猪面冠者日記
今さらだが当分不定期更新

2005年05月28日(土) ライフ・アクアティック(と、夏コミ)

 頼んだわけでもないのにこの日が休みだなんて、運命だとしか思えないというくらい幸せわくわく一杯な気分で行って参りました。TOHOシネマズだと他に「ミリオンダラー・ベイビー」もZガンダムも今日から公開だからできれば三本一気に見てしまいたいというのが本音なんだけど、やはり今日はこれのみをまったり楽しみたいのだ。

 さてウェス・アンダーソンと言えばこれまで順調に批評家受けしてきたのに、なんでこれの評価が今いちなのかと、疑問やら不安やらいろいろあったのだが、実際見てその原因がよく分かったよ。もうね、濃すぎなのよ。今までもストーリーも脈絡もすっとばして趣味に走ったことを散々やってきたけれど、「ライフ・アクアティック」に比べれば、今までの奴はまだまだ筋がちゃんとあったし、趣味の趣味たる部分にもそれとなく説明がちゃんと入っていたんだなあ、と思えてしまう。分かりやすく言っちゃえばこれ、タランティーノにおける「キル・ビル」だよ。やっちまったねウェス・アンダーソン。いや、あたしはもちろん最高に楽しめたけど、これ、ウェス・アンダーソンの映画なら何でもいいっていうくらいのウェスファンか、あるいはここに出てくる大ネタ小ネタの背景全部知っている人とかでもない限りさっぱり楽しめんよ。いやー、これじゃどの賞にもかすらんはずだ(笑)。タラちゃんにしてもそうだけど、あんまり若いうちに名声を得てしまうと、本来ならもっと後年に出すような趣味だけ映画を、まだ脂ののった時期に出してしまうということか。私も今までは「名声欲なんて下らない」と思っていたが、ストーリー性というものは「賞が欲しい」とか「一般受けしたい」っていう気持ちによって支えられているものなのかもしれない。

 しかしこれを見ていよいよ確信したのだが、やっぱウェス君はやっぱビルに惚れてるね。今までもヒロインなんざすっとばして、とにかく隙あらばビルの裸を露出させていたけれど(まあオリビア・ウィリアムズとかグイネス・パルトロウとか、ヒロイン役の女優が脱がせても意味ないのばっかだったっていうのもあるが)、今回は舞台が海なのをいいことにこれでもかというほど脱がせまくっていた。ああでもそんなことしても喜ぶのは世界中でもあんたと私くらいだよ、ウェス・アンダーソン。まあ裸見せるくらいなら悪影響ってもんでもないけれど、この盲愛っぷりは作品におけるスティーブ・ジスーのキャラクターには大分悪影響している。最後まで見てもなんでジスーのクルーたちがあんなにジスーにラブラブなのかさっぱり分からんのだ。もう監督が完全にジスーのクルーたちに自己投影しちゃってて、何も知らない観客に「ジスーのどこに愛すべき点があるか」という説明を忘れちゃっている。狂っているね。狂っているよウェス君。気持はすごーくよく分かるけど、あんたそりゃまずいってもんだよ、いろんな意味で。

 しかしいろんな意味で濃すぎたせいか、過去作品ではカラフルでおしゃれな画面によって覆い隠されてきた部分が、随分分かりやすく表面に出ていた。私は長年「ウェス・アンダーソンの作品は父子ものという仮面を被ったやおいではないのか」という説を密かに唱えていたのだが、もう今回でこの説は鉄板化した。もう間違いない。だって、ジスーは片耳ピアスしてんだよ。最後の方でなんて、「男同士ってのはみんなどこかホモ臭いんだ」とか言うてるし。「いや、本当の野菜は自分らのことを野菜と言ったりはしないんだ」という反論があるかもしれないが、ノンノンノン!! 甘い、甘いよ! これは隠れヅラの人が自ら敢えてヅラの話をすることで、相手に「ああ、本当にヅラの人なら自分からヅラの話なんかしないよな。じゃあこの人はヅラじゃないんだ」と思わせるのと同じカラクリだよ。

