猪面冠者日記
今さらだが当分不定期更新

2013年06月24日(月) NNNドキュメント’13「死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ」

 こちらでは毎週日曜深夜に放送されているNNNドキュメント。一時期毎週録画して見ていたのだが、そんなにちゃんと見なくなった今でもレコーダーの週予約は入れっ放しにしているので、興味のある内容の際はざっと見ている(2月にやってた『孤高の出張カウンセラー 自閉症の子どもを救え』はとてもよかった)。

 そして23日の深夜放送分、ショッキングなタイトルへの好奇心もあって週予約は切らずにおいたのだが、太鼓の散歩を終えた後に見始めると、内容は想像以上に重かった(同じ題材でハートネットTVでも放送があったので予約していたつもりだったんだが、日にちを勘違いしていてこっちはだめだった。Eテレなのでいつか再放送はあると思うが)。

 最初の事件が起こったのは1998年のこと。被告となる大山清隆は、自身の会社の経営者であった養父を交通事故に見せかけて殺害。6千万の保険金を手にした。さらに2000年、大山は、保険金の行方と養父の死に疑問を抱いた妻の殺害を計画。3月の深夜、睡眠薬を飲ませた上で自宅の浴槽に沈めて殺した。大山は妻を殺したその足で二階へ行き、寝ていた小学生の息子を起こして夜釣りに誘う。息子が離れた場所で釣りをしている間に、大山は妻の死体を海に捨てた。妻の殺害から約二年後、大山は逮捕された(この事件はウィキペディアには載っていないが、「日本における死刑囚の一覧」の2011年の項に数行のまとめのみならある)。

 大山は2011年に最高裁で死刑が確定しており、裁判の上ではこの事件は終わっている。しかし法の上では切りがついても、執行を待つ大山の人生はまだ終わっていない。それは残された息子・寛人さんの人生も同様であった。すでに成人した寛人さんはカメラの前で事件後の自分の人生について語る。ひょろっとした体格と、やや暗い目つきが特徴的な外見。しかし、道ですれ違うと思わず目に留まる、というほどインパクトのあるものでもない。何も知らなければごく普通の若者としか映らないだろう。しかし袖をまくれば両腕には無数の切り傷の痕がある。

 事件から今日までの間、寛人さんは父親と何度となく手紙を交わし、面会もしている。今では父親に対し、「生きて償って欲しい」と語る。一方で決して許したわけではない、とも。短い言葉のいくつかから窺えるのは、時間が彼に救いや希望を与えたわけではないということだ。少なくとも見ている私にそれは感じられなかった。

 番組中では、父と息子、双方がお互いに書いた手紙の文面が映し出される。一体こんな危うい状態の親子が交わす手紙だの会話だのといったものは、どんな内容なのだろうかとひどく緊張しながら見てみると、こう言ってはなんだが、とても明るいのである。父親の文字にかわいらしい字体で「!!」などとあったりする。果ては顔文字まで登場する。私も理屈では「いやこんな状況だからこそ、真ん中の話題なんてしないだろう」と分かってはいても、どうにも困惑せずにはいられなかった。もちろん、全てが全てそういう調子ということはやはりなく、と言っても、本当にごく一パーセントぐらいの割合ではあるのだが、事件のことや死んだ母親のことが文面に登場することもある。そうなると不思議なもので、逆に見ているこっちは「書くんだ。まさか」なんて思ったりしてしまうのだった。

 わずか30分弱の間にあまりにも濃厚な不条理を見て、終わった後は数秒ほど現実感がなかった。

 その後いろいろ気になってネットで検索してみたら、なんと大山寛人さんはHPを立ち上げておいでなのであった。ツイッターもやっていた。
http://hiroto0222.jimdo.com/
https://twitter.com/hiroto_ooyama
 HPの方では番組では触れられなかった細かい部分がいろいろと綴られている。また、番組は寛人さんを中心に作られていたが、こちらは父親側のこともいくつか載っている。事件のまとめを読む限りでは「なんてひどい奴なんだ」としか思えない大山清隆も、彼なりに入り組んだ事情があったことをここで知り、普段テレビで見る凶悪事件の数々にも、この事件のように奥底には様々な何かがあるのだろう、と思わずにはいられなかった。水面下の氷山のようである。一体どちらがメインの事件なのかとさえ思った。

