ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

Jovanna的「吉井和哉ソロベスト」 - 2008年07月24日(木)

CUT2008年8月号で一番興味深かったのは、吉井和哉の
『そろそろベストアルバム出そうかなあと思ってるんですよね。』
という発言だった。
4月にROCKIN'ON JAPAN誌でのインタヴュー記事に
吉井和哉が『「アメリカン・アイドル」で去っていきやがったあいつ』という
表現をしていた事があって、ずっと気に為っていた。
「ソロアルバムを出す」という事は、
これまでのソロ活動に達成感を感じているという事だよね?
一区切りが着いたと感じていると受け取って良いのだろうか。
渋谷陽一氏の仰るように、そして本人も答えているように
『また次のステージへ行きたい』という事なのだろう。
「CUT」の記事には、吉井和哉のこれからの展望に全く触れられていなかった
けれど、この間のカリフォルニア行きで新アルバム制作へのミュージシャンへの
オファーも行われたそうだし、今後どのように進んでいくのか
物凄く期待出来る。
レコーディングは、秋なのかしらね。楽しみだ!
とは、いうものの、曲作りってもう出来ているのだろうか?
オフ中は、釣りとショッピングの話題ばかりだったような気がするんだけれども(^_^;)
余計なお世話でどうもすみません。
余計なお世話ついでで私的「吉井和哉ソロベスト」を選んでみた。
(最初17曲選んだけれど、再生回数を見て抜かしちゃイケナイ物に気づいた!)
発売順で
「TALI 」
「スティルアライヴ 」
「SWEET CANDY RAIN 」
「SIDE BY SIDE 」
「トブヨウニ」
「BLOWN UP CHILDREN 」
「HATE」
「CALL ME」
「PHOENIX」
「RAINBOW」
「MY FOOLISH HEART」
「Living Time」
「Lonely」
「ポジネガマン」
「All By Love」
「Believe」
「Do The Flipping」
「シュレッダー」
「バッカ」
「雨雲」
20曲中10曲ものYOSHII LOVINSON名義だ。
シングル曲は、6曲。
シングルのカップリング曲が多いなあ。
まず「TALI」。
活動休止後、待って待って待ちかねてようやくこの曲に出会えた喜びは、
大きかった。“結婚しようよ BABY”に驚かれたけれど、
その後、この曲に託された想いの深さに気付かされた時、
掛け替えの無いほど大切な曲になった。
「スティルアライヴ 」
ブラックホールの淵に立ってギリギリ踏みとどまれる力を貰える曲。
一人の少女の面影と共に決して忘れられない曲だ。
「SWEET CANDY RAIN 」
私にとって今回選んだ17曲中第一位に位置する曲だ。
幼い頃から父母の問題で苦しんで来た私にとって、
“まぼろしのSweet candy rain は止み 救いだった神にすらもう
 Say goodbye Say goodbye say もう誰のせいにもしないって”に
大きな癒しの力を感じた。そして「赦す」愛を育む強さを教えられた。
「SIDE BY SIDE 」
“糸の付いた針をくわえ
 ふさいでやろう BABY SIDE BY SIDE”
ゾクゾクするくらい吉井和哉のエロスが感じられる曲だ。
“まだ平穏じゃ 平穏じゃない
 一過性の夢想でもない
 無理に笑うのよせ”
ここでいつも泣きたくなる。
「トブヨウニ」
このシングルが発売された時私は、カップリングの
「BLOWN UP CHILDREN 」や「HATE」とトリプルA面にすべきだと主張していた。
カップリング曲の方が良いんじゃないかとまで言っていた。
でもそうじゃなかった。
“君のすることに無意味なものなどないって
 風に流れる髪にも運命は宿っていて、、、
 徐々に”
この曲の豊かさ、大きさに感謝している。
「BLOWN UP CHILDREN 」
孤独と悲しみの闇に差し込まれた一条の光のような、
日常に倦み疲れた心に涼やかな風を届けてくれるような、そういう
価値ある曲だ。
「HATE」
“角砂糖”を“核弾頭”と聴き間違えていた事は、決して忘れられない(笑)
“太陽が照らすのは次の夢見ている目
 悲しい目 怒ってる目 生きてる目”
「愛する者が幸せでいて欲しい。」これが究極の願いなのだなあと
改めて思う。
「CALL ME」
“恋に罪に欲に胸に花に水に風に雲に空に星に
 永遠に 永遠に 永遠に CALL ME”
後になってこの曲が出来た背景を色々知る事になったけれども、
そういう事を抜きにしても、この「CALL ME」に込められた魂の叫びの
切実さに心揺さぶられるのだと思う。
「PHOENIX」ベスト第二位だ。
アルバムが出た時から凄く好きな曲だけれども、
2005年ソロとして初めてステージに立ったあの新潟フェイズで
「PHOENIX」が鳴り響いた衝撃は、一生忘れられないだろう。
“ONE MORE BABY BRAND NEW DAY 今 解き放て
 終わりはないらしい PHOENIXが太陽に…
 羽ばたけ 羽ばたけ 羽ばたけ
 元気出せ 元気出せ もう恐れること勿れ”
「RAINBOW」
“七色で人の心乱すレインボウ 長く続かなかった夢のように
 手の平で すぐに消えてしまう レインボウ”
美しく妖しく輝く「虹」は、まるで吉井和哉そのもののよう。
「MY FOOLISH HEART」
自伝を読んで初めてこの「MY FOOLISH HEART」の意味を知らされた。
この曲に初めて出会った頃、全く違った解釈をしていたから、
自伝を読んだ後、苦しくてこの曲を聴く事が辛くなった時期があった。
けれど、“生きるべきか 死ぬべきなのか”という言葉そのもののように
己と真摯に向き合った吉井和哉の姿を想う時、
私の愚かなわだかまりは消えた。
大阪城ホールのステージに飾られたインゴ・マウラーの巨大なハートの照明オブジェ
「Cuore Aperto(開かれた心)」の下で吉井和哉が歌いあげた
「MY FOOLISH HEART」を忘れない。
「Living Time」
“なぜだろう地平線と青空が
 音もなく触れ合う そこには
 なにか答えがあるような気がする
 ・・・・・・この手でよかったら いつだって掴まれ”
「世界は閉ざされたままじゃない」としなやかで大きな手が
ふっと目の前に差し伸ばされて来るかのようだ。

