猪面冠者日記
今さらだが当分不定期更新

2005年04月29日(金) パルムの樹(BS−hi)

 「ファンタジックチルドレン」のなかむらたかしが2002年に監督として手がけた劇場公開作品。いつかはレンタルで借りて見たいと思っていたら、NHKのコマーシャルで4月29日にBSハイビジョンで放映、というのを見て、以来この日を楽しみにしていたのであるが・・・。

 内容がイタいってのは事前に聞いてある程度知っていたけど、こんなにイタいとは。いやー、外面こそBS−hiのデジタルハイビジョン&5.1chという豪華な仕様で、音や映像は文字通り最高だったんだけど。取り敢えず自分的にイタタ〜ときた部分を箇条書き。

■四肢破壊描写が執拗
 パルムって要するにピノキオでA.I.な奴なんだけど、もう最初から最後まで手やら足やらが飛ぶわ千切れるわ裂けまくるわ。その壊れ方の描写が見た目も、そのニュアンスも妙に生臭くって無駄に心が疲れます。

■家族は全部崩壊家族
 出てくる子供がみ〜んな親や大人に殴られたり理不尽に冷たくされたりで、浮世のしょっぱさが目に染みます。ちなみに大筋というのは「肉親絡みのトラウマが世界の運命を左右する」だったりする。なんかさあ。そういうのってさあ・・・。

 でもまあその辺はまだマシかもしれん。自分的に一番ウゲゲだったのは、

■男子のいじめられっ子のイタさが映画全体に満ち満ちている

 ってとこでしょうな。これは男子のいじめられっ子映画の最右翼であるスピルバーグの映画にも言えることなんだけど、男子のいじめられっ子って、自分がいじめられる心理的、あるいは集団的メカニズムが全然分かってないんだよね。いやもっと言えば、分かろうとすらしない。自分がやっていること・やられていることを、一般世間で言うところの「いじめなるもの」としか思っていなくて、そっから先を考えない。これが女子だといじめる方もいじめられる方も相手のことを分かってないようで分かっていたりするんだけど、男子っていじめる方もいじめられる方もその辺全く欠落しているんだよな。もちろん私は昔っからそういう男子は嫌いで、今でも嫌いである。だからA.I.もオスメントも嫌いである。ああいうのが傍にいるともうひたすらイライラし始めて、気がつくとゲシゲシ蹴っている可能性大だ(ボカ〜ン)。ああっ、お願いだから私の中の邪悪な血を呼び覚まさないで! って感じである。

 スピが子供の頃どこへ行ってもいじめられたのはユダヤ人だからでもトロいからでもないと思うぞ。同じように、パルムが人々から忌み嫌われるのはロボットだからじゃない。と私は思う。ううん、パルムの感想のつもりがなんだか全然関係ない方向にいっちまったい。

 それにしてもせっかくバイトが休みの日にこんな気色の悪い映画を夜の十時から十二時過ぎまで見てしまった私は一体・・・。




2005年04月28日(木) 届いたよVガンボックス

 本当だったら27日に届いていたんだけど、家が留守だったために不在配達になってしまっていたのだ。今日はバイトが遅番なので午前着で再配達してもらったというわけ。取り敢えず出かける前に外装を一通り眺め回してにやにやしまくった。

 帰宅後早速再生。一年位前から「Vガンを最初から最後まで見てみよう」と思い立ち、月一くらいの割り合いでLDで鑑賞していたので、その続きから見始めた。今日は第二十一話「戦略衛星を叩け」。初めての宇宙戦で気負ってしまうウッソとそんな彼を支える仲間たちがお話の中心。すでにザンスカールに寝返ったカテジナも登場するが、この頃は最終話とかに比べるとまだまともな感じ。

 ちなみにボックス版のディスクのパッケージはシングル版と違ってソフトシェルで、各ディスクは逢坂浩司描きおろしのピクチャーレーベルである。このピクチャーレーベルのイラストは二頭身絵なのだが、絵は完璧ヒヨウである(笑)。