 大山寛人さんは事件や自身のことをまとめた本も出されている。タイトルは「僕の父は母を殺した」。すでに6月20日に発売されているので、買ってこよう。

 なお6月30日にBS日テレで11時から、CS日テレNEWS24で18時半から再放送があるので、視聴環境にあって興味のある方はどうぞ




2013年06月19日(水) <スケート連盟>ソチ五輪の代表選考基準を発表

 自分用にコピペ。いよいよですね。前回のバンクーバーの時のように「ファイナルの表彰台日本人最上位は確定」は今回ないんですね。



毎日新聞 6月19日(水)19時58分配信

 日本スケート連盟は19日、来年2月のソチ冬季五輪のフィギュアスケート、スピードスケート、ショートトラックの代表選考基準を発表した。

 フィギュアは、代表枠を獲得した男女各3人について、1人目は今年12月の全日本選手権優勝者が確定。2人目は全日本選手権の2、3位と、12月のグランプリファイナル3位以内の日本人最上位から選考。3人目は2人目の選考から漏れた選手と全日本選手権終了時の世界ランキング日本人上位3人、国際スケート連盟(ISU)シーズンベストスコアの日本人上位3人の中から選ぶことにした。

 スピードは、成績の底上げを促すため五輪選考では初めて派遣標準記録を設定し、原則その記録を満たした選手から選ぶ。12月23日に確定する各種目の日本の出場枠数の半数を年内のワールドカップ4戦の成績上位者から選び、残りを12月の五輪代表選考会で選ぶ。

 ショートトラックは、9月の全日本距離別選手権と12月の五輪代表選考会の結果を数値化して選ぶ。

 フィギュアは9月の強化合宿と来年2月の直前合宿をソチへの交通の利便性がよく本番会場と環境が似たアルメニアで実施することを決めた。スピードとショートトラックは、五輪出場選手の参加が見込めないことから、今年度の全日本選手権は実施しない。

 ◇主な大会日程は次の通り。

 【フィギュア】▽NHK杯(11月8〜10日、東京)▽グランプリファイナル(12月5〜8日、福岡)▽全日本選手権(12月20〜24日、埼玉)▽世界選手権(14年3月24〜30日、同)【スピード】▽全日本距離別選手権(10月25〜27日、長野)▽ソチ五輪日本代表選考会(12月27〜29日、同)▽世界スプリント選手権(14年1月18、19日、同)【ショートトラック】▽全日本距離別選手権(9月6〜8日、長野)▽ソチ五輪日本代表選考会(12月13〜15日、大阪)

※追記です。スポニチアネックス6月20日 06:00更新分より。
【五輪代表選考は故障したらアウト、救済案なし】
 夢舞台へ最大の敵は故障だ。日本スケート連盟は都内で理事会を開き、フィギュアスケートなどのソチ五輪代表選考方法を発表。フィギュアの男女各3枠は(1)全日本選手権(12月21〜24日、埼玉)の優勝者(2)全日本2、3位の選手とGPファイナル(12月5〜8日、福岡)最上位メダリストの中から選考(3)(2)の選考から漏れた選手と全日本終了時の世界ランク上位3選手らから選考する。

 バンクーバー五輪時は「過去に世界選手権6位以内の実績を持つ選手がケガなどで条件を満たさなくても選考対象に加えることもある」という“救済案”があったが、今回はなし。伊東フィギュア委員長は「全日本に出られないようなケガをしていたら五輪には間に合わない」と説明した。来季限りでの現役引退を表明している浅田真央(22=中京大)にとってコンディショニングが重要になる。

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 以上。ああ、今から緊張してきた。




2013年06月10日(月) 今池ガスホールにて長久保先生講演会

 本日は今池ガスホールにて「長久保裕氏講演会 磨けば輝く選手 〜出会い、そしてコーチング〜」という講演会に行ってきた(予定時間は18時半から19時半)。講演は邦和スポーツランドフェスタの一つ。他のはというと、昨日邦和でやってたあっこちゃんのエキシビション。邦和の公式サイトから応募するようになっていて、応募できるイベントはどれか一つ。あっこちゃんの新プロは一刻も早く見たかったけど、長久保先生のお話なんてそう聞けるもんじゃないよなということで私はこっちに応募した。返事は5月25日に来て、無事当選。ちなみにあっこちゃんのエキシビションの方はおもてなし武将隊まで来たりして賑やかだったようね。いいな〜。

