので、折を見て調べて見ようと思うけれど、控えめな額なのかどうなのか良くわからない。感覚として、むちゃくちゃ多くはない気がする。今の大学の若い同級生は、以前の大学に比べて、断然に服にお金かけてる・・それが楽しみであったりもするのだと思う・・印象がある。以前の大学では、生協の生活費調査とかあったけれど、男女とも、そこまで被服費って膨張してなかったと思う。家賃、食費の順に多かった。ジーンズにTシャツとかなら、お金かからないしなぁ。それもあるのか、今も、前の大学に入り込むと、今の大学より学生があどけなく見え、あ、ガクセイだな、若いな、って思う。在学中は、女の子の素っピンはごく普通だったしな。医学部みたいに、先が確定してないこともあるのかも)

なんて冷静(?)に考えつつ、今朝も、私はそのサイトでお買い物してるんですね。そして、メールを見てあれ、って思えば、昨晩も買い物してんじゃん(汗汗汗)!

今朝はバッグ、これは通学その他に必要だし、私がモノをいつもいっぱい詰め込むから、すぐやられるからどうせ使うのよ。
昨晩はねぇ。。ニットだとか、花柄ワンピだとか、まぁ、そのうち、暖かくなれば着るでしょう。。

あ、迷ってたブラウスは、品質が説明文と違うという理由をつけて返品しました。

なんかねぇ、、ほんと、我ながら、心の中のナニカを埋めるかのように、ショッピングしてるんじゃない、って気がする。買い物してモノを揃えるのは、お金さえあれば、手軽にモノを手に入れる一種の全能感をもたらしてくれるからねぇ。。

今朝は、自己嫌悪に陥らない品だったけど、昨晩は、さすがに、クリックしちゃった時点で、そんなに服が大切か?と自己嫌悪に陥ったのを、思い出した。

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そして、今日は、衿野未矢さんの「依存症の女たち」(講談社文庫、書き下ろし)を読みたいがゆえに、本屋をハシゴ。
古本屋での3冊(単行本を全て半額でゲット)に加え、3冊と雑誌1冊買っちゃいましたわ。ま、本は、所有したい(という願望を持ったこともあったけれど)より、今は読みたくて買うわけだから、いいとして、ただそれでも、今度は金額ではなく、一度に買う册数に、また、ナニカを埋めようとしちゃあいないか、と自問自答してしまった。とはいえ、雑誌も・・お恥ずかしながら、これまた「まるごと買える!」を売り物にしているファッション誌Look!sなのだけれど、見て楽しめ、読むこともでき、買うこともでき、すべてコーディネートしてあるものも細かく掲載ページが表示されており、かなり優れものです。もちろん、きちんと感溢れる格好をしたい人には、全体的にちょっとカジュアルすぎるかもしれないけど。。まぁ、「9着でも毎日新鮮!2週間着回しコーディネート」なんてのは、私みたいな学生が参考するには、丁度いいかも。

と、また服の話になってしまったが、「ふつうの医者たち」(下記参照)「依存症の女たち」「イラクの小さな橋を渡って」(池澤夏樹著、光文社)という新刊を買った。また、読後感を書くと思う。

はじめて、アマゾンマーケットプレイスの出品でミスをやらかしてしまい、返金手続きをすることになった。出品を間違えていて、独和辞典なのに、独和&和独としていたのである。ううう、いままで評価が全て5つ星だったのになぁ。。

久しぶりに、ふと、バスの中でぽろぽろ涙が出て来て泣いてしまう。

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一昨日書き忘れたが、南木圭士氏は「医者という仕事」の中で、優しい心と丈夫な体はなかなか両立しにくい、と書いている。さらに、今日読み始めた同氏の「ふつうの医者たち」(文春文庫)では、そのいきさつ(氏の考えの深化)が書いてあり、人の変化はゆっくりゆっくりしているものなのかもしれないと思う。


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- 2003年03月09日(日)

依存症の本を読みながら、考えさせられる。

友人に手伝ってもらって、部屋の片づけ。大分スッキリした。今年に入ってから2回目かな?ありがたい。これで快適!

