ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

燃やし尽くせ - 2004年10月22日(金)

「THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY」
『メカラウロコ15』と題されたこの催しは、
キャンプファイアーみたいなモノなのじゃないかな、と私は思う。
「ボートを燃やせ」に通じるのかも知れないけれど
「聖なる海とサンシャイン」PVのように、
全てを炎にくべて燃やし尽くして仕舞う儀式の場に、
THE YELLOW MONKEYを愛した人々が一同に会して、
交歓し、祭り、祀るのだと感じている。
フェステバル?カーニバル?
華やかに彩られた全ての飾り付けを、全部燃やし炎で浄化するような、
積み重ねられた喜びも哀しみも愛も情熱も涙も何もかもを吸い込んで
天へ還す儀式みたいに思える。

其々の人生のTHE YELLOW MONKEYと
共有出来た貴重な時間の最後に、賑やかに熱く
大きく燃え上がる事が出来れば、それは
とっても素敵な輝きになるんじゃない?

炎の揺らめきには、癒し効果があるのだそうだ。
“燃えろよ 燃えろよ 炎よ 燃えろ”
最後に照明消して、ドームの皆がペンライト振るとか?
そんなのは、嫌だ!(笑)




奏でる音 - 2004年10月20日(水)

未来に、まして人のする事に「絶対」などないと思っている。
ずっと解散ライブもメンバーからの説明も何もいらないと思って来た。
bridgeでのインタヴューで、もう充分だった。
東京ドームでライブを演るのではない4人の姿なんて、
そんな哀しい光景を見たくは無かった。

それでも彼らがファンの前でTHE YELLOWMONKEYに別れを告げ、
きちんとケジメをつけたいと言うのなら、私は彼らの望む通りの方法で
遣り遂げて欲しいと思う。
バンドを形作った品々や歴史を綴ったビデオが流れた後に、もしも4人の中に
湧き出すメロディーがあれば、その時4人の手にマイクがあれば、
歌い出したって良いし、吉井さんだけじゃなくエマもヒーセもアニーも
歌ったって良いし、展示してあるアコギを使ったって良いし
(その場で調弦してくれて良い♪アニーはどうします?)
そんなの大掛かりなセットもP.Aもいらないじゃないですか?
ライブを遣って欲しいと言っている訳じゃ無いのだ。
別に音を出さなくたっていい。皆が心の中でTHE YELLOW MONKEYの音楽を
奏でるだけで、それで良いと思う。
彼らが望むままに、心置きなく終焉を迎えられるそういうイベントであって欲しいと願っている。
東京ドームに展開されたTHE YELLOW MONKEYの世界、
私はその場で何を心に刻むのだろう?私の胸に鳴る音楽はどんなだろう?

ずっと逢いたいと願って来たTHE YELLOW MONKEYを通して知り合った人達と
共有する空間はどんなものだろう?興奮と期待で一杯になっている。
チケットが抽選制だと言うことが唯一気掛かりだ。
会場は東京ドームなのでしょ?
ペチコートレーン会員で希望する人全部入れてくれたって良いのに。
一般入場者だって充分収容出来るでしょうに。
クジ運が悪いから、かなり心配だ。
THE YELLOW MONKEY最後の場に、私も立ち合わさせて欲しい。





メカラウロコ15 - 2004年10月18日(月)

