沢の螢

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ネットの交流を廻って
2005年06月01日(水)

私は文芸創作を趣味にしているので、インターネットで、詩や連句、短歌のサイトに投稿したり、自分のサイトでも、掲示板を使った連作の場を設けている。
私の連作掲示板の参加者は、顔見知りの人と、ネットの上だけでの付き合いの人とが、いつも混じっている。
当時は、ホームページを持っていないと掲示板が借りられなかったので、その為にサイトを開設した。
もう4年になるが、参加者の出たり入ったりの変化はあっても、概ね、いいメンバーに恵まれて、深刻なトラブルもなく、過ぎているのは有り難いことだ。
今では、ブログの方が身近になってしまったが、作品の公開場所としての、サイトの役割はあるので、連作用、訪問者用掲示板と共に、機能している。
サイト管理者として、一番気を使うのが、掲示板でのメンバー間の遣り取りの中で、トラブルになったとき。
創作上の議論がきっかけになって、言葉の行き違いからバトルになることが、たまにある。
しかし、これは、あくまで「芸術論争」みたいなものだから、お互い、言葉には、気を付けて、決して相手の人格に関わるようなことを言わないようにすれば、やがて収まる。
バトルの現場に居合わせた他のメンバーも、冷静に、公平に対応するような大人の知恵が働けば、むしろ、よい結果に移行する場合もある。
ネットであっても、その向こうにいるのは紛れもなく、人間であり、人の心は、考えるより、ずっとデリケートに出来ている。
それは、年令や性別と、関係ない。
何げない言葉の言い回しや、その時の受け止め方で、思わぬ誤解が生まれたり、心ならずも相手を傷つけてしまったりする。
そして、お互いの顔を見て話す場合と違い、ネットでは、書き込まれた言葉だけが頼りだから、そこに籠められたニュアンスを、相手が、こちらの意図と違って、受け止めてしまった場合は、思わぬバトルに発展してしまうこともある。
サイトの中で、そんなことがあったときは、管理者が、中途半端に放置せず、適切に捌かないと、ちょっとしたトラブルが、大きな問題に発展してしまったり、収まっても、双方あるいはどちらかに、感情的なしこりを残すこともあるので、難しい。
私の場合は、顔の見えない相手に対しては、顔見知りの人より、何倍も気を使うようにしている。
知っている人なら、別のところで埋め合わせが出来るが、ネット上だけのご縁は、ネットの中で、解決するしかないからである。
そして、ネット以外での付き合いの気配を、ネットの中では、出来るだけ、晒さないようにする。
そうでないと、ネットだけのご縁の人は、取り残されたような気持ちになり、何かウラで遣り取りしてるのではないかと、不信を抱くことになるからである。
それは、私自身も、よその交流の場で、時々経験するので良くわかる。
参加者あるいは訪問者に、公平かつ誠実に対応するというのが、インターネットで交流する際の、管理者の心得であろう。

あるサイトの投稿欄に参加していたときのこと。
掲示板で、現代風の連歌を楽しんでいるグループだった。
10人くらいの小人数で、仲良くやっていた。
管理者は、60代の男性と思われ、メンバーも、大体中高年の人たちのようだった。
年齢が明記されているわけではないが、遣り取りしているうちに、大体わかってくる。
管理者の面識ある人もいたようだが、大体は、インターネットのみのご縁である。
私も、その一人だった。
卓越した管理者のリードで、活気のある遣り取りが展開された。
一人二人の移動はあったが、常時活動しているメンバーは大体固定していた。
そこに、新人が入ってきた。
詩を書いているという、若い女性である。
「連歌というのは初めてですが」という自己紹介に、「新しい才能を迎えて・・」と、管理者は喜んだ。
確かに、彼女の詩を見ると、なかなか感覚のすぐれた人で、ひらめくものを持っていた。
そして、早速、グループの連作に加わった。
ところが、理に勝っているというのか、頭でっかちというのか、理論から入ろうとする。
毎回、理屈をこねるし、難解な言葉を使いたがるので、出来た作品が、大変わかりにくい。
連歌は、五七五と七七を繋げて、一首の歌を作り、次々と繋げていく遊びである。
だから、次の人が、巧く受け止められないと、流れていかない。
多少のルールもある。
一人で作るものは、どんなに難解でも、独りよがりでも構わないが、連作は、共同作品だから、ほかの人に伝わらなければいけないし、全体の調和と言うことも大事である。
そこで、次の順番に当たっていた女性が、「意味がわからないので、解説して下さい」と言った。
管理者も、「こんな風に、表現を変えてみたらどうか」と助言した。
そんなことが、何度かあって、そのうちに、新人は、キレた。
わからないのは、そちらに鑑賞力がないからだ、無知を押しつけないでほしいと言い、自分は子どもの頃から、内外の古典は暗記する程読んでいる、人より言葉の知識が多いのは、いけないことなのかと、やや感情的な言い回しで、掲示板に書いた。
新人だからと言うことで、歓迎のメッセージを寄せた人もいたし、管理者が、当初から、少しチヤホヤしたせいもあって、甘えもあったのだろう。
しかし、その言い方は、明らかに無礼であり、相手の人格を侮辱したものだった。
言われた女性は、憤懣やるかたないものがあったのだろう。
直接言い返すことはしない代わりに、「ここで降ろさせていただきます」と、連作の途中で抜けてしまった。
管理者の、やや公平さを欠いた対応の仕方もまずかった。
若い才能を、何とかグループに定着させたいという気持ちが先行し、そちらに気を使うあまり、日ごろ冷静で、メンバーに気配りのある管理者が、どこかバランスを逸していたらしい。
それが発端となって、他の人たちも、だんだん、疑心暗鬼になり、明るく活発だった遣り取りが、影をひそめてしまった。
その少し後に、私も退会してしまったので、そのグループが、今でも続いているかどうかは、知らない。

実際のサークルやグループ活動でも見られることだが、男性がリーダーの場合、とかくハーレムを作りたがる傾向がある。
そして、気に入った女を特別扱いしたりする。
これは絶対ダメである。
ある程度年を重ねた女性達は、自分の品位を下げるので、絶対口には出さないが、みな、心の中で苦々しく思っている。
そうした、見えない空気を読むのが下手な管理者の場合は、悲惨な結果になることもある。
同性から見放された女性こそ、かわいそうである。
贔屓の引き倒しと言うが、ハーレムのボスに、えこひいきされたために、せっかくの才能をグループの中で生かせず、孤立してしまった人を知っている。
しっかりした女性が仕切っているグループが、比較的うまく行っているのは、女はハーレムを作らないし、公平だからである。
「どんな先生が嫌いか」と訊かれたときの、子どもの答えに「えこひいきする先生」と言うのが、一番多かったそうだ。
大人も同じである。

今、私の連句掲示板は、男の人に捌きを頼んで、進行中だが、ゆっくりと、お喋りを楽しみながらやっている。
4年間で、作品数は、50巻を超えた。



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