ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

I remember・・・ - 2004年09月29日(水)

私が「bridge」最新号を手に出来るのは、どんなに早くても10月1日になるだろう。
まだ時間が掛かるのにどうにも落ち着かなくて、4人の解散インタヴューを
読む前に観て置こうと思って、「1月8日東京ドーム」の映像を観た。
8月2日の解散の知らせ以来、THE YELLOW MONKEYの映像を封印して来たから、
このドームの映像は、衝撃が強すぎるだろうから観るなら「TRUE MIND」か
「RED TAPE」とか、楽しめる映像からにしようと思っていた。
けれど何故か今日、このドームライブ・・・実質的に最後のLIVEになった
この映像を観て置かなければいけない気持ちになったのだ。
案の定、LIVE直前の控え室でのメンバーの姿を目にした途端、
胸が苦しくなって来て、ちょっとヤバイんじゃないかと思った程だ。
でも尚更、使命感のようなものに突き動かされて見続けた。
SEでTHE BREAKAWAYSの「That's how it goes」あの軽快な曲!
あれが鳴り始めた時の一気に浮き立つ気持ち、あの興奮・・・あれは4年前の事だ。
黒いコートにサングラス、ギターを抱えた吉井和哉、エマ、ヒーセ、アニー、
ステージ上の4人にライトに照らし出されたあのシーンは何遍みても、本当に
格好良い。
「I LOVE YOU BABY」で一瞬UPになったアニーのあの表情に胸が掻き毟られる。
『なんでこうなるのI LOVE YOU BABY!』 それを言いたいのはこっちだ!

「GIRLIE」から「天国旅行」へのあのゾクゾク来る流れの素晴らしさは
絶品だ。今日、涙腺が決壊したのは、「カナリア」でだった。
『DID YOU SLEEP WELL 震えるほど
 DID YOU SLEEP WELL 純粋だった』
《『もう一度 会いたいな』と》
《あおむけで眠りたい》
堪え切れずに声をあげて泣いた。

「パール」を歌った後に吉井は「楽しいね。コンサート楽しいね。」と
何ともいえない笑顔で客席に語りかける。
あの4人のLIVEは、もう無いんだ。
『とても演りたかった曲』と紹介して演奏された「峠」・・・
イントロ、ギターの調べ、ドラムとベース、吉井のヴォーカル、歌詞、
全てが私を魅了してやまない。
これ以上の曲に私は、この先めぐり会えるのだろうか。
本編が終わりアンコール時に、大阪ドームで味わった、すぐ目の前の花道先端の
特設ステージに彼らが現れた時以上の興奮を体験する事は 出来るのだろうか。
THE YELLOW MONKEYの新曲に出会えない事も勿論だけれど、
この4人(+三国さん)のパワーが一つになって巻き起こした凄まじいエネルギーの場に
もう立ち会えないのだという事を改めて実感した。
「解散」という事実は、こんなにも残酷なものなのか。
『普通のノラ犬に戻ります!』って「WELCOME TO MY DOGHOUSE」を掻き鳴らして
去って行った後、会場には、GIPSY KINGSの「MY WAY」そして
BOB MARLEYの「No Woman,No Cry」が流れた。
“Little darlin' don't shed no tears
No woman, no cry”
“ Ev'rything's gonna be alright”

私は 決して忘れない。





THE YELLOW MONKEYというロック・ファンタジー - 2004年09月22日(水)