 ボックス付録の解説書やインタビューを読むにつれ、むくむくとVガンダムについて語りたくなってきたが、これについて書くと日記一ヶ月分くらいの文章になりそうなので割愛。




2005年04月25日(月) ついに買ってしまった

 何をって、「機動戦士Vガンダム DVDメモリアルBOX」でございますよ。そもそもDVD時代に入った時からDVD化したら絶対欲しいと思っていただけに感無量。発売されたのは去年の一月で、定価が税込81900円。当時ほとんど無収入だった身で買えるわけがない。ちなみに私はLDですでに全巻持っているのだが、その総金額は7800円×13巻=書きたくねえ(涙)、というわけでこんなDVDボックスでもLDよりは割安という刻の涙があるのであった。

 だからといってLDで買ったことが損だったかと聞かれれば、断じて否である。なんと言ってもリアルタイムで描かれた逢坂浩司のジャケットイラストとインナーイラストが素晴らしいし、富野のライナーノートは高尚な演出論から現代社会論、現場への恨みが限られた紙面の中にみっしりと綴られていて、富野フェチにはたまらないのである。

 こうなってくると逆にDVDまで買わなくてもという感じだが、ジャケットイラストが全て描きおろしで、かつてのメインスタッフへのインタビューも盛りだくさんとあっては、やはり買わねばと思わざるを得ない。LDがリアルタイムの楽しみだとすれば、このDVDはあれから約十年後の今振り返って、という楽しみだ。どっちも食い尽くしたいというのがファンの業というものなのである。

 まあそんなこんなでいつか中古で買う日を夢見てきたのだが、それがついに今日叶った。ありがたやヤフオク様である。恐らく27日か28日辺りには届くだろうと思われる。ああ楽しみ。




2005年04月15日(金) X−MEN(DVD鑑賞)

 見たい見たいと思いつつ、実は今まで一回も見たことがなかったのだ。というわけで今さらながら鑑賞。昨日デビルマンなんぞを見た後だと、もうこれなんて神様が作ったとしか思えません。取り敢えず、おヒューの裸シーン(恐らく監督とプロデューサーの趣味)が一杯見られてうふふでした。それにしてもあのおヒューももみあげがあると随分ワイルドに見えるものだね。凄いアイテムだね、もみあげって。

 ところで映画の後半で初めてXメンのコスチュームを来ていざ出陣するウルヴァリンが「こんな格好ハズい」みたいな顔する場面があるんですけど、そんな彼が例えばあの赤い服を着ろと言われたらどんな顔をするのか見てみたいです。




2005年04月14日(木) デビルマン(DVD鑑賞)

 というわけでついに見たのであるが、うーんどうしよう、これに限っては感想の書きようがないや。いや、勿論見たは見たんだけどねえ。上映されていた頃にとにかくどうしようもない駄作だという評判を、2ちゃんから映画サイトからプロ作家からもう散々っぱら聞いていたからさ。おまけにあの唐沢俊一をして「事故」とまで言わしめた代物。見る前にビビらない方がおかしい。だからそりゃもうびくびくしながら見ていたんだけど、いざ見てみると凄いとかしょっぱいってよりは、たるい・つまんないってのがとにかく大部分を占めていて、途中で自然と眠くなってしまった。これじゃいかんと眠気覚ましにケロロ軍曹を読んでいたら、結局映画が終わるまでずーっと意識はケロロ軍曹に行きっぱなしだった。映画なんてたまにちらっと見てただけ。てわけでいつものような具体的な感想は書きようがない。

 こうなった理由ははっきりしている。私が原作のデビルマンに全然思い入れがないからだ(もし好き、あるいは嫌いな漫画だったらもっと集中できただろう)。いやほんと、なんでみんなあんなにあの漫画に熱く入れ込んでいるのか、よう分からん。最初に読んだのは高校生の頃だったけど、その時でさえさっぱりピンと来なかったし。まあ自分で読む以前に上の世代の熱い思い入れを見過ぎちゃったりなんかすると、こんなもんなのかもしれん。