 講演会のスタートが見てのとおり早いので、今日は16時45分ぐらいに早退させてもらって、太鼓の散歩を超特急で済ませ、それから大急ぎで今池へ。ガスビルには無事間に合ってエレベーターに乗ると、スケオタっぽい女性数人と、スーツ姿の中年男性数人、いずれも講演会が開かれる九階へ向かうご様子。スーツ姿のおじさんたちが「動員かかった?」「かかった。でも間際に結構応募があったみたい」なんて話していたので、東邦ガス関係のおじさんたちのよう。

 エレベーターを出ると、目の前はまあすごい人の数。入り口に二つ、受付が作られていたんだけど、二つとも長蛇の列。もっとも受付では名前を言って、係りの人がその名前を線で消していくだけなので、受付は案外すんなり終了。お、ドアの前にお花がいくつか届いているわ。あ、「鈴木明子 様より」てお花もあるよ〜。写真に撮りたいけど、確か講演会では撮影禁止だよね。周囲にスケオタが一杯いるのに誰も撮ってないとこを見ると撮影は禁止なんだろうなあ。聞いてみようかなとも思ったけど、スタッフも列を裁くので大変そうだったのでやめといた。

 初めて入るガスホールは300人は入ろうかというなかなか大きなホール。お、前の方が随分空いているな。あ、でも全部関係者席だったら間抜け・・。一応見に行ってみると確かに一部それらしく白い紙が張ってある席もあったが、大半は単なる空席。遠慮なく前の方に座った。つっても先頭三列ほどはスケオタらしき人々がすでに埋めていたが。

 トイレを済ませ、スマホの電源を切ったりしているうちに女性の司会者が現れて、まずは先生のプロフィールを簡単に喋った後、長久保先生ご登場〜。おお〜。

 ここから先は記憶を頼りに喋っていた内容を書き残していく。いろいろ抜けや間違いがあるかもしれないが、その辺はご容赦あれ。あー、手帳とペン持ってくんだった・・。

 目の前にいる子たちが原石かどうか、それは最初のうちは分かりません。教えていくうちに、だんだんこれは原石だということが見えてくる。でもどんな石ころだって磨いていけば少しは光るようになるし、逆に、ダイヤの原石であっても、それが自分の思ったとおりのダイヤになるとは限りません。私が教えた中でいくと、荒川静香。彼女はやはり宝石だったんだな、と思います。自分が教えた中でこれは一番の原石だと思ったのは、夏休みなどに一週間ほど合宿に来たりしていた安藤美姫でした(ここで内心キターとなるわたくし)。

 どういう生徒が伸びるかと言うと、先生の言うことを素直に聞く子。「私は今日白いジャケットを着ている」(先生はこの時ダークグレーのラフなスーツ姿)と言って、「何言ってんだ」と思うような子じゃだめなんです。

 選手を引退してから、暇で暇でしょうがなかったんですね。選手だった頃はあれこれやりたいことあったはずなのに、いざ引退すると時間を持て余すばかりで。そのうちジャカルタにリンクができたからってそこのエキシビションに出てくれないかと声をかけられた。そのエキシビションに、松戸のリンクのオーナー(いや松戸の傍のリンクで、松戸そのものではなかったかな。この辺曖昧)が来てて、コーチやらないかと声をかけられて、それでコーチを始めることになったんです。コーチと言っても実際には何をやったらいいのか全然分からない。そんな中で、レディースを受け持つことになったんだけど、来ている人はみんな自分より年上の奥様方ばかりで、『そうじゃないでしょ』なんて言われて、あたしの言うことなんてろくに聞いちゃくれなくて嫌になったりして。またそこのリンクがシーズンリンクで、十月から四月ぐらいまでしか開いていないんです。当時はコンパルソリーがありましたから、上達には時間がかかる。これじゃだめだってんで、生徒を東京や神奈川のリンクに連れて行って、そこで夜中まで練習させたりしました。

