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2007年01月31日(水)
トラウマを克服できない人は、「不幸」なのだろうか?

『文藝』2007年春号(河出書房新社)の「特集・恩田陸」より。

(恩田陸さんと漫画家・よしながふみさんの対談「思春期が終わるその一瞬の物語」の一部です)

【恩田陸:あと、よしながさんの描く漫画では登場人物がちゃんと自分の人生に対するツケを払っているところが好きなんですよ、私。
『西洋骨董洋菓子店』でも、主人公が幼少時代に誘拐されるというトラウマを背負いながらも最後、「結局、オレは全然変わってねーじゃねーかよ、じゃあまたケーキを売るか」って呟いていつも通り家を出ていく、というのは、何かちゃんと自分の人生を自ら引き受けて生きているっていう感じがするんです。

よしながふみ:私はドラマが大好きでよく観るんですけど、例えばヒロインのトラウマがレイプだった場合、途中で男性恐怖症に陥りながらも、レイプした当事者を告訴し最後は恋人ともよりを戻すという、まあいい終わりなんですよ、決して明るくはないけれど。これから苦しいこともあるだろうけど頑張っていこうというところで終わっている。やっぱり物語だと克服させちゃうんですよね。でも実際に生きている人の中には、加害者を告訴できなかったという人も大勢いると思うんです。ただそうすると克服できない人というのは不幸なのか、男性恐怖症のまま幸せになるという道すじはないものかなという、何かそういうことを思って『西洋骨董洋菓子店』は描き始めたんですね。

恩田:ドラマでも漫画でも「恋人が死んじゃいました」とか「ひどいトラウマがありました」というのを、意味を考えずにイベントとして安易に使っているものがすごく多いように感じるんですよ。小説でもそう感じることが多い。そんな中で、よしながさんの作品の登場人物はちゃんとみんな生きていて、このあとの人生も続いていく。「ああ、やっぱり人間はツケを払って生きていかなければいけないんだな」と強く感じるんです。

よしなが:「心も体も健康に生きていく」というのは人間にとってまったくもって不可能なことなので、ではどうやって自分の持病と上手に付き合うかということが一番大切なような気がします。

恩田:いや、それはすごく思います。

よしなが:それは要するに自分にも甘いということなんですけどね。さっきも言ったように人を傷つけてはいけないと思っても必ずやらかすわけですよね、気がつけば。自分の迂闊かところってなかなか直らないし、でも大人になってくるとその直らないことにも慣れてきてしまう。「みんなもやってるもん、だから人にやられたことに怒らないようにすればいいんだよね」って、そういう自分に甘い解決法を思いつくようになってきて、「あー、歳とるっていいな」って思う(笑)。若い時って至らない自分も他人も許せないことが多いから。】

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 ここで語られている「トラウマを抱えて生きること」に対する、恩田さんとよしながさんの考えを読んで、僕はなんだか少し気がラクになったように思うのです。

 確かに小説や漫画や映画の世界では、「トラウマ」というのは、「『克服』されなければならないもの」として取り扱われている場合がほとんどです。そして、それらの作品の登場人物は、さまざまな困難にもめげずに、その「トラウマ」を乗り越えていくのです。

 でも、普通の人間にとっては、「トラウマ」というのは「必ずしも克服可能なものではない」のも厳然たる事実なんですよね。たとえば、子供の頃に親に虐待されていたというトラウマを持っている人が、大人になったときにその親を赦して和解できるか?という場合、すべての人が「僕の親なのだから」「私も大人になったのだから」ということで、自分を納得させることができるわけではないと思うのです。いやもちろん、そこで和解できれば「幸せ」なのかもしれないけれども、人間の感情というのはそんなに簡単に切り替えられるようなものではないんですよね。

 しかしながら、そこで「和解できない」のも当然のことなのにもかかわらず、「トラウマは乗り越えなければならない」という強迫観念のために「虐待されたトラウマ」+「トラウマを乗り越えられない弱い自分を責める気持ち」に二重に苦しめられてしまうようなことも、現実にはけっして少なくないのです。ドラマに感化されてしまった「トラウマを持たない人」たちは、「人間として、親を赦せないのはおかしい!」なんて平然と口にしたりするものですし。

 もちろん、「トラウマ」を乗り越えて幸せになれるのだったらそれに越したことはないのですが、多くの場合、生きるというのは、いろんな「捨てられないネガティブなもの」を抱えながらの旅になってしまいます。でも、そんな荷物の重さに苦しみながらも、人は綺麗な景色を観て感動することができるし、美味しいものを食べたときには頬が緩んでしまったりもするのです。
 トラウマを抱えながらでも「それなりに幸せになるという道すじ」だって、たぶん、たくさんあるのです。少なくとも、僕はそう信じています。そもそも、全く挫折のない人生なんて存在しないだろうとも思いますしね。



2007年01月30日(火)
「世界最高齢」をめぐる狂想曲

日刊スポーツの記事より。

【新たに世界最高齢になった114歳の皆川ヨ子さんが入所する福岡県福智町の特別養護老人ホーム「慶寿園」では30日、建物の2階から「祝長寿世界一皆川ヨ子さん」と垂れ幕が掲げられ、急きょ来訪した浦田弘二町長や入所者らが長寿世界一を祝った。
 車いすの皆川さんが祝福のために集まった約20人の入所者の前に登場すると「ヨ子ちゃん、おめでとう」と拍手。皆川さんは「ありがと、サンキュー」と両手を拝むように合わせ笑顔で応えた。
 浦田町長は「いつもより冗舌に話していた。世界一になったことが体に伝わったのではないか」と話し、皆川さんを名誉町民の第1号にする方針を明らかにした。
 園のスタッフリーダーの香月すま子さん(53)によると、皆川さんは30日午前7時すぎに起床。朝食ではジャガイモやタマネギなどの入ったみそ汁とご飯を残さず食べたという。
 長寿世界一の知らせは29日午後10時50分ごろあった。ちょうどその時間に起きていた皆川さんに香月さんが「おめでとう、ヨ子さん。世界一ね」と声を掛けると、皆川さんは「お、そうかな」と返事をしたという。
 皆川さんは、これまで世界最高齢者だった米国黒人女性が死去したことにより、世界最高齢者となった。】

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 この「世界最高齢者」についての記事やニュースを見るたびに、僕は「そんなの別に『ただ長生きしているだけ』であって、本人がものすごく努力しているわけでもないし、何か人類に役に立っているわけでもないだろうに」という気がしてくるのですが、考えてみれば、オリンピックの金メダリストになるよりも、「世界最高齢者」になるほうがはるかに低い確率ではあるわけで、「幸運」も含めてのひとつの「偉業」ではあるのでしょうね。
 やっぱり、「健康」とか「長生き」というのは、生命にとってはかなり大きな「価値」を持っているのは間違いないことですし。「90歳の親を70歳の息子が介護する」というような状況を日常的に目にしている僕とすれば、「長生き」というのも綺麗事だけではないのだけどなあ、とか、ついつい考えてもしまうんですけど。でも、「長生きしたから名誉町民」っていうのもどうなんでしょう。
 そもそも、あまりおおっぴらに「おめでとう、ヨ子さん。世界一ね」なんて祝福していいものなのかどうか、悩ましい気もするのです。スポーツの記録とか研究の成果とは違って、皆川さんが「世界一」になったのは、それまで世界一だった人が亡くなられたから、なのですから。もし僕が亡くなったアメリカの女性の身内だったら、海の向こうで喜んでいる人たちに、少なくとも好感は抱けません。
 皆川さんだって、別に知らない誰かが亡くなったおかげで「長寿世界一」になっても、嬉しくもなんともないと思うんですけどねえ……



2007年01月29日(月)
「書いている途中で行き詰まる人」への偉大な脚本家の言葉

『脚本家―ドラマを書くという仕事―』(中園健司著・西日本新聞社)より。

【橋本忍(1918〜)は、日本を代表する偉大な脚本家(シナリオライター)です。
 映画『羅生門』『七人の侍』『生きる』『白い巨塔』『砂の器』、そしてテレビドラマでは『私は貝になりたい』など、日本の映画史、テレビドラマ史に刻み込まれる名作を書いた脚本家です。その橋本忍のお弟子さんである国弘威雄が『橋本忍 人とシナリオ』に寄せて書いた文章にその記述があります。
 師匠に何度も何度も同じシーンを書かされ、もう一字も書けなくなった時、こう言われたそうです。
「どうして書けないんだ。いや、大体、君はそこのシーンをうまく書こうと思うから、行き詰まってしまうんだ。うまく書こうと思うな。上手に書こうと思うな。もっと平凡な、単純な、幼稚でもいい、子供の作文のような形でもいいから、とにかくそのシーンを書いてごらん。それで形ができたら、それを直して、更に直して行けばいい」
 うまく書こうと思うから、(その意識が強すぎるから)行き詰まってしまうんだ、というのは、私にとっても目から鱗のような言葉でした。
 橋本忍は別なところで次のような文章も書いているそうです。
「書いている途中で行き詰まるということは、結局どういうことであったのか。いや、一本一本の作品にどうしてあんなに喘ぎ苦しんだのだろうか。それは要するに、書きながら自分の書いているものを、ああでもないこうでもないと強く批判し過ぎたからである。創造力を上回る批判力の作用が作品の進行に物凄いブレーキをかけていたからである」】

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 脚本家というのは基本的にひとりでやる仕事のような気がするので、「弟子」がいるというのはちょっと驚きなのですが、この日本を代表する脚本家が語る「書いている途中で行き詰まってしまう理由」というのは、シナリオに限らず、何かを創造しようとする人間にとって共通したものであるように思われます。「書く」より前に、自分の頭の中で「これから書こうとするもの」を吟味しすぎてしまうことによって、結果的にその創造の芽を自分で摘んでしまうのですよね。やっぱり、書いたものを「こんなつまらないものを書きやがって!」と他人に批判されるのも、「ダメな作品を創ってしまった……」と自己嫌悪に陥るのも辛いことですしね。

 しかしながら、実際に作業をすすめていくときに、なんらかの「叩き台」を修正していくのと、全くの白紙の状態からはじめるのとではどちらがラクかと問われれば、大部分の人にとっては「修正するほう」でしょう。その「叩き台」がそれこそ「小学生の作文レベル」であっても、一度形にしてみることによってわかるところもたくさんありそうです。叩き台から少しずつ修正していけばいつかは完成するはずの作品でも、頭の中で創っては壊して、を繰り返していれば、いつまで経っても全然形にならないのです。でも、そういうのって頭ではわかっていても、実行しようとすると、やっぱりプライドが邪魔をしたりしてしまいます。こんなの人に見られてバカにされたらイヤだなあ、とか。

 それがどんなものであれ、「とりあえず書ける力」っていうのは、すごく大切なんですよね。どんなすごい才能を頭の中に秘めていても、「批判力」が強すぎては、いつまで経ってもそれは形になりません。ときには、自分の「批判力」を押し殺して「とにかく書いてみる」ことが必要なこともあるのです。
 でも、この言葉、「師匠に何度も何度も同じシーンを書かされ、もう一字も書けなくなった時」に言われたという背景を考えると、国弘さんにとっては、「書けなくなったのは師匠のせいじゃないか!」と反論したくもなりそうですけどね。もしかしたらこれ、アドバイスというより「意地悪」だったんじゃないだろうか……
 



2007年01月28日(日)
初代『人生ゲーム』の悲惨なマスの数々

「オトナファミ」2007・WINTER(エンターブレイン)の記事「人生ゲーム歴史絵巻」より。

(記事中で紹介されている「こんな人生はイヤだ!伝説の名マス列伝」から。初代『人生ゲーム』の悲惨なマスの数々。▲はこの記事を書かれた方のコメントです)

「義父が必要なので、$10,000はらう」
 ▲義父の借金を立て替えるの? 親孝行だなぁ……。

「叔父がブタ箱に入れられて保釈金$5000はらう」
 ▲義父の金銭問題の次は叔父が犯罪者に。よっぽど血縁に恵まれてないんですねえ。にしてもブタ箱て……。

「叔父が借金をのこして死んだ$9,000はらう」
 ▲せっかくブタ箱から出してあげたのに、借金残して死ぬとは、叔父さん何事だ!

「友人からニセダイヤを買わされてそんをする」
 ▲今度は友人の裏切り……。根本的に人を見る目がないのでしょうか……。

「友人にひっかかり$20,000はらう」
 ▲やっぱり見る目ない。それでも人はひとりでいられない。

「台風で家がたおれた」
 ▲踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。明日からどこに住めば?