ROCKIN'ON JAPAN最新号にTHE YELLOW MONKEY初代担当だった井上貴子さんの
『PEAL LIGHT OF REVOLUTION・・・その真珠色の革命史1989-2004』と
題された特集が組まれていた。
「美と醜悪の二面性バンド」デビュー前から彼らに注目して、
彼らのLIVEの凄まじさ、一度触れたら蟻地獄に引きずり込まれて仕舞う
その魔力の大きさを伝えてくれていた彼女が、THE YELLOW MONKEYの結成、
デビュー、彼らの音楽シーンでの闘い振り、傷つき疲れた戦士達、休息、
そして・・・イエローモンキーというロックバンドの生き様を振り返ってくれていた。
記事に挿入された過去の写真群を目にして、胸が締め付けられた。
8月2日のあの衝撃は、もう大分収まって来た積もりだったけれど、
JAPANの取材を受けていたその時々の彼らの状況やインタヴューを思い出すと、
色んな感情がわあーっと押し寄せて来て参った。
次号BRIDGEの表紙に使われる、1999年春、114本のパンチドランカーツアーを
終えた彼らを写したあの海辺でのフォト、無邪気に笑う4人の姿が愛しくて、
涙を抑えられない。
『ドロドロ変態恋愛と純愛を、おセンチなバラードと陵辱のハードロック』を
並列しながら、思春期の少年のような繊細さと円熟した大人の毒気と色気を巧みに
匂わせながら、THE YELLOW MONKEYは90年代を駆け抜けた。
私達ファンは、井上さんが喩えたように、彼等が描き出した「THE YELLOW MONKEY」という
ロック・ファンタジーに酔い痴れたんだろう。
「物語の終焉」それは、私のようにファンタジーの世界に
居続けたいと願う者にとって何と残酷な事だろう。
けれど上質な物語には、ピリオドが必要なのだ。
「解散」がTHE YELLOW MONKEYにとって必要だった事が今は判る。
『THE YELLOW MONKEYへの依存』これは、4年前から充分自覚はしている。
どうにか自分の目と耳で自立出来るようにと努めて来た積もりだけれど、
まだまだ時間が掛かりそうだ。
井上さんも仰っているけれど、いつか彼等が4人自然に集まって音を出して、
自由に思う存分音楽を作れるそんな未来があればいいと、心から願う。

今号には『不器用すぎて誠実すぎたザ・イエロー・モンキーの解散発表に寄せて』と
題された兵庫慎司さんの記事も載っている。
解散時のBBSに溢れたあの声に感じた私の気持ちをハッキリ
述べて下さっているように思えて、スッとした。
私は「《初めて》自分が好きになったバンドの解散」だけどね。
でも、イエロー・モンキーは、これだけ解散に対して「怒り」の声を
あげさせたバンドなのだと言うことだ。
それって凄い事じゃないか。私は誇らしい気がするよ。
私の混乱は、まだまだ続くだろうけれど、
THE YELLOW MONKEYを愛する気持ちは変わらない。声高らかに宣言します!





LAST SCENE なき解散 - 2004年09月12日(日)

R&R ニューズメイカーに「LAST SCENE」と題された記事が載っていた。
『バンドのファンや関心のある人たちが同じように思い浮かべることの出来る
共通体験があるというのは幸せなことでもあるかもしれない』
そう書かれていた。
ビートルズの正式解散の日付は、ポールが起こした
「ビートルズ解散と財産の公正な分配」という訴えが裁判所に認められた日付=
法的に解散が決定された日付1971年3月だそうだ。
けれど人々の最も印象に残っているビートルズの最後の映像は、
1970公開の映画「LET IT BE」に収められたアップルレコード屋上での
セッションシーンであるのかもと記されている。そのセッションが行われたのは、
映画が公開される一年も前の1969年1月末だったのだという。
THE YELLOW MONKEYのラストシーンは、一体いつの事だったのだろう。
普通に考えれば、バンドとしての最後のライブになった
2001年1月8日東京ドーム公演というべきなのだろう。
けれど私には、あれがラストシーンだったとは思えないのだ。
2001年1月4日大阪ドームの夜、吉井和哉は「絶対帰って来る!」そう言った。
東京ドームでは、「僕たちが帰って来る時、悔いのない人でいて下さい。
出来るさ出来るさ、イエローモンキーのファンだもの。」と。
あの時、メンバー全員の胸には、未来の為の休止だという想いがあった筈だ。
ライブの最後に「写真を撮ろうか」って吉井が促して、エマ、アニー、吉井、
そしてヒーセが肩を組んで客席をバックに写真を写したあの時、
メンバーが一人づつステージをあとにして行き、
しんがりを勤めたアニーが深々と客席に向かいお辞儀をしたあの笑顔・・・
我々の目にする事が出来たラストシーンは、あの映像だったのだろう。
けれど、THE YELLOW MONKEYの本当のラストシーンは、
4人がTHE YELLOW MONKEYでは無くなった日、
2004年7月7日、3年半振りに一同に揃い話し合い、決断を下し、
「心からの笑顔で握手を交わした」
その日の姿だったのだろうと私は思う。
私達は、その4人の姿を想像する事しかできないのだけれど、
彼らが笑顔だったという事が、切なく哀しく愛しく、
それでもとても誇らしいような、何とも形容し難い想いに包まれるのだ。