12月26日東京ドーム『メカラウロコ・15』
THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY

ペチコートレーンから封筒が届いた。
『THE YELLOW MONKEYを応援して下さったPettcoat Lane会員の皆さんを始め、
ファンの方々の誠意を何か形に出来ないものかと考え、
EXHIBITION AND VIDEO FESTIVALを開催する事にしました。
“メカラウロコ・15”と題し、THE YELLOW MONKEYのデビューから今に至る
15年の歴史を東京ドームに詰め込み、皆さんの思い出と重ね合わせ
楽しんで頂けるそんな内容にしたいと思っています。』
そう書かれていた。
この日の為だけに制作されたバンド・ヒストリー・ビデオの上映
メンバー使用の楽器・衣装の展示
バンドの歴史を綴る写真展
過去発売されたアーティストグッズの復刻販売
Pettcoat Lane会員限定プレゼント
メンバー挨拶(東京ドームのみ)e.t.c
岩手、宮城、札幌、広島、福岡、新潟、松山、大阪、愛知、全国9会場でも
開催されるという。
EXHIBITION AND VIDEO FESTIVALを“メカラウロコ・15”と名づけるのか?
メカラウロコって何だったのだろう?
1996年12月28日、日本武道館で「メカラウロコ7」が開催された時、
売れなかった初期の曲を演奏して日の目を見せる(供養すると言ってたけど♪)
THE YELLOW MONKEYのお誕生日を祝うイベントと紹介していたのだと理解している。
1998〜1999に掛けて行われた怒涛の113本LIVE中に行われた「メカラウロコ9」、
そして実質上のラストライブに為ってしまった2001年大阪と東京ドームでの
「メカラウロコ8」。
「メカラウロコ7」は、「JAM」と「SPARK」で全国区の人気を獲得し始め
大きく羽ばたこうとする時、自分達の初心を確認する為の本当に意義あるライブに為ったし、
「メカラウロコ9」は、1998〜1999ライブ以後にもメンバーが語っていたけれど、
彼らにとってのライブの意味を見つめ直す良い機会になった重要なライブだったと思う。
そして「メカラウロコ8」は、THE YELLOW MONKEYの
最終ライブだ。
それなのに、今度のこの“展示会”を『メカラウロコ・15』と
名づけている事が私には、過去の「メカラウロコ」達に申し訳ないような、そんな風に思える。
東京ドームでは、ビデオの上映が終わってメンバーの挨拶があるのだというけれど、
4人が揃った姿を見れるのは最後なのだろうけれど、
私は、そのステージに立つ4人を見る自信が無い。
「きちんと終わる」為にファンに姿を見せ、挨拶を、と決断した彼らの好意は、
有難い事なのだと思うけれど、私は、正直な気持ちを言えば、
新生THE YELLOW MONKEYのライブを待ち望んでいたのだ。
東京ドームに展示された15年間の歴史・遺物の中で、もう「メンバー」
では無くなった4人の姿を見るのは嫌だ。辛い。
Pettcoat Lane会員優先予約まであと何日か、悩んでみようと思う。




ビンゴゲーム - 2004年10月13日(水)

YOSHII LOVINSONニューシングル発売決定の知らせが届いた。
4th SINGLE 『CALL ME』2005年1月発売だという。
C/W『FINAL COUNT DOWN』は、花王サクセス育毛トニック
TV・CFソングに使われるのだそうだ。

育毛剤のCMに『FINAL COUNT DOWN』とは、
実に刺激的なタイトルをつけたものだ。
吉井さん、吹っ切れたんだろうな。
髪の毛に不安を抱える男達に手を差し伸べる曲なのかな。
そして『CALL ME』は、何だかどうしてもブロンディが頭をちらつくけれど、
“素直になりなよ 素直に俺を欲しいって 電話を掛けて来なよ”とかって、
女たちを蕩かす曲・・・だったりして。
今年中にニューシングル、来年初めに2ndアルバム、その後まもなくツアーと
思っていたから、予想よりも若干遅めになるのだろうか。
サクセスのCMは、昨日12日から始まっているそうだから、
先ず『FINAL COUNT DOWN』だけでも早く聴きたい。

昨日は、LOVINSONコラムの更新もあったけれど、
相変わらず『早くシワくちゃになりたい』とか、じじいに憧れてるんだねえ。
年輪なんて段階をちゃんと積み重なって行くもので良いんじゃないのかな。
殊更に「早くじじいに」な〜んて言ってるのをみると、
本心では「歳を取ること、老けること」を怖れているんじゃないかと
勘繰りたくなって仕舞う(笑)
昨日の朝、1986年19歳の吉井和哉が収められた雑誌を眺めていた。
ふっくらと柔らかそうでまだ少年の幼さを宿した吉井和哉。
その後に、この前のbridgeに載ったすっぴんで真っ直ぐ前を向く顔と
クシャクシャの笑顔の吉井和哉を見た。28年の歳月が顔に刻まれている。
イイ歳の取り方をしているじゃないか!
男の生き方、人生そのものが顔に現れてくるという。
まあ、そんな焦らずに着実に年輪を刻んで行って下さい。
『人間の人生なんて本当にあっという間だ。』
確かにそうだ。ただ何かに流され生きるだけなら、もっと早い。
『ビンゴゲームみたいに一ずつ夢を塗りつぶしていって
いつかビンゴが来るのを待つのだ。』
ビンゴが《この世におさらば》の瞬間?
人生のビンゴゲーム、まず私も参加しなくちゃ始まらないなあ、と思った。