「かつらを買う $5,000はらう」
 ▲心労が障ったのか、ついには頭髪まで。

「ジャングルに迷い込む 捜索費として$30,000はらう」
 ▲自暴自棄はダメですが、誰が彼を止められるでしょうか……。

「火星から使者がきた」
 ▲ついに現実逃避を実行。火星からの使者が何を伝えに来たか、その真相は?】

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 『人生ゲーム』が日本で最初に発売されたのは1968年。もともとは1960年にアメリカで発売され大ヒットした、『THE GAME OF LIFE』というボードゲームを日本語に訳したものだったそうです。1980年に発売された「2代目」までは本家の英語版を訳したものだったのですが、1983年の「3代目」からは日本オリジナルの進化を遂げ、現在はシリーズ40作以上、累計1000万セットを超える、まさに「日本のボードゲームの代名詞」とも言える存在となっています。スーパーファミコンやプレイステーションなどで遊べる「テレビゲーム版」も数多く発売されています。
 僕がはじめて『人生ゲーム』で遊んだのは小学校低学年くらいだったので、おそらく初代か2代目、まだ英語版の直訳だった時代のものということになりますね。「人生ゲーム」って、当時のボードゲームのなかでは他のプレイヤーとの駆け引きの要素が少なくて、僕にとっては比較的「遊びやすい」ゲームだったのをよく覚えています。『モノポリー』の面白さもわかるのだけれど、一緒に遊んでいる家族や友達と「この物件とその物件を交換しようよ」なんていう交渉をするのってなんだか気恥ずかしかったので。
 しかし、思い出してみると『人生ゲーム』って、けっこうアメリカナイズされているというか、衝撃的な内容のマスがたくさんあったんですよね。当時の日本では主に子供が遊んでいたにもかかわらず、ここには容赦なく人生の理不尽が描かれているのです。身内や友人には騙されまくり、生命保険金や遺産による臨時収入で大喜びし(今になって考えれば、そんなお金でおおっぴらに喜ぶのって「不謹慎」です)、台風や火事の被害を受けまくり……まさに、波乱万丈すぎる人生。そして、当時子供だった僕たちにとって最も衝撃的だったのは、「最後に子供が換金される」ということでした(ゴールのところで子供がいると、ひとりあたり何万$かのお金がもらえるのです)。あと、「人生最後の大勝負」に負けると農場に行かされてしまうっていうのは、農場の人に失礼なんじゃないかと。
 そういえば、この「かつらを買う」というマスに止まった友達が、「かつらなんかがなんで5,000$もするんだよ、高すぎるよ!」と憤っていたのですが、大人になって実際のかつらの値段を聞いたときには僕も驚いたものです。そして、ゲームほど頻繁にではなくても、トラブルっていうのは発生するものなんですよね。
 「人生ゲームの中だったらよかったのに……」ってことも、本物の「人生」には、けっこうあるんだよなあ……



2007年01月27日(土)
谷崎潤一郎夫人が映画『細雪』に洩らした「感想」

『2週間で小説を書く!』(清水良典著・幻冬舎新書)より。

【時代小説や歴史小説の場合は、当時の日常生活の細々とした習慣や道具や調度、衣服、食物、職業などについて、詳しく調べておく必要がある。そういう考証をすべて度外視したパロディ的な小説なら話は別だが、大真面目に書いた時代小説がわずかな基本的なミスのせいで台無しになってしまってはもったいない。小説ではなく映画の話だが、谷崎潤一郎の名作『細雪』が超豪華な衣裳で映画化されたとき、試写を見た谷崎夫人(『細雪』の主要人物、幸子のモデルである)の洩らした感想は、わたしたちの頃は畳のへりを踏まなかったですね、という一言だけだったという。
 細部は怖い。
 逆に、細部に神が宿る、という言葉がある。】

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 さすがにあの谷崎潤一郎の奥様だなあ……と感心してしまうのと同時に、せっかく超豪華衣装で映像化したにもかかわらず、主要人物のモデルの唯一の感想が、「わたしたちの頃は畳のへりを踏まなかったですね」だったというのは、制作スタッフにとっては、さぞかし気まずいというか、いたたまれない気持ちになっただろうなあ、と思います。いや、見てもらいたかったのはそこじゃなくて……と。
 でも、こういう「ディテール」って、気になる人にはとことん気になるものだし、一度こだわりはじめると、「まあそれは置いといて」というわけにはなかなかいかないものなんですよね。そういえば、あの『硫黄島からの手紙』でも、「当時の日本に『町のパン屋』なんてほとんど無かったはずだ!」と二宮和也が演じている日本軍の兵士の設定にひたすらこだわっていた人をネットで見かけました。正直僕もそれはちょっと気になった部分ではあったのですけど、僕自身にとっては、作品全体の魅力を考えれば「ささいな難点」でしかなかったのです。しかしながら、その一点だけで「こんな時代考証がいいかげんな映画はダメだ」って言ってしまう人もいるんですよね。ほんと、人の「こだわりポイント」というのはそれぞれなのです。
 ただ、表現の世界において、「神は細部に宿る」というのは、忘れてはならないことなのでしょう。創る側にとっての「枝葉末節」でも、観る側は、それを見逃してはくれないのです。
 現実でも、すらっとした指(だけ)に惹かれて、恋に落ちる人だったいますしね。



2007年01月26日(金)
周防正行監督が語る「刑事裁判の理不尽な実態」

「週刊SPA!2007/1/23号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第467回の映画監督・周防正行さんのインタビュー記事です。取材・文は編集企画室Over-All。

(映画『それでもボクはやってない』で日本の裁判制度を描いた周防正行監督へのインタビュー記事の一部です)

【インタビュアー:自白して調書に書かれたら、それが証拠となって、有罪がほぼ確定してしまうわけですね。

周防:調書の書き方自体もおかしいんですよ。供述調書というのは、なぜか一人称独白体で書くことになっている。文学的な修飾語を多用して、犯行の瞬間を生々しく表現しようとする。例えば「ナイフを刺したときに何か音がしなかったか」「いや、音って言われても……」「ズブズブっとか、そんな感じがしなかったか」「そう言われればそうかもしれませんが」なんて一問一答があったとすると、「右手に持ったナイフを相手の腹に突き立て力を入れると音を立てナイフがめり込んでいきました」なんて書かれちゃうわけ。そしてこれが、「体験したものでなければ語り得ない迫真性に満ちている」という有罪判決の理由につながっていくわけです。合理性のかけらもないのに、裁判ではこういう調書が最も重要な証拠として重宝されている。それが現実ですよ。

インタビュアー:取り調べのやり取りをそのまま速記するのが最も正確なはずなのに、それじゃいけないんですか。

周防:そういう調書はダメな調書。なぜなら「体験した者でなければ語り得ない迫真性」が感じられないから(笑)。

インタビュアー:それはつまり、最初から犯人だと決めつけて書いているってことじゃないですか。

周防:まったくひどい話ですよ。しかし検察官個人の問題ではなくて、システムとしてそうなっている。司法研修所の検察修習で、そういう調書の書き方を教えられるんですね。最初の頃は皆、当然ながら違和感を持つんです。「そうは言ってない。こっちが言わせたんだ」と抵抗を感じるんですよ。でも、きちんと有罪の証拠になるような立派な調書を書けなければ合格点は取れない。さらに検察官になって、そういう調書を日々作るうちに、まったく抵抗がなくなってしまう。同じ調子で被害者の供述調書も書かれてしまう。本当は痴漢の手なんか見ていなかったのかもしれないのに、「私のスカートの中に入っている手を見ました」と書かれちゃう可能性がある。

インタビュアー:あとは、その調書を裏付けるような証拠を適当に見繕う……ただの辻褄合わせにすぎないと思いますが。

周防:まさに辻褄合わせ。検察官にとって証拠とは、立派な調書を作るための材料にすぎないのかと思いますよ。しかも痴漢事件の裁判では、被害者供述を裏付ける物証なんて、そもそも必要とされてないんです。供述が一貫してさえいれば、その信用性を認めて有罪になる。被害者に事件直後の供述と後になってからの供述で食い違いがあったりしても、「事件直後は動揺していた」という理由で不問に付されて「概ね一貫している」なんて言い方をして済ます。

インタビュアー:なぜ裁判官はそんなものを、証拠もなしに信用するんでしょう。

周防:それは同じ国家機関である検察を信頼しているからでしょ。そもそも検事は揃えた証拠で有罪が取れると思うから起訴しているんです。それを裁判官も承知している。裁判官は、頭から被告人は悪いヤツだと決めつけているのか「込んだ電車で目の前に女性がいるのに、前を向いて乗り込むんですか? そんなことをしたら怪しまれると思いませんでしたか」などと、まるで前を向いたまま乗り込んだお前が悪い、とでも言わんばかりの質問を平気でする。ほとんど取り調べの続きにしか見えない。裁判官自身が有罪立証しようとしているかのようです。そんな状態だから、被告人はすべての疑問に合理的な回答ができない限り、無罪になることはまずない。

インタビュアー:少しでも疑問点があれば即アウトですか。被害者の供述は「概ね一貫している」でOKなのに。

周防:そもそも有罪確定だから、そういう判決理由が書けてしまう。けっこうメチャクチャな判決文があります。有罪の理由が何なのかとよく読んでみると、結局は「被告人が犯人である可能性は否定できない」ですから。可能性が否定できなくて犯人になるんだったら、誰でも犯人ですよね。おまけに無罪を主張したら、「反省のかけらも見られない」でしょう。ひっどいよなと思いますよ。

インタビュアー:理不尽な話ですね。

周防:でもこの理不尽が、刑事裁判の実態なんです。これこそが刑事裁判なのだという現実を、皆さんに知ってほしい。そして興味を持つ人が増えて、傍聴席が常にいっぱいになるようになれば、少しは変わってくるんじゃないかと思うんですけどね。】

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 確かに、「被告人が犯人である可能性は否定できない」という理由で「有罪」にされてしまうというのはあんまりです。
 周防監督の『Shall we ダンス?』から11年ぶりの新作、『それでもボクはやってない』は、ここで監督自身が語られているような日本の裁判制度を題材にした問題作として大きな反響を呼んでいます。僕はまだ映画のほうは未見なのですが、このインタビューを読んでいるだけでも、「もし自分が痴漢冤罪で刑事裁判の被告になったら……」と不安になってしまいました。起訴されて裁判になった時点で「有罪率99.9%」では、冤罪でも認めてしまって被害者と示談し、罪を軽くしてもらったほうがいいんじゃないか、という気もしてきます。

 ちなみに、この「有罪率99.9%」というのは、あくまでも「起訴されて刑事裁判になった場合」であって、実際は【『犯罪白書』によれば、平成16年の検察庁終局処理人員のうち公判請求は6.8%。罪を認めて略式裁判にすれば留置されず罰金刑になり、証拠不十分や被害者と示談がすんでいる場合、嫌疑なしなどの場合は不起訴、罪はあるが裁判するほどでもないというときは起訴猶予になる】そうなので、検察側の立場でみれば「そもそも、有罪になるはずの事例しか起訴していない」とも言えるのかもしれません。そして、裁判官のほうにも、新聞に大きく載るような大事件でもないかぎり、「検察が起訴しているんだから、たぶん有罪なんだろうな」というような先入観はありそうですね。そりゃあ、目の前の怪しげな「痴漢をしたかもしれない男」よりは、長年面識のある検察官のほうが「信用できる」でしょうし、被告にとっては「人生の一大事」でも、裁判官にとっては、「面白くもなんともない、ありきたりの痴漢事件」だったりもするのでしょうし。 ただ、ここで引用させていただいた周防監督のインタビューの内容を読むと、「検察と裁判官はなんでも有罪にしようとする」というような印象を持たれるかもしれないので、一応言及しておきますが、「起訴」の時点で、ある程度のスクリーニングはなされているようです。

 「裁判制度」については、僕自身にも消化しきれていないところがあって、例えば「光市母子殺害事件」や「オウム真理教の麻原裁判」の経過をみれば「検察がんばれ!」「そんな酷いヤツの引き延ばし戦術や情状酌量の訴えなんかまともに反応するなよ……」「そもそも、裁判に何年かけてるんだよ……」などと憤りを感じますし、周防監督が取り上げたような「痴漢冤罪事件」で嫌疑を晴らすために何年もの時間を費やしてしまった人の話を聞けば、「もっとじっくり裁判をやって、被告人の立場を守ってやれよ!」と思うのです。裁判官の立場からすれば、たくさんある「痴漢事件」のなかで、少数の「冤罪」を見つけ出す手間があれば、もっと大きな事件に力を注ぎたいというのも、わからなくはないのですが。
 ただ、僕自身にとっては、凶悪犯罪で起訴されるよりは、痴漢冤罪で起訴される可能性のほうが高いと感じますから、電車通勤じゃなくてよかったなあ、と胸をなでおろしてしまうばかりです。

 それにしても、「込んだ電車で目の前に女性がいるのに、前を向いて乗り込むんですか? そんなことをしたら怪しまれると思いませんでしたか」って聞く裁判官って本当に凄いというか、この人、満員電車に乗ったことがあるのでしょうか……ムーンウォークで乗れとでも?
 もしそんなことをしたら、また別の性的虐待容疑をかけられたりしそうだけど……
 



2007年01月24日(水)
志村けんは「被害者」なのだろうか?