明日、思ったような品質でなかったブラウスは返品しよう。



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本2冊:丈夫な体と優しい心 / わたしの中の依存症 - 2003年03月08日(土)

ぼちぼち、ネットオークションにいらないものを出品している。本やビデオをアマゾンのマーケットプレイスに出品するのはわりと簡単だが、服や雑貨と言うのは、そのような定型がないものである。デジカメで写真をとって、服なら改めて採寸して、説明の言葉をつけて。。。手間ひまかかるけど、ぼちぼち出品していこう。

また、ボタンが外れたら糸と針を使って直すこと以上の裁縫を、ひさしぶりにしている。とはいっても、大したことはない、サイズのお直しだ。スカートのサイズで合うサイズのものは売れていて、好きな色がひとまわり大きいものしか残ってなかったら、フレアスカートなら割合簡単にお直しできる。
その他、100円ショップで裾あげテープを買って来たので、パンツの丈も直す予定。

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天気は、冷たいみぞれみたいな雨が時々降った。傘のない雨の中を、自転車で郵便局まで行く。ふと、谷山浩子の歌に、「冷たい水の中を君と歩いていく」というのがあった、と思い出す。

家庭教師2件。行き帰り、久しぶりに、テスト資料ではなく、文庫本を読んだ。
一件目の行きは、南木圭士の「医者という仕事」(朝日文芸文庫)。これはわたしが貸した本が久しぶりに返って来たのか、それとも貸してもらっているのか判然としない。というのも、貸してもらっていると思っていたが、ページを繰るにつれ、読んだ覚えがふつふつと蘇って来たからだった。

以前読んだ時には、心に残らなかったのだが、冒頭、医者という仕事には、優しい心、丈夫な体、そして程々の頭が必要だ、という丸谷才一氏のエッセーに共感する作者の言葉があった。
末期肺癌患者と向き合う中で、自らも心を病んでしまい、小説を書くということでバランスを取るようになった作者の言葉は、おそらく医師の大勢の見解を示さないではあろうが、小説を書くことで視線を低くすることができている、病を得ている人に寄り添おうと思えば、視線を低めることだ、とあり、我が意を強くした。
もちろん、気持ちだの優しさだのは、適格な医療技術や診断能力とは全く別のカテゴリーである。
が、優しさが求められる場もあるのではないだろうか?

次、一旦家に戻りたかったのだが、JRのダイヤが乱れており、戻る代わりに本屋を覗いた。
たまたま、「ひとりになれない女たち:買い物依存、電話・恋愛にのめりこむ心理」という本が目に止まった。依然にも気にかかっていたような気がして・・レディコミの研究書を出していたからだ、と今気づいた・・、わたしはその本を手に取り、そして、読むことに決め、本を買って外に出た。

バイトへの依存、食べることへの依存、交友関係の依存、、、誰でもいくらかはなる可能性を秘めているだろうし、私自身、病的とは言えないまでも、それぞれ思い当たる過去の経験はある。
そして、今は、買い物。

筆者の言葉を引用すると、
「 衝動買いの経験は、誰にでもあると思う。でも、今度あなたが衝動買いした時、胸に手を当てて考えてほしい。「欲しいものを手に入れた」という満足感があるかどうか。支払った金額に見合う愛着を、そのものに感じるか。「またバカな買い物をした」と暗い気持ちになってはいないか。
「楽しいお買い物」と「買い物依存症」との距離は、あなたが考えている以上にずっと近いのである。」(p.39)

筆者がかつてそうだったように、私も綺麗なファッションビルや雑貨屋さん、そして百貨店を覗くと元気になる。そして、何となく散漫に買い物をしてしまうことがよくある。心の中で「子どもでもいたらこんなふうに自分のためにお金遣わないのにね」と思いながら。

それを自分のための優雅さと取るか。それとも、無駄遣いと取るか。

微妙なところである。日記の注意深い読者の皆さんはお気付きの通り、生活費が、学費が、などといっている割に、私はしょっちゅう買い物をしていて、それをもちろん、楽しんでもいて、日記にも書いている。
買い物への推進力は、これは私が自分で稼いだお金、自分のために遣う、であり、そして、過去を振り返れば、小さい頃、同級生に比べ、拘束が厳しかった我が家では自由にモノを買うことが出来なかった、それを補償すべく、好きなものを好きなように買い揃える快感を味わっているのでもあろう。
そして、ローン地獄やカード地獄に今のところ幸いにして落ちないで済んでいる、買い過ぎないためのストッパーは、ガクセイであるがゆえに、自由にできる額が限られることである(例えば、価値観や行動パターンにもよるが、社会人の友人で、今も母校の大学の学生食堂をこよなく愛用している人がいる(わざわざバスに乗って食べに来るくらいだ)。海外旅行も実質本位、盗まれても良さそうなものしか持っていかない。さすがに安全面に不安があるので、激安宿には泊まらないが、値段に見合ったお金の使い方しかしない。。そのような身の回りのことに関しては、彼女と私は金銭感覚も近い。が、やはり、可処分所得には大きな差があり、彼女が欲しがって、実際に買おうかどうか迷うアンティークショップの7万円の家具や、10数万するペルシャじゅうたんを買おうかどうかと私は悶々とはしない。それは私にとっては入手不可能な次元と位置付けられているからである)。