 とはいえ自分の感想は特に思い浮かばなくても、思い入れのある世代がこの映画を見ればどう思うかは嫌でも思い浮かぶ。集中して見ていたわけでもないのに何が言えるものかはだが、「デビルマンが映画になったらこんな風がいい、あんな風がいい」というファンの気持をひたすらハズし、かつ逆撫でしていることだけは非常によく伝わってきた。なぜそれが分かるのかと言えば、「没」の匂いがしたからだ。いわゆる駄作・失敗作とは異なるあの独自の匂い、すなわち没・・・。009、十二国記、ドラえもんと、没なものを三回も経験すれば、このような嗅覚も身につこうというものよ・・・。もし私がデビルマン好きなら、これを見るということは第一話と鋼鉄の涙と機々械々をかわりばんこに何度も何度も見るような感じだろうな。死んじゃうよ、そんなの(涙)。ついでに言えば、上映中に目にしたいろんな人の映画感想からも没な匂いならぬ、没を見てしまった人のルサンチマン、という独自な匂いがしていたものだった。当時それらに目を通しながら「分かる、分かるよその気持ち・・・!」と深く同情したものである。だが同時に、ある種の喜びも感じていた。あの没ゼロ放映当時の、
「こんなものを作った奴らが憎い、こんなものを楽しく見ている奴らが憎い、ああ憎い憎い。でもって他の漫画が好きで被害を逃れている奴らもついでに憎い。そいつらもいつか私と同じ思いをすればいいんだ、エロイムエッサイム〜っ」
 という怨念祈願が、今さらながら果たされたという気がしたからである。

 ま、なんにしても自分がデビルマンのファンじゃなくてまあよかったってな所なのだが、こんな映画ができてしまったとはいえ、009をやっている身からすれば、それでもやっぱりデビルマンの方が羨ましいなあ、という部分がある。自分は面白いと思えなかったとはいえ、やはりデビルマンは大いなる作品である。だからこの映画のことも堂々と「ダイヤモンドを鼻クソにした」と言える。009じゃこうはいかない。せいぜい、「きれいな鼻クソをただの鼻クソにした」である。さらに羨ましいのは、このデビルマンの監督がついこの間死んじまったことだ。イラストレーターの三留まゆみが「(作った奴らは)百回殺しても足りない」と、相当にマジに書いていたが、これに代表される数多のファンの殺意は限りなくそれに近い形で遂げられたというわけである。憎たらしい奴が安穏と息をしているのを見るにつけ、「やっぱさあ、呪いなんてアテになんないよね〜」と、諦めて現実に帰るのが世の常だというのにだ。それに引き換え没ゼロを作った奴らで死んだという奴は一人も聞いたことがない(夜逃げした某プロデューサー氏は今頃どこぞの海のもくずかもしれんが)。やっぱり009はどこまでいってもちっちゃくてしょっぱいのだなあ。




2005年04月13日(水) 失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン

 というわけで行ってきました、朝一のシネマスコーレに。五十人ばかしが入る客席は八割方埋まっていた。レディースデイでもファーストデイでもない朝一に、こうしてまあまあ入っているのはやっぱジャッキー・チェン関連だからかな。あー、でも仮にもジャッキー・チェン絡みの映画ならこんなちっちゃい映画館、満席&立ち見ぐらいでないと、とも言えるか。

 冒頭に流れるジャッキーの過去作品。実は「香港国際警察」を見てから急にジャッキーの過去作品が見たくなって、レンタル屋から「酔拳」と「ポリス・ストーリー」を借りてきて見たのがついこの間だったりするので、この冒頭の中で出てくる「ポリス・ストーリー」のあんなシーンやこんなシーンが文字通り記憶に新しくって、もうこの時点で感動してしまった。・・・とはいえ、誰でも知っているジャッキーはここまでで、そこから先は偉大なるスター、ジャッキー・チェンの両親が国や歴史に翻弄され多くのものを失いながら、「ジャッキーの父、母」という現在の顔を得るに至った道程が映画のメインとなっていく。かけがえのないものを失った悲しみ、それでも生きている辛さと喜びが、中国が辿った混乱の歴史そのままにひたすら轟々と流れていくのだが、悲惨な中に時折いかにもな香港イズムが感じられて、ある意味気楽に見られる。

