沢の螢

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効率と人の命(1)
2005年04月29日(金)

先日、JP西日本福知山線で起きた列車転覆脱線事故。
亡くなった人たちは106人と言われ、予想以上の大きな惨事となった。
この事故の原因については、車両やレールなどの物理的問題、スピードの出し過ぎとブレーキのかけ方などの人為的問題など、いろいろなことが考えられるが、その究明には、多くの専門家が携わって、結果が出るのは、時間が掛かることであろう。
また、テレビやインターネットなどの関連記事を読むと、日が経つにつれ、事故に伴ったいろいろなことが、明らかになってくる。
事故の詳細については、ここでは、あらためて、繰り返すことはしない。
ブログでも、いくつか取り上げられて、中には大変しっかりした記事、たとえば、あざらしサラダさんの関連記事を参照されたい。

このところ浮上してきたのが、経営的立場から、効率を第一に考える会社の論理と、過密ダイヤの中で極度の緊張とプレッシャーを抱えながら、日々、運転席に立っている、現場の運転士や車掌達の、勤務状況である。
JR西日本では、ダイヤを正確に運行することが、最優先されていて、列車の遅れは、秒単位で、報告しなければならないとか、遅れを取り戻すために、120キロぐらいのスピードで列車を走らせ、ブレーキのかけ方も、神業に近いやり方でするのが、日常的になっていたとか言う話を、覆面で語る現役運転士達の言葉を聞くと、この事故の誘因のひとつには、そうした現場を取り巻く「安全よりもダイヤ重視」という、雰囲気と環境にもあったのではないかと思えてくる。
過去に、列車運行が50秒遅れたために、「日勤教育」なるものを受け、自殺した運転士。
管理職が見張る中で、一時間毎に反省文を課され、その遣り取りの中で、追いつめられていく課程が、日誌に残されている。
今回の、23才の運転士も、一年足らずの勤務の中で、オーバーランなどを起こして、日勤教育を何度か、受けていたらしい。
25日は、40メートルというオーバーランを起こし、遅れた1分30秒を取り戻すために、かなりのスピードを出していたようだ。
1分30秒という時間は、命を賭けるほど重要だったのか。
マンションに激突するまでの、数秒の間に、物理的な原因が生じたのか。
運転士の技術的未熟さだけだったのか。
本人が亡くなってしまったいま、その瞬間の状況は、わからない。
ただ言えるのは、「いつ事故が起こってもおかしくない」と、現役運転士の妻が話していた状況が、長いこと続いており、その中で、運転士達は、綱渡り的な勤務状況をしているという現実である。
もし、今回の事故の原因が、運転士の人為的ミスにあったとしても、運転士一人を責めて済む問題だろうか。
オーバーランを起こしてしまったのは、確かに、ミスであろう。
しかし、1分30秒遅れても、安全な運行の方が大事だという思想が会社の中にあれば、この運転士も、無理な運行はしなかったかも知れない。
経済効率と安全は、両立しがたい面があるようである。
日本の鉄道の、正確なことは、世界に類を見ない。
それは誇ってもいいことであろう。
だが、それが、現場に働く人間の、危険と隣り合わせの操作と判断に委ねられてのことだったとしたら、手放しで誇れるだろうか。
南米で暮らしていた時、電車はおろか、テレビの放映時間も、約束事も、時間通り、予定通りに行かないことが普通になっていたので、日本ではこんなことはないと、よく嘆いたものだった。
子どもが楽しみにしているアニメが、なかなか放映されないので、「なぜ、ここのテレビは、時間通りに始まらないの」というと、「でも、そのうちに始まるんですよね」と言う答が来て、唖然とした経験がある。
しかし、慣れてくると、時間に管理されている社会というのは、ひどく人間的でないと思うようになった。
日本に帰ってきて、厳しい社会だなあと、感じることのひとつは、時間で動いているという感覚である。
その一つの例を、以前ブログに書いたので、リンクしておく。
「待つ」
106人という命、一瞬のうちに奪われた人生と、遺された家族の涙。
「効率よりも安全」と言うことを、社会全体で、考え直さねばならないと思う。



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