「Lonely」
“ひまわりが音もなく揺れてる 揺れてる
 今日だけが全てだと青い空に咲く
 明日のことは 遠い未来
 今咲くのだと背を伸ばす”
自分の歌だと錯覚して仕舞うじゃないか。ニクイなあ。
「ポジネガマン」ベスト第三位。
“I HOLD YOU 明日こそ晴れるかな
 止まない雨はない ポジネガマン”
死ぬ前に一度で良いから生で聴いてみたい。
「All By Love」
“乗りこなせ この惑星
 笑い飛ばせ 愛を込めて
 未完成で構わない 不安定で構わない
 ただあるがまま
 OH YEAH 胸張って”
この「不安定さ」も大した事ないじゃないか、って笑い飛ばせそうな
そんなゆったりした気持ちがしてくる曲だ。
「Believe」
“I BELIEVE IN ME
 風の中 花吹雪 舞うように
 思い出が満開
 I BELIEVE IN ME 振り向いても
 後ろには通り過ぎた景色があるだけさ”
切な過ぎる愛の歌だ。尊く美しい。
「Do The Flipping」
“Looking for the man
 あれがそうかな?
 歩こうロマン おれ夢想花”
アルバム「Hummingbird in Forest of Space」への旅立ちの
興奮と飛翔感を鮮やかに表している曲だと思う。
「シュレッダー」
“神様に会ったらこんなふうに言うんだ
 どんな目にあっても生きていたいです
 誰も皆やっぱり同じように辛いって
 この街の緑は綺麗だね
 傍にはいつもいた”
“深く愛した”からこそ、背中のシュレッダーに掛け、
推進力に変え、前を向いて生きて行こうとする凛々しい力強さ、
女唄を歌う吉井和哉の凄味が冴え渡る。
「バッカ」
“音楽を軸に回るオレのLIFE
 この星の思い出を歌に”
「JAM」とこの「バッカ」の意味を考えると
より深く「愛」の意味が響いてくる。
「雨雲」
“夢が叶えば夢につぶされ雨雲広がって
 右や左がわからないほど立ちすくむけれど
 少しづつでも日の射す場所へ君とただ向かった
 I LOVE YOU I LOVE YOU”
最後に伝えたいのは「I LOVE YOU」!