 タイトルにもなっている失われたものは最後に形となってかつての主の前で蘇る。しかし、それでも失われたものの大半はやはり失われたままなのだ。過去の幸福とその喪失、そしてその果てにある現在の幸福という、二つのものの絶対的な結びつきと絶対的な乖離を描いた感動的なドキュメンタリーである。ジャッキーのファンならずとも必見だが、ジャッキーのファンなら200パーセントのめりこめる。

 ちなみに本作はほぼ全てジャッキー・チェンとその馴染みのスタッフの手により作られているだが、もともとはジャッキーが両親のために作ろうとしたプライベート・フィルムであり、一般公開のために作られたわけではない。さらに、国家及び近親者への配慮から、アジアで公開されているのは日本だけである。こうなってくるといよいよソフト化されるかどうかが微妙なので、見られる人は今のうちに。ちなみに名古屋では4月22日金曜日まで。

 ああいい映画見たな〜、とさわやかな気持ちで中央コンコースを歩いていたら、タワーズの大きなエスカレーターの前で偶然友人と出くわした。友人はランチを買って職場へ戻る途中だったのだが、「折角だから二人でどっかで食べよう。こいつは家で食べりゃいいから」と、私を松坂屋地下にあるドンクへ誘ってくれた。つっても私は半端な時間に食べたせいでまだ食べる気がしなかったので飲み物だけ。30分ほど楽しくお喋りした。

 それからちょこちょこ寄り道しながら大須の香蘭園で炒飯とラーメンがセットになったランチを食べた。ついでに「失われた龍の系譜」のパンフレットも熟読。

 帰宅後、TUTAYAへ行って「トラップ一家物語」を返しに行った。ついでに新作でGEOではいつもレンタル中になっている一本を探して、邦画の新作コーナーを覗いた。何を探しているかって、それは、「デビルマン」である。勿論、あの伝説的悪評の、あの「デビルマン」である。なんだかんだで上映されていた頃は行けなかった(行かなかった、とも言う)ので、レンタルで早いとこチェックしたいなあ、と思っていたのだ。で、割とあっさりDVDを発見。二泊三日レンタルすることにした。ううん、しかし傑作を堪能した数時間後にこれを見るのはちょっとなあ。

 帰宅後、今日三時からBS−2でやっていたジェフ・ブリッジのアクターズ・スタジオ・インタビューを録画したものを鑑賞。その後、取り敢えず「デビルマン」に備えて午前中の堂々たる感動気分を、愛と青春のザーメン物語で中和しようと「アメリカン・パイ3 ウェディング大作戦(日本語吹替版ビデオ)」を鑑賞(再生したらいきなりラスト一分のとこだった。・・・巻き戻しておけよ、ちきしょう!)。このシリーズもラストとはいえ三作目だからいい加減つまんなくなっちゃっているかも、と思っていたが、悪い予感は大外れで凄く面白かった。ユージーン・レヴィは相変わらずステキだし。下ネタ満載なんだけど最後はちょっと胸きゅんさせるとこなんかも健在。キャストが一部欠けているのが残念といえば残念だけど、主役二人とフィンチとスティフラーがいるので、まあ十分。

 というわけで午前中とは別のベクトルで大いに満たされてしまったため、こんな日に「デビルマン」を見るのは勘弁、と本日の鑑賞は断念。ああでも明日や明後日に仕事終わって帰って疲れている状態で見るのもなんだかなあ。やっぱ借りなきゃよかったかも・・・。