 そのうち通年のリンクができて(これが松戸リンクですな。今はもうないけど)、そこからやっと選手らしい選手を育てられるようになった。その最初が天野真。彼は高校生ぐらいまで見てたかな。それからペアの井上怜奈と小山朋昭。この二人は「よし、このまま行けばアルベールビルに行けるぞ」って思ってたんだけど、その矢先に仙台に行けって言われて、二人とは離れざるをえなくなって、五輪には行けなくなっちゃった(ちなみにアルベールビルの怜奈ちゃんたちの演技はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=EcHcjucIWKE)。自分としてはなんだか左遷されたような気持ちでした。

 (ここから仙台の話へ)今、体罰やパワハラが問題になっていますが、当時はそんなことは考えもせず、スケート靴のエッジにつけるプラスチックのエッジカバー、あれを片時も離さず持っていて、生徒をビシバシしごいていました。こんなことを言ったらJOCにお叱りを受けるでしょうが、もう三年以上前ということで時効ということになると思います(苦笑)(←時効ってほど昔じゃないよw)。あと、今は練習で音楽をかけるのにCDやipodがありますけど、当時はカセットテープでして、やり直そうとすると巻き戻さなきゃいけなかったんですが、その時間がもったいないってんで、片手で鉛筆でくるくる巻き戻しながら「違うだろっ!」って怒鳴りつけたり、時にはカセットテープがリンクに飛んでいったり(苦笑)(最初は手が飛んでくる、その次に椅子が飛んでくる、そのうち本人が飛んでくる、に引き続き、カセットテープが加わりました)。

 仙台に行ってから出会ったのが荒川でした。その荒川が大学は東京に行くということで仙台を離れることになった。それとほぼ入れ替わるようにしてやって来たのが、鈴木明子でした。彼女はジュニアの頃から全日本ジュニアの表彰台にも上がったり、全日本でも二度四位になったりして、非常に素晴らしい物を持っていた。ただ、脆かった。

 こっちへ来てしばらくしてからどんどん痩せていった。まあそれはあたしが「そりゃデブは飛べねえよ」とか言ってたのを聞いてしまったのか・・、あたしの方から食事制限をしろと言ったことはありません。ただ何か言っているのを自分が言われたように思ってしまったのか。とにかく食べられなくなってしまって、一旦実家へ帰したんです。結局体重は30キロにまでなってしまって、もうこれは入院しなきゃいけないと医者に言われたそうです。ところがそれから一週間しないうちに彼女は仙台に戻ってきたんですね。「私からスケートを取らないで!」と泣きながら私に言ってきたんです。そうやってまた彼女を預かることになったんですが、まずはとにかく食べさせなきゃいけないんで、朝と晩、食事に連れ出して食べられるものだけ食べさせて、それから帰すということをしていました。

 先ほど、素直に言うことを聞く子が伸びるという話をしましたが、それこそ、その頃の彼女は私の言うことを聞かざるを得なかった。今日はまずここまで歩いてみなさい、と言われたらそのとおりにするというように。体重40キロになったらリンクに戻っていいと言って、それこそポケットに石ころでも詰めて体重計に載りたいぐらいの心境だったでしょう。それでそのうち40キロになったんですが、本人は「私40キロになったーっ!」なんて言っててもまだ見た目はとてもそんな風じゃなくて、それこそ石でも詰めてんじゃないのかという感じでした。

 ただ最近ではあたしがこうしろと言ったことに対して「無理!」と言ってくるわけです。そうするとバトルになるわけですね(苦笑)。それで、他の先生方が間に入ったりしてなんとか乗り越えていく。