 というわけで、今日の日記はウェス・アンダーソン作品の如く脈絡のない状態で終わり・・・としようとしたらマアタさんから携帯メールが。夏コミ受かったとの由。えっ? まだ10時40分前だよ。ネットで当落検索できるのって29日に日付が変わった時点じゃなかったの? びっくらこいて急いでネット接続。検索開始。うわーっ、見事に落ちている!! なんかもうこんだけ落とされると怒りを通り越して悟りを開いてしまいそう、と言いたいところだが、009もSNLもどっちも全然やれていなかったので実はほっとしていたり(ボカ〜ン)。まあこれもしっかりとした本を出せという神の啓示ではないかと。というわけで皆さん、冬までお元気でー。




2005年05月25日(水) ベルンの奇蹟

 半端な時間帯に観ると一日が潰れてしまうので12時半頃から始まる最初の回で行ってきました。チケットは松坂屋の北館で当日調達。ついでに「ミリオンダラー・ベイビー」の前売券も購入。「ミリオンダラー・ベイビー」はもう、千円の日とかに関係なく見たいので。

 時代はワールドカップで旧西ドイツが優勝を勝ちとることになる1954年、舞台はその旧西ドイツの工業地帯エッセン。主人公はそのエッセンに住む一家。この一家の主であった父親は戦争に行ったきり帰ってこない。母親は居酒屋を経営し、三人の子供たちもそれぞれの形で小銭を稼いで母子四人助け合って暮らしていた。そんなある日、実は父が生きておりまもなく帰ってくるという知らせが一家に届く。やがて再会した五人は初めのうちこそお互い生きていたことを喜び合うのだが、戦争後遺症に苦しみ働くことができない父と、貧しくとも前向きに生きる母や子供たちとの間にはどうしようもない溝があった。

 以前名演小劇場に「カナリア」を見にいった時に予告編を見て以来、なんとしても行きたいと思ってて、先月からとうとう始まったんで行こう行こうとしているうちに今週で上映終了と知り、慌てて今日行ってきた。

 ただ残念ながら出来は期待したほどではなし。やはり「グッバイ、レーニン!」とどうしても比べてしまう。でもって比べてみるとこっちはどうしても凡庸にしか見えない。とはいえ、戦後ドイツを萌えポイントとする私には、その辺の描写はやはり心くすぐられる。最後までストーリーには絡んでこないかと思われた東ドイツも意外な形で出てきたりして、そこそこ程度には楽しめた。主役の男の子が今いちブサだったが、半ズボンからはみ出た生足がブサ顔を補って余りある美足だったので、まあ取り敢えず不満はない(なんだそりゃ)。何より眼福だったのは男の子のサッカー友達として登場する一人の女の子。とにかく長身で美少女! 身長はもとより運動神経も他の男の子たちと互角なのよ、かっこいー。気がつけば私の目はほとんどこの子ばっかり追っかけていたような気がする。

 父親はその垂れ目具合といい、物語の中でのやさぐれっぷりといい、まんま「北の国から」の田中邦衛(ちょうど山小屋が燃えちゃった辺りの感じね)。でも演じている役者さんは62年生まれなので、この映画が公開された2003年で単純計算するとこの時はまだ41歳だったってわけで。外人は老けてるなあ。

 映画が終わった後はパンフレットを購入すべく売店へ。今週は「ベルンの奇蹟」と同じく27日で終わってしまうキム・キドクの「サマリア」も見たかったのだが、どうにもやっぱり無理そうなのでまあせめてもと、パンフレットだけ立ち読みしていたら、冒頭のキム・キドクの文章にやられてしまった。結局見てもいないのに「ベルンの奇蹟」のと一緒にパンフレットだけ買った。




2005年05月23日(月) ショーシャンクの空に 公開10周年メモリアル・ボックス

 作品も出演者各人も大好きな「ショーシャンクの空に」の豪華版DVDが、7月1日に出るのを、丑三つ時に知った。去年アメリカで発売されたのを知って以来、ほぼ週一ペースでアマゾンを検索していたんだが、本日ビンゴ。思ったより早く出て嬉しい。なんつってもティムちんの最高傑作ですからね(演技だけならミスティック・リバーの時より素晴らしい)、当然即予約ですとも。