CUT2008年8月号 - 2008年07月22日(火)

特集:ベールを脱いだ男たちとして
「ベン・バーンズ/大野智/吉井和哉/小栗旬」この4人の中に
取り上げて貰えたこと、吉井和哉へのインタヴューを
渋谷陽一社長自ら行って貰えたことは、非常にありがたいと思う。
けれど、長期オフ中を引っ張り出された所為か
髪型をソフトモヒカンに整え、衣装も大変爽やかに若向きで
宜しいとは思うのだけれども、非常に残念な事に
目に力が感じられないわ。まあね、こういう時期だもの、
仕様がないのかしら。折角綺麗なフォトなのに勿体ない。
インタヴュー内容は、特に目新しい事は無いよね、
これはまあ想像はしてたんだけれども。
「何故YOSHII LOVINSONでソロを始めたのか。」について
『ひとりの人間として世に出て行くことの自信がまだなかった。』という
事は、これまでも言っていた事だけれど、
吉井和哉が自分を評して『ちょっと歌舞伎が入ったような、
着物が似合うような人たち・・・ああいう系統でずっと括られていた』と
話すや否や、渋谷社長に「そうでもないけどね。」と
斬られていたのが面白かった。
そして「吉井和哉は一生完成しない。だって架空のキャラじゃないんだから。」と
断言されて、『ふーん』と答える吉井和哉がまるで
校長先生の前で神妙にしている中坊みたいで微笑ましかった。
「吉井和哉という名前になってベールを脱いだ訳ですよ、吉井和哉は。」と
かなり強引に話を進める渋谷社長に、『はい、脱いだ。うん』と
脱がされていく吉井和哉が可愛い(笑)
私自身は、全て脱いじゃうよりも薄物を纏って「見えそうで見えない」
煩悶の蜜を残して置いて下さる方が好みだけれども。
『今は、音楽をちゃんとやらないと罰が当たる気持ちではいます。』
この言葉が聞けて良かった。
何度でも生まれ変わって、新たなスタートラインに立つ吉井和哉の
音楽に寄せる情熱と真摯な眼差しを信じています。
私は、「YOSHII LOVINSON」の音楽をこよなく愛するけれど、
お酒も飲まず携帯に女の人のアドレスが入って無かったそうな
ストイックさが今は影を潜めていようとも、今
『ようやく穏やかな感じ』で音楽に向き合えているという
状態だという事が嬉しい。
『最近思うのは、やっぱり自分が作ってきた曲に関して言うと、
ずーっとトータルで1曲でしかない。それがしかもまだBメロぐらいまで
しかないっていうこと』
この発言は、吉井和哉が今までの道のりを全て自分で引き受けて、
そして更に未来を目指す、その責任と覚悟の大きさを感じて
グッと来た。頼もしい!