 そこで女性司会者が「なるほど、でもそれだけお互い信頼し合っているということですね」と絶妙なフォローを。いやそれにしても感動的な流れだったなあという中、司会者の方から客席の方に向かって「ちょっとこの中から三名ほどご協力いただけませんでしょうか」とのお声。が、やはり誰も手が挙がらない(苦笑)。先生が「時間もありませんので、お早めに」と苦笑しつつ仰られると、一人挙手。ええいこの際、と私も挙手(ボカ〜ン)。なんだかんだで私も含めた三人の女性が壇上へと上がらされた。そして我々三人に先生から質問。「頑張る頑張るってよく言われますけど、頑張るって、どのくらいだと思います?」せ、先生っ、漠然としすぎーっ! いやしかしここはなんとかうまいこと言わねばと思いつつもアドリブに弱いわたくし、「80ぐらい・・」と糞面白くもない答え。ああ長久保先生笑ってるけど、内心「ちっ、そうぢゃねえんだよ」とか思ってないよね…。で、その後のお二人も「70パーセントぐらい・・」とかまあそんなお答え。その後さらに長久保先生「では100っていうのは、どんなぐらいのことだと思いますか?」。ぐっ、まだまだハードル高いですよ、先生・・。私はと言えば「…もうこれ以上できないぐらい」。つまらんっ、お前の答えはほんとにつまらんっ! と大滝秀治がキレそうです。他の方たちも答えたところで、先生「はい、ご協力ありがとうございました」。うう、満面の笑みが逆に怖いです。と、そこで司会者の方が「ええ、ではですね。今ご協力いただいた皆さんにはお礼として先生から素敵なプレゼントがあります」と。ええええーっ。困惑気味の三人をよそに後ろから三つの白い手提げ紙袋が。なんだろ。先生「明子のタオルです」と中身をちらお見せ。おおおお、元祖あっこタオルじゃないか! 一個はもう持ってるけど保存用でもう一個欲しいなあと思っていたんだ! えええ、でもさっきのあれっぱかしのことでこんなの貰っちゃっていいんですかっ。と相変わらず困惑気味の私でしたが、先生は満面の笑みでタオル入りの手提げをご自分で直接お渡し下さいました。な、なんという畏れ多い。ありがとうございますっ、先生。そうそう、別の方は「全日本でこれ振って応援します」とも仰ってました。

 で、我々が席に戻ったところで再び先生のお話再開。

 頑張る、という言葉はよく使われますが、それ自体はとても曖昧なものなのであたしはその代わりに、「あと三センチ上がりなさい」とか具体的に言うようにしています。頑張りなさい、と言われても曖昧でよく分からない。でも三センチ、と言われるとイメージしやすいし、体もそれにつられて動く。そういう努力を何年も続けていれば、必ず上達する。全日本の一桁にだって入れるんじゃないでしょうか。でも中学生とか高校生になると、テレビや同級生とのつき合いに気が向くようになって、スケートのことは「なんでこんなことやらなきゃならないんだろう」って思うようになっちゃう。この時期は技術的にも行き詰まりやすいので、やめていく子が多いんです。それでもあたしの言うとおりに練習していれば、できるようになるんです。できるようになったら、一番になれる(この最後の方はちょっと曖昧。)。

 以上で終わります、と長久保先生が言った時点で7時を少し過ぎた頃(意外と早いのね)。残りの時間は質疑応答ということで、「質問のある方はどうぞ手を上げて下さい」と。最初はなかなかいないかなと思いきや、一名。スタッフが手を上げた人の方へマイクを持って行った。

 ここから先の質疑応答、これまた記憶頼みなので質疑の順序や中身は少々ご容赦を。一応、質問者が男性だったか女性だったかも明記しておく。

男性Q「以前先生の所にいた木原龍一君が今ペアに転向して、僕は100パーセント期待しているんですが(この時の男性の表情が超イキイキだった)、先生はどう思われていますか?」

A「ペアっていうのはなにも早くから組めばいいというものではないんです。(女性を)投げたり持ち上げたりというのは、高校生かそれ以上になってからじゃないと、男性の方の体がまだできあがっていませんから、それまではお互いに気を使いながら一緒に並んで滑るということばかりをします。そういうことをしっかりやってから投げたり持ち上げたりということに入っていくんです。彼も、向こうへ行ってから二週間ぐらい、あそこが痛いとかサロンパス送ってくれとかそんなことばかり言っていた。それだけ、体を鍛えていなかったんです。だからどうでしょうね、五年ぐらいかかると思います。ソチはぎりぎり間に合って、まあ出るだけ。平昌の頃には一桁に入るくらいにはなっているんじゃないでしょうか」
 質問者の男性はそれを聞いて「ありがとうございます! じゃあ80パーセントぐらいはは期待していきます!」と笑顔だった。