際どいところだと思う。
買い物で楽しく元気になっている、そして、身の回りに気に入ったものがあるのは嬉しいことである。が、不要品を同時にせっせとオークションに出す、どこか、刹那的である。要るか要らないか、もう少し考えた方がいいのではないか、と。

誰もが依存症になりやすい時代、筆者はそういう。
本の後半をまだちゃんと読んでいないので、今日はここまで、また後日取り上げる。


部屋の隅に、服がビニール袋をかぶったまま積み重ねてある。今日、ネットのセレクトショップサイトに注文して届いた商品だ。イギリス製のブラウスとか、鍵編ニットだとか、イメージ通りのものもあり、あれ?というのもあり、一度ずつ手にとってみたあと、そのまま積み重ねられている。
あれ?という商品は、返品しようかどうか、今暫く、考え倦ねている。
ま、月曜日までに決めよう。必要かどうかという基準で。






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京阪沿線風景 / so on - 2003年03月07日(金)

今日も派遣会社に新規に登録に行った。
よくネットで派遣案内を見かける会社だけど、意外にこじんまりとしていて、個人経営らしかった。
今日は、結構、暖かく応対して頂いた。

朝雨が降っていたので、車窓からの風景もしっとりしていた。

面白くて、ついつい外の風景に魅入っていた。
何度も何十回も見なれた風景なのに、初めて気がつく自転者屋さん「じゃりんこ千恵」なんてのもあったりして、おもしろかった。

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あくまでも労働観の違いでしかないが、
弱っているものの立場に立とうとしない、せめて想像力を働かせようとしない、
そういう人には、私は人に接する仕事に就いてほしいと思わない。
せめて、想像力にかける者は、
学力だけでなく、想像力をも身につけるように努力せよ。

モノを書くと言うことは、線を引くと言うことである。
明確にするために、あるいは、曖昧なら曖昧なことを認識するために。

だから、モノを書いたり、ホームページを公開すること自体、好意的な反応ばかり返って来るわけじゃない。それは認識しておかなきゃならない。




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休息 / 20代半ばへ。 - 2003年03月06日(木)

昨日今年度の試験が全部終わって、意外に疲れていたらしい。今日は大学に行って有志の解剖実習に参加させてもらう予定だったのだけど、疲れて午前中のみならず、午後6時まで布団から起き上がることもなくひたすら眠ってた。うーん。まぁ、休息も大事か。

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20代半ば、そのときは贅沢に使ってしまった時間、と思うようになったけれど、それでも今も時々、疲れているとき、泣いてしまうことがある。
今は今を肯定して、生きていこう、そう思うようになった(つもり)なのに。

誰も交換できない人生を送っているし、
どの人生にもそれなりの苦労があるのは分ってるけど、

火事にあって、それを暗い20代半ばの理由の全てにしたらいけないけど、
ウツ(?)とそのときはわからずに1人でアパートでごろごろ寝込んでたこと、それは自分の努力の範疇じゃない(と思うのは逃げかもしれないけれど)。

日々、教職の授業だけはマメにとって、バイトで英語教えて(それは真面目にやって)生きてる実感が全然なくて、毎日過食で、体重計に乗ってやけに細かく食べたものと体重だけ記録してて、それだけで生きてることを確かめてた、それだけで精一杯だった。だから、あなたがずっとひとりだった(そりゃ私にも人間関係が下手という原因はあるだろうけど)のは、人物的に問題があったんでしょ、とか言われても困る。
問題があったと思ってずっと悩んでたけど、
あんな環境でどこが楽しく青春が送れたというの?

