沢の螢

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ケータイを持つということ
2006年01月16日(月)

ひと頃までは、若い人だけの持ち物のように思われていた携帯電話。
中高年の間にも広がりはじめ、ここ1,2年の間に高齢者向きの、操作の易しいケータイまで登場した。
居所がわからなくなったり、事故に遭う確率の高い年寄りには、いざというとき、手元の機械で、簡単にS0Sを発することが出来れば、どんなにか心強いだろう。
私の仲間は、中高年が大半だが、今や、ケータイを持つのは、特別なことではなくなった。
高齢の人の中には、自分が持つと言うより、家族によって、持たされているという人もいる。
出先で、突然心筋梗塞でも起こしたようなとき、連絡出来ないと困るからと言うのである。
「娘がウルサイから持ってるのよ」と言いながらも、ケータイなら、孫からも気軽に掛けてもらえるので、まんざらでもなさそうである。
私も、まだ個人用のケータイがそれほど普及していなかった頃から、持っている。
自分では、全く必要性を感じなかったが、息子が、たまたま正月の福袋で、ケータイの機器を当てたからといって、私にくれたのである。
タダなら頂戴と言って、黒い不細工な器械を貰ったが、よく考えてみると、機器よりも、ケータイ会社の電話料の方が、ずっと高いものであることを、認識していなかった。
そのころのケータイは、文字通りの携帯用電話機であり、カメラも、メール機能も付いていなかった。
しかし、アッという間に利用者が増え、付属する機能も向上し、さらには、カメラも付き、メールはもとより、データベースとしての用途にも、使えるらしい。
ブログは、ケータイ対応になっている場合が多く、パソコンを持たない人でも、電車の中から、ケータイでブログに発信している人もいるようで、その点だけは、うらやましい。
私も、最初の黒電話的機器から、シルバーピンクのスマートな機器に、そして、また、二つ折りの機器にと、見かけだけは向上したが、パソコンと違って、指先で、操作する小さな器械は、どうも使いにくいし、分厚な説明書も読む気にならず、未だに、使いこなせない。
ごく必要な最小限の電話番号を、亭主に入力して貰い、順番に押しているうちに、掛けたい番号が出てくるというような、アナログ的操作の域を抜けていないのである。
「パソコンを使って、ホームページだの、ブログだのやっている人が、おかしいわね」と、友人たちはあきれている。
私のケータイに掛けても、大体が通じないと言うので、よく文句を言われる。
電源を切ってあることが多いからだ。
「私のは、110番と救急車と、あとは亭主に連絡するだけでいいの」と強がりを言っているが、せっかくなら、メールもインターネットも、パソコンと同じく使いこなせるようになりたいと思っていた。

昨日、青山で、私の所属する会の、新年の行事があった。
ケータイを持って出るのを忘れたが、あまり気にしなかった。
会が終わり、20人ばかりで、飲み屋に繰り出すことになった。
いつも仲良くしている人が、別のところで待っている人を誘ってくるから、というので、私は、ほかの人たちと飲み屋に先に行くことになった。
「今日ケータイ忘れてきたわ」というと「じゃ、何かあったら他の人に掛けるから」と彼女はいい、そこでいったん別行動になった。
私はみんなと一緒に飲み屋に行った。
店に着き、みんな店の人に案内されて、階下にあるらしい部屋に降りていったが、私は、彼女がすぐに来るだろうと思い、入り口のそばの、客待ち用のいすに座って、彼女を待つことにした。
「あと一人二人来ると思うので、来たら下に行きますから」と店の人に言うと、お茶を持ってきてくれた。
次々と、いろいろなお客が入って下に消えていった。
ところが彼女はなかなか現れない。
「どうしたの」と様子を見に来た人に「・・・さんから電話があるかも知れないから、あったら知らせて」と頼んだ。
わざわざケータイの番号を、彼女は他の人に訊いたりしたのだから、来るにしろ、来ないにしろ、遅くなれば、連絡があるはずだと思ったのである。
どのくらい待っただろうか。
ずいぶん時間が経ったような気がする。
場所がわからないのではないかと、外に出てみたりした。
店の人も、気にしている。
もしかしたら、誘った相手が来ないと言うので、そちらと一緒に別のところに行ったかのではないか・・。
私は、こんなところで、むなしく待ったことを後悔しながら、ともかく下に降りてみることにした。
「ちょっと狭くて、申し訳ないですが・・」と店の人に案内されていって見ると、確かに、狭い部屋に、びっしりみんなが座っており、もうすでに、乾杯もしたらしく、出来上がった雰囲気である。
そう言うところに、すんなりと馴染んで行けないのが、私の変に気の弱いところである。
「・・・さんから何か言ってきた?」と訊くと、「何も来ないわよ。番号がわかればこっちから掛けるけど」というので、手帳を見ると、なんと、今年用の新しい手帳には、肝心の情報が何も転記されていない。
そんなやりとりも、すでに賑やかにおしゃべりに興じている人たちには、聞こえない。
私は、雰囲気に出遅れたことと、詰まらぬ判断をしてしまったことで、だんだん憂鬱になり、そのまま、帰る気持ちになってしまった。
たぶん、彼女は、気が変わって、来ないのだろうと思った。
もやもやした気分のまま、家に帰った。
夫は夕食の最中である。
考えてみると、私は、新年会の昼食のまま、何も食べていなかった。
残りの物で、私も夕食をすませた。