2005年04月12日(火) トラップ一家物語を再見

 「失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン」という映画が見たくなってきた。実はほんの二、三日前までこの映画の内容を知らなかった。たまたまヤフー・ムービーで最近の映画のタイトル検索して大体の粗筋を知ったのだが、それをしていなかったらずっと知らないままで終わっていたかもしれない。タイトルからして「味」とか「宋家の三姉妹」みたいな、二十世紀中国の動乱の中で四散した人や文化の歴史を補完してみました、みたいなものを想像していたのだが、ヤフーに載っていた情報に目を通してみたら、実際ある面においては全くその通りの映画ではあるものの、ある部分違う類のものであることを知った。映画の原題は、「龍的深處−失落的拼圖 TRACE OF A DRAGON JACKIE CHAN & HIS ROST FAMILY」。これは我らがジャッキー・チェンの実の両親が、彼を産む以前に辿った数奇な運命を描いたドキュメンタリーなのだ。

 その後早速ヤフーで上映館を検索してみたら、なんとシネマスコーレで10時半からの回しかやっていない。しかももうすぐ終わりそう。ついでに言えば、こういう映画ってビデオ化されるかどうかかなり微妙なので、劇場で見とかないと後悔することが多い。朝一の回しかないんなら休みの日に行くしかない。というわけで、今日髪を切りに栄に出てきたついでに矢場町の松坂屋にあるぴあで前売券(この手のどマイナーな作品の前売は上映が始まってからでも売っているのが常)を入手。よーし、明日行ってくるぞ。

 話変わって先週の水曜日、何か唐突に名作劇場が見たくなってTUTAYAへ。以前にも日記に書いた通り、レンタル料が上がったのでここへは全く行かなくなってしまったのだが、名劇の全シリーズのDVDを置いているという点から、これからもちょくちょく使う気はあったりする。アンと三千里とペリーヌはLDやらDVDで全巻持っているけど、それ以外はあんまり揃えていないから、やっぱこういう所を頼らざるを得ないんだよな。ほんとなら全部自分で揃えたいんだけどなあ。金がなあ。

 てなわけで「トラップ一家物語」の3巻と10巻を借りてきて、3巻はすでに見終わったのだが、最終回の入った10巻がまだ全然見られてない。明日には返さなければならないので今日一気に鑑賞。さすがにラスト近くになるとオーストリアがナチス占領下になっているので、日々是ストレスフル。日常の中に目に見える形で圧政がはびこっていく様が恐い。子供たちがある日学校に行くと先生がほぼ全員入れ替わっていたりするんだよな。いかにも善良そうな村人まで挨拶はひたすら「ハイル、ヒットラー」だし。ナチスの軍人も勿論登場するんだけど、なんつーかそういう連中より明らかに普通の人たちの方が恐いのだ。

 勿論愛国者であるトラップ大佐にとって、これほど苦しい状況はない。それでも誇り高き大佐は、屋敷の中で(すでに地図上から消えた)自国の旗を掲げることを頑としてやめないのであるが、ナチスからトラップ一家合唱団に総統の前で歌えという命令が下された時、ついにトラップ大佐は決断するのであった。
「この地で我々家族が幸せに暮らすためには、誇りと信念を捨てなければならない。だからここを出よう。見知らぬ土地でゼロからスタートするのは大変なことだが、人生に逆境はつきものだ。その気になればもう一度やり直せる。しかし、誇りと信念は一度失ったらもう二度と戻ってこないのだ。我々の誇りと信念を守るために、我々はこの地と別れよう」
 と、マリアや子供たちに語るトラップ大佐。悲しくも力強い名場面である。

 この後、馴染みの使用人たちにピクニックと嘘をついて、「もう二度と帰れないかもしれない」という気持ちで一杯になりながら生まれ育った屋敷をあとにする子供たちの姿なんかも泣ける。無事にヨーロッパを抜けた一家がすでに遠くなった陸地に目をやりながら全員で「別れの歌」を歌う所はアニメ史に残る名場面だ。映像的な見栄えや音楽に関してはそりゃ「サウンド・オブ・ミュージック」には及ばないが、映画の中で描かれなかった細かい部分が「トラップ一家物語」には一杯詰まっていて、今見てもいい。シリーズ後半の見所は今書いた通りなんだが、前半の、生みの母であるアガタ様を亡くした子供たちと、マリアが次第に親しくなっていく展開にしても、演出もセリフもなかなか繊細で、素直にじーんとできるし。みんな、後期の名劇もちゃんと見ような。アンや三千里だけが名作じゃないぜ。