 ちなみに明後日(いや明日か)25日は「ベルンの奇蹟」を見に行ってきます。




2005年05月21日(土) 今さらだけど「ブラックジャックによろしく」

 最新の17巻のコミックスは昨日買ったけど、花とゆめ最新号の「フルーツバスケット」をまだ読んでいなかったので近所の本屋へ立ち読みに(関係ないけど、フルバを買ったのと同じ日にファフナーのノベライズを買ってしまった。あーあ)。本屋へ行くついでにコンビニに寄って雑誌のコピーをしようとしたら、誰かが使っていたので時間潰しにモーニングを立ち読み。表紙は「バガボンド」。すみません、あんまり連載がないんでもう終わったんだと思っていました。一応読んだけど、もう今まで何があったのか思い出せない。

 「ブラックジャックによろしく」は今回お休み。先週号で意外なと言うか、ある意味予想通りな行動に出てしまった小沢君。彼をどうにかして助けたいと思う斉藤君。私はこの漫画に対してはどのエピソードにおいても「助けんでもええやん」としか思ってこなかったくちなのだが、小沢君に対してはもう完璧にそう思う。私はこの漫画に歴代登場してきたキャラほぼ全員に対していくばくかの加害者意識を覚えてきたものだが、小沢君はそういう点ではこの漫画の中で私の加害者意識を最もかき立たせる存在であった。もし自分の学生時代に彼のような人間が身近にいたら、徹底的にオモチャにするか、完全に無視するかのどちらかである。

 身近な所をちょっと見回してみれば分かることだが、いつの時代も若者は、貧乏でイケてなくてオシャレな街中にいても己の外見はイモ、というのが大半だ。それでも彼らは似た者同士でつるんだりして概ね楽しく暮らしている。友達がいなくても、一人でそれなりに気楽にやっている者もいる。だがそのどちらもできなくてただ時間を持て余すしかない者もいる。小沢君はまさにそういう若者だが、私は彼が可哀想だとはどうしても思えない。とある人間が、生活に何の趣味も楽しみもなく、ただ「一人は嫌だ、一人に見られるのは嫌だ」ということ以外に何もないという状態に至るには、本人にはどうしようもない事情もあるのかもしれない。でも結局悪いのは本人だ。要は自己鍛錬するための嗅覚が鈍いからに決まっている。彼らは他人や世間を、見ているようで見ていない。まあ、腹を減らかしている犬っころに「もっと物を見ろ」と言っても無駄だが。しかし犬ならかわいいもんだが、人間はそういうわけにはいかない。私は優しくないのでそういう人間に対しては、「もっと辛い目にあえば?」と思う他ない。

 登場する医者たちに対しては小沢君とはまた違った意味の嫌悪感を覚える。はっきり言って彼らは全員、人助け中毒である。人の体を治し、命を救った瞬間に得られる全能感に病みつきになっているのだ。もちろん、自分の技術によって何かを成し得た瞬間に快楽を覚えるのはどんな職業にだって当てはまることで、それ自体は人としてごく自然な感情であり、医者だって当然そうだろう。ただそれは、相応のスキルを持つ者のみに許される快楽であるべきだ。だから斉藤君以外の「本物の」医者にはそれほど嫌なものは感じない。しかし斉藤君(と作者)は医者というものに伴う「金・仕事」という部分からいつも逃げて、自分の善意的暴走に依存している。こういう人間が生み出すものは善意の魔境である。ダウン症の新生児のエピソードは最もそういう部分が露わになった話だった。あの子がもしダウン症よりももっと重い障害を持って生まれていたら、あるいはあの子の両親がもし障害児を育てるゆとりなどない経済状態だったら、作者はどういう理屈をこねて、どう斉藤君を暴走させて見事あの子を救ってみせたのだろうか。悪意からではなく、単純な興味として読んでみたい。

