新しい年が巡ってきたが、暮れから元旦にかけて、何もしないようでも、主婦は気持ちがせわしい。 この10年あまりは、大晦日から正月にかけて、息子夫婦がやってきて、2泊ほどするのが、習慣になっている。 息子の妻は働く女性だが、いまどきの人には珍しく、家事も、自分でやるタイプ。 「共働きなんだから、奥さん任せはだめよ」と息子に言うが、「いえ、私がやった方がうまくいきますから」と、彼女の方は気にしない。 確かに、何事も手早いし、子供の頃から母親にしっかりしつけられたらしく、家事を苦にしないようだ。 わずかな正月休みだというのに、せっせとおせち料理など作り、車にどっさり積んでくる。 家に来ると、そのままエプロンなど掛けて、台所に直行し、料理の仕上げに取りかかる。 「そんなに動かないで、少しのんびりなさい」と言うが、婚家でそんな気にならないことは、経験上、私もよくわかる。 今年は、年末年始の休みが四日しかないので、泊まるのは一泊だけになると、息子から電話があり、「同じ東京にいるのだから、日帰りでちょっと来ればいいわよ」と言ったが、息子の妻にしてみれば、実家には泊まりに行くのに、亭主の家には日帰りというのでは、悪いと思うらしい。 「普段、なかなか行けないので正月くらいは・・・」と息子がいい、結局、大晦日から元日にかけて我が家、そのあと彼女の家に一泊、最後の一日だけ、自宅で、ゆっくり過ごすと言うことに落ち着いたようだった。 四日からは、もう仕事だという。 「料理も大変だから、いいわよ」と言ったのだが、やはり、大晦日、彼女の定番となっている和洋折衷の正月料理を、たくさんタッパーウエアに入れて持ってきた。 試食もかねて、それらを並べ、私が作ったのは、サラダとつまみ少々くらいで、ほとんどは彼女の作った料理で、夕食となった。 今年は誰も、紅白を見ないというので、ウイーン演奏旅行のDVDをかけ、モーツァルトの「レクイエム」の演奏本番を見てもらった。 旅行の話も含め、話が弾み、いつの間にか年が明け、シャンパンで乾杯した。 正月は、みな、10時頃まで寝ていた。 それから新年の食卓を囲み、年賀状を見たり、息子夫婦と団らんしながら夕方まで過ごした。 夕方6時過ぎ、息子たちは、彼女の家に行くと言って、出て行った。 向こうでも、親たちが待ちかねていたことであろう。 そして今日は、今にも雪が降りそうな寒さ。 夫婦二人で、また静かな平常の生活に、早くも戻っている。 特別でないこんな平凡なことを、長々と書いてしまうのは、年をとったと言うことかもしれない。 平凡で平和に暮らせることのありがたさを、このごろつとに感じている。 今年、私は年賀状を、昨年より減らしたが、ほとんどつきあいもない義理の賀状を、いっさい止めたからである。 出せば、受け取った方は、返してくる。 出さなければ、来年は向こうから来ないだろう。 数の多さを誇る気もないのだから、実質的なつきあいの範囲に留めることにした。 それで、今年は60枚くらいで済んだ。 今年貰った年賀状を見て、来年は、また差し出し先が変わるかもしれない。 自分の身の始末を、少しずつ付ける年になってきている。
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