沢の螢

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ケアハウスで
2005年12月06日(火)

このところ寒さが厳しい。
しばらく父母の顔を見ていないので、午後から行く。
都内のケアハウスにいる両親は、共に90歳を超えて、健在である。
父の方は先月、時々熱を出したりしていたので、心配したが、今日は、元気な顔を見せてくれた。
95歳、いつ何があっても、おかしくない年である。
まだ車椅子は使っていないが、かなり足は衰えていて、ハウスのヘルパーさんの手を借りないと、歩けない。
しかし、なるべく車椅子を使わない努力をしている。
私の顔を見ても、もう、名前を呼んではくれない。
会話の力は、とんと衰えてしまった。
ただ、こちらから言うことには、反応するので、少しはわかるのであろう。
好奇心が旺盛で、外に出るのが好きだった父。
いつも、本を読み、短歌をたしなみ、人と話をするのが好きだった父。
いろいろなことが、だんだんわからなくなっても、穏やかで、人に気を使い、礼儀正しい性格は、少しも変わらなかった。
父の姿を見ていると、人間の、子どもの頃から培われた人格は、一生を通じて、変わらないものだと言うことが、良くわかる。
沢山のきょうだいも、ほとんど亡くなり、親しくしていた友人、知人、同世代のほとんどは、この世にいない。
そうした寂しさを感じる力がなくなったことは、父にとって、神様の思し召しかも知れない。

一緒にいる母は92歳、耳が遠く、補聴器を付けていても、相当大きな声でないと届かない。
それでも、ハウスのスタッフや医者の言うことは、大体わかっているらしい。
会話は、母の一方的な話に、こちらが相づちを打ったりすることが多く、あまり細かなニュアンスは伝わらない。
頭はしっかりしていて、まだお金は自分で管理している。
週に二回、スーパーなどの買い物をスタッフに頼み、日用品や食料品などを買ってきてもらうらしい。
自室の電子調理器で、食堂では出ないような、好みのおかずなどを作っている。
私が行くことが、前もってわかっているときは、煮物などを作って、持たせてくれたりする。
今日は突然行ったので、「何も作ってなくて悪いわね」と、取り置きのカステラを切ってくれた。
60代半ばになっても、私は母にとって、いつまでも、娘なのである。
父のことも、最近まで、母があれこれ世話を焼いていたが、もう手に負えなくなって、今は、ほとんどハウスの介護に任せている。
「無理しないで、やって貰いなさい」と私も言う。
その為に入っているのだから。
きょう、ハウス内の喫茶室にコーヒーを飲みに行った父が、ヘルパーさんに連れられて、戻ってきたので、私が、椅子に座らせようとした。
ところが、なかなか巧くいかず、一苦労した。
後ろから父の脇の下に、私の腕を差し込み、両手で、持ち上げようとしても、思うように行かない。
何とか、椅子に座らせたが、若いスタッフでも、こういう世話はさぞ大変だろうと、良くわかった。
専門的知識がないと、骨折や打撲に繋がってしまう。
改めて、ハウスの介護に感謝する気になった。

夕方帰るとき、「お父さん、また来るからね」と言って、父の手を握ると、ビックリするほどの強さで、握り返した。
ハウスの中は、ほどよい気温が保たれている。
外に出ると、寒い風が吹いていた。
両親を見送るまでは、私も元気でいなくては・・。



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