とうとう師走に入ってしまった。 夏は冷房、冬は暖房で、家の中にいる限りは、あまり温度差が無く、また季節に応じた風習や行事も、だんだん廃れてしまったが、それでも、年末の気ぜわしさというのは、感じる。 一歩外に出ると、もう、正月の飾り物が店に並んでいるし、年賀葉書用のソフトも、賑やかに売られている。 クリスマスは、キリスト教徒の少ない、おおかたの日本人にとっては、ただプレゼント交換を、商業ベースに乗せられてやるくらいだが、クリスチャンの人には、聖なる日。 教会のミサに出たり、家族で静かに過ごす場合が多いと思う。 思い出すのは、ロンドンにいたとき。 イギリス人の女性に、私の英語の家庭教師をして貰った。 日本に住んだことがあるという彼女は、日本語は出来るようだったし、それをレッスンの中で使いたいらしかったが、私は、彼女から日本語を習う必要はないので、私のレッスンには、日本語を一切使わないことを条件にして貰った。 彼女は週に一度、私の家に通ってきて、会話のレッスンをしてくれた。 しかし、少し経つうち、私は、彼女が、外国人に英語を教えるための専門的ノウハウを、持っていないことがわかり、スクールに通いたいからという理由で、レッスンを打ち切った。 私は、日本で、「外国人のための日本語教師」として、5年ほど仕事をしたので、母国語が出来るからと言うことだけで、外国人に、言葉を教えることは出来ないことを、知っていたからである。 しかし、語学教師としてはともかく、彼女は、話し相手としては、大変いい人であった。 レッスン料を払うと言うことがなければ、いつまでも、付き合いたかったと思う。 私は、あまり実りのないレッスンの代わりに、毎回、テーマをこちらで決めて、それについて、質問し、ディスカッションして、英語表現の問題点などを、指摘して貰うことにした。 日本とイギリスの習慣の違い、ある物事についての、感じ方の差、家族のあり方や、イギリスの教育の問題点など、今では、詳細は忘れてしまったが、発見したり、はじめて知ったことが、少なくなかったし、彼女が体験した日本での生活のことが、話題になったこともあった。 ちょうどクリスマスが近くなって、街が賑やかになった頃。 「クリスマスには、どう過ごすのですか」ときいた。 すると彼女は、肩をすくめて、フンという仕種をした。 いぶかっている私に、「私はキリスト教徒ではないから、クリスマスは、関係ありません」と、少し昂揚した調子で言った。 彼女が、ユダヤ人であり、敬虔なユダヤ教徒だと言うことが、そこではじめてわかった。 政治や宗教のことは、話さないのが礼儀である。 「ごめんなさい」というと、「いえ、イギリスにも、いろいろな人がいます」と言って、笑顔を見せた。 個人的なことも、向こうから話さない限り、触れるのはマナーに反する。 ただ、英語のレッスンの形で、お互いの家族や、日常生活の話題に、多少触れることはある。 当時は、サッチャー政権だったが、彼女が、サッチャーさんに批判的なことも、だんだんわかってきた。 緑色の車を運転して、通ってきた彼女。 何故か、いつも、黒に近い色の服ばかり着ていた。 「色のあるのは、好きじゃないから」と言っていた。 半年足らずの縁だったが、まだ独身だった彼女が、今どうしているだろうと、時々思う。 「そのうち、また日本に行きます」と言っていた彼女。 何故、日本に住んでいたのか、何をしていたのか、とうとう訊かずじまいだった。
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