女性Q「先生が選手からコーチになられて、そこであらためて気づかれたことなどはなんですか?」
A「あたしがスケートをやり始めたのは高校生の頃からでした。スケートで大変なのは時間とお金なんです。通っていたリンクにたまたま高校のスケート部の先生がいて、部に入れば滑走券がタダだってんで、それで入った。親に黙ってやってたもんですからね。だから自分の小遣いでやりくりしてたんだけど、高校生の小遣いではスケート代なんてとてもまかないきれない。で、当時はコンパルソリーっていうのがありまして、これは綺麗な氷の上じゃないとできない。だから貸切を取らないといけないんだけど、当時一時間で八千円でしたから一人じゃとても無理で何人かで分け合ってやっていました。そのうちリンクのスタッフがお酒が好きだということが分かったんで、お酒を持っていって『掃除はやっておくから』って言って、リンクの営業時間が終わってから夜中まで練習したりしていました。そういう風ですから学校ではいつも寝ていました(笑)。たまに起きてても先生に『あ、もういいから寝てろ』って言われるぐらい、とにかくほとんど寝てました。ただそういう中で分かったことは、とにかく練習すればするほど、上達するということなんです。・・・こんなところでよろしかったでしょうか?」
 なんか当初の質問と微妙にずれてないか(笑)。女性の方の方も微妙そうだったが、笑顔で「ありがとうございます」と。

男性Q「芸の世界なんかでは『見て盗め』などと言われる。スケートの世界というのは今までお聞きした限り、コーチングがとにかく重要なようですが、やはりそうなのでしょうか?」
A「私は基本的にグループレッスンをしています。一度に60人ぐらい教えています。そうすると、とにかくこちらの言ったとおり素直に動いてくれないと、狭いリンクの中では練習が成り立たないんです。もちろん上手い子の見よう見まねという練習もあります。一番上手な子を三人ぐらい前でやらせてそれを真似しなさいと言う。ただそうすると、上手な子でもやはり多少悪い癖というものがあって、一番うつって欲しくない部分がうつってしまうということがある。もちろんそうならないようにこちらが気をつけて見ています」

女性Q「今先生のところにはジュニアでもノービスでも有望な選手が何人もいますが、その中で特に光る物を持っている子は誰がいますか?」
A「(苦笑しつつ)あたしはですね、誰でも平等に磨いているつもりです。だからここで名前を言ったりすることはできないんですが、ただ、真ん中にいる子がやっぱり磨きやすい。生徒がこう、だーっと横に並んでいて、やっぱり端っこにいるような子は磨きにくいんです。光る物を持っているけど、端の方にいる子がいる。そういう場合時にはあたしの方から真ん中に呼んだりもします。一度や二度は呼びます。でも三度目からは呼びません(笑)」

女性Q(ちなみに私と一緒に壇上に上がった方でした)「最近の選手はみんな非常に芸術性が豊かです。表現力はどのように教えていらっしゃるんでしょうか?」
A「あたしが子供の頃はおもちゃなんて今のようにはありませんでしたから、みんな地面の上に絵を描いたり、その辺から拾ってきた缶で缶蹴りしたり、自分で遊びを作るしかありませんでした。大人がああやって、こうやってって、子供に一から十まで教えても、二、三日もすればそんなのはほとんど忘れてしまいますが、子供が遊びの中で自分たちで作ったルールや、そこから覚えたことというのは一生忘れません。それと人から教えられたことでも肝心の幹の部分を覚えないで、枝葉ばっかり覚えちゃう子がいる。こういうのもよくありません。(この後もいろいろ語ってらしたのですが、思い出せない。猫がどうとか言ってたような・・)」

男性Q(確か男性だったと思うが曖昧)「テレビなんかでも演技の前に鈴木選手といろいろ言葉を交わしていらっしゃいますが、ああいう時いつもなんて言って送り出しているんですか?」
A(笑顔で)「あたしはですね、毎回違うこと考えて言っているんです。向こうが緊張している時は厳しい感じで、リラックスしている時はこっちも冗談を言ったりして。観客席のお客さんを指差して、『おい、あの人の服かっこいいよな。ああいう演技をしなきゃな』なんて言ったり。それでうまくいった後なんかは、『お、あの時こう言ったのがよかったんだな』なんて思ったりします。ただその時使った手で次もうまくいくとは限らない。同じ手を使ったのに失敗することもあります。また別のケースで、私の緊張が彼女にうつってしまうこともある。そうならないように、こちらは緊張しないように心がけます。試合の合間にトイレに入って、鏡の前で笑顔を作ったりして、『この顔ならいいかな』なんてやったりしています」