日刊スポーツの記事より。

【タレント志村けん(56)が怒った。23日、自分の公式ホームページでレギュラー出演していた関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典2」のねつ造問題に触れ「裏切られた感じ」と記した。出演者が問題についてコメントするのは初めて。同局はこの日、千種宗一郎社長(62)ら役員の報酬カットなどの処分と、同番組打ち切りを正式に発表した。

 志村はホームページに「残念です」とタイトルして、心境を打ち明けた。

 「あるある大事典の件で、各方面に迷惑を掛けてすいませんでした。今日の新聞で番組打ち切りを知りました。正式にはまだ、本人には何も聞かされていません」。7日の放送は、納豆のダイエット効果を、ねつ造したデータで仕立てられた。関西テレビの千草社長らが20日に会見を行い、謝罪したが、レギュラー出演する志村にはコメントを発表した23日までに連絡がなかった。同局はこの日までに出演者に打ち切りを伝えたとしている。

 「私らはスタッフの作った台本に沿って番組を進行しているので、こんなことになるとは。逆にスタッフに裏切られた感じです。視聴率欲しさにねつ造はいけませんね。これからは、本業のコント笑いを一生懸命にやっていきます」と、締めくくった。酒を愛す半面、毎朝、自分で朝食を作り、肝臓にいいというしじみ汁を欠かさないなど健康に気遣っており、視聴者が番組で紹介した内容に敏感なのも実感している。

 また、健康番組は、コメディアンにとって健康に悩みを抱えた人や食材に対して、誤解を与えるようなコメントを避けながら、笑いを誘っていく重圧を背負っている。「お笑い王」の志村が慎重に取り組んできた新分野だけに「裏切られた」の言葉は重い。お笑いに専念する決意を示したのは、そのためだった。】

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 僕は「ドリフ世代」なので、志村さんがこんなふうに怒ったり嘆いたりしているのを読むのはちょっと悲しいです。でも、この記事に対しては、「とはいえ、志村けんは本当に『被害者』なの?」と感じてしまうのも事実なんですよね。
 マルチ商法の広告塔になっていたタレントなどが、その商法が破綻したときに「私も被害者です!」なんてマイクに向かって叫んでいるのをよく観るのですが、やっぱり被害者側としては「お前が宣伝してたから信じてしまったじゃないか!」と言いたくなる気持ちもあると思うのです。そういう「効果」があればこそ、彼らは高いギャラをもらって広告に出演しているわけですし。にもかかわらず「私も被害者」なんて言われても、本当の被害者の人たちは「盗人猛々しい」みたいな気持ちにしかなれないのではないでしょうか。まあ、「そんな甘い話に騙されるほうにも責任がある」というのは否定できないけれど、テレビの画面から視聴者に「オススメ」していたのはその人なのだから。

 今回の「あるある大事典」に関しては、「じゃあ、誰が実際に被害を受けたのか?」と問われたら、納豆を買いすぎてしまった人々や納豆を増産するために設備投資してしまったメーカーの人々ということになるのでしょう。もし彼らが集団訴訟とか起こしたらテレビ局としてはとんでもないことになりそうです。じゃあ、そのとき出演していた志村さんに損害賠償を請求できるのか?という話になると、まあ、そこまでの「責任」はないのかな、という気はします。ただ、あの場に座ってギャラを貰っていたのなら「台本通りにやっただけだから、私も被害者」と言われても、いまひとつ納得はできません。じゃあ、「タレント」って何なの?と。あの場で僕が同じことを言ったとしても、納豆が売り切れることもなかったでしょう。同じ内容でも、堺さんとか志村さんが喋っているから信用する、という人だった多いはずです。みのもんたさんの場合もそうですよね。健康情報番組は見飽きるほどあるけれど、彼らの番組に圧倒的な影響力があるのは、やはり「タレントの力」が大きいはず。

 この事件で、「健康に気をつけているタレント」としての志村さんのイメージは大幅にダウンしてしまいましたし、同じような健康情報番組に出演することは、今後難しくなってしまったと思います。そして、ああいう番組で、わざとらしくない程度に番組の内容を肯定して盛り上げていくというのは、そんなに簡単ではないのだということもわかります。「出る番組の内容が本当に正しいかどうか、出演者には検証する責任がある」というのが酷な話だというのも理解できます。出演者とスタッフの間に信頼関係がなければ、テレビ番組なんて作りようもないでしょうし。しかし、今になって考えてみれば、1週間に1つの「驚愕の新事実!」なんて、見つかるほうがおかしいよなあ。
 そう考えると、今回の事件で学ぶべきことというのは、「テレビであのタレントが言っていたから」なんていうのは、何の「保証」にもならないということだけなのかもしれません。タレントというのは、ただ「台本に書かれていることをやっているだけ」なのだから。でも、いざとなったらそれで責任逃れって、ちょっとズルくない?

 僕は志村さんは「被害者」ではあるけれども、その一方で「加害者」でもあると考えています。テレビにお金をもらって出演するということには、それだけの責任があると思うので。もちろん、脅迫されて出演していたわけでもないし。
「視聴者に謝れ!」って声高に主張するほど僕は怒りを感じてはいないのですが(別に納豆が売り切れても困らなかったしね)、賞味期限1日オーバーであんなに大問題になるのだったら、こういう捏造番組の出演者にも何らかのペナルティがあってもいいような気がします。そうでもしないと、そういう番組に出演するタレントの問題意識って、絶対に変わらないはず。
 結局、一時的にどんなに叩かれてもテレビの世界では「ねつ造」が繰り返されているし、切られるのは尻尾だけで、「大物」は「知らなかった」でお咎めなしになってしまうのです。なんだかとても理不尽だとしか言いようがない。
 志村さんがどんなに「スタッフに裏切られた」と仰っていても、「志村けんに裏切られた」と思っている人は、けっして少なくないと思いますよ。



2007年01月23日(火)
「ところが私にとっての宗教は、理論ではなく体験なのだ」

『妖精が舞い下りる夜』(小川洋子著・角川文庫)より。

【私の育った家庭には信心があったので、生活の中に宗教的な香りがあふれていた。家が教会と同じ敷地内にあって、食事をしたり歯を磨いたりするのと同じように日常的にお祈りの時間があった。そして祖父がお説教をした。その祖父が、子供の私にとってはなかなか印象深い人だった。宗教家でありながら人間臭い所があった。
 教会の近くに岡山東商業高等学校があったのだが、元大洋の平松投手を擁して選抜で初優勝した時、祖父は見ず知らずの監督のもとへ一升瓶を下げて出かけた。「よう優勝してくれた。よう喜ばせてくれた」と、お礼が言いたかったらしい。グラウンドの隅で、着流しのおじいさんとユニホーム姿の監督が一升瓶でお酒をくみかわしている場面を想像すると、何となくいとおしいような、不思議な気分になってしまう。
 とにかく、祖父の生き方の基本は徹底的な感謝だった。お風呂に入る時、お湯にまで感謝していた。そして感謝のあまり、実によく泣いた。青年時代に大喀血して倒れながら信心で救われた話をする時と、西田幾多郎の和歌を唱えるときには、必ず泣いた。西田哲学がどんなふうに祖父の宗教的問題を解決するてだてとなったのか、小学生の私には見当もつかなかったが、ただ人目をはばからずに泣いている祖父の姿を、一種感動的に眺めていた。その涙が悲しい涙やうれしい涙でなく、「ありがたい涙」であるだけに、やはり私はいとおしい気持ちにかられた。
 現代の若者で、人生の困難を宗教によって解決しようとする人はほとんどいないだろう。知的、経済的、本能的、あらゆる種類の欲求を満たしてくれるモノが現代社会にはあふれているし、情報の洪水の中からたった一つの信じるべき教えを見つけ出すなんて、ナンセンスだと思われている。
 私だってもし祖父が宗教家でなかったら、きっと宗教とは無関係に生きているだろう。理論、教義から入信することはとても難しい。ところが私にとっての宗教は、理論ではなく体験なのだ。野球部の監督や、お風呂のお湯や、西田博士に感謝し泣いている祖父の姿が、そのまま感覚的に神を信じる心と結びついたのだ。私の性質の一部のように、あまりにも日常に宗教が入りこんでいるので、そのことをいいか悪いかで判断することもできないでいる。でも、たぐいまれな強運などと言われると、やはり私の中にある宗教的な部分を思い浮かべてしまう。
 自分と宗教のかかわりについて考えていると、どうしても自分と小説の関係を無視できなくなる。人に「どうして小説なんか書くんですか」と聞かれて、ドギマギすることがある。それは「どうして神を信じるんですか」と聞かれる時も同じだ。一応自分なりに納得している理由があっても、それを口で説明しようとすると、照れる。小説を書くことも、宗教と同じで自分の性質に組み込まれているからだろう。】

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 『博士の愛した数式』などの作品で知られる小川洋子さんの「私が神を信じるようになった理由」(小川さんは金光教の信者だそうです)。
 僕などは「宗教」というものに対して、とくに「オウム事件」以来「お金を巻き上げられる」とか「洗脳されて言いなりにさせられてしまう」というようなネガティブなイメージしか持てないし、特定の宗教に過剰に傾倒してしまう人を白眼視してしまうのですが、この小川さんの話は、僕のそんな「神を信じる人は異常なのではないか?」という先入観を少し変えてくれたような気がしました。

【私だってもし祖父が宗教家でなかったら、きっと宗教とは無関係に生きているだろう。理論、教義から入信することはとても難しい。ところが私にとっての宗教は、理論ではなく体験なのだ。】

 おそらく、小川さんは「神を信じている」というよりは、「神を信じていたお祖父さんの生き方を信じている」のではないでしょうか。いや、このあまりに不器用で人間的すぎる小川さんのお祖父さんの姿は、僕からすれば「こういう生き方だと、かえって生きづらいのではないかなあ」とも思えるくらいなのですが、小川さんは、そんなお祖父さんが大好きだったのでしょうね。
 「宗教」というものの「理論」「教義」に対して、現代に生きる僕はかなりの矛盾や反発を感じますし、「宗教にすがらなくても生きていける時代」に生まれれば、あえて「神」を持つ必要なんてないのかもしれません。でも、今までの歴史を生きてきた多くの人々にとっての「宗教」っていうのは、「自分の親や周囲の人が信じ続けてきた伝統」であり、「いつのまにか身についてしまっていて、それが当たり前のことになってしまっているもの」なのですよね。それはもう「正しい」かどうかという問題ではなくて。

 世の中には問題が多い危険な宗教もたくさんありますし、僕もたぶん、これからの人生において何かの熱心な信者になることはないと思います。ただ、その一方で、「人は『理論』や『教義』の正しさに魅かれて何かを信じるわけではない」ということは、心に刻んでおくべきなのでしょう。人間が信じられるのは、やっぱり同じ人間だけなのかもしれません。
 むしろ、「神を信じるようなヤツはみんなバカだ!」と自信を持って言うような人のほうが、もっとやっかいな「神」にとりつかれているような気もしますしね。
 



2007年01月22日(月)
「飛び込み自殺者の遺族への賠償請求」の実情

『雑学図鑑・街中のギモンダイナマイト』(日刊ゲンダイ編・講談社+α文庫)より。

(「イタズラや迷惑行為をした際の賠償請求は?」という項から)

【ちょっと前のことだが、夫婦ゲンカの腹いせに「江の島に不審者上陸」と海上保安庁にウソの通報をした男性に対し、「国側が800万円の賠償請求を検討中」と報じられたことがあった。このケースでは、不審者捜索にあたった巡視船や航空機の燃料費、職員の残業代の合算が約800万円になったと報じられた。その後、”加害者”と海上保安庁との間で示談が成立。加害者が実損額の130万3923円を支払うことで決着した。
 このほかにイタズラや迷惑行為における賠償請求の実態はどうか。


●電車の運行を妨害した

 酔って線路内に立ち入った、踏切の中で車を停止させたなどが考えられるが、「車両や踏切の修理代、振り替え輸送にかかった経費など”実損分”のみ請求します」(小田急電鉄広報部)、「故意かそうではないかなど、ケースで判断します」(JR東日本広報部)との回答。過去の具体的な請求例は「相手があることなので……」といずれもノーコメントだったが、電車のガラスに落書きして傷つけた大学生に数百万円を請求した南海電鉄、踏切内で列車と衝突事故を起こしたトレーラーの運転手らに億単位の賠償請求をしたJR西日本らの例がある。よく「飛び込み自殺者の遺族は、鉄道会社から莫大な賠償金を請求される」といわれるが、「遺族の心情などを考えると、請求したとしても全額は受け取れない」(鉄道関係者)のが実情だとか。


●山や海で捜索隊を出動させた

 イタズラ通報によるものか、実際に遭難したかは別にして、基本的に警察や海上保安庁による捜索費用は請求されない。ただし、地元山岳会や民間レスキュー隊など、民間組織が出動した場合は別だ。1人あたり1日4万〜6万円の人件費がかかり、民間ヘリを飛ばそうものなら1時間あたりで50万〜150万円という額の金が消えていく。数日の捜索で優に1000万円以上かかるのだ。】

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 「飛び込み自殺者の遺族は、鉄道会社から莫大な賠償金を請求される」という噂はよく耳にするのですが、実際は「請求される」ことはあっても、鉄道会社側も徹底的に取り立てるというわけではないみたいです。まあ、鉄道自殺をしようというところまで追い込まれた人の気持ちと遺族の感情を考えれば、そこまで鬼にはなれない、というところなのでしょうね。この記事で最初に出てくる「夫婦ゲンカの腹いせに……」なんていうのは、さすがにこのくらいの賠償を請求されてもしょうがないのではないかと思うのですが。
 それにしても、どうして夫婦ゲンカの腹いせが、海上保安庁へのウソの通報なのか、かなり理解に苦しむ話ではあります。

 そして、この記事を読んでいて驚かされるのが、「山や海での捜索にかかる費用」です。よくテレビなどでやっている「地元山岳会の捜索活動」って、1人当たり日当が4〜6万円も必要なのか……当然2、3人で捜索なんてことはないでしょうから、捜索が数日に及べば、家が一軒買えるくらの費用にすぐなってしまいますよね。だからといって、「お金がもったいないから、探さなくてもいいです」というわけにもいかないでしょうし。登山というのは、そういう意味でも、「危険と隣り合わせ」の趣味だと言えるのかもしれません。僕は登山をしないのでよくわからないのですが、「遭難保険」とかあるのでしょうか?
 それにしても、警察とか海上保安庁っていうのは、そういう危険を伴う捜索活動を無料でやってくれるのですから、すごくありがたい存在なんですね。あまりお世話になりたいとは思いませんけど……



2007年01月20日(土)
『ニコリ』社長が語る「正しいパズルの解き方」

「週刊アスキー・2007.1/9・16合併号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(「株式会社ニコリ」社長・鍛冶真起さんと進藤さんとの対談の一部です)

【進藤:ふうむ。いま、日本にはパズルの本はどのくらいあるんですか。

鍛冶:この間、某社の記者さんに教えてもらったんですが、いまパズル雑誌は75誌あるそうです。雑誌のジャンルのなかでは、第3位なんだとか。ちなみに自動車雑誌は135誌、女性誌は105誌あるとか。

進藤:そういうジャンル分けで、3位がパズルというのはすごい!

