沢の螢

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一掬の涙を!
2004年10月31日(日)

昨日外出のおり、沿線駅で、号外を配っていた。
かなりの雨の中を出てきたので、傘とバッグ、行き先への土産物などで、手がふさがっていたが、人が手にしたものをチラと見ると「遺体発見」という大きな文字が見える。
急いで一枚貰った。号外は瞬く間になくなった。
正午少し前のこと。
電車の中で、開いた。読売新聞10月30日の号外。
「香田さんか遺体発見」という大きな見出しの下に、「バグダッド北方バラドで」「後頭部に銃弾のあと」などの活字がある。
30日未明にアメリカから日本政府に入った連絡という。
確認されたわけではないが、午前4時に、外務省が記者会見し、香田さんの家族にも、伝えられていたという。
香田さんが人質になり、映像で流されたのが26日。
アルカイダ組織と見られるテロリスト集団は、日本政府が48時間以内にイラク駐留の自衛隊を撤退しなければ、香田さんを殺害すると警告していた。
48時間というのが、どの時点を指すのか、よくわからないが、すでに、予告時間は過ぎているように思われ、号外を見た私は、何とも沈鬱な気持ちになった。
外出先は、連句の先輩の家である。
五週目の土曜日のある月に集まることになっている。
女性4人、男性一人が集まり、持ち寄りの食べ物やワインを愉しみながら、二十韻を巻いた。
その席では、号外のことには触れなかった。
ほかの人も、知ってか知らずか、その話題は出さなかったので、連句は、つつがなく終わった。
ただ、私の心の中には、苦い澱のような物が溜まっていた。

三日前に、やはり連句の集まりがあり、私の居た席で、人質事件の話が出た。
「あの若い人、かわいそうに」と私が言うと、同席の人たちから集中砲火を浴びた。
「危険なところに行くのが悪い」
「ちっともかわいそうじゃない」というのである。
「動機や状況はともあれ、命を奪われるのは、やっぱりかわいそうじゃないの」と私は言ったが、そこにいた人たちは、同調しなかった。
「命を粗末にするからこんなことになる」
「人騒がせだ」と、四月の日本人拘束事件で、インターネットに吹き荒れていた、どこかの掲示板のようなことを言う。
この人達は、インターネットに縁のない人たちだが、あのときも、共通の意見を持っていた。
非難する相手は、被害者じゃなくて、犯人でしょうと私は言ったが、あまり聞いてもらえなかったようである。
議論しても無駄だからと、「でも、自分の息子だったらと思うとねえ」とひとこといって、私は黙ってしまったが、みんなも黙ってしまい、ひやりとした空気が流れた。
厳しいことを言った人たちも、単純に被害者を非難しているのではない。
被害者と同世代の子どもや、あるいは、もう少し若い孫を持った人たちである。
子どもの時、あるいは、思春期に、戦中戦後を経験している。
だから、歯がゆいのである。
何でむざむざそんな危険なところに行くのか、と腹立たしく、そして、何もしてやれない非力さに、苛立っているのである。

そんなことがあったので、私は、昨日の席では、こちらから話題にしたくなかったのである。
家に帰ったのは、夜10時過ぎていたが、テレビを見ていたらしい夫が、「「発見された遺体は、別人だったらしいよ」と言った。
「じゃ、香田さんはまだ生きてるのね」と私は言った。
今までにも、アルカイダに民間人が人質になって、殺害されるケースが起きているが、日本人としては、はじめてである。
この事件は、日本が、自力での正確な情報が得られず、政府にも、メディアにも、事態はよくわからないようであった。
号外に書いてあった「遺体」というのは、調べた結果、別人のもので、その後、別の遺体が発見され、それはどうも香田さんの可能性が高いという報道が、その後出た。
そして、今朝、2度目に発見された遺体が、香田さん本人であると、確認された。
政府は、最初の段階で「自衛隊は撤退しない」と言っていたし、交渉の手立てがないらしかったところから、無事救出するのは、かなり難しいのではないかと思われた。
でも、何とかして助かってほしい。
誰でも、理不尽に命を奪われるなどということがあってはいけない。
被害者の人間性や、行動の善し悪しや、家族の状況や、そんなことは命あってからのことである。
まずは、助かってほしい。
そう願っていたが、残念な結果になった。
四月のイラク日本人拘束事件の際、さんざん取り沙汰された「自己責任」と言うことば、その後に起こった日本人ジャーナリスト狙撃事件、そして今回の事件、政府を表立って非難する意見は出なくなり、いつの間にか、仕方がないという風潮を作ってしまった。
香田さんの取った行動は、充分批判されることだったかも知れないが、もし生きていたら、その後の人生で、取り返すことも出来たはずである。
ひとつの若い命が、理不尽に奪われたという事実。
いまわの際で、彼は何を思ったであろうか。
私に繋がる同胞の一人。
助けてあげられなくて、ごめんなさいといいたい。
そして、せめて一掬の涙を、彼のために流したい。



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