沢の螢

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タテ思考のボランティア
2005年08月15日(月)

今は、女性の社会進出が、普通のことになったから、男の人だけの問題ではないかも知れないが、会社や組織で、長年働いてきた人が、地域社会や、自主的な趣味の集まりなどで、何かをするとき、時に、男上位のタテ社会の論理をそのまま持ち込んで、うまく行かないことがある。
ことに、現役時代、何かの事情で、自分の理想や夢を充分果たせなかった人に、この傾向が強いようである。
その人たちは、違った場所で、それを取り返そうとするのかも知れない。

もう一昔前のことだが、女性が多くを占める地味なボランティアグループにいたことがあった。
グループとしては、15年を超える歴史があり、メンバーはほとんどが主婦達。
勿論、長となる人はいたし、会計や行事担当など、いくつかの役割はあったが、目的は地域のボランティア活動だから、みな、自分の出来る力で自主的に参加し、うまくやっていた。
そこに定年を迎えて、参加する男の人も、ぼつぼつ出てきた。
今までの、タテ社会から、肩書きの何も通用しない世界に、入ってきたわけである。
今までとは違うのだという意識を持ち、自分をまっさらにして、とけ込む努力が出来る人はいい。
しかし中には、新しい環境に張り切って参加したものの、それまでの、会社人間的資質をそのまま持ち込み、今までの価値観から抜け出せず、グループから浮いてしまう人もいた。
女性達は、実生活でも、男の人をうまく立てて、物事を運ぶことに、慣れているので、最初は、やさしく親切に、対応する。
しかし、それを当然と思って、偉そうな態度を取れば、みな、シラケてしまう。
男だから女の上に立つのが、当たり前だという態度は、もってのほかである。
大企業で働いてきた人の目で見て、如何に、稚拙な運営の仕方であっても、グループには、それなりに築いてきた経過があるのだから、まずは謙虚に学ぶという姿勢が大事であろう。
逆に、現役時代、かなりの地位にあった人が、ボランティア活動などでは、むしろ一番地味な作業を受け持って、生き生きとしていることがある。
多分、それまでの人生で、充分に仕事をし、思い残すこともなく、人を使う煩わしさから解放されて、新たな発見をし、新鮮な気持ちになれるのかも知れない。

営利団体ではない趣味の会でも、ある程度人が多くなると、多少はタテ社会のやり方で、まとめねばならない場面も出てくる。
定期的な行事、外の会との付き合い、会の名前ですることには、全体の合意が必要だし、そのための情報交換の手段も要る。
代表者、それを補佐する人、会報を作ったり、会計を受け持ったり、いろいろな役割がある。
一人で出来ることもあれば、チームを作ってやることもある。
中高年者が多数を占める団体の場合、そうした人事にも、とかく男性中心になり、女性が補佐役に廻ってしまうのは、これまでの、社会環境からして、仕方のない面がある。
何と言っても、男の人は、組織作りがうまいし、人脈も持っているのだから。
しかし、その中での、小さいチームで果たすことについては、男女を問わず、適材適所でやっていけばいいのだが、そこにも、男上位のタテ思考を持ち込む人がいると、チーム活動はうまく行かない。
ある程度のスケジュールや、方向性があったとしても、チーム内で、合意を測りながら、ゆっくりやればいいのである。
儲け話ではないし、それで、名を売るわけでもない。
たかだか趣味の会の、本来自発的なボランティアで参加している活動である。
民主的に話し合い、試行錯誤を重ねながら、よりよい物にしていけばいいというたぐいのことである。
役割分担はあるが、会社で言うような上下関係はないのである。
そんなところに、高圧的な態度で、仕切る必要がどこにあるだろう。
子どもの集まりではない。
それなりの人生経験を持った人たちのグループである。
物の言い方もわきまえず、まるで下請け会社をやり込めるような態度を取れば、ほかの人から反発を食らうのは当然であろう。
ボランティア活動に、妙な野心を持ち、功を焦る人は、ダメである。
そういう人は、結果がよければ、自分の手柄にするだろうし、うまく行かなければ、他人のせいにする。
たまたま私が関わった、ある事例を通して、痛感した。



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