 ふとコピー機を見ると、同じ人がまだやっていた。どうも当分終わりそうにない感じだったので、さっさと本屋の方へ行き、コピーは帰りに別のコンビニで済ませた。ちなみに今回の「フルーツバスケット」では久方ぶりに綾女さんがご登場。さらに何の前触れもなく、紫呉・綾女・はとりの高校時代のエピソードまで出てびっくり。初々しくも今とちっとも変わっていないはとりさんの損な役回りっぷりにもう萌え萌え。しかし今回、出てくる割合こそちょい程度だったが、ぐれさんも今とちっとも変わっていない腹黒さだった。まあ、この人は年がら年中意地悪盛りなわけだが。特に最近はコミックスでも本誌でも隙間なく黒さを発揮して下さっていて、フルバの暗部を盛り上げるのに大いに貢献なさっておいでである。まあでもああいう環境にいて、ある日ふと自分と自分を取り巻く環境のいびつさに気づいてしまったら誰でもああいうこと思って当然だよなあ。ぐれさん本人も言ってるけど、結局思うだけなら誰でもぐれさんのようなことは思っているんだよね。ただ他の十二支はなんだかんだっつても根はまともだから、そういう己の黒さが疎ましいわけで、だから、誰かに優しくしたり何かを成したりすることでそういう悪感情をうまく閉じ込めているわけだ。で、ぐれさんは逆にそういう感情に忠実であることで、キチガイにならずに済んでいるんだろうな。ま、忠実って言うか、要するに汚いものや暗いものが大好きなだけかね。ああとても他人に思えないよ、ぐれさん(笑)。

 「ブラックジャックによろしく」が加害者意識をかき立たせる作品なら、フルバは被害者意識をかき立たせる作品だ。だから一歩間違えばフルバは三原順とか紡木たくみたいな「ぺっ」な漫画になってしまうところなのだが、紫呉みたいに何の悩みもなく何でも平気でやってくれちゃう存在のおかげでそうならずに済んでいる。ああ次回も楽しみだなあ。




2005年05月19日(木) シティボーイズ「メンタル三兄弟の恋」

 今年も行ってきました、シティボーイズ! 実はこの日だってことをつい二、三週間前まで忘れていて、ある日ふと「げっ、そういや19日! ああだけどこの日のバイトは遅番だった!」と気づいてかなり青くなったのだが、運良く後輩にシフトを変わってもらえたのでどうにか観劇することができた。ただ、この日のバイトは人数がとても少なくて、早番の人もほとんど残って仕事をしていたのに、私はと言えば仕事を途中やりで人に任せたまま脱走してしまったというのは秘密だ(ボカ〜ン)。ああ次の日怒られるかなあ。まあいいや。怒られるのはいつでもできるけど、今年のまことさんは今日しか見られないのだ。

 いやあ、相変わらず最高でした。ただ、前の人の頭のせいで「この家を支えている見知らぬサラリーマン吉田さん」の姿が、初登場の際見えなかったのがひたすら無念。斉木しげるが最後に不動明王ライブをやってくれて、さらによい感じで帰ることができました。




2005年05月17日(火) 蒼穹のファフナ−(DVD鑑賞/12〜21話)

 DVDを貸してくれた友人宛てに「最初の頃のどこがいかんのかさっぱり分からん。冲方丁は何にそんなに怒っていたのか」と聞いたら、「いやそれは最後まで見たからそう言えるんであって、予備知識なしのあれははっきり言って微妙」とのお返事。というわけで頭の中でちょっと勝手にシミュレート。・・・うん、確かに、めいめい勝手なことほざいているようにしか見えない。特に総士なんてかなりムカつくね。

 まあそんなことよりDVDだ、DVD。もう彼らの行く末が(もう知ってるけど)ひたすら気になって気になって大嫌いな平井久司の絵なのに一日で九話分も見てしまった。一回、「おお今日の作監は見やすい絵だなあ」と思う回があったのだが、その回の作監は本橋秀之でしたとさ。あんな醜い平井の絵を、平井の形を残しつつもこんなに綺麗に整形できるってのがもう凄いとしか。

 取り敢えず特にズシっときた所を箇条書き。

■第18話 父親(おもいで)
 竜宮島を出奔し、今では人類軍の一員としてフェストゥム撲滅に人生を捧げているミツヒロ。島の大人にとっては裏切り者だが真矢にとってはまだ見ぬ父親。しかし現実に目にした父は決して真矢が望んだ父親ではなかった。ミツヒロも真矢もお互いを思っていながら、ただ、「自分が欲しいものを与えてくれる親(子)ではない」という一点のみにおいて決別してしまう。
 ファフナ−には悪人は登場しない。全員が善人あるいは理想主義者である。全ての誤解やすれ違い、諸々の悲劇は善人ゆえの弱さや愚かさ、視野の狭さによって引き起こされる。しかし悪人の悪意によってつけられた傷よりも、善人の善意によってつけられた傷の方が、傷つけられた本人はその怒りをどこへ向けていいか分からずにより深く傷つくことになる。今回の遠見親子のドラマはそれをより顕著に表現した回と言える。