鍛冶:それまでは、せいぜい20誌くらいだと思っていたんです。だって、いちいちほかの雑誌を調べたりしてないですから。でも、そんななかでも僕たちの雑誌は、全国に約1万8000軒ある書店のうち、1200軒にしか置いていないんです。倉庫からの直接委託販売で、取次ぎを通していませんし。だから、宣伝してもしょうがないし、26年間宣伝費ゼロなんですよ。

進藤:よけいなお金は使わずに。

鍛冶:使わないです! 僕はただ、飲むだけ(笑)。あとは読者がクチコミで広めてくれる。いままでずっと、そうやってきたんです。

進藤:でもいま、どうしてそんなにパズルが流行っているんでしょう。自分の脳をもっとブラッシュアップしようという意識が高まってますし、テレビをつければクイズ番組も多いですしね。鍛冶さんは、なぜだと思いますか?

鍛冶:いや、そっちは興味ないんで。

進藤:アハハ、そうなんですか?

鍛冶:脳をトレーニングしようってことがきっかけで、子どもたちじゃなくて大人がハマッたりすることもあるみたいですけどね。数独そのものは、脳トレにはならないのに。

進藤:そうですか? なりません?

鍛冶:ならない、ならない。無目的、無意味な、単なる遊びですから。

進藤:頭の体操になりそうだけど。

鍛冶:逆にストレスがたまりますね。

進藤:できないとね(笑)。

鍛冶:しかも脳トレのためにやらなきゃとか、そういう目的意識があるものはいらない。解いて、捨てる。子育ての合間にとか、寝る前にちょっとだけ、それで飽きたらすぐやめる。それでいいんです、そういうのを僕らはめざしているんです。

進藤:ストレスになったら、すぐやめる。それが正しいパズルの解き方。

鍛冶:それが、遊びの極意なんです。教育のことに使うとか、脳のトレーニングのためにとか、そういう意識でつくるパズルはダメ。そういうことに興味をもちはじめちゃったら、きっといっぺんにニコリはつぶれますよ。遊んで、驚いて、チクショーって喜怒哀楽を出す。それで終わりでいいんです。ヒマつぶしの最強アイテムですよ。しかも、超アナログじゃないですか。電気もいらないし、いつでもどこでも、すぐ始められて、すぐやめられる。

進藤:いちばん身近なエンターテインメントなんですね。

鍛冶:オッ、いいですね、そのフレーズ、今度使わせてください(笑)。】

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 このインタビューを読んでいて、鍛冶社長、そして『パズル通信ニコリ』という雑誌の商売っ気のなさに、かなり驚かされてしまいました。「パズルは脳のトレーニングに役立ちます!」とか言っておけば、この「脳トレ」流行りの御時世ですから、かなり宣伝になりそうなものなのですが。
 でも、ここまで爽やかに「ヒマつぶし」だと断言されると、かえって小気味良いですし、「じゃあ、ちょっとやってみようかな」と思う人もかえって多いのかもしれません。『ニコリ』は1980年創刊だそうなのですが、27年間も堅実に売れてきた理由には、そういう「一貫した『遊び』へのスタンス」もあるのでしょう。

 ちなみに、『ニコリ』の返本率は「10パーセントくらいで、ほとんどない」そうで、非常に固定ファンが多い雑誌であることがうかがえます。そんなにバカ売れすることはないけれど、急に売れなくなることもない。雑誌と読者の親密さがうかがえる話です。それにしても、「26年間宣伝費ゼロ」っていうのは本当にすごい。『ニコリ』は新聞や他の雑誌など200弱もの媒体にパズルを提供しているそうなので、それが宣伝になっている面はありそうですけど。

 鍛冶さんは、まさに「遊びの達人」という感じなのですが、「人はなぜパズルにハマるのか?」というのは、あらためて考えてみると、なかなか難しい質問です。ただ、ひとつだけ言えるのは、「面白くないことは、長続きしない」ということなんですよね。ニンテンドーDSの『脳トレ』にしても、「脳を鍛えるため」とか言いながらみんな始めるのですが、結局それが長続きする人というのは、「脳を鍛えるため」に嫌々ながらやっている人ではなくて、トレーニングそのものを愉しむことができている人なのですから。

 たぶん、ときには「純粋に遊ぶ」ことが、ストレスに耐えて生きていくには必要なのではないかな、と僕も思うのです。ただ、「ストレスになったら、すぐやめる」となると、僕には『ニコリ』に載っているようなパズルは1問も解けそうにありませんが。



2007年01月19日(金)
「最難関国立小学校」の狭すぎる門

「ダ・カーポ」598号(マガジンハウス)の記事「新・ダカーポ探検隊・第92回」より。

【不運に負けじと3度チャレンジしたのは、東京学芸大附属の大泉小学校。1次の抽選の確率は比較的穏やかで50%(下1ケタが、0、3、4、6、7が当選)ということもあり、無事通過(番号は363だった)。妻は、「私が書類申請してもらった番号なので当たったのよ」と言う。しかーし、満を持してのぞんだ試験(受験番号79)は案の定、玉砕。マナーを問う問題で「バスの中でしてはいけないのは?」と聞かれ、「分かりません!」ときっぱり答えた息子よ(”電車の中”なら答えられたらしい)……やはり、オレの子だなぁ。合格発表の日の朝。くじ引きの抽選器ではなく実力(点数)で選ばれた受験番号が校庭に掲示された。500人から約90人が選ばれたが、実はこのまま合格とはいかないのが国立小受験の空恐ろしいところ。最後の3次選考はまた抽選をするのだ。確率2分の1。実力はあっても、半分は不合格。これぞ天国と地獄。国立小受験を制したいなら、クジ運を磨け、である。】

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 筆者の「国立小学校『お受験』体験記」なのですが、子供がいない(というか、結婚もしてない)僕にとっては、なんだか別世界の話のようでした。私立小学校の「お受験」はまた別なのかもしれませんが、国立小学校に入学するためには、こんなにも多くのハードルが待っているなんて!

 ちなみに、この記事では他にも2つの国立小学校を受験したときの話が書かれているのですが、東京学芸大学附属竹早丁小学校の入試は、男子募集枠には、定員20人に対して、1539人の応募があったそうです。競争率なんと77倍。ちなみに、こちらの小学校も、1次選抜はくじ引きで、まず400人が選ばれるのだとか。どんなに実力があっても、くじ運が悪ければそれでおしまい、です。その一方で、くじ運だけが良くても実力がなければ2次試験以降で落ちてしまうのだから、「運だけ」でもないんですよね。たぶん「国立」ということもあって、一部の「ものすごくできる子供」だけではなくて、なるべく多くの生徒に門戸を開くためにこんなふうになっているのでしょうけど、運→実力→運という3段階にわざわざ分けなくても、せめて2段階くらいにならないものかとも思うのです。最初のくじ引きは、受験にかかるコストを考えて行われているのでしょうが、くじで「門前払い」よりは、受験料が上がっても試験くらい受けさせてもらいたいとう親だって多いような気もします。それにしても、子供にとっては、「クジで落ちる」のと「試験で落ちる」のと、どっちがショックが大きいのかなあ、とか、つい考えてしまう話ではありますね。

 ところで、ここで触れられている「バスの中でしてはいけないこと」っていう「マナーの問題」は、もし自分が実際に子供の頃に問われていたら、けっこう難しそうではあるんですよね。電車の中に比べて、バスは狭いし、「してはいけないこと」以前に、「バスの中でできること」そのものが少ないだろうし。「急に立ち上がらない」とか「騒がない」というような答えになるのかなあ。そもそも、こういう「問題」で小学校入学前の子供の「実力」がわかるのでしょうか?
 



2007年01月18日(木)
『女教師ツーウェイ』って、どんな雑誌?

『ダ・ヴィンチ』2007年2月号(メディアファクトリー)「北尾トロの人力検索エンジンBookgle」の「専門誌のおもしろ連載記事を探せ」(取材・文:北尾トロ)より。

【入手が難しそうなものは直販で、書店で買えそうなものはMも同行して、こんな雑誌があったのか、どういう人が読者なんだろう、そんな素朴な思いがこみあげるような雑誌を中心に集めてみた。『ラジオライフ』のような有名どころから、ミニコミ風の『月刊けしいん』までズラリ。入手した数十冊をテーブルに並べただけで、なかなかのインパクトである。
 専門誌には、市販され、部数もかなりある雑誌、市販されるが非常に狭い層に向けられた雑誌、研究色の強い学術系の雑誌という具合にいくつかの流れがある。今回は入手しやすい雑誌を中心にしたが、学術系雑誌にはテーマによってとんでもなくおもしろいものも。私は『神語り研究』っていうのを読んでいて、特集されていた”花祭り”というお祭りに、つい出かけてしまった。
「ボクは……誘われなかった」
「え、いや、気がついたら花祭りの現場にいたんだな。あとは踊りに夢中で……」
 それはともかく、見よこの豪華さを。洞窟専門誌の『ケイビングジャーナル』だろ、地すべりだけを追究する『日本地すべり学会誌』だろ、『月刊セキュリティ研究』に『エレベータ界』もある。そこまで絞り込んで大丈夫なのか。どんな企画が目白押しなんだろう。さらに『月刊食品工場長』も味わい深いぞ。食品工場じゃなくて工場長。人に光を当てたところがポイントだ。『セメント・コンクリート』『月刊むし』『きのこ』、ダンスレッスン誌『クロワゼ』もある。これらは一般の認知度こそ低いかもしれないが、目立たないところでがっちりと、業界関係者や趣味人といった固定読者をつかんでいるのだ。そのためタイトルも女性誌のようなイメージ先行のものは皆無。
「ボクはこの『現代農業』が気になりますね。文芸誌並みの分厚さで読み応えがありそうだ」
「私は『警察公論』を推したい。現職警察官や志願者が読むのか専門に特化した編集ぶりが潔いんだ。<職務質問の要領と着眼点>なんて記事、他ではまず読めない。付録も豪華だよ」
「お、『女教師ツーウェイ』って何ですか。明治図書出版だから教育誌でしょうけど、生徒ではなく先生が読む雑誌。表紙のイラストが個性的ですよね」
 ウルサい私とMを尻目に『きのこ』愛読者にして『月刊むし』にも愛着を持つ日高画伯は目尻を下げっぱなし。
「一般読者など眼中にない姿勢がたまりませんね」
 と『ケイビングジャーナル』を読み始めている。カメラの原田氏は迷うことなく『プチナース』から手に取った。】

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 『女教師ツーウェイ』なんてタイトルを聞くと、ちょっとアダルト系の妄想に浸ってしまいそうなのですが、実際は「授業で使えそうな学習ゲーム」が紹介されていたり、「女教師授業修業への道」なんて記事もあったりで、基本的には真面目な女性教師向けの雑誌みたいですちなみに『女教師ツーウェイ』はこんな本。まあ、中には「女教師は見た」なんていう、暴露系か?と思われるようなタイトルの連載もあるのですけど。

 『現代農業』は、病院で患者さんが読まれているのを見たことがあります。内容までは見ていないのですが、「農業」を題材にここまで分厚い雑誌があるのか……と、ものすごく驚きました。そういえば、僕が二十数年前に『マイコン雑誌』を始めて読み始めたころは、まだ一般的にはコンピューター誌は極めてマイナーな存在で、僕が立ち読みしていた『I/O』(アイ・オー)という雑誌を中年くらいのオジサンが手に取り、「なんだこの分厚い雑誌は……、イチ/ゼロ……?」と呟いていたのをよく覚えています。

 すごくマイナーな雑誌ではなくても、僕にとってはファッション誌とかティーン誌、ヤンキー系の雑誌などは、全くもって理解不能の世界ですし、結局のところは個人個人の趣味の問題で、「読んでいる本人にとってはメジャーな内容」なのですよね。
 そういえば、医学雑誌というのも本当に多種多様なものがあって、限られた臓器の珍しい疾患だけに特化した学術雑誌もたくさんあるのです。そんなの誰が読んでるんだ?と思うけれど、まあ、そういうのはもともと学会費を納めている会員向けのものなので、それでもなんとかやってはいけるみたいです。

 大きな書店に行って、日頃行かないコーナーを覗いてみると、本当にさまざまな「専門誌」があることに驚かされます。学校の先生とか農業従事者のような母集団が多そうな職種相手の専門誌ならそれなりにやっていけそうなのですが、『月刊食品工場長』なんて、あまりに読者層が限定されすぎていて、全国の工場長の8割くらいが読んでいないと廃刊になってしまいそう。

 まあ、読んでいる本人は意外とその「ものめずらしさ」に気づいていないのが「専門誌」ってやつなのかもしれません。客観的にみれば『癌の臨床』とか『プチナース』なんていうのも、いろいろと想像力をかき立てられそうなタイトルではありますし。



2007年01月17日(水)
田口壮選手の「マイナーリーグ生活の思い出」

「スポーツニッポン」2007年1月17日号の記事「THEインタビュー〜野球を愛する者として〜」の第7回・田口壮選手へのインタビューの一部です。聞き手は、スポーツニッポンの宮内正英編集委員です)

【宮内:1、2年目('02、'03年)はほとんどマイナー暮らし。苦しかった2A時代の話をぜひ聞かせてほしい。

田口:ニューへブンというところで、定年を迎えた夫婦がのんびり過ごす町、というふれこみだったんですが、行ってみるとお墓だらけ。町で一番いいというアパートを借りたら、ネズミの穴みたいなところから風がヒューヒュー入ってきた。夏なのに寒くて仕方ない。電気毛布を買ってきたのですが、ベッドもボロボロ。マットレスを床に敷いて寝てました。

宮内:天国(ヘブン)とはほど遠いところだね。球場は?