 ところで1938年にアメリカへ渡ったトラップ一家であるのだが、それから十年とたたない1947年にトラップ大佐は肺ガンで亡くなってしまうのであった。トラップ大佐は海軍で潜水艦の艦長だったのだが、昔の潜水艦は排気が悪かったため、肺を悪くする人が多かったのだ。




2005年04月11日(月) 受付確認ハガキ

 届きました。やー、今日はバイトが遅番で早く帰れなかったからどきどきでしたよ。で、どうにか999だけは免れた次第。あとはクジ運でございます。まあそれ以前に原稿原稿! ですが。



2005年04月10日(日) ヤマギワ三倍

 今日はバイトが遅番だったのだが、ヤマギワがWポイントサービスデーだったので、ちょっと早めに家を出てヤマギワでお買い物。しかし行って驚いたのだが、なんと今回はどういうわけか三倍ポイントサービスデーって風になっていた。でもって買ったら、最近ポイントカードの形式が変わったとかで、新式のカードを作ってもらった。ちなみに今日買ったのは「ファンタジック・チルドレン」のサントラ、「O・S・T・〜ギリシアからの贈りもの」と「コックリ島のひととき〜ボラボラ様からの贈りもの」の二点。今度の休みにまとめて聞こうっと。で、カードなんだが、これまで500円につき1ポイント、30ポイントごとに1000円割り引きだったのが、還元される金額を直接表示するという形式とやら(あんまし馴染みのない形式なのだが、他にもこういう形式のポイントカードってあるのかね)にがらっと変わった。ちなみに今日のお買い物だけでこれまでのポイントと合わせて1500円分くらいついちゃったよ、うふふふ。

 あっ、そう言えば話変わって夏コミの受付確認ハガキの発送が昨日だったから、届くのは明日辺りだねえ。ああ、どうか下三桁が999ではありませんように。




2005年04月09日(土) ファンタジック・チルドレンDVD第一巻

 を、近所のGEOで借りてきた。二話までしか収録されていないし、まだ出たばっかなので新作料金だが、なんせこのアニメ、最初の方は全く見ていないもんだから、待ちきれなくって。ついでに「アメリカン・パイ3」も借りてきた。アメパイ3の方はDVDなら映像特典がついているからできればそっちで借りたかったけど、こうも通ってないとなるとビデオで我慢するしかない。取り敢えずFCの方を先に視聴。最後まで見終えてからこの第一話を見ると何気ない場面の何もかもが心にグサグサくる。ああそれにしても真っ白な状態でこの第一話をみたかったなあ。

 ちなみに今日のお昼間は従兄の結婚式でありました。2日の日記で26日が従兄の結婚式だったと書いたのに変な話でありますが、あれは親族向けので、今日のは友人向けだったのだ。場所は池下の「赤い靴」。アンティークオルゴールが一杯の実にステキな店でありました。もちろん料理は大層旨かった。特にステーキがなあ。もう当分半端な肉は食いたくないよ、くはーっ。

 ところで今日の朝刊でテレビ欄をめくったら野村芳太郎監督の訃報が出ていた。真っ先に「『砂の器』どっかでリバイバルやってくんねえかな」と思ってしまった私は鬼畜だろうか。あ、「鬼畜」もやって欲しいな。