「愛の賛歌」のオルゴール - 2004年09月08日(水)

THE YELLOW MONKEYの公式BBSで、解散コメントの
吉井和哉の解散コメント中の言葉
『メカラ ウロコ ライヴの時、オープニングSEでいつも流していた
「愛の賛歌」のオルゴールが家にあり、そのネジを回したら
吐きそうになるくらい切なく、言葉では言い表せない気持ちになります。
それだけはわかってほしいです。惰性で続けることより、
無くすことのほうがどれほど辛いかを。』を取り上げ、
『惰性』という言葉を使って欲しくなかったと書かれた人がいて、それに対して
様々な意見が交わされ、随分長いツリーに為っていた。
其々の方にTHE YELLOW MONKEYへの愛があるのに、
どうして擦れ違って仕舞うのだろうと哀しくなった。
あの場で書いておられた人もいたけれど、私はあの『惰性で続ける』という言葉は、
『活動休止という状態のまま』で居続ける事ではないかと思いたい。
THE YELLOW MONKEYの活動にクリエィティヴな熱情や興奮を感じられないまま、
そのままの状態で居続ける事がどんなに辛い事か!?
それでもTHE YELLOW MONKEYというバンドを無くす事の方がどれだけ辛いか。
私には、到底想像もつかぬ程の苦しみだろう。
止むにやまれぬ苦渋の決断をああいう形で我々に知らせた姿勢は、やはりこの上なく
誠実だと思う。
『惰性』という言葉ひとつでも、これだけの受け取り方の相違があるのだから、
bridgeのソロインタヴューが発表されたら、どのような状況になるのだろうか。
また混乱が生ずるだろうか。その声をメンバー達
(もうメンバーとは呼べないんだろうか?そう思う事が凄く怖い。)が
見聞きしたら、どう感じるのだろう。
辛い。けれど、その悲しみから逃げてはいけないのだよね。
悲しみを胸に刻む事で、THE YELLOW MONKEYを愛する心は、より深くなる。
そういう風に私は、思う。
どんな写真を入れるか迷っていた私の「愛の賛歌」のオルゴールへは、
「追憶の銀幕」のあの写真を入れ、飛び出して来る前面の部分には、
大阪ドームアンコール時の「筏に乗った」4人の切り抜きを入れた。
会員証のキーホルダーひとつ・・・それが私の宝物だ。





花は咲き続けるだろう - 2004年09月05日(日)

昨日、浄土真宗の学者であり信仰者として名を残された金子大榮という人の
『花びらは散っても、花は散らない。
人は去っても、面影は去らない。』という言葉に出会った。
花びらという実態が無くなっても、花という存在が無くなった訳ではない。
形が無くなっても人の存在そのものが消えて仕舞った訳ではない。
THE YELLOW MONKEYの解散を、とても辛く悲しいとばかり
嘆く毎日を送って来たから、この言葉にハッとさせられた。
THE YELLOW MONKEYの存在は、消えはしない。
THE YELLOW MONKEYの歩いた道筋、作り出した楽曲、LIVE、
私達が味わった感動、諸々の感情の全て・・・『THE YELLOW MONKEY』は
これからも生き続けて行く。SMOKEY KAZUYAで吉井さんが
『永遠のロックバンド』と表現した事が、この言葉で切々と胸に迫って来た。
4人での新たなバンド活動は無くなったけれど、THE YELLOW MONKEYは
消えはしない。
次号bridgeでの渋谷陽一氏による解散インタヴューを
《永遠のロックバンドの最後のインタビューとして相応しい、
内容になると思う。》と言ってくれた、その言葉がとても嬉しい。
《立ち読みでもなんでも 絶対読んでほしい。》
立ち読みなんかで済まされるものですか。じっくりしっかり読ませて頂きます。
《立ち読み》でも良いからと、皆に伝えてくれようとする、その決意が
嬉しいのだ。
「花」の話に戻るけど、
“散らない花はないけども 花は咲き続けるだろう”って
「LOVE LOVE SHOW」で既に歌っていたんだね?
今、ようやくその意味が判った。
歌の最後が“それじゃさよならお元気で LOVE LOVE SHOW”だという事に
ちょっと笑って仕舞った。
もう怖くないですよ。bridgeを読むのが待ち遠しいです。





