沢の螢

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効率と人の命(2)
2005年04月30日(土)

前のエントリーに触れたあざらしサラダさんの記事に関して、
<こうした事故を結果的に起こさせたのは我々ユーザだったのでは?
と言うコメントがあった。
私も、同感である。
バスや電車を待っている時の、時間通りに来ないイライラ感は、正直、私の中にもある。
特に、約束の時間があって出かけた時、しかも、出かけるのが、ぎりぎりだったりすると、そんな自分の余裕の無さを棚に上げて、バスや電車を責めたくなるのである。
でも、交通機関を利用するのが、いつも元気で、敏速な人ばかりではない。
足の弱い高齢者、車椅子の利用者、怪我や病気を抱えている人、赤ちゃんを抱いた母親。
その対応のために、遅れることもあるので、5分や10分、待ってもいいという気持ちにならないと、やさしい社会とは言えない。
電車に飛び乗ろうとして、階段を駆け下りてきた人に、突き飛ばされた妊婦が階段を転げ落ち、胎児共々、亡くなった例が過去にあった。
これは、まさしく暴力である。
私も、階段を昇り降りする時は、なるべく端に寄って、手すりにつかまる態勢で歩くが、時に、コワイ思いをすることがある。
また、朝の通勤時間帯に、電車に乗ることがあって、コンコースを歩いていたとき、走ってきた若い女性が、盲人にぶつかり、白い杖を飛ばしたのを、目撃したことがある。
彼女は、ちょっと振り返ったが、急ぐ気持ちが先に立ったのか、そのまま行ってしまった。
幸い、すぐ近くの人が杖を拾ってあげたので、よかったが、これも、時間に縛られたゆとりの無さが生んだ、ひとつの暴力であろう。

私が利用する駅には、道路から駅に通じる階段の脇に、狭い昇り用のエスカレーターが付いている。
広いエスカレーターなら、右側を急ぐ人のために空けておくが、そのエスカレーターは、一人分のスペースしかない。
そこを駆け上ったりすると、前に立つ人は、イヤでも歩かねばならなくなる。
最近、エスカレーター内を歩くのは、禁止になった。
本来、足の弱い人、年配者などが多く利用するエスカレーターで、後ろから急かされると、無理して歩くことになるし、危険も伴うからと言うことであろう。
当然の処置である。
元気な人、急ぐ必要がある人は、広い階段を使えばいいのである。

ゆとりの無さは、交通機関だけでなく、日本社会全体を覆っているようである。
39才になる息子が、家に来た時、いつも言うのは、経済効率を上げ、経費を減らすために、ぎりぎりの人数で、目一杯働いているという、職場の環境である。
実情を訴えても、上層部は、理解がなく、それこそ精神論を振りかざして、説教するだけだという。
「全く、どうしようもないよ」と、時に無力感に襲われるが、そうも言っていられないので、自分の中で、つじつまを合わせて、仕事をこなしているが、まともな時間に帰れるのは、週のうち、1日か二日、時には、土日も、出なければならないという。
あまりのことに、ストライキのつもりで、10日程休み、出勤した日に、直属上司を飛び越して、社長に訴えた。
その結果一人人員を増やしてくれたが、適性を配慮しない配置だったために、「あまり役に立たなくてねえ」と、嘆いていた。
聞いている私たちは、息子が、健康を害さず、何とか気持ちよく、仕事が出来るようになってほしいと願うだけで、何も、手伝ってやれない。
「体だけは大事にしなさい」といいながら、そんな言葉が、何の役にも立たないことを知っている。
この連休、息子夫婦は、休暇を調整して、1週間のハワイ旅行に出かけていった。
成田から電話を掛けてきた息子の声は、明るかった。
久しぶりに得られた、束の間の自由時間。
存分に愉しんで、無事に帰国してくれることを祈りたい。



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