大分経ってから、彼女から電話がかかってきた。
帰宅途中の駅からケータイである。
「どうして帰っちゃったの」と言っている。
誘いに行った相手が、行きたくないと言うので、じゃ、さよならというわけにも行かず、喫茶店でお茶だけつきあって別れ、それから飲み屋に行ったのだという。
私が店を出て、入れ違いくらいだったようだ。
私が入り口で待っていたことを聞き、悪かったと謝っている。
「電話してくれたら良かったのに」というと、「あなたのケータイだったらそうしたんだけど、遅くなっても行くのだから、向こうで会えるし、わざわざ他の人に連絡しなくてもいいと思ったの」という。
「絶対来てよ」と私がいい、「・・・さんに電話するから」といった彼女。
それは、もし、状況が変わったら、連絡するという意味だったらしいのだが、私は、来るにしろ、来ないにしろ、電話を掛けて来ると思いこんでしまった。
話してみれば、どちらも悪意のない、ちょっとした行き違いなのである。
彼女は、まさか、私が、さんざん待った挙げ句、帰ってしまったとは、思わなかったらしい。
「そう言う行き違いはあるよ。そんなときは、お互いを責めずに、悔やめばいいんだよ」と夫は言う。
確かにそうだ。
みんなと一緒に下に降りていれば良かったのに、勝手に、待っていた私の思いこみ。
そんなこととは、知らず、私がいると思って来た彼女。
その結果、謝らなくてもいいことに、謝る羽目になってしまった。
しかし、根本的な信頼感があるから、時間が経てば、解消するだろう。
「あなたがケータイを持っていたらねえ」と彼女は言った。
そうだろうか。
ケータイで、連絡出来ると言うことが、当たり前になるまでの人付き合いは、もっとお互いを気遣い、起こる可能性のあることをあれこれ想像し、会えなかった場合の手だてを考え、緊張感を持っていたのではなかったか。
ケータイがあることに頼ってしまうと、いつの間にか、そうした気配りも、思いやりも、忘れてしまう。
ケータイを持っていないのが、悪いという理屈になってしまう。
「君の名は」のすれ違いは起こらなくて済むが、何か、大事なことも、失っていくような気がしてならない。
昨年参加した合唱公演。
150人近くの団員の連絡手段は、メーリングリストだった。
費用もかからず、時間差もなく、大変便利だった。
中高年が多いので、高齢の団員の主として女性たちの中には、メールも、インターネットもだめという人が、少しいた。
その人たちへの連絡は、ファックスや、郵便を使った。
「済みませんねえ」と、毎回、お礼を言われた。
考えてみると、私たちは、それが普通の時代に育っているのである。
だから、自分が、出来るようになったからと言って、出来ない人たちを疎んじてはいけないのである。
メールやインターネットが普及して、昔とはちがい、格段に便利になった現在。
私はやはり、ケータイは、今の程度の使い方でいいことにする。
利便性に慣れて、他者への想像力が減退することを畏れるからである。
幸い、パソコンは、何とか使える。
これ以上便利でなくていい。
ケータイの使い方に習熟するよりも、その分、人の気持ちに敏感でありたい。
ケータイがなければ、つきあえないと言う人とは、つきあわなくていい。
そんなことを思った。



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