■第20話 燈火(ともしび)
 初期の戦闘でフェストゥムに同化され、拘束された甲洋。生命維持装置によって生かされてはいるが、彼が存在していることで島にフェストゥムを呼び込んでしまうという状態が続いていた。甲洋の状態を見守ってきた真矢の母、千鶴はついに甲洋を安楽死させることにする。だが、島のシステムを司る乙姫が千鶴のいない隙に甲洋の拘束を解いてしまう。
 意識の半分を乗っ取られた状態の甲洋が、それでもまず最初に自分の家に辿り着くというのが悲しい。見ている人は知っての通り、もうそこは他人の家になってしまっているわけなのだから。その後、翔子の墓に向かい、墓石を撫でるとこなんてもう(涙)。甲洋脱走に気づいた大人たちから甲洋を庇う一騎たちの必死さもいちいち心にグサグサくる。でも一番ザックリくるのは、こんな時でも冷静で、だからこそ最善の方法で甲洋を守った総士。もちろん見ている時は「おおさすが、かっこいいー」って思ったけど、ふと冷静に振り返るとなんか本気で可哀想に思えてきた。
 甲洋の話の一方で、この回は島の盆祭りや精霊流しの模様も描かれる。EDがいつもの絵ではなく、みんなが流した精霊舟になっていて、今まで死んだ人の苗字が舟につけたろうそくに浮かび出されながら流れていく。




2005年05月16日(月) おつむてんてんクリニックがDVD化

 真夜中にアマゾンのDVDコーナーでいろいろ検索していたら、ビル・マーレーとリチャード・ドレイファス主演、フランク・オズ監督のブラックコメディの傑作「おつむてんてんクリニック」が出てきた。待ちに待ったDVDがついに! これでもうLDとレンタル落ちでゲットした日本語吹替版ビデオとおさらばできるんだ〜。ちなみにブエナ・ビスタ・ホームビデオの「1枚買ったら1枚もらえる」キャンペーン第三弾の商品の中の一つとして発売され、キャンペーン商品の中には「天才マックスの世界」や「ハイ・フィデリティ」などなど、好みの作品が結構あって嬉しい。マックスもハイ・フィデリティもすでに持ってはいるが、好きな作品が再発売されるのって、なんか嬉しい。ちなみに発売予定日は6月8日。あ、結構もうすぐなんだな。

 もちろん早速お申し込み。抱き合わせのもう一本はダンとジョンキューが共演した「ポイント・ブランク」。前から見たかったけど、レンタル屋に置いていなかったのでこの機会に買い決定。

 しかし「おつむてんてんクリニック」のDVD、仕様を見て日本語吹替が入っていないことを知り、がっかり。あれはビル役に安原義人、リチャード・ドレイファスに(テロップがなかったので確証はないが)磯田勉と、いずれもその役者の常連が当てている上に、本人たちの演技も掛け合いも最高、という吹替好きにはたまらないものなんだがなあ。ああやっぱり、ビデオ版はおさらばできずか。

 ついでにビルの検索をしていたら、6月22日にこれまではずっとジュエルサイズだった「恋はデジャ・ブ」のDVDがトールサイズになって2000円で再発売されることも分かった。嬉しいけど、本国で売ってるコレクターズエディション(ハロルド・ライミスによる音声解説つき)のDVDは出してくれないんだな・・・。せめてどっかでテキストで手に入らないものだろうか。




2005年05月13日(金) 蒼穹のファフナ−(DVD鑑賞/1〜9話)

 「蒼穹のファフナ−」はほとんど最終回手前の19話から見始めて、それまでのストーリーはアニメ雑誌やサイトで補完しただけだった。最後まで見てかなり感動したので、レンタルDVDで今までのも見たいなあと思ったものの、いつ行っても借りられっぱなし。てなわけでずっとやきもきしていたのだが、この度友人が自分のDVDをまとめて貸してくれた。自宅に届いたのは昨日だったが休みの日にみっちり見たかったので本日鑑賞。友人の弁によれば「(原作者がテコ入れしだす前の)11話までは我慢して見てくれ」とのことだったので、ひどい状態を想定していたんだけど、ううん、不思議だなあ。なんかもうありとあらゆる場面が美しく見えて仕方がない。もうすでに最終回まで見てしまって登場人物の結末を知っているせいなんだろうけど、何もかも皆切ない。翔子や甲洋が最初にちらっと出てきただけで涙が出てきちゃったよ(あんた感動しすぎ)。