太陽が照らすのは次の夢見ている目 - 2004年10月11日(月)

SMOKEY KAZUYAに書かれた『「人を救うための音楽」を
研究してみようと思い始めてきた』
この文章の「人を救う」という言葉の重さがずっと気に為っていた。
大き過ぎる理想を掲げて、その重過ぎる現実に押し潰されて仕舞うのでは、と
とても心配になったからだ。
けれど、昨日放送が開始された日本版「セサミストリート」の
新キャラクター「モジャボ」のテーマ曲をYOSHII LOVINSONが作曲担当したと知り、
「セサミストリート」のHPへ行き「セサミストリートガーラビデオ」の映像、
そして「セサミストリートブック」の案内を読む事で、
吉井さんの言おうとした『「人を救う」音楽』の意味が少し理解出来た気がする。
子供たちが明日を創って行く。子供たちが人類を、地球を救うのだ。
その子供たちが健やかに育まれて行く事を願って、
吉井さんは彼の音楽で貢献して行きたいと考えているのではないかな。
幸い、13日水曜日からBSジャパンでも放映されるそうだ。
昔、幼い妹と一緒に「セサミストリート」を見ていた頃の純な気持ちに戻って、
日本版「セサミストリート」を見てみようと思う。




音楽家としての使命 - 2004年10月09日(土)

昨日、吉井和哉38歳の誕生日にFLOFC内のYOSHII LOVINSONのコラム
SMOKEY KAZUYAが更新されていた。
酒をやめてもうかれこれ6年近くになると言うこと・・・それは良い。
健康に気を付け、ジムで体を創り、健康で強靭な肉体を持つロッカーでいて欲しい。
気になったのは、『今までは「自分が気持ちいい」音楽をやることで精一杯だったが、
そろそろそれプラス、「人を救うための音楽」を研究してみようと
思い始めてきた。』という、その一文だ。

「FourSeasons」や「球根」や「SO YOUNG」、「峠」そして「トブヨウニ」という曲達に、
私は様々な局面で、救われて来た。
今、吉井さんが天から与えられた音楽家の使命というものを
受け入れ、『「自分が気持ちいい」音楽をやること』から
『「人を救うための音楽」を研究』へという意識変化を持つに至った事は、
とても素晴らしい事だと思う。
けれど、「自分だけでなく人も気持ちいい音楽」でなく
一足飛びに「人を救う」音楽という目標を掲げているのは、ちょっと怖いと
感じて仕舞う。精神的な意味合いにおいて人が救われるのは、
その人自身の心によってではなかろうか。
音楽は、その心の在り方を癒し解し潤いをもたらし、
自分で立つ勇気を与える存在では、と思う。
まず、吉井さんが自由に楽しめる音楽であって欲しい。
「人を救う」・・・そこまで背負わないで欲しい。
崇高な理想を掲げておられるのに、水を差すようで悪いけれど、
心配性なんです。ごめんなさい。




サプライズ - 2004年10月08日(金)