猛毒のメロディをあなたの口にねじこんであげる - 2008年07月21日(月)

17年前の今日1991年7月21日に
THE YELLOW MONKEY初の音源「Bunched Birth」が
La.mama「ENGIN」レーベルから発売された。
初めてこのジャケットを目にした時は、
いかがわしくて妖しく怪しくて驚いたけれど、
このアルバムは、本当にTHE YELLOW MONKEYという
途轍もない力を秘めた未知の生物が産声をあげている!という
状況をリアルに伝えているようで、いつ聴いても
ゾクゾクするような興奮を覚える。
第1曲目の「BUNCHD BIRTH」、吉井和哉の英語のモノローグの声が
余りに青くこそばゆい感じがして、1996年再発時の
メンバーインタヴューに依れば、レコーディング時
「吉井がラインベル鳴らしながら風と心臓の音を口で言っていた」そうだ。
『猛毒のメロディを
 あなたの口にねじこんであげる
 この世の事は考えずに
 色気を思う存分吐きだして……』
この曲で植えつけられた「猛毒のメロディ」は、
速やかに全身を駆け廻り、細胞の一つ一つに沁み渡り、
THE YELLOW MONKEYなしではいられない身体に為り果てました!
2曲目「WELCOME TO MY DOGHOUSE」
バンドが大きくなって行ってからも節目節目に、
大切に演奏し続けられた曲だ。
「メカラウロコ8東京ドーム」ラストに掻き鳴らされたこの曲は、
凄まじく鮮やかだった。
「FAIRY LAND(電気じかけのナルシス)」
煌びやかだけど、どこか物哀しい様な、
これが「シャッフル」というものなのかと認識した曲だ。
第3曲目「LOVERS ON BACKSTREET」は、吉井和哉が初めて作った曲だっけか。
本人「ビギナーズ・ラックみたいなもの」と仰っているが、
Fメロまであるという非常に凝った作りの曲だ。 
“Cry me now Kill me Only night I love you  
 独りぼっちじゃ夜は眠れない
 Cry me now kill me Only night I love you
 あなたにもお花をあげましょう Lovers on backstreet crazy ”
今改めて思うけれど、この“あなたにもお花をあげましょう”が
凄く好きだ。「熱帯夜」のカップリングとして収録されたものより、
この「BUNCHD BIRTH」盤の「LOVERS ON BACKSTREET」の刹那感、
悲壮感を帯びた感触が耳に残る。
次は、吉井和哉がベースで作曲したという「HANG ON TO YOURSELF」。
「交尾する猫」は、どうしても「こぎつね こーん」としか聞こえない(笑)
「退廃」「淫媚」さ加減が病みつきに為る。
「SLEEPLESS IMAGINATION」は、これぞグラムロックだ!
華やかに艶やかで、吉井和哉の鮮やかなタンバリン捌きが麗しかった。
最終曲は、TEARS OF CHAMELEON(Mr.PAPER MOON) 。
吉井和哉の歌い方は、どこか芝居がかっていて妙に惹きつけられて仕舞う。
“Oh My Mr.Paper Moon
 クリエーターの頭蓋骨は砕け
 Oh My Mr.Paper Moon
 ラストステージにほとばしる
 ……
 Oh My Mr.Paper Moon
 声援は君の亡霊をつつみこみ……”
インディーズでの初アルバムだったけれど、
この「BUNCHD BIRTH」は、THE YELLOW MONKEYというバンドの
誕生からその終焉までをまるで描いていたかのように感じた。
ずっと後になってからも吉井和哉が「BUNCHD BIRTH」を
「超えることが出来ない」と語っていた意味が判る気がする。




分水嶺 - 2008年07月19日(土)