 まあ確かにこのアニメ、SFとしては辻褄あってない部分がやたら多い。子供たちがほぼ全員遺伝子操作されているのは、フェストゥムに対抗するためであるのに、フェストゥムが侵攻してくるまで戦闘訓練の類を全く受けていなかった点とか。まあ「子供たちには平和な思い出を作って欲しかった」っていうみんなの親心も分かるんだけど、それとこれとは別だよな、やっぱ。

 でもそういう部分なんざ平気で許せてしまうくらい、このアニメは青春モノ・家族モノとしては名作だ。「あの子のためだと思ってやっていたけど、今にして思えばあの子を傷つけていただけだったかもしれない」的な十代ならでは悩み方なんて、まあ青臭いといえば青臭いんだけど、そういう各人が各人なりに抱えている後ろめたさが、どの人物同士の関係においても決して直接伝わることはないという独自の冷め方が見ていて気持ちよく、そして切ない。




2005年05月11日(水) ドッジボール

 これまた日記の中で何度か触れたことのある映画だが、ようやく今夜見ることができる。ちなみに上映館はTOHOシネマズ。「ライフ・アクアティック」はこの辺一体ではここでのみの上映って言ってたから、前売券もここでしか売っていなさそうだ。普通のチケット屋で売っていて良さそうなものだが、いまだにどこでも売っているのを見かけないってことは結局ここにしかないってことなんだろうなあ。

 「ライフ・アクアティック」の前売券は売店で無事ゲット。さすが独占公開と謳っているだけあって、フロアにちょっと立体的に作った看板なんかがわざわざ作ってあったりする。ウェス・アンダーソンのファンとしては嬉しい限りだ。そういえば「ミリオンダラー・ベイビー」も28日からの公開だったな。できればどっちも初日に見たいけど、クリント・イーストウッドの映画は濃すぎて一緒に見た作品を食っちゃうからはしごには向かないんだよな。あとコミケの当落結果の検索が29日から日付変更と同時にできるんだよな。ああ。

 「ドッジボール」は面白かったですよ。いやもう、ベン・スティラー最高! 実は今まで彼の映画でまともに笑ったためしなんてほとんどなかったんだけど、今回だけは面白かった。今までのこの人の映画って、本人は面白いんだけど映画全体は全然面白くないってパターンがほとんどだったもんなあ。「ズーランダー」は評価高かったし、ウィル・フェレルと共演ってことでちょっとは期待して見たんだけど、案の定ベン・スティラーとウィル・フェレルの演技以外どうもつまんなかったしな(ジャック・ブラックと共演した『隣のリッチマン』も同様)。要は役者たちの面白さとストーリーがきちんとリンクしていないってのが問題だったわけなのだが、今回に限ってはその辺がかなり改善されていたように思える。

 ところで映画とはあんまり関係ないが、スティーブ・マーチンは高校か何かでチアリーダーをやっていたっていうのを昔どっかで読んで、アメリカでは男もチアリーダーもやるのかあ、と知ったのだが、実際どんなもんなのかは全く知らなかった。が、「ドッジボール」の登場人物の一人であるボンクラ高校生がチアリーダー部員ってことで実演シーンなんかも出てきて、ようやく具体的に知ることができた。ふーん、要は男のバレリーナみたいなもんで、パフォーマンスの中で女子を担ぎ上げたりするんだね。でもこの手の競技って外人の男の子がやってる分には普通だけど、日本人とかがやったら視覚的に相当キツいだろうなあ。それと、このチアリーダーやっている男の子の顔どっかで見たことあるなあと思ったら、「ギャラクシー・クエスト」に出てきたトレッキーの子だった。道理でねえ。それにしてもあの顔、役者だってのに全身からあんなにオタク臭発してていいのかね。




2005年05月07日(土) mixi(ミクシィ)