吉井和哉様、38歳のお誕生日おめでとうございます。
あなたが生まれて来なければ、THE YELLOW MONKEYもこの世に誕生
しなかったのですから、心から素直に
「この時代に生まれて来てくれてありがとう」と申し上げたいです。
この善き日に、10/10放送開始日本版『セサミストリート』
新キャラクター「モジャボ」のテーマソング『モジャボのうた』へ楽曲提供という
お知らせが届きました。「モジャボ」!かつてエマさんが作曲された
アニメ主題歌のタイトルによー似ておられる。
吉井さんが命名なさったのじゃ無いでしょうけれども、お二人の深い縁を
感じました(笑)
ところが、サプライズはこれだけに留まらなかったんですね。
"PETTICOAT LANE" からもお知らせが届きました。
12月8日   初のメンバー監修『ベストアルバム』
12月8日   『DVD SPECIAL BOX』2種
      『CLIPS BOX』「シングル・コンプリート・ベストBOX」
      『LIVE DVD BOX』「全てのライヴ映像を網羅した究極のLIVE BOX」
12月28日  『東京ドーム ラスト ライヴ DVD』
素晴らしいラインナップだ。
特にメンバー自らが選曲し、2つのレコード会社の壁を超えて実現する
ベストアルバムが楽しみだ。メンバーは、どの曲を選ぶのだろう。
『DVD SPECIAL BOX』の方は、既に持っているから、特典を頑張って貰いたい。
未公開映像をたっぷり入れて、豪華写真集も是非に。
『東京ドーム ラスト ライヴ DVD』は、やっとなんだねえ。
でも「東京ドーム」だけなのが少し残念だ。「大阪ドーム」の映像も欲しかった。
今日発表された解散セールの内容を見て、嬉しがっている人ばかりではないと思う。
「bridge」ですっきり落ち着いた心がざわめいて仕舞った人もいるだろう。
でも私は、こうやって音源や映像を出す決心をメンバーがしてくれて良かったと思う。
セールスだけの事を言えば、4年前に「活動休止」ではなく「解散」にして
華々しく「大阪ドーム」と「東京ドーム」で解散コンサートをして、
その後音源やら映像やらたっぷり出した方がよっぽど綺麗に伝説を作って終われた筈だ。
実際、きっちり解散ライブをやって鮮やかに去っていったバンドもあるしね。
それはそれで、とても鮮やかで格好イイ散り方だと思う。
でもTHE YELLOW MONKEYは、そういうスマートさとは無縁だった。
4年以上、休止からでも3年半悩み続け、最良の方策を探しあぐね、今ようやく「解散」に
辿り着いたどうしようもなく人間臭いロックバンドが彼らなのだ。
「今更」だとかしか捉えられない人が可哀想だ。
THE YELLOW MONKEYの魅力に気づけないなんて、音楽人生の大きな損失だと私は思う。
ともかく年末が楽しみだ。
その頃には、YOSHII LOVINSONニューアルバムの発表もあるだろうか。
そしてエマがサポートギタリストで参加するという初ライブの詳細も出ているかも知れない。
素晴らしい。わくわくして来た!





面影を重ねて - 2004年10月07日(木)

ジョン・フルシアンテの新作「DC EP」[ 感想:時の谷間]を聴きながら
THE YELLOW MONKEYとYOSHII LOVINSONの事を
考えて仕舞う行為は、とても不純だとは思うけれど、鈴木喜之氏のライナーノーツで
「ストイックな東と、奔放な西」という表現に、この歴史的な融合と言っていい程の
フガシのメンバーとジョン・フルシアンテとの接点が生み出した音楽の意義の大きさを
感じた。大企業による音楽ビジネスとは一切関わり合いを持たないという活動方針を
強く掲げストイックな姿勢を持つワシントンD.CのフガシとL.A出身で
デビュー後ほどなくメジャー・レーベルと契約を交わし「売るための」努力を
(初期には強制的にではあったにはせよ)受け入れ、折り合いをつけ、
今や膨大な予算と人員を動かすビック・プロジェクトを担うレッド・ホット・
チリペッパーズは、実に対照的だ。そのレッチリのスター・ギタリストという
重責を見事に果たしながら、一方でたった二日間という短い時間で、
意気投合したミュージシャン達と共に、自由な大らかな雰囲気の中で、
低予算で音楽を作り上げ、膨大な宣伝費も(たぶん)掛けずに、
次々に世界へ発信していくというのは、何て素敵な事なのだろう。
10代で超人気バンドに迎え入れられ、世界のビックバンドの一員たるプレッシャーに、
一度は押しつぶされ、そしてどん底から這い上がって来た男が、
今こうして彼自身がより良い音楽を紡ぎ出す為の最良のバランスを手に入れているという事が
本当に嬉しい。ジョン・フルシアンテに関しては、私は まだほんの初心者ではあるけれど、
彼が快適な創作状況にあって次々に新作を我々に届けてくれる事を心から望んでいる。

そういう快適な状況が、今合宿レコーディング中であるというYOSHII LOVINSONのチームに
適えられている事を切に祈っている。
日本の音楽市場で「売れる」バンドである事を常に望まれ続けたTHE YELLOW MONKEYの名から
解き放たれたのだから、これからは、YOSHII LOVINSONの演りたい音楽を奏でて下さい。
YOSHII LOVINSONでも吉井和哉でも良いけれど、貴方が自信を持って発信してくれる
2ndアルバムを待っています。




「bridge」メンバー全員独占インタヴュー - 2004年10月01日(金)

