沢の螢

akiko【MAIL

My追加

日脚伸ぶ
2005年01月18日(火)

一日ほんの数分であろうが、日が長くなっているような気がする。
大寒に近づき、さすがに、朝晩は寒いが、日中は、晴れていれば暖かい。
今朝、朝食のあとで、庭にメジロのつがいが来ているのを見つけた。
今、家の周りは、暮れからの道路工事で、大きな音がするので、鳥の鳴き声は聞こえないが、枝から枝にメジロが飛び渡っている。
2階にある夫の書斎に内線を掛ける。
「珍しくメジロが来てるわ」というと、「アレ、いつも来てるよ」という。
私が気づかずにいたらしい。
夫は、デジカメで、始終庭を観察して、芽吹きや生き物の様子を見る習慣になっている。
「アラ、言ってくれればよかったのに」というと、「気が付いてると思ったんだ」という。
今までは毎年、冬近くになると、庭の真ん中に、餌台をしつらえ、野鳥のために食べ物を置いていたが、鳥インフルエンザが話題になってからは、それを止めている。
家には、さまざまな野鳥が来るので、万一、近くに発症例が出たとき、家の野鳥たちが、犯人にされてはかわいそうだからである。
餌台を置かなくなったせいか、庭から鳥の声が消えた。
木々の芽吹きが始まり、虫が付くようになると、自然の恵みをもとめる鳥たちが、帰ってくるが、真冬は、えさが不足するのである。
私は、鳥に限らず、人が飼っている生き物は嫌いだが、自然の生き物や、野鳥は好きである。
鳥の、生きる力をそこなわないように、えさをやるのは、冬に限っている。
しかし、昨年から止めてしまったので、野鳥たちは、他の場所に移ったのであろう。
正月に息子夫婦が来たとき、息子の妻が「鳥が来ないんですね」と言った。
生き物は嫌いだという彼女だが、野鳥のことは、覚えているらしい。
わけを話すと「そうですか。いつもここへ来ると、鳥の鳴き声がするんで、どうしたのかと思いました」と言った。
今まで、鳥の話なんか、出したこともなく、無関心でいると思った息子の妻が、そんなことを心に留めていたのかと、意外であり、嬉しかった。
先日、暮れに買った蜜柑を、一袋、忘れたまま、腐らしてしまった。
鳥にやるには、充分なので、庭のあちこちに、置いておいた。
多分、それを食べに、メジロが来たのであろう。
メジロは、甘い物が好きなのである。
庭の紅梅が蕾を付けるのも、間近。
その頃には、野鳥たちが、花の蜜を吸いに帰ってくる。

昨日は、夕方から風が吹いて寒かった。
都心の某大学の神学講座に行く。
昨年4月から行き始めた夜間の神学講座。
「パウロ書簡」「マタイ福音書」「マルコ福音書」と、3つの講座を受講し、今4つ目の「諸宗教の神学」を受講中。
あと3回で終わる。
この神学講座を、週3回2科目ずつ受ければ、3年で、神学の全体が学べるようなカリキュラムが出来ているが、私には週に一度行くのがやっと。
多分10年掛かるであろう。
西洋の文学、美術、音楽に触れていくと、どうしても、聖書を理解したい気持ちになり、思い立った。
受講する人は、ベールを被った神学校の女性たちや、宗教科の教員免許状を採るための単位受講者のほか、私と同じく、キリスト教徒以外の人たちも多い。
数えたことはないが、大きな教室に、70人くらいはいそうである。
今まで無縁に過ぎてきた分野。
とても刺激的で面白い。
夕方5時半からの授業が終わるのは7時。
寄り道せずに帰ると、8時近く。
夕べは、夫が、鍋を作ってあった。
この頃覚えて、気に入っている「常夜鍋」。
豚の薄切りと、ほうれん草を鍋にして、大根おろしとポン酢で食べる。
冷えた体に、とても美味しかった。



BACK   NEXT
目次ページ