田口:芝はボコボコで、ナイターの時なんか、通路を人が通ると振動で電球が点滅してましたからね。みんな必死です。お金がないから、大半の選手はホームステイでね。「腐るなよ」と励ましてくれたGMが試合中はホットドッグを売っているんですから。誰でも経験できるけど、誰もしたくない経験をこってりさせてもらいました。でもね、最後にいい思い出をもらったんです。メジャーに昇格が決まった時、ファンに「今日本人が何人かプレーしているけど、彼らはメジャーでしかやっていない。2Aまで来たのはお前だけだ。そして今から上に上がっていく。だからひとつだけ言っておくよ。もうお前は輸入品じゃない。オレたちがつくったんだ。自信を持って行ってこい」と言われたんです。うれしかったですね。向こうはおらが村から何人メジャー選手が出るか、とひたすら楽しみにしているんです。

宮内:日本人だから得をするってことはないよね。

田口:それがあるんです。時間ですよ。日本人的な感覚では時間を守るのが当たり前。苦痛でも何でもない。ところが、彼らは集合時間を過ぎても来ないんですよ。だから時間を守っているだけで「ちゃんとしたヤツだね」と評価されるんです。これって得ですよね。】

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 田口選手の今期の年俸は9900万円。もちろん同世代の日本人のなかではかなりの高給取りではあるのですが、もし田口選手がずっと日本国内でプレーしていれば、この2倍、あるいはそれ以上の年俸をもらっていたかもしれません。渡米後の2年間、ほとんどマイナーリーグでプレーしていた田口選手はほとんど話題になることもなく、たまにその境遇を耳にするたびに、「日本にいればレギュラーだったのにねえ……」と僕は田口選手の「決断」の失敗を憐れんだものだったのでした。いくらアメリカに行っても、マイナー暮らしじゃどうしようもないだろう、と。

 でも、このインタビュー記事のなかの「マイナー生活」や、このインタビュー記事の他の部分にあった「ファームにいて通訳つきというわけにもいかないから」ということで独学でずっと英語を勉強してきたという話(一昨年のオフには、2ヶ月間家庭教師をつけてずっと勉強していたそうです)を読むと、田口選手は本当に2Aからワールドチャンピオンに至る、メジャーリーグの世界の裾野から頂上までを自分の足で歩いて登った唯一の日本人選手なのだということがよくわかりました。松坂選手みたいに、ヘリコプターでいきなりエベレストの頂上に乗りつけるような方法だって、ひとつの「登山」なのでしょうけど、この田口選手の歩みというのは、田口選手自身にとってだけではなく、日本の野球界全体にとっても貴重な経験だと思います。
 もちろん、田口選手がいくらハングリーなマイナー生活を体験したとしても、「今までの貯金」や「日本に帰るという選択肢」があるだけ、他のマイナーの選手たちとは、まだ「ハングリー度」は少なかったのでしょうけど、それでも日本から鳴り物入りでやってきたはずのスタープレーヤーにとっては、非常に辛い体験だったのは間違いありません。一年間で帰ってきた「ブランドの人」もいるくらいですし。

 「時間を守るというだけで、アメリカでは『ちゃんとしたヤツ』だと評価される」というのも面白い話でした。田口選手は、「外人であること」の辛さを実感しながら、自分の「日本人としての長所」を生かすことも忘れないタフな人でもあったようです。「これがアメリカ流だから」と時間を守らなくなる日本人だって少なくないはずなのに。

 あらためて振り返ってみれば、田口壮選手というのは、今までの日本人メジャーリーガーのなかで、最もドラマチックに「アメリカンドリーム」を実現した男なのかもしれませんね。



2007年01月16日(火)
角川文庫『夏の100冊』の恐るべき「影響力」

『本の雑誌・増刊 おすすめ文庫王国2006年度版』(本の雑誌社)より。

(「角川文庫『夏の100冊』ができるまで」という記事の一部です)

【さて、今回の取材の目的は、「夏100」ができるまでの過程を明らかにすることである。1973年、角川文庫は「夏の文庫フェスティバル」を開催。'79年には読書感想文コンクールを開くなどして、やがて新潮文庫、集英社文庫と合わせて3社が「夏100」と呼ばれるようになった。最近では各出版社の参入も相次いでいるが、やはり規模からいえばこの3社が圧倒的に強い。たとえば角川文庫の規模を販売部に訊いてみると……。
「およそ6000軒の書店さんで展開してもらっています」
 おお、ということは、全国の書店の数を約2万軒としてカウントすると、およそ3割の書店に「夏の100冊」がずらりと並んでいることになる。アトランダムにふらふらと書店に入れば、3回に1回は「夏100」に出くわす計算になるのだ。
 しかも書店へは「夏100セット」として卸されるのだが、このセットにはABCDの4種類があり、いちばん大きいAはなんと750冊! 大型書店の中にはAセットをふたつ注文し、さらに毎週のように追加注文で補充をするところもあるというから驚きだ(なんだかこう書くと大食い選手権みたいだ)。
 どうやら「夏100」は予想以上に大規模なフェアのようである。
「そうなんです。下手に新刊を出すよりもはるかに売れますから」
 出荷の規模は他のフェアのおよそ10倍だとか。いやはや、すごいですねえ。それは力が入るでしょう。
「ええ、もう年中、夏のフェアのことを考えてますよ」

(中略)

 さらに、「夏100」には、こんな効用も。
「『夏の100冊』に入れますから、という話を作家にすることで、作品を角川文庫に入れることを了承してもらったりするんだ」
 もともと、元版の時点で角川から出ている本は50〜60%程度。あとは角川以外の版元から出たものを文庫化するのだという。その際に、「夏の100冊」は作家に文庫化を認めてもらうための大きなアピールポイントになるのだ。なるほど!
「だから文庫本の編集者には、いかにいいものを外から持ってくるかという目利きの力も求められるね。自社のものは、雑誌から単行本、そして文庫化という流れがわかってるわけだから」
 また、「夏100」に入れるタイミングで、表紙を新しく変えることも多々あるという。文字を大きくしたり、あらすじを入れたり、解説を変えたり、年表を付けたり、といったマイナーチェンジをして、中高生が手に取りやすいよう工夫したり、逆に年配の方の支持を得られるようにもする。「夏100」は、様々な読者のニーズに応える願ってもないチャンスなのだ。

「『何年後に文庫になったら夏のフェアに入れられる』とか計算します」
 そう語る角川文庫販売部は、「ずばり『夏の100冊』のコンセプトは?」との質問にはっきり次のように答えた。
「角川文庫の代表選手を選びたい」
 新潮文庫にはまだまだ売上の面では及ばない(らしい)のだが、「うちはうちで、新しい、これからの『名作』になるような本を揃えていきたい。すでにそれだけのものが揃いつつあるなという自負もちょっとだけある」と抱負を語る。「『夏の100冊』で代表選手が売れてくれる、それが角川文庫全体の勢いにつながってくれると信じています」】


参考リンク:角川文庫「夏の100冊」
(蛇足ですが、参考リンクの「夏100」を眺めていて、「宮崎あおいさん、この仕事を引き受けたのなら、もうちょっと本を読んだらいいのに……」とか、ちょっと思ってしまいました)

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 「夏の100冊」といえば、1年中本屋に入り浸っている僕にとって「ああ、世間はそろそろ夏休みなんだなあ」とちょっと悲しくなる季節の風物詩なのですけど、「夏100」というのが、他の文庫フェアに比べて、ここまで突出した規模のものだなんて考えてもみませんでした。「出荷の規模は他のフェアの10倍」なんて!

 僕の今までの「夏100」への印象というのは、「中高生向けの歴史的名作や比較的読みやすい本が多めのフェア」で、「現在の人気作家の場合、『代表作』というよりは、初期の佳作が中心」というものでした。ひらたく言えば、「ちょっと若者向けだよなあ」とか「この作家だったら、あっちのベストセラー作品を選べばいいのに」という感じです。

 ちなみに「夏100」は、その年の9月には、もう「反省会」が行われ、11月に翌年のラインナップ原案が出て、2月にラインナップが確定するのだとか。実際は、「売っているのが夏」というだけで、ほとんど1年中「夏100」のためにスタッフは動いているのです。むしろ、「夏100」をやっている最中が、いちばん何も考えなくてもいい時期という感じなのかも。
 そして、「『夏100』に入れますから」というのが、作家への「殺し文句」になっているということからも、このフェアの影響力の凄さをうかがい知ることができますよね。

 参考リンクのラインナップを見ると、僕からすれば「こんな作品まで?」と思うものも含まれているのですが、実際はたくさんの角川文庫のなかから、選びぬかれた「精鋭」が、この「夏100」で、100冊のうちで売り上げの芳しくなかったものなど半数くらいは、毎年入れ替えられているそうです。選ばれるだけではなくて、生き残っていくのも大変みたいです。



2007年01月15日(月)
「この謎は難しすぎる!」とみんなに言わせる「究極のゲームバランス」

「週刊ファミ通・2007/1/26号」(エンターブレイン)のコラム「桜井政博のゲームについて思うこと」より。

(桜井さんが『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』を苦労して解きながら考えたこと)

【任天堂のデバッグ期間、通称”スーパーマリオクラブ”でのエピソードなのですが……。とあるゲームをプレイした人のレポートに、”この謎は難しすぎる”と書いてあったそうな。別の人も、”自分はクリアーできたけど、この謎は難しいです”というようなことを書いている。複数の人が”きびしい”を連呼しているので、もっとやさしくするべきかな? と考えた開発者。でも、気がつけばみんなノーヒントでクリアーしていたという。なんだかんだで、全員解けてるじゃん!
 行き詰まったらたちまち進めなくなるけれど、がんばればなんとかなるようにできている! めげそうなときも、そんなことを意識しながらクリアーしていました。

(中略)

 謎解き系のゲームに行き詰まったとき。仕掛けに気がつかないのは自分がゲーム下手なのではなくて、たまたま気がつかなかっただけ、そんなことを思いながら進めてもらいたいです。攻略サイトや攻略記事は時間の節約になっていいところもあるけれど、ゲームが漢字の書き取りのようになっていくのも忍びない。1本のゲームを新鮮な気持ちでクリアーできるのは、生涯でたぶん最初の1度だけ。
 苦戦するのは当然! がんばればできる! そう信じて、もうひと押しがんばってみてほしいです。】

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 僕はすでに『トワイライトプリンセス』挫折中なのですが、確かに、ゲームを制作している側からすれば、今みたいに発売直後から攻略サイトがどんどんできてしまうような時代というのは、やりにくいだろうなあ、と思うのです。すべての人が攻略サイトを見られる環境にあるわけではないだろうし、その一方で、あまりに簡単にしすぎてしまっては「やりごたえがない」とプレイヤーを落胆させてしまうし。いずれにしても、「最後まで攻略サイトを全く見ない(見られない)人」と「ちょっと行き詰まったら、すぐに攻略サイトを見に行く人」に対して、いずれも満足してもらえるくらいの「難易度調整」なんていうのは、本当に難しいことですよね。
 僕がこの文章を読みながら感じたのは、ここで紹介されている「どのテストプレイヤーのレポートにも”難しすぎる”と書いたあったにもかかわらず、みんな解けていた謎」というのが、まさに「ベストの難易度の謎」なのだろうなあ、ということでした。プレイヤーというのは繊細なもので、自分が解けないような謎は許せないけれど、誰でも解けるような謎に対しては「バカにされた」ような気分になるのです。そして、プレイヤーにとってもっとも理想的な謎っていうのは、「他の連中は解けないけれど、自分だけは解ける謎」なんですよね。「オレってすごい!」って優越感に浸れる謎。
 でも、そういう難易度設定というのは、個々のプレイヤーは「難しすぎる」とレポートしてくるものなので、多くのプレイヤーの感想の蓄積が必要となるわけです。さらに、テストプレイヤーたちと一般プレイヤーでは、基本的なゲームに対する慣れや熱意が違うでしょうから、「万人受けする、適度な難易度のゲーム作り」というのは、まさに至難の業だといえるでしょう。
 この話を読んでいて、僕は『ドラゴンクエスト2』で「すいもんのカギ」を持って隠れていた「ラゴス」というキャラクターのことを思い出しました。『ドラクエ2』が流行っていた時代、「ラゴス」がどこにいるのかわからなくて行き詰まった人がたくさんいたのですけど、僕はほとんど迷うこともなくラゴスを発見したのが、当時はちょっと自慢だったのです。あの頃はまだ、そういうひとつの謎解きの答えが、何ヶ月間も話の種になるような時代でした。
 おそらく今だったら、ラゴスの居場所がすぐにわかっても、みんな「攻略サイトで見てしまっている」ので、何の自慢にもならないでしょう。もしかしたら、それが「難所」として話題になることさえ、なかったかもしれません。そして、攻略サイトを見ながら「簡単すぎる!」と叫ぶプレイヤーたちのために、やたらと時間と手間がかかり、攻略サイトを見ないと解けないような謎解きや「究極の武器」「隠しダンジョン」が粗製濫造されていくばかり。
 それでもやっぱり、一度攻略サイトを見ることを覚えてしまうと、なかなか「自力で最後までがんばる」ことができなくなってしまうんですよね。なんだか、迷っているのがものすごく時間のムダのように思えてしまって。
「こんなのわかるか!」と吐き捨てたくなるような謎でも、何時間かがんばれば自力でクリアできていたのかもしれないのに。



2007年01月12日(金)
「同窓生5人だけの非公開BBS」への憧れ

「週刊アスキー・2007.1/9・16合併号」(アスキー)の「今週のデジゴト」(山崎浩一著)より。

(「mixi疲れ」「ブログ疲れ」についての話を受けて)