 世の流行に倣い私もmixiやっています。といってももっぱら他人様の日記やコミュニティを回るばかりで、自分では全く何もしちゃいないのだが(というわけで『やっている』などと言えるほどではない)。ま、そりゃそうだよな、なんせここの更新すらめったとないんだから(ボカ〜ン)。

 一応「バンビーナ」で名前検索してもらえればそれらしい奴にすぐ当たると思います。日記の方は書いてないくせに「友人の友人までの公開」だったりしますが、コミュニティはそういうのないので、たまに見かけたりしたら「ああいるわ」とにやにやして下さい。




2005年05月06日(金) 立ち読みしてテレビ見て(原稿やれ)

 昼に起きて近所の本屋へ立ち読みに。雨の日に出かけるのもなあ、という気分だったが、GW明けの平日である上にこの天気のおかげで花とゆめの最新号も楽に立ち読みできてかえってよかったかも。表紙はフルーツバスケット。はあそれにしてもここ最近のフルバはとにかく泣ける話ばかりで立ち読みするたびに困るわい。

 続いて映画雑誌も一通り立ち読み。さすがにもう公開も間近なのでどこでも「ライフ・アクアティック」の記事が読める。SCREENで連載されているおかむら良のコラム「気になる個性派 Who’s Who」、今月6月号がなぜかビルだったりするが、所詮おかむら良なので面白いことは全然書いちゃいない。てゆか一部間違ってるし。と、文句を言いつつもこれとMOVIE STARとROADSHOWは買ってしまった。MOVIE STAR6月号32ページに載っているミニ記事によれば、ビルは舞台劇をやってみたいと思っているらしい。いつか実現して成功するといいねえと言いたいところだが、ビルの場合一から自分で立ち上げた類のものって成功したためしがないからなあ。「剃刀の刃」とか。

 ところで日記に書くのを今日の今日まで忘れていたんだが、ビル、どうやら現在製作中の「氷の微笑2」は降板したみたいだ。三週間くらい前にIMDbのビルのページを見た時気がついたんだけど、ビルのフィルモグラフィーから「氷の微笑2」がいつの間にか消えていたのだ。ははあ、やはり私の予想通りシャロン・ストーンか、あるいは関係者の誰かと揉めたね(笑)。

 ダ・ヴィンチ6月号の方は山岸凉子の「テレプシコーラ」と呉智英の「マンガ狂につける薬」を立ち読み。「テレプシコーラ」、千花も六花もそれぞれがそれぞれのどツボにどんどんはまっていっててかわいそうでならない。踊れなくても踊れても出口がないというかなんというか。ちなみに今月号でも空美は出ず。千花や六花がこれだけ追い詰められているのだから、空美なんて一体どうなっていることやら。

 そんなわけでなんだかストレスフルな展開の「テレプシコーラ」であるが、それでもかつての山岸凉子の作品に比べれば読みやすいものである。昔はもっと、「私、この人のこんな不幸が好き・・・!(最後の間がポイント)」という作者の念が隙間なくに出ていて、それが剣山のように作品に異様な精彩を与えていたものであるが、今はそういうのも希薄だ。出口のない迷路で行き当たりばったりする人々のドラマというのが山岸凉子の定番で、その辺は今でも相変わらずだったりするのだが、「私、この人の(略)」がないだけでこうも読みやすくなるものなのか(笑)。ま、作風が変わったっていうのは、文庫版の「鬼」の巻末にある「心境の変化」っていうことの現われなんだろうけど。

 呉智英の今回は吾妻ひでおの「失踪日記」。これ読みたいなあとは思っているんだけど、なんか引っかかるものを感じてどうも実際に読む気になれない。ええ年こいて自分の生活荒らす奴に感情移入できないってのもあるんだけど、それに対するまわりのときめき方ってのになんかイタいもんが感じられてしょうがない。でも芸術新潮に載っているっていういしかわじゅんとの対談はちょっと読んでみたいので、そのうちどっかで探して立ち読みしよう。