2005年04月08日(金) 今さらだけど「ステップフォード・ワイフ」

 「クライシス・オブ・アメリカ」はDVDでいいや。だって阿久比と稲沢でしかやってないんだもん・・・。ジョナサン・デミ久々の監督作なだけに映画館で見たかったけど。

 Movie Walkerのゴシップ&ニュースの4月6日更新分を見ていたら「ニコールが失敗作だったと認める主演映画」なるタイトルの記事を発見。あー、ひょっとして「ステップフォード・ワイフ」じゃないだろうなあ、と思っていたら案の定そうだった。女史曰く、脚本が不満だったとのことで、撮影もどうにも楽しめなかったのだそうだ。ま、早い話が自分のキャリアの中では汚点であると言っている次第である。

 ま、ニコール・キッドマンがそう思うのも無理からぬことで、実際映画の内容は近年のフランク・オズの枯れっぷりをみしみしと伝えてくれた以外には、どうもこうもないものであった。私が「フランク・オズもう枯れちゃった?」と思ったのは「イン&アウト」からなのだが、これと「ステップフォード・ワイフ」の欠点はまるっきり一緒である。どちらも駄作とまではいかないが、コメディにしてはだるいのだ。この人ならではのシニカルな雰囲気(50年代のCMを再現したOP映像なんて、とっても心くすぐられた)は相変わらず健在なのが救いといえば救いだったが、それが作品に反映されておらず、「やりたいことは分かるんだけど、でもつまんないんだよな」っていう映画になっちゃっているのだ。ニコール・キッドマンの近所に住んでいるアバズレっぽいユダヤ系の奥さん、ベット・ミドラーとその旦那ジョン・ロビッツ、なんてのはキャスティングだけでも十分笑えるし、もちろん本編でもこの二人は面白かったしで、それなりに見所はあったんだけどね。

 話変わって今日、家族と入ったパスタハウスでそこに置いてあった今週の週刊朝日(表紙がクドカン)を読んで吃驚したのだが、今度のドラ、なんと総監督が楠葉宏三なんだね。うん、だめだなこれは(ボカ〜ン)。




2005年04月06日(水) リアルタイムじゃないけれど

 「クライシス・オブ・アメリカ」の予習のためにオリジナルの「影なき狙撃者」を借りてこようと近所のGEOに行ってきた。ついでにもう何ヶ月通い詰めてもレンタル中になってばかりいる「アメリカン・パイ3」と「イージー・ライダー」のDVDも探すが、「影なき狙撃者」は扱いなし、あとの二本も相変わらずのレンタル中であった。残念。この二本もビデオだったら借りられる状態なんだけど、DVDに比べれば音も映像も圧倒的に劣る方なんざわざわざ借りる気なんぞおきないというもの。しかし未見のアメパイ3はともかく、なんで「イージー・ライダー」を借りたいのか、自分でも謎。以前はちょっと見返したい程度だったのに、行く度にレンタル中になっているもんだから、なんか変な風に見たい気持ちが高められてしまっているんだろうな。先月ヒストリー・チャンネルでやっていた「バイオグラフィー:ハリウッドの父と子」というドキュメンタリーに、ピーター・フォンダがちょろっと出てきたのにも変に触発されているっぽい。このまんまアマゾンでDVD買っちゃったりしたらどうしよう。あっ、そう言えば今日は夜8時〜9時35分にBS−2で「さすらいのカウボーイ」をやるんだった。ビデオセットせねば。

 それはそれとして今日の深夜からBSジャパン(テレビ東京のBSデジタル放送)で鉄人28号が始まる。本放送の時、もちろんとても楽しんで見ていたのだが、第一話は逃してしまっていた。でもってその後もなんやかやで見逃すことが多くなって結局途中からぷっつり見なくなってしまったのだった。今度は一話たりとも逃さず視聴するぞ。

