沢の螢

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時を超えるもの
2006年01月18日(水)

昨日、20数年ぶりに懐かしい人と会う機会があり、すばらしい時間を過ごした。
その人は、南米のある国に住んでいるが、日本人である。
17歳の時、父親の転勤で、両親と兄とともに、日本と反対側にある国の、首都にわたった。
私は、ちょうど同じ頃に、夫の駐在に伴い、息子とともに、そこに住んで、2年近く経っていた。
たまたま、私の通っていた語学学校に、その兄弟が入ってきて、知り合ったというわけだった。
日本にいれば、年も、環境も違う者同士が、ふれあう機会はあまりないし、道で歩いていても、お互い風景の中の一部でしかなかったろう。
しかし、外国で、出会った日本人同士というのは、時に、日本では考えられないほど、大変密接に結びつくことがある。
特に、見知らぬところで、耳慣れぬことばばかりが聞こえてくる異国では、すれ違っただけであっても、日本人の顔を見ると、ホッとし、駆け寄りたくなるほど懐かしくなる。
日本にいれば、日本人を懐かしいなどと、少しも思わないのに・・・。
若い兄弟と私は、すぐに友達になり、教室が終わると、その兄の運転する車で、家まで送ってもらったりした。
ちょっとエキセントリックでシャイな兄、人なつこくて、笑顔のすてきな弟。
外国の駐在員で、ハイティーンの子供を連れてくるケースは、当時、その国では少なかった。
小中学校は、日本人学校があるが、高校は現地の学校、またはアメリカンスクールに行くことになるので、日本の学歴を子供に付けたい親たちは、子供が高校受験期になると、母親だけが付いて帰国し、日本の高校を目指すケースが多かった。
だから、高校、大学に通う年頃になって、親の転勤で現地に来た兄弟は、大変珍しかった。
親たちの方針もあったのだろう。
同世代の、日本人の友達のいない地で、彼らは、いつも寄り添って、お互いをかばいながら、行動していた。
そんな二人が、とても、いじらしく思え、彼らの母親ほどではないが、年長の友達として、話し相手くらいにはなってあげたいという気持ちになった。
まず言葉をマスターしなければ何も出来ないと言うので、語学学校に通う傍ら、家でも、個人レッスンを受け、早くその国に馴染もうと、努力していた。
語学学校の休み時間や、帰宅の車の中で、話すくらいしか、機会はなかったが、日本での学校生活のことや、将来の夢など、いろいろと聞くことが出来た。
そのうちに私の方が、日本に帰国することになった。
私は、家にある日本語の本や、歌のテープなどを、少し残し、日本から手紙を書くことを約束した。
空港に送りに来てくれた彼らの、ちょっとさびしげな笑顔を、よく覚えている。

帰国後、私は折りに触れ、日本の生活の様子や、流行っている歌のことや、映画の話など、書き送った。
向こうでは日本語の本が手に入りにくいので、時には、話題になっている本を送ったりした。
兄の方からは、全く返事が来なかったが、弟の方は、必ず返事をくれ、今、何をしているか、どんなことを考えているか、学校での友達のことなど、向こうの様子を知らせてくれた。
もう、その国で暮らすことに決めていて、親たちは、彼らを残して、数年後に帰国した。
その母親とは、年賀状のやりとりをするようになり、兄弟の様子も知ることが出来た。
やがて彼は、大学に入り、就職し、現地の女性と結婚した。
時々現地を訪れる彼の母からは、「ことづかりました」と言って、コーヒーや、Tシャツなどが送られてくることもあった。
そうやって、いつの間にか、27年の歳月が流れた。
同じ時間の経過でも、私と彼とでは違う。
少年が成長し、大人になり、仕事をし、家族を持ち、今は、3人の男の子の父であり、仕事もある成果を収めて、日本に出張に来る立場である。
私の方は、子供の成長は同じくあるが、家庭人としての生活は、基本的には変わらない。
だが、彼が、短い滞在期間の間に、私に会う時間を作ってくれたことに、私は感動した。
21歳の時に、日本に一時帰国し、ちょっと会う機会があっただけだから、それを入れても、24年ぶりである。
その間、彼は、アメリカに留学したり、何度か仕事が変わり、一時、交信が途絶えたこともあった。
私の方も、10年後に、別の国に、数年暮らし、互いの様子も知ることなく過ぎた時期があった。
しかし、いつも、頭の隅には、今、どうしているだろうという思いは、あったような気がする。
そして、その細い糸を繋いでいてくれたのが、彼の母親だったと言うことになる。

私たちは、再会を喜び合い、ワインで乾杯し、お互いの過ぎた年月の話に、時を忘れた。
もう立派な社会人である彼だが、少年の頃の、人なつこい笑顔は、そのままであった。
そして、今は、もう、大人と子供ではなく、同じ人間同士で、話が出来るのが、何より嬉しかった。
明日は地方に行く予定があるという彼と、いつの日か、再会を約束して別れたが、帰りの車中で、暖かい涙が、私の胸を濡らした。
思ったのは、時間の経つすばらしさである。
海を隔てて、ほとんど顔を見ることもなく、長い年月が流れたが、昨日会った人のように、会話を続けることが出来た。
たぶん、心の中で、時間の経過を埋めるものが、しっかりあったと言うことだろう。



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