夫の弟から暮れのうちに誘いがあり、今日、そこに両方の家族が集まることになっていた。 義弟は夫より8つ若い。 まだ夫婦とも現役である。 その息子、娘が、この5年ばかりの間に所帯を持ち、私の息子夫婦も併せて、10人になった。 正月には、兄弟が集まる習いになっていて、弟一家が、こちらに来るというのが、長く続いていたが、最近は、義弟の方が家族が多いので、こちらから行くようになった。 義弟の家は、湘南にある。 息子夫婦と、だいたいの時間を合わせ、午後2時前後に着いた。 甥夫婦、姪夫婦がすでに集まっていて、台所で忙しそうにしていた。 居間には、大きな食卓に、10人の席が作ってあり、顔が揃ったところで乾杯した。 夫の父は夫が大学を出た年の秋に亡くなり、義弟はまだ中学生だった。 夫の母は、70歳の誕生日を過ぎたばかりの秋、亡くなっている。 今の時代としては、短命である。 義弟にとっては、私の夫が、父親代わりのような存在であった。 進学、就職、結婚まで、何かと、相談相手になっていた。 早く親を亡くした兄弟というのは、特別に結びつきが強いようである。 正月くらいにしか、会わないが、お互いを気遣っているのが、よくわかる。 それに、8つも年が離れているので、普通なら兄弟げんかをするようなことも、二人の場合は、なかったらしい。 夫も、弟も、親を早く亡くしたせいか、ともに25歳で結婚した。 今日は、昨年のウイーン演奏旅行のDVDを持っていき、みんなに見て貰った。 義弟はバイオリン、甥はフルートを趣味にしているので、音楽には関心がある。 あれこれ感想を交えながら、終わりまで、見てくれた。 たくさんのご馳走と、二世代にわたるいろいろな話題で時が過ぎ、ほろ酔い気分のまま、帰る時間になった。 義弟の家から駅までは歩いて五,六分である。 義弟が、送ってきてくれた。 東海道線に乗る息子夫婦、湘南新宿ラインに乗る私たちは、ホームで別れた。 電車の座席には、暖房が入っている。 夫は座ってしばらくすると寝てしまった。 団らんの場から、車中に代わり、気が付くと、今日の集まりの中に、二つの親世代、甥夫婦、姪夫婦、そして息子夫婦が揃ったわけだが、次の世代である子供が居ないのだった。 少子化ということばが、最近言われるようになり、人ごとのように思っていたが、考えてみると、身近にも、同じ現象があったのである。 結婚13年になる息子夫婦は、はじめから子供を欲しくないわけではなかったと思う。 共働きで、忙しく過ぎ、気づいてみたら、子供が居なかったと言うことだろう。 結婚5年目の甥夫婦、まだ一年ちょっとの姪夫婦は、そのうち、家族が増えるかもしれないが、今は、居ないと言うことである。 にぎやかで、落ち着いた雰囲気で楽しく過ぎた食卓の周りには、和やかで暖かい笑顔があったが、子供が一人二人混じっていたら、ずいぶん違った雰囲気になっただろう。 でも、帰るまで、そんなことに考えが及ばなかった。 高齢化と少子化の間には、関連性はないと思っているが、とかくセットで論じられる。 老人にかける予算を減らして、少子化対策に回せなどという議論があるのを聞くと、何か変だなあと思う。 10年先には、私の世代はかなり減るし、20年先には、団塊の世代がぐっと減るから、黙っていたって、高齢者の割合は、減少するのに。 戦後のベビーブームで、爆発的に増えた世代が、高齢者になれば、いずれ少しずつ減るのは、自然のことなのだ。 日本の人口は多すぎるくらいだから、むしろ、減った方がいいくらいだ。 高度成長期に、さんざん働いて、税金をうんと納めてきた高齢者を、お金がなくなったら、手のひらを返したようにバカにして、粗末に扱おうなんて、姑息なことをして、それが子供の生まれる有効な手段だと思っているなら、それを本気で考えている人たちは、相当なバカだ。 若い人も、確実に年をとる。 目先の現実を変えて、悲惨な未来が待っていることになるのに、それで幸せなんだろうか。 子供の問題は、もっと基本的な、人間の愛情とか、幸せとか、家族観に基づいているものなのに、世代間の確執を呼ぶような議論に持っていくから、年金生活に入った高齢者は、だんだん暮らしにくくなり、老人を邪魔者扱いにするような空気が生まれ、社会全体がギスギスしてくるのに。 子供を持ちたいという気持ちは、おそらく、政治や国策とは違うところで、出てくるものではないだろうか。 今日の新年会は、家族の良さ、ありがたさをあらためて感じた集まりだった。 若い三夫婦が、やがて、自然に家族が増えるような状況が生まれたら、それも楽しいだろうなあと思いつつ、電車に揺られていた。
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