病気に感染して登校停止になった人間に、
どうして学校にきてみんなと遊ばない、って非難されてるように感じてしまう。
歪んでるだろうけど。

それに、今、よろけながらも学生しながら生きてて、手探りながらも前に進んでて、改善すべき点はあるけど、それなりにがんばってることに満足しているのに、私の20代の暗さを責めるようなことを言わないで(いや、自分で自分を責めているのだろう)。
私が明るい20代半ばを送ってたら良かったのですか?

せっかく、今を肯定して生きていこうとしているのに。

++

疲れているとき、涙がぽろぽろでてくる。
その時はそのときで精一杯だった、
明るい青春なんて私の辞書にはなかった、でも精一杯だった、

そして、きっと、私の歪んだ(或いは、私にはそれが事実と映る)認識は、
私に特有のモノではない、と改めて昨日、思った。

客観的に見て、すごく綺麗な家庭教師の教え子は、「自分よりみんなきれい」と言い(私の100倍は絶対綺麗だ)、
「わたし、人に弱味を見せないんですよ」と言いながら、
何年か病気で外に出られなかった、
「私にも憧れがあったんですよ、
大学入って、同じ年の友だちいっぱい作って。
お姉ちゃんが、すごくうらやましかった」
と言った。そして、強気な(に見える)彼女の目がそのとき初めて、ちょっと湿ったように感じた。

そういう意味では、私も、大学に入って、同じような年頃の友だちをいっぱい作った、好きな時間を好きな場所でふんだんに過ごした、幸せな人間である。

今も、愚直でスマートではないけれど、好きなように生きている。

それでも、思い出して悲しくなることがある、

過去が、悔しくて克服できてない証拠なんだけど。




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終わりました。 - 2003年03月05日(水)

ひとまず、今年度のテストが終わりました。今日が臓器生理学1の再試験だったんです。なんせ、3月1日、3日、4日、そして今日5日と、再試4連チャンという素晴らしい状態(!!!!)でありましたので、今日も、昨日の試験が2時頃に終わってから勉強しました。今日こそは、ほどよい緊張感で、睡眠も削りました。

はぁ、そしてなんとか終わった!

難しかったような気がしたけど、直後に採点して頂いて、大丈夫そうだとわかりました(そして今日知ったのですが、今日が学年の進級の判定の教授会なんだそうです。来週が全体の進級判定試験で15日に進級が判明するのかな)。

そして、(本試験で通れば苦労はしないのだけれど)まるで抑制ニューロンが全開しているかのように要領が悪くて、人並みの点で通ったのは代謝生化学(これは、本試験で100点満点で48点以上あれば、レポート点を加味して合格。私は平均点くらいとってた)ぐらいじゃないかな?詰めが甘いやらなんやらで、なんだか試験に落ちまくった(まぁ、結果として勉強になったという点では良かったけど)。

10月以降、どれだけ試験と再試験を受けて来たことか!!!
ほぼ人の倍は受けたぞ!(自慢にもならないが)

一つ、まあ、誉められるとすれば、これだけ落ちまくっても、めげずに全部受けたことかな(ホント、自慢にもならないが)。
今日も直後に採点して頂いて、がんばったのはわかるというコメントのあとに、センセイにも言われた。
「要領悪いンか?まぁ、ココロザシがある限り、なんとかなるでしょう」

要領悪いなら悪いなりにやるしかなく、
思うに、前期で細胞生理学を理解しないまま、臓器生理学や薬理、内分泌、組織学に突入したはきつかった。細胞膜間の情報伝達と言うやつね。
そして、あとは解剖(人体構造学)の講議!ああああ、人体構造学の講議と試験と解剖実習が平行していたらまだ分かりやすかった。
だから、後輩には、細胞生理学と、細胞の遺伝あたりは、教養科目だけどちゃんとやっておけと言いたい。
(って、来年は今年の比でなくテストがヘビイらしい)

とにかく、今も完璧に理解できてるわけじゃない。
でも、諦めなくて良かった(もちろん、進級の可否はまだわからない)。
今日は4人再試を欠席してたけど、いいんだろうか。。なんて思ってしまった。
後回しにしたところで、私のぐうたらな性格のことだ、
それよりは「いま、ここで、理解すること!」だ。

なんかなぁ、文学研究科で留年して、だらだら論文を後回しにしたことの教訓があるとすれば、
・後回しにしたところで、ぐうたらな私は後回しにした分、今以上に素晴らしい出来にするわけではない(意図的な時間稼ぎはある程度有効である)。
・困ったときは、1人で抱え込んだりするのではなく、手の内を見せた方が、援助が得られやすい。
という二点だろうか。

昨日今日と雪がちらついていて寒いので、余り解放感もないんですが。。

とにかく、終わった!

