沢の螢

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天文学との距離
2004年11月21日(日)

子どもの頃から理数科、特に数学がダメで、この世に何故数学なんて物があるのかと恨めしかった。
買い物に行って、おつりを間違えないとか、ワリカンでソンしないとか、実用的な数字には、強いが、抽象的になると、からきしダメである。
数学で、60点以上を取った経験はほとんど無い。
得意な国語と、幾らかマシな英語で、それらをカバーして、何とか落第せずに済んでいたのである。
ついでに、体育もダメだったが、これは、音楽でカバーした。
私の受験期は、国立大学は、文科系でも、数学2,理科2を含む8科目で、試験を受けなければならなかったので、数学の先生から、「君は数学がダメだから、受験科目にそれのないところにしなさい」と、早々と宣告されてしまった。
当時は、数学のない国立大学は外語大くらいだった。
それならいっそ、受験などせず、本でも読んで過ごした方がいいと、そのまま、ところてん式に上に進んでしまった。
後年になって、やはり、受験くらいはしておけばよかったとか、もう少しマシな学校に行っておけばよかったとか思ったこともあるが、学歴の善し悪しが物を言うような世界とは、あまり付き合わずに来て、現在に至っている。
今の趣味の世界でも、芸術的センスと、オリジナルな感覚だけを武器にして、勝負するので、学歴は勿論のこと、社会的地位も、出自も関係ない。
ある時、実社会で、トップを極めた人が入ってきたが、その辺の感覚がわからず、肩書き丸出しの態度で、どこでも名刺を出すので、陰で「社長」なんて、あだ名を付けられて、揶揄されていた。
そのうちに、そんなものがこの世界では、一文の値打ちもないことがわかり、だんだん態度が変わって、それから作品の質も上がってきた。
文学的創作には、垂直思考は向かない。
特に共同作品を作る場では、エライ人というのは、邪魔である。

話が逸れたが、本当は天文学の話をしたかったのである。
今月から私の住む市では、市民向けの天文学講座をはじめた。
すばる望遠鏡で見た宇宙の話というので、申し込んだ。
夫と一緒である。
「君には向かないぞ」と言われたが、宇宙の話なら、文学的な共通性がありそうである。
星座はわからないが、「冬のソナタ」のキイワードになったポラリスもあるし、なにやらロマンチックな感じがする。
ところが、やはり無機質な科学のことが中心で、私には難しい。
初回は、地球温暖化の話から、宮沢賢治の銀河鉄道の話になり、大変面白かった。
賢治は、現在の地球の状況をすでに予感してあの話を書いたことがわかる。
感動した。
しかし、聴きに来ている人の中には、かなりの天文マニアがいて、なにやら難しい質問をする。
私にはチンプンカンプンである。
おとといの話は、「星の進化と元素の合成」なるタイトル。
その中で、原子というのは、直径10センチの林檎を半分に割る作業を、約90回繰り返して残った大きさだという話があった。
数学的に言うと、1億分の1センチメートルというのだが、勿論、これは理屈の上の喩えである。
でも私は、実際に林檎を2等分する作業を90回出来るのかなあと、そればかり考えて、その後の科学的な話を忘れてしまった。
「君、半分くらい寝ていたぞ」と夫が言う。
その日は、本当は天体望遠鏡を覗くはずだったのに、雨で、流れたのである。
講座は、画像をスクリーンに映して、進められた。
若くハンサムな、眉目秀麗の学者のタマゴが話す宇宙のドラマを聞いていると、人間の歴史はホンの一瞬の塵にもならない出来事。
地球がいずれ爆発して、消え去るとしても、60億光年単位の話だから、人間の一生の単位ではない。
愚かな人間が、さんざん汚して傷め付けた地球が、悲鳴を上げているのは、想像できる。
生命が誕生するのに、60億光年掛かったというのに、やがて人間は、みずからの手で、他の生命もろとも、宇宙の藻くずと消えるのであろう。
「愚者の行進」という本が、20年ほど前にアメリカで出版され、原書を買ったものの、読めないでいる。
ベトナム戦争までのことが書いてあったようだが、いずれ、イラクやパレスチナの一章が加わることであろう。
個人の力で、どうにもならないことが、多すぎる。
宇宙の星のどこかに、別の生命体が住んでいるとしたら、地球上で繰り広げられている、人間のドラマを、どう見ているだろうか。



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