【最近、幼なじみの友人が自前のサーバーを使って運営している非公開BBSに誘われた。インディーズ系SNS……というより、ようするに昔懐かしいパソ通フォーラムみたいなものである。メンバーは小学校〜高校を通じて仲の良かった、しかし最近疎遠の同窓生5人のみ。
 話題はもっぱら「今だから話せる修学旅行のあの事件の真相」だの「女子更衣室で見た×子の××」だの「30年後のこの人はだれでしょう?」だの「実は俺、卒業してから△子と付き合ってた。ほれ画像」だの、実に他愛もないガキ時代の記憶のディテール検証ばっかし。『20世紀少年』の世界だ。
 でも、これが楽しいのである。原っぱの秘密基地で密談してるみたいで。気兼ねも気後れも気疲れも不要だ。互いにプライバシーをあまり積極的に晒しはしないが、訊かれれば隠しもしない。
 パソ通時代と違い高速大容量なので、画像や動画も貼り放題。秘密クラブの秘密映像鑑賞会の趣もある。しかも全員きわめてマイペースなので「遅レスごめん。出張行ってた」、「すまん。年末進行だった」と忘れた頃に返事が来る。だからなかなか飽きないし疲れない。
 なんというか、すべてがそこそこでほどほどという実に絶妙な距離感で、コミュニケーションとテクノロジーが保たれている。
「なんだ。その程度のことは既存のSNSだってできるし、現に俺はとっくの昔からやってるぞ」と言われそうだが、それならよいのである。大切なのは、どのシステムを選ぶかではなく、だれとどう関わるか、なのだから。】

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 僕はこの「同窓生5人による非公開BBS」を、こういうのだったら楽しそうだなあ、と思いながら読みました。昔の知り合いと話をしていて面白いのは、やっぱりこういう「今だから話せる真相」ですしね。まあ、ときには「憧れてたA子とBが付き合ってたなんて……」と、20年くらい前の自分に戻って落ち込んでしまったりもするのですけど。
 僕はパソコン通信の経験はありませんが、昔よりはるかに簡便・高機能なはずの「みんなが入っているmixi」とか、「どこから叩かれるかわからないブログ」に対して疲れてきている面があるのは事実です。仲間内だけでささやかに盛り上がろうと思ってはじめたはずの「mixi」にも、読んでいる人の顔がある程度見えるから安心できる部分と、「こんなことを書いたら、あの人は不快に思うかもしれないな……」と書くことをセーブしてしまう部分の両方があるんですよね。何百人もの「マイミク」を抱える人なんて、結局のところ、読んでいる人それぞれの顔を思い浮かべてしまったら何も書けないだろうから、「限定公開のブログ」みたいなものでしょう。もちろん、それが「悪い」ということではないのですが、ブログから逃げ出してきたにもかかわらず、mixiのなかでも「読んでいる人が少ないだけのブログ」を作ってしまうのです。
 ただ、実際にやっていると「マイミクが少ない自分」に耐えるのはなかなか難しく、とにかく友達を増やしてしまいたくもなるのです。考えてみたら、「友達の人数が常に表示されているプロフィール」って、すごいですよね。もし現実世界で自分の顔に「友達の数」が表示されてたら、恥ずかしくて外に出られないかもしれません。それで、ついついいろんな人を「仲間」にしてしまったために、mixiのなかでも八方美人的にならざるをえなくなる人も、けっこう多いみたいです。「マイミク内マイミク機能」が実装される日も遠くないのかも。

 しかしながら、「昔はよかった」と溜息をつきながら読んでいた僕は、最後に山崎さんが書かれていたことを読んで、なんだか悲しくなってしまいました。
 そうなんですよね、「同窓生5人だけの非公開BBS」というのは、今のシステムがあれば(あるいは、mixiのシステムを利用しても)、簡単に実現可能なことなのです。問題なのは、ネットの世界の常識が変わってしまったことよりも、僕にそういう友達がいないということ、そして、そういう緩やかなコミュニケーションに、あまり価値を見出せなくなってしまったことなのですよね。

 悪いのは、mixiじゃなくて、僕の過剰な自意識と人間関係の希薄さなのか……



2007年01月11日(木)
勇者「ロト」の背徳的な「伝説」

『飛びすぎる教室』(清水義範[著],西原理恵子[絵]・講談社文庫)より。

(清水さんが「旧約聖書」のさまざまなエピソードについて書かれた章の一部です)

【その次に登場するのが、イスラエル民族の父祖とされているアブラハムである。だが、アブラハムの話の前に、彼の甥のロトの話をまとめておこう。それが、ソドムとゴモラの話である。
 ロトと妻と二人の娘は、ヨルダン川に近いソドムの街に住んでいた。ところが、ソドムとゴモラ(ゴモラがどういう街なのかはほとんど語られない。ただ、二つでセットにして語るのだ)の街は、人々が享楽に走り、退廃しきっていたので、神はそこを滅ぼすことにする。ただし、ロトとその家族は正しい人だったので、使いをやって、街から逃げろと伝える。決して街のほうを振り返らずに逃げろと。
 やがてソドムとゴモラにタールと硫黄が降りそそいで街は全滅する。その時、ロトの妻はつい振り返ってしまい、たちまち塩の柱になってしまう。
 その話をロバート・アルドリッチ監督が映画化したのが『ソドムとゴモラ』だ。ロトを演じたのがスチュアート・グレンジャーだった。
 ソドム、と言えばキリスト教徒にとって淫らな街、という意味だ。だから、ソドミーという言葉があって、男色、少年愛、または獣姦の意味である。
 ところが、映画には描かれていなかったが、その後、ロトの二人の娘は、この地には私たちの夫となる人がいないから、お父さんと寝て子を作りましょう、と相談し、父に酒を飲ませて順に子をもうけるのだ。性的に乱れてないから神に助けられた者だというのに。
 とにかく、ロトの娘、と言えば近親相姦者という意味である。】

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 「ロト」と言えば、「ロト6」か、あの『ドラゴンクエスト』の伝説の主の「勇者ロト」が思い出されます。おそらく、『ドラゴンクエスト』の「ロト」は、シナリオを書いた堀井雄二さんがどこかで聞いた名前をつけたものだと思うのですが、堀井さんは、旧約聖書の「ロト伝説」をどこまで知っていたのでしょうか。

 もしかしたら『ソドムとゴモラ』を観ただけで、その後のロト一家については知らなかったのかもしれませんし、『ドラゴンクエスト1』では、「伝説の勇者」として名前だけが出てくるような存在でしたから、あまり深く考えずに語感だけでつけてしまったかもしれません。まあ、これはあくまでも「旧約聖書に書かれているエピソード」ではありますし、当時の倫理観や「誰もいないところに父親と娘が二人」というシチュエーションで、そのまま「滅亡」を選ぶのか、それとも「近親相姦」を選ぶのかというのは、どちらが正しいとかいえるような話ではないのですけど。

 でも、こういうのを読んでしまうと、「『勇者ロトの血を引くもの』っていうことは……」とか、2007年に生きる僕としては、ちょっと考えこんでしまうものではありますね。「歴史(それも「史実というより神話」)は歴史、ゲームの世界はゲームの世界」であって、名前の一致になんて、あんまりこだわらなくてもいいのかもしれませんが、こういうのって、知ってしまうとちょっと気になる話ではありますよね。



2007年01月10日(水)
明石家さんまの「トーク番組のルール」

「日経エンタテインメント!2007.2月号」(日経BP社)の「テレビ証券 vol.83」より。

(バラエティ先読みの「企画千里眼」こと草場滋さん、マイナー銘柄発掘の「青田の貴公子」こと津田真一さん、底値買いの「ドラマ王」こと小田朋隆さんの3人の対談形式によるテレビ番組評のコーナーの一部です。明石家さんまさんの「トークへのこだわり」について)

【津田:『さんまのまんま』なんて、ゴールデンに上げようとした編成の話を断ったくらいだもんね。

小田:関西のゴールデンで30%台をたたき出していた80年代後半ごろの話か。でも、それくらい番組づくりは単純に視聴率の論理じゃない。あのとき『〜まんま』を関東でもゴールデンに上げていたら、今も番組が続いていたかどうか…。

草場:今や1000回だもんね。さんまさんが今もバラエティの第一線でいられるのは、『〜まんま』があるからといっても過言じゃない。タモリさんにとっての『タモリ倶楽部』、ダウンタウンにとっての『ガキの使い』みたいなもので、いわば「ホームグラウンド」。帰れる場所があるから他の番組も続けていられる。

小田:そう考えると、レギュラーは多いけど、その種のホームグラウンドのない爆笑問題がちょっと心配。あのたけしサンも『オールナイトニッポン』を降りてから、バラエティは一段落しちゃった感があるからね。

指南役:話は戻りますが、『さんまのまんま』が長く続いていられる要因は何でしょう?

津田:やはり、さんまサンのトークへのこだわりでしょう。絶対にテロップを入れさせない、台本を作らない、あらかじめゲストの情報は仕入れないといった、さんまサンならではのルールが一貫している。

草場:特にテロップを入れさせないのは、さんまサンのトークに対する真剣勝負の表れだね。事前に十分なネタを仕込む紳助さんとは真逆の発想だけど、それだけ予定調和じゃない、一瞬、一瞬のトークを大事にしている。また、そういう努力を一切表に見せないのも、さんまサンの魅力。

津田:数あるトーク番組のなかでも、ゲストが最も素になりやすいのが『〜まんま』と言われるくらいだからね。何せ女性ゲストが最も泣くのもこの番組(笑)。】

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 僕の済んでいる地域では、長い間『さんまのまんま』をゴールデンタイムに放送していましたので、関東ではそんな夜中にやっているんだ……ということに、むしろ驚いてしまいました。
 それはさておき、ここで語られている「明石屋さんまのトークへのこだわり」を読んであらためて考えてみたのですが、今の「テロップが出ない、トーク主体の(録画の)バラエティ番組」って、『さんまのまんま』と、大御所『徹子の部屋』くらいのものですよね。どのような形で出すかにはそれぞれの個性があるのでしょうが、確かに「テロップが出ない番組」のほうが、いつのまにか少数派になってしまっているのです。バラエティではないのですが、最近ではニュース番組でもちょっと言葉が聞き取りづらいくらいのお年寄りのコメントにも、テロップを全部つけてくれるという大サービスっぷり。僕があのおじいちゃんだったら、「お前の言っていることはわからない」とテレビに宣告されているようで、情けないし、悔しいだろうなあ、と思うのですが。

 そもそも、お笑いのネタなどでは、芸人がそのネタをどんなふうに「自分の言葉で表現するか」というのが大事なはずです。喋りを耳で聞かせるのではなく、目で見るだけでわかるようにテロップを流されるのは、一種の「価値破壊」みたいなものではないでしょうか。「聴覚」に訴えるはずの「芸」が、「視覚が主体」にされてしまうわけですし、テロップさえ出れば、滑舌の悪さや表現力の無さも覆い隠されてしまいますし。
 ただ、一視聴者としては、テロップというもののありがたさを感じることがあるのも事実なんですよね。あれが出ていれば、そんなに耳をそばだててネタを聞くことに集中しなくてもいいので、何か他のことをやりながら片手間に観るにはちょうどいいのです。「面白いところ」を番組側が指定してくれるわけですから、そこで笑っておけばいいし。まあ、「笑うところくらい、観てるほうに決めさせてくれ……」って気もしますけどね。

 さんまさんは、よっぽど自分のトークに自信があるからこそ、「テロップを入れさせない」ことができるのでしょう。「台本を作らない」「あらかじめゲストの情報は仕入れない」なんていうのも、一般的に言われている「良いインタビューの基本」とは全く正反対で、万人向けとは言い難い。「明石家さんまだからこそできる」なんだよなあ、きっと。

 それにしても、「ゲストが最も素になりやすいトーク番組」である『さんまのまんま』と、「ゲストが最も素から遠いところにいるようにみえるトーク番組」である『徹子の部屋』が、ともに数少ない「テロップを使わないトーク番組」であるというのは、なんだか興味深いですね。



2007年01月09日(火)
ゲーム業界における『●ィズニー病』の蔓延

『CONTINUE Vol.31』(太田出版)の連載コラム『がぷ式』(がっぷ獅子丸著)より。

【そういやゲーム業界には、毎年誰かが感染する『●ィズニー病』というモノがありますな。浦安のアレについては、それこそいいオネーさんなどの熱心なマニアが沢山おりますけれども、こと日本のゲームに関してはいや〜正直アカンすね。この辺のメイン対象は就学前のお子チャマで、この頃の子供はそもそも商品購入の決定権がないので、親が買い与えたいモノという意向が強く売り上げに反映されコンテンツに毒がないから親は安心してなんとなく●ィズニーという雰囲気を醸しますが、物心ついた瞬間チビッコの興味は戦隊モノとプリキュアが現実なので、商品としてのシズル感がないコンテンツは反応が極めて薄い。私なりの計算によると、●ィズニー物の成功率はというと軽く1割を切り、パチンコだったら店ごと燃やすほど。
 普通の感覚ならこんなバクチには手を出さないモンですが、なぜか毎年どこかのゲーム会社が版権を取得してリリースし、いい確率で玉砕します。過去の販売本数を調べれば、あまり手を出したくなるようまタイトルでもないンですが、この辺の傾向について身近を調べていくと、●ィズニー版権を買ったメーカーは、その時期に社長、もしくは幹部に小さい子がいるケースが非常に多いンですね。子供がそのくらいの歳だと、親が●ィズニーに注目し目の前に沢山のグッズが溢れ自然と洗脳されてゆくンでしょうね。
 その昔、在籍していた会社で社長様の子供がそのくらいのときで、いきなり●ィズニー映画の版権を持ちかけてきましたっけ。マ全力で阻止しましたが。この症状は一過性なので子供が大きくなると我に返るようです。】