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というわけで、まずは晴れてネットオークションに服が出せると、帰り、カメラ屋さんを覗いた。画像付きで出品するんだい。案外、安い、30万画素くらいのデジカメがない。一旦戻って、結局、当初の予定より相当お値段オーバー。ともあれ、遅ればせながら、デジカメを買った!(中古で良かったンだけど、とりあえず良さそうなのがなかった。オークションは自動入札してる人には負けるので途中でやめた)

部屋を片付けて、解剖実習をさせてもらって(春休み中、もういちど解剖したいと希望する者が多く、御遺体を2体も提供して頂いている)、、
ああ、旅行は、、、どうしよう、、

ともあれ、デジカメ、そして春休みだ!

わーい!

後記:デジカメを早速使った。確かにオールインワンで使いやすい。
が。バッテリーが異様に早くなくなる。これがこの商品の欠点か!うぐぐぐぐ。急いでアダプターを注文した。うげげげげ。こりゃ、途中のイイ景色をパシャ、とかじゃなくて、ほんと、室内専門、オークション専門だなぁ。。不要品がなくなったら、これも一緒に処分するかも。。。(バカ)


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- 2003年03月04日(火)

日記ですが、あまりにも(まるで公開していない個人日記みたいに)セキララに書き過ぎていたみたいです(それゆえ、読む人の大半にとっては非常に面白かったと思います)。
大切な人をとても苦しめ、悲しませてしまいました。本当に、今後書き方には気をつけようと思います。

++

掲示板にも書いたことですが、こちらにも挙げておきます。
着ていない衣類を売りに出そうと思っています。

一応、ネットオークションに出そうと思ってますが、
こちらでほしい方がおられましたら、
優先的にお譲りします。御一報くださいませ。

・春夏物スーツ(特殊な加工をした麻と綿で、赤だけどピンクっぽく見える。ヘリンボン生地。リマージュライカという、関西の女性服のメーカーのもので、ブランド名は、「四つ葉」を意味するquatre feuilles。
京都でしたら、京都伊勢丹に入ってます。
サイズ40、69800円で上下去年の春買った。上はジャケット、下は膝下丈のタイトです)。以前の勤務していた高校の卒業式に着ていこうとおもいながら、結局式服を着ていき、一度試着しただけです。

ヘリンボン生地で、モノとしてはイイと思いますが、
ガクセイ生活をしていると、スーツなんてそんなに着ることないんですよね。
喪服(医学部生なので必須)と、リクルートスーツみたいなシンプルなやつと、あと、ちょっとフォーマルな時に着るカジュアルな感じのスーツが1、2着あれば足りるのでした(汗)。

というわけで、着る機会がないので、
引き取り手を募集しています。

・あしながおじさんのオレンジのペタンコ靴(24cm)。革。
去年の5月に5900円で購入、2回履いただけ。
1500円くらいでお譲りしたいです。





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空、青く、花、開く - 2003年03月02日(日)

そこかしこで梅の花がほころんでいる。あと一月もすれば桜の季節だ。

急用ができて新大阪まで行くのに、京都駅まで、ひさ〜しぶりに自転車をこいでいった。おそるおそる、スピードを落としてながら。

空は広く晴れ上がっていて、心地よかった。

ほんと、春だ。

昨日とりあげた本の最後の方は、「フォーカシング」について取り上げてあった。往々にして、内省的な人は、「自分に語りかける」ということをするが、自分の声を聴くことがまず大事で、それが「フォーカシング」なのだという。勿論、より自分の声を聴きやすい技法はあるが、何も特別なことではない。
また、自分の声に語らせるのに、そばに人がいて受容してくれる方が、集中しやすいのだという(カウンセリングルームでは、かような環境が作られているわけである)。

聴くと話すと、両方大切なんだな。

帰り、ついつい京都駅ビルで、赤のパンプスを買っちゃう。あと、通学用のバッグも。まぁ、いいかぁ。。バックは必需品だし。
かわりに、あしながおじさんのオレンジ色の靴が要らなくなるのですが(2回くらいしか履いてない)、ほしい方がおられれば差し上げます。って、24.5cmだからなぁ。。なかなかみつかんないのよね。