 夜11時半からはBS−2でアクターズ・スタジオ・インタビュー。今日は「RAY/レイ」が記憶に新しいジェイミー・フォックス(前はBS−hiでやるって言ってたけど結局こっちか)。番組が収録されたのが「RAY/レイ」公開後というだけあって(ただしゴールデングローブ賞やオスカーよりは前)、生徒たちのリアクションがこれまでのゲストより頭一個分ぐらいにぎやかだ。まあそれは本人がコメディアンということもあるだろうが。それやこれやで本人のトークもそれに対する生徒の反応もとにかく乗りがよかった。生い立ちについての語りは概ねくだけた感じだったので、「あれ、この後の授賞式の時みたいに祖母の話で泣きの方向に行ったりはしないのかな」と思ってちょっと油断していたら、後半いきなり泣きの展開に。不意打ちてなもので、やはり要ティッシュになってしまった。




2005年05月02日(月) カナリア

 「カナリア」が今週一杯と知ったので、今日はこれを見に行くことにした。千円の日じゃないのが残念だけど、まあ、どこかのチケット屋で売れ残りの前売りでもゲットして見るとしよう。

 松坂屋のチケット屋でチケットを買い、上映開始までの時間潰しにロフトに寄ったら、裏側の入口で「ライフ・アクアティック」の宣伝ポスターを発見。名古屋では5月28日よりTOHOシネマズ・ベイシティにて独占上映! ひゃっほう。で、スポンサーなのかなんか知らんけど、時計のゾディアックが映画を当て込んだ手のひらサイズくらいの折りたたみのチラシを置いていたので、二枚ばかしかっぱらっていった。その後は喫茶店に入って三十分ばかり時間を潰し、名演小劇場へ。

 妹と共に母に連れられてとある新興宗教集団(要するにオウム)に出家した十二歳の少年・光一。ある年この宗教集団は事件を起こし、それによって事実上崩壊する。光一は妹と共に関西の児童相談所へ送られる。やがて母方の祖父が二人を引き取りに来るが、祖父は光一の引取りを拒み、妹だけを連れて行ってしまう。

 と、いうのが映画冒頭の字幕で語られ、物語は妹を祖父から連れ戻すために児童相談所を脱走した光一の奇異な旅路が中心となり、その合い間に教団における光一たちの生活が彼の回想という形で挟まれていく。

 予告や映画雑誌に載っている宣伝を見た時からそんな気がしていたのだが、雰囲気も構造も「誰も知らない」によく似ていた。どちらも実在の事件を基にしているし、主人公を普通世間のはみだしっ子がちょこちょこ助けてくれるところも一緒(あと劇場も同じだわ)。一つだけ違うのは主人公を取り巻く世界の貧しさや暴力性の描き方である。「誰も知らない」の大人たちが無関心で子供たちを蝕んでいくのに対し、「カナリア」に登場する大人たちは誰もが積極的に子供たちに接してくる。ただしその接し様は暴力と拒絶という形をとりながらのものである。愛情めいたものもどこかにあるのだが、それは全て弱い大人が己の過去に対して、自分の弱さの範囲内で可能なレベルの復讐している、という意味としてしか描かれていない(ちなみにそういう大人の真打ちとして登場する光一の祖父を演じていたのは、リメイク版の『白い巨塔』で怪演が光っていた品川徹)。

 というわけでちょっと角度の違う「誰も知らない」を見たいという方にのみおすすめする。いや、正直個人的に「誰も知らない」よりキツかったのでこういうの見ても全然平気、という方にしかすすめられません。大人がひどい目にあう話は好きだけど、子供がひどい目に合う話ってやっぱどうもねえ。ただ、私自身は子供嫌いなんで、そういう話が嫌いなのも別に子供がかわいそうだからって理由ではない。一不幸ばなしマニアとして、そういう物語の登場人物は運命からの虐待に耐えられる材質じゃないと見ていて楽しくない、ということである。

 はあ、それにしてもこの間の「パルムの樹」からまだそんなに日もたっていないのにまたこんな児童虐待映画見ちまって、心が冷えるわい・・・。で、あの「パルムの樹」見て以来、一体どうしたらこのいや〜な感触を脳内で中和できるんだろうと、自分なりに考えてたりしたんだが、結果、絵柄を楳図かずおに変換すればそんなに恐くないということを発見した。いやもうこれが、我ながら本当に恐くないのだ。あんなパルムでも何やら普通の話じゃないかと思えるほどである。もうこうなったらいっそこの手の話はアニメ・実写関係なく全部楳図かずおの絵でやるという法律でも作って欲しいものだ。



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