 で「さすらいのカウボーイ」、せっかくD−VHSテープ買ってきたのにセットするのを忘れてしまった(ちなみにそのことに気がついた時はすでに9時)。ほぼ幻の作品状態だったから是非チェックしたかったのに。4月20日に豪華特典山盛りのコレクターズエディションDVDが出るから、その下見も兼ねて今回の放送を楽しみにしていたのだが、思いっきり当てが外れてしまったよ。でも全く見ないのも寂しいのでちょこっとだけチェック。ああ、時刻が時刻なだけに今はまさにすんごいクライマックスだ。五分以上見るのはあとの楽しみのためにやめておこう。それにしてもピーター・フォンダはいいなあ。親父譲りのドM顔に親父以上のスレンダーボディ、撃たれたり転んだりする様がもうエロいエロい。ううんDVD、アマゾンで買っちゃおうかなあ。

 クライマックスだけ見て判断するのもなんだけど、普通に力のこもった作品、という印象である。「製作中クスリやってたんだなあ、ということが分かる映画」てな類のことをよく耳にしていたので、期待値は微妙だったのだが、案外いけるかもしれないなあ。もっとも、この映画を映画館で見たブリジット・フォンダ(当時七歳)は退屈して途中で劇場から出てっちゃったらしいが(んでもって後からまた劇場に戻ったら、ちょうどパパが撃たれるシーンだったので死ぬほどビビったんだそうだ)。




2005年04月02日(土) ザ・ガイズ

 先日ネットで「ザ・ガイズ」という舞台のことを知った。2001年9月11日に起こったテロにより多数の部下を失い、その部下一人一人のために弔辞の文句を考えなければならないものの、何を言えばいいのかと途方に暮れる一人の消防士を、ふとした奇縁で彼と知り合った一人の女性ジャーナリストが彼の話を聞きながら弔辞を作る手助けをする、という物語である。原作者のアン・ネルソンはジャーナリストで、この物語は彼女の体験に基づいて書かれている。舞台は2001年12月4日からニューヨークのフリーシアターで上演された。テロ以降しばらくの間、ブロードウェイの末端にあるような劇場や、そこを拠点としている中小の劇団がほとんど機能しなくなってしまったことを考えれば、ことの重みは推して知るべしである。

 しかし私が何よりびっくりしたのはその配役である。まずヒロインがシガニー・ウィーバー。まあこれは彼女がニューヨークっ子であることを考えれば至極妥当なことであって、別に驚くことではない。信じられないのが消防士役の方である。これがなんとビル・マーレーなのだ! えええええっー!! なんでぇ? いやまあ、そりゃゴーストバスターズの格好とかあの基地とかってもろ消防士ではあるけれどもさあ。しかしあのビルがこんな高尚な仕事に関わっていたとあっては、何が何でもチェックせねば・・・、というわけでアマゾンのマーケットプレイスで「ザ・ガイズ 消防士たち」を購入した。

 本はメール便で26日に届いたのだが、その日は従兄の結婚式だった上に、1ヶ月間フリーパスポート最後の日だったので「ローレライ」を見るべく、帰宅してほぼすぐに映画館へと向かったのだった。何かの合い間にちょっとでも読んでおきたかったので、一応持参はしていったのだが、結局は映画を見終わってから入ったうどん屋さんでぱらぱらと読むだけにとどまった。で、それから今日になってやっと全部読めたという次第である。

 いや感動しました。ま、題材が題材だからそりゃ当然といえば当然なんだけど。あのテロ自体に対する本音を言えば「けっ、911テロがなんだってのさ。原爆落とされるよりゃマシだろ」な私だが、一人一人の人生の話となれば、スイッチは別である。そもそも昔からアメリカが作ったテロだの戦争だのの話っていうと、どうしてもこっちの大和魂を一旦オフにする必要に迫られるものだが、これは、あのテロが題材であるにも拘らずそういう必要性はゼロだった。

 ちなみにビルがこの舞台に出ることになったきっかけは、この劇にかなり早い段階から関わっていたシガニー・ウィーバーが、ビルに声をかけてくれたことからなのだそうだ。ありがたいことである。ちなみに、私がビルのこれまでの共演相手の中で一番素晴らしいと思っているのがシガニー・ウィーバーなのだ(ジョーン・キューザックも同じくらいよかったけど)。見てみたかったなあ、この舞台。



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