夕食を友人と近所の自然食系のカフェでとり、食後お茶しながら友人は私の教材を見たり雑誌のインテリア特集を見たりして、私は勉強して、よかった。

お部屋のお片付けはもちろんだけど、
ベッドと机がほしいよぉぉぉ。テストが終わったら揃えようと思います。

++

がんばれ☆


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所感。 - 2003年03月01日(土)

発生再々試。
あとは、余分なことを考えずにひとつひとつ潰して行こう。
モグラ叩きみたいに。

逃げたくなることもあるから、逃げたくなる気持ちは分かる。
以前の修士課程の時の私は、論文から逃げていた。
楽しめたらベストだったし、自分にとって価値がないのなら潔くやめれば良かったのかもしれない。ただ、修了はしたかったけれど、逃げていた。

その時から比べて、今も、「あ、逃げてる姿勢だな」と思うこともある。
ただ、逃げたくなっても、今は一時的なパニックも治まり、ひとまず、「諦めないこと!」「一つ一つ潰すこと!」、最後には、(へこんだ時なんかは)、「ここで負けてたまるか!負けるのは簡単だけど、そんなちょっとしたことで1年棒に振ってたまるか!」と、受けにいっている。

リセットすることにして、先延ばしするよりは、今、できるところまでやろう、そう思う。

正面からぶつかってできる限り完璧になればそれがベストだ。
そして、それが本試験でできるのが最高だ。

ただ、どうしてか、なんだか理解もぼんやりとしがちで、こけてばかりいるんだよな。。
今日も、どうして?同世代としてもどかしい、と理由を尋ねられた。
自分でも、どうして力がイイ感じで出せていないのか良く分からない。
要らないこと、あるいはテスト以外のこと、を抱え込みすぎていたりするのかもしれず、また、部分的には、気持ちが少々逃げている部分に気づくこともあるし、さらに、前期や10月11月に理解が不十分だったことをベースにしている事項に関しては、今も弱いな、この機会に補強しておかなきゃ、と思う。

とにかく、もう一度受けさせてくれるということは、勉強してそれを確認するチャンスがあると言うことだから、前向きに行こう。

今日中に、薬理と、臓器生理(肺、心臓、血液)のメドを立てておこう。

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「生理学テキスト」は、カラーの図が満載で、分かりやすいけれど、
機序が余りきちんと書いていないので、ちょっとペラペラしているということが分かる。

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memo 3度目にしてようやく読んだ本。

「孤独であるためのレッスン」諸富称彦(NHKブックス)・・より

「ひとりでいる能力」について力点をおいて書かれている。

「考えてみれば、この国ほど、「みんな同じ」という抽象的観念に毒され、少数派に属する人への配慮を欠いた国はないのではないでしょうか。たとえば、JR。山手線で、次の駅名をモニャモニャ、と日本人である私でさえ、よく聞き取れないような声で話す。外国から来た方や聴覚に障害があるか多などの存在が全く視野に入っていない。」p.58

「「あなたの気持ちはよく分かります。でも、一生それを続けるわけにはいきませんね。
 あなたは、「いつかは結婚したい。母とも離れたい。でも、今は」と思っているかもしれない。しかし、その「でも、今は」が曲者。「でも、今は」「でも、今は」と、決断を先延ばしにしていると、結局、いつまで経っても決断できない。(中略)そうなって、「あのとき、母がああでさえなかったら」と、一生お母さんを恨み続けている方も、結構いるんです。
 そうならないために、ここは、一時の感情に流されないで、よーく考えて決断した方がいい。
 自分を幸せにできるのは、自分だけ。心を鬼にして自分の幸せを手にすることが、結局はみんなのためにいいことだったというのも、よくあることですよ」p.71-72