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 最初に、ここで使われている「シズル感」という言葉について説明しておきます(僕も今調べました)。『ほぼ日刊イトイ新聞』の「オトナ語の謎。」には、
【これまた学生諸君には説明しづらい言葉である。
 ようするにアレだ、ステーキを思い浮かべてみたまえ。
 焼きたてのステーキを思い浮かべてみたまえ。
 それは、ジュージューしているだろう?
 その「ジュージュー」がシズルだ!!
 その「ジュージューしてる感じ」がシズル感だ!!
 つまり、訴求すべき対象者に、
 そのものの持つ「ジュージューしてる感じ」を伝えて、
 お客さんを「そそらせる」ことが、
 「シズル感を出す」ということなのである。】
という記述があり、要するに「実物がそこにあるような感じ、臨場感」とか「リアリティ」のようなもののようです。確かに、僕が物心ついたときくらいの記憶をよみがえらせてみても、ミッキーマウスよりも「戦隊モノ」のほうに「臨場感」を感じていたのです。だって、「ミッキーマウスごっこ」なんて、しようと思ったことはないものなあ。じゃあ、「プリキュア」と「●ッキーマウス」のどちらに「シズル感」が?と問われると、今の僕には、どっちもあんまり変わらないような気もするのですけど。
 物心ついたくらいの子供にとっては、「キャラクターとしての●ッキーマウスの魅力」というのは、ちょっと伝わりにくいのではないかと思われます。実際に目の前で動いている特撮やアニメのキャラクターと比べると、ちょっと抽象的・記号的な感じだし、物心がついたばかりのくらいの子供にとっては、優等生すぎて、あまり魅力的なキャラクターでもないんですよね。
 その一方で、「記号的」だからこそ「かわいいものの象徴」として、大人たちには愛されているのですけど。
 この文章では、『●ィズニー病』によって毎年つくられる『●ィズニー関連ゲーム』について書かれているのですが、少なくとも日本市場においては、●ィズニーのキャラクターたちの知名度や版権使用料を考えれば、「成功した」と言えるようなゲームは、『キングダム・ハーツ』シリーズという大ヒット作を除けば、セガのメガドライブ時代に何本かあったくらいです。その他は、軒並み「枕を並べて討ち死に」という状態。にもかかわらず、●ィズニーのゲームは毎年リリースされ続けているんですよね。
 どんなに「ゲーム会社の偉い人が、自分の子供に遊ばせたい」と思って「良心的な子供向けゲーム」をつくっても、子供たちにとっては、まさに「子供騙し」にしか思えなかったりするのでしょう。
 親が「子供に遊ばせたい」と思うようなゲームは、子供たちにとっては、あまり魅力的なものではないことのほうが多いのです。とはいえ、この『●ィズニー病』は、これからもそう簡単には根絶されそうもないですね。



2007年01月08日(月)
長く仕事をしている割に人気の出ない漫画家の「悲劇的な傾向」

『出版業界最底辺日記』(塩山芳明[著]・南陀楼綾繁[編]、筑摩書房)より。

(「2003年11月×日」の記述より。長年の「エロ漫画下請け編集者」としての経験から、「人気の出ない漫画家の傾向」について書かれたものの一部です)

【長く仕事してもらってる割に人気の出ない漫画家には、ロリ&劇画を問わず一定の傾向が。当人達は漫画を描くのが好きで仕方ないらしいのだ。だから決して手抜きはしない。しかし、読み手の立場が頭にないので、努力が明後日の方向へ脱線。(多分、一般漫画はともかく、同業者の漫画もまず読んでない)読者がエロ漫画を読む際に一番気にする、キャラの色気、SEXに至るまでの説得力、体位等のリアリティに工夫をせず、登場人物の数をやたらに増やしたり(描き分けられぬのに)、無意味な場所移動を繰り返したり(ストーリーが混乱、濡れ場が減るのみ)、ささいなネームに凝ったり。(誰も読んじゃおらん)
 どの編集部も何人か抱えてるはずだが、漫画屋の場合、鬼姫、ブランシェア、花村れいらが代表。折りを見て説教しているが、いつの間にやら元のタッチに。彼等はいずれも”マジメな努力派”。むげにも打ち切れずに来たが、誰から見ても下手糞な連中より、このタイプに必要以上のページをさく方が、雑誌は廃刊に追い込まれる。(俺も”マジメな努力派”。だからついズルズルとね。テヘヘヘ)】

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 ここで塩山さんは「長く仕事をしている割に売れない漫画家」について描かれているのですが、これって、「漫画家」に限った話ではなさそうです。箸にも棒にもかからない、やる気もなければ締切りも守らないような漫画家であれば、少なくとも「長く仕事をする」こともできないでしょうけど、「マジメな努力派」にもかかわらず、その「努力」のポイントがズレてしまっているというのが、「長続きする割には売れない漫画家」になるための条件のようです。確かに、雑誌の制作側にとっては締切りは守るしマジメにやっているし、なかなか「切れない」存在ではありそうですよね。一緒に仕事をしていたら、情だってうつるでしょうし。でも、それでなんとか「食いつなげてしまう」からこそ本人にとっては、なかなかキッカケがつかめずに同じ失敗を繰り返してしまう面もありそうです。こういう「マジメな努力派」は、けっこう応援してくれる人が周囲にいるものだし。

 これを読んで感じたのは、そのような「マジメな努力派」の人たちには、「思い入れが強すぎて、自分を客観視できないタイプの人が多い」ということでした。自分にとっての「好きなこと」「正しいこと」にこだわりすぎるあまりに、自分の作品が読者にどんなふうに見えているのか、あるいは、今の時代のニーズに合っているのか、というようなことを考えられないんですよね。そういう点では、「仕事として売れるマンガを描く」と割り切れる部分を持っている人のほうが、成功しやすいのかもしれません。

 しかしながら、こういう「マジメな努力派」というのは、「自分はこんなに頑張っているのだから」というのが自分への言い訳になってしまって、なかなか世間に妥協することができず、周りも努力はしていることを知っているため、なかなか面と向かっては責められないのです。「どうしてこんなに頑張っているのに、売れないんだろう?」と悩んではみるけれども、そこで努力する方向がやっぱりずれていて、「描き分けもできない登場人物の増加」や「ストーリーの煩雑化」で、さらに自分の首を絞めてしまうのです。
 もちろん、芸術や研究の世界では、こういうタイプの人がツボにはまって大きな仕事をすることも少なくないので(そういう人の絶対数からすれば、「成功」できる可能性は非常に低いとしても)、「妥協する」ことが必ずしも正義だというわけでもないのですが……

 「その仕事が好きであること」「手抜きをしないこと」というのは、仕事を続け、成功していくための大事な条件ではありますが、逆に「マジメな努力家だからこそ陥りやすい落とし穴」というのも存在するのです。ただ、こういう「傾向」って、多くの場合、わかっていても、本人にとってはどうしようもない場合もあるんですよね。僕も「マジメな空回り派」なので、彼らの気持ちもわかるのです。「こんなにマジメにやっているのだから」っていうのは、けっこう強力な、自分への免罪符なんだよなあ。



2007年01月06日(土)
『タモリのボキャブラ天国』が壊した「お笑い界のベルリンの壁」

『hon-nin・vol.01』(太田出版)より。

(「『テレビ』と『本人』の距離」というタイトルの松尾スズキさんと太田光さんの対談の一部です)

【松尾スズキ:そうだ、これ訊こうと思ってたんだけど、芸能界って好き?

太田光:たぶん好きですね。芸能界での付き合いみたいなのは一切ないんですけど、この仕事は好き。

松尾:僕は芸能界が好きじゃないんですよ。

太田:でしょうね(笑)。

松尾:すべての事務所が解体して、連邦共和国みたいになってくんないかなー。

太田:事務所がダメなんですか?

松尾:映画監督をやり始めて分かったんだけど、キャスティングのバランス感覚がすごく難しい。「○○は□□という事務所を飛び出したやつだから、××とは恋人役ができない」とか、「△△はまだ若手だから恋人役の◎◎とは釣り合わない」とか、いろんなパワーバランスを考えなくちゃいけなくて、メチャクチャややこしい。お笑いの世界は役者の世界と違って平等にワイワイやっている感じがするけど。

太田:でも、それは最近の話で、オレらの若い頃はまだ事務所の垣根は越えられない感じがありましたね。もともとは『タモリのボキャブラ天国』がきっかけで、あれって最初は芸人の番組じゃなかったから事務所的にノーマークだったんですね。だから吉本興業の芸人も平気で出ていて。それまでは東西の芸人が同じ番組に出るなんてありえなかったんです。オレがいくら騒いだところで、絶対にオレらとナインティナインが共演することなんてなかったんです。ところが、『ボキャブラ天国』はもともと番組内のワンコーナーだったんで、いろんな事務所の芸人が混じっていて、そのあたりから徐々にゆるくなってきたんだと思うんです。

松尾:今は観ていると、事務所の壁なんて関係ない感じがしますもんね。

太田:お笑いの世界では、いくら事務所が強くても、その場で笑いをとれなければダメなんですよ。客にウケなければ「こいつ、つまんねえ」という明らかな証拠が出ちゃうから。本番までにどれだけ事務所間で駆け引きがあったとしても、最後は芸人同士の勝負になる。でも、俳優の場合、ハズしたのかどうかよく分かんないじゃないですか。

松尾:まあ視聴率という結果は出ますけど。

太田:ただ、たとえば、上手いか下手かで言うと伊東美咲は演技下手なのに、視聴率を取るから「大女優」ということになるけど、お笑いは視聴率を取ってもつまんなければ「あいつはつまんねえ」って平気で言われちゃう世界ですから。それに芸人の場合、本人が一番ハズしたことを分かっていたりするから、それほど勘違いすることもないし。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「映画って、どうして同じような役者の組み合わせばっかりなんだろう?」と僕は日頃から疑問に思っていたのですが、「客が呼べる人が少ないから」という理由のほかに、「事務所からの圧力」というような理由もあったんですね。映画監督といえば、その映画に関しては絶大な権力を握っているようなイメージがあるのですが、この松尾スズキさんの話によると、実際はそんなに自由なものではないようです。むしろ、パズルみたいというか……

 これは、松尾さんと大田光さんが「映画」と「お笑い」の世界での「事務所の力」について語っておられるのですが、僕がこの中でいちばん驚いたことは、「お笑い」の東西の垣根が低くなったきっかけが、あの『タモリのボキャブラ天国』だったということでした。僕も『ボキャ天』を全盛期はほぼ毎週観ていて、今から思い出すと爆笑問題を知ったのもあの番組だったのですけど、番組自体は視聴者からの投稿作品がメインでした。そして、「ボキャブラ発表会・ザ・ヒットパレード」という番組の1コーナーで、爆笑問題をはじめとする若手お笑い芸人たちがネタ比べをやっていたんですよね。ただ、1つのコーナーといっても、のちには番組の看板になるほどの人気を誇ってはいたわけですが。
 ちなみに、このコーナーに登場していた芸人さんには、爆笑問題のほかに、ネプチューン、キャイーン、出川哲朗、ネプチューン、ココリコ、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、山崎邦正、ロンドンブーツ1号2号、アリtoキリギリス、アンタッチャブルなど、今でも(というより、当時より「大物」になって)活躍している人がたくさんいます。これを書くためにあらためて調べてみて、「こんな人も出ていたのか……」と驚いてしまいました。 その一方で、あの番組では活躍していたのに、「消えてしまった」人もたくさんいるんですけど。

 当時は「いろんな若手芸人がいるんだなあ……」というくらいのもので、あの番組が「東西のお笑いの壁を壊すきっかけになった」なんていうことは全く考えてみたこともないのですが、そういえば、あのコーナーって、芸人さんが登場するときのテロップで名前の後に(浅井企画)みたいに、所属事務所名も出ていたんですよね。僕は「なんでそんなの表示する必要があるんだろう?」と疑問だったのですが、制作側にとっては密かなアピールだったのでしょうし、見る人が見れば、「あの事務所の芸人と、この事務所の芸人が一緒の番組に!」と驚いていたのかもしれません。
 各事務所が有望な新人を出していたのでしょうから、結果的にあの番組の「卒業生」たちに売れっ子がたくさん出たのは必然なのかもしれませんが、この太田さんの話を読むと、「東西交流」(あるいは競争)に参加したというのは、彼らにとって非常に大きな影響を与えたのではないかという気がしますし、同時代の他の芸人のなかから「頭ひとつ抜け出す」ことができた要因のひとつとも言えるのではないでしょうか。

 僕たちが何も考えずに笑いながらテレビを観ていたその陰で、お笑い界の「歴史的変革」が、静かに起こっていたのです。



2007年01月04日(木)
池田秀一さんと”シャア・アズナブル”の「めぐりあい秘話」

『シャアへの鎮魂歌〜わが青春の赤い彗星』(池田秀一著・ワニブックス)より。

(シャア・アズナブル役の声優・池田秀一さんが語る「シャア・アズナブルになったきっかけ)