 そのうち時間も時間ということで、司会者の方から「ではそろそろ最後の質問に」と。ここで二人の女性が挙手。折角なのでお二人とも質問ということに。まずはお一人目。

女性Q「選手がうまくいかない時はどう励ましていますか?」
A「どうやってもうまくいかない時というのはやはりあります。技術面で行き詰っている場合は、表現へ向けさせます。表現をやっているうちに、技術が引っ張られて上達するということもあります。逆に、表現で行き詰っている子に技術をやらせて、表現の方が上達する場合もあります。ただ、何をやってもうまくできないという子もやっぱりいる。そういう子にはスケートを好きになってもらうようにします。『私は全然上手くはできなかったけど、それでもずっとスケートやっててよかったな』と思えるように」

 そして最後の質問。
女性Q「明子ちゃんはよく先生に感謝をしているということを言っていますが、逆に先生の方で明子ちゃんに感謝していることはありますか?」
A「あたしの方でも彼女にはとても感謝しているんです。もうそれこそ娘のように思っています。仙台で、彼女が食べられなかった頃、あたしの方も6キロ痩せたんです。彼女がほとんど食べられないもんだから、あたしの方もなんか食べるわけにはいかないなあ、っていう感じになって。そんな状況からまたスケートができるようになってくれたことに、すごく感謝しています。もちろん、信じてくれた彼女のご両親にもとても感謝しています」(ここであたいが泣きそうに)

 ということで質疑も終わり、司会者の弁でお開き。遅れると詰まりそうだなと思った私は、素早くエレベーター前へ。馬車カフェでカレーを食べて帰宅。帰宅後太鼓がいらいらしていたのでまた散歩へ連れて行ったらこっちはへとへとに。




2013年06月03日(月) 真央と美姫、最後のシーズン?

 去る四月に開かれた国別対抗戦で女子フリー終了後、引退を示唆するコメントを出した真央ちゃん。実際その日の会見ではそういうニュアンスの発言をしただけで、引退そのものを明言したわけではなかったけれど、報道とファン感情の一人歩きは凄まじかった。一応その会見の直後、引退を明言してもいたけれど、周囲のヒートアップを考慮してかしないでか、最近では「引退するぐらいのつもりで臨む」という感じに留めている。

 引退発言のおかげで翌日のEXの放送内容の大半が真央引退特集に変わっていたのは、相変わらずやってくれるぜテレビ朝日、だったが、女子一位のあっこちゃんの報道も、中スポですら白黒のちっちゃい記事に留まってしまったことは、泣くに泣けなかった。ロンドンでのあの辛い結果があった上での、素晴らしい演技だったのに。マスコミのバカの一つ覚えならぬ真央の一つ覚えは今に始まったことじゃないけれど、今回ばっかりは真央ちゃんにも文句言いたいわ。そんないかにもヒートアップしそうな話題ならEXの後に言って欲しかったよ〜っ!

 まあそんな文句はこの際さておき。私自身は彼女が引退するとは思えない。ソチの後少しは休むかもしれないけれど、現役は続行するんじゃないかな。さすがに平昌までやるかどうかは分かりませんが。例によって熱狂的真央信者の中には「インチキだらけのジャッジに真央ちゃんは嫌気がさしたんだ。かわいそうな真央ちゃん!」などと香ばしい理論を展開している方々が大勢いて、笑うしかありませんが。

 そんな中、5月31日の夜に真央ちゃんの来季のプログラムが発表になった。元々振付師だけは以前からSPローリー、フリータラソワと発表されていたけど、曲の公開まではなかった。真央ちゃんの場合エキシはいつも早めに公表しているが、試合プロとなると曲が発表されるのは8月ぐらいが通常だったという覚えだったので、この早さには来季がいよいよ五輪シーズンであることを強く感じる(他の選手もすでに概ねが発表しだしている)。SPはショパンのノクターン。ショパンにはいろんなノクターンがあるけど、なんとシニアデビューの時に使ったノクターンと同じノクターンだった。そして気になるフリーはラフマニノフのピアコン2。