「「バツイチ」「バツニ」といった言葉に象徴されるように、以前にくらべると離婚もかなり身近に感じられるようになってきました。しかしまだまだ離婚に対する世間の否定的なまなざしは強く、それが離婚した夫婦やその子どもたちを自己否定的にさせてしまう場合も少なくありません。(中略)
 自分の人生は自分で決める、自分で選ぶことの重要さがしばしば指摘されます。たとえば、小学校、中学校の進路指導でも、人生の自己決定・自己選択の力を育てることが重要であると説かれます。 
 私はこの、人生の自己決定・自己選択を認めるにあたって、その最も重要な前提として、「離婚し、再婚する権利」が認められなくてはならない、と思います。
 離婚を「夫婦関係がどうしようもなくなった場合の最悪の選択」と考えるのでなく、「運悪く夫婦のマッチングが悪かった場合に、それに固執せず、新たに仕切り直すための前向きな選択」と受け止めることが、「自分で選ぶ人生」の不可欠の前提として、当然認められなくてはならない、と思うのです。
 つまり、離婚は、転職同様、「新たに人生を仕切り直すための、前向きな選択」。離婚したからといって、決して自分を責め続けるべきではありません。
 「このままでは夫婦はだめになるだけ」とわかりつつ、ずるずると関係を続ける夫婦がまだまだ少なくない中、離婚された方は、お互いの幸福のためにさまざまなプレッシャーに負けず、前向きな選択をなされたのです。むしろ自信を持っていいくらいです。もしチャンスがあれば、再度の離婚を恐れず、結婚にチャレンジして頂きたいと思います。」p.74-75

「こうした傾向(引用者註:さみしさをうめるために誰かとつきあっていないと不安になること)がさらに強いのが、二人、三人と同時に複数の異性とつきあう”多重恋愛”の 若者たち。一見快楽主義的に見えますが、多重連来の網の目に絡まっている若者の多くは、ごく普通の真面目な学生たちです。
 そして、彼ら彼女らがしばしば口にするのは「自分が傷つくのがコワイ」という言葉。特定の異性との関係に自己限定すると、相手を失ったときのダメージが大きい。それを避けたいから”本命”は決めず、同時に複数の異性と関係を持ち続ける、というのです。
 ”不道徳”の一言で片付けるのは簡単ですが、私はむしろ、その背後に、若者たちの痛々しいまでの”傷つきやすさ”を、そして、傷つきを恐れるがゆえにどんな人生の可能性にも自分を懸けることができない”リスク回避の生き方”が見て取れるように思います。」p.84

「 何がほんとうに大切かを知り、それ以外のものは、思い切りよく捨てることができる。実はこれが、しあわせになるための近道の一つです。」p.104

「 私が勧めているのは、他者とのかかわりの中にありながら”心の孤独=ひとり”の状態を保てる状態」p.118

「 逆説的な言い方になりますが、この人生を孤独に生き抜いていくとき、どうしても必要なのが、どこかで自分を無条件に支え、見守ってくれている人の存在です。
 「この人は、私を無条件で支えてくれる。私が、多少のヘマや失敗をして世間から見放されたとしても、この人だけは、私の味方になってくれる」
 そう思える人の存在です。
 この、無条件の支えがあるからこそ、それをバネにして、人はひとりで生きていくことができるのです。
 ふだんはほとんど意識していなくても、”私は、この人に無条件に支えてもらった”という経験があり、実感があってはじめて、ひとりで生きていくためのふんばりが効くのです。」p.119-120
 
「 もちろん、人間はどうしようもなく孤独である、というこの真実を引き受けるのは勇気の要ることです。
 しかし、人生の本質的な孤独、さみしさ、わかり合えなさを知った者同士だからこそ、深いところで通じ合える、響き合えるものです。
 それは、ごまかしようのない、人生のリアリティに直面して生きているからです。
 人は、自分を深く生きれば、どうしても孤独にならざるをえない。けれど、孤独を知り、孤独を引き受けた者にしか手に入らない深い出会いがある。
 これは、人生の普遍的真実です。」p.162

「ロジャーズはこう言います。人は、現実の、あるがままの自分を心の底から認め受け入れたとき、はじめて、意味のある変化が生じて来る、と。」p.190

「 カウンセリングとは、人が自分の心の声を聴いていく、そのお手伝いのことです。カウンセリングを通して、人は”自分の心の主人公”に、言い換えると”自分の人生の主人公”になっていくのです。
 カウンセリングでは、このようにして人が自分を受け入れ、自分の声の心に耳を傾けて、真に”自分自身”になっていく上で最も必要なことは、他の誰から無条件に受け入れてもらえる関係においてはじめて可能になると考えられています。 他者に受容され共感される関係こそ、人が真に”自分自身”になる上で必要不可欠なものだ、と考えらえているのです。」p.190-191

「母親(またはその代理の人)が、やさしく、暖かな配慮を持って、子どもがひとりで思う存分好きなことをするのを見守る。こうしたサポーティブな環境の中で、子どもはひとりでいられる能力を身につける、というのです。それはなぜでしょうか。このサポーティブな環境の一部を子どもは自分の人格の一部に組み込むからです。」p.207




 


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