【松浦さん(音響ディレクター・松浦典良さん)が、『機動戦士ガンダム』のオーディションで、僕にアムロ・レイ役を振って来たのは、『次郎物語』当時のイメージが頭にあったからなんだと思います。内気で多感な少年・アムロを、次郎を演じた僕になら、もしかしたら出来るかな? と考えていたのかもしれません。しかし、すでにそのとき、僕は28歳になっていましたので、16歳の少年を演じるのには抵抗もあります。
 僕としては消極的なオーディションであり、もっぱら関心は後の飲み会でした。
 僕が呼ばれたのはその日の最終テストの時間でした。当時、松浦さんが所属していた事務所には、簡単なスタジオスペースがあり、その日も何人かの声優がオーディションを受けに来ていたはずですが、僕が着いたときにはもう誰もいなくなっていました。僕は落ちることを確信しながらオーディションを受けていましたし、僕のそんな心情を察してか松浦さんも「まあ仕方ないだろうな」くらいな感じで苦笑しながら、いくつかのセリフのボイステストを録り終えました。
 煙草を吸いながら、松浦さんが帰り支度をするのを待っていると、応接テーブルの上に番組資料が置かれているのが目に止まりました、特に興味があったわけではないのですが、手持ち無沙汰でもあったので、見るとはなしにパラパラとめくっていました。そのとき、キャラクターの設定イラストに目が止まったのです。

 安彦良和氏の手による、柔らかな描線のキャラクターたちは、えも言われぬ色気と存在感を醸し出していました。
 マンガやアニメには門外漢の僕であっても、安彦さんの描かれるキャラクターたちが、これまでのアニメには存在しない斬新なものであることはすぐに理解しました。今にも紙から飛び出してきそうな躍動感と立体感を持っており、僕は一瞬で安彦さんの描くキャラクターの虜となってしまいました。安彦さんの絵は、僕の知っている漫画や劇画、アニメの絵のどれにも当てはまらない、全く新しい感覚のリアリティを感じさせてくれたのです。
 特にその中でも、仮面を被った青年将校のキャラクターの絵に、僕の目は釘付けになっていました。彼には他のキャラクターとはまた違った、気品と風格を感じます。彼の表情や立ちポーズのイラストを見ていると、自然と僕の中に「コイツならこうしゃべるんだろうな」とか「こんな感じの物言いをするんだろうな」というインスピレーションが膨らんで来ます。

 彼の名は、シャア・アズナブル――。

 僕はミキサールームの扉を開け、何やら作業をしていた松浦さんに声をかけました。

「あのう、この『シャア・アズナブル』ってキャラクターのテストをやらせてくれませんか?」
「えっ? まあいいけど……」

 松浦さんにしてみれば、アニメに対して消極的だった僕が、自ら率先してキャラクターのオーディションを受けると言ったことも意外だったらしく、それならばちょっとやってみようということで、僕のボイスサンプルを録ってくれました。確か、セリフは第1話のシナリオからの抜粋だったと思います。
 松浦さんと2人で事務所の外に出ると、辺りはもうネオンが花盛りになっている時間です。松浦さんと僕は、近所の居酒屋に入り、しばらくは世間話をしながら酒を酌み交わしていました、
 今日のオーディションのことは、話題にも上りません。
 そうして小1時間程も経った頃でしょうか、松浦さんが突然ポツリと言い出します。

「秀ちゃん、シャアを演ってみない?」

 もちろん僕に異存はありません。

「いいんですか?」
「よし、決めた!」

 これが僕と「彼」、シャア・アズナブルとの永い付き合いの始まった瞬間です。自分自身で振り返ってみても、「まるでドラマだな」と思いますが、これが僕と「彼」との出会いの真実です。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この『シャアへの鎮魂歌』という本では、シャア役の池田秀一さんの半生とシャアとの出会い、そして、シャアというキャラクターにまつわるさまざまなエピソードが語られています。
 子役として「顔出し」(実際に画面に顔が出る役者のこと。声だけの「声優」と比較して使われる用語)の俳優であった池田さんは、もともと「声優」という仕事にあまり乗り気ではなく、アニメの声優に対しても、あまり積極的ではなかったそうです。それが、顔見知りの音響ディレクターの松浦さんに声をかけられ、「とりあえず参加するだけして、終わったら松浦さんと飲みに行く」つもりだったオーディションで、この「運命の出会い」があったのです。
 しかも、池田さんが受けたオーディションは、シャアではなく、アムロ・レイ役のもので、その場で見つけた番組の資料で安彦良和さんのシャアの絵を観て、シャアのキャラクターに強く惹かれたため、自ら申し出てシャアの声のオーディションを追加してもらったというのですから、人間、意外なところに縁というのはあるものなのでしょうね。実際は、シャア役はこの時点ですでにほとんど決まりかけており、松浦さんは池田さんをシャア役にするのに、陰でかなり苦労されたそうなのですけど。

 日本のアニメのキャラクターのなかで、「シャア・アズナブル」ほどの声の人気と知名度を誇るキャラクターは、ほとんどいないと思います。あえて言えば『ドラえもん』くらいのものでしょうが、ゴールデンタイムに移行してからでさえ25年以上の長さを誇る『ドラえもん』に比べれば、本放送では視聴率低迷のため予定の1年間すら続かなかった『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルの人気と知名度は、考えてみれば本当に凄いものですよね。でも、小学生の頃に『ガンダム』を観た僕たちにとっては、いちばんカッコいいのは、やっぱり「赤い彗星」だったんだよなあ。「ガンダムごっこ」でも、一番人気はいつもシャア。
 「坊やだからさ……」とか「いい女になるのだな。アムロ君が呼んでいる」なんて、小学生がカッコつけて真似している姿は、今から考えれば噴飯ものではありますが、当時の僕たちは、本気でシャアに憧れていたのです。
 ちなみに、池田さんは、シャアのイメージを大事にするために、あえてファンに愛想良く振る舞ったりしないように心がけていたそうです。「シャアというのは、気軽に自己紹介をしたり、にこやかにファンにサインをしたりするような人間ではないから、そのイメージを壊したくない」ということで。
 結果的に、池田秀一さんは「シャア役の声優」として世間に知られることになり、僕などは池田さんの顔写真を見て、「この人が、あんなにカッコいい声を出せるのか……」と失礼なことを思ったりもしたのですが、もし、このときシャア役が他の声優さんになっていたら『ガンダム』がこんなに成功していたかどうかわかりませんし、池田さんの人生も大きく変わっていたことでしょう。『機動戦士ガンダム』が、ここまで歴史的な作品になるなんて、当時は誰も予想していなかったと思われるので、この出会いは『ガンダム』にとっても池田さんにとっても、まさに「運命的」なものだったのかもしれませんね。



2007年01月02日(火)
山本モナバッシングと日本社会の「息苦しさ」

「活字中毒R。」2006年総集編はこちらからどうぞ。

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「週刊SPA!2006.11/14号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・592」より。

【気がつくと、『タモリ倶楽部』のエッチなテーマの時には、必ず呼ばれるようになっていました。

(中略)

 今年(注:去年のエッセイなので、2006年)の5月に、その『タモリ倶楽部』で、「エロかしこいMCオーデション」という企画がありました。
 倖田來未さんの「エロかっこいい」に対抗して、「エロかしこい」女性司会者を探そうという、きわめてバカバカしい企画でした。
 そこに、大阪から来たばっかりの山本モナさんが参加していました。もっとも「エロってことで、いろんな事務所から断られた(笑)らしく、参加者は全部で二名、オフィス北野所属の江口ともみさんと山本モナさんだけだった、というのが、いかにも『タモリ倶楽部』でした。
 番組は、じつにくだらないエッチな質問を続けながら、どちらが「エロかしこい」に相応しいかを競い、僕を含めたゲストがいろいろコメントし、結局、二人とも合格、でも、二人とも「エロかしこい」という称号(?)を辞退する、なんていうオチで終わりました。
 その時のモナさんの印象は、”大柄な美人”なんてものでした。エッチな質問にもサバサバした口調でズバズバと解答し、色っぽいというよりあっけらかんとした姐御肌っぽい感じがしました。
 恋愛もセックスもとことん楽しむ、ラテン的な気質の人なのかと感じました。
 そんなモナさんが、代議士さんとキスをして、ずっと番組を休んでいましたが、とうとう、降板が決定したようです。
 この前、誰かのコラムで、「代議士が支持者や家族に謝罪していたのが不誠実だ。代議士は国民の税金をもらっているのだから、国民に謝罪すべきである」なんて書いてありました。
 でね。こういうスキャンダルが問題になると、いつも僕は、フランスのミッテラン元大統領のエピソードを思い出すのですよ。
 あなたも知っていますよね?
 ミッテラン元大統領には、愛人と子供がいて、大統領に就任しいてしばらくした時、記者との懇談の中で、「大統領には、愛人と子供がいらっしゃいますよね?」と聞かれて、「ええ、それがなにか?」と答えたという有名なエピソードです。
 じつは、その後、大統領は、この愛人と子供を大統領官邸に住まわせているのです、でも、フランス人は、誰も問題にしなかったのです。
 というか、マスコミは報道そのものをしませんでした。それは、同じように愛人の子供がいる日本の”大物政治家”のスキャンダルを決して報じないという恐怖からの”報道管制”ではなく、仕事をちゃんとしていれば、プライベートは問題にしないという”哲学”からです。

(中略)

 で、モナさんですよね。
 きれいなキスシーンだったじゃないですか。夜の街の灯に浮き立つような、見事に演劇的な形でした。なかなか、狙ってできるポーズじゃありません。男も女も、ちゃんと観客から顔が見えて、なおかつ、形だけではなく、色っぽく陶酔している、理想的にドラマティックなキスでした。
 こういうキスができる人を、通常のつまんない論理で責めてはいけないと思うのですよ。
 もちろん、『ニュース番組』のキャスターなんだぞ!という突っ込みはあるでしょうが、ぜひ、再起して、男女関係とか不倫とかを艶やかに語るキャスターになって欲しいと真剣に思いますね。
 だって、そうすることが、結果、日本人が世間から感じている息苦しさを減らすことになると僕は思っているのです。
 こういうスキャンダルに対して、日本人は「本音と建前」を使って生き延びてきました。それが、日本人のいい意味での”いいかげんさ”だったはずです。】

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 昨日、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で「テレビ復帰」されていた山本モナさんを観たのですけど(というか、僕は動いている山本モナさんを観ることそのものがはじめてだったのですが)、ソツなく司会をこなしていて、「ああ、この人はアナウンサーだったのだなあ」とあらてめて感じました。それが「起用の条件」だったのかもしれませんが、「例の事件」に対する突っ込みに対しても、とくに大きく動揺することもなく、番組でもその場面がオンエアされていましたしね。一部で報道されていたように、ビートたけしさんが彼女を「救済」するつもりで起用したのか、それとも単に「話題性」を評価して起用したのかは、僕にはわからないのですが、ああいう形でお正月番組に出演したことで、ある種の「ミソギ」が終わったと感じた人も、けっして少なくはなかったと思います。

 ここで鴻上さんが書かれている内容に関しては、うなずけるところもあるし、反発してしまうところもあります。
 ただ、実際に一緒に仕事をした際の【エッチな質問にもサバサバした口調でズバズバと解答し、色っぽいというよりあっけらかんとした姐御肌っぽい感じがしました。恋愛もセックスもとことん楽しむ、ラテン的な気質の人なのかと感じました。】という「印象」は、今までの山本モナさんの行動からすると、たしかにそんな感じの人なのだろうな、という気がするのです。「例の事件」が発覚した直後に、親しい人に「これにくじけずに頑張る」と話していたというニュースを聞いて、僕は「自分で蒔いた種なのに、『くじけず』っていう言葉の使い方はおかしいだろ、くじけず不倫するのかよ!」と呆れ返ったのですけど、実際のところ、モナさんには「運が悪かった」「キャスターとしては問題があったかも」というくらいの意識はあったのかもしれませんが、「不倫は悪いことだ」とは考えていないのではないかと思うのです。でも、それはやっぱり、「自由恋愛」を楽しむことよりも、「自分のパートナーがモナさんみたいな人に奪われたら……」と不安になってしまいがちな僕のような人間にとっては、「理解不能で、モラルに欠ける人」にしか思えないんですよね。

 ここで鴻上さんはミッテラン大統領の話を紹介されていますが、日本とフランスは違う文化の国ですし、ミッテラン大統領は「愛人がいることの是非」だけの問題なのに対して、山本モナさんの場合は、「不倫相手が取材・報道の対象となるであろう国会議員だった」という違いがあります。もし、ミッテラン大統領の「愛人」がフランスの国会議員だったりすれば、やはり問題になったはずです。いや「不倫」だけなら安藤キャスターも有名でしたし、「取材対象のはずのスポーツ選手と結婚した女子アナはどうなんだ?」と言いたくもなりますが(山本モナさんも、そう言いたかったのかもしれません)、あの事件の場合は、「あわせ技で一本!」的なところもありました。「ニュース番組に抜擢直後の不祥事」ということもあって、「こんな軽い女を、なんで起用したんだ!」と思われてしまったのも、いたしかたないところでしょう。本人も脇が甘かったし、起用した番組側の「人選ミス」でもありました。

 僕自身は、もう山本モナさんは報道をやるべきではないと思いますし、「好きになっちゃったんだからしょうがないんじゃない?」と「不倫」を認める気にもなりません。日本人には日本人なりの「快適なモラル」があるのです。鴻上さんが息苦しく感じる空気が僕にとって息苦しいものとは限らないし、鴻上さんが過ごしやすい空気は、僕にとって濃密過ぎて具合が悪くなってしまうかもしれません。
 ただ、山本モナさんだけがモラルに外れた人というわけではないし(というか、彼女のモラルが一般的な日本人のモラルとズレていたというだけで)、そこに「人間」が関わっているかぎり、本当に潔癖で公正な報道なんて、ありえないのだということは事実でしょう。
 まあ、昨日の番組を観ると、山本モナさんは、ニュース番組には出られなくても、バラエティー番組とかでしぶとく生き延びる、あるいはかえってこれで知名度が上がって成功したりするのではないか、という気もしているのです。たしかに「エロかしこい」雰囲気ではありますしね。