JET 菊地英昭インタヴュー - 2004年09月02日(木)

読めるのは明日だと思っていたが、お昼過ぎに届けられた。
シンコーミュージックの通販担当の方、ありがとうございます。
そして雑誌ROCK JETにも勿論、感謝。
昨日のうちに入手された方々から、『エマさんのTHE YELLOW MONKEYへの愛情と
今の気持ちを素直に穏やかに語っておられて、素直に受け入れられた』
というようにお聞きしていて、ここ何日かエマさんのインタヴューを目にするのが
怖くて怖くて落ち着かない時間を過ごしていたのが、その感想を聞いて、
ほっと一息付けた。
だからこそ、今日この本を身構える事無く、穏やかな心で向かう事が出来た。
昨日遅くまで、CHATでお話して下さったお友達、どうもありがとう。
じっくり読ませて貰って第一に感じたのは、解散発表後一番に届けられたのが、
エマさんの言葉である事に感謝したいという気持ちだ。
8月2日"Petticoat Lane"から届けられたDMに載せられたエマのコメントが
一番「解散」という事実を伝えてくれていると感じたけれど、インタヴュー中の
『俺だけじゃん!』の文字を見て、何故かふっと笑って仕舞った。
あの解散のコメントは、メンバー其々独自で書いていたんですね。
『奇麗事に聞こえると思うんです』とエマさん仰っているけれど、
そんな事無かったですよ。ヒーセやアニーは、ああいう風にしか言えなかったんだと思うし、
吉井は・・・『メンバー全員と心の底からの笑顔で握手を』
『「愛の賛歌」のオルゴールで吐きそうになるくらい切なく』と
彼流の表現で受け取る者の心をざっくりと斬り付けたかのような痛みを残してくれた。
エマさんのコメントが一番判りやすかったし、ファンへの心を感じたよ。
そして今回も、エマさんの休止中の状況、意識の流れ、7月7日の話し合い、
最終的な結論、そういう事が、変に飾ったりせず素直に穏やかに語られていて、
すぅーっと受け止める事が出来た。
『うちらがこうなったことにおいても、うちらやってきたことにおいても
無意味なものは全くない』この言葉が大きかった。
『音楽性の違い』そうなんだよね。そういう事なんだね。
そしてメンバー其々が『THE YELLOW MONKEYというものに対して正直だし、
大切にしている』からこその解散であるのだろう。
その事が良く判った。
エアロスミスのアルバムで例えるなら、という話で
『《パンチドランカー》は《ドロー・ザ・ライン》、《シックス》が
《ロックス》とか《TOYS IN THE ATTIC》、《8》は《ナイト・イン・ザ・ラッツ》だ』と
語っているのが堪らなく切ない。
昨日のCHATでも話に出たけれど、《ナイト・イン・ザ・ラッツ》って、スティーヴンと
ジョーの不仲が決定的になってジョーが脱退した不幸なアルバムだけれど、
この後ちゃんと「ダン・ウィズ・ミラーズ」でジョーは復帰してるよ?
エアロスミスのアルバムは、その後もずっと何枚も作り続けられているよ?
そしてエアロスミスというバンドは、燦然と輝き続けている。
このところずっと働き続けていたからちょっとお休みを取る事になった。
しばらく休んだら、待ってるファンをきっとわくわくさせて呉れるに決まってる。
けれど、「8」の後に続くものはない。
THE YELLOW MONKEYというバンドは、もうないのだから。
どうにも為らないと理解は出来るのだけれど、途方も無く哀しいです。
『これを機にもう一度リセットしたい』とエマさんは語る。
ステージの上のギタリスト・エマを見るには、もう少し時間が必要だそうだ。
JET編集者の方が『ギター弾いてるところが見たい、何でもいいから(早く)
出てきて欲しい』というファンの声を投げ掛けて下さっているのが有難いけれど
エマさんたら『とりあえず』ですって。
もう、エマさんたら〜。。。
とても良いお顔をしてらっしゃる。穏やかで大人の包容力を感じさせて
しなやかで・・・吉井ファンだけど、クラッと来ました。
bridgeで吉井がどんなに酷い言い様をしようと(恐怖の大王だと思うもの)
立ち向かう勇気が出ました。エマさん、ありがとう!





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溶けた砂
時の谷間