 この発表があった時は正直あまりの意外性のなさにがっかりした。ローリーもタラソワも振付師としては超一流の人であるが、題材へのアプローチが希薄な真央ちゃん相手に、双方引き出しが尽きているのだな、と。本当に彼女はこの点についてはシニアデビューからずっと成長がなかった。もちろんそれも含めて彼女の個性なので仕方がないことだけど。でもバラード(タラソワ)でもジュピター(ローリー)でも、何かが憑いたように他の誰にもない神々しさを真央ちゃんは表現していた。ああいう真央ちゃんをもう一度見たいんだけど、それは試合では実現できないんだろうか。

 できあがってくるプログラムは恐らく、いかにもローリーな、あるいはいかにもタラソワなプログラムで、特に真央ちゃんのためにオーダーメイドされたプログラムではないのだろう。ノクターンは過去プロのリメイクだから、「昔オーダーで作ってもらった服をリフォーム」ってとこだろうか。んー、それってどうなの? もちろん既製服でも彼女らのプロならいいものなんだろうけどさ、ノミネートされている女優がアカデミー会場に既製のブランドドレスで現れるなんてえ。

 などとまあ愚痴は尽きないが、佐藤先生がきちんとついた上での早期始動は、バンクーバーの頃と比べるとなんとまっとうな競技環境であろうか。本当にそこだけはソチまでまっすぐ続いて欲しい。

 で、もう一人の天才安藤美姫の方はと言えば、1日と2日に催されたアート・オン・アイスに出演し、彼女の名EXの一つボレロを披露したとのこと。私は見ていないけど、見に行った人たちのレポを見る限り、あんまりよくなかったようで・・・。うーむコーチも未定だし、今の時期にこんなんじゃミキティといえども五輪出場は夢のまた夢・・・。元々勝利には無頓着な彼女のこと、以前のインタビューでも言っている通り、五輪は特に目標とはしていないのだろうか。私としては彼女ほどの才能の持ち主が、このまま五輪のメダルがないまま引退だなんて考えられないんだが、そうは言っても本人にそういうガツガツさがない以上、こっちが求めてもしゃあないわな。でもそれならそれでせめて、持っている才能を使い切った上で現役を締めくくって欲しいんだけど、それもやっぱり内なるガツガツがないとだめなんでしょうね。リレハンメルのヴィットのようにいくことはできないか、とも思うけど、あのヴィットだって心身共に完全燃焼した末にああいう境地に至ることができたのだろうし、一方でミキティが選手として完全燃焼したか否かを考えると、はたから見る限りはまだ燃え尽きたってほどじゃない、と感じてしまう。だってまだ体あんだけしっかりしているんだもん(たまに露出した時のサラブレッドのごとき御足!)。なんか今中途半端だなーと思う。そもそも完全燃焼したい、やりきりたいという気持ち自体が希薄なんじゃないだろうか、と穿った見方をしてしまう今日この頃だ

 ポイントもなく所属先もない彼女は国際大会には派遣されない。となるとブロック大会経由で全日本一発勝負ということになるのだろう。五輪に行けなくてもこの際仕方がないが、「どうしてもがむしゃらになれなかった」というような表情は見たくないんだけどなあ。

 などとまあ長々二人の天才女子について書きつつも私の心の女子はただただあっこなんですけどね、ごめんね。もうね、行ければいいの。ひたすら行って欲しいの。そんだけ!

 と、ここまで日記を書いたところで、アサインが出たよ! はい、大体4時に出るだろうなと踏んでネットを覗きましたです。え・・・。あっこちゃんがNHK杯にアサイン・・・!? というわけで絶句。トマシュがいないとかやっぱりアリッサいないとか、ジュベがエリボンにいないとか、その辺が意識に上がってきません。ああああ。

 ジェレミーがスケートカナダとNHK杯にアサイン。一瞬、N杯は諦めてスケカナに行こうかなと思ったんだけど(なんせヨナも出るし! 生で彼女の実力を見られるチャンス)、ニューブランズウィック州船とジョンが西海岸側と知って早々に諦めました。ええ、海外はやはり全米に絞ります。

 あ、そうだ。4月、5月の日記は当分絶賛不定期穴埋め予定ですので、皆様気長にご覧下さい



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