数年前、ある文芸サークルに参加していた。 15,6人くらいの小さなグループで、主催者の住む地区を中心とするメンバーで成り立っていた。 どこにでもある自治体の、コミュニティセンター主導型の活動サークルの一つと言ったらいいだろうか。 私はその地区の住人ではないが、はじめはゲストとして招かれ、何度か行くうちに、「入りませんか」と言われて会員になった。 ほかにも、地域外の人が何人かいて、私だけが特別と言うわけではなかったのである。 家から行くには、バスに乗り、私鉄に乗り、会合の場所によっては、途中で乗り換え、さらには、またバスに乗り、という具合で、決して行きやすいところではなかったが、私はそのグループが好きだったし、メンバーも、いい人たちだったので、途中まで夫に車で送ってもらったりして、例会には、他のことに優先して出席した。 1年半くらいたっただろうか。 些細な行き違いから、私はそのグループから抜けることになったが、そのいきさつについては、ここには触れない。 インターネットでは、私は、サイトごとに決まったペンネームを使い、ニュースなどで公表された以外の、実在の個人や団体について、固有名詞をはじめ、それを特定するようなことは書かないが、たまたま私の実名とペンネームを結びつけることの出来た人が見に来た場合、ネット上に書かれたことを、すべて実在の事実や人物に当て嵌めて、詮索されるのは困るからである。 ケータイなどで、ちょくちょく覗いている知人が居ることも、知っている。 リアルの場で話題にしなければ、こちらも、そのままにしておく。 私が自分のサイトで、何を発信しようが、それがネット上のルールを侵さない限り、本来自由な筈だが、それを黙って見ている限りは、ただの観客に過ぎないからである。 もし、言いたいことがあれば、これも、ルールに従って、コメント欄に書き込むなり、メールボックスに送信すればよい。 人の思いこみというのは、厄介であるから、たとえば、テレビドラマを見ても、自分と同じ状況にあるヒロインが出てくれば、それを自分のことだと思いこむタイプの人はいるであろう。 実際に、私のホームぺージを、しつこく検索で追いかけてきて、そこに書いてあることを、事実と引き比べて検証し、少なからぬ数の人たちに怪文書のごとく流すといった、とんでもないこともされている。 知らない人が見たら、どこの世界にでもありそうな、どうということのない記事であった。 書かれた記事を、どう読もうが、読み手の勝手だが、私は、特定団体の記録係でもなければ、魅力のない無名の人物の評伝を書く義務はないから、記事内容がたまたま読み手の状況と似た現実があったからといって、「あそこに書いてあることは、事実と違う」などと、文句を言われても困るのである。 こんなことは、ちょっと物を書く人なら、わかることである。 だいたい、どこの誰とも書いていない記事の主人公が、その読み手そのものであるなどと、誰が特定するのだろうか。 サイトやブログに、私の書くものは、自分の心の問題が主なので、面白おかしい内容ではないが、その中には虚の部分も混じる。 小説のようにフィクションにした部分も、ずいぶんある。 その中で、私は男になったり、どこかの誰かの人格を借りて、ありそうでなさそうなドラマを作って愉しんでいる。 ニュースや、有名人についての記事は、伝えられる事実に即してはいるが、テレビや新聞の受け売りではない。 すべて私の見方、考え方に沿って書いている。 そうやって、発信している記事を、いちいち検事のごとく、事実検証などされては、たまったものではない。 第一、家族、知人、友人、その他、リアルの世界の人には、一部のカテゴリーを除き、公表さえしていないのである。 だから、たまたま見つけた私のサイトやブログの書き手が、私だと言うことは、推測でしかないのである。 そうはいっても、思いこみの激しい人に、私の生活圏で、怪文書など回されては困るので、場面や人物設定は、芝居仕立てにして、配慮している。 前置きが長くなったが、私が腹を立てているのは、そのような虚実の皮膜の世界の話ではない。 つまり、固有名詞があり、団体名が明らかにされている場所でのことである。 前述したグループの発行する会報が、100号に達するというので、前後に記念の記事を特集したらしい。 私のところに送って来るわけはないが、そのグループで実権を持った人のサイトに、その会報の記事を一部転載したのがあって、そこで見て知った。 そのサイトは、グループの活動状況も載せているが、誰でも見ることの出来る別サイトにリンクしているから、私でも、アクセスできるのである。 そして、特集記事の中には、過去の会員の作品なども出ていて、私の名前や作品も、実名そのままで出ている。 多くの人の目に触れるインターネット。 しかも、やめて何年も経つ私の名前。 その名前と作品の一部を転載するのなら、あらかじめ、一言断りがあってしかるべきではないか。 いったん会報に発表された物だからといっても、無断で転載することはないだろう。 せめて、会報の一部くらい送って知らせるべきではなかろうか。 会報の段階なら、配布の範囲は限られているからまだいい。 インターネットサイトは、どこの誰が見るかわからないのである。 その危険性を、サイト管理者はわかっているのだろうか。 本人にことわりなく、実名をネットにさらすという無神経さ。 実は、この無神経さと配慮の無さこそ、私がグループから去った一番の原因なのだ。 グループの責任者宛に、クレームを送ろうかどうか迷ったが、これまでの経緯で、そんなものは、無視され、誠意ある対応がなされないことはわかっている。 載っているのは名前と作品の一部。 住所や電話番号まで晒してあるわけではない。 記事そのものも、そのうち、スクロールされて、見えなくなるだろう。 そう思って、静観することにしたが、腹立たしいことには違いない。
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