沢の螢

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同じ星の下に生まれて
2005年06月10日(金)

あまり触れたくないことだが、二子山親方が亡くなって以来の、その息子達の「争い」は、つらいなあ。
ワイドショーが格好の話題にしていて、だんだんエスカレートしている。
夫は「こんなもの見るな」とテレビのスイッチを切ってしまう。
どこの家でも、親子、きょうだいの関係は、一様ではないし、他人の窺い知れないことが沢山ある。
子どもの頃は仲が良くても、それぞれ配偶者を持ち、子どもが出来て、家族としての形が整って来るに連れ、きょうだいも他人の部分が多くなるのは仕方がない。
普通の人は、私生活の範囲に留まっているが、有名人であり、社会的立場のある人は、家族の問題まで、すべてさらけ出されてしまう。
そして、それを取り上げて、ああだ、こうだと、話題にする人たちは、彼らの身になって考えているわけでなく、面白がって、商売にしているだけだから、何ともいたましい。
マスコミのえじきになっているとしか思えない貴乃花の記者会見を見ていると、その話の真偽はともかく、「黙って、超然としてなさい」と言ってあげたくなる。
そして、自分たちが、カメラで追いかけ、無理矢理マイクの前に、引きずり出しておきながら、片方で「沈黙は金」だなんて言うコメントを、番組のゲストがしているのは、矛盾も甚だしいし、マスコミというのは、なんと節操のない、ご都合主義の人達かと思う。

ところで、この話題から離れて考えると、よく言う「沈黙は金」という言葉は、人間関係を良くするために、必ずしも当たっていないように思う。
私は、物事をいい加減に済ませることの出来ないタチなので、家族の間でも、友人との付き合いの中でも、何かあれば、率直に言うほうだが、当事者同士であれば、その方が、解決しやすい場合が多い。
問題は、当事者の間で、話し合いが出来ないときである。
こちらの投げかけたことに、相手が応えず、第三者に波及してしまったときは、解決から遠くなるばかりか、双方に誤解が生まれ、禍根を残してしまう。
私自身も、そんな経験が、この数年の間に、いくつかあった。
その中に悪人はひとりもいない。
一人一人は、みな、善良で、常識をわきまえた人たちであるのに、どういうわけか、些細なことでボタンの掛け違いが起こり、タイミングを逸したために、修復が難しくなってしまったことであった。
その原因の一番大きなものは、コミュニケーションの不足である。
緊張する関係であれば、人は、意思疎通に、努力するのであるが、なまじ、良くわかっていると思う間柄であるために、それに甘えて努力を怠るのである。
相手がわかっているだろうと思うのは、やはり一方的な思いこみなのであり、どんなに親しく、意思疎通が出来ているような関係であっても、まず言葉で伝え合うことは、大事なことではないかと、つくづく思う。
問題に真正面から向かい合う意志が、相手になければ、もう、諦めるしかないが、もし、その人と、今後も、ずっと良い関係を維持していきたいと思うなら、やはり、お互いに努力しなければならないだろう。
でも、それは理想であり、理屈でもある。
かくして、私の心には、真っ赤な薔薇の刺が、刺さったままである。

きょうだい、はらから、どうほう、どうし・・いくつもの表現を持つ星の下にいるのに・・。



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