悲しくなる程までに田舎なものだから、書店に入荷するのさえ明日では?と
不安に駆られ、隣市の大型CD屋まで足を伸ばし、ようやくbridgeを入手した。
4人のインタヴューを読んで感じた事は、「解散」という名の「解放・或いは・開放」という言葉だった。
私は、bridgeでTHE YELLOW MONKEY解散を語るメンバー全員インタヴューが
行われると聞いた時、正直何も聞きたくないと思った。
8月2日の夜に堕ちたあの深い闇をもう一度突き付けられる事が怖かったからだ。
メンバー達にもう何も語ってくれるな、とまで言いたかった。
けれど、YLOFCのHP上で吉井が
『永遠のロックバンドの最後のインタビューとして相応しい、内容になると思う。
立ち読みでもなんでも 絶対読んでほしい。』と、そう語り、
またROCK JET誌でエマさんが語る解散への想いを知り、今回のbridgeに
平常心で迎える事が出来るように為っていた。
この2ヶ月私達は、私の管理するHPのBBSやチャット、或いはメールで、
何故今この時期に解散なのか?四者四様と言うなら誰が解散を望んだのか?と
話し合って来た。
それが大体の所で合っていた事に驚く。
そして一番驚いた事は、bridge発売前日の29日の夜チャットで、
「吉井がギターを弾くというのはどうしても無理がある。
エマさんに弾いて貰いなさい。吉井が存分に歌えるのは、エマのギターが鳴る時だ。」と
話していた事だ。でも2ndアルバムに既に参加しているとは思わなかった。
来年のツアーに参加予定・・・これが叶うなんて、本当に嬉しい。
けれど、「3年半も前に吉井が解散を望んだ」というこの事実は衝撃だった。
「脱退」を口にするほど、彼が追い詰められていたという事実、そこまで彼の
苦悩が深かったとは。。。
そして、活動休止後の彼のプレッシャー・・・「いつまでも待つ」ずっと
そう言い続けて来た私は、本当に申し訳ないと思った。
「俺が下手人」とそういう言い方をして責任を引き受けようとする、
渋谷陽一氏が「ちょっと吉井待ってくれ」と止めたくなるぐらい、
重く苦い真実の言葉を包み隠さず、真摯に語る吉井の姿に胸が締め付けられた。
『ボートを燃やせ』
『解散という名の活動だ』
この言葉を引き出してくれたのは渋谷さんのお陰だ。感謝します。
以前、何故THE YELLOW MONKEYの解散への道を止めて呉れなかったのか!?と
6年も前に遡っての繰言を言って本当に申し訳ありませんでした。
「解散」を決められたからこそ吉井は「僕はエマを連れていって、
一緒に苦渋を舐めてもらおうと思う。」と、素直にエマの力を借りる事が出来たのだと思う。
吉井の笑顔を見て、もう前を向いて歩いているんだなと、それがとても嬉しかった。
そしてエマ、ROCK JET誌では、エマは存続を望んでいたと書かれていたし、
この先の活動がその時現在で何も決まっていない、ステージに立つのも
早くはないかもしれないという口ぶりだったから、とてもヤキモキしていた。
それが蓋を開けてみれば、既に吉井のサポートという形ではあるけれども、
ギターを弾いている、来年にはLIVEツアーにも参加の予定・・・
エマさんがギターを弾く姿をまた目に出来る、その事が堪らなく尊く思える。
ヒーセは、本当に良い顔をしている。
ヒーセインタヴューのTOPの顔も、笑顔も、進むべき道をしっかり見据えた男の
自信と気迫に満ちた漢の顔だ。
ロックの初期衝動を貫く江戸前ロッカー魂を目に物言わせてくれると思う。
アニー・・・この3年半殆ど消息の聞こえてこなかったアニーが一番気がかりだった。
アニーは、メンバーの中で一番若いというイメージがあるから
(って言ってももう37歳だけれど)少しふっくらして、ふけたなという印象だけれど、
『純粋なファンに戻った』という箇所に涙して仕舞った。
『ライヴで興奮するようなドラム』そうです!
アニーが叩くだけでグアーっと一気に血が沸き立つようなドラムを
聴かせて欲しい。
4人にとってTHE YELLOW MONKEYという枠が無くなる事・・・それはやはり
解き放たれたと言うことだ。
「依存」「自立」渋谷さんの言葉が、ファンである私には耳が痛く響きもするけれど、
光さす未来が開けたのだと思う。
数多くのバンドの終焉・解散をみて来た渋谷さんに「解散してこんなに良い関係のバンドいないよ」と
言わしめさせた理想のバンドTHE YELLOW MONKEYの解散インタヴューを読めて良かった。
エマが残した名言『THE YELLOW MONKEYが純粋にバンドとして愛される』存在になるように、
そういう愛し方をして行かなければならない、と誓う。







My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間