残念ながら「CUT8月号」は、来週にならないと手に入らなさそうだ。
ネタばれは全然気にしないどころか大歓迎な性質なので、
昼過ぎにモバBBSの反応を楽しみに行ってみて、
大変な状況が目に飛び込んで来た。
前にも一度見た事がある人が何度も
吉井和哉への恨み事を書き連ねていた。
『引退して下さい。』と。
「吉井和哉自伝」を読んで、何かが壊れて仕舞ったのだろうか。
もの凄い負のオーラに満ちた呪詛の言葉を繰り返していた。
アーティストの公式ページで、あのような書き込みをするなんて、
一体何故そんな事になってしまったのだろう。
吉井和哉というROCK STARを好きになり過ぎたのだろうか。
どこで一線を越えて仕舞ったのだろう。
「分水嶺」というものを考えた。
普通のファンと熱烈なファンと
害を及ぼすまでに情念が膨らみ過ぎたファン。
山脈の稜線であれば、「分水嶺」は、まだ判り易いだろう。
けれど、「分水嶺」の中には、一見普通の水田に見えているのに、
実際は、水中で、東西に分かれる「分水嶺」もあるのだそうだ。
重大な岐路が思いがけない身近な場所でひっそりと、しかし厳然と
存在しているのだ。
私自身、普通の真っ当なファンだというつもりはない。
こうやってファンサイトを作り、思いの丈を書き募るブログを
長年続けている「痛〜い」部類のファンだ。
それでも、好きという気持ちを「怨念」に変えたくないよね。
好きで応援した日々を、自分を自分で、否定したくは、ないよね。
綺麗事をいう積りはないけれど、
自分で自分を傷つけ苦しんでいる彼女(達)の痛みが
早く癒えたらと願う。
公式サイトで、ああいう激しいものをも含めた夥しい感情の渦を
受け止め続けている吉井和哉という人の重圧は、
どれ程のものかと思う。
吉井和哉の目指すより良い音楽への創作活動を
応援し見守り、出来ることなら支えと為れる様な、
そういうファンでありたい。




真っ赤でいて 冷めないで - 2008年07月14日(月)

帰国早々琵琶湖に釣りに行っていたという吉井和哉さんは、
釣りの帰り立ち寄った飲み屋さんで、
仲良く並べられた2枚のサイン色紙を目にされたそうだ。
日曜早朝の時点で、『今、来た 飲み屋で隣あわせ(笑)』という
タイトルで、2枚の色紙写真が掲載されていた。
一枚は、
メス 最高!
バ     お魚のイラストも書かれた
一見2008.8.9に見える吉井和哉のもの。
もう一枚は、7月5日付でTHE DRUMMERアニーのもの。
どうやら吉井さんのは、60UPのビックママを釣り上げた5月8日の
翌日のものだったらしいのだけれども、
夕方もう一度見に行ったらば、『「サインの字があまりにも汚い」と
クレームが来たから』等と良く訳判らない事を理由にあげて
この記事が削除されて仕舞っていた。
何も消しちゃう事無いのになあ。
お店に迷惑掛かっちゃうから?
「メス」って書いちゃったので自粛した?(笑)
吉井ちゃんが「女釣ってるか魚釣ってるかどっちか」の人、
いや両方ないと生きてられない人だっていうのは、
自伝で良〜く判ったから(^_^;)
41歳でこれだけ多くの女性ファンを惹きつけているのだから、
「擬似恋愛」感覚に陥っちゃう人もいるのだろうなあ。
モバイルBBSで吉井和哉をより密接に感じちゃっている人も
多くいるのではないかと少々心配に為りもする。
ファンサービスは、ありがたいけれども、
ある一定のラインは、厳然と引いておいて貰わないと
本当の優しさじゃないと私は、思うなあ。

私が吉井和哉を初めて認識したのは、「太陽が燃えている」PV
最後の「オフィーリア」の場面だもので(笑)、
「何て変な人!妖(怪)しい〜!」と
まるで人外の扱いから始まったから、私の吉井和哉感は、
真っ当な異性へのそれではない。
大体において、趣味が色濃く混じっているから、
両性具有、しかもどちからかというと、
女性度高し!だと思っている。
それでいて「女性なしでいられない」とか「子供4人」とか
いうのは、非常にギャップがあって良いと思うのだ。

・・・何を言いたいかというと、
吉井和哉には、どんどん良い恋愛をして欲しいという事だ。
枯れちゃ駄目だ。
品行方正な吉井和哉なんてつまらない。
2006年秋の「39108」発売時、雑誌「メンズノンノ」に
掲載されたコメントに『自分の中で生活がどう乱れていても、
どれだけ気高くいられるかが重要だと思う。
自分のプライドが傾いたら、人はついてこられないと思うから』という
ものがあった。
私は、吉井和哉の《気高さ》と《プライド》を信じる。
何故か「うそつき」呼ばわりされる事が多い気がする吉井和哉だけれども、
私が思うにこの人は、とても正直なのではないかと思う。
「卑怯」という事をとても嫌っているのじゃないかと思う。
THE YELLOW MONKEY「DEAR FEELING」の歌詞に
“首からさげた誠実は手首に巻いた崇高は
 獣が単に進化して代わりに手にした財産”と歌われている。
ド真ん中で、どうしようもなく揺れ続ける「心の羽根」、
決して頑丈じゃないかもしれないけれど、
血が滲んでいるかもしれないけれど、
きっと綺麗な羽根だと思う。
瑞々しい愛の歌を沢山作って下さい。





明日こそ晴れるかな - 2008年07月07日(月)

カリフォルニアへは、お仕事だったのですねえ。
あまりにも気軽な感じで旅立って行かれたので、
「きっと遊びなのだわ〜。」なんて思っちゃってごめんなさい。
ジョシュとコブラさんとの楽しい夜を過ごせてると良いなあ。
吉井さんがL.Aでレコーディングするようになってから、
サンタモニカの桟橋の先にある遊園地サンタモニカピアへ
遊びに行った事は、あるのかなあ。
潮風で結構揺れて、しかも個室型じゃなくて開放式ゴンドラが
早く廻るのだそうな観覧車には、乗ったろうか。
観覧車って大好きだ。
最新式の大きな観覧車も凄いけれど、
街の小さな観覧車だって、ゆっくり登って行って、
てっぺんまで来て、「ガタン。」といっぺん停止しちゃって、
そしてまたゆっくり動き出すのも面白い。
少しづつ風景の角度が変わって行くのをのんびり感じているのも好きだ。
観覧車に乗りに行きたいなあ。
でも、当分無理そうだから、今は、
「観覧車がぐーるぐる」のTシャツが待ち遠しい。
似合うかな。似合わなくても着ちゃうけど♪

THE YELLOW MONKEYが解散を決めた日からからもう4度目の7月7日が巡って来た。
あの手紙を受け取った時はまだ、吉井和哉のLIVE予定も何も発表されては、
いなかったけれど、あれから、「YOSHII LOVINSON」から「吉井和哉」へと
アーティスト名も変え、次々にアルバムを発表し、ライブツアーも重ねている。
吉井和哉の新しい音源に出逢う事が出来て、そして「生」のLIVEを
体感する事が出来る。それって本当に素晴らしい事なのだよね。
2005年夏以来自分は、ツアーごとに少なくとも一回以上は、LIVEに
参加する事が出来た。
つい先日まで、どこかの会場に居られる事がまるで当然の事のように
感じて仕舞っていた。傲慢だね。
叶う事ならば、あの日あの時の会場に戻って、
記憶を薄れさせてしまった自分自身を叱り飛ばしてやりたい。
「一期一会」どんなに吉井和哉のLIVEが貴重なのかを思い知らせたい。
今度吉井和哉のLIVEへ行けるのなら、
全身全霊その記憶を魂に刻み込みますから、
どうぞまた私にLIVEへ参加出来る機会を与えて下さい。
お願いします☆




Myガネーシャ - 2008年07月02日(水)



「Love Communication」PVでの吉井和哉の足捌きが
世界を破滅させ、世界を創造するヒンドゥーの神、
全ての衆生の苦しみを消滅して至福の世界に導く、破壊と再生、
音楽と舞踏の神・シヴァ神の踊る姿そのものだと気づいてから、
吉井和哉は、シヴァの系譜だと信じているのだけれど(笑)、
シヴァの息子で象のお顔を持つガネーシャも
動物占いゾウの吉井和哉に密接に結びついているような気がして
可愛くて堪らない。
以前の吉井和哉のHPにも極彩色のガネーシャ像が飾ってあったし。
座っているガネーシャ像は、良く見かけたけれど、
今回シヴァ神をまねて踊るガネーシャ像があまりに可愛くて購入した。
とっても小さい仏様です♪
『事を始めたり、継続したりするときに必要な、勇気と自信が与えられ、
さらにすべての障害が除去されます。』
素敵だ!
どうぞ、吉井和哉探究道をきわめて行けますように
見守って下さいませ☆





ボウボウめらめら - 2008年07月01日(火)

本当にね、吉井和哉の事になると
我慢が利かなくなる自分が情けないけれども、
「吉井和哉」が私にとって、最高最大の娯楽であるからして、
こればっかりは止められない。止まらない。
昨日、ようやく「吉井和哉年末公演の案内」メールが届いて、
先行予約の申し込み受付開始までまだ1ヶ月あるとはいえ、
「吉井城ホール」「吉井武道館」が着実に近づいて来たようで
嬉しくもあり、無事にチケットをGET出来るか不安にもなったり。
でも、この【MOBILE会員先行予約受付】は、
『受付期間内にMOBILE会員になられた方もお申し込み頂くことができます。
期間内にお申し込み頂いた方すべてを対象に抽選となります。』
なのだねえ。
『おひとり様1公演につき2枚まで』という枚数制限は、
設けられるそうだけれども、『両公演申込は可能』だし、
きっと家族・親族・友人達の名義を借りてチケット申し込みする
なんていう人も出て来るだろうな。
複数チケット確保したなら、余剰分は流してくれると良いけれど、
転売で儲けようとする人も出るだろう。
最初っから商売しようと目論んでいる輩もいそうだ。淋しいなあ。
何度もここで書いているけれど、
吉井和哉には、ちゃんとしたファンクラブを作って欲しい。
年額¥5000だって¥6000だって、吉井和哉をもっと親身に感じられるなら
¥10000以上だって喜んで支払いたいというファンは、もしかしたら多いのじゃなかろうか。
チケット転売を禁止する為に、LIVE時の会員証確認を徹底するとか、
本当に面倒なことだろうけれど、そういう規制も必要だと思う。
吉井和哉は、何故ファンクラブを失くして仕舞ったんだろう?
やっぱり私には、判らない。
過去を懐かしがってばかりは良くないと判っている。
「変化が必要。前を向かなきゃ。」とは、思うけれど、
THE YELLOW MONKEYのペチコートレーンが、本当に好きだった。
愛があった。
友人に教えて貰ったけれど、某お方のファンクラブの運営は、
本当に至れり尽くせりの素晴らしいものなのだそうだ。
会報誌も充実、会員へのバースデーカード、年会費が口座から自動引き落とし、
そして脱会する場合は、脱会の理由を添えて会員証を返却しなければならないそうだ。

本当に行き届いたシステムだ!
こういう組織を見習って欲しいとまでは吉井和哉の「ゴールドケンタウルス」には、
望まないけれども、でも、今のモバイルサイトだけでは、淋しいと思うのだ。
「吉井和哉」から何かを貰うばかりを望むのではない。
ファン達が「吉井和哉」へ投資しても良いと思えるだけの「ファンクラブ会費」が
沢山集まったなら、ゴールドケンタウルスも、もっと色んな可能性を
試すことが出来るのじゃないかな。
ファンクラブという集合体の中で、吉井和哉のファンとして
もっと向上して行くことが出来るのじゃないかな。
「ゴールドケンタウルス」のケンタウルスというのは、
人間と野獣(馬)とが合わさった姿をしている。
「精神性(人間的部分)」と「獣性(動物的部分)」を
融合・調和させる者、完全なる者を表すものとして扱われる場合があるのだそうだ。
逆に、人間の押さえきれない情欲や誘惑といった部分を象徴することもあるという。
心の内の“ボウボウメラメラの欲望”を否定するのではなく、
眼をそむけるのではなくしっかりと目を見据え、
生命の炎をどうしたらより強く輝かしく燃やすことが出来るか
挑戦したいと思う。
かなり強引な結論だけれども(笑)
是非、吉井和哉ファンクラブを作って下さい☆








My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間