沢の螢

akiko【MAIL

My追加

喪の礼儀
2005年06月03日(金)

元大関貴乃花、二子山親方が亡くなり、長男花田勝氏が喪主を務めて、葬儀が終わった。
これについて、偉大な力士であった故人を、悼むことの他に、取り沙汰されていることがいろいろあり、当事者、関係者の発言を廻って、マスコミ報道がかまびすしい。
それについて、私がとやかく言うことは避ける。
ただ、思うのは、人の死を悼むというのは、どういうことかと言うことである。
故人が親しくしていた人たち、何らかの関わりのあった人たち、マイクの前で、求められての発言を聞く中で、きわめて個人的なことだが、思い出したことがあった。

夫の母は25年前、70歳になったばかりで、脳溢血のため亡くなった。
父の方は、夫が大学を卒業した年の秋に、亡くなっている。
義母は、昔気質の女性だったので、家のことは、夫と息子を立てて、切り盛りしていたが、実際には、この母が、すべてのことを仕切り、支えていたと思う。
私は、この母から、世間との付き合い方、日本人が昔から行ってきた冠婚葬祭での身の処し方、他人に家の中のことを話すときの心構えなど、自分の母よりも、多くのことを教えて貰った。
もう少し、長生きしてほしかったという思いは、今でもある。
夫は、23歳で、死んだ父の代わりに、一家を代表して、親戚や近隣のさまざまな付き合いに出ることになったが、裏では、母が、すべてを支えてくれたので、余り苦労をせずに済んだ。
母が亡くなったとき、夫は長男として、義弟と共に、喪の儀式一切を取り仕切り、母の遺したわずかばかりの遺産の処理も含めて、兄弟の間で、すべてが巧く運び、私はそれらのことを通じて、明治生まれの夫の母を、あらためて偉い人だと思った。
母の葬式には、生前ゆかりのあった人達が、来てくれたが、私たち夫婦が、初めて顔を合わせた人たちも多い。
母は、亡くなる少し前まで、都心で一人暮らしをしていた。
旅行が好きで、度々ツァーで国内旅行に出かけていたことや、茶道をたしなんでいたことくらいしか知らなかったが、葬儀の時にいろいろな人たちに、挨拶されて、あらためて母の、交友の広さを知った。
その時、母の友人だという女性が、私に言った言葉を今でも、覚えている。
その人は、焼香を済ませてから、私たちに型どおりの悔やみの挨拶をしたあとで、こう付け加えた。
「でも、お母様、お元気なうちに亡くなって、かえって良かったんじゃないでしょうか。いつも、寝たきりになって、お嫁さんの世話になるのはイヤだと言ってましたから」。
夫も、私も、葬儀に来てくれたお礼を述べて、送ったが、その人の言った言葉は、ずしんと響いた。
そして、母の友達は沢山いたが、少なくとも、その人だけは、本当の友人ではないと思った。
母が、そんな話を、自分の仲の良い人たちに言っていたかも知れないことは、想像できる。
それは、「ここだけの話」だからであり、相手を信頼しているからこそ、出てくる話題である。
だから、それを聞いて、母に対して、怒りの気持ちは、少しも沸かなかった。
それよりも、こんな人を、友達として、信頼していたのかと、母がかわいそうになった。
もし、本当の友達なら、亡くなった人の言葉は、黙って胸の中に収めておくだろう。
それが、友情であり、喪に際しての礼儀である。
葬儀に行った先で、自分自身には、何もふりかかってこない事柄について、葬式が終われば、その息子夫婦と、付き合うこともないであろう立場で、口に出すことではない。

二子山親方の葬儀で、故人の親友だったという、ある親方が、故人と貴乃花親子の確執を伺わせる言葉を、故人が生前漏らしていたと、マイクの前で喋っているのを聞いて、義母の葬儀の日のことを思いだした。